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2016/01/15

Post #1692

Istanbul.Turk
それが例え、世界のどこであっても、もうテロにはうんざりだ。
自分の大切な人が、巻き込まれて命を失うことを考えてみたことがあるかい?

Istanbul.Turk

平和をわれらに

2015/08/30

Post #1608

Istanbul,Turk
昨日、仕事を終えてウィークリーに帰り着くと、そのまま倒れ込むように眠ってしまった。
カミさんから電話があったりして、今から食事をしに行くと言ったようだけれど、そのまま眠り続け、
すでに深夜2時。
今更、着替えてなか卯だの吉野家だのに出かける気にもならないのさ。
そんなわけで今夜も写真だけお送りするよ。

読者諸君、失礼する。もう一度眠ろうか、それともこのまま起きていようか?それが当面の問題だ。

2015/08/19

Post #1597

Istanbul,Turk
最近まで、昼も夜も働いていたので、夜、現場が動いていないと、なんだか手持無沙汰というか、これといってやることもない。
僕はTVは一切見ないから、ウィークリーのTVはコンセントが抜かれているほどだ。
だから、時間を持て余す。

愛用の引伸機と薬品と、印画紙と山のように積みあがってるネガフィルムを、旅先にまで持ち込んで、毎晩朝までプリント出来たなら、次々と傑作を生み出すことができただろう。
残念だ。
それとも、あの人がそばにいてくれたら、どんなに素敵な時間を過ごせるだろう?
きっと朝まで眠らないさ。

読者諸君、失礼する。そんなわけで、することもこれといってなく、眠ってばかりの僕なのさ。

2015/08/10

Post #1588

Izmir,Turk
珍しく仕事が休みだったので、東京に住む友人が勧めてくれた河鍋暁斎の展覧会を、丸の内の三菱一号館美術館に見に行ってきた。
なかなか面白かったよ、ありがとうとメールを送ると、なんとなく一緒に食事でもどう?なんて話になってので、たまにはってことで、銀座の裏通りにあるトルコ料理屋に行って食事をとることにした。
彼女はトルコ料理なんて食べたことないって言っていたけど、中華料理やフランス料理と並んで、世界三大料理に数えられているんだぜって教えたら、まんざらでもないってことで、トルコ料理に落ち着いたのさ。イスケンデル・ケバブやキョフテなんかを二人でおいしくいただいてきたのさ。
正直に言って、俺が久しぶりにトルコ料理を食べたかったのと、せっかくの機会だから、普段お互いにあまり食べないようなものがイイだろうって思ったんだ。
で、トルコやモロッコに旅行した話をしたり、昔話に花を咲かせたりしたんだ。
俺の不徳の致すところで、久しく会っていなかった友人だから、話は尽きない。
けれど、少年時代に濃密な時間を共有していたから、まるでそんなブランクなんかなかったみたいに話は弾むのさ。おかげさんで、すっかり夜も更けちまったぜ。
また、時間を作ってゆっくりと話し合いたいもんだな。

そんなわけで、今日はトルコの中堅都市、イズミルのバザールの写真をお送りしよう。
地中海の日差しにまぶしい光に照らされていた、あのバザールの喧騒がどうにも懐かしいぜ。

ちなみに、昼は独りで名古屋名物『みそカツ』を食ってきた俺なのさ。なにしろ俺は自分のことを、日本人である前に尾張人だと思ってるんだからな。そう、信長や秀吉と同じ尾張人だ。赤みそがないと生きちゃいけないのさ。

読者諸君、失礼する。しかし、どうにもエンゲル係数が高い一日だったなぁ。こりゃ明日からまた節制しないといけねぇな。

2015/07/20

Post #1566

Istanbul,Turk ウサギ占い。ウサギがおみくじを引いてくれるような類のものらしいぞ。
銀座四丁目、中央通りに面した現場のすぐそばに、毎晩手相観のおばちゃんがいるんだ。70くらいの小柄なばあさんで、夕方になるとタクシーでやってきては、小さな机に、手相を描いた布をかけ、ろうそくを灯して椅子に座って客待ちをしている。その布には、科学的観察、神秘的直観とある。どっちなんだ、いったい?
そんなモノ好きな奴がいるんだろうかと気になっていたが、世の中にはそんなモノ好きがいるものだ。
それは俺だ。見料3,000円出して占ってもらったぜ。俺はこう見えておみくじとか占いとかが大好きなんだ。若い頃、宗教をやってた時には、真言密教に伝わるインド占星術を研究したこともある。


至極そっけないというか、むしろつっ慳貪な態度だったおばちゃん、俺が見料いくらと聞いて3,000円出した途端に、愛想がよくなった。

やはり世の中金だな。

『いやぁ、ここんところ俺、車の事故とか続いてるし、なによりカミさんが妊娠してて、無事に生まれるかどうか気がかりでね、占ってもらおうと思ったんだよ』といいながら両手を差し出すと、おばちゃん、虫眼鏡を使うわけでもなく、俺の手相を覗き込みながら、『あんた、生年月日は?』と訊ねてきた。
俺が自分の生年月日を答えると、今度は『奥さんの生年月日は?』と来たもんだ。
で、俺がえ~となんて言いながら間違えないように思い出して答えると、いきなりおばちゃん速攻で、『あんたたちは相性最高!まさに運命の人、今のあなたがあるのは全部奥さんのおかげ!』ときやがった。

そんなこと、おばはん、あんたに言われんでもワシわかっとりゃあすて。
こんな変な男と20年も一緒におって、なおかつ子供まで作ろうなんて物好きな女は、そうはおらんて・・・。それに俺は世間ではヒモと言われてるくらいの男だぜ。不遇なときも俺を支えてくれたのは、恥ずかしながらうちのカミさんだ。さすがは神秘的直観だな。

そうやってのっけに一発ぶちかましてから、おばさんやっと俺の手相を見ながら、『あなたは一生働き続けるわねぇ、ビジネスマンと言うよりワーカーねぇ・・・(冗談じゃないぜ、こんな苦行を死ぬまで続けるのかよ・・・)もっとも、家でもいろんなことに気が付いて、マメに動くタイプってことねぇ(あたってるわ、掃除洗濯は俺の担当だ)』なんて語り始めやがった。

『生命線も長いし、副生命線もしっかりしてるから、先祖の守りもあって健康ねぇ、お金にも不自由しないし…』
『いやいや、待ってくれ、いつも金が有り余ってるなんてことはないぜ』とやり返すと、おばさん『あなたの場合は稼いでお金を回していくってこと。でもそろそろ子供も生まれるんだったらためたほうがいいわね・・・人の上に立って面倒見もイイ、情も深いし、優しいようだし、独立心も旺盛ねぇ・・・。』

『いや、それは当たってると思うけど、子供はどうなの、無事生まれるのけ?』そう、それが一番の気がかりだ。
『子供は無事に生まれますねぇ』取ってつけたようにというか、さも当然といった風に言ってのけやがった。
『そりゃよかった。他に何かないのかねぇ?・・・例えばそう、女難の相とか出てないの?』そう聞くとおばさん、ぎろりとメガネの奥の目を光らせてきやがった。そろそろ本気か?

波乱万丈な男の往く手には、魅力的な女がごろごろしていて、イエス様を誘惑した悪魔みたいにいろいろちょっかいかけてくるもんだろう?そうでなくっちゃ、男の人生に退屈しちまうぜ!
まぁ、いままでそんなことなかったけど、これからあってもおかしくはないだろう?HEY!どうなんだい!

『あんたさっき、車の事故って言ったわねぇ。占いじゃ車でも列車でも、飛行機でも女を意味するものなのよ。それで事故が続いてるってことは、あなた、いい奥さんがいるのに他所に女性とかいるわけ?』と、いきなりスゲーことを聞いてきやがった。

そんなにモテモテなら俺の人生、もっと愉しいだろうよ!

そんなこんなで、明日(というかもう今日だな)早起きして、6時には現場に行かないとならないからな、続きは明日だ。

読者諸君、失礼する。次回、スパークス、憧れの女難の相の巻きだ。しかし、その裏に金難の相が出ていたのだった。

2015/03/10

Post #1434

Istanbul,Turk
俺は別に、善人だと思われたくって毎日こんなことやってるわけじゃないんだ。
俺は自分が善人にも悪人にもなりきれない、非善非悪の中途半端な男だってわかっている。
解かっているけれど、自分に対して、こうあるべきだと思うことは、やらずにはいられない。
でないと、俺は俺じゃなくなってしまうんだ。
いつだって、君たちに恥ずかしくないゴールデン・ハートの漢でいたいのさ。

さて、今日も昨日の続きだ。イスラームについてもう少し突っ込んでみよう。
今日はその成り立ちだ。

イスラームは一人の預言者によって打ち建てられた宗教だ。

その預言者の名はムハンマド。西暦567年から572年頃に、メッカで生まれた彼は、その地を治めていたクライシュ族の有力氏族の一員だった。6歳で両親を失うが、祖父や叔父の手で育てられ、25歳で裕福な寡婦ハディージャの使用人になり、数年後彼女と歳の差を押して結婚した。

当時のメッカは、昨日も少しふれたセム族的多神教世界にどっぷりで、アッラーは世界を創造した神とされてはいたが、人々からあまり祀られていない神だったようだ。
今日もイスラームの聖地とされるメッカには、カァバの聖所があり、その一角には天から降ってきたとされる黒い石がはめ込まれている。

西暦610年頃、ムハンマドに神からの最初の啓示が降る。
伝承によれば、啓示に先立つ長い間、彼は洞窟や人里離れた場所で、修行を行っていたという。
この行いは、アラビア土着の多神教世界では異質なものだったという。ムハンマドは、各地を旅した折に、キリスト教修道僧の評判を聞いたり、直接会ったりして、彼らが行っていた祈りや瞑想に強い印象を受けていたのだと推測されている。
また、メッカには当時、多くのユダヤ人も暮らしており、その習慣や儀式も広く知られていたという。

最初の啓示について、クルアーンは次のように伝えている。
『力を持てる者(天使ジブリール)が威厳に満ちて立った。その時彼(ジブリール)は地平の最も高い所におられた。それから近づいてきたが、空中に浮いたままであった。(中略)そして僕(しもべ=ムハンマド)に、その啓示を示された。』

天使ジブリールは、神とムハンマドの仲介者なのだが、このジブリールというのは、実はキリスト教やユダヤ教にも登場する。ジブリールとは大天使ガブリエルのアラビア語読みなのだ。
ここにも、イスラームとキリスト教、ユダヤ教の近しさを見ることが出来る。
実際に、イスラーム教では、モーゼはムーサー、イエスはイーサーとして語られ、ムハンマドへと続く預言者の系譜に連ねられている。
ムハンマドは、多神教世界からアッラーを切り離し、アブラハム以来の宗教的伝統の中にイスラームを統合しようとしたのだ。

伝承では、アラビア人ってのは、アブラハムの子孫だとされている。
アブラハムは80過ぎて子供がなく、当時75歳だった妻のサラは、若いエジプト人女奴隷のハガルをアブラハムにすすめた。
そうしてハガルから生まれたのがイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)だ。
後に正妻のサラに、彼女が90歳を超えていたにも関わらず、子供が出来る。アブラハム自身もそんなことあるわけないって笑ったのにもかかわらず、神は出来る!と断言したので、出来ちまったわけだ。それなら、俺もまだまだ子供を作ることが出来る気がするぜ。まぁ、こうしてできたのが有名なイサクだ。
このため、ハガルとイスマエルはアブラハムの元を追われ、新しい部族を打ち建て、その子孫がアラビア人になったと伝承されている。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教は俺たち日本人には解かりにくいけれど、実はいとこ同士みたいな宗教なわけだ。現在もなお、この3つの宗教を指して、『アブラハムの宗教』と呼ぶ。

三年ほどの間、ムハンマドはその妻ハディージャとその他数人にしか神の啓示を伝えなかった。
612年、ムハンマドは啓示を公にするよう命をうける。
『神(=アッラー)よりほかに神はなし!』とムハンマドは宣言することとなった。とはいえ、この時点ではムハンマドは、新しい宗教を打ち建てるつもりはなかった。彼はただ、仲間の市民を『目覚め』させ、アッラーのみを崇拝するように説得したかったに過ぎないのだという。
というのも、人々は既にアッラーを天地の創造者にして豊穣をもたらすものとして認めており、祈りを捧げ、最も厳粛な誓いはアッラーにかけて宣誓していたのだから。

当時メッカを支配していたクライシュ族の有力者は、ムハンマドの言う異教、つまり伝統的な多神教を放棄することは、そのまま自分たちの特権を放棄することを意味していたし、ムハンマドを真の神の使徒と認めることは、そのままムハンマドを政治的な最高権威者として認めることになるので、大いに反発した。
ムハンマドのグループは迫害され、各々の部族から追放された。
結果、ムハンマドの一統は秘密裏にメディナへと遷り、ここを基盤にして、イスラームの教義は固められ、部族的な性格から、部族を越えた信徒共同体(ウンマ)へと昇華していくこととなったわけだ。
この時期、ムハンマドはメディナのユダヤ教徒もイスラームの教えに改宗させようと試みている。この時期、ムハンマドはムスリムが祈りを捧げる方向をエルサレムの方角に定めていた。
ここでも、ムハンマドは自らを旧約聖書の数々の預言者の系譜に連なるものとして語っているわけだ。
しかし、それは結局決裂した。ムハンマドのもとには、祈りを捧げるのはイスラエルではなく、カァバ神殿のあるメッカとすべきという啓示が下り、ムハンマドはメッカ回帰を決意して、数々の戦いを当時の主要部族と繰り広げることとなる。
西暦630年には、メッカはムハンマド率いる1万名の軍勢によって無血占領され、偶像はすべて破壊され、多神教徒が持っていたすべての特権は廃止された。
翌年、ムハンマドは新たに下った啓示を根拠に多神教徒に対する全面戦争を宣言した。これが、今日まで続くイスラム国などの問題の発端といってもいいだろう。
632年。ムハンマドはメッカへの最後の巡礼を終えたのち、愛妻アイーシャの腕の中で息を引き取った。

イスラーム教原理主義者は、ある意味で未だに、ムハンマドが生きていた部族社会のなかで、絶対の信仰を守り抜くべく闘っているのだろう。
しかし、彼らが生きているのは7世紀のアラビア半島ではなく、21世紀の世界そのものだというところに、解決しがたい問題の根があるように俺には思える。

読者諸君、失礼する。何かを知ることは、実りをもたらすばかりではない。知れば知るほど、解からなくなることだってあるんだ。しかし、知らないよりは知っていた方がイイ。これは絶対に間違いないって断言するよ。

2015/03/09

Post #1433

Istanbul,Turk
イスラム国の蛮行が続いている。
今度はシリアやイラクで、紀元前の世界遺産の遺跡を完膚なきまでに破壊しているのだそうだ。
イスラム教成立以前には、今日中近東と呼ばれる地域には、セム族系諸族(現在もあの辺に住んでいる中近東の諸民族の大きなグループだと解釈してね)の間にひろくみられた、多神教文化が根付いていた。
イスラム教が好戦的な性格を持っているのも、この多神教文化の地域に、多神教の伝統を否定する形で突如として出現し、短期間にそれぞれの神々を奉じる部族や民族、国家を戦闘によってのみ込む形で成立していったからだ。不信仰者たちの改宗を目的としたその戦いは『聖戦』つまり『ジハード』と呼ばれる。
それによって部族や民族を超えて形成されるイスラーム教を基盤とする共同体をウンマ(イスラーム共同体)と呼ぶわけです。

イスラーム教、そしてそれに先行するセム族の宗教、つまりユダヤ教、キリスト教は偶像崇拝を認めていない一神教だ。
インドから東に住む俺たちは、神の具体的な姿を形に表し、それを崇拝するということが大好きなんだが、彼等一神教の人々は、とりわけユダヤ教徒とムスリムには、神聖なものを人間が形に表すことは許されないと考えているんだ。

だから、フランスのシャルリー・エブド襲撃事件のような事態が起こる。

全能の神が遣わした最高の預言者、ムハンマドをいささか滑稽な容姿の人物として描くことは、ムスリムにとっては、その神聖さを否定する蛮行以外の何物でもないわけだ。
俺もかつて、翼の生えた牝馬に乗って天上に上ったムハンマドを描いた宗教画を見たことがあるけれど、ムハンマドの顔は何も描かれてはいなかった。
のっぺらぼうなのだ。
この宗教的な主題は、ムハンマドの宗教的正当性を示す非常に重要な場面なんだけれど、それでも決して顔は描かれていない。何しろ、ムハンマドは西暦567年から572年ごろにメッカで生まれた人物で、その経歴は他の世界宗教の開祖(キリストやモーゼやお釈迦様)と違って、はっきりわかっているにもかかわらず、その肖像画は一切伝えられていないのです。

今日まで続く一般的なイスラーム根本的なテーゼの第一には、タウヒード、つまり『神の一性』といことがあります。これを手元にあるミルチア・エリアーデの世界宗教史Ⅲ第35章『イスラームの神学と神秘主義』(P139)から引用してみますか。

『神は唯一であり、神に似るものは何もない。神は物体ではなく、実体ではなく、偶有でもない。神は時間を超越している。神は或る場所とか或る存在者のなかにすまわれることはありえない。神は被造物がもついかなる属性や性質の対象ともならない。神は条件づけられることも限定されることもない。産むことも産まれることもない。〔・・・・〕神は先在する原型も助力者もなしに世界を想像された」

うむ、これでは神の似姿など作りようもない。
イスラーム教においては、神の存在は極限まで抽象的なレベルに押し上げられている。
その代り、モスクの中に入るとタイルによって無限を感じさせるように複雑に構成されたアラベスクや、天蓋から差し込む美しい光によって、否が応でも神の聖性や無限性を感じることが出来る。
俺は、イスタンブールのブルーモスクなどに足を踏み入れ、何度かそれを感じたものだ。

このように、日本人の宗教観からはかなり隔たっているのでいろいろと分かりにくい。この違いはどこから生じたのか?

砂漠だからか。

イスラーム教が生まれたのが、見渡す限りの砂漠と空しかないような苛烈な土地であったからではないか。川が流れ、森が人々を抱くようにして存在するインド以東の土地では、宗教は自然の似姿で、川には川の、森には森の、山には山の神々が宿っていた。
すでに神は、具体的なモノとしてまず俺たち人間の前に存在する者だった。

しかし、苛烈な砂漠で生まれたイスラームの神は、あらゆる具体性を否定する。
そして、偶像は否定される。
それを原理主義的に解釈した結果、イスラム国は世界遺産の遺跡を偶像崇拝者の遺物として破壊する。タリバンの皆さんは、バーミヤンの石仏を爆破した。まさか君、忘れちゃいないだろう?
そのことの是非は、ここでは問わない。
しかし、一度失われたものは、二度とは戻らない。
もちろん、すべての善きムスリムが、彼らの原理主義的な蛮行を認めないのは俺にははっきりわかっている。
しかし、俺たちはもっとムスリムの人々がどのような宗教観を持っているのかくらいは知る必要があると思う。

読者諸君、失礼する。もう少し、俺と一緒に学んでみようぜ。

2015/01/31

Post #1396

Istanbul,Turk
詩的な言葉こそが、俺たちの生を荘厳してくれる。

取るに足らない無名の存在に過ぎない俺たちが、
詩的な言葉によって導かれる直感と喩で、
豊穣なイメージの世界に結び付けられる時、
俺たちは神話的な英雄の人生の
変奏曲を奏でる存在になる。
その地平では、俺たちは一人ひとりが困難な事業に挑む英雄だ。
周囲の無理解と、
自らのなかに渦巻く力強い衝動との相克に苦しみつつも、
自らの意志で生を紡ぐ一人の卑小にして誇り高い英雄として、
この人生のこの瞬間を全力で生きることが叶うのだ。


魂の熱くない奴は、それを鼻でせせら笑っていればいい。
灼熱の人生の肌を焼かれるような痛みと、裏腹の心地よさは、奴等玉無し野郎には想像もできない。


今日もまた、事勿れ主義の玉無し野郎どもが、俺を追い詰める。
俺の仕事場は、俺にとっては漢の戦場だ。
事実、一つ間違えば、命すら危ういんだ。
命の危機はシリアの砂漠にだけあるわけじゃない。
自慢じゃないが、俺は一騎当千の逸材だ。
半端な奴じゃ、俺には着いて来られやしない。
俺の仲間の漢たちは、みんなわかってくれている。
それが解からない奴らが、俺を追い込もうとする。
奴等は、自分の力で勝負しない。
奴等は、自分たちは安全なところに隠れているだけ。
奴等は、面と向かって俺には何も言えない。
そして、物陰から俺の背中に陰湿な矢を放つ。
俺は、赤い目を怒らせ、唇を噛みしめる。
俺の爪は、握りしめた掌に食い込むだけ。
狼は、狡い狐の罠に追い込まれる。
奴等の代わりはいくらでもいるが、俺の代わりはどこにもいない。俺の歯は、噛みしめ過ぎてボロボロだ。

臨むところだ。
受けて立ってやる。

読者諸君、失礼する。デカくて光るタマタマを持ってるが故に、俺はこのセコイ世の中を生きるのが苦痛なのだ。

2015/01/25

Post #1390

Istanbul,Turk
どんな宗教でも、神の持つ超越性ってのは、人間には望んでも得られないものだから、痺れまくるのはよくわかります。痺れるような演出も、たくさん用意されていますしね。
痺れまくるのはそれぞれのお計らいなんで、俺如きがとやかく申すべきことでもござらぬが、実はそれには秘密があることを忘れちゃならないって思います。
というのは、どんな神も本当は、人間によって生み出されてきたという、秘密です。

大きな声で言うと、世界中から袋叩きにあいますので、ささやかに言っておきますが、ニンゲンの思考によって神は生み出されました。

これは間違いない。

もしこの宇宙に神仏が存在するとしても、俺たちにはその存在を感知することなんて、絶対に出来やしないだろう。だから、百歩譲っても、俺たちが神仏と呼ぶものは、そういった存在があるであろう方向を、何となく指し示す指のようなものにしか過ぎないんだと思う。

ニンゲンによって生み出された神の栄光のために、人間を損なう、殺すってのは、本末転倒なことなのではないでしょうか?


イスラム国に囚われていた湯川さんが、どうやら殺されたようだ。
かつてミリタリーショップを営んでいた男が、何がどう間違って、分不相応な考えに取りつかれ、場違いなところに赴き、挙句命を落とすことになったのか?

確かに、彼のその行い自体は、理解しがたいものがある。
しかし、俺自身の心の中をのぞいてみれば、自分の日々の暮らしに、心のどこかで『ここじゃない、これじゃない』という違和感を抱えていることがわかる。

それから類推すれば、もし何らかの契機・機縁があったならば、そこで囚われ殺されていたのは湯川氏ではなく、俺自身だったかもしれないのだ。

また、ほぼ同年代の後藤氏に関しても、俺自身が、人生のもう少し早い時期のどこかで、写真に出会い、これを生涯の仕事として一歩を踏み出していたら、生命の緊迫を強いられるような状況で写真を撮り、取材するという稼業に身を置いていたかもしれないと思うと、他人事とも思えない。

なんとも複雑な気分の日曜日の朝だ。
誰もかれも安全なところで、持論を垂れ流している。朝から胸がムカムカしてくる。プリキュアでも見ていた方がなんぼもましだぜ。

読者諸君、失礼する。俺は神様も国家も御免蒙る。ズバリ!素敵な女性の夢でも見ていたいのさ。不謹慎?望むところだ!

2014/12/21

Post #1355

Istanbul,Turk
風邪で不如意な身体を横たえ、いろいろと夢想する。
頭をよぎるのは、街で見かけたちょっといい女か。カミサンは、俺を置いて出かけている。夜の仕事までの退屈しのぎに、自分の中で妄想してみる。


初めて抱きよせて、口をつけた途端に感じる唇の柔らかさ。
その味は、なにより甘い。
抱きよせている腕に、力がこもる。
思わず、『人生が狂っちまったら、どうしよう』と口にしてみると、
あなたは呆れたようにくすりと笑って、『そんなことあるわけないじゃない・・・』ともう一度唇を重ねる。

けれど、俺という人間は、骨と血と肉だけじゃなく、出会った人の思い出でできている。
あなたのことを知ってしまったからには、もうさっきまでとは、すっかり違う自分になっているのだ。
俺そのものが変わってるんだから、人生なんて狂っても、おかしくないだろう?
本当の人生は、道を踏み外したときにはじまるものさ。

たわわな胸に顔をうずめると、息すらできないほど。
苦しくなって、ふと、このまま死んでしまうんじゃないかと不安になるが、
それならそれも悪くない。
男として、女性の胸のなかで息絶えるのは、本望だ。
耐えられなくなって、顔をはなしておおきく息を吸い込むと、
甘い体臭とほんのりとした汗の香りが鼻をくすぐる。
そのまま崩れ落ちるようにして、小さなおへそ、そして柔らかく湿った茂みの奥に・・・。

そこにするりとすべり込ませて、そのまま四肢に力を込める。
繋がったままに抱き上げて、生きている人間の重みを確かめるのさ。
あなたは途端に子供のように怖がって、おろしてほしいというだろう。
そして、少し恥ずかしそうに、『重いから…』っていうのさ。
その重みこそが、生の証しだと俺は知っているんだ。

愉悦に眉間は寄せられて、口は開く。その中で舌が小さな蛇のように、俺の舌を待ち受けている。
そんなあなたの顔をながめて、俺は思わず心の底から『かわいいなぁ…』とつぶやく。
あなたはそんな表情のまま、小さく首を振り『かわいくないよぉ・・』と返すのさ。

あなたが自分のかわいらしさを、しらないんだとしたら、残念だ。世界的な損失だ。
それとも照れてるだけなのか?
若さと美しさに溢れた年月は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
その絶頂の愉悦の表情を、愛おしく思わない男なんて、俺からすればつまらぬ奴さ。

楽器を奏でるように、あなたに声を出させる。
後ろから見ると、まったく素敵な曲線で、ヴァイオリンかスポーツカーのようだ。
象にも駱駝にも乗ったことのある俺だが、それ以上に揺れている。
テンポをあげたその果てに、『もう行くよ』といえば、
あなたは『そんなこと、いちいちゆうなぁ・・』って唸るように声を絞り出す。
それすらも、可愛らしい。

枕語りに、『君と一緒に、旅してみたいよ』といえば、
やんわり断った心算だろうか、『あたし、外国の食べ物はあわないの・・』

俺は天井を見上げつつ、自分の旅してきた道程を想い出す。

虫たちの鳴き声しか聞こえないバリ島の、ヤモリが壁を伝うやさしい夜を。
昼となく夜となく、祝祭のような熱気に満ちたマラケシュの広場を。
どこまでも青く澄んだアドリア海に浮かぶ、水上の城のようなドブロブニクの街を。
イスラムの礼拝を告げるアザーンが、響きわたるイスタンブールの雑踏を。
どこまでも続く森のあいだ、無数の湖が宝石のようにきらめくフィンランドの大地を。
果てしなく続く雲海の向こうに、そびえたつヒマラヤの峰々を。

俺は、出来る事ならば、あなたに見せてあげたかったのさ。
見も知らぬ世界を渡り歩くことが、どれほどこの退屈な生の慰めとなることか。

どんな愉しい時間にも終わりは来る。
帰りがけ、あなたは俺に『忘れ物は?』と声をかける。
俺は、ポケットを探る。財布、携帯、煙草になんやかんや。
腕時計もしている。全て揃っている。
『忘れ物は、俺の心だけです』と言えば、
あなたは気の利いたジョークだと思って、笑ってくれる。
さようなら。
俺は車の中で、ほんのりと身体にしみついた、あなたの残り香を楽しむのさ。

けど、本当に俺は心を忘れてきてしまったのさ。
出来るなら、そんな俺の心を、あなたがそっと預かっておいてくれるとうれしいよ。

とまぁ、そんな品のない夢想を頭の中で繰り広げてしまった。
ちょっと面白かったので、忘れないように書き記してみた。
気分を悪くしたなら許してほしいぜ。

読者諸君、失礼する。俺はこれから病身に鞭打って、仕事に出かけるのさ。君たちが、これを読んで呆れるころには、俺はそんなこと思う余裕もなく、粉骨砕身、漢だらけの男祭りさ。

2014/11/28

Post #1332

Istanbul,Turk
今日は写真のみで勘弁させてもらおうかな。
俺には睡眠が必要だ。
今夜も含めてあと3日ほど持ちこたえれば、家に帰ってプリントできるさ。
古い写真を見ていると、今の自分の満足するレベルに達していないものがいっぱいあるんだ。とても君たちにお見せできないんだ。
だから早く仕事をやっつけて、家に帰って何日か引きこもってプリントしたいのさ。
そのためには、まずは今から眠って、今夜の仕事に備えるんだ。

読者諸君、失礼する。しっかり仕事を片付けてこそ、心置きなく道楽に没頭没入できるってものさ。

2014/09/24

Post #1267

Istanbul,Turk
本日、無為にして終わる。
ただ、換気扇の修理が終わったことには大きな意義があると言ってイイだろう。いつでもプリントが出来るってもんだ。
しかし、明日はまた夜通し仕事だし、明後日は夜仕事仲間と会食だしで、なかなかプリントはできそうにない。まいったなぁ…。
まぁ、どうせ大した写真なんて撮ってないことは、君たちが一番よく知っていることだろう。
そんなつまらん男から、今日はイスタンブールで出会った子供たちの写真をお送りしよう。
観光客に、その辺の野良猫を売りつけようとするような、おかしなガキどもだ。
そうして、やり手の商売人に育っていくことだろう。
逞しいもんだ。

読者諸君、失礼する。フラストレーションが溜まるなぁ…。

2014/09/09

Post #1252

Istanbul,Turk
今日から出張だというのに、朝っぱらから何件も仕事の引き合いの電話が入ってくる。
業界は深刻な人手不足だという。海にでも行って、ヒトデでも捕ってくるこった。特に、俺のようなフリーランスの監督は引手あまただが、残念ながら、どこも金額的には今一つだったりする。しかし、慢心油断は禁物だ。いつ、干されるか分かったもんじゃないぜ。カラカラの干物になっちまうのは、正直御免こうむる。今が絶好調なら、下り坂が待ってると考えたほうがイイぜ。俺は慎重な男なのさ。
とはいえ、金額的に今一つだったりするので、みな将来に絶望し、この業界に見切りをつけて去っていったのだが、人件費に対する圧縮傾向は未だに続いている。
需要と供給を考えてみれば、もう少し値上がりしてくれてもよさそうなもんだけれど、なかなか世の中そうはいかない。
まぁ、イイだろう。
俺は目の前の仕事を、一つ一つ手を抜かずにこなしていくだけだ。

読者諸君、失礼する。俺には義理も恩もない。ただ一番高く評価してくれる相手と組みたいだけさ。

2014/09/08

Post #1251

Istanbul,Turk
本日、特に言うほどのことも無し。
明日から新しい現場に乗り込みだ。どんなに小さな現場でも、乗り込む前には不安とおののきがある。まぁ、それはそれで悪い事じゃないけどな。

読者諸君、失礼する。この胸の内に去来する、わびしさは何なんだろう?

2014/09/06

Post #1249

Istanbul,Turk
フツーの写真の基準から言ったら、この写真は決していい写真ではないんだろうな。
画面右手になんか通行人の一部ががっつりと写り込んでいるしね。
けど、お父ちゃんの味のある表情と、子供の表情がね、捨てがたいわけですよ、俺には。俺はいつも言うように、いちいちファインダーなんか覗いて写真撮ったりしてないから、ネガが上がってきてから初めて気が付くわけ。そもそも、立ち止まって写真撮ること自体が少ないんだもんね、どうしようもないでしょ。
で、ネガを見るとどうしてもこういうの、プリントしたくなっちゃうわけです。
で、プリントすると、不味い写真でも君たちに見せたくなってしまうわけなんですよ。

上手い下手よりも、そういうのって写真にとって大事だと思えるんですわ。

その辺の感覚、解かってほしいなぁ・・。

読者諸君、失礼する。明日こそ、プリントするぞ!

2014/09/05

Post #1248

Istanbul,Turk
まるっとひと夏を費やした長い現場が、終わろうとしている。
やれやれだ。何とかたどり着いた。
一体どうなることやらと思っていても、結局なるようになるものだな。この宇宙というのは、そういうふうにできているわけだ。
さて、そろそろプリントしたいな。その前に、プリンターのインクを買って、請求書をつくって送りたいな。領収書も溜まっているから、帳簿もつけておかなけりゃな。
すぐに次の現場が始まるんだ。
うかうかしてるような暇はどこにもないんだ。

読者諸君、失礼する。明日くらい、久々にプリントしたいもんだな。そうはいっても、掃除から始めなけりゃならないし、薬品の調合もやらなけりゃならないから、結構骨が折れるもんだ。やれやれ、それはそれで気が重いぜ。

2014/09/02

Post #1245

Istanbul,Turk
着衣の女性の写真を撮影して、逮捕されるという事件が起こっているそうだ。警察が画像を確認したら、ブラジャーだのパンティーだのは写っていなかったそうだ。
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140831-00000001-a_aaac
11年にも、女性の後ろ姿を撮影した自衛官が、逮捕起訴され、最高裁!で有罪が確定しているという。意味が分からねぇ。俺たち市民の姿は、常にどこかの監視カメラで撮影されまくっているというのに。密かに映像の一元支配をもくろむ勢力が、世の裏側に潜んでいるんじゃないかって思うぜ。
冗談じゃない。
それで逮捕なら、俺は死ぬまで豚箱だ。
記事に出てきた弁護士によれば、服を着ていようが、着ていなかろうが、カメラを向けて恥ずかしい思いをさせたらアウトなんだとよ。どうにも生きにくい時代になったものだ。
阿呆じゃないか?
小娘どもは、へそ出し半ケツはみ出し当たり前で、親が見たら悲しくなってくるような格好で歩いているというのに、カメラを向けられたら恥ずかしいって、どういうことだよ?
カメラはむけられなくても、みんな見てるんだけど、それは恥ずかしくないのかよ?
そもそも、ファッションちゅうのは街という近代的な舞台が成立し、そこを行き交うものがある意味で役者として、見る=見られる関係性のなかに自分を繰り込むことで、成立し、意味を持ってきたものだ。
それを撮ってはいけないとは、どういう考えなんだろう?
それとも、自分自身の存在が恥ずかしいのか?
俺は今まで、散々他人の写真を撮ってきたけれど、街角でカメラを向けられたことも同じように多々ある。一度など、トルコの街角で携帯電話で話をしていたら、俺の周りに子供が寄り添ってポーズをとり、親が勝手に記念撮影していたこともある。
面白すぎて、ポーズを決めてやったよ。
なんたって、俺は自分に自信満々だからな。気にもならないぜ。

面倒臭せぇな。いっそ、我が国の小娘どもも、へジャブとかブルカとか着たらどうだ?よく見れば、これはこれで想像力が鍛えられる。目元や足首がちらりとのぞいただけで、興奮できるようになるかもしれないぜ。
まぁ、いまどきそんなこと言うと、世界中から袋叩きにあっちまうから、これぐらいにしておきますがね。
どっちにしても自意識過剰の小娘はかなわないよ。やっぱり女性は若くても25以上。出来れば子供の一人や二人産んで、あっちの方も脂が乗りきったくらいがイイんじゃないかな?話も分かるって気がするぜ。熟女キャバクラに人妻ヘルスが巷では大流行さ。

読者諸君、失礼する。因みに俺は、とっくに生理もなくなったようなおばちゃんや、棺桶に片足突っ込んだような近所のおばあちゃんに大人気だ。冗談じゃない。50年遅いよって言いたいぜ。

2014/08/23

Post #1235

Istanbul,Turk
いまいちいけ好かないところのある弟たちだが、それが何百万円も金を貸してくれと親父から頼まれたり、連帯保証人になってくれと懇願されたりするのを、黙って看過することはできない。
そこで俺は、今度こそ親父に引導を渡しに行くことにした。価値観の違いすぎる親父と、近くに住んでいながらも、親子としては距離を置いてきた俺だが、事業を清算し、負債を整理して、年齢相応につましく生きるべきだと、あえて言ってやろうと思ったわけだ。
俺の弟たちは、そうれを直言するにはいろいろと親父に借りがありすぎる。
商売の関係で親父のコネを利用している奴や、若いころにわがままを言って有名私立大学を中退し、これまた有名国立大学に入りなおしたりした奴、或いはこれまたわがまま言って国立の大学院まで行きながら、勉強についていけずに途中で断念し、学校で学んだことを実社会で一切役に立てていない奴らでは、引導を渡すことはできないだろう。
その点、俺は二十歳で家を飛び出してから、一切親父の世話になったり、借りをつくったりすることなく生きて来たからな、好き放題なんだって言ってやれるぜ。

で、親父の住処を尋ねると、親父は自分で作った晩飯をTVを見ながら食っているところだった。
そして、拍子抜けしたことに、親父自身から来月にでも事業を清算しようと思っていることを告げられた。
更に親父は、今回東京に仕事に行くついでに、埼玉の田舎に暮らす末の弟と福島で暮らしている下から2番目の弟を訪ねるつもりだといった。それは俺たちの予想を裏切り、金を貸してくれとかいう話ではなかった。
自分もずいぶん年を取ったので、子供たちのもとに出向いて父親として話し合い、お互いに理解するような機会は、もうそうそうないだろう。おそらく、自分の人生で最後になるかもしれない。自分は今まで、そんな話をすることもなかった。だから今更ではあるが、話しておきたいことがたくさんあるというようなことを訥々と話し続けた。
奇しくも、ここに来る直前に電話で話した福島に住む弟は、『いままで父親らしく接してもらったこともないのに、困った時だけ金を貸せと言われても、助けてやりたいとは思えない』と、一見当たり前のような、しかしどこか身勝手なようなことを話していたのと、俺の中で響きあっていた。
この親父自身も、今までの生き方を反省し、悔いているんだなと、俺は思ったのさ。

ならば、俺が言うことは何もない。俺は親父の話を聞き続けた。

親父の話は、終戦直後の混乱期まで遡った。
それは、終戦のどさくさに大陸から引き揚げてきたことに始まった。
戦後の混乱期に送った貧しい子供時代のこと。
物心ついた時から行商などで家族を養い、中学を出て働き始めたこと。
そして高度経済成長に歩調を合わせるように稼ぎまくり、自分の弟妹を学校に通わせたこと。
若くして土地を買い、家族を住まわせるために独立して家を建てたこと。
自分の父親(つまり俺の爺さんだ)の借金を肩代わりして返したこと。
俺を含めて4人の子供を私立の中高一貫校に通わる一方で、事業絶好調の最中に妻、すなわち俺のおふくろを癌で亡くしたこと。
バブル崩壊に伴い事業が衰退していったこと。
そして様々な幸運に恵まれ、往生際悪く、不景気のどん底を生き延びてきたこと。
そして、自分が世話をした弟や妹、そして息子たちが、自分に感謝してくれているように感じられない恨みつらみ。
それらのことを延々縷々と話し続けた。

俺は、そこに戦後の日本史を体現した人間の姿を見た。
そして、60年、50年前の出来事に、呪縛されている悲しい人間の姿を見た。
呪縛から解放されることは、自分の人生を否定することになるので、何時までもはるか昔に過ぎ去ったことにこだわり続ける哀れな男の姿を見た。

仕方ない。物心ついた時から、この人は金を稼ぐことしかやったことがないのだ。
銭金の絡まない人間の関係なんて、フィクションでしかないシビアな世界で、俺の父親が生きて来たのだということがよくわかった。
現代の普通の人間は、多感な思春期に友人との付き合いを通じて、社会性を獲得してゆくものだろう。
しかし、この人はそういうかけがえのない時期も、ただひたすら金を稼ぐために使い切ってしまったのだ。
人間性に偏りがあっても、仕方ない。
そして、そういう人間を生み出した背景には、戦後の日本の歩みが厳然として存在していることも、俺は直感的に理解した。

理解したならば、受け入れ赦すしかないじゃないか?

今まで俺自身も親父に対して、反発と軽蔑と相容れなさを感じていたのだが、それはとてもくだらないことだということが、すとんと腹におちるようにわかった。
それと同時に、親父が金儲けを諦めた途端、いっきに老け込み衰え、死んでしまう日もそう遠くはないんではないかと想像した。
何しろ、この人は金を稼ぐということ以外に、生きる術を知らないのだから。
俺のような道楽者が、よくもこの親父の種から生まれたもんだ。驚くぜ。
それはそうと、もし俺の考えが当たっているなら、葬式代をためておかねばならんだろうな。
しかし、大切なのは葬式のことではなく、如何に生きるかだ。生き直すかだ。
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよだ。

俺は言った。『親父はもう75歳だ。あと残された命がどれほどあるかわからないが、まぁ5年くらいだと覚悟しておいた方がイイだろう。その遺された時間を、悔いのないように、人間的に生きるにはどうしたらいいのか、それが大きな課題だって。』
親父にとって、その第一歩が弟たちのもとに赴き、話をすることなんだろう。結構なことだ。

俺は家に帰り、頑なに父親に会うこと拒み続ける弟に、この機会に会って、しっかり向き合ってやって欲しいと伝えたんだ。

読者諸君、失礼する。どこの家族にも、いろんなドラマがある。俺の親父は、弟と和解することができたろうか?和解ができたら、理解を深めよう。世界中の人にそれを言いたいよ。

2014/08/19

Post #1231

Istanbul,Turk
久々の休みだったが、汗みどろになって家の掃除をしていた。
プリントするのも億劫になるくらいの暑さだったので、掃除をしてみることにしたんだが、これまたとめどなく流れる汗に閉口したぜ。
掃除をなんとか終わらせ、コンビニにゆきチョコ最中アイスなんか買って、さてゆっくりするかとおもったんだが、ふと首にできものが出来ていて、俺、皮膚がんになってんじゃないかな?なんて思ってて、かみさんに病院に行くように言われていたことを思い出して、アイスを食いながら病院に行ったんだ。
病院はちびっこでいっぱいだった。まるで保育園だ。
子供たちが俺をもの珍しそうに見る。よく見ておけよ、君たちのお父さんだけが大人の男だと思ったら大間違いだ。世の中にはこのおじさんみたいな変なやつだっているものさ。
しかし、子供さんたちの好奇の視線にさらされて一時間以上も待っているのはしんどい。
思い付きで来ちまったから、何も暇つぶしになるようなものを持っていない。そこで、病院のすぐ隣にある行きつけの本屋にいって、何か読み物を物色することにした。

本日のお買いもの、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む失われた昭和』平凡社ライブラリー刊。気になるお値段1200円+Tax。

戦前から戦後にかけて活躍した在野の民俗学者宮本常一は、フィールドワークの資料としてその生涯に10万点を超える写真を撮影した。
宮本常一は、もちろん写真家ではない。だから、その写真は芸術写真のように美しくないし、往々にして、ピンとも甘い。また、路傍の石仏や集落に伝わる秘密の儀式のようなものもない。
では、何が撮られているのか。
当時の、つまり昭和30年代から高度成長期にかけて、急激に変わっていく日本のフツーの人々の生活の断片が、人々のいとなみが、なりわいが、執拗におさめられている。
宮本はそのほとんどを、フィルム一本で72カット撮影できるオリンパスペンで撮影していたという。それも足を止めてカメラを構えたりせず、ほとんど歩きながら撮り続けたという。汽車に乗ると必ず窓際に座り、車窓に流れる風景にレンズを向け続けたという。写真を上手に撮ろうという気はさらさらなく、メモの代わりに撮り続けたという。洗濯物を撮れば、そこに干された衣服から人々の暮らしぶりを推測し、家を撮影すれば、家の佇まいから村落の共同体がどのように機能しているかに思いを馳せたという。

宮本自身は自らの写真について、次のように語っている。
『フラッシュもたかず、三脚もつかわず、自分で現像するのでもなく、いわゆる写真をとるたのしみというものも持っていない。忘れてはいけないというものをとっただけである。だが三万枚(昭和42年の時点で)もとると、一人の人間が自然や人文の中から何を見、何を感じようとしたかはわかるであろう。そしてそれは記録としてものこるものだと思う。(中略)
ここにかかげる写真は一見して何でもないつまらぬものが多い。家をとったり、山の杉林をとったり、田や畑をとったり。しかし私にはそれが面白いのである。
そこには人間の営みがある。(中略)
だから私はそういうものを見のがすことができない。』

俺もまったくその通りだとおもう。
写真の撮影者の心象を被写体に仮託するのは、芸術的でどこか詩的な営みではあるけれど、写真の本来の機能に則せば、目に移ったものを記録として撮りまくるというのが正しいように思える。
そして、それを集積していけば、一枚一枚の写真の出来はどうであれ、そこには意味が生じてくるはずだ。
写真は、一枚で完結する芸術ではないのだから。
あくまでも、世界の断片を捕らえる装置なのだから。
出来る事なら、宮本常一のように旅をつづけ(その生涯行程は16万キロに及ぶという)、写真を撮り続けていきたいものだ。

因みにこの本、解説は森山大道。森山大道も宮本常一の写真に関して『しかし、こうして改めて見るとかなわんよ。それは、アプローチの方向とかいろいろ違うからいんだけど、でもやっぱりやられちゃってる感アリだなあ。もし宮本さんに都市も同じように撮られたら、僕ら本当にたまらんですよ。じゃあ「新宿撮ってみろ」なんて言ってみたいけどね。でも撮ったら負けたりしてね。え、そこまで撮るの、みたいなのを撮っちゃいそうでね。』と最大級の賛辞を送っている。

読者諸君、失礼する。皮膚がん?あぁ、別にどうってことないってさ。まだまだくたばりそうにない俺だ。もうちょっと写真でもとって遊んで生きていきますかね。

2014/08/13

Post #1225

Istanbul,Turk
最近のお買い物。

8月3日、ビックカメラ名古屋駅西店にて、モノクロフィルム、Ilford HP PLUS 400 135/36  7本。4,179円也。

8月8日、アマゾンにて、モノクロフィルム、AGFAPHOT APX 400 135/36 5本。4,050円也。

8月8日、同じくアマゾンにて、FUJIFILM 黒白単階調印画紙 フジブロ バリグレード WP 4号、六切20枚入、3パック。5,220円也。

8月9日、ビックカメラ.Comにて、中外写真薬品、フィルム印画紙用定着液、マイフィクサー 5L用 3本。2,455円也。

そして、寝付かれない時のための、ジン。タンカレー、アルコール度数47.5%。1,420円也。

タンカレーはおいといて、見事に写真関係のものばかり買っているんだけど、盆も正月もなく働き続けてるこの俺、いったい全体、いつになったらこいつらを使い倒す楽しい日々がやってくるのだろうか?

サウナのような蒸れた空気のなかに、どこか淫靡な趣さえ漂う赤い暗室照明を浴びての難行苦行。
炎天下、カメラとペットボトルを携えて、何の当てもなく次の路地を曲がると決め、偶然目についたものを掠め取るように撮影するアーバンハンティング。

そんな楽しい日々が巡ってくることを夢見ているのに、実際に眠ってみる夢は仕事の夢ばかりといったていたらくさ。やれやれ。もっともっとクリエイティブで行き当たりばったりに暮らしたいぜ。

読者諸君、失礼するずら。これからさくっと洗濯物を干して、夕方からの仕事に備えて、汗かきべそかき眠るとするぜ。いったいいつまでこんな生活を続けるつもりなんだろうな?たまらないぜ。