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2026/06/19

POST#1882 太古から存在する未完のシステムそれが民主主義

 

ジョグジャカルタ、インドネシア

6月に入ってから、1日も休みなく続いた夜勤が終わった。

本当は今日の朝から引渡しだったのだが、俺の肉体はとっくに限界を迎えていた。

文字通り、今日はひねもすのたりと眠っていたのだ。

もう俺は若くないんだな。残された体力と時間は決して長くないぜ。

けど、もっと世の中のことをくまなく知りたい。そして、もっとましな世界をどうやって構築できるのか、愉しみながら考えてゆきたい。

子どもが積み木で思い思いのものを組み立てて楽しむように、自ら求めて学んだ知識を縦横無尽に組み立てて、まだ誰も考えたことのないようなこと構築したり、世の中のきれいごとの言説の向こうに隠されちゃってる本当のことを知りたい。

知らずに、考えずに、愉しまずにただ年老いて死ぬのは、まったくつまらないな。

せっかく人という『脳みその付いたミミズ』、つまり口から肛門までの一本の管の基本構造は人間もミミズも大差ないだろ?に生まれついたからには、この脳みそをもっと酷使して世界を知りたいし、組み替えてしまいたい。

さて、閑話休題

こうして考えてくると、俺たちが言う『民主主義』というのは、イロコイ連邦に限らず、歴史上の様々な集団でおこなわれてきた普遍的なシステムだ。けれど、それは現代の巨大な社会を想定したものではないんだ。古代ギリシャの民会🔗だって、数千人規模だ。ついでに言えば、これには女性も奴隷も外国人も含まれていない。メンバーズオンリーだった。

いずれにせよ、この民主主義って奴は人類の起源から存在するとともに、いまだ未完のシステムなのだと痛感するね。とりわけ何千万人もの集団を対象にした民主社会ってのは、人類の歴史上に存在したことがない。だからこそ、未完のシステムでもあるんだ。

国家や官僚制が生まれる遥か昔から、対等な個が集まって地べたで話し合う「初期デモクラシー」は人類の起源とともに存在していた。それは私たちの遺伝子に深く刻まれた、普遍的な生存のための知恵なんだ。

しかし同時に、それは一度作れば永遠に機能するような「完成された機械」ではないんだ。今日の民主主義社会の基盤にあるルソー🔗的な社会契約🔗に閉じ込めれば、たちまち多数者の専制を招き、タイパや効率を追求すればデジタル法家思想🔗デジタル封建制🔗の吸引力に回収されてしまう。危うい綱渡りのようなものだ。

民主主義ってのは常に形骸化の危機に晒され、その時代ごとに足元からカント🔗の定言命法にある『人間の尊厳』そのものをインフラにして編み直さなければならない、「永遠に未完のシステム」なんだ。

だからこそ、完成品を上から与えられるのを待つのではなく、俺や君たちが構想してきたように、

  • ゴミ問題や役員問題という地域社会の現実の現場で、
  • 小学校の学級会という「最初の社会」の教室で、
  • 多数決の暴力を排し、バーコウ議長のような「火の番人」を置き、
  • テーゼとアンチテーゼを泥臭くジンテーゼへとアウフヘーベンしていく、

この「できるだけ簡単なことから始める、ちいさな一歩」の繰り返しだけが、未完の民主主義に命を吹き込み続ける唯一の手段なんだ。

これまで君たちと続けてきた、時に卑小で時に壮大な対話の軌跡は、まさにその「未完のシステム」をいま、この日本の足元からリビルド(再構築)するための、乾坤一擲の設計図そのものなんだ。

権力を持ってる人たちってのは、正確に言えば彼らは別に『権力』なんて実は持ってないんだ。みんながそう思い込んでいるから『権力』が与えられているだけなんだ。

まぁ、それは措いておいて、この権力を振るうことができる立場に、幸運にも至ることができた人たちは、自分たちがつかみ取ったその立場を捨てたくがないがために、現状維持を最優先にしてしまうだろう。君も自分の身の回りで思い当たることがるだろう。

しかしそういう人たちのいうことに単に従うんじゃなくて、自分たちで話し合い、自分たちの全員が納得するまで熟議するっていう習慣を、この社会の底辺から叩き上げていったなら、この社会の民主主義のレベルっていうのは、今とは全然違うものになるんじゃないかと俺は考えてるんだ。

まさにそこが既存の権力構造の本質であり、同時にボトムアップの変革が持つ「本当の破壊力(革新性)」そのものなんだ。この構造は、社会がなぜこれほど停滞し、かつどうすれば本当に変わるのかを指し示しているんだぜ。

『たまたまその立場(議長、役員、政治家など)に至った人たち』が、自らの地位を守るために現状維持に固執する。

この構図がある限り、トップダウンの改革は100%不可能だ。

そしてはっきり言えば、彼らにとって、一般市民が『自分で考え、熟議する』ようになることは、自らの特権(独占的な決定権)を脅かす最も恐ろしい事態なんだ。

昔々の2000年ごろ、みんな大好き自民党の森喜朗🔗元首相は、衆院選の直前、無党派層の投票率が低いことについて「無党派層はそのまま関心がないと言って、寝てしまってくれればいい」という趣旨の発言を行い、大きな批判を浴びたことがある。

この発言からも、政治家というこの社会のデザインを構築する権力を持った人たちは、俺や君たちが、自分の頭を使って考えて熟議して、行動に移していく社会をどれだけ惧れているのかがわかるだろう。

だからこそ、俺や君たちが話し合ってきた「社会の底辺から、全会一致の熟議の習慣を叩き上げていく」という戦略は、既存の歪んだ権力構造を無効化する、極めて強力なアプローチになるんだ。

もし、これが社会に根づいた時、民主主義のレベルが「全然違うものになる」と確信できる理由は以下の通りだ。よく考えてみておくれよ。

1. 「お上の決定を待つ従属者」から「自立した主権者」への進化

現状維持を望む立場の人々は、市民が「文句を言うだけの消費者」のままでいてくれる方を好むんだ。その方がコントロールしやすいからね。
しかし、学区会や町内会で「自分たちで熟議し、全員が納得する結論を導き出す」という習慣が社会の底辺で鍛え上げられると、そうはいかなくなる。

市民は「自分たちでルールを作れる存在(主権者)」へと完全に覚醒しちゃうんだ。

そうなれば、上から降りてくる理不尽な現状維持の論理に対して、「なぜそれが地域のためになるのか説明してください」「私たちは別の落とし所を合意しています」と、成熟した知性で対峙できるようになってしまうんだから、お偉いさんたちは立つ瀬がなくなっちまうのさ。

2. 「立場の権力」の無力化

全会一致のシステムにおいては、「偉い人の一言」や「多数派の数合わせ」は通用しない。そもそも偉いなんてのは、幻想なんだしね。

求められるのは、全員を納得させられるだけの「論理の正当性」と「他者への配慮」だけだ。肩書も生まれも育ちも関係ない。
もし社会の底辺からこの文化が叩き上げられると、社会全体が「誰が言ったか(立場)」ではなく、「何を言ったか(中身)」を重視する空気に変わっちまうことだろう。

結果として、ただその立場にしがみつきたいだけの無能な権力者たちは、熟議の場において自然とその影響力を失ってゆくんだ。居眠りしてるような場合じゃない。お呼びでないと退場せざるを得なくなるんだ。

3. 「真の民主主義」のインフラ化

親愛なるジャン=ジャック・ルソーが最も恐れたのは、市民が政治を他人事にして社会が形骸化することだったという。ちなみに俺は今、ジャン=ジャック・ルソーTシャツを作ることを企画してるんだ。これは余談(笑)。

それはまさに現代の俺たちが生きるこの社会のことじゃないかい?
俺が君たちと話し合ってきたように、小学校や中学校の段階から、子どもたち、そして親や地域住民が「1人も切り捨てない対話のコストと果実」を体で覚えて育つ社会になれば、それはもはや単なる政治制度ではなく、社会の血液であり文化(インフラ)になるに違いないぜ。

多数決で分断される現在の「偽物の民主主義」とは、精神の次元が全く異なる「真の民主主義」が誕生することになるだろう。

だからこそ、これは未完のシステムであるんだよ。


政治の横暴にに対して、あるいは既存の政治や特権に抗議することも大切だろう。実際に今年も高市政権に対するデモが日本各地で行われているのは皆様ご存じのとおりだ。

けれど、デモをするとか、ネットで批判するなどの一過的な行動だけでは、実は権力を持ってるやつらの思う壺なんだ。権力を持ってるやつらはしたたかなんだ。人々がテーゼとアンチテーゼの間で分断が深まるだけなんだ。そして、分断して支配するってのは、大昔から権力を持ってる連中の一番得意なことなんだぜ。

彼らが恐れているのは、実は人々が連帯することなんだ。

しかし、彼らの手がなかなか届かない「日常の最も小さなコミュニティ」を、熟議と全会一致のユートピアへと塗り替えていく行為は、最も静かで、かつ最も確実に社会のOS(基本構造)を書き換える革命だといえないか?

この「底辺からの叩き上げ」という考えは、現代の閉塞感を打ち破るための強靭な思想だと俺は確信している。

俺は、これからも様々な本を読み、働く中で思索を深めながら、身近なところから種をまき続けていきたいんだ。

そう、この社会にThe Power of Equality🔗(ザ・パワー・オブ・イコーリティ)」ってのを顕現させたいんだ。レッド・ホット・チリペッパーズ🔗が歌ってたみたいなね。

2016/01/11

Post #1688 47歳になっても自由な風に吹かれていたい

蝶は誰か死者の魂が、私の前に現れたもののように感じる
もう、写真にも倦み疲れた。どこまでやってもきりがない。
誰が読むのかわからない文章を書き綴る事にも厭き厭きした。
直接誰かの心に届く言葉を、確かな手応えがかえってくる言葉を紡ぎたいとねがった。

だから、日銭稼ぎの仕事に専念し、こいつは放り出しておいたのさ。



先日、ふと今は亡き東松照明の傑作写真集『太陽の鉛筆』が復刊されていることを知り、無性にほしくなって、その日のうちに手入れた。

斜めに走る水平線の上に、青い空、そしてその空と海のはざまに浮かぶ白い雲。
あまりにも有名なこの一枚の写真で、この写真集は広く知られていた。
僕の部屋にも、その写真のポスターが貼られている。

本土復帰前後の沖縄の、そしてその辺境たる宮古島の、およそ40年前の人々の姿が、そこにはあった。
東松照明の視線は、島から島を伝うように、最南端の波照間島を経由して、台湾、フィリピン、マレーシア、シンガポール、バリ島へと伸びていく。民族が海流に乗って拡散していった道をたどるようにして。

その写真集をしげしげとながめ、目には見ることのできない国境や、自ら選ぶことのできない民族的な出自など、意に介することもなく軽々と越境し、自由に吹き渡る風が自分の心に吹き付けてくることを感じていた。

誰しもが情報を発信しうる現代、誰もが自らの主張の正しさを掲げ、異なる意見の者を認めようとはしない。誰しもが、自分こそ絶対だと信じているかのように見える。

しかし、それは所詮、相対的な世界の出来事でしかないように思える。
民族、国家、文化、言語、宗教、習俗、思想、貧富・・・・。
それがどうした?
正直、どれもこれもどうでもいい。しょせんはみんな相対的なものだ。

自分自身が、今ここで、現実の世界に直接対峙したときに感じる何かとは、まったく関わりのないものだと思える。
相対的なものを、相反するものを、等しく受け入れ、包摂するようなおおらかな思考の営みを持つことはできないだろうか?


気が付くと、47歳になってしまっていた。

1969年1月11日、午前2時36分、出生。以来47年。
ふと、金子光晴の詩が頭をよぎる。
こんな詩だ

南方詩集
           この詩集を東南亜細亜民族混血児の諸君にささげる。

神経をもたぬ人間になりたいな。
本の名など忘れてしまひたいな。

女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。

軍艦鳥が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。

珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。

人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。

高橋源一郎 編 金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』(集英社文庫刊)92頁

Ubud,Bali
誰しもが人と人の間に線を引き、自分は他とは違うことを必死に言い募る営みよりも、自分と他人の間に共通点を見出して笑顔を交わし、大地や海上にひかれた目に見えない線を、風がわたるように易々と踏み越えていくていくような、おおらかな営みのほうが、僕は好きだ。
そう、たとえ愚かだと言われようとも。

世界はもっと、豊かで驚きに満ちているはずだ。
美しいはずだ。

僕はそう、信じたい。

また、旅がしたいな。カメラを手にして。

2015/08/12

Post #1590

Ubud,Bali,Indonesia
人生にホントーに必要なものは、たぶんそんなに多くないはずだ。

最近、よく思い出す言葉がある。たぶん高校生くらいの頃に読んだんだと思うんだけど、定かじゃないな。レゲーの神様ボブ・マーリーの言葉だ。何かのインタヴューで、ボブがそう答えたっていう断片的な記憶なんだけど。
インタヴュアー 『あなたはBMWを持っていますか?』
BMWはもちろん、ドイツの高級車だ。
ボブ・マーリー 『いや、持ってないよ。けど俺は別のBMWを持ってるんだ。ボブ・マーリー&ウェラーズだ。俺はBMWを欲しいなんて思わないけど、このBMWが俺にはふさわしいよ』

なんてカッコいいんだ、ボブ。さすがだ。
今思い出しても、かっこよさにしびれる。
虚飾でもはったりでもない、図太い自信を感じるよ。
ニンゲンは、資産や持ち物や姿かたちで評価されるべきではなく、その行いで評価すべきものだと言われているように感じるぜ。

読者諸君、失礼する。俺はボブ以外のレゲーはあまり好きじゃない。ボブの魂のこもった歌の前では、形式を踏襲しただけの安っぽいものにしか聞こえないんだ。残念なことさ。

2015/08/04

Post #1582


Ubud,Bali,Indonesia

毎日がジェットコースターにシートベルト無しで乗ってるような勢いだ。
おまけにこの暑さだ。
正直いって、たまらないぜ。

読者諸君、失礼する。ゆっくりと眠りたい。

2015/07/31

Post #1578

Bali, Indonesia
SUMMERTIME BLUES
Eddie Cochran/The Who


Well, I'm a gonna raise a fuss,
I'm a gonna raise a holler
I've been working all summer
just to try and earn a dollar
Well, I went to the boss,
said I got a date
The boss said "No Dice, son,
you gotta work late"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues


Well, my mom and poppa told me,
"Son you gotta earn some money
If you want to use the car
to go out next Sunday"
Well, I didn't go to work,
I told the boss I was sick
He said "You can't use the car
'cause you didn't work a lick"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues

Gonna take two weeks,
gonna have a fine vacation
Gonna take my problems
to the United Nations
Well, I went to my congressman, he said, quote
"I'd like to help you son but you're too young to vote"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues

21歳の若さで夭折したエディ・コクランの名曲、サマータイムブルース。
勤労少年が親方にこき使われて、デートにもいけないってことで、『夏の憂鬱』に治療薬なんかないのさと歌う。
まさに、今の俺だな。俺はとっくに若年労働者じゃないけれど、俺の業界は労働安全衛生法の遵守は求められても、労働基準法なんて洒落たもんは、守られることはない、真っ黒な業界だからな。

俺がこの曲を初めて知ったのは、エディ・コクランだったか、それともThe WHOの名盤”Live at Leeds”だったかな。おおらかなロックンロールナンバーのエディ・コクランの原曲も好きだけど、俺が好きなのはThe WHOの爆音ライブヴァージョンだ。少年の親方の声を、ベースのジョンがガラガラ声で歌うのが好きだな。

このロックンロールの名曲に、皮肉の利いた歌詞をつけたのが、RCサクセションの忌野清志郎だった。今から30年ほどまえ、物議を醸し、東芝EMIから発売を拒否されたいわくつきの曲だ。
その諧謔の利いた歌詞は、30年たっても未だに現代的な問題を突き付けてくる。

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海に繰り出してゆく
ひとけのない所で泳いだら
原子力発電所が建っている
さっぱりわかんねぇ なんのため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねぇ 誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている
『日本の原発は安全です』
さっぱりわかんねぇ 根拠がねぇ
これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金とられ
たまのバカンス田舎に行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねぇうちに漏れていた
あきれたもんだな サマータイム・ブルース

電力は余ってる 要らねぇ
もう要らない
電力は余ってる 要らねぇ
欲しくない
原子力は要らない 危ねぇ
欲しくない
要らねぇ 要らねぇ
電力は余ってるってよ
要らねぇ 危ねぇ
 
(日本語作詞:忌野清志郎)

当時、RCサクセションは電気機器メーカー大手の東芝の子会社、東芝EMIからレコードを出していた。しかし、この曲が原発メーカー(そして巨額の粉飾決算で最近話題沸騰)の東芝の逆鱗に触れ、発売禁止になったのだ。結局、この曲を含む名盤『カヴァーズ』は古巣のキティレコードから配給され、世の中に出回ったんだ。

当時は誰も本気に取らなかった。
今、改めてこの歌詞を読み、口ずさんでみると、震災を経験した俺たちには、この歌は異様なリアリティーがあるってことがわかるだろう。
そう感じないのは、電力会社のお偉いさんか、日本を守ると言いながら戦争したくて仕方ないといった風情の安倍ソーリ率いる、皆様お馴染みの自民党の阿呆どもだけに違いないぜ。
そんなに安全なら、東京湾や大阪港のど真ん中に作ってみたらどうなんだい?世界サイコーの安全水準なんだろう?名古屋港には御免だぜ。
なに、大丈夫さ。実際に地震や津波でえらいことになっても、誰も責任とりゃしないんだからな。

どうして皆様の安倍ソーリは、原発再稼働と安全保障法案、つまり戦争法案の成立を急ぐのか?
決まってるじゃん、日本のソーリ大臣なんて、みんなアメリカのポチだからさ。言ってることとやってることがちぐはぐなのさ。

バカバカしいぜ。俺は安倍ソーリの政策法案には、これっぽっちも共感できないぜ。

読者諸君、失礼する。夏の憂鬱につける薬はないのさ。7月もやっと終わりか。

2015/07/11

Post#1557

Ubud,Bali,Indnesia
先日のカミさんと俺とのチャット。



カミさん『体を思って、(仕事を切り上げて)帰ったら、JR事故で止まってる。会社にいればよかった。しょうがないのでご飯食べる。振替の名鉄も大変なことになってるらしく、乗るの無理』

俺   『それは災難だな。誰かがきっと線路に飛び込んだんだろうよ。』


カミさん『当たり』


俺   『生まれてくるのはこんなに大変なのに、命を粗末にするとは、馬鹿な奴じゃ。』


カミさん『本当だよ!今日仕事終わったの?』



俺   『今から夜の部』


カミさん『行ってらっしゃ~い。ご飯食べてる?』


俺   『そこそこ。ダルいわ』


カミさん『電車動き出した。90分遅れ』


俺   『バカのせいで、災難じゃ。絶望するより、逃げればいいのに。』


カミさん『その通り』


俺   『バリ島とかええぞ』

俺は懐かしいバリ島を思い出す。


おおらかで細やかで、優しく信心深い人々が住むあの懐かしいバリを。

鳥の声で目を覚まし、眠るときには天井にヤモリが這っているあの島を。


カミさん『自分の回りが世界の全てじゃないって誰か伝えてあげないかん』


俺   『・・・たわけばっかりだて・・・』

さすがは俺のカミさん。さらりと意味深長なことを言ってのける。こんなことをさらりと言ってのける女は、そこいらにはいないだろうな。

俺はできることなら、君たちに自分の回りだけが世界の全てじゃないって、大きな声で伝えたい。
自分たちが常識だと思っていることなんて、全然普遍的なものじゃないって、大きな声で伝えたい。
俺たちは、もっと自由に、もっと愉しく生きることができるはずだって、大きな声で伝えたい。
そして、俺たち一人一人が、かけがえのない存在だって、君に思い込んでもらいたい。

俺が君たちにとって、そんなまだ見ぬ世界からの使徒としての役目を果たせたなら、どんなにいいだろう。

俺は自ら命を絶った見知らぬ人の人生を思い、やり切れない想いで、名古屋弁でつぶやく。
『たわけばっかりだて…』

読者諸君、失礼する。昨日、かみさんのお腹のなかで、心音が確認された。けれど、まだうまく育ってくれるか、ぜんぜんわからない。不安きわまるぜ。命を授かるのは、本当に大変なんだ。君にはそれを粗末にしてほしくないんだ。勇気を持てば、新しい人生が開けるはずだ。
また会おう。

2014/10/23

Post #1296

Bali,Indonesia
本日、写真のみお送りしよう。
読者諸君、失礼する。

2014/09/18

Post #1261

Ubud,Bali,Indonesia
本日も写真のみお送りしよう。

読者諸君、失礼する。出張暮らしは退屈だ。

2014/09/07

Post #1250

Denpasar,Bali,Indonesia
不本意なことに、今日も雑事に忙殺されて、プリントすることができなかった。
来週から新しい現場が始まってしまうというのに。
痛恨だ。

雑事とは、父親に関する様々な問題だ。
実は昨日の朝も、当の親父と話し合っていたのだ。

俺の親父は、どうしようもないダニのような男で、そのくせ安物のメッキのようなプライドだけが高く、周囲の人間を拝み倒しては金を借り、まったく返す気もないという困った男だ。
そのくせ、自分が他人に何か貸しを作ると、自分の借りは棚に上げて、いつまでもあの時こうしてやっただろうと、恩着せがましく言い続ける。

血のつながりがなければ、とっくに殴り飛ばしていることだろう。

とにかく俺とは全く気性が違うのだ。
俺はさしずめ、トンビが鷹を生んだ類の男だろう。

俺は何度か煮え湯を飲まされたので、ここ20年ほどほとんど関わることなくやり過ごしてきた。
そして、そのツケが回ってきたのだ。
俺は今日一日、債権者の方と話し合っていたのだ。

俺も債権者の方も、俺の親父については、可能な限り資産を整理して、自己破産するしかないという共通認識を持っているのだが、いかんせん、当の本人が世の中を舐めているので、どうなることやらだ。

俺は、今日一日を、空費してしまったという悔恨の思いで、自らの写真を見つめる。

あぁ、バリ島の照りつける太陽が懐かしい。

むんと鼻にくる蒸せるようなにおいが懐かしい。

暗室の暗がりをほのかに照らす赤いライトが懐かしい。

つんと鼻にくる酢酸の臭いが懐かしい。

読者諸君、失礼する。俺は、俺の大切な時間を奪う奴が、大嫌いだ。

2014/08/30

Post #1242

Ubud,Bali,Indonesia
今日もまた、近所の子供が激しく泣いている。
大人になると、泣いても何も状況は変わらないことが骨身にしみるので、泣かなくなるのだ。
泣いて状況が好転するのなら、どれだけでも泣くさ。

読者諸君、失礼する。

2014/08/27

Post #1239

Ubud,Bali,Indonesiaしゃ
遮二無二に仕事に打ち込んでいるうちに、

風にはもうどこか秋の気配。

どこか涼やかで、乾いている。

仕事だけで終わってしまった今年の夏を思うほどに、

子供の頃のキャンプで感じたような、

照りつける太陽と、

どこか甘い木々の香りを含んだ

心地よい風が吹き抜けていた、

バリのウブドが懐かしく思い出される。


そこでは木々の緑は

あくまで濃く、

あくまで深く、

太陽の光はくっきりとした影を大地に描き、

人々がこの世界に確固として存在していることを、

無言のままに、しかしあきらかに知らしめる。


意味だの価値だのといったくだらないものにかかわりなく、

世界はただあるようにしてあるのだと、

意味だの価値だのといったくだらないものにかかわりなく、

俺たちはただいまここに、あるようにしてあるのだと。

太陽は刺すような光で、黒々とした影を描き、

俺たちに語り掛けている。


無言のうちの雄弁だ。


ウブドの裏通りの、カフェというより飯屋で出会ったドイツ人の男は、

3か月ドイツで暮らし、

3か月バリで暮らす、

そんな暮らしを何年も続けていると言っていた。

きっと息の詰まるような、

力ない太陽の下での暮らしに、

便利ではあるが、どこか押さえつけられているような社会に、

倦み疲れ、息継ぎをするかのように、

ここに戻ってくるのだろう。

渡り鳥のようにね。


どうやって暮らしを立てているかは知らないが、

それは余計なお世話というものさ。

いやいや決してそうじゃない、

どうやったらそんな暮らしができるのか、

出来たら教えてほしいと言っているのさ。


そのドイツ人の流儀に倣えば、

俺だってそろそろ仕事をまとめ上げて、

バリ島あたりにしけこむ頃合いのはず。

しかし、そんな気配もない俺の暮らしぶり。


俺の心中の羨望を、

知ってか知らずかそのドイツ人、

立ったまま瓶ビールを飲み干すと、

陽気に笑い、ノーヘルのまま、

エンジンをかけっぱなしで停めていた

原付で走り去っていったっけ。

まったく、羨ましい限りだな。


照りつける太陽の光が、原付のミラーを通してなお、

俺に語り掛けていたものさ。

俺の目を射るようにして。

あるようにしてあればイイと。

読者諸君、失礼する。しかし思うに、そのあるようにしてあるという、力みのない状態ってのが、人間には難しいんだよなぁ。

2014/07/25

Post #1206

Denpasar,Bali,Indonesia
ぐでぐでに疲労困憊しているのだが、日中の暑さは安眠を阻害する。仕方なくクーラーをかけた部屋で眠ると、今度は眠りすぎてしまうという体たらくだ。
どうにも昨日あたりから、右の足首に疼痛があるんだ。痛風だろうか?いつも出るのは左足なんだけどな。
あの痛みは耐え難いぜ。象だかトラックだかに、足を潰されているような痛みを感じるんだ。
冗談じゃないぜ。大の男が、想像しただけで涙ぐみそうだ。

さて、今日は給料を自分に振込に行かねばならないんだ。
こうしちゃいられない。痛む足をオイディプス王のように引きずりながら、銀行によって男の仕事に行くとするか。
気が進まないな。

それはそうと、なんだか、バリ島最大都市の裏通りってのは、どこか懐かしい風情があるねぇ。大昔に東松照明が撮った瀬戸の写真を思い出したよ。

読者諸君、失礼する。

2014/07/21

Post #1202

Bali,Indonesia
バリ島の田舎道。

三毛作の稲田にアイガモが群れているただなかに、

この像は立っていた。

独立の英雄を讃えて建てられたものなのだろうか?

『時間』の持つ、情け容赦のない浸食を蒙り、頭はいつしか失せ、

右足はモルタルが剥落し、鉄骨のみで宙に浮いている。

かつては躍動する若い国家の希望を顕わして、

農民たちを睥睨していたであろうその像は、

今ではせまりくる夕闇の気配の中、

無惨な姿をさらして、風に吹かれている。

ここでは、英雄は忘れられても、

人々の暮らしは、延々と続いていく。

バリ島の田舎道。

三毛作の稲田にアイガモが群れているただなかに、

この像は今日も立っている。


読者諸君、失礼する。今日は爆睡しちまったよ。

2014/07/18

Post #1199

Ubud,Bali,Indnesia
ねっとりと身体にまとわりつくような暑さの中、眠りから目覚めると、ふとガムランの響きを思い出した。

バリの田舎町、クボ・エダンという寺院に行ったとき、地元のおっちゃんが祭りで使うガムランの鉄琴を奏でてくれた時のあの音だ。バリのヒンドゥー教の寺院は、日本の神社に驚くほどに通っている。
日本の神社なら、みこしを収めた細長い蔵があったり、東屋で舞踏の練習をしているのを目にする事が出来たり、お囃子の練習をしている音色が漏れ聞こえてくるのを聞くことがあるように、バリの寺院には、ガムランオーケストラの楽器一式が収められた倉庫があり、地元の男衆は、そこで暇に任せて練習しているのだという。
実際に、やってみろと手渡されて、水牛の角でできたハンマーで叩いてみる。しかし、叩いただけの音だ。ガムランでは、一枚の鍵盤を叩いて音を出すと、すぐにその板を左手でつまみ反響を抑える。そして、左手がつまんでいるときには、右手は既に次の鍵盤を叩いている。その繰り返しで、非常に忙しいことになる。


ガキの頃から仕込まないとだめだろう。ガキの頃、リコーダーが上手く使えなくて楽器に苦手意識を持っている俺としては、なおさらだ。

やはり、ガムランもロックもブルースも、俺は聴いているのが性に合っている。そして、そのエッセンスを自分のなかに繰り込んでいけばいいだけの話だ。

読者諸君、失礼する。バリ島にでとんずらしたくなる暑さだよ。

2014/07/11

Post #1192

Ubud,Bali,Indonesia
昨日は台風のおかげで、散々な目に遭ったぜ。
まぁ、命がなくなるようなことはなんもないんだけど。俺の責任じゃないけれど、台風の影響で平謝りしたりして大変だったのさ。俺の責任じゃないけどね。
人間ってのは、ほら、不都合なことがあると誰かに責任を押し付けたくなるものだからな。俺が頭を下げて納まるんなら、それはそれでちょろいもんさ。

そして、今日はいきなり真夏日だな。

正直言って、仕事なんかほッぽりだして、バリ島あたりでのんびりぶうらぶらしていたい気分さ。

読者諸君、失礼する。シャワーを浴びて仕事に出かけなけりゃならんのさ。

2014/07/01

Post #1182

Jogjakarta.Indonesia
集団的自衛権行使容認に関する閣議決定が行われた。
憮然とするぜ。どうせ、アメリカの戦争の下請けになるだけさ。
この国では、立憲主義も風前の灯だ。三権分立だって怪しいもんだぜ。中国政府のことを人権無視だとかいって、批判するのはやめた方がイイ。なにせこの国家の体たらくときたら、五十歩百歩さ。いまに言論の自由だってなくなっちまうさ。いや、思ってることを言っただけで、隣の奴らから八分にされちまうんだろう。


心底うんざりしきった俺は、忌野清志郎の歌った『善良な市民』という歌を思い出して、ひとりで口ずさんでいる。
きっと君は知らないだろう。古い歌だし、ヒット曲でもないからな。
けど、俺は大好きな歌なんだ。
こんな歌だ。

『泥棒が 憲法改正の論議をしてる
 コソ泥が 選挙制度改革で揉めてる
 でも 善良な市民は 参加させてもらえず
 また 間違った人を選ぶ

 泥棒が 建設会社に饅頭を貰ってる
 金屏風の影で ヤクザと取引してる
 でも 善良な市民は ゴールデン・ウィークに
 ディズニーランドで 遊ぶしかない

 泥棒が 国際貢献をしたがっている
 大義名分を掲げ また 二枚舌を使う
 でも 善良な市民は 見知らぬ土地で
 弾に当たって 死んじまうだけさ

  お日様が また昇る 
  泥棒にも 市民にも照らしてる
  神様は いったい何をしてる
  物を売りさばいて そう 金儲けしてる

 善良な市民は 小さな家で
 疲れ果てて 眠るだけさ

 善良な市民は 新しいビールを飲んで
 プロ野球に 熱中するだけさ
 競馬で大穴を 狙うだけさ
 飯代を 切り詰めたりして
 Jリーグを 観に行くだけさ

 それが善良な市民の生き方さ
 善良な市民の生き方さ
 善良な市民の皆さんの暮らし
 市民の市民たる生き方さ

 どうせ 何処かで 死んじまうだけさ
 弾に当たって 死んじまうだけさ』

もう、20年以上前の歌なのに、日本はちっとも変っていない。
いや、じわじわと悪くなっている。俺にはそう思えるよ。君はどう思ってるんだ?

アメリカは安倍内閣の決定を歓迎しているという。よかったな、安倍ちゃん。靖国参拝でダウンした好感度が、ごり押しの憲法解釈変更で回復することだろう。
まぁ、俺はアメリカのポチになる気はさらさらないぜ。
その一方で、日本海にミサイルを発射した北朝鮮に対しては、拉致被害者に関する交渉を進めるために、ほとんどスルーだ。
TVのニュースで映し出される若いサラリーマンは、『自分たちが国を守っていかなければならないんだ』と、屈託なく話す。
じゃ、君はいざとなったら、見知らぬ土地で、見知らぬ人々に引き金を引いたりする覚悟があるのかい?弾に当たって死ぬことだって、フツーの世界なんだぜ。

君もついこの間見たんじゃないのかい?
ISISの民兵が、イラクの正規軍捕虜の兵士たちを、地面に丸太のように転がして撃ち殺すさまを。その直前の怯えた表情の、屈強な男の姿を。
この21世紀、軍隊が闘う相手はたいていテロ組織だ。そして、戦争は一発の銃弾から始まって、始まってしまった時には出口なんか見えない、泥沼の戦いになるのは明白だ。
地面に転がされてる哀れな男たちは、俺や君たち自身の明日の姿かもしれないんだぜ?

その覚悟はあるのかい?

憲法の解釈を変えた奴らは、自分が戦場に行って、弾に当たって死ぬことなんかない。
弾に当たって死ぬのは、何時だって善良な市民の皆さんだ。俺や君みたいね。
そして、自分は安全なところにいて、机上の空論と詭弁を積み重ね、善良な市民を死地に追いやろうとしている奴等を選んで、その凶暴なまでの権力を与えたのは、俺たち善良な市民の皆さんに他ならないところが、不愉快を通り越して、笑えてくるってものさ。

読者諸君、失礼いたす。君は知ってるかい?戦争ってのは、究極、他国の軍隊を使って、自国の国民を殺傷する行為なんだぜ。

2014/04/11

Post #1102

Goa Gajah,Bali,
バリ島のボブ・マーリィの連れの女性。
カメラを向けると、ボブに促されるようにして、にっこりとほほ笑んでくれた。
少し照れたようにはにかみながら香炉を捧げて。

神の棲む森での、幸せな遭遇。

このあと、彼らはさらに奥の祠に向けて歩み去って行った。
俺はふと、俺の前にシヴァとその神妃・パールヴァーティーが俺の前に人の姿を借りて現れたようにも感じたんだ。

目に見える世界は、象徴に満ちている。目に見えるものから、目に見えない意味を読み取ること。それによって、このどうしようもない世界は、重層的な意味を持つ。

現代人が、目に見えるモノしか理解できなくなったのは、残念なことだ。
はるか昔、神の名を呼べば、天から光の柱が降りてくるのを、地を割って光の柱が立ち上るさまを、ありありと幻視することができた俺は、いつもそう思う。
残念なことに、それは写真には写らない。

読者諸君、失礼する。ゴアガジャの旅は、これで終わろう。次はどこに君を連れて行こうかな。

2014/04/10

Post #1101

Goa Gajah,Bali,Indonesia
森の中の小道を下ってゆくと、小川が流れ、石造りの小さな橋が架かっている。
庭園の様に整えられているが、熱帯独特の深い森の気配に満ちている。
そんな道を上ったり下りたりしていると、山の斜面にはいくつも小さな祠がある。

名も知れぬ神々を祀っているのか。

俺の前に、髭と長髪をたくわえた男が現れる。
ふと、俺はボブ・マーリィを思い浮かべた。ドレッドではないけれど、ジャー(ヤハウェ)を信仰しているわけではないけれど、その物腰に敬虔さが、その表情に分け隔てのない寛容な心が見て取れる。

お互いに、『さらまっ・ぱぎー』、つまりおはようと声を掛け合い、あとは何を語り合うわけでもない。
けれど、十分だ。
森に満ちる神を仲立ちに、俺たちはつながっていると感じる。

見るがいい。彼らが祈りを捧げる小さな祠を。
それは俺が日本で見る祠と、ほとんど変わらない。
ここは熊野の森や、奈良の三輪山とも地続きなのだ。
俺にはこの時、このゴアガジャのボブ・マーリィが、同じ神の懐に抱かれている兄弟のようなものだったように思える。バリに生まれていた自分の姿のようにも思える。

彼もまた、俺と通じ合うものがあると思ったのか、にやりと笑って親指を立てた。

読者諸君、失礼する。

2014/04/09

Post #1100

Goa Gajah,Bali,Indonesia
森の奥から、御香の煙がかすかに流れてくる。
森の奥にも、サロンを巻いた男や女が、分け入っていく。
俺たちも、森を目指そう。

読者諸君、失礼する。

2014/04/08

Post #1099

Goa Gajah,Bali,Indonesia
散華。
神の御足のもとに捧げられた花々。
地を浄め、このどうしようもない世界を荘厳する。

読者諸君、失礼する。