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2015/10/01

Post #1639

Barcelona
本日、写真だけで失礼する。

読者諸君、ごきげんよう!

2015/06/09

Post #1525

Barcelona
先日、この写真をプリントしていて、言いようのない憂鬱な気分に落ち込んでしまった。憂鬱な気分に引きずられるようにして、風邪までひいてしまったほどだ。

昨日話したバルセロナのカフェには、一台のスロットマシンが設けられていた。
そして、俺がカミさんとコーヒーを飲んでいると、一人の太った老女が店に入ってきて、カウンターに向かってなにやら注文するや否や、このスロットマシンに飛びつくようにしてかじりつき、小銭をどんどんつぎ込みながら、何度もプレイしはじめた。財布を握りしめ、1プレイ終わると、すぐに小銭を投入して、またプレイし始める。何度も、なんども。ギャンブル依存症なんじゃないかって思うくらいだ。

日本では、公設カジノを設けて観光客の誘致をしようというようなふざけた議論が、世間知らずの坊ちゃんたちの学級会ともいうべき国会なるところで議論されているようだが、俺自身がいろいろと世界を旅してみたところ、日本ほど大っぴらに賭博が行われている国は、見たことがない。そりゃマカオみたいに町全体が賭博場の様な所もあるが、それはあくまで特殊な事例だ。あそこの主要産業はカジノだからな。
日本全国、どこに行ってもパチンコ店がある。競輪、競馬、競艇など公営ギャンブルも大っぴらに御開帳されている。どのギャンブルも、親方日の丸だ。
ついでに言えば、世界で最も手軽に性的なサービスにありつける、つまりもっとストレートに言えば、女を買えるのも、この日本だろう。

カジノはどこの観光地にもある。とはいえ、それはあくまで観光客向けのものだし、ハンブルグの裏町でみたカジノに至っては、そこに入ったら身ぐるみはがされないと出てこれないようなヤバい雰囲気が漂っていた。けっして、一般庶民がカジノで身を持ち崩すことはなさそうだ。もちろん、どこにでも例外はあるだろうが。
で、人々は日々の暮らしのやるせなさと、その双子の兄弟ともいうべき射幸心を、このようなカフェの片隅のスロットマシンにゆだねるしかないのだろう。

スロットマシンにかじりつくこの女性の姿から、俺は彼女の生活を想像してみた。
この女性は、むくむくと太っているが、服装もどこか薄汚れていたし、幸薄いオーラが立ち込めていたからだ。なにより、スロットマシン以外は、眼中にないといった様子が、俺にはどこか病的に見えたのだ。
余計なお世話かもしれないが、それはお世辞にも幸せという言葉から縁遠いもののように思われた。彼女の心の穴を埋めるものは、スロットマシンしかないのだろうか?家族と呼べる人はいないのだろうか?
ありえないことではない。

考えても見てほしい。彼女も生まれながらに年老いていたわけではないだろう。そして、みっともなく太っていたわけでもないだろう。
彼女にも、希望にあふれた時代はあったことだろう。友人と夢を語り合ったり、恋人と愛を交わしたりしたことだろう。精一杯着飾り、人生を愉しんでいた時期だってあったはずだ。
しかし、いまの彼女の姿から、その片鱗を見出すのは、なかなかに難しく思える。

誰の人生も、足早に過ぎ去ってしまう。俺たちに与えられた時間の、なんと儚く短いことだろう。けれどそれは、他人ごとではないんだ。たった一度しかない人生を、能う限り良く生き切ることこそが重要なんだ。でも、どうやって?
そして、スロットマシンに魂の救済をゆだねているように見える彼女の姿は、俺たちの誰もが無縁のものとは、決して言い切れないんじゃないかと俺には思えるのさ。

そう思うと、いてもたってもいられないような思いに駆られるとともに、自分が無駄に年を取りすぎたことを思い、何とも言えないわびしく憂鬱な気分に陥ってしまったって訳さ。

子供の写真を撮るのは、未来に希望を見出したいから。
女性の写真を撮るのは、男性の俺にとって、どこまで行っても女性は未知の世界だから。
それに比べて、老人の写真を撮るのは、あんまり愉しいものじゃないな。

この短い人生で、本当に大切なものは何か。俺たち自身にとって、幸せとは何か?それを日々考えながら生きていきたいもんだぜ。きっとそれは、そんな大それたものじゃないはずだ。

読者諸君、失礼する。想像力を働かせてみれば、一枚の写真から受け取るものはたくさんあるんだ。

2015/06/08

Post #1524

Barcelona
風邪なんかに負けちゃいられないと思い、焼き肉をしてみたんだ。アメリカ産の牛肉を、がつがつ食ってみたのさ。誰が何と言おうが、俺は肉食系中年だからな。あまりにたくさん肉を食ったってんで、家人に呆れられ、かつ叱られてしまったくらいさ。
そうしたら次の朝、いつもの痛風で足の指の付け根が痛くなってしまった。
予想通りだ。まったく、マンガのようなていたらくだ。
まぁ、この痛みには慣れっこだ。痛みどめさえ飲めば、どうってことないんだぜ。ちょろいもんだ。こいつのおかげで、俺は生命保険に加入できないのさ。

バルセロナのカフェにて。

ヨーロッパでは飲食店の中では禁煙なので、煙草の吸いたい奴は、雨が降ろうが風が吹こうが雪が降ろうが、外だ。
しかも、このカフェは入り口の横に小さな丸テーブルが置いてあるだけ。つまり立ち飲みだ。

それでも、おっさんたちは渋いコーヒーと煙草を愉しんでいる。
ヨーロッパでは、1mgなんてスカスカの煙草を吸ってるような奴は、お見受けしなかったな。

煙草は、誰が何と言おうと緩慢なる自殺行為だ。人生が退屈で仕方ないから、みんな煙草を吸って、終わりを早めようとしているのさ。
拳銃と度胸があったら、わざわざ煙草なんか吸い続ける必要もないだろう?

読者諸君、失礼する。

2015/06/07

Post #1523

Barcelona いかにもエスパニョーラって感じの娘っ子だな。
風邪を引いたおかげで、ひねもす食べて眠り、眠っては食べてを繰り返す。
豚の生活だ。
いくらでも眠れそうだし、いくらでも食べられそうだ。しかし、それがまた鬱の症状と似ているので、ふと不安になる。
タバコに関しては、丸一日以上吸っていないんだがな。
思うにあれは、退屈だから吸うもののような気がする。
こうしていても吸いたくて仕方ないんだがな。
ニコチン1mgとかのヤニのない煙草を、みんな吸っているけれど、そんなもの吸うくらいなら、すっぱりやめてしまいたいぜ。
ちなみに俺が、ここ何年か吸ってるラッキー・ストライクはニコチン11mgだ。
タバコらしい味がする。

正直言って、俺は自分を持て余してるのさ。俺のエンジンは特大なんだ。
だから、のんびりしていると、かえっておかしくなっちまう。
過酷な仕事で寝る暇もないくらいじゃないと、充実してるように思えないんだ。

読者諸君、失礼する。

2015/01/14

Post #1379

Balcerona
ここ何日か、本棚の奥から『古今和歌集』を引っ張り出して読んでいる。
若いころにはよくわからなかったんだが、改めて読み返してみると千年も前の人々の、迸るようなホットな感情が、ビシビシびんびん伝って来る。
とりわけ、切ない思いを詠いあげた数多くの恋歌は、その大半が叶えられぬ恋と、伝えたくても伝えられない相手への思い、そして逢いたくても逢うことが出来ない切なさを詠っているのだが、21世紀を生きる自分と、何ら変わりのないことに、驚くとともに深く共感する。

まさに、『もののあはれ』だ。
なんたって、当時の人々にはラインもフェイスブックもないし、電話もなけりゃ携帯電話もない。道路もなけりゃ交通機関もない。だから当然、離れた人に気軽に会いに行くことが出来ないばかりか、久しく消息の途絶えた人の安否すら知ることも出来ない。ネット社会ってのはスゲー便利だが、そんな思いを募らせて、転げまわるように苦しみもだえることもない。恋すら軽いのだ。悩むより前に、ラインか何かで、新しい恋人をゲットすればイイのだから。
まったく、平安朝の人々の恋は、現代人のそれとは、比べ物にならないくらい不便だ。

けれど読めば読むほど俺には、人間の本質ってのは、千年経とうが、技術がどれだけ進もうが、ぜんぜん変わらないんだって思えるよ。
いや、ひょっとしたら俺の感覚が千年前の人間の感覚なのかもしれないけどな。
まぁいい。そんな気持ちの解からない奴には、どれだけ言っても仕方ない。
けれど、そんな気持ちがわからないようじゃ、人生の楽しみは半減だぜ。
嘘じゃないさ。実際に少し読んでみればいい。
君が日本人の端くれなら、声に出して読んでみるがいいさ。
きっと五臓六腑にしみるのさ。

俺は、巻十二 恋歌二のこのあたりに痺れるぜ。

605 『人知れぬ 思ひのみこそ わびしけれ 我が嘆きをば 我のみぞ知る』  つらゆき
(相手に知ってもらえない恋の思いこそ、辛いものはない。私の嘆きを知るのは、私だけなのだ)

611 『わが恋は ゆくへも知らず はてもなし あふを限りと 思うばかりぞ』   みつね
(私の恋の悩みは、どうなるかわからないし、果てしがない。せめてあの人と逢うことで、治まりはしないかと、思うばかりだ)

613 『今ははや 恋ひ死なましを あひ見んと 頼めしことぞ 命なりける』    ふかやぶ
(本当ならば、自分はとっくに恋こがれて死んでしまっていたはずだけれど、あなたがそのうち逢おうと約束してくれた言葉をだけを頼りに、生きているのです。)

615 『命やは 何ぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに』    とものり
(命なんて、露のようにはかないものだ。あの人に逢うことと引き換えられるのなら、そんなもの惜しくもないさ。)

けど、このころの大人って、カッコいいなぁ。
いい年こいて、好きな女に会えるんなら、死んでもかまわない!なんて歌えるんだから。
けど、誰かを好きになるって、そんな気持ちがするもんじゃないかい?自分にもそんなときがあったなぁなんて思えるのは、果たして俺だけかい?

読者諸君、失礼する。


2013/04/16

Post #785 視線

Barcelona
意味ありげな男の視線の先には、いつだって女がいるものだよ。
読者諸君、失礼する。

2012/09/10

Post #622 重力について考える夜

昨日は遅くまで働いた。
本来は今日は朝のうちに打ち合わせに行くだけにして、午後はプリントする気満々だったのだが、仕事が入ってしまったんだ。いったいぜんたい、何時になったらゆっくりプリントできるのか。きっとすっかり涼しくなってからだろう。
Barcelona
夕方、家に帰ると、ふと気になって中上健二の小説『地の果て 至上の時』を本棚から引っ張り出し、読み始めた。没後20年、既に中上健二は過去の人も過去の人だ。しかし、彼の突きつけた課題に堪えることなく、時代はかる~く過ぎ去ってしまった。
人びとから畏れられる男の子として生まれた主人公・秋幸は、本作に先行する『岬』で異母妹を犯し、それに続く『枯木灘』で異母弟を石で殴り殺す。そして、3年間の服役の後、故郷(そこは路地と呼ばれる紀伊半島の被差別部落だ)に還り、自らの服役中にすっかり様変わりした故郷の路地を見る。そこから、物語が始まるのだ。うう、まるで現代を舞台にした神話か英雄譚のようだ。
硬質で美しい文章だ。こんな文章を読むのは、久しぶりだ。眠さも疲労も忘れてぐいぐい引き込まれる。心が硬質な結晶に純化するように感じるほどだ。
扱うテーマ、主人公と彼を巡る登場人物たちの葛藤、どこを切ってもヘヴィーだ。文章に、ズシリとした重力を感じる。
そう、重力だ。軽やかさなどとは無縁。泥臭い方言を語る登場人物たちは、誰も皆心の奥底に狂気を秘めているようにすら感じる。その狂気の源は、むろん主人公たちに流れる路地の血、即ち非人として差別され続けてきた被差別民の血に起因することがわかる。
今時の小説が、ちゃちな安物にしか見えなくなってくるような重さが、文字の羅列から立ち昇ってくる。当節流行のライトノベルなど、文学に値しないということがよくわかる。
しばらくは、久々に中上健二を読んでみるか。なに、俺は中上健二の全集を持ってるんだ。チョイと持ち運ぶのには重たくて不便だが、なに構うものか。そこに描かれる世界のほうがはるかに重たい世界なのだ。
そして重たい=質量を持つ者は、その重力によって周囲のものを惹きつける。
鬼才・若松孝二監督によって、中上健二の絶頂ともいえる『千年の愉楽』の映画化が進んでいるという。これも、路地を舞台にし、オリュウノオバという産婆の老婆を語り手に、自らに流れる路地の血に翻弄されるように、激しい人生を送り、しかも生命の絶頂期に命を絶たれていった路地の男たちを描いた現代の神話のような作品だ。楽しみだ。ぜひとも見てみたいものだ。
うう、そしてこれもまた無性に読みたい。
意外なことに、写真にも、重力がある。ブラウザーの上を軽やかに飛び交うデータとしての写真ではなく、実際のモノとして数百枚の写真を手にすると、ズシリと重たいものがある。そして、それを一挙に何十枚、何百枚とめくってみてみた時、写真のはなちゅ重力を感じることだろう。写真は、プリントしてなんぼなのだ。
俺の写真を見てくれる君が、もしも俺の写真から、俺の暗く沈んだトーンの黒々とした写真から、重力のようなものを感じてくれたなら、これに過ぎる幸せはないだろう。魂は決して見えないが、それには重さがあるのだから。そしてそれはお金で買うことはできないんだ。
読者諸君、失礼する。 

2012/07/20

Post #600 さんざん書き散らしてきたもんだ

読者諸君、このブログもついに600回だ。関係者諸君、どうもありがとう。
さんざんいままでお喋りしてきた。言いたいことはまだまだ山ほどあるような気もする。しかし、余りにくだらない政治の話しや社会を騒がす事件に関して、バカらしくって何も言う気になりゃしないってのが正直な気分だ。
OK、みんな好きにやってくれ。俺も好きにやらせてもらおう。いままでも、ずっとそうだった。誰かに言われても改まるわけもない。これからも、俺の持ち時間が尽きるその日まで、そうさせて頂くぜ。
てなわけで、今日は久々に一挙8枚写真をUP。
自分で言うのもなんだけど、改めて今までUPした写真を見返してみると、これはスゲー強力だ。下手っぴだが、ガッツがある。そんじょそこらの写真とは一線を画する黒っぽさだ。俺はその力強さに驚き、満足し、自分の写真に確信を持つ。俺は間違ってない、間違ってるのは社会のほうだと。
下らないお喋りよりも、写真のほうがきっと雄弁だ。分かる奴には解かる。分からない奴には分からない。そういうもんだ。
Osaka
Barcelona
Tokyo
HongKong
Paris
Bruxelles
Fes,Morocco
HomeTown/Nagoya
 失礼する。また会おう。

2011/11/15

Post #367 いろんな考え方がある

Barcelona
最近よく思うんだけども、この世界には70億も人間がいると、いろんな奴がいるってことだ。
トーゼンながら、いろんな考え方がある。それは結構なことだけれど、おかげで諍いも絶えないもんだ。
お、そういえばシーナ&ロケッツの歌で、そんな歌があったな。あれは確か、こんな歌だった。

♫いろんな考え方がある
 俺はたぶんバカだ、バカだ。
 はたちでヒッピーになったまま
 未だに自由に憧れてる

作詞は阿久悠だったはずだ。『ガキ』とかいうタイトルだったはずだ。Bメロの歌詞は忘れちまったけど、最後はこんな歌詞で締めくくられていたっけ。

♫とっくに老いた、お前と違って、
 心の中に眠らないガキがいる、ガキがいる

そんな大人になりたいもんだと、若いころ思っていたけど、実際なってみると、まぁこんなもんですか。所詮、70億のうちのありふれた1人ってことさ。
俺が死んだところで、世界は何にも代わり映えしないだろうし、痴漢が一人減っただけのこと。
俺が長生きしたって、世界に何か有益なことをすることも、まぁありはしないさ。
ならば、このまま自分の考え方で行ってみるのも一興じゃないかね。どうせ今更軌道変更なんて、できっこないんだろうから。
だから読者諸君、俺が自分で飽きるまで、こんな調子でお付き合い願いたいもんだ。失礼する。

2011/10/26

Post #347 自由と放埓

世の中には、ずいぶんたくさん勘違いした奴がいる。
これは自明のことだ。彼のフランク・ザッパは『宇宙には普遍的に二つのものが存在する。水素と愚かさだ。』という名言を遺したが、全く以てその通りだ。石を投げれば勘違い野郎にあたると言っても過言ではない。
なかでも、俺がイラつく勘違い野郎は、好き放題やることを自由だと思っている奴だ。
人には誰にも自由がある。それは人類がさまざまな問題を乗り越え、長い年月にわたって培ってきた、比較的新しいコモンセンスだ。うむ、自由とは現代の偶像無き宗教といってもいいんではなかろうか。
その意味では、俺も自由の信徒であり、自由の使徒でありたいと思う。
けれど、自由ということは何をやってもお構いなしというものでは、ない。
そんなものが自由なら、殺人も、強姦も、詐欺も、強奪も、そう、あらゆる悪徳が人間に許されてしまう。諸君、想像してみてくれ、そんな自由な社会はお断りだ。ゲヘナの火に生きながら焼かるべしだ。
自由とは、常に自分自身で周囲の状況を判断し、自らなすべきことを自発的に行い得るということではないだろうか。クラーク博士だったっけ?学長として赴任した学校の校則を如何にするかと問われて、『紳士たれ』の一言でかたずけてしまったのは。

『汝の欲するところを為すべし』という自由は、『思うところに従いて則を越えず』という自制心がなければ、唯のケダモノとかわりない。

そしてなにより、自由には絶対的に、責任が伴う。

どう振る舞おうが俺の自由だろう!と息巻く御仁をよく見かけるが、それによってぶん殴られたり、仕事を失ったり、相手とタイミングが悪ければぶっ殺されたりすることを受け入れる覚悟があるのかと訊きたいものだ。それがわかっちゃいない奴は、いくら年齢を重ねていても、単なるガキだ。そして、トーゼン、そんな連中に自由を云々する資格などなかろう。そんなのは単なる放埓であって、自由でも何でもない。
バカらしくって、そんな奴らとはお友達になりたくもないぜ。
Barcelona
かつて、宮沢賢治が詠ったような『億の巨匠が並んで生まれ、しかも互いに相おかさない そんな世界』がいつかこの地上に打ち立てられる日が来ることを俺は信じている。神様を信じるように信じている。悪いかい?3年後とか5年後とかの話しじゃないぜ、気が遠くなるような未来の話しさ。誰もが自由にふるまって、なおかつ互いに傷つけあったり、誰かの幸福を踏みにじったり、他人の自由や尊厳を損なったりすることのない、夢のような社会だ。そう簡単に実現するわけもない。何千年、いや何万年も先の話しだろう。ひょっとしたら、そんな社会が実現する前に、人類は滅んでしまうかもしれない。けれど、俺はそんな世界がいつか実現する事を、最後の審判がやってくることを確信しているエホバの証人の皆さんように、堅く、堅く信じている。そして、今日の一日が、その未来につながっている事を、俺は知ってるんだ。どれだけまわりに自由と放埓をはき違えたバカヤローが便座や薄汚れたまな板の上に繁殖しているバイキンのようにうようよしていようがね。

だからこそ、せめて俺は自制心と責任感を持った自由人でありたいと思っているんだ。
読者諸君、失礼する。渡る世間はアホばかりだ。

2011/06/15

Post #215 PINHEAD

突然だが、世の中には、くだらない奴らがゴマンといる。
自分じゃ何もしないくせに、社会や会社や学校や家族に、不満たらたらな奴らだ。挙句の果てには死にたいなんてほざきやがる。くだらないぜ。俺は文句は言うが、文句を言った以上は、自分はベストを尽くし、結果を出すことにしているんだ。ご立派だろう?
ネットを見ていると、そんな奴らをしばしば見かける。
ストレートに言って、死にたい奴は死ねばいいだろう。それも黙って。ネットで自分がドン詰まりで、にっちもさっちもいかないから死にたいなんてつぶやいたりしてる奴は、どうなのさ?寂しくてかまってもらいたいだけじゃないのかい?本当に死にたいのなら、とっとと死ねばいいんじゃないか、誰にも言わずに黙って。
Tokyo
言わせてもらえば、人生なんて自分の思うようには決して行かない。思うようにいってもせいぜい3割だ。少しばかり人生経験を積んだ人なら、誰だってわかってることだろう?
とりわけ、自分が頭がいいと思っている奴に限って、自分に対して正当な評価が与えられていないとぶーたれる。
例えば、俺の弟がそうだ。俺には3人の弟がいるが、その一人は、私立の中学高校に進み、慶応大学に入学したんだ。クロマティ高校卒、某愛知大学中退の俺とはえらい違いだ。しかし、奴は慶応じゃご不満だったらしく、大学を辞めて京都大学に入ったんだ。大したもんだ。俺の考えじゃ、才能のない奴は大学に行くしかないんだけどね。奴は目出度く京都大学を卒業し、これまた目出度く一流企業に入社したんだ。しかし、しかしですよ、奴はこの会社がご不満だったらしく、会社を辞めて専門学校に行きたいなんてほざきやがった。それを親にぐちぐち言っている訳だ。要は認めてもらいたいんだろうな。しかもあわよくば学費を出してもらいたいなんて虫のいい考えもあったのかもしれない。
俺は思ったぜ。
もういい加減大人なんだから、自分の生きる道なんか、自分で決めて、黙って実行すればいいだろう。なんてったって自分の人生なんだぜ?人に迷惑をかけないように好きにやったらいいだろう。
俺はそういって突き放してやったぜ。20万光年くらい突き放してやった。ひょっとしたら、ぶん殴ってやったかもしれない。いや、ケリを入れてやったのかもしれない。なんせ昔の事なんで、よく覚えちゃいないがね。奴は今でもぐずぐずとその会社に留まっている。俺にいわせりゃ、人生の無駄だ。
会社の上司がじぶんを評価してくれないから、もう会社に行きたく無いとか、自分から辞めると世間の目が厳しかったり、失業保険がすぐにもらえなかったりするから、クビにしてもらえないだろうかなんて虫のいい事を考えている奴もいる。惰弱なカンジがするぜ。人生は短いんだ、ぐずぐずしてる暇はないぜ。
もうこんな暮らしには疲れ切ったから、死んでしまいたいけれど、自殺するほどの勇気もないから、病気にでもならないだろうかとかほざいてやがる奴もいる。とんだ玉無し野郎だ。
そんな奴に限って、他人を受け入れたりしない、自分は優れた人間だと勘違いしているから手におえない。心の底から、ぶん殴ってやりたいぜ。そのあとで俺についてこい!って言ってやるさ。
この手合いは、どいつもこいつも、人生は上げ膳下げ膳で、自分の思うままになると思ってるのかよ。甘い、甘すぎる。この世界で最も豊かな国で、甘やかされて育っちまったんだな、可哀そうに。
そんなにうまくいくんだったら、今頃俺は結構な邸宅に住んで、高級外車をブイブイ乗り回し、若い女をスケコマシ放題だろう。そいつはいいぜ、楽しそうだな。そんなクソ野郎に俺もなってみたいもんだぜ。
しか~し、人生はちっともそんな風には運ばない。
俺だって、伊達に仕事を次から次に変わっている訳じゃない。人生がそんな甘いもんじゃないってのは、骨身にしみてるぜ。そう、ブルースを知っているのさ。絶望していると言っても過言じゃない。しかし、人生は絶望から始めたほうがいいんだ。甘い夢など、見ちゃいないさ。しかし、苦しみのない人生なんて、スープのないラーメンみたいに味気ないもんだろうよ。まったく、満たされ過ぎると野生が萎むとはこの事だ。
俺の愉快痛快な人生をプレイバックすると、ちっぽけな会社で、権力闘争に負けて、やむなく辞めたこともあった。交通事故で酷い怪我をして、やむなく辞めたこともあった。元請の思いつきの指示に腹を立てて喧嘩し、その日のうちに辞めたこともあったし、びっくりするほど安い金で、奴隷同然にこき使われて、あほらしくなって辞めたこともあった。時には、夜逃げ同然で逃げてきたこともある。
いつも、理不尽と闘ってきた。気に入らない奴にデカい顔をされるのが嫌だったから、必死になって働いた事もしばしばだ。阿呆な上司に正面切って戦いを挑んだことなんか日常茶飯事だった。
勢いで飛び出したはいいけれど、何の当てもなく、不安な思いで近所の川を覗きこみ、水面に浮かぶカモをみては、『鳥はイイよなぁ…、家賃もいらなけりゃ、飯代もかからねぇ。年金も保険もないしな…』なんて、ゲゲゲの鬼太郎の歌みたいな事を呟いていたことだってあった。
しかし、そのどれもがイイ経験だった。その経験のどれが欠けても、今の俺はいなかっただろう。
いつだって、頼りになるのは、自分の意志しかない。世間の目なんか気にしたこともないぜ。俺は毎日生きるのに全力投球なんだ。世間なんて、かまっちゃいられないぜ。俺は自分の人生を、自分自身の人生を、自分だけの人生を生きるんだ。
つまり、こういうことだ。自分自身を十全に認めて、自分の人生を受け入れるのさ。
そう、まさにこれが人生だ、ロックンロールだ。
Tokyo
誰かのようになりたいなんて思ってもダメだ。ダメダメだ。
所詮自分は、自分自身にしかなれないのさ。生まれた瞬間に自分が出来ていると思ったら大間違いだ。俺達は毎日の一見くだらない平凡な暮らしの積み重ねの中で、経験を積み、自分自身になっていくモノだと俺は思っているんだ。
もっとはっきり言えば、俺達の人生にはそもそも意味なんか、無い。
蚊やナメクジの生が俺たちにとって無意味なのと同じように、人間の人生にもまるっきり意味なんかない。神様も手を差し伸べたりするほどの価値なんかどこにもないんだ。ちっぽけなもんなんだ。生まれちまったから、仕方なく生きているのが、人間の有様だ。
しかし、もし人生に意味があるとすれば、この人生で、いったい何をなすのかということだ。意味は生得的に付与されているモノではなく、自ら見出すものなんだ。ナマコやクマムシと大きく違うのは、人間には意志があるという一点だけだ。思うにままになりっこないこの絶望だらけの世界で、自分の足でしっかり立って、自分の目で将来を見つめて、自分の手で夢を掴む。そう、この意志の力で世界に対峙し、一点集中突破するしかないんじゃないか?どうだろう?
俺の見出した人生の意義?それはここじゃ、言えないな。そんなに安くないぜ。まぁ、いつも俺の文章を読んでくれている君には、もうわかっているだろうけれどね。

Barcelona
ふぅ、今日はなんだか久々に熱くなっちまったな。そんな日もあるさ。きっと、つまらん!なんて言う読者が続出だろう。楽しみなこった。そういえば、最近しばしばつまらん!にチェックが入っているんだ。しかもいつもきっちり2つ入っている。しかも、しかもだ、おもしれー!にチェックが入る前に、必ずつまらん!にチェックが2つはいっている。やる気がなくなるほど、驚くぜ!つまり、しばしば2人の熱心な読者が、つまらないと思いながら読んでくれているんだろう。まったくもってご苦労なことだ。ありがとう、まったくもって尊敬するよ。俺ならつまらない事をやりたいとは思わないからな。
そんなにいつもつまらないんなら、もっと他にも面白い事をやったほうがいいぜ。俺のようなイカれたおっさんの妄言なんか読んでるよりも、人生にはもっと有意義なことがあるはずだ。TVをみたり、パチンコしたり、ネットで政府を批判してみたり、ケツの穴に塩もみしたキュウリを突っ込んでみたりとかな。ダッハッハ!もちろん俺はそんなことはしないがね。
前にも言ったように、俺は銭金のためにこのクソったれな文章をつづっている訳じゃぁないんだ。資本主義を超越してるんだ。つまらんと言われようが、俺のスタイルを変える気はサラサラないぜ。悪かったな。
俺の人生は、そして君の人生も、苦難と闘争と、そしてその向こうに広がる創造に満ちている。どんとこいだ。痛快だ。そう、それが人生だ、ロックンロールだ。
失礼する。

2011/06/12

Post #212 Naked Eye #5

最近、つまらん!という評価が多いので、今日は写真だけ。
写真だけと言ったら写真だけ。
それじゃ、行くぜ。
Barcelona
HomeTown
HongKong
Amsterdam
Osaka
Paris
Tokyo
Turk
VietNam

Fukuoka
どうだった?つまんなかったかな?
俺は自分ではいつも面白おかしく書いているんだけどね。
それでは、読者諸君、そのうちにまた会おう。

2011/06/07

Post #207 Fragment Of Fragments #18

読者諸君、ご機嫌いかがかな。こちらはまぁまぁだ。
今日からしばらくは、俺のホームタウンというべき名古屋のど真ん中で仕事なんだ。電車でGo!だ。地球の環境にも、俺の財布にも優しいぜ。電車で現場に通えば、行き帰りに写真も撮れるしな。ただし、電車に乗るのは気が重いんだ。痴漢に間違われたりしないかどうか、非常に気がかりだ。迂闊に写真なんか撮ってて、植草一秀教授みたいに逮捕されかねんぜ。
Paris
今日から乗り込みだった割には、仕事はあっさり終わったぜ。
ふふふ…、調子いいな。しかし、朝早かったから眠いんで、写真を撮ってぶらつくのは今日はお預けだ。かわりにと言っちゃなんだが、近くの美術館のB1にあるNADIFF愛知に行って写真集でも買ってくるとするか。
中平卓馬の『Documentary』(Akio Nagasawa Publishing刊)さ。これ、今年の頭に発行されていたんだけど、限りなくインディーズ出版の流れなんで、そんじょそこらじゃなかなか売っていないんだ。NADIFFで売っているのは知ってたし、以前にもお店のおねーさんに勧められてはいたんだけれど、資金的な問題もございまして、見送った経緯があった訳だ。
資金にめどがついた後も、読者諸君もご存じのとおり、殺人発狂的に忙しかったから、買いに行く暇がなかったんだ。忙しいってのは、まったく心を亡くすぜ。
うむ、イイ写真集だ。これについては、まぁ例によって近日中に紹介させてもらおうかな。楽しみにしてておくれよ。
Barcelona
ひとつだけ、俺には分かってることがある。写真でも、音楽でも、人生でも言えることだ。

『マンネリでも飽きなきゃいい』

かつて天才アラーキーが言っていたのさ。大抵の凄い奴は、自分のスタイルを持っている。時代がどんなに変わっても、自分のスタイルに確信を持っている奴は、ぶれない。そして、勁い。

俺の写真も、マンネリかな?俺はちっとも飽きちゃいないんだがね。どうだろうかね、諸君。
さて、今夜も失礼させてもらうぜ。いささかあっさりかなとも思うけれど、明日も電車でお出掛けしなけりゃならないんだからな。

2011/06/04

Post #204 She Said Yeah!

読者諸君、俺はこの気持ちのイイ土曜日、ゆったりと眠ってから今、まさに高校生の頃に買ったローリング・ストーンズの初期のアルバム“Out Of Our Heads"を聴いている。CDじゃない、LP盤だ。まだ若々しいミック・ジャガーの歌うラブソングが、俺を少し切なくさせる。はるか大昔の高校時代と、今と、その二つの時空のはざまに体験したさまざまなことが、この風の吹きぬける俺の部屋で交差する。少しセンチメンタルだ。
俺は、ブライアン・ジョーンズが生きていた頃のストーンズが結構好きなんだ。少し感傷的な響きでね。古いロックンロールのカバーもよくやっている。素敵なカンジだ。このころエレベーターの中でチャック・ベリーにであったミックとキースは、チャックベリーから『このままロールし続けろ!』と激励されたという。
このアルバムは、モノクロ写真のジャケットもカッコいい。こういう写真から、いつも俺はインスパイアされる。アサヒカメラなんか見る必要は1マイクロシーベルトも感じない。

一曲目はShe Said Yeahだ。俺の頭の中で、時空と記憶が混ざり合う。ノリの良い叩き付けるようなロックンロールから、She Said Yeahというフレーズを頼りにして、少し切ない記憶が引き出される。

彼女に出会ったのは、何時だったかどこだったか、憶えているけれど忘れたことにしておく。
忘れておいた方がいい事もたくさんある。
彼女は、センスの良い娘だった。とっくにくたびれたロックンロール・キッズの俺と違って、若さがオーラのように輝く年頃だった。この年頃の女の子は、どんな娘だって、とびきり輝いているのさ。その輝きに気付かず、日々を送り、くだらない男と所帯を持ってくたびれていってしまう。残念ながら、それが世の常だ。無情な世界だ。
Sagrada Familia,Barcelona
彼女は個性的な顔立ちに、流行とは一線を画した独自のスタイルを持っていた。そしてスタイルときたら、とびっきりによかった。要は素敵な娘だったのさ。
俺は彼女の写真を撮りたかった。きっと二度と逢うことはないだろうって予感があったから、たくさん撮っておきたかった。アラーキーみたいなカンジで撮りたかったんだ。けれど、彼女は写真をとられるのは好きじゃないと言っていた。残念だ。俺なら彼女の輝く季節を永遠に遺してやれたのにと思う。
彼女は、自分にはいろんな夢があると語っていた。なりたい職業があると言っていた。
俺達はいろんな話をした。俺は調子に乗っていろんなことを話したんだろう。
写真を撮っていること、昔は小説家になりたいと思って、原稿用紙にくだらないことを山ほど書きつけて、最終的には木曜日の燃えるごみの日に捨てたこととかね。
俺の事をもっと知ってほしかったし、彼女の事ももっともっと知りたかった。
彼女は、何時か一人で旅に出てみたいと語っていた。アムステルダム、イビザ、ゴアetc…。
俺は、そんな彼女といつか旅をする自分を想像した。いいだろう、想像するくらい?人生にはちょっぴりのロマンスも必要だろう。
俺は、そんな彼女に自分の旅の写真で編んだポートフォリオをあげた。
バルセロナを旅したときのものだ。
彼女は、そう彼女は俺からそのポートフォリオを受け取ると、その場でポートフォリオを見てくれた。
そして彼女は言ったんだ、Yeah!『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね。

それ以来、彼女とはもう逢っていない。連絡を取る術もない。時折、写真を撮りながら、雑踏の中でよく似た人がいないだろうかと、視線を走らせることがあるって程度さ。きっともう、俺の人生で二度とふたたびまみえることはないだろう。人の出会いなんて、所詮はそんなもんさ。
俺が彼女にあげたポートフォリオは、どうなったことだろう?俺が思うに、きっとその日のうちに、駅のごみ箱かなんかに放り込まれていたことだろう。クソッ、酷いもんだ。しかし、所詮は、そんなもんさ。それが人生さ、ロックンロールさ。

けれど、彼女は確かに言ったんだ。『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね、Yeah!

読者諸君。こんな話が本当にあったかどうかは、俺は知らないさ。俺はなんて言ったって、小説家志望だったんだからな。嘘を捏ね上げでっち上げるのが得意中の得意なのさ。たったひとかけらの真実を核にしてね。
そう、何時だって俺の真実は、俺の写真の中にだけ入ってる。たとえそれがどんな下手糞な写真でも。でも、もしもそんな言葉が無かったら、俺はこのブログをはじめようとは思わなかったかもしれないな。
俺は少し切なく、少し悲しい。
スピーカーからは、若き日のミック・ジャガーがBig Oことオーティス・レディングの名曲“That's How Strog My Love Is"を唄う声が流れている。俺の愛はなんて強いんだろう。こんな土曜日も悪くないもんだ。あぁ~、ストーンズが骨身に沁みるなぁ。

2011/05/29

Post #198 In A Cross Fire Hurricane

なんてついてないんだ。
台風がやってきているというのに、俺はこれから仕事で関西方面に出張だ。2泊3日、むしろ2泊3夜勤だ。浮かれている暇はないんだ。切迫してるぜ。何しろ季節外れの台風が来ているからな。梅雨に入ったばかりだというのに、いったいぜんたいどうなってやがるんだ。
俺は、こんな叩き付けるような雨の中、高速をすっ飛ばして出かけなきゃならないんだ。ついてないぜ、まったく。俺の連れ合いは心配している。そりゃそうだ。俺だって心配だ。なにもないのなら、窓の外の嵐をのんびり見物し、読書でもできたものを…。たまらないぜ。
読者諸君も、俺の無事を祈っていてくれたまえ。あ、あと商売繁盛もね。
Barcelona
窓の外では、雨に浮かれた蛙たちが、俺の部屋から流れ出すロックンロールのリズムに合わせて、ゲッゲッ、ゲッゲッと鳴いているのさ。
全然関係ない話だけれど、君たちは来世は信じるかい。俺は自分の来世はきっとカニ蒲鉾だと思っているのさ。しかも、酢醤油とかついているよーな少し高級な奴だ。あれは旨いからね。
で、俺は死んだあと、カニ蒲鉾に生まれ変わって、君たちにおいしいおいしいって食べてもらいたいなとか想像して、一人でくすくす笑ったりしてるんだ。まぁ、俺はそんなくだらないことをいつも喋って、連れ合いや家族にはうんざりされているんだ。困ったもんだぜ。
Amsterdam
さて、読者諸君。くだらないおしゃべりは今日は早々に切り上げさせてもらおうか?何しろ俺は今からこの十字砲火のような激しい雨の中、車を飛ばして俺のフィールドに向かわなければならないんだ。なに、心配はいらないぜ。俺は運転が巧いのさ。
では、失礼する。危険だから台風の中、あまりで歩いたりしない方がイイだろう。せっかくの日曜日が台無しさ。

2011/05/20

Post #189 しょんぼりすんなよ、元気を出せよ!

昨日の仕事はしくじったぜ。
俺の手落ちじゃないんだが、確認しなかった俺の手落ちだ。
俺はそれについてはこれ以上ぐたぐた言いたくないぜ。せっかくの人生が無駄になる。
ガックリしょんぼりしていても仕方ない。予約してあった医者まで、イカした音楽を聴きながら歩いていくのさ。俺の歩みはいつしかステップになり、心の奥底から渦巻きながら吹きあげる、滑らかなグルーヴは俺の腰を、肩を、腕を踊らせる。そう、マンガのキャラのようにあり得ないカンジで歩いていくのさ。
道行く人は、誰も彼も俺をイカれた奴だと思うだろをうが、俺は健康さ。すこぶるケンコーなのさ。心の中にロックンロールが溢れているのさ。熱いビートが津波のように押し寄せるのさ。
俺は疲れているんだろうが、いたって元気なんだ。この元気を、君たちに分けてやりたいぜ。
銭金と違って、こいつはどれだけ分けても減るもんじゃないんだ。むしろ、増えていくのさ。
この元気はどこからやってくるのか?

そんなこと、言えるわけないだろう。俺が頭のイカれたシャブ中かおかしなカルト野郎だと誤解されそうだからな。
そう、まだ君たちに言うのは早い。早すぎる。
Amsterdam
俺には108の秘密があるが、まだまだ君たちに打ち明けていない秘密が多すぎる。
ダメダメダメダメ。何事も順番だ。日本人は順番を守る礼儀正しい民族だろう?
いずれにせよ、頭の固い、会社の中だけが自分の全世界だと感じてる世間の皆様に、そう思われるのは屁でもねぇけど、親愛なる読者の皆さんにそんな誤解をされるのは、少し寂しくもあり、悲しくもあるからな。
それにまた、いつものよーに調子に乗って、読者の皆様の理解をぶっちぎるような、訳の解らない事を書き散らして、つまらんとか言われちゃたまんないぜ、ダッハッハッ!

どこかで、誰かが俺の駄文を読んで、共感したり、反発したりしてくれているんだ。不様な生き方は出来ないぜ。いや、無様でもイイか、マディーウォーターを飲んでも、這いずってでも行くぜ。俺は自分の人生の軌跡で、虚空に絵を書くように生きていたいのさ、すぐに消えてしまう飛行機雲のようにね。
この糞溜めみたいな社会で、苦しんでいる人もいるだろう。
自分自身の人生を送れていないと悩んでる奴もいるだろう。
過去にこだわって、前に進めなくなった人もいるだろう。
OK、俺の中に渦巻いている、このエネルギーを、分けてあげたいぜ。
君が元気になったなら、俺はきっと、もっと元気になるのさ。これは資本主義じゃ説明できないぜ。
もちろん、元気になったからって、問題が解決する訳じゃない。高価な壺やパワーストーンで幸福になれる訳ないのと同じ事さ。
Barcelona
しかし、俺が崇拝しているロックンロール・グル、ピート・タウンゼントは言っているぜ、『ロックンロールは悩みを解決したりはしない。悩んだまま、踊らせるのだ』と。
そう、元気さえあれば、この糞ったれな現実に立ち向かう事はできると思うぜ、元気を出せよ!しょんぼりすんなよってカンジだ。
下らない社会だと、絶望する前に、面白い人間になるのはどーだい?あくまで自己責任だけとね。所詮、社会なんて、ちっぽけな人間の寄り合い所帯さ。一人ひとりが面白い人間になれば、この息苦しい社会も、いつかきっと変わるさ。
俺は信じてるのさ。明日の君が、今日よりも面白い人間だって事を。
そうさ、悩んだまま、踊ればええのさ。
『グルーヴがあれば、水の中に入っても濡れることもない』と、Pファンク軍団の総帥、ジョージ・クリントンも歌っているぜ。つまり、グルーヴを、元気を持っていれば、くそくだらない社会の中でも、簡単に押しつぶされたりはしないってことだ。実に、含蓄があるぜ。
もし一度でも、俺のところに来てくれたなら、俺はいつでもここにいながらに、君のそばにいるだろう。
読者諸君。失礼する。今日も仕事がてんこ盛りなのさ。
仕事のボーディングタイムが近づいているんだ。また、明日会おう。いつでも君たちのすぐそばに俺はいるのさ。

2011/04/22

Post #161 Fragment Of Fragments #14

結局今日も、仕事関係の雑事に忙殺されて、プリントどころか、ネガをチェックすることすらできなかった。いつもながら、自分のヤルヤル詐欺っぷりには驚くぜ。まぁ、締切とか期限がないとその気にならないのは、ガキの頃からだ。仕方ない。
しかも、急遽明日の朝からひと仕事安仕事入っちまったもんだから、今日はあんまり遅くまでブログを書いている訳にもいくまい。ましてや35本のネガチェックなんて、絶対に夜が明けちまうぜ。ダメダメダメ…。時間を守るのは、まっとうな社会人の基礎の基礎だ。時間にルーズな奴はイマイチ信用ならないからな。睡眠不足で運転して、通学中の子供さんを轢き殺す羽目になったりしたら、俺のこの人生、どうにもならないぜ。
だから今日は、流す。宣言する。あっさり行こう。
だいたい俺の統計によれば、金曜の夜は、あまりPVが伸びない。花金なんて言葉はとっくに死後の世界に突入している感がある。20世紀末を思わせる響きだ。しかし、時代は巡っても、世間の皆さんの傾向としては、金曜の夜くらいは飲みに行ったり、デートしたり、クラブに繰り出して朝まで踊ったりと有意義に人生を謳歌しているのだろう。そう、人生には何かしら楽しみが必要だからな。金曜の夜にシコシコブログを書いてたり、夜通し仕事をしているなんて、客観的に見ると、いささか悲しいもんだ。しかし、海外旅行に、フィルムに、現像にと今月はすっかり散財してしまったので、まぁ、俺としては家で大人しくしているべきなんだが。
まぁ、いいさ。週明けの25日は給料日だ。自分で銀行に行って、自分の会社の口座から、自分の口座に振り込むのさ。儲かってないからささやかなもんだ。ふふふ…、零細企業なんてモノ悲しいもんだぜ、ホント。
Barcelona
ヨーロッパに行くと、黒人をたくさん見かける。移民だろうか。そーだろうな、俺の記憶ではヨーロッパには白人が住んでたはずだからな。一口に黒人といっても、ブラックアメリカンとは、歴史もルーツも違うから、微妙に顔立ちが違っている。つい最近まで、アフリカにすんでいたような雰囲気の人も多々ある。まぁ、人それぞれってことだ。
ぱっりとしたスーツを粋に着こなして、ビジネスマン然とした奴もいれば、しけた商店で店番をしてる奴もいる。いや、俺が今回パリで見かけた店番の黒人のアンちゃんたちは、あれはただ店で音楽を流して、店番をしてるふりをしながら、リズムをとっていただけだった。何しろ、彼らの店には、それは露店だったんだが、パッとしないTシャツが10枚くらいぶら下げてあっただけだったからな。真面目に商売してるようには、う~む、見えなかったな。まぁ、人にはそれぞれ事情があるか。

以前訪れたバルセロナでは、道端で大きな布を広げて、その上に、どう見てもパチモンのブランドバックやベルトやサングラスなんかを並べて、通行人に売りつけている黒人をよく見かけたぜ。大通りのブランド店の前で、堂々とそのブランドのパチモンのバックを、地面に広げた布の上にぎっしり並べて売っているんだ。驚くぜ。いやむしろ、凄いユーモアだ。しかも、どう見てもいかさまのパチモンにしか見えないそれを、買ってる奴がいるんだろうな。それもまた驚きだ。そういや、香港じゃ、ニセモンの時計買わないかってよく声をかけられたりしたっけ。得る方も売る方なら買う方も買う方か。いや~、まいったなぁ。

図太いというか、バイタリティがある。

俺たち日本人も、多少は見習ったほうがいいかもしれない。いや、そのパチモン商売のほうじゃなくて、もっとその、なんていうかね、精神的な逞しさに関してだね、見習うべきじゃないのかなということが言いたいわけだ。誤解すんなよ。

Baby!逃げるんだ!
当然、営業許可なんか受けてるわけじゃないから、当局の取り締まりなんかがあるだろう。そうすると、奴らは一体どうするか?下手にそんなところで挙げられたら、強制送還とか食らっちまうかもしれないしな。そうなったら、彼らが頭の中に描いているサクセスストーリーも台無しだ。
見ものだぜ。
いかさま商品が乗った布の四隅には、長い紐がついているんだ。彼らはその紐を握ったまま商売しているのさ。
そして、いざガサ入れだってぇと、その紐を一気に引っ張るんだ。
そうすると、いかさま商品を満載した布は、あっという間に風呂敷っつうか、マンガのドロボーかサンタクロースが担いでいる大きな袋みたいになるって訳だ。
そうして奴ら、その袋を担いで、蟻の子を散らすみたいに、みなてんでバラバラの方向に一目散に逃げていくのさ。まさにスタコラさっさってカンジだ。

世間の風は冷たい。故郷を離れた人間が、生きていくのは大変なもんだぜ。

読者諸君、また会おう。
今回の旅行の写真は、もう少しお預けだ。
俺も大いに気になってはいるんだがね。
いつもながら、こんなだらしのない俺を許してはくれないかい?

2011/03/18

Post #124 ヘリコプター

いつも災害が起こると、不思議に思い、なおかつ苛立ち、挙句の果てには憤慨することがある。
今回の災害にも、避難所には食料も水も生活物資もない。しかし、そんな避難所にも、カメラが入って、マスコミのレポーターが入っていて、呑気に『避難所生活はいかがですか?』とか『一番必要なものは何ですか?』とか被災者に訊いて回っている。俺達はそれを通じて、状況を知ることができるのだが、どこか割り切れない。
そして、今回の震災でも、被災地の上空には真っ先にマスコミのヘリコプターが、ぶんぶんと飛び回っただろう。

Osaka 例によって本文とはカンケー無し
何度俺は、ヘリコプターに乗ったレポーターが『病院(もしくは学校)の屋上には、SOSと書かれています。』と伝えるのを見たことだろうか?
SOSだって言ってるだろう!マスコミがそういう状況をカメラにおさめて、そのまま飛び去ってしまったのを何度見たことだろう。そして、そのSOSと書かれた屋上で、ヘリコプターに向かって必死に手を振る人々を何度見てきたことだろう。子供が線路を走る電車に手を振ってるのとは訳が違うんだぜ。そのカメラが映している光景の先には、生か死かというぎりぎりの状況に置かれて、困窮逼迫している被災者のかたが、電気も薬もない状況の中で、患者を救おうとして懸命に働く医師や看護師がいるんだぜ?
相も変わらず、今日もまた、マスコミのカメラは避難所に上がり込み、被災者に対して、訊くまでもなく分かるような頓馬な質問を投げかけては、こういうのさ。『道路が寸断され、物流が止まったいるため、被災地には援助物資がなかなか届きません』 じゃ、俺はマスコミの皆さんに訊きたいぜ。『HEY、HEY、HEY、マスコミのおにーさんよ、あんたたちははいったいぜんたい、どうやってそこにたどり着いたんだい?』ってね。そしてもう一発訊きたいぜ。『あんた、まさかマイクだけ持って行ったんじゃないだろうな?何か、援助物資を、それが例え焼け石に水のわずかな量でも、持っていかなかったのかい?』ってね。
わかってる、俺は本当はよーく分かってる。それは報道の使命ではないっていうんだろう。客観的に事実を伝えるのが報道の仕事ですって、シレッとした顔で言うんだろう?
けど、本当にそれでえーんかい?
俺がその立場だったなら、報道の使命だのなんだのは、とりあえず脇に置いても何かしたいぜ。
ああ、わかってるよ。本当によ〜く分かってる。目の前の人たちだけ助けても仕方ないっていうんだろう。起きていることを広く社会に伝える仕事なんだ。食料や水や生理用品や靴下を被災者にもっていってやることが仕事じゃないっていうんだろう?
けど、本当にそれでえ〜んかい?
俺が子供じみたことを言っているのは承知している。彼らが職務を忠実に果たすのは、被災してない俺が、自分の仕事を誠実に真面目にこなすのとまったく同じ仕事ですっていうことくらい、百も承知だ。
Barcelona
承知していることと、納得していることは違う。俺はこのブログは極力自分の想いを自由に、誰憚ることなく、正直にセージツに綴りたいと思っている。だから、それが社会の一般的な通念と噛み合わなくても、あえて言ってみるか。それってなんか納得いかないぜ。これは見せもんじゃないんだぜってね。これ見よがしにヘルメットなんかかぶりやがって、この野郎って思うのさ。

昔、阪神大震災の時にもそう思った。作家の辺見庸も、確かそんなことを書いていたっけ。しかし、俺にとって、最もインパクトがあったのは、キヨシローによく似たゼリーなる人物が率いていたザ・タイマーズが歌っていた『ヘリコプター』って曲だ。もちろん俺には、自衛隊のヘリの活躍が報じられている時に、それに異を唱えたり、水を差したりするつもりは全くないが、あくまで、かつてこういう歌もあったって形で書いておく。
皆さん、決して俺の真意を誤解しないでほし―ぜ。

ヘリコプター  ヘリコプター
空から水をまいてくれ
ヘリコプター
今すぐこの火を消してくれ
マスコミばかりが乗ってるヘリコプター

燃えてるぜ 燃えてるぜ
2日も3日も骨まで燃えてるぜ
ヘリコプター
まるでこの街は火葬場さ
人命救助をしてみろヘリコプター

自衛隊のヘリコプター 消防署のヘリコプター
警察のヘリコプター エリートだけが乗れるヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に飛んでこい
ヘリコプター
レポーターよりも俺を乗せてくれ
火事場のまわりの野次馬ヘリコプター

政府要人のヘリコプター 海外派兵のヘリコプター
税金で買ったヘリコプター いざという時に飛べないヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に
ヘリコプター ヘリコプター
飛べなくなる前に
ヘリコプター ヘリコプター
上昇気流のその前に
ヘリコプター

THE TIMERS 『ヘリコプター』(アルバム『不死身のタイマーズ』より)

過激だ。誤解を招く恐れがビンビンあるぜ。
俺も、読者諸君から呆れられてしまうかもしれない。もちろん、俺は自衛隊の皆さんが、孤立した人々をヘリですくいまくっているのを知っているし、福島の原発でも、危険を冒して消火活動に従事していることも知っているし、心から尊敬している。しかし、言いたい。もちろん、俺が言いたいのは、マスコミの皆さんに関することが言いたいから、こんな昔の歌を引っ張ってきたんだ。分かるだろう?実にこの逡巡こそが人生だ、ロックンロールだ。
マスコミの皆さんも、職務に忠実なのはまことにいいことだ。なんて言ったって、彼らも所詮サラリーマンなんだからな。しかし、職務を逸脱したり、自分の組織をはみ出すようなことをしでかす方が、人間として正しい、いや義しい(もちろん、ただしいと訓むのだよ)時もあるんじゃないだろうか?
諸君、どう思うだろう?俺は今回も今一つ納得いかないと思ってるんだがな。
もちろん、このどさくさに紛れて便乗値上げで一儲けをたくらんでいるような性根の腐ったクズ野郎や、今から復興特需をにらんでホクホクしているようなろくでなしなんかには、納得するどころか、憤慨しているんだけどな。もし、そんな性根の腐った奴に出会ったら、問答無用で簀巻きにして川に放り込んでやるぜ。憶えてろよ!今から風呂に入って、よーく首を洗っておくこった。

それでは、また会おう。明日から本格的に、俺もイソガシー。また、体調をくずしてアレルギーを起こしたり、結石や通風で悶絶しないようにしなくちゃな。そうそういつも君たちに心配をかける訳にはいかないさ。もっと心配してあげてほしい人が、今の日本には何十万にもいるんだからな。
失礼する、また会おう。

2011/03/04

Post #110 関係者各位へ

Barcelona
本日、体調不良、疲労困憊のため、お休みさせて頂きます。
各位、御自愛くださいますよう、御願い致します。

2011/02/14

Post #92 Interlude

写真を撮らない日はもちろんある。
プリント出来る日は限られている。
しかし、写真の事を考えない日はない。
今日はたまりにたまったネガを整理して暮らした。
外は雪だった。
Balcerona