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2015/09/24

Post #1633

東門市場、台北、台湾
今夜は写真のみお送りしよう。
明日が自分の会社から自分自身に給料を払う日なんで、帳簿を整理しないといけないんだ。

読者諸君、失礼する。まずは一風呂浴びてくるとするか。

2015/09/21

Post #1630

Tainan,Taiwan
仕事の合間に本屋をのぞいてみる。
俺の現場は、老舗本屋のビルを間借りしてるテナントなんだ。
あくまで、名目上は工事の騒音がどれくらい聞こえるかの確認だ。
けれど、俺は本が好きなんだ。
たくさんの本がある。本屋だから当然だ。
なにか読んだことのない本を探して、本棚から本棚をうろつく。
色とりどりの背表紙が、魅惑的な文句で俺においでおいでしている。

いつも、一冊で世界を貫く真理に触れるような本に巡りあいたいと思っていた。

けど、そんなものはないんだ。世界を貫く真理なんてものが、実はないように。
だから、次々と本を買い続ける羽目になる。

小説はいまはいい。なぜって、誰かの書いた架空の人物のドラマよりも、俺の人生のほうが俺にとってはよっぽどドラマチックだから。

旅行記は確かに読みたい。けれど今読んだら、どこか遠くに旅立って、もう帰ってきたくなくなってしまうだろう?危険すぎるさ。俺には麻薬と同じだ。

写真集かぁ・・・。あいにくと俺が欲しいような写真集は、普通の本屋にはあんまりおいてないのさ。アイドルの写真集なんか、欲しくないしね。

小難しい哲学書や思想書も、いまはいい。俺は頭の中から理論や理屈を放り出して、軽やかになりたいから。墜落寸前の飛行機が、荷物を捨てて、なんとか飛び続けようとするようにね。

歴史書も読みたくない。確かに興味はあるけれど、どの歴史も、ある視点からのものに過ぎないのさ。一方の立場に加担したくない。人間はいつだっておかしなことしかしちゃいないしな。なによりかにより、これ以上頭の中にトリビアを増やしてどうする?

自己啓発を促すようなビジネス書なんかには、はなっから目もくれないさ。



こうして俺は、何も買わずに現場にもどり、休憩時間にはカバンから本を取り出す。

いつも身に着けるように持ち歩いている『古今和歌集』と金子光晴の詩集『女たちへのエレジー』を。好きな詩は、いつだって自分の人生に響きあっているように感じるものさ。

読者諸君、失礼する。人生は本の中で展開してるんじゃない。ましてやTVやスマホの画面のなかでもない。

2015/09/16

Post #1625

Taipei,Taiwan
毎日会議ばかりで、俺は腐ってる。
俺は会議室が似合う男じゃない。自分の仕事にさほど関わりもない話を延々と聞かされるのも苦痛だし、退屈だ。しかも、問題があることを皆が認識するだけで、なんの結論も出ないような会議、やってどうなる?
せっかくのダイヤモンドが、石炭のように干からびちまいそうだ。俺は、もっと一分一秒を惜しんで判断し、四方八方悪あがきして手を尽くし、目の前の問題を打開して、具体的な形を作っていくっほうが好きなんだ。机上の空論じゃ、俺を本気になんかできるもんか。

こんなことなら、銀座の仕事を続けていりゃよかったぜ。

思わず、えらいさんたちの目の前で、堂々と居眠りしちまったぜ。

なぁに、構うもんか。気にしちゃいないぜ。

読者諸君、失礼する。気を抜いてても、怪我したり死んだりしないような仕事は、俺向きとは言えないな。

2015/09/03

Post #1612

台湾、台南、安平里
ここ何日か、腰が痛くて呻いて暮らしている。
中国製の馬鹿みたいに重い什器を持ち上げたときに、痛めてしまったようだ。
行きつけの整体院も整形外科も今ははるか遠い。
ウィークリーのベッドは、どうにも体に合っていないようだ。
三点ユニットでは、ゆったり風呂に浸かって疲れをいやすこともできないしな。
だからと言って、現場を放り出して、ベッドで転がっているわけにもいかないんだ。なにしろ、俺には責任があるんだ。自分で選んだ道だしな。倒れるまでヤレ!倒れたら這ってでもヤレ!がモットーだ。
仕方なしに、痛風発作にそなえて用意していた痛みどめを飲んで、なんとかごまかして暮らしているのさ。

やれやれ、こいつがおさまったら、毎日腹筋背筋を鍛えることにするか。

読者諸君、失礼する。朝からつまらん話ですまん。しかし、朝から痛みに呻いてる俺なのさ。

2015/08/29

Post #1607

台南、台湾
くどいようだが、今夜も仕事だってことで、写真だけお送りするってばよ!

もちろん昼間だって仕事してるんだけどね。

万一事故でもあったら、俺の仕事は書類送検されちまうんだ。下手すりゃ執行猶予付の懲役刑だ。
前科一犯になっちまうってもんだ。管理監督者の責務は重いんだぜ。だから、手を抜くわけにはいかないんだ。なぁに、望むところだ。どんとこいだ!

読者諸君、失礼する。誰だよ、前科一犯のほうが、見た目に相応しいとか言ってるのは!

2015/04/05

Post #1460

Taiwan,Taipei
雨が降り続いている。
君の上にも雨は降っているだろうか?
俺は、日曜だというのに、昼も夜も仕事だよ。商売繁盛だ。
俺は金のかかる男だからな、仕事のある時に、出来るだけ稼いでおきたいのさ。
俺のことを、アリとキリギリスのキリギリスのような奴だとみんながいうのさ。どいつもこいつも、俺のことを年食ったら、野垂れ死にだと思ってるんだろうが、お生憎様、そうは簡単にくたばってたまるかよ。
俺はいつだって、働き蜂のように働いているのさ。
四柱推命によると、俺は一生涯食うのには困らない星回りらしいぜ。調子に乗って行かせてもらうさ。
もっとも、100まで生きる気もないがね。
読者諸君、失礼する。今日は忙しいのさ。のんびり感傷的になってる暇なんて、どこにもないのさ。 

2015/04/04

Post #1459

Taipei,Taiwan
今夜は、思うところあって写真だけお送りしよう。あと何度、春を迎えることができるのだろうか。ふと、そう思うとなんだか気が滅入るのさ。いつも、春は憂鬱になる俺なのさ。

読者諸君、失礼する。年年歳歳相花似たり、年年歳歳、人同じからず。

2015/03/24

Post #1448

台湾、台北、剥皮寮
なんとなく、今日は写真だけお送りしよう。
いつも長々と文章を読まされると、うんざりするだろう?
書いてるほうにもいろいろとあるものさ。

よく見ると、右の方に現像ムラがあるじゃないか・・・。
まぁ、イイか。それもまた乙なもんだて。

読者諸君、失礼いたす。

2015/03/14

Post #1438

東門、台北、台湾
つらつら思うに、愛情というものには、形がない。

愛情が、ホールケーキのように、切り分けて与えることがっ出来るモノだったなら、どれほど容易いことだろうと、常々思う。
けれどお生憎様、愛情というものは、そんな確かなものではない。
追いかけると消えてしまう蜃気楼のような、
雲の隙間から差し込む陽の光のような、
不確かなものとしてしか、俺たちには感得できない困った代物だ。

形も質量もないものを、人間は量ろうとし、また独占しようと試みる。
とはいえ、必死に紡ぎ出した言葉も、全身全霊を込めた愛の営みも、すべて儚く一瞬で過ぎ去ってしまう。
捕まえたと思っても、それは形のないものなので、すぐにするりと手の中から滑り落ちてしまうような不安な気持ちになる。
男も女も、独占欲は強いものだし、そもそも形のない愛情に、目に見える担保が欲しくなる。

それは貞操であったり、
それは盤石の値打ちの金であったり、
或いは愛の営みの結果である子供であったり・・・。

そうなってくると、話は途端に生々しく、生臭くなってくる。
本来の愛情はどこへやらで、その担保の方が重要になってくる。

愛情を求めるよりも、愛情を注ぐ方が、ずっと幸せだ。
それには保証なんて必要ないんだから。
思えば即ち、自分の心にそれは確かにあるのだから。
形がないものだから、どれだけでも、誰にでも注ぐことが出来るだろうし、
見返りさえ求めなければ、心安らかにいられるってものさ。
見返りさえ求めなければね・・・。

とはいえ、無償の愛情ってのが、世の中いちばん難しいんだよねぇ・・・。

読者諸君、失礼する。いい年をしたおっさんが、愛情について考えるなんて、想像できるかい?けど、いくつになってもこいつは重要な問題なのさ。そう、何よりも重要なのさ。

2015/03/13

Post #1437

Taipei,Taiwan
一晩中、腰に道具を一式巻き付けて、夜の百貨店のそこそこ広い現場の中を歩き回っている。現場は仮設照明しかなく、薄暗い。俺は夜行性の獣のようだ。
朝日が昇る頃、家に帰りつき、疲れ果てて眠っても、足の筋肉が引き攣る痛みで、のたうつようにして目を覚ます。そうして、夜更けに自動更新するために、このブログを書いている。

いつだって、君が見ていても恥じることのないように、おしりの筋肉に力を籠め、背筋を伸ばし、胸を張って堂々と歩いているのさ。
こうして骨盤を引き締めると、自然と背筋が伸びてくるんだ。
なんだって、土台が大切なんだよ。君も試してみるがいい。
疲れ切っていても、ダラダラと足をひきずるように歩いたりしたくない。年相応なんて糞喰らえだ。
そんなの一騎当千の漢にふさわしくないだろう。
俺がどんなに疲れていたって、落ち込んでいたって、何故か仲間たちは、俺が元気だと驚き呆れているのさ。どうしていつも、そんなに元気なんだって、みんなに訊かれるよ。
俺はいつだって、こんなのフツーだよって笑ってごまかすのさ。
どいつもこいつも、俺がベッドの中で痛みのために眠れないでいることなど、知りもしないだろうよ。

けれど、本当は俺と他の男とは、決定的な違いがあるんだ。

それは、俺の心の中には、いつだってロックが響いているからさ。

俺の友人は、かつて楽器を弾けない俺を評して、『ロックンロールを、生き方そのもので表現する男』と言ってくれた。
最高のほめ言葉だとおもう。
残念ながらその友人とは、仕事上の上司部下の関係になり、お互いの立場の違いから、袂を分かつことになってしまったけれど・・・。それもまた人生だ、ロックンロールだ。バンドで言えば、方向性の違いから解散だ。人生はいつだってそんなもんさ。

読者諸君、失礼する。どうせ歩き疲れるのなら、カメラを持って昼も夜も、まだ見ぬ瞬間を求めて街を彷徨い歩いて、疲れ果てたいんだがなぁ。
人間の欲望が渦巻いている、その真ん中を歩いて・・・。

2015/02/18

Post #1414

東門市場、台北、台湾
しばらく、何も書く気にならないと思うので、写真だけお送りしよう。
自分のことに、嫌気がさしてると、気の効いたことも、中身のあることも、何も言えないよ。

読者諸君、失礼する。下らないおしゃべりで、君達を、猫の糞を踏んじまったみたいな気分にさせるのは、もうゴメンだ。そもそも写真こそ、俺の言葉なんじゃなかったかよ?

2015/02/16

Post #1412

台北、台湾
日々の仕事に倦み疲れている。

いずれは死んでゆくこの身なら、生命を繋ぐためだけに働き続けることに疑問を感じるぜ。
仕事には矜持を持ってやっているつもりだけれど、世界のためにどうしても必要な仕事って訳でもないだろうって、心の中で声がするのさ。
好きなことだけやって、困窮して死んでしまっても、かまわないような気すらする。
ヤバい。人間として根腐れてきやがった。
睡眠不足と働き過ぎは心と体を確実にむしばむのさ。
いつもお馴染の、胸のなかの灼熱の塊が、赤黒く光りながら胸のなかで爛れているのさ。

自分ひとりの時間が欲しいんだ。
お喋りもたくさんだ。
女のことを考えるのも、シャットダウンしたい。

そう、暗室に引きこもって、自分の写真を通して世界そのものと向き合う時間が欲しいのさ。
新聞もネットもTVも、もうたくさんなんだ。
どうせロクな話はありゃしないんだから。

俺は遠い目をして、自分の写真について考える。

ごく少数の皆の衆にしか、見てもらえないつまらない写真だ。
だけれど、俺にはかけがえのないものだし、けっこうおもしろく感じてるのさ。


キレイな写真や、見たものを驚かせるような写真は、撮りたいとも思わないし、自分に撮れるとも思わない。
そもそも、こんなブログをやっていても、写真を気に入ってもらえるようなことは、ごくまれだ。

写真ってのは、そもそも表面しか写らない。

だれしも写真で問題にするのは、その表面だ。

美しい街並み、美しい女性、美しいおっぱいやヘアヌード、美しい海や山、美しい花々、美しい色彩、美しい階調、そして何より美しい光・・・。

結構だ。それは俺以外の大勢の人々にお任せしよう。そう、それで何にも問題ないだろう。

本当に俺が関心があるのは、そもそも写真には映らない人間や物事の内面だ。

それを真実、実在ともいう、ということにしておこうぜ。

美しい街並みよりも、人々の生臭い暮らしの息吹が伝わってくるような煤けた町並みが好きだ。

美しい女性の顔やハダカよりも、その女性の内面を知るのが好きだ。
美しいからといって、内面もまた美しいとは限らないだろう?
写真から、その人が内に秘めた欲望や狂気が立ち上るような写真が撮りたい。その人が抱えた悲哀や愉悦が迸るような写真が撮りたい。
それらはもちろん、目には見えないものだ。

美しい海や山、それにはそもそも興味がないのさ。

美しい花々、それは剥き出しになっている植物の生殖器。

美しい階調よりも、強烈な陰影を描くコントラストが好きだ。

そして、これだけは譲れない美しい光。
光によって際立つ闇。

俺が写真でとらえたいのは、並の写真には映らない美しさ。

ドブネズミみたいに 美しくなりたい
写真には写らない 美しさがある

ブルーハーツの大昔の歌のような美しさ。

俺が写真でとらえたいのは、そんな矛盾したもの。

読者諸君、失礼する。そりゃ俺だって、きれーなおねーさんの写真とかも撮りたいんだぜ。
けど、そいつにゃ相手が必要だろう?俺の性には合ってないのさ。
そもそも、きれーなおねーさんと二人っきりなら、写真を撮るよりも他に、やるべきことがあるはずだろう?
残念ながら、俺は草食系ではないんでね。

2015/01/29

Post #1394

東門市場、台北、台湾
煙草を吸うのももうたくさんだ。
吸えば、指先の血管が収縮するのが
はっきりとわかるようになってきた。

言葉も本も もうたくさんだ。
本棚の本をふと、捨ててしまいたくなる。
自分のなかに諳んじた数少ない言葉と、
そこから生まれる豊かなイメージだけで、いまは十分だ。
俺が本当に読みたいのは、
世界を貫く普遍的ななにかについての言葉だけ。
功利主義的な新書など、見たくもないのさ。

フランク・ザッパは言った。
『宇宙には普遍的なものが二つある、水素と愚かさだ』

ニュースもTVも新聞も、今はまったく見たくはない。
矢継ぎ早の情報は、
自らのなかに沈み込み、
自らの経験を踏まえて考え、
自ら判断する時間を、俺たちから奪ってしまう。

とはいえ、俺はイケイケの現状肯定だけの反知性主義者じゃないんだぜ。

もっと深く物事を考えるために、あえて情報を放擲しちまいたいのさ。

俺たちは、墜落しそうな飛行機みたいなもので、
益体もない表面的な情報や、
論理的だけど回りくどい論理を、
頭の中から放り出して、
少しでも軽くして行かないと、
きりもみするように墜落してしまうのさ。

そう、遠く高く跳ぶ前には、深くかがむように、

もっと言葉を削ぎ落としたい。

本当に、君に伝わる言葉を、
情報の欠片を組み合わせたような
冗漫な散文の言葉ではなく、
直感と喩から生まれる、
豊穣な詩のような言葉を手にするために、
もっと言葉を削ぎ落としたい。

少なくとも、今日はそんな気分だ。

読者諸君、失礼する。

2014/11/27

Post #1331

安平老街、台南、台湾
自分にとって写真を、単なる消費活動にしないこと。
もとより写真というのは、カメラや、フィルムや印画紙や薬品を買うことで社会の消費活動の一部に取り込まれてはいるのだが、それによって再生産された自分の作品を、商品としないこと。
商品として、流通させてしまった途端に、意味も思いも、すべて換金可能なモノと成り下がり、消費されてしまうのは、現代社会では逃れえないことだ。

かつて、自分の写真を写真雑誌に発表することによって、商品としての写真と同列に受け取られてしまうことを嫌い、自費出版にこだわり続けた写真家がいた。
若くしてこの世を去って行ったその写真家の思いが、何となく解かる気がする。

もっとも、子供の落書きみたいな俺の拙い写真に、商品価値が生じるとも思えないがね。何しろこんなメーターだ。壁に貼るにしても気が利いていなさすぎる。
けど、俺は何かを感じてこのメーターにレンズを向け、何かを感じて、このネガを選び、プリントしたんだ。その何かが君に伝わってくれるとイイんだけれど。

俺は、自分の生の歩みとして、写真を撮りたいし、そこに写っているものには、確かな手触りが備わっていてほしい。上手い下手など関係ないさ。

写真を通して、つぶさに世界を見ること。
暗室の中での作業を通じて、世界に思いを馳せること。
照りつける日差しにさらされ、吹き付ける風に震え上がり、叩きつける雨をものともせずに、あちこち懲りずに歩き回って、自分がこの眼で見たこと、この耳で聞いたこと、肌で感じ、味わい、嗅ぎ取ったもの。それを自分の写真のなかに封じ込めることができたらいいんだが・・・。

読者諸君、失礼する。御機嫌よう。俺が死んだあと、俺の分身ともいうべき写真はどうなるんだろうな?

2014/11/26

Post #1330

士林夜市、台北、台湾
さまざまな言説が世に満ち満ちている。
差別や暴力など、人間性の蹂躙を煽るようね思慮分別の足りない言説も、それに対して眉を顰めて嘆息するようなものも多い。
ひどい世の中になったものだと嘆くのは容易い。
けれど、歴史を振り返れば、人類の社会はいつだってそりゃひでぇもんだった。
これでも今は、表面的にはずいぶんとマシになったのかもしれない。
けれど、その分深く根ぐされているのさ。
何しろ、虚々実々の情報が溢れかえっている。
そして、惑わされた奴も、新たな言説をお手軽に垂れ流す。
どんな嘘だって、世の中の八割がたの連中が本当だと信じ込まされたら、真実になっちまうんだろう。
情報化社会万歳だ!

そうさ、自分という物差しがしっかりしていないと、飛び交う言説に惑わされるばかりだ。

邪悪な言説にくみする気持ちは毛頭ない。
けれど、諸手を挙げてそれを非難するような言説にいいね!とか押す気にもなれない。
どちらも浅薄な気がするからだ。
それに何よりも、自分に他者を断罪する資格があるのかわからない。
人間の価値観は相対的なものだから、ある人々からしたら、俺は極悪無惨な人間なのかもしれないしな。
出来る事なら、自分が嫌だと思えることは、他人に対してやらかしたくはない。
どうしても承服できかねるときは、自分の識見、経験、言説、そして腕力の全てを総動員して、あくまで個として対峙しよう。
正義のお題目を唱えて、群れるのは趣味じゃないからだ。
今までも、そうしてきた。昔から付き合ってくれている読者諸君は、俺が時折みせるそんな姿を知っているだろう。

どんな情報も、いったん心の中の暗室に運び込み、闇の中で独りで向かい合わなければ、踊らされるばかりだと思えるのさ。

読者諸君、失礼いたす。出来る事なら俺は、誰かの価値観ではなく、自分自身の生活に基づいた、地に足の着いた価値観を持ちたいと思ってるんだ。

2014/11/25

Post #1329

永康街、台北、台湾
現場近くの駅前の広場で、独りの男がアンプにギターを繋ぎ、自作の歌だろうか、やたらと感傷的な調子っぱずれの歌を歌っていた。どうにも我流の節回しが、耳障りにも聴こえる。
もとよりまばらな道行く人々は、日が暮れたこともあって、数えるまでもないほどだ。
当然ながら、誰一人として、彼の歌に耳を傾けてはいない。
さほど若くもない小太りの男の歌う、どこか諦めにも似た自己憐憫でいっぱいの下手な歌など、誰が聞きたがるものか、唄を歌うのは自由だけれど、独りよがりもいい加減にしろと内心舌打し、ふと気が付いた。

俺の写真とて、同じようなものじゃないのかね?
俺とあの男を隔てているものなんぞ、実はどこにもありはしないのではないか?

自分が厭きなけりゃイイとばかりに、はや四年も続けてしまったが、人のことを言えた義理でもあるまいし。
ごく少数の固定客の読者諸兄に支えられて歩んできたが、ごく少数の聴衆なら、駅前の音痴にも付いているんじゃないのかい?

そう思いいたると、内心どうにも嫌な気分になって、足早にその場を立ち去ったのさ。

読者諸君、失礼する。自分を客観的に見てみると、不愉快になることの方が多いものさ。

2014/11/24

Post #1328

台北、台湾
いかんいかん、出張先のホテルで四方田犬彦の労作『白戸三平論』を読みふけっているうちに、今日という日も終わろうとしているではないか?
仕方ない、面白いんだからな。
君は白戸三平を知っているか?『カムイ伝』『サスケ』『忍者武芸帖』など、さまざまな忍者漫画を生み出してきた日本漫画界の至宝だ。ライフワークのカムイ伝は、連載開始から50年を経た今も、長らく中断されたまま、完結していない。もう白戸先生80過ぎだから、完結は無理だろうなぁ・・・。

俺は正直、こんな不毛な商売なんて、とっとと見切りをつけて忍者にでもなりたいと思ってるんだ。
なんて言ったって、俺の本名は服部だ。先祖は忍者の里で名高い伊賀者なんだ。近代まで伊賀の欄間師として暮らしながら、各地に赴き、大名たちの秘密を探ってきたんだ。血統的には申し分ないだろう。
俺は海外旅行に行った先で、自己紹介するときは必ずこういうことにしてるんだ。
『俺は日本でも有名なニンジャ氏族の末裔で、俺のアンセスターは服部半蔵、つまりモスト・フェイマス・ニンジャマスターだ』って。
そうすると、誰もが驚いて、一言So COOL!って言ってくれるぜ。ざまぁ見ろ!
なにしろ、忍者は世界中で人気なんだ。海外に行って、忍術を披露して日銭を稼ぐ方が、ちんけな現場監督なんかやってるよりも、よっぽど面白おかしく生きることができるってもんだろ?

さまざまな仕事をしてきたおかげで、天井裏に潜むのなんか大得意だ。君が部屋の中で視線を感じたら、俺が君の部屋の天井裏に潜んでいるかもしれないぜ。気を付けろよ。
観光地なんかでよく見かける手裏剣でも買い集めてみようかな。
仕事のないときに、サンダーで研磨して、十分に鋭利に仕上げて、気に入らない奴にお見舞いしてやるんだ。君たち、俺に気に入られるようにしておかないと、手裏剣が飛んでくることになるぜ。せいぜい気を付けるんだな。
ナルト走りなら、ばっちりマスターしていて、点滅し始めた横断歩道を走って横断するときには、つい両手が斜め後ろにのび、背中を屈めるようにして走ってしまう癖がついてるぜ。もちろん誰もついてくることなんか出来やしないさ。
写輪眼ならぬ老眼なら、とっくにマスターしてるしな。それだけじゃない、近眼も乱視も揃ってる。
最近じゃ、向こうから歩いてくる女の子が美人かどうか、さっぱりわからないぜ。よく見ようと思って目を凝らすと、人相が悪くなって、ほら、女の子が避けていくぜ。仕方ない、何のことはない、そんなイイ女がそうそう歩いてるわけもないから、気にもしないさ。それが嫌なら、心の目で見るしかないってこった。何しろ俺は暗室のなかで、闇の視力を養ってるからな。視力検査じゃ俺の視力は計測できないぜ。

これはもう、忍者になるしかないかのぉ・・・。

しかし、忍びの道は険しいんだ。忍びの道は人の通わぬ獣道だ。
世界で大人気のナルトみたいに友情とか言ってるような甘っちょろい忍者じゃだめなんだぜ。
白戸三平先生の描く、カムイや赤目、影丸みたいに孤独でストイックなニンジャじゃないとダメなんだ。他人を信じることもできないんだ。なんせ、追い忍が紛れ込んでるかもしれないからな。うっかり他人を信用しようもんなら、次の瞬間には、みじめな骸を晒すことになるんだ。

けれど、俺はこう見えて、結構寂しがりだからな・・・。
そうだ!何なら君も一緒にどうだい?君が女性ならくの一ってのもいけてるんじゃないか?おっと、そっちを探求すると、今度は山田風太郎先生になっちまうなぁ。ストイック、ストイック。

読者諸君、失礼する。いい年こいて、そんな子供じみたことを考えているときが、一番愉しいってものさ。

2014/11/23

Post #1327

台北、台湾
本日、写真のみお届けしよう。
読者諸兄諸姉、休日を楽しんでくれたまえ。俺は当然仕事だけどね。そんなもんさ。
読者諸君、失礼する。

2014/11/22

Post #1326

士林夜市、台北、台湾
知り合いのおじさんが亡くなったという知らせを受けた。
既に葬式は終わっていた。亡くなったおじさんの奥さんは、気が動転していたので、俺のところまで連絡したかどうかなんて、気にする暇もなかったんだという。
ここ10年ほど、身体が不自由そうだったが、ユーモアのある、気さくな小市民だった。

高倉健のように有名な人にも、無名な小市民にも、死は等しく訪れるのだ。

読者諸君、失礼する。暑さ寒さが厳しさを増すころに、人はよく亡くなるんだそうだ。

2014/11/21

Post #1325

西門、台北、台湾
頭が痛い問題が、俺に追いついてきやがった。
今まではっきりさせずに、有耶無耶にして引き伸ばしてきた問題が、じわりと再浮上してきているんだ。
俺の些細な問題だけれど、俺としては重大な問題だ。
俺はいつだって安請け合いしちまうんで、自分でも困っちまうことがたびたびなんだ。
要はお人よしなのさ。きっぱり断ったり、損得だけで割り切って考えることができないんだ。
結果として、自分が中途半端にお人好しなおかげで、かえって最終的には多くの人たちに迷惑をかけることになっちまうわけだ。

あぁ、こんな鬱陶しい思いをするくらいなら、仕事なんて放り出して、インドだかアマゾンだかにとんずらしたいぜ。

読者諸君、失礼する。まぁ、どう転んでも命までは取られやしないがね。