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| かつての近江商人の発祥地の一つ近江八幡にて |
しかし、あれはほんの小手調べ。おさわり程度だ。今日はもう少し突っ込んで考えてみよう。
もちろん俺は行財政の専門家ではないので、まったく見当違いのことを考えてしまう可能性もある。それは許してほしい。なんてったって、俺は単なる道楽人=ディレッタントなんだから。
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| 熊野 七里ヶ浜 |
この制度や習慣を日本人が模倣しなかったのは、古代は双系核家族、中世からは直系家族であったから、そもそも女性の地位が相対的に高かったし、そもそもの社会の基盤が遊牧民的な共同体家族システムではなったかからだろう。
一言で言えば、日本人はつまるところズバリ倭人だったからだろうね。
この「なぜ日本は人間家畜化OSを拒絶できたのか」という、日中の分裂生成過程の決定的な分岐点をまとめてみよう。
*そういえば、その日本で日本人を劣等人種として徹底的に肉体改造する猟奇SF小説『家畜人ヤプー🔗』が書かれたのは、この肉体改造による管理って考えが、日本人にとっては徹底的に相いれないものだったからかもしれないな。
1. 「古代の双系核家族」が守った女性の自律性と地位
中国が周・漢の時代からコツコツ強化し続けた強固な共同体家族システム社会となり、女性を「男の家系を維持するための繁殖用の資源(家畜)」とみなしていったのに対し、古代の日本(倭人🔗社会)は「双系核家族」だったのは、すでに以前、読者諸兄諸姉と話し合った通り。
そこは、男女がフラットな「双系」の倫理が息づく社会だったんだ。2. 「中世の直系家族」への移行:家の「継続性」を支えるパートナー
中世(鎌倉・室町時代)以降、日本はトッドの言う「直系家族システム」へと移行しますが、ここでも中国の共同体家族のような「人間家畜化」へは向かわなかった。ついでに言えば、凶暴な首狩り狂戦士・鎌倉武士たちが鋸挽🔗のような、なかなかエグい刑罰を考案しても、中国の凌遅刑🔗の凄まじさには全くかなわなかったしね。
3. 「百越(倭人)」のレガシー:自然(野生)との融和
そして最も深い本原論の核心が、日本人のルーツの双系社会的な氏族社会だったと推測される縄文の人々と混交していったのが、西方や北方の遊牧民の社会システムを実装した漢民族ではなく、長江流域から海を渡ってきた「百越🔗(ひゃくえつ)」に極めて近い倭人であったという点だ。
家畜管理をしない「農耕・海民」の視線と身体の野生(自律性)の死守![]() |
| 白菜・近江八幡 |
さて、仕事が暇だから今のうちにせっせと進めよう。人生は意外と短いんだ。
武家政治による「直系家族」の西日本席巻
鎌倉幕府の成立(1192年)と、それに続く「承久の乱(1221年)」こそが、この関東発の直系家族システムが西日本を肉体的に席巻していく決定的な契機だったことは昨日話した通りだね。
この承久の乱を境にして西日本を支配していた朝廷側に勝利した鎌倉幕府は、西日本の数千箇所にのぼる没収領地に、関東の御家人🔗たちを「地頭🔗」として大量に送り込んだんだ。これを『西国補任』というんだけれど、これによって流動的でアノミーだった西日本の貴族社会・農民社会の上に、自分たちの生み出した直系家族システムのOSを西日本にインストールすることになったって寸法だ。
その後、室町・戦国時代を経て、江戸時代に施行された檀家制度🔗、明治の旧民法🔗の家父長制🔗で、この武家型直系家族システムが日本全国の「スタンダード」へと定着していくことになったわけだ。もちろんこれはアウトラインをなぞるだけの大雑把な言説だとは理解しておいてほしい。あくまでフレームワークだ。俺は学者先生じゃないんでね。
日本独自の「ハイブリッド直系」
中国が「秦によるスキタイ起源の遊牧民の家族システム導入」によってキメラ🔗=饕餮🔗化したのに対し、日本は「関東武士という内部のフロンティア」から湧き上がった直系家族のエネルギーが、西日本のアノミーな古代社会を征服・統合していくという独自のプロセスをたどってきた。
だからこそ日本の直系家族は、朱子学🔗による純粋培養の直系社会の朝鮮とは異なり、血統の純血性よりも「イエ」という経営体の存続を最優先し、優秀な養子を柔軟に受け入れるという、西日本的なアノミー・流動性のDNAを内包した「独特の強靭な直系家族」として完成したと言えるだろう。
この独自の着地を遂げたからこそ、日本はのちに西欧(こちらも直系ないし核家族の系譜)と同様に、単独相続による資本の本源的蓄積や、老舗企業の多さにもみられる家業の永続性、そして近代化へのスムーズな適応力を手に入れることができたと考えることができるだろう。
おそらくそれは、もともとのアノミーな土台があったからこその『ご都合主義的なアレンジ』だったんだろう。つまり本来が「流動的で柔軟な双系社会」であったからこそ、日本は大陸のイデオロギーを都合よく取捨選択し、血縁に縛られない「経営体としての直系家族(イエ)」という独自のシステムを構築・着地させることができたちゅうことだわ。
もし、日本が最初から強力な父系原理を持っていたら、大陸の儒教を教条主義的に—それこそ朝鮮半島のように極端な形で—受け入れるしかなかっただろう。
けれども、縄文+百越🔗の双系核家族の柔軟な土台があったからこそ、日本はきわめてプラグマティック(実利主義的)な大改造を行えたんだと俺は考えているんだ。
1. 血縁の「ゆるさ」がもたらした柔軟性
古代日本の双系社会では、血統は父からも母からも辿れる曖昧なものだったんだ。つまり、「血統の純血性」に対する執着が、大陸や半島に比べて最初から圧倒的に希薄だったんだ。
だからこそ、中世に「単独相続の直系家族」へシフトする際、「血のつながった実子」がいなければ、他所から優秀な人間を連れてきて「養子」にすればいいという、とんでもなくドラスティックな割り切りが可能になったんだな。
天皇家に後継ぎがいなかったら、600年も前に分かれた分家から養子を連れてこればいいって考えとどこか通じるなぁ。
もしこれが、血縁を絶対視する強固な父系社会であれば、血の混じらない養子は一族の祭祀を汚すものとして絶対に許されないだろう。というか、そんなもの、発想さえされないだろう。実際に韓国や中国では、一族以外の養子は厳しく排除されていた。諸葛孔明🔗も、敵対する呉に仕えていた兄の諸葛瑾🔗のもとから次男を養子を迎えているんだ。
2. 「双系」から「単独相続」への構造変換
双系的な核家族社会における平行・交叉いとこ婚の頻発は、「身内だけで財産や権力を囲い込む」ための防衛策でもあったわけだ。余談ながら俺の親類にも母方交叉いとこ婚の家庭があるけど、別に財産も権力もない。ただ、その受容をめぐって、容認派と否認派の断絶が数十年続いているだけだ。
この現状に、大陸から入ってきた「一系に絞る直系家族システム」という観念が結合した時、東国で過酷な現実と格闘する武士たちは気づいちゃったんだろうな。「いとこ婚で必死になって掴んだ財産をこねくり回すより、優秀な一人の後継者に全財産を単独相続させ、残りの兄弟は外に出したり、家臣にする方が、組織としてイケてるんじゃね?」って。
このダイナミックな方向転換ができたのは、古い血縁ルールが双系的で固定化されていなかったからだって言えるだろう。
3. 「神道(アニミズム)」という混沌なOSの持続
精神性の面でも、アノミーな土台は生き続けた。
中国の儒教は「先祖の血(祖先崇拝)」を絶対的な宗教としたけども、日本は大陸の儒教や仏教を入れつつも、土着の「神道(八百万の神)」という、ほとんど無秩序で何でもありの多中心的な宗教観を捨てなかったんだ。
おかげさんで、社会が「儒教の教え(=血縁絶対主義)」に100%染まることもなかったし、儒教の「直系・長幼の序」という便利な『統治の型』だけを道具として利用し、中身は日本独自の「家の存続第一主義」にカスタマイズすることができたという筋書きだ。
もっと突っ込んで言えば、分裂生成って考えがここでも作動してるんだ。
つまり、朝鮮半島や中国南部との差異化を図るために、あえてその融通性の高いシステムを採用したとも考えられるだろうな。『俺たちは、一応文明人だけど、あいつらとは一味違うんだ』って奴だ。
4.家督の単独相続と分家という名の細胞分裂
中国の共同体家族は、息子全員に財産を分けるため、一族の土地がどんどん細分化され、全員が貧窮化するか、あるいは巨大な宗族の中に留まり続けるしかなかったんだ。共同体家族システムそのものだ。
一方で、日本の「アノミーから着地した直系家族」は、驚くほどシステマチックに社会を新陳代謝させることに成功したんだ。
後継者(主に長男)が「家」の苗字と財産を丸ごと継承する。次男以下は、そのまま家に残れば「家臣」や「使用人」あるいは「部屋住み」ってニートみたいなもんになるしかないんだけど、経済的余裕があれば、新しい土地で「新しい苗字」を名乗って独立、つまり分家することもできたんだ。ラーメン屋ののれん分けみたいなもんだ。
しかも、こうして分家した瞬間、なんと元の本家とは「別の直系家族」としてカウントされ始めるんだ。この「苗字による分化 = 新しい直系家族の誕生」というプロセスが無限に繰り返され、社会全体が自立した中小の「経営体(イエ)」の集合体へと再編されていったわけだ。
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| 熊野速玉大社 大楠 |
すでに亡くなって30年以上になるが、彼を超えるような作家はもう出てこないんじゃないかと思っている。とりわけ、『岬🔗』、『枯木灘🔗』、『地の果て 至上の時🔗』、『千年の愉楽🔗』などの路地サーガともいうべき、熊野の被差別部落・路地を舞台にした一連の作品群は、重金属を無理やり飲み込まされるような強烈な世界観を持っている。
中上健二の路地サーガに出てくる主人公の秋幸は、『茨の龍』といわれた悪党・浜村龍蔵という無頼漢の息子だ。しかし、母親は龍蔵に他の女がいたため、父親のちがう兄や姉たちを連れて、別の男と所帯を持つ。これは昨日話した、現在進行形の日本の家族形態の崩壊状況とそっくりだな。この一連の路地サーガ、特に『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』は中上健次自身の人生を下敷きにしている話だとされているんだけれど、主人公の秋幸は、この町を陰から支配する蠅の王とも呼ばれる本当の父親に反発しつつ、否応なくその人生と絡み合って物語を織りなしてゆく。
そして秋幸は、第一作『岬』では、娼婦としてはたらく腹違いの妹さと子と交わる。第二作の『枯木灘』では腹違いの弟である龍蔵の息子を殺す。さらに第三作目では、父親である龍蔵を自殺に追い込み、自らの出自であった被差別部落の跡地に火をつけ、煙のように消えてしまう。
この陰惨で豪壮な神話的なエピソードは、俺には太古の家族構造を反映してるように思われる。
とりわけ、主人公・秋幸が実父である浜村龍造に、腹違い(異母)の妹・さと子と関係を持ったことを告げ、復讐したような気分になったとき、龍蔵自身は、そんなことをまったく気にする風でもない。まさに古代日本の「同母不婚・異母可婚」という、混沌とも言える太古の家族構造・神話的タブーの記憶を完璧に反映し、現代に召喚した文学的トポスだ。
ここに俺は、日本神話の原型を見る。
古事記に描かれた国生みだ。伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)は、その名前の相似形から兄妹神と考えて間違いないだろう。『古事記』はイザナミの呼称を「妹」と記すんだけれど、「妹」という文字は「イモ」と読み、上代日本語では愛しい女性への呼称とされているよね。だが、碩学西郷信綱🔗先生は『近親相姦と神話—イザナキ・イザナミのこと』(『古事記研究』、1973年)で、これは文字通り解するべきであり、日本は兄妹の近親相姦によって創造されたとする記録なのではないかと論じているんだ。ほかにもこの説を補強する研究はあるんだけれど、煩雑になるのでここでは端折っておこう。
イザナギとイザナミの神話は、比較神話学において「洪水型兄妹始祖神話🔗」、あるいは大洪水に限らない広義の「兄妹婚型始祖神話🔗」という世界的な神話類型に深く合致しているとされているんだ。この類型に当てはまる具体的な根拠と共通点は以下の通りだ。
1. 世界の混沌・未完成状態からの出発
多くの兄妹始祖神話では、大洪水などの災害で人類が滅亡し、生き残った兄妹だけが取り残された状態から始まるとされる。
『古事記』では大洪水こそ起きていないが、世界はまだ固まっておらず「漂える脂のよう」な混沌とした状態だったわけだ。そこに二神だけが降り立ち、国造りを始めるという状況設定が共通しているといえるだろう。
2. 「近親相姦(兄妹婚)」のタブーと儀礼
人類が兄妹しかいないため、世界の再生には兄妹での婚姻(近親婚)が不可避となる。これは仕方ないな。
しかし、ここには強いタブーが伴うんだ。
神話の共通パターン:としては、兄妹が結婚しようとする際、天の意志を確かめる儀礼やテスト(山を回る、火を飛び越えるなど)が行われるんだ。イザナギ・イザナミの例でいえば、 二神は「天の御柱(みはしら)」を左右から回って出会うという儀礼を行うことになってるんだよね。このパターンにばっちりだ。
3. 最初の失敗(不完全な子の誕生)
兄妹婚のタブーを犯したり、儀礼の手順を誤ったりすることで、最初に「不完全な子供」が生まれてしまう点もこの類型の大きな特徴だ。
世界各地の神話:では肉の塊や、手足のない子が生まれて川に流す描写が多く見られる。
イザナギ・イザナミの例では、女神であるイザナミから先に声をかけたため、不完全な子である「蛭子🔗(ヒルコ)」や「淡島(アワシマ)=淡路島」が生まれちまったんで、葦の船に乗せて流してしまう事になるんだ。この蛭子こそ、大漁の神様七福神でおなじみの恵比寿🔗さんだ。蛭子能収🔗じゃないぜ。
4. 儀礼のやり直しと世界の繁栄
占いや天神の教えによって儀礼を正しくやり直し、そこからようやく五体満足な子(=新しい人類や豊かな国土)が生まれて世界が再生に向かうことになるんだ。
イザナギとイザナミも、男神から声をかける形に修正したことで、大八島(日本列島)や様々な神々を無事に生むことができたわけだ。
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| 2001年12月、どこかで。 |
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| 大昔に金沢で・・・。 |
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| 八坂神社、京都 |
| 木曽福島 御嶽教教会にて |
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| Hiroshima |
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| 加古川、兵庫県 |
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| 根尾村水鳥 |
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| 根尾村水鳥 |