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2020/01/31

POST #1716



美斯楽、泰国
 少し前に、旅行に行ってきた。
家族旅行だ。来月4歳になる息子を連れて、タイに行ってきたんだ。
タイの北部、チェンマイとチェンラーイ、そしてバンコク。
自分として最も印象に残ったのは、チェンラーイから車をチャーターして赴いた、メーサロンだった。

チャンラーイのホテルで、息子とプールで遊んだ後、かみさんに明日はどこに行きたいかと訊かれ、是非ここにとリクエストしたメーサロン。ガイドブックには、お茶の産地で、山の斜面に広がる茶畑が見事と記されただけの小さな町。
ここが今回、一番印象に残ったところだった。
ここは、ビルマとの国境がすぐそこの山岳地帯。山々の尾根にそって人々が暮らす町。
漢字で美斯楽、と書いてメーサロンと読む。
インド文化の影響を感じさせるタイの文字ではなく、そこでは漢字ばかりを目にする。
もちろん、タイには何百年にもわたる中国の諸王朝の圧力によって、中国から押し出されてきた中華系の人々も(様々な文化の人々と血統的にも文化的にもまじりあいながら)たくさん暮らしている。しかし、そういった人々は現代ではいわゆるタイ人としてのアイデンティティを持っているんではないかと思う。

辺境のトイレ。パリのカフェにあるアラブ式を思い出した。息子は昔のトイレと言っていた。
しかし、ここメーサロンは一味違う。
どこを見ても、漢字の看板だ。飯を食いに入った飯屋には、写真のように『春和景麗』とかっちりとした楷書体で墨書きされた紅い札が貼られている。山の奥の中華街といった風情だ。僕はここで雲南風焼きそばなるものをおいしくいただいた。
雲南風だそうだ。

息子は、ちょっと高級な中華料理店でお目にかかるような蒸しパンのようなのを食べていた。ほのかな甘みのある、肉まんの皮みたいなやつね。これがとてもうまかった。本場の味だ。

壁には、千人が一度に来ることよりも、一人が千回来てほしいと記されている。しかし、客はまばらだ。
さて山の奥とかるく言ってのけたが、僕らがやってきた曲がりくねった舗装路が作られるまで、ここは外部の人々をほとんど寄せ付けないような幾重にも重なった東南アジア山塊の襞の奥の、容易には行き着けない場所だったに違いない。

まさに辺境だ。
いままでいろんなところに行ったが、ここはその中でも、もっとも辺境だ。秘境駅の宝庫・飯田線を擁する三遠南信、つまり三河、遠州、南信州一帯の山の中なんか、ハイキングコースくらいのちょろこいものに思えてくる。
町の規模と雰囲気は、そうだな、しいて言えばネパールのナガルコットを思い出させる。どちらもぶっちぎりの辺境だが、道路ができるまで、人々を寄せ付けなかったであろうという雰囲気はメーサロンに軍配が上がろう。なにしろ、ナガルコットはネパールとチベットの、古くからの交易路上にある村だ。しかし、ここ美斯楽、つまりメーサロンは違う。

かつて国家の収奪から逃れて山の民となった人々の末裔らしきおばちゃんが、キャッサバとかを売っている。
この小さな町というか村に暮らす中国語を話す人々は、どこから来たのか。
それには、現代史を紐解いてみる必要がある。
もともと彼らは、今日の中華人民共和国、つまり中国共産党によって作られた国から逃れてきた、蒋介石率いる国民党軍の残党だったそうだ。
1949年に共産中国が成立したとき、蒋介石は国民党軍の将兵とその家族を引き連れて、台湾に逃れた。そして、今日まで中華人民共和国と台湾つまり中華民国の対立の歴史は続いているのだが、蒋介石はすべての国民党軍の将兵を連れていけたわけではない。

四川省などで戦っていた部隊は、かつて清や明などの中華帝国に追われた少数民族のように、国境を越え、東南アジア山塊の奥へと分け入り、毛沢東の追撃をかわした。
彼らははじめ、ビルマの少数民族地域を拠点としていたが、ビルマからも追われ、ビルマの国境からほど近い、タイの奥地に身を潜めた。
そして、その地にもともと暮らす少数民族と混血したりしながらも、蒋介石の支援を受けながら町を発展させてきた。それがこのメーサロンという町だ。
ここはほんの25年ほど前まで、どこの国家にも属さず武装し、アヘンなどの製造販売を資金源にしていたそうだ。なにしろ、ここはかつての黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の一角だからね。阿片の原料になるケシは標高900m以上でないと育たないんだ。だから、稲作のできない高地では、大昔からつい最近まで、栽培されてきたんだそうだ。貴重な換金作物ってわけだ。
もっとも、そんなことまでは、ガイドブックには触れられていない。この町の人々が、かつての国民党部隊の末裔だってことだけが記されている。
左側の看板がなかったら、中華文化圏にしか見えない。
つまり、平家の落人部落みたいなものだ。
25年ほど前に、(日本じゃ阪神大震災やらオウム事件があった頃だ)この国民党部隊の末裔たちは、武装解除に応じ、タイ国籍を与えられた。
麓からメーサロンへと続く舗装路が作られ、人々は阿片ではなく、お茶を作って暮らしている。
そんなところまで行って、何をしてきたのかって?
山の稜線に沿って敷かれたアップダウンのきつい坂道を、子供を肩車しながら歩いてきただけだ。
そして、この町で作られたお茶を買ったくらいのことさ。
辺境というか、場末というか、とにかくこの雰囲気がたまらない。



国民党部隊の勇姿が、パネルになって掲げられている。
所詮、一介の旅行者、それも子供連れにできることなんざ、それくらいのものさ。
そして、子供を肩車しながら、国家とは、民族とはなんじゃろなぁと考える。そして、そんなものは、単なる幻想でしかなくて、人々のアイデンティティは、現実に合わせて如何様にでも変容するものなのではなかろうかと。

自分の足で、その土地を踏みしめ、自分自身の目で、耳で、肌で感じたことから、その意味を考える。そして、そこで感じ考えたことを、自分自身のなかに繰り込み、自分自身の内なる地平を広げる。

どこに行っても、非力で無力な僕らに出来るのは、そんなことしかない。

それはさておき、僕が一番驚いたのは、こんな辺境にも、セブンイレブンがあったってことだ!
セブンイレブンの前で。原付はもちろんホンダ

メーサロンのセブンイレブンの店頭。キティちゃんのお弁当箱が当たるのかな

トラックの荷台に少数民族のおばちゃんが乗っている。
おそるべし、資本主義!(笑) 

それでは諸君、また会おう。

2016/01/11

Post #1688 47歳になっても自由な風に吹かれていたい

蝶は誰か死者の魂が、私の前に現れたもののように感じる
もう、写真にも倦み疲れた。どこまでやってもきりがない。
誰が読むのかわからない文章を書き綴る事にも厭き厭きした。
直接誰かの心に届く言葉を、確かな手応えがかえってくる言葉を紡ぎたいとねがった。

だから、日銭稼ぎの仕事に専念し、こいつは放り出しておいたのさ。



先日、ふと今は亡き東松照明の傑作写真集『太陽の鉛筆』が復刊されていることを知り、無性にほしくなって、その日のうちに手入れた。

斜めに走る水平線の上に、青い空、そしてその空と海のはざまに浮かぶ白い雲。
あまりにも有名なこの一枚の写真で、この写真集は広く知られていた。
僕の部屋にも、その写真のポスターが貼られている。

本土復帰前後の沖縄の、そしてその辺境たる宮古島の、およそ40年前の人々の姿が、そこにはあった。
東松照明の視線は、島から島を伝うように、最南端の波照間島を経由して、台湾、フィリピン、マレーシア、シンガポール、バリ島へと伸びていく。民族が海流に乗って拡散していった道をたどるようにして。

その写真集をしげしげとながめ、目には見ることのできない国境や、自ら選ぶことのできない民族的な出自など、意に介することもなく軽々と越境し、自由に吹き渡る風が自分の心に吹き付けてくることを感じていた。

誰しもが情報を発信しうる現代、誰もが自らの主張の正しさを掲げ、異なる意見の者を認めようとはしない。誰しもが、自分こそ絶対だと信じているかのように見える。

しかし、それは所詮、相対的な世界の出来事でしかないように思える。
民族、国家、文化、言語、宗教、習俗、思想、貧富・・・・。
それがどうした?
正直、どれもこれもどうでもいい。しょせんはみんな相対的なものだ。

自分自身が、今ここで、現実の世界に直接対峙したときに感じる何かとは、まったく関わりのないものだと思える。
相対的なものを、相反するものを、等しく受け入れ、包摂するようなおおらかな思考の営みを持つことはできないだろうか?


気が付くと、47歳になってしまっていた。

1969年1月11日、午前2時36分、出生。以来47年。
ふと、金子光晴の詩が頭をよぎる。
こんな詩だ

南方詩集
           この詩集を東南亜細亜民族混血児の諸君にささげる。

神経をもたぬ人間になりたいな。
本の名など忘れてしまひたいな。

女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。

軍艦鳥が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。

珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。

人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。

高橋源一郎 編 金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』(集英社文庫刊)92頁

Ubud,Bali
誰しもが人と人の間に線を引き、自分は他とは違うことを必死に言い募る営みよりも、自分と他人の間に共通点を見出して笑顔を交わし、大地や海上にひかれた目に見えない線を、風がわたるように易々と踏み越えていくていくような、おおらかな営みのほうが、僕は好きだ。
そう、たとえ愚かだと言われようとも。

世界はもっと、豊かで驚きに満ちているはずだ。
美しいはずだ。

僕はそう、信じたい。

また、旅がしたいな。カメラを手にして。

2015/08/01

Post #1579

Rabat,Morocco
先日、仕事の合間に古い友人と、銀座松屋の裏あたりのイタリアン・レストランでランチを楽しんできた。しんどい仕事の合間にも、そんな楽しみがないとな。
もちろん、俺は作業服なんだけど、表向きはなぁに構うもんかといった風情を装いながら、内心は作業服でこんな店は気が引けるなぁなんて思っていたんだけどね。
けれど、友人はそんなことちっとも気にしないのさ。気さくな庶民派なのさ。
子供のころからの友人で、何十年もご無沙汰だったけど、お互い昔と何らかわらず、気兼ねしない愉しいひと時を過ごしたんだ。デザートのケーキを、こいつは旨いぜ、一口食ってみなよとか言って、それぞれシェアしてみたりしてね。
目を閉じると、今でも彼女と自転車を並んで走らせ、他愛もないことを語り合い、分かれ道で自転車を止めて、夕日を横顔に浴びながら語り合った日々を思い出す。
今から30光年以上離れた世界の話だ。とっくの昔に失われてしまった時間だけれど、30光年離れた星から地球を見ることが出来るのならば、その懐かしい俺たちの姿を見ることができるだろう。
その頃があるから、今の自分がいる。そして、その頃は失われたわけではなくて、ただ、手の届かない遠くにあるだけだ。ほんの30光年ばかりね。
あまり詳細に思い出すと、懐かしくて、そんな時代にもどってみたくもなる。バック・トゥ・ザ・フューチャーだ。デロリアンが欲しくなるぜ。しかし、そいつは無理な相談だ。そんな思い出は俺の宝物として、お互いの胸の中にしまっておこう。そのほうが美しい。

その時の会話で、昔の同級生がいろいろと海外で生活したりした話を聴いたりしたんだ。

俺は旅行は方々しているけれど、生活の拠点を海外に置いたことはないからな。すこし羨ましく聞いていたんだ。
で、ふと自分がこうして日本で真っ当に働いて、地に足の着いた暮らしを営んでいるのが、不思議な気がするというと、友人も、「そうだね、昔からどこか遠くに行ったきりになって、もう帰ってこないような雰囲気だったもんね」と納得していた。
そう、どこか見知らぬ国を一人彷徨うように旅して、今頃どこかの森のバナナの木の下で肥やしになっていたって何の不思議もないと思っていたんだ。
どうして今、銀座のど真ん中で、大きな現場の責任者を任されて、昼夜を問わず真面目に働いているのか、自分でも不思議な気がするんだ。
俺としては、バナナの肥やしをやってるほうが自然なのにな。

そういえば昔から、俺の師父には、インドだけには行っちゃいかんといわれていたな。
インドがどうのこうのじゃなくて、俺自身がインドにどっぷりはまって、日本に二度と帰ってこなくなると言われていたんだ。さすが、俺の師父。俺の心などお見通しだ。

どうしてそうならなかったのか友人と話していると、やはり俺のカミさんがしっかりしてるからだという結論に至った。来年には子供も生まれてくるしな。
そういえば、師父もそういって俺のカミさんに礼を言ってくれたことがあったっけな。

友人と話が盛り上がったところで、現場からトラブル発生を告げる電話がかかってきた。
仕方ない。俺は友人と再会を約束すると、そうそうに面持を改め、現場に向かった。トラブル処理は俺の大好物だ。俺は現場のトラブルバスター#1なのさ。
友人からは安産祈願で水天宮のお守りを頂戴したぜ。無事俺の子供が生まれてくるように、友人自身も念を込めてくれたんだ。ありがとう。生まれたら、この友人にも見せびらかすのさ。

しかし、まだ十分に体が動く今のうちに、もっと遠くに行きたいな。
シベリアの森の奥、アマゾンの岸辺、炎熱のサハラ砂漠・・・。そんなところにも、ニンゲンは住んでいて、俺たちが思いもよらない生活を送っていることだろう。そして、基本的なところでは俺たちと変わりない幸せを追い求めて生きているだろう。俺はそんな人間を見てみたいのさ。

子供が生まれたら、そんな気も失せてしまうんだろうか?
それとも、一緒に連れて行こうか・・・。
塾になんか通わせるより、よっぽど子供の人生の糧になるに違いないさ。

読者諸君、失礼する。帰ってこないことが最善だよ。それが放浪の哲学さ。

2015/06/25

Post #1541

またもや、車で事故ってしまった。左折しようとして原付を巻き込んでしまったのだ。
ウンザリだ。それについては、もう書く気にもならないぜ。
まぁ、一言でいえば身から出た錆って奴だ。
Bremen,Germany
承前。
昨日の話の続きだから、昨日読んでいない君は昨日の記事を読んでからね。人生なんて、いつだってそんなもんだ。

声を合わせて移民排斥を訴えているらしいゲルマン民族の皆さんに、一人の男が我慢ならないといった風情で、歩み寄って行った。
その足取りは力強く、肩のあたりには言葉にならない怒りが立ち上っているように見える。
大柄なドイツ人の皆の衆に対して、彼は小柄で、薄汚れた身なりで、サンドバックの様な袋を肩にかけている。
トルコ系の男だろうか。
ひげを生やした顔に輝く眼は、怒りに燃えている。
多勢に無勢、しかし臆することなく向かっていく。なんて勇気があるんだ!
自分たちの権利と尊厳を、断固として守ろうという意思が感じられる。

しかし、勇敢な男がレイシストたちの胸ぐらをつかむ前に、屈強な武装警察官が2,3人、疾風のような勢いで走ってきて、彼を制止する。そして、何とか彼の歩みを阻止して、諍いがおこらないように俺たちが対岸の火事のように眺めている、大通りのこちらに連行してきた。
仕方ない。ここで小さなつかみ合いを発端にして、暴動みたいなことになったら大ごとだ。警察としては、止めるべきなんだろう。
それはわかる。
分かるんだけれど、心情的にまったく納得いかない。
つまり、俺の感じた思いはこういうことだよ!

おいおい、お巡りさん方よ、本当に黙らせるべきは、その勇気ある移民のおじさんじゃなくって、移民排斥を訴えて大盛り上がりの連中のほうだろう!違うのかい?どっちが正しいと思ってんだ?

そりゃ、言論の自由があるから移民の排斥を訴えたって、罰せられることはないだろうよ。

けれど、自由ってものには、節度ってものが必要だと俺は思うぜ?
Bremen,Germany
移民のおじさんの怒りはまったくやむことがない。
自分よりはるかに背が高く屈強な警察官たちに対して、厳しい表情で怒りをぶちまけている。
その剣幕に、応援が必要だと思ったのか、それともただ状況把握しておきたいだけなのかわからないが、さらに何人かの警察官がおじさんのもとに駆け寄ってくる。
おじさんは、終始ズボンのポケットに手を突っ込んでいたし、その袋の中も何が入っているかわからない。ポケットの中には、何らかの凶器が握られているかもしれないと警察官なら思うだろうし、おじさんの頭陀袋も、中にどんな武器弾薬が隠されているか、外からはわからない。
分からない以上は、万全を期すというのが、プロフェッショナルだ。

高校時代に、自転車泥棒と間違われて、10数人のお巡りと3台ほどのパトカーに包囲され、制圧されかかった経験のある俺は、こんないかつい武装警官が何人も取り囲んでいたら、さぞかし気持ちが萎縮するよなっておもったのさ。俺ならこの状況で自分を抑えずに振る舞うことは、難しいかもしれんな。
けれど、おじさんはひるまない。
いつまでも、警察官相手に思いのたけをぶちまけている。
俺が思うにきっと、ドイツ人に対する不満があるんだ。生粋のドイツ人は、自分たちがやりたがらないような低賃金で、肉体を酷使するような汚れ仕事は、移民の仕事だと思っているんだろう!とか言っているに違いない。
自分たちはそんな仕事には見向きもしない癖に、自分たちの仕事を、移民が奪っているというのは、まったくおかしいじゃないか?これを差別といわなくて何を差別っていうんだ?
俺たちは奴隷じゃないんだ!同じ人間だろう!

そんなことを言っているんだろうと、想像してみた。

俺は、ついさっき見かけた駅の掃除夫のおじさんのことを思い出していた。
生粋のドイツ人が、サッカーの試合に浮かれて、ゴミを投げ捨てたそばから、やるせないような悲しいような表情で、黙々と掃除をしていたおじさんの顔に刻まれていた皺を。日に焼けて鞣した革のようになった肌を。
言葉がわからなくても、国が違っても、自分の身に引き寄せて、彼の立場に立ってみて考えれば、何を言っているのか、容易に想像がつく。



Bremen,Germany
警官相手に思いのたけをぶちまけたおじさんは、憤懣やるかたないといった風情で、移民排斥を訴える連中の背後を通り、駅に消えていった。

俺は、自分の目の前で起きた出来事の意味を考えてみる。

正直に言って、移民排斥を唱える人々は、俺には何かを恐れているように見えた。
経済的に仕事を奪われることを恐れているというだけでなく、彼らがいままで思い描いてきた、ゲルマン人の住む国ドイツと言う共同体が、多くの移民を受け入れることで、その自己同一性を保てなくなることを恐れているように思えた。
つまり、ドイツがドイツでなくなってしまうことを恐れているように思えたんだ。浅黒い肌をしたドイツ人、黒い肌をしたドイツ人、黄色い肌をしたドイツ人。彼らはそれが一番恐ろしいのかもしれない。

ヨーロッパを旅してみれば、実に多種多様な民族が混交していることに気が付くだろう。
もともとヨーロッパに住んでいるコーカソイドだけでも、東西南北でずいぶん違う。文化も肌の色も、言葉も違う。
それに加えて、道義的な観点と植民地を持っていたという歴史的な因縁から、ヨーロッパは様々な地域から、様々な宗教、文化、民族に属する移民や難民を受け入れてきた。
アフリカ系、インド系、トルコ系、アラブ系、アジア系。実に様々だ。
それは、日本に暮らしていると、想像もつかない軋轢を生む社会だ。

どこの社会にも、人々の集団と集団の間には、絶望的な断絶が存在する。

だからこそ、たった一人のニンゲンとして、他者に真摯に向かい合い、相手のことを思いやるべきなんだと俺は思う。
その時、たった一瞬でも人は深い断絶の谷間に、想像力によって橋を架けることができる。
そして、私たちの間には、違いよりも、似通ったもののほうが多いはずだ。きっと。

俺はそう信じている。
俺は、差別する側と差別される側があるのなら、差別される側に与したい。
なぜって、差別し誰かを貶めようとする者は、自分が貶められることを認めているのと同じだからだ。
俺は、自分が大好きだし、自分を貶めることはしたくない。
俺は、自分と違う価値観のニンゲンを恐れて、遠ざけようとするような臆病者ではありたくない。
未知なものを受け入れ、違う価値観を理解し、より豊かな世界を見出したい。
そして、短いこの人生を、もっと楽しみたい。

読者諸君、失礼する。俺も考えるさ。君も考えろよ。

2015/06/24

Post #1540

Bremen,Germany
ブレーメンに泊まった日、春のヨーロッパの日没は遅い。
まだ十分明るいのだが、もう時刻は20時近かったと思う。
俺たちはぶらぶらと写真を撮り歩きながら、手ごろな食堂を探してブレーメンの中央駅のあたりまでやってきた。
サッカーの試合を終えて、はしゃぎながら駅に向かう屈強なドイツ人たちの姿が、あちこちに見受けられる。どこか浮かれたような、それでいて倦怠感を漂わせたような雰囲気だ。
それが、駅のすぐ手前に来ると、空気ががらりと変わった。
トラムの走る大通りのそこここに、重装備の警察官が険しい顔つきで立っている。
見渡せば、たくさんのパトカーや装甲車みたいな警察車両があちこちに停まり、その周りにも、屈強な機動隊員の様な警察官が何かを見張っている。
ピリピリした緊張感が辺りを包んでいる。
ひょっとしたら、サッカーの試合の成り行きが面白くなかった連中が、暴徒化する恐れがあるということで警戒しているのかと、俺は考えたんだ。そう、いわゆるフーリガンって奴だ。しかし、途中で見かけた連中は、確かにビールはしこたま飲んでいたようだが、そんなささくれた雰囲気ではなかった。腑に落ちん。
俺たちは、何があるのかよくわからないが、そもそもドイツ語を解さない悲しさ、なにもわからぬまま、信号無視とかで警察官に叱られないように、駅に向かって大通りを渡って行った。

すると、駅前広場でプラカードを掲げた人々が、集まっている。
Bremen,Germany
俺は、駅に用事があるような素振りで、その連中の前を通り過ぎながら、ノーファインダーで写真を撮る。警察官がこっちを見ている気配がする。
スーツにひげの男が見える。しかし、多くはフードのついたスポーティーな服を着た、見るからにワーキングクラスの若者たちだ。イギリスならCHAVと呼ばれ、この神州日本国ではヤンキーとカテゴライズされるような連中と、同じようなオーラを放ってる。

ヤバいな・・・。
こういう奴らが寄り集まると、ろくなことにはならないぞ。屈強な警察官たちが刺激しないように遠巻きに監視していたのは、職質キングの俺じゃなくて、奴らだったのか…。

しかし、写真に撮りたい。いったい何が起こってるんだ?

相変わらず何を主張しているのか、俺にはさっぱりわからないが。だがこの手の連中を刺激するのは、非常にまずい。何かあれば警察官が制止するだろうけれど、多勢に無勢だ。
連中の視線が、俺にまとわりつくように注がれているのを感じる。
俺は、それを振り切るように、さも何の興味関心もない風を装って、足早に通り過ぎる。とはいえ、しっかりシャッターを切りながらね。

さて、俺たちはなにか気の利いた店でもないものかと、駅のコンコースを物色してみたが、立ち食いのサンドイッチ屋みたいな店しかなかった。そこでは、地味なコートを着た、いかにも冗談の通じなさそうな顔のおじさんたちが、ビールを飲みながらもそもそと、さほど旨くもなさそうに口の中に食い物を押し込んでいる。
こんなところで晩飯を食うのは御免蒙るってもんだ。
仕方ない。もう一度駅を出て、街中で探すことにいたすか。
駅の外では、サッカーチームのサポーターたちが、浮かれた風情でビールを飲みながらよたよた歩き、飲み切った瓶をそこいらに投げ捨てている。あるいは、食い物の入っていた紙袋なんかをそこいらに放り投げる。そうしてゲラゲラ笑っている。それを横目に見ながら、速やかに掃除をしているのは、トルコ系だろうか、明らかに移民のおじさんだ。
汚れ仕事はやはり移民の仕事なのだ。
ドイツ人は白くてデカいをゆするようにして、オーレ、オレ、オレ、オレ!と陽気な太い声で歌っている。
小柄で痩せた移民のおじさんは、薄汚れた作業服を着て、やるせない表情を浮かべながら掃除を続ける。
そういえば、移民のサッカーファンなんて、見なかったな。みんなゲルマン民族だった。そういうもんだ。移民の皆さんには、そもそもサッカーなんか見に行くような休みはないんだろうよ。
Bremen,Germany
外に出ると、プラカードや横断幕を掲げたデモの連中は、大騒ぎしている。さっきよりも人数も増えてるし、みんなで声を合わせて何かを大声で叫んでいる。
拡声器で何かを叫び、アジテートしているんだが、声が割れてよくわからない。時折拡声器についている甲高いサイレンを鳴らしては、怪気炎を上げている。若者がにやついている。若い女の子もいる。
こいつらはいってぇ何を訴えてやがるんだ?
しかし、これだけ警察官が取り巻いてるってことは、ろくなことじゃないのは確かだ。
なぜか、そこに交じってる若い衆のにやけた笑顔に、不愉快な引っ掛かりを感じて、無性に腹が立った。
Bremen,Germany
俺は、大通りの反対側にわたり、少し離れたところから眺めてみることにした。
大方の人々は、ちらりと見るだけで、特に注意も払わずに歩き去ってゆく。
俺は、自分の隣に立って、同じようにデモを眺めているそこいらのおにいちゃんに、奴らはいったい何を訴えてるのか聞いてみた。彼はドイツ語しか分からないようだった。日本人と同じだな。
そのおにいちゃんも、あんまり頭が良くなさそうで、乏しい英語のボキャブラリーで、どう説明したものか困っている様子だったが、『奴らは、このドイツにアフリカやアジアから移民が働きに来ることに、反対してるんだべ。出て行けって言ってるんだべ。まったくクレージーだ』そういって、肩をすくめて困ったような顔をした。言葉に詰まりながら、なんとか状況を説明しようとしてくれたこのおにいちゃんの態度に、俺はすごく好感を持った。道の向こう側の連中とは、見た目やクラスは同じでも、その心は健康だった。俺は彼に心から感謝したよ。

そうか、つまり奴らは、レイシストだってこった。人種差別主義者だよ!
おぅ、なんてこった!
かつてユダヤ人を差別して、生きながら毒ガス室に送り込み、その髪の毛を刈り取って潜水艦の断熱材に使ったドイツにも、未だにこんなレイシストがいるなんて、俺には驚きだぜ。
反省が足りないのは、我が日本国だけではなかったんだ!

そして、俺には奴らが俺を見る目に、なにか不愉快な印象を感じた意味が、いまはっきり分かった。
そう、俺は誰がどう見てもバリバリの有色人種で、奴らがドイツから出て行けと糾弾している貧しい人々と、ドイツ人がやりたがらない汚れ仕事をやって、社会を底辺で支えている移民の皆さんと、まったく同じカテゴリーに属すると思われてたわけだ!
つまり、俺はここでは明らかに差別され、排斥される側のニンゲンだったわけだ。
BINGO!

やれやれ、参ったなぁ・・・。こんなところにきてまで、東方君子国が世界に誇る在特会みたいな連中に遭遇する羽目になるとはねぇ。FUCK OFF!

自分たちと違う集団に属する人間を差別し、自分たちの社会から追い出そうとする連中は、はっきりって世界中にいる。そんな手合いは、俺に言わせれば、ケツの穴の小さな田舎者だ。
俺は、人種や言葉、肌の色や宗教、性別や資産の多寡で人間を差別する行為には、いつだって反対だ。反中だの嫌韓だの言ってる奴らを見ると、不愉快になってくるんだ。
なにしろ俺はこの年まで、ずっとロックンロールでやってきたんだぜ。
俺が少年の頃は、まともなロックミュージシャンは、当時人種差別が大々的に行われていた南アフリカで、自分たちのアルバムを売ることを、きっぱりと拒否してきたんだ。ジャケットに必ず『アパルトヘイトの南アフリカでは、このアルバムは売らない』って書いてあったものさ。まだ、マンデラさんが牢屋にぶち込まれていた時代だよ。そのロックな精神は、俺の中で燃え立つ火柱のように、いまでも輝いてる。
俺はどんな差別もされたくないし、したくないのさ。
だってそうだろう?誰かを差別する人間は、誰かに差別されても文句は言えないんだぜ。自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけないぜ。
俺が人間を判断するのは、その人の行動によってだ。肌の色や国籍や性別、そして宗教なんかで判断するつもりはないのさ。それは恥ずかしいことだ。

読者諸君、失礼する。この話は、なんと次回に続く。

2015/06/14

Post #1530

いつも、自分の拙い写真なり文章なりが、君にどう伝わるのかを考えている。
いつも、自分の備忘録や自己満足にとどまらず、君の心に何か引っかかってくれるとうれしいと思って書いている。
いつも、読んでくれている君が、どんな人なのか、思いを巡らしながら書いている。
いつも、君の心の片隅に、小さな擦り傷のようなものを、遺すことができたならと思う。

今日は両極端な二人の人物について、話してみようか。
Swayanbhunath,Nepal
カトマンズ郊外の丘の上に聳えるストゥーパ(仏塔)はスワヤンブナートと呼ばれる。長い石段を登り、丘の頂上に登ると、美しい仏塔が聳えている。
人々は、その仏塔の周りを廻り、礼拝しているのだ。
この仏塔の脇に、寺院があり、チベット仏教の僧侶たちがその寺院をおさめている。
写真の若いお坊さんは、その寺院であったのだ。
柔和な語り口で、自分たちは麓にあるチベット仏教の僧坊から通ってきているのだと語ってくれた。
薄暗い寺院の中では、彼の先輩だか師匠に当たるのであろう別の僧侶が、経を読み、仏様を供養している。
彼は、カメラを持った不信心者の俺たちが、写真を撮ってもいいものだろうかと戸惑っているのを見かねて、どうぞ写真を撮っても構いませんよと、話しかけてきてくれたのだ。
かの地の僧侶は、日本の坊さんと違って、厳格な戒律を守り修行している。
彼らから見れば、、日本の坊さんなんて破戒僧ばっかりに見えることだろう。
さほど歳をとっているわけでもないように見えるこの若いお坊さんも、その立ち居振る舞い、表情、語り口の全てから、様々な欲望を抑制した、穏やかで円満な人間性を培っていることが分かった。
俺は、静かに寺院の中の様子を何カットか撮影した後、彼の写真を撮らせてもらった。

穏やかなまなざし。口元には、静かな微笑みが浮かんでいる。
まるで、生きながら仏像そのものになったような柔和さだ。
煩悩熾盛のこの俺には、生涯こんな表情を得ることはできないだろうなぁ・・・。
物欲、色欲の塊だからな、この俺は。
俺は、その立ち居振る舞いに敬意を感じながら、快く写真を撮らせてくれたことに感謝の言葉を述べて、薄暗い寺院の中から、陽光溢れる外にでたんだ。

数多の人々が、時計回りに仏塔の中を回っている。
俺たちも、その流れに乗って仏塔の周りをまわりながら、写真を撮っていた。
そのうち、俺に何かを感じ取ったのか、I ♡ NYと書いた緑色のTシャツを着たファンキーな男が、俺に陽気に手を挙げ、アピールしてきた。俺も、気のない感じで手を挙げ、挨拶を返す。
そうこうするうちに、煙草を吸いたくなった俺は、人々の流れから離脱し、丘の上から眼下に広がるカトマンズの街を眺め、ぷかぷか煙草の煙を虚空に吐き出していた。
すると、さっきの男が話しかけてきやがった。
煙草をくれと言うのだ。
別に煙草をくれてやる義理もないが、あまりに馴れ馴れしいんで仕方なく煙草を一本やることにした。ネパールのスーリアって煙草だ。ちなみにスーリアってのはヒンドゥー教の太陽の神の名前だったはずだ。
Swayanbhunath,Nepal
もじゃもじゃした髪の毛と、むさくるしいひげ面だが、どこか憎めない愛嬌がある。この男は煙草をもらってよっぽど嬉しかったのか、頼まれてもいないのに、いろいろと自分のことを、語りだした。酔っぱらっているかのようなでかい声と口調で。
男が言うには、彼はインドのボンベイだかどこかの出身で、このカトマンズに流れ着いたんだという。 と言うのも、彼の奥さんがカトマンズに住む女医で、彼女の仕事があるので、ここを離れて里帰りすることはできないというような話だった。
話の途中で、彼はもう一本煙草をせがんだ。面白そうなので、もう一本煙草を渡すと、手を合わせて拝むようにして喜んでいる。俺は写真を撮っていいかと彼に聞いてみた。なんだか面白そうな男だったからな。彼はOK、No problemと、にんまり笑ってフレームの中に納まった。
話しているうちに、インドに帰りたいのだが、実は旅費を工面するのが大変なんだと言い出した。
おやおや、少し話が変わってきたぞ。お医者さんの奥さんがいるんなら、大丈夫だろう?と聞いてみると、いやいや自分の奥さんは高潔な人格者で、貧乏な人々に対して、献身的に尽くしているので、決して裕福ではないんだ。何とか少しだけでも援助してもらえないだろうかなんてことを言うんだ。
どうせ、そんなの嘘だろう?第一、そんな高潔な人格者の女性が、こんなジャンキーみたいな男と所帯を持つかい?そんなの口から出まかせさ。
もちろん俺は瞬時にそう思ったさ。
けど、俺はこういう霊的な場所ではいつも、ちょっと変わった人に出くわすんだ。たくさんの人がいたって、そういう人々は、俺にピンポイントで照準を定めてからんでくるんだ
そして俺は、それを土地の神様の使者のようなものだろうと思っているのさ。
土地の神様が、彼らを通じて、俺と縁を結ぼうとしているって考えるのさ。

そうさ、いつだって聖なるものが聖なる姿かたちで現れるとは限らないんだぜ。
女神が風俗嬢として君の前に顕現することだって、ありえない話じゃないだろう?

だから俺は、今回もそのパターンだなってピンと来たんで、面白半分に100ルピーほど渡してやったんだ。なに、大した額じゃないさ。かまやしないぜ。それも一種の税金みたいなものさ。

彼は大喜びで大げさなジェスチャー付きで俺に礼を言うと、煙草をふかしたまま人々の流れの中に溶け込んでいった。その足取りは、酔っぱらいみたいだったな。

しばらくして、俺たちが石段を下りながら、沿道の屋台の土産物なんかを見ていると、彼は俺たちの横をすり抜けて、大股で石段を下りて行った。
もちろん、俺たちに陽気に手を振り挨拶をかわし、意気揚々と下って行ったんだ。
土産物屋の娘さんは、彼を見て顔をしかめ、あのフーテンはこのスワヤンブナートに巣食うろくでなしで、みんなの鼻つまみ者なんだって、心底嫌そうに俺たちに教えてくれた。
旅行者に小銭や煙草をたかって毎日を暮しているんだそうだ。
俺は、もちろん彼の言ったことなんて、全部でたらめだってわかっていたけれど、それがたとえ本当の事でも、でたらめであっても、正直って俺にはどっちでもよかった。
なぜって、彼の態度に微塵も悪意の様なものが感じられなかったし、むしろ俺たちを面白がらせようっていう、ホスピタリティーのようなものすら感じていたんだからな。
そう、彼がどれほど土地の善男善女に嫌われていようが、俺には憎めない男なのさ。
俺たちは、土産物屋の娘さんの言葉に、少し驚いたような顔をしながら、思った通りだなって内心面白がっていたのさ。
で、山を下りてそのあたりの庶民の街をぶらついていると、一軒のカフェ、というより一杯飲み屋みたいなボロい店の中から、俺たちを呼ぶ声がする。そちらを見ると、奴がビールだか何だか飲みながら、ゴキゲンに挨拶してきやがった。
そう、彼は俺から、まんまと飲み代をせしめたったってことだ。
しかも、奴の言うことがサイコ―だったんだ。
『おーい、兄弟!俺がおごるから一緒に飲むかい?』
俺は爆笑したよ。まったく懲りない奴だ。最高だぜ!
まぁ、面白ついでに一緒に飲んでもよかったんだが、そうなりゃまたもや俺が勘定を持つ羽目になっちまうだろう?それは面白すぎるってもんだ。何事もほどほどが肝心さ。
俺は丁重にご辞退させていただいたぜ。

さて、この一対の聖者と愚者。いったいどっちが君の心に響くだろうか?
俺は柔和な聖者のような僧侶を尊敬はしても、自分があんな風にはなれないことを知っている。
けれど、あの底抜けに陽気で悪気の欠片もない鼻つまみ者のことは、決して嫌いになれない。
思えば、俺の友人の中にも、あんな愛すべきろくでなしが、何人かいたっけな。もしかしたら、近所の人たちから、俺もそんな風に思われてるかもしれないしな。

読者諸君、失礼する。また逢おう。

2015/06/10

Post #1526

ヨーロッパ旅行の写真をプリントしていると、どうにも気分が沈む。
どうしてかな。北欧特有の薄ら寒い気候と、弱弱しい光のせいかな。
いやいや、陽光溢れるバルセロナの写真でも、そんな気にさせられるんだ。
光や気温のせいじゃないだろう。
人々の深刻そうな表情から、人が生きる、その幸せとは何かということを、暗室の中で考えさせられてしまうからだろうか。
いずれにせよ、写真が楽しくないってのは、俺にとっては辛いことだ。

けれど、去年の秋に行ったネパール旅行の写真は、そんな陰気な気分に陥ることなく楽しく焼けたし、愉しんでみることができる。出会った人々の多くが、笑顔だったからだろうか。

少し、自分の気分を変えてみたくて、久々にネパールの写真をお届けしよう。
Bhaktapur,Nepal
ゴムとびをする少女や、路地を駆け回って遊ぶ子供たちを写真に撮りながら、バクタプルの町の路地から路地へと流れるように歩き、ようよう夕闇が迫ってきたころ、どこからか人々が楽しげに謳う声が聞こえてきた。
アコーディオンや鈴の音とともに、男女が歌う声が聞こえるのだ。
見ればその声は、辻の真ん中にヒンドゥーの神を祀った祠のすぐそば、路地の角地に立った一件の建物から流れてくる。
俺たちは声につられて窓から覗きこむ。
そこは集会所か公民館の様な10畳ほどの部屋の中だった。
おじぃやおばぁが車座になって座り、日本でいうところの御詠歌を謳っているのだ。
何を言っているのか、俺たちには一言半句もわからないけれど、神様を讃える歌を謳っているのは、しっかりと分かった。
体を揺らしながら、楽しげに、鉦を叩き、太鼓を鳴らし謳っている。
誰もがニコニコしている。見ているこっちまで愉しくウキウキした気分になってくる。
すると、帽子をかぶったメガネのおじぃと目があった。おじぃはパーカッション担当だ。
おじぃはうなずき、謳いながら手招きする。
俺たちはちょっと躊躇ったけれど、面白そうなので遠慮しながら入り口に回り、靴を脱いで中に入った。
Bhaktapur,Nepal
小さな金属製のシンバルのようなものを叩きながら、経本の頁を繰っている一番奥のおじぃが、部落の長老だろう。その横に座る小太りのおじさんは、小さなシンバルを叩きながら、体をゆすって謳っている。ノリノリだ。
俺たちの座る向かいには、おばぁたちが3、4人座り、アコーディオンの様な楽器を弾いたり、トライアングルの様な鉦をたたいたりしている。

Bhaktapur,Nepal
何を謳っているのかさっぱりわからないが、ゆったりとした、懐かしい旋律だ。
節に合わせて手拍子を打つ。旋律に合わせてハミングする。いつの間にか、小さな拍子木の様な楽器が回されてきて、気が付くと、俺も一緒に叩いている。
上手くやろうと思わなくってイイのさ。
心地よい流れに身をゆだねていれば、自然と調子はあってくる。
心がほぐれて、暖かいヴァイブのなかを漂っていくのを感じる。

みんな、幸せそうだ。

一曲終わるごとに、果物や飴が回されてくる。
思わぬ来客のはずなのに、田舎の親戚の家に遊びに来たような気安さだ。こういう時に遠慮すると、場が白けちまうんだ。ミカンのような果物を、喜んで食べてみた。
おじぃたちは、あんたらどこからいりゃあたね?日本かね!そりゃええがね!なんてことを言って喜んでいる。
そのうち長老が、たどたどしい英語で、何か尋ねてくる。
このおじいはどうにも一座でも別格の存在のようで、この人が話すときは、他のおじぃやおばぁは静かにしているんだ。まるで校長先生のようだ。
長老の言うことを聞いていると、どうにも、『遠来の客人にお尋ねいたしたいのですが、わたくしども、スウィートなポテトなるものをこの地の名物にしたいのでありますが、それを英語で何というのか教えてほしいのであります』と言っているようだった。
俺たちは、そのスウィートなポテトとはいったい何だ?って、その場ではさっぱりわからなかった。そして、お互いに筆談したり、絵をかいたりして何とかそのスィートなポテトがどういうものか理解しようとしたんだが、どうにも見当がつかなかった。そして、長老に申し訳ないが、僕らは作物に詳しくないので、お答えすることができませんと答えると、長老はしょんぼりしていたっけ。
が、あとでよくよく考えてみたら、それはサツマイモのことだと思い至った。
英語名はもちろん、スウィートポテトだ。
長老、気が付かなくてすまなかった。
Bhaktapur,Nepal
仕事を終えたと思しきおじさんが新たに入ってきては、おや、外人さん来とんのか?みたいな表情を浮かべながらも、何事もなかったように空いた席に座ると、芋の話はまぁええで、つづけよまいか(あえて名古屋弁で書いてみた)と誰かが言ったようで、おじぃやおばぁたちは、また席に着き、楽器を奏で歌い始める。
もちろん、俺たちも拍子木を叩き、手を打ち、鼻歌の様にふんふんと旋律をなぞるんだ。

また、あったかいヴァイブがその場を包み込む。

御詠歌や念仏と、何ら変わりがない。日本人だのネパール人だの、そんな線引きも関係ない。
目には見えないけれど、その場に神様がいるんだろうってことが、はっきりと分かる。
神様は、俺たちが求めれば、実はどこにでもいるんだからな。俺はそういう感受性を持ってるのさ。なにしろ、若い時分に宗教にのめりこんで、山にこもって修行したりしてたくらいだからな。
神様がいるってことを、はっきり感じ取れてあたりまえだ。
Bhaktapur,Nepal
おじぃやおばぁの御詠歌に、なんだか変な外人が紛れ込んで、一緒になって謳っとるぞ!なんて噂が、狭い路地にはすぐ伝わるのか、窓から子供たちが覗き込み、じっとこっちを見ている。目を合わせて笑いかけると、照れくさそうに笑っている。
おばぁの孫の様な少女が、間を割って入ってくる。さっき外で見かけたゴムとびをしていた少女だ。

一緒になってどれだけ楽しんだことだろう。
おばぁの一人が、壁の(まさしく)神棚に祀られた神像に、賽銭をだすように言っているのがわかる。
おじぃの一人は、『そんなおみゃぁ、お客さんにそんなもん出さしてまってはいかんて』って、首を振っているが、おばぁは平然として『おみゃぁさんこそ何いっとんの。この人ら、わしらと一緒に神さんお祀りしたんだで、まぁはやこの人ら他所の人だないて、うちんたらの仲間だがね。だで、出してまったらええんだわ、これも何かの縁だで』なんて言っている。
そんなやり取りをしているのが、言葉は通じなくても、はっきり伝わってくる。
俺は、そりゃ『おばぁの言うとおりだわ、賽銭出さしてもらわないかすか』と、笑いながら名古屋弁でからりというと、たくさんの腕を持つ神像の足元に一枚の100ルピー紙幣を供えた。
神様の名はと問うと、おじぃやおばぁは満足そうに、口々に『ナラヤン』と答えた。
ナラヤンはヒンドゥー教の主要三神のうちの一柱、ヴィシュヌの化身だ。シヴァと並んでヴィシュヌは人気があるのだ。
きっと、このヴィシュヌの化身ナラヤンが、俺たちをこの場に導いてくれたんだろう。ありがとう。

さぁ、どこかおいしいネパール料理屋でも見つけて、晩飯にありつかないとな。俺たちは初めて会ったのに、懐かしいおじぃやおばぁ、そして子供たちに別れを告げて、すっかり真っ暗になった路地に出ていったんだ。

いま、こうして文章にして振り返っていても、あれは心の奥底から愉しいと思えるひと時だったよ。そこにはろくに電気もなかった。俺たち日本人が、最低限の生活に必要なものだと思っているもののいくつかが、きれいさっぱり欠落していた。けれど、あんな楽しそうな老人は、日本でも、そしてヨーロッパでも見たことなかった。そう、人間の幸せには、人と人のつながりが何より大切だって、俺はあの夜、改めて学んだんだ。


読者諸君、失礼する。できることならもう一度、あのおじぃやおばぁたちに会いたいもんだな。その時は君も連れて行ってあげたいよ。おっと、旅費は自分で用意してくれよ。頼むぜ。

2015/05/14

Post #1499

ネパール、カトマンズ郊外の町、パタンを夕暮れ時にそぞろ歩きしていると、旧王宮だった博物館の隣の大きく古い建物の入り口に人だかりがしている。
ふと、興味をもって覗き込むと、人の好さそうなおじいさんがネパール語だと思うが、ニコニコと笑いながら何事かを語り掛けつつ、身振りで入れ入れと言っている。
俺は、一体何事があるのやらと思ってなかに入ってっ見ると、そこにはクマリがいた。
Patan,Nepal
クマリとは、生身の神とされる少女だ。
ちなみにサンスクリット語つまりインドの古語でクマラは童子を意味する。日本の仏教で不動明王のわきに立っているコンガラ童子やセイタカ童子の童子というのが、このクマラの訳語だ。
クマリはその女性形になる。
つまり、生身の穢れなき女神ということだ。

特定の部族の特定のカーストから選ばれる幼女で、その言葉や振る舞いから人々は予言を受け取り、また神として人々を祝福するという。
クマリは基本的に初潮を迎えるとクマリを引退することになる。中には、初潮がこずに50歳くらいまでクマリを務めた女性もあったという。
しかし、クマリとして選ばれた間は、薄暗いクマリの館の中から出ることはなく、もちろん学校に通ったり、外で友達と遊ぶことなど一切できない。
今日の社会通念に照らし合わせれば、幼児虐待と訴えられかねない文化だが、ここネパールの大半の人々は、今日の日本人や欧米人には想像もできないほど信心深い人々なので、そういうものだと考え、彼女を尊崇しているのだ。

この日本にも、同じような生神様がおいでになる。
天皇陛下だ。
また、かつては日本各地にそのような祭司王=生神様がいた。古い神社をつかさどっている家柄は、その末裔だ。魏志倭人伝に見える卑弥呼も、クマリと同じ系譜に属すると考えていいだろう。
これは、インドあたりから東アジアまで広がる、アジア人の古層に属する信仰形態なんではと俺は考えている。というか、吉本隆明の受け売りだけどね。
だから長い間、実際にクマリをこの目で見たかったのだ。

カトマンズのダルバール広場には、かつてネパール王室と密接な関係を持っていたナショナル・クマリがいる。クマリの館に行き、団体で結構な額のお布施をすれば、窓から顔を出してくれるくらいはなさるという。もちろん、写真撮影はご法度だ。
戦争前の我が国の天皇陛下と同じで、イキガミ様なんだから。
お付きのおじいさん。
パタンは、カトマンズ、バクタプルと並んで、かつて三王国分立時代に栄えた町なので、ナショナル・クマリとは別にパタン・クマリがいるのだ。俺たちが招き入れられた館こそが、クマリの館だったのだ。
中に入るとそこは中庭になっており、その通りに面した面にクマリは大人たちにかしずかれて座っている。
クマリの前には人々がその祝福を受けるために、列をなしている。
その傍らに、いったいどれくらいの年月、クマリに仕えてきたのかというようなおじいさんたちが、風の谷のナウシカに出てくるミト爺のような風情で、和やかに座り、杖のような松明であたりを照らしている。
この中には、水銀灯みたいな無粋なものはありゃしないし、あったとしても電力事情の悪いネパールでは、使い物になりゃしないだろう。一日の半分くらい停電してるんだからな。
マリファナみたいなぶっといお香がたかれる。
お付きのおじいさんの持つ松明に、もう一人のおじいさんがボブ・マーリーが吸ってたマリファナみたいな太い香をのようなものを近づけ、火をつける。暗がりの中、煙とともに香りが漂う。
人々は、どうやらクマリによって額にティッカと呼ばれる赤い染料をつけられ、祝福を授かっているようだ。
祝福を授けるクマリ
人々はクマリの前にひざまずき、クマリはお付きの女性が差し出す器に入った染料を、その小さな指に無造作につけて、人々の額にティッカを施してゆく。
どうやらそのあと、人々はお布施をクマリの足元に置かれた金属の鉢のなかに入れていく習わしであるようだ。
そして、このお付きの女性から、植物の若芽のような柔らかい茎を一つまみ頂戴し、帽子の縁や耳につけるのだそうだ。
聞けばこの時期は、ネパールの暦では新年にあたるダサインという時期に当たるので、人々は一年の無事を祈って、クマリに祝福を授けてもらうのだという。

俺も、クマリに祝福されてみた。まだ5、6歳の小さな女の子だ。しかし、とてつもない威厳と高貴さが漂っている。それが神威を纏うということか。
クマリはその細く小さな指で、俺の額に染料を擦り付けるようにして祝福を施してくれた。
そして、俺がもぞもぞとポケットからお布施を出している間、さも退屈そうにあくびをし、真っ赤に染まった指を、お付きの女性の差し出す布で、少し不機嫌そうに拭いていた。
Patan,Nepal
ナショナル・クマリは写真を撮ることが禁じられているが、ローカル・クマリであるパタンのクマリは、どうやらその辺は寛大なようだった。最初はためらっていたのだが、中国人と思しき観光客の一団が、じゃんじゃんフラッシュを焚いて撮影しているので、俺もお付きのおじいさんに写真を撮っても大丈夫かと聞いたうえで、控えめに写真を撮ってみた。それを君たちにお届けしているのさ。

読者諸君、失礼する。世界はまだ、俺たちの知らないことばかりだ。俺はもっといろんなところに行って、この目で世界を見てみたい。そして、自分の体験したことをもとにして、この世界のことを理解していきたいんだ。君も一緒にどうだい?

2015/05/06

Post #1491

HongKong
今回の旅行の間にも、いろんなことがあった。
内縁のカミさんとのことだ。

内縁のカミさんが、子供を作りたがっているという話は、ずいぶん前に書いた。彼女はもう42歳で、年齢的には限界だろう。その話が出てから、何度もトライしているんだが、なかなか簡単にはことは進まない。最初は勢いで乗り気になった俺だが、なかなかうまくいかないと、心中焦ってもくるし、また疑念も起こってくる。正直、何回か受精はしても、子宮内に着床する前に流れてしまったんではないかってこともあったようだ。
おまけに、年齢的に不具や障害児が生まれてくる可能性だって高いから、血のつながった子供は諦めて、養子をもらったらどうかという、一見真っ当そうでいて、すごく失礼なことを言われたりもした。理念としては正しくても、情念として納得いかないこともあるのさ、人間だもの。

子供を持つことを考えると、自分が真っ暗な闇の中、断崖絶壁の端に風に煽られながら立ちすくんでいるような気分になる。

自分の人生の可能性が、それで狭まってしまうのではという、懼れのような感覚だ。

誰しも普通にやっていることが、俺にはどうにも取り返しのつかない道に、一歩を踏み出すような恐ろしいことに感じられる。

親愛なる読者諸君、君たちはひょっとしたら気が付いてるかもしれないけれど、俺はどこか尋常の人間とは違う、何か「だいそれたこと」に心捉われている人間だと、自分のことが思える。
その尋常でない「だいそれたこと」ってのが何なのか、自分でもはっきり言えないけれど、生とか死とかいう抜き差しならないことや、他人を愛すること、社会とどうかかわるかってことにかかわっているように思える。
それは、ある意味ですべて幻想かもしれない。いやむしろ、俺という一人の人間が病理のように抱え込んでいる妄想と言ったほうがイイかもしれない。
そんなことを思うのが、自分でも大人になり切っていないと感じるけれど、それが俺に文章を書かせたり、狂ったように写真に向かわせたりする。
そして、その「だいそれたこと」に近づいて行こうと足掻くとき、その俺の姿は、世の中の常識や倫理から逸脱したものに見えるかもしない。その表面的なあらわれだけをみて、反吐が出るって吐き捨てるように切り捨てられることすらあるだろう。

けれど、俺はいつだって、至って真剣なんだ。わかってほしい。

今回の旅の間、カミさんは子供を作るために、あれをせがんできた。

俺は決してアレが嫌いなわけじゃない。むしろ、お好きな部類だと思う。
けれど、俺は、子供を作るためにするってのが、どうにも本末転倒な気がして、ふさぎ込み、途中でやめてしまった。
そういうもんじゃないだろうって思ったのさ。俺はカトリックの信者じゃないんだからな。
それに、俺の残り少なげな人生、ひょっとしたら他の女性に心奪われて、今のカミさんと別れてしまう可能性だって、ゼロじゃないんだから…。
こればかりは、男と女のことだから、まったくわからない。人の縁というやつは、どこでどうつながっているのか、皆目見当もつかない。
そうなったとき、自分の子供がいることが自分にとっても、彼女にとっても、そして当の子供にとっても良いことなのか、どうにも判断出来なかった。

籍も入れずに彼女とは20年連れ添ってきた。それがすでに尋常じゃないってのは理解してるつもりだ。それが良かったのか、悪かったのか。
その間に、どうして子供を作らなかったのかと、詰るように問われるかもしれない。
けれど、それには自分なりの葛藤だってあったし、経済的な不安もあった。
自分が母親とは早くに死に別れ、父親とは一言では説明できない根深い葛藤だってあったから、家族ってものに対して、嫌悪感のようなものを抱いていたのかもしれない。
だから、その点で俺を責めないでほしい。誰にだって事情はある。
過ぎてしまった時間を取り戻すことは、俺にだって君にだって出来やしないのだから。
俺たちにできるのは、それを受け入れて、最善だと思えることをするだけだろう?違うかい?

なにより俺は、自分が世界で一番信用できない。
これは勝手な男の、勝手な言いぐさかもしれない。
けれど、自分自身に可能な限り誠実に対したとき、それこそ真っ暗闇のなか、険しく細い尾根を手探りで歩いているような恐ろしさを感じたんだ。
どうか君には解ってほしい。

それから二日ほど、自分とカミさんは日中別行動で、俺は独りで電車に乗って、まったく見知らぬ北欧の街をカメラ片手にさまよっていた。写真を撮りながら、食事もとらず、強い海風に煽られ、時折降る雨にも傘すらささず、ひたすら自分を罰するように歩き続けた。
そして、この旅から帰ったら、カミさんと別れることすら考えた。
どうしても子供が欲しいのなら、他の人と作ってもらってもイイんじゃないかってことだ。俺みたいな訳のわからん非常識な人間の子供なんて、考えただけでも大変な人生を強いられるのは間違いないからな。

で、ある晩のこと、カミさんは泣きながら訴えてきた。

『自分の人生は、子供を作れなければ、何の意味もない』って。

読者諸君、今日はここまでにしておこうよ。自分で書いてても、なかなかに厳しい話題なんだ。のろけを書いてるつもりはまったくないんだぜ。自分の中ではギリギリのことを絞り出すように書いているつもりなんだ。心が落ち着かないんで、あてもなく車を転がしたい気分さ。
失礼する。

2015/05/05

Post #1490

ロシア上空、日本へ向けてのフライトでは、夜明けがずっと続いている。
また、旅が終わった。今朝、日本に帰ってきたのだ。どうってことないぜ。

俺は何処だって、たいてい3日いれば退屈しちまう性分なんだ。
だから、毎日同じところで同じような仕事をするのは向いてない。
工場の機械じゃないんだからな。毎日違ったところで、、毎日違ったことをやっていたい。
旅先も転々としてる。毎日のようにホテルが変わる。今日見てる風景は、二度と見ることはないかもしれない。もっとも、女性に関してはそうでもないんで、これまた心苦しいことも多々あった。
もちろん、君にはなにも言えないけどね。

旅先で、表面的ではあるけれど、いろんなことを見聞きすると、自分の世界が広がる。
それが、日常の生活を生きる上で、大きな支えになっているように思うぜ。

もちろん、言葉はよくわからない。
スペイン語だのドイツ語はもちろん、スウェーデン語だのデンマーク語なんてまったく分からないよ。英語だって怪しいもんさ。実にテキトーだ。
けれど、相手の目を見る。
ニコリとしてみる。
眉をあげて目を開いてみる。
それだけでも、通じるものがある。
こんちわ、ありがとうだけでも、なんとなく打ち解ける。

俺の旅は、いつか終わる。
自分の心と体の均衡が崩れたとき、自分の自意識と実際の肉体がしっくり来なくなったとき、それは終わるんだろうと思っている。
これはこれで、自分ってものを飼い慣らし、乗りこなすには、すごく体力がいるのさ。
OK、けれどそれはまだ先の話だ。今は考えずにおこう。

ブレーメンの蚤の市で手に入れたニール・ヤング。お値段4€。ジャケット染みつき。
今回の旅で、偶然というか必然というかで手にしたニール・ヤングの名盤ハーヴェスト。この偶然だか必然だかというのが、まぁ縁ということなんだろう。もっと緻密に言えば、偶然に必然を見出すこと。人との出会いもそういうもんだろう?
そう、そしてこのCDの中の一曲が、何度も方々旅してきた自分には、ぐっとくるんだな。

超名曲『ハート・オブ・ゴールド』だ。

You tubeから、この曲を歌うニールヤングの動画を引張ってきて、貼りつけてみた。
71年のものだ。良かったら見てほしい。
ニール・ヤングは、以前の俺にはその良さがよくわからなった。
けど、歳食った今では、文句なしにいいと思えるよ。
大人になったということなのかな。



Heart Of Gold

I want to live
I want to give
I've been a miner for a heart of gold.
It's these expressions I never give
That keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old.

I've been to Hollywood
I've been to Redwood
I crossed the ocean for a heart of gold
I've been in my mind,it's such a fine line
That keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old.

訳してみるとこんな感じかな。
あくまで俺のテキトーな意訳だから、おかしいとか言って突っ込まないように頼むぜ。

『俺は生きたい
 俺は与えたい
 俺は黄金のような心を(金鉱を掘るようにして)探し求めてる。
 それはこんな表現では、僕がいまだに与えたことのないもの。
 それが俺に黄金の(ような美しい)心を探し求めさせる。
 そうして、俺は歳くっちまう・・・。

 俺はハリウッド(のような欲望の街)にも行った。
 俺はレッドウッド(の深い森)にも行った。
 俺は黄金の心を求めて、海だって渡ったんだ。
 俺の心はそいつを求めて狂わんばかりだ。
 それが俺に黄金の(ような美しい)心を探し求めさせる。
 そうして、俺は年老いていく・・・。』

読者諸君、失礼する。また会おう。ハート・オブ・ゴールドか・・・。ええなぁ・・・。
ねぇ、君の心は黄金のように輝いているかい?

2015/05/04

Post #1489

Patan,Nepal
読者諸君、日本の具合はどうだい。君もUターンラッシュでうんざりしているだろうか?
それとも、今日も働いているだろうか。
俺は長々遊んではいるが、その分金は入ってこないんだ。
これはこれで大変だよ。
まぁ自分で選んだ道だ。文句はねぇよ。

どうして日本じゃこんなに金がかかるのか?まぁ、デンマークほどじゃないけどな。
それはズバリ、俺が箸にも棒にもかからぬような、道楽もんだからだろうな。

読者諸君、朗報だ。明日には日本へと帰ってくるさ。なに、もう帰って来るなって?そう言うなよ。またゆっくりと語り合おうぜ。俺は君のことを、すっかり忘れて浮かれてたわけじゃないんだぜ。いつだって、君のことを思ってきたのさ。失礼する。

2015/05/03

Post #1488

Bhaktapur,Nepal
読者諸君、旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。今日はブレーメンの音楽隊でお馴染みのドイツの都市ブレーメンに来ているんだ。とはいえ、相変わらずカメラ片手にぶらぶら歩いているだけさ。我ながら酔狂なこった。道楽もこれはこれで、贅沢なものさね。


そこが平和な場所ならば、世界中どこだって、若い女の子たちは楽しそうだ。

それでなくっちゃな。
そして、世界中どこに行っても、中年男性は、しけた面をしているものさ。

今回の地震で、彼女たちの笑顔は失われてしまったのではなかろうか?

一日も早く、かの地の人々に笑顔が戻ることを、願うよ。

読者諸君、失礼する。俺もしけた面の中年男性だがね。
だけど、グルーヴは胸の中にあふれてるくらいなのさ。おかしいかい?
あばよ。

2015/05/02

Post #1487

HongKong
今頃俺はドイツかどこかにいるんだろうよ。
旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。本日は、列車でドイツのハンブルグに乗り込んで、ぶらぶらしてたぜ。
楽しそうだって?これはこれで色々と難しい葛藤がありまして、なかなか心中穏やかならずなんだよ。
その辺はまた帰ってから話そう。日本に帰ってからな。


海外の肉屋に行くと、肉の塊が、その原形を保ったまま無造作にぶら下げられていたりする。
俺は、それを見るのが好きだ。
日本では、スライスされ衛生的なパックに入って売っている。
まるで工場で作られたかのようだ。
そして、あまりに衛生的なので、肉を食うということが、実際に生きていた動物を殺し、切り刻み、そのうえで俺たち自身が食っているという事実すら、強く意識しないと認識することができない。

肉を食うなとは思わない。俺も肉は好きだ。肉食中年痛風持ちだ。
しかし、俺たちと同じ命を奪って、喰らっていることを忘れ、粗末に扱いたくはない。

海外の肉屋は、決して日本のように衛生的ではない。
日本の保健所が見たら、卒倒するだろう。
けれど、生き物を殺して食っているという事実を、ありのままに突き付けてくる。

読者諸君、失礼する。生きるってことは、他の命を奪っているということなのさ。だからと言って、死ぬのはマダマダ御免だけれどね!

2015/05/01

Post #1486

Swayambhunath,Nepal
読者諸君、俺は今日あたりドイツに乗り込んでいる頃だな。
元気にしているかい?
君のことがいつも気がかりだ。
それを思うと、カメラをもって見知らぬ街を歩き回ることすら、何かの贖罪のような気がしてくる。

ネパールの仏教寺院、スワヤンブナートで見かけたサルの写真をお送りしよう。
ご笑納してほしいな。
奴は2リットルのコーラをラッパ飲みしていた。
俺も、すぐそばで見ていた白人のおっさんも、ゲラゲラ笑い転げていたよ。
旅に出ると、思わぬものに出くわすものさ。
奴は飲み終わった後、盛大なげっぷをしていたっけ。

人間もサルも、やることは大差ないってものさ。
少なくとも日本の政治の世界は、サル並だと俺は思ってるんだがね。なに、このブログも猿のセンズリだって?いい得て妙だな!違いないぜ!

読者諸君、失礼する。今日から五月か。今頃、ツツジの花は見頃だろうか?
旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。本日は、コペンハーゲン再上陸。
ごきげんよう。

2015/04/30

Post #1485

HongKong
今頃俺は、北欧の街を歩いているだろう。
君は元気にしているだろうか?

旅に出ると、どこか懐かしいような風景に出合うことがある。

こんな店、日本ではめっきり見なくなった。
イオンか中堅のスーパーばかりだ。最近じゃ、セルフレジが浸透してきて、レジのおばはんと話をすることもめっきり減った。

効率ばかりを追い求めると、人生は味気なくなる。
そして、人間が働く場所も減ってしまうのさ。
だいたいこの人生ってやつは、たわいもない無駄話でもしないと、しんどくてやっていられないんだぜ。

読者諸君、失礼する。俺は無駄話をするのが大好きさ。そもそも、このブログ自体が、壮大な無駄話だよな。

旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。本日は、ヘルシンボリって街に行ってきたのさ。
ごきげんよう。

2015/04/28

Post #1483

Patan,Nepal
地下水が湧出してくるまで地面を掘り下げて設けられた水場。
ネパールでは、よく見かけた。
人々はここで水を汲み、洗濯をする。
そして、子供は遊び戯れる。そして、俺をうさんくさい奴のように見るのさ。

俺はユーラシアの反対側、スェーデンの片田舎をカメラをもってぶらついている。君たちは心安らかに暮らしているだろうか?
しかし、ここはどうにも寒くって仕方ない。おまけによいこの住んでるよい町といった風情で、なんだか俺には面白くない。善良そうな人々が、慎ましく、静かに暮らしている。人影はまばらだ。成熟社会だ。水清くして魚住まずだ。俺はナマズのように、欲望と退廃にまみれている方がいい。
闇が深いほど、光は輝くから。
仕方ない。ホテルの小さな部屋にこもって、目の前に広がる教会の墓地を眺めながらブログに加筆してみよう。

先日、バルセロナ郊外のモンセラットという聖地にある修道院を見てきた。
ノコギリの歯のような奇怪に聳える山の頂に、貼り付くようにして壮大な修道院が建っている。かつてここはナポレオンに破壊されてしまったために、今建っているのは19世紀から20世紀にかけて建築された御立派壮大なものだ。
イエス様はエルサルムの神殿が破壊されても、神はたちどころに新たな神殿を打ち立てると語り、神を冒涜したとして捕らえられた。それは信仰の篤さによるもので、けっして新しい神殿が作られるという意味ではなかったはずだが。
人間には、目に見える大がかりな仕掛けが必要だ。
それは往々にして、物事の本質を覆い隠してしまうがね。

この聖地は、幼いイエスを抱いたマリア様の像が山の洞窟から発見されたことから開かれたという。そこに電車とロープウェイを乗り継いで行ってみたのさ。

ここで少し、俺自身のことを語っていいかい?

俺は、浄土真宗の信徒だと自分のことを思っている。一応、家代々ある浄土真宗の寺の檀家にはなっているかれど、だからって訳じゃない。

開祖の親鸞上人の説く言葉に痺れたからだ。
『善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや』だ。
つまり善人だって阿弥陀様に救われるのだから、もっと切実に救いを必要としている悪をなさずに生きることの出来ない者達こそが救われるという教えだ。
ちなみに、親鸞上人も、寺なんか要らない、南無阿弥陀仏と書いた掛け軸ひとつあれば、どこでも仏の御前だと語っていたが、その親鸞上人を開祖とする浄土真宗の本願寺は、とんでもなくデカい大伽藍だ。親鸞上人もイエス様も、さぞや困惑されておいでだろうよ。


ほとんどの宗教は、行い正しく、無欲で、信仰篤い者しか救われないと説く。
けれど、それでは現在、誰がいったい救われるんだろうか?
俺は、自分では自分を業深く、自分の犯している悪や不道徳に対して無自覚な悪人だと思っている。そして、世の中には自ら生きて行くために、嘘をつき、他人を陥れ、他の命を殺め、あるいはまた非難されても仕方のないことをして生きている人たちがたくさんいる。そして、俺にとって大切な人の中にも、そんな人はきっといることだろう。

そんな悪人こそ阿弥陀仏は救ってくださると説いた親鸞上人と、心貧しき人は幸いであると説いたイエス様は、俺の頭のなかでは、とても気のあうお二人なのさ。

もちろん、俺も親鸞上人も、そしてナザレのイエス様も、悪を勧めて行えと言うものではないけれど、それを切り捨てて、救済などというのは、なにも問題の解決にならないんじゃないのかしら?

いったいぜんたい、俺たちにとって救いとは何か?
天国だの極楽浄土だのは、この際脇においておこう。そんな想像の産物は、俺たちには何の慰めにもならないだろう?
悩み苦しみながら生きている今このときに、その苦しみを和らげることが出来ない救いなどに、いったい何の意味がある?
信仰は、死者の鎮魂のためにあるんじゃない。

いま、現に生きている俺たちにこそ必要なもんだろう?

俺たちには、くそったれな世間の常識や道徳が受け入れてくれないこの存在を認め、無条件に受け入れてくれる超越的な存在が必要だ。
悪とされている行いをせずには生きられない俺たちに、寄り添って認めてくれるような存在が。
俺は、それが神でも仏でもなんでもいい。
とにかく、世界がその人を非難し、見捨てたとしても、それでもなお寄り添い受け止めてくれるような誰かが、生きて今ここにあるだけでいいのだと、それだけでよいのだと、認め包み込んでくれるような誰かが必要だ。
俺はずっとそう思ってる。


モンセラットに奉られているマリアさまは、長い年月でその姿はすっかり黒ずんでしまっている。それはどこか、母のような寛大さで、人々の罪を受け入れてきたからのようにも思える。
お願いだ、マリアさま、そしてイエス様、俺のことはいいから、俺の大切な人たちの心の重荷を、少しでも取り去ってやってはくれないだろうか?

俺は、そんなことを思いながら、神々しい祭壇に祀られたマリア像にひざまづき、ひたすら祈った。
脳裏には、自分に縁ある、ロクでもない男たち、自らの行いに心痛めている女たちのことを浮かべた。
心の底から、どうか俺の大切なその人たちに、そっと寄り添ってあげてください、その人たちを認め受け入れてあげてください、その心を救ってくださいと、心を込めて祈り倒した。

なにも知らない周囲の人々には、俺はとんでもなく敬虔なカトリック信者に見えたかもしれない。

けど、俺は地獄行き間違いのない男なんだ。なにしろ永年そっと心のなかで大切に思ってきた人にすら、反吐が出ると吐き捨てるように言われるくらいのくず人間だからな!


けれど、くず人間にも意地もあれば人を思う心もある。
神も仏も寄り添ってくれないのなら、俺は自分で、自分の大切な人達の心に寄り添っていくんだ。もちろん、俺には何の力もないけれど。その人達の苦しみや悲しみを背負ったら、俺は潰れてしまうかもしれないけれど、それでもその荷を分け持っていきたいんだ。
偽善者だって言われても仕方ないかも知れないけれど、偽善者だったら、自分のことを悪人とは言わないだろうよ!

OK、俺は生きてる限りここにいる。たとえ日本から遠く離れていても、いつだってここにいる。そして、君のことを思っている。なんの力もない罪深い男だけれど、君のことを思っている。君のことが大好きなのさ。なぁに、礼など要らないさ。俺は物好きな男なのさ。

読者諸君、失礼する。

2015/04/27

Post #1482

Bhaktapur,Nepal
ネパールの古都、バクタプルはダッタタラヤ寺院そばの小さな雑貨屋の看板娘。
日本でいえば、女子高生くらいか。
いつも店番をしながら勉強していた。
俺は彼女から50ルピーで使い捨てライターを買ったんだが、素敵な笑顔だった。
そんライターは、カトマンズの空港で、俺のことを怪しんだ警備の軍人に取り上げられてしまったがね。
彼女は、無事だっただろうか?多くの人たち、すれ違っただけの人たちも含めて、無事であってほしいと願わずにいられない。

読者諸君、失礼する。どこに行っても怪しまれる俺なのさ。

2015/04/26

Post #1481

Bhodhanath,Nepal
ネパールで大地震で、死者1,500人だという。
ただでさえ、インフラの不充分なところだ。
現地の知り合いからは、大きな余震が続いていると伝えられている。
国際的な援助が求められていると思う。
ニッポンのお偉いさんたちには、こういうときに、日本人の力を見せるように決断してもらいていぜ。

ネパールの聖地、ボダナート。
そのすぐ裏通りでは、年端もいかぬ子供たちが、現金をかけて賭博をしていた。
それが良いことなのか、悪いことなのか、俺にはなんとも言いかねるな。

世界は、俺たちの島国仕様の常識では測れない。
そんなもんさ。

読者諸君、失礼する。世界を見て、触れて、まずは受け入れ受け止めること。判断するのはそれからだ。

2015/04/24

Post #1479

Kathmandu,Nepal
今日も俺は旅の空。ユーラシアの涯あたりさ。

ネパールでは、若者たちは長距離バスの屋根に乗って旅をしていた。
日本の常識じゃ、ちょっとありえない。
しかし、旅に出ると、日本の常識が普遍的でないことを思い知らされる。

世界は、もっと多様で自由なんだと、思い知らされる。

旅を重ねるほどに、日本人であるという呪縛から、自分がどんどん自由になっていく。
たとえ俺が、日本語で考えて、喋り、文章を記しているとしてもね。
問題なのは、そこじゃないのさ。

読者諸君、失礼する。ごきげんよう。

2015/04/23

Post #1478 さよならニッポン

HongKong
よせばいいのに、また写真集を買ってしまった。
そのうち床が抜けてしまうぜ。
仕事の打ち合わせに珍しくスーツにネクタイで出かけ、そのあと知り合いのやってる喫茶店にふらりと立ち寄り、その帰り道、ふらりと立ち寄ったジュンク堂でつい買ってしまったのだ。
中藤毅彦の『STREET RAMBLER』つまり、ストリートの流れ者だ。
このタイトルだけでも買いだ。
しかし、やられたな。悔しいな。負けないように頑張るぜ。プロにかなうわけないってか?
知ってるかい、写真は現実のコピーなんだぜ。感性を研ぎ澄まして、来た球を打ち続ければ、俺もいけるさ。
さて、気になるお値段、7,560円(Tax in)。
俺は金のかかる男だって言ってるだろう?
まいったなぁ・・・。

唐突だが、今日から俺は一足早く海外にトンずらさせてもらう。
今回はヨーロッパだ。スペインだのデンマークだのドイツだのだ。

いつものNorth Faceのメッセンジャーバッグには、フィルムが55本入ってる。
カメラは相も変わらず、コンタックスT3だけだ。
いつだって俺は潔いのさ。最小の機材で、最高の仕事をするんだ。
あとはパスポートさえあれば、旅行の準備はばっちりだ。
なにしろ俺は旅慣れているからな。

カバンの中には、古今和歌集をはじめ、何冊かの詩集。

俺の詩は、フィルムと印画紙で記されるのさ。

旅行の間は、今までの写真をテキトーにお送りすることにしよう。
写真自体は適当ではないけどね。

旅行中の様子に関しては、俺のFB/KohichirohHattoriを参照してくれ。
公開設定をフリーにしておくからよろしく。暇なら覗いてみてくれ。

読者諸君、失礼する。鬱病のパイロットに当たらないか、大いに楽しみだぜ。