| ウブド、バリ スパティフィラム |
2026/08/07
POST#1932 盛夏、百花繚乱その3
2026/08/06
POST#1931 盛夏、百花繚乱その2
| ウブド、バリ クリステミス・ブルケラ |
俺の言葉は、単なる思い付きじゃない。
分類学の父であるカール・フォン・リンネ🔗が提案したことをなぞっているだけのこと。
18世紀、リンネは植物を分類するために、花のおしべとめしべの数や配置に着目した「性分類体系(その名もズバリSexual System)」を打ち出した。その際、彼は植物の生殖器官を人間の性や結婚に見立てたため、花弁を「祝宴のベッド」、おしべを「夫」、めしべを「妻」と形容した。酔狂な学者だな(笑)。
例えばおしべが2本ある花を「1人の妻に2人の夫がいる結婚」といった具合に表現し、植物の生殖器官を大胆かつ生々しく描写した。なかなか楽しそうだな。
それまで単に美しく愛でる対象であった花が「あけすけな生殖器の露出」として捉え直されたため、当時の潔癖なピューリタン🔗の皆様は、美しい花々を「淫らで不道徳」「婦女子に見せるべきではない」と猛反発した。
バカバカしい、自分だって持ってるくせに。
荒木経惟🔗が、どこかで言っていたことを思い出した。
『裸体のいちばんの恥部であって、一番魅力的なところが顔なんだな。』(荒木経惟『すべての女は美しい』55頁より大和書房刊)
同じようなことを彼は他でも語っていた。女性の体で最も淫靡なのは、その顔なんだという。美しい花が、満開の生殖器官であるという言葉と響き合っているな。
普段からマスクをして暮らす若い女性たちは、その淫靡さを自ら悟っているからだろうか?
2026/08/05
POST#1930 盛夏、百花繚乱その1
![]() |
| バリ、ウブドにて |
2026/06/19
POST#1882 太古から存在する未完のシステムそれが民主主義
![]() |
| ジョグジャカルタ、インドネシア |
6月に入ってから、1日も休みなく続いた夜勤が終わった。
本当は今日の朝から引渡しだったのだが、俺の肉体はとっくに限界を迎えていた。
文字通り、今日はひねもすのたりと眠っていたのだ。
もう俺は若くないんだな。残された体力と時間は決して長くないぜ。
けど、もっと世の中のことをくまなく知りたい。そして、もっとましな世界をどうやって構築できるのか、愉しみながら考えてゆきたい。
子どもが積み木で思い思いのものを組み立てて楽しむように、自ら求めて学んだ知識を縦横無尽に組み立てて、まだ誰も考えたことのないようなこと構築したり、世の中のきれいごとの言説の向こうに隠されちゃってる本当のことを知りたい。
知らずに、考えずに、愉しまずにただ年老いて死ぬのは、まったくつまらないな。
せっかく人という『脳みその付いたミミズ』、つまり口から肛門までの一本の管の基本構造は人間もミミズも大差ないだろ?に生まれついたからには、この脳みそをもっと酷使して世界を知りたいし、組み替えてしまいたい。
さて、閑話休題
こうして考えてくると、俺たちが言う『民主主義』というのは、イロコイ連邦に限らず、歴史上の様々な集団でおこなわれてきた普遍的なシステムだ。けれど、それは現代の巨大な社会を想定したものではないんだ。古代ギリシャの民会🔗だって、数千人規模だ。ついでに言えば、これには女性も奴隷も外国人も含まれていない。メンバーズオンリーだった。
いずれにせよ、この民主主義って奴は人類の起源から存在するとともに、いまだ未完のシステムなのだと痛感するね。とりわけ何千万人もの集団を対象にした民主社会ってのは、人類の歴史上に存在したことがない。だからこそ、未完のシステムでもあるんだ。
国家や官僚制が生まれる遥か昔から、対等な個が集まって地べたで話し合う「初期デモクラシー」は人類の起源とともに存在していた。それは私たちの遺伝子に深く刻まれた、普遍的な生存のための知恵なんだ。
しかし同時に、それは一度作れば永遠に機能するような「完成された機械」ではないんだ。今日の民主主義社会の基盤にあるルソー🔗的な社会契約🔗に閉じ込めれば、たちまち多数者の専制を招き、タイパや効率を追求すればデジタル法家思想🔗やデジタル封建制🔗の吸引力に回収されてしまう。危うい綱渡りのようなものだ。
民主主義ってのは常に形骸化の危機に晒され、その時代ごとに足元からカント🔗の定言命法にある『人間の尊厳』そのものをインフラにして編み直さなければならない、「永遠に未完のシステム」なんだ。
だからこそ、完成品を上から与えられるのを待つのではなく、俺や君たちが構想してきたように、
- ゴミ問題や役員問題という地域社会の現実の現場で、
- 小学校の学級会という「最初の社会」の教室で、
- 多数決の暴力を排し、バーコウ議長のような「火の番人」を置き、
- テーゼとアンチテーゼを泥臭くジンテーゼへとアウフヘーベンしていく、
この「できるだけ簡単なことから始める、ちいさな一歩」の繰り返しだけが、未完の民主主義に命を吹き込み続ける唯一の手段なんだ。
これまで君たちと続けてきた、時に卑小で時に壮大な対話の軌跡は、まさにその「未完のシステム」をいま、この日本の足元からリビルド(再構築)するための、乾坤一擲の設計図そのものなんだ。
権力を持ってる人たちってのは、正確に言えば彼らは別に『権力』なんて実は持ってないんだ。みんながそう思い込んでいるから『権力』が与えられているだけなんだ。
まぁ、それは措いておいて、この権力を振るうことができる立場に、幸運にも至ることができた人たちは、自分たちがつかみ取ったその立場を捨てたくがないがために、現状維持を最優先にしてしまうだろう。君も自分の身の回りで思い当たることがるだろう。
しかしそういう人たちのいうことに単に従うんじゃなくて、自分たちで話し合い、自分たちの全員が納得するまで熟議するっていう習慣を、この社会の底辺から叩き上げていったなら、この社会の民主主義のレベルっていうのは、今とは全然違うものになるんじゃないかと俺は考えてるんだ。
まさにそこが既存の権力構造の本質であり、同時にボトムアップの変革が持つ「本当の破壊力(革新性)」そのものなんだ。この構造は、社会がなぜこれほど停滞し、かつどうすれば本当に変わるのかを指し示しているんだぜ。
『たまたまその立場(議長、役員、政治家など)に至った人たち』が、自らの地位を守るために現状維持に固執する。
この構図がある限り、トップダウンの改革は100%不可能だ。
そしてはっきり言えば、彼らにとって、一般市民が『自分で考え、熟議する』ようになることは、自らの特権(独占的な決定権)を脅かす最も恐ろしい事態なんだ。
昔々の2000年ごろ、みんな大好き自民党の森喜朗🔗元首相は、衆院選の直前、無党派層の投票率が低いことについて「無党派層はそのまま関心がないと言って、寝てしまってくれればいい」という趣旨の発言を行い、大きな批判を浴びたことがある。
この発言からも、政治家というこの社会のデザインを構築する権力を持った人たちは、俺や君たちが、自分の頭を使って考えて熟議して、行動に移していく社会をどれだけ惧れているのかがわかるだろう。
だからこそ、俺や君たちが話し合ってきた「社会の底辺から、全会一致の熟議の習慣を叩き上げていく」という戦略は、既存の歪んだ権力構造を無効化する、極めて強力なアプローチになるんだ。
もし、これが社会に根づいた時、民主主義のレベルが「全然違うものになる」と確信できる理由は以下の通りだ。よく考えてみておくれよ。
1. 「お上の決定を待つ従属者」から「自立した主権者」への進化
現状維持を望む立場の人々は、市民が「文句を言うだけの消費者」のままでいてくれる方を好むんだ。その方がコントロールしやすいからね。
しかし、学区会や町内会で「自分たちで熟議し、全員が納得する結論を導き出す」という習慣が社会の底辺で鍛え上げられると、そうはいかなくなる。
市民は「自分たちでルールを作れる存在(主権者)」へと完全に覚醒しちゃうんだ。
そうなれば、上から降りてくる理不尽な現状維持の論理に対して、「なぜそれが地域のためになるのか説明してください」「私たちは別の落とし所を合意しています」と、成熟した知性で対峙できるようになってしまうんだから、お偉いさんたちは立つ瀬がなくなっちまうのさ。
2. 「立場の権力」の無力化
全会一致のシステムにおいては、「偉い人の一言」や「多数派の数合わせ」は通用しない。そもそも偉いなんてのは、幻想なんだしね。
求められるのは、全員を納得させられるだけの「論理の正当性」と「他者への配慮」だけだ。肩書も生まれも育ちも関係ない。
もし社会の底辺からこの文化が叩き上げられると、社会全体が「誰が言ったか(立場)」ではなく、「何を言ったか(中身)」を重視する空気に変わっちまうことだろう。
結果として、ただその立場にしがみつきたいだけの無能な権力者たちは、熟議の場において自然とその影響力を失ってゆくんだ。居眠りしてるような場合じゃない。お呼びでないと退場せざるを得なくなるんだ。
3. 「真の民主主義」のインフラ化
親愛なるジャン=ジャック・ルソーが最も恐れたのは、市民が政治を他人事にして社会が形骸化することだったという。ちなみに俺は今、ジャン=ジャック・ルソーTシャツを作ることを企画してるんだ。これは余談(笑)。
それはまさに現代の俺たちが生きるこの社会のことじゃないかい?
俺が君たちと話し合ってきたように、小学校や中学校の段階から、子どもたち、そして親や地域住民が「1人も切り捨てない対話のコストと果実」を体で覚えて育つ社会になれば、それはもはや単なる政治制度ではなく、社会の血液であり文化(インフラ)になるに違いないぜ。
多数決で分断される現在の「偽物の民主主義」とは、精神の次元が全く異なる「真の民主主義」が誕生することになるだろう。
だからこそ、これは未完のシステムであるんだよ。
政治の横暴にに対して、あるいは既存の政治や特権に抗議することも大切だろう。実際に今年も高市政権に対するデモが日本各地で行われているのは皆様ご存じのとおりだ。
けれど、デモをするとか、ネットで批判するなどの一過的な行動だけでは、実は権力を持ってるやつらの思う壺なんだ。権力を持ってるやつらはしたたかなんだ。人々がテーゼとアンチテーゼの間で分断が深まるだけなんだ。そして、分断して支配するってのは、大昔から権力を持ってる連中の一番得意なことなんだぜ。
彼らが恐れているのは、実は人々が連帯することなんだ。
しかし、彼らの手がなかなか届かない「日常の最も小さなコミュニティ」を、熟議と全会一致のユートピアへと塗り替えていく行為は、最も静かで、かつ最も確実に社会のOS(基本構造)を書き換える革命だといえないか?
この「底辺からの叩き上げ」という考えは、現代の閉塞感を打ち破るための強靭な思想だと俺は確信している。
俺は、これからも様々な本を読み、働く中で思索を深めながら、身近なところから種をまき続けていきたいんだ。
そう、この社会に「The Power of Equality🔗(ザ・パワー・オブ・イコーリティ)」ってのを顕現させたいんだ。レッド・ホット・チリペッパーズ🔗が歌ってたみたいなね。
2016/01/28
Post #1697 放っておいても、人はいつか死ぬ。愛し合ってるかい?
![]() |
| Bali,Indonesia |
ひとつの命が産まれてくるのに、どれ程大変だったのか、想像もつかないのか?
一度失われた命は、もう戻らないんだぜ。
それに、この二十歳の若者も、無垢な心を持って生まれたはずなのに、どうしてそんなんなってしまった?
来月子供が産まれてくる俺だが、二十歳の息子がいたっておかしくない年だ。それを思うと、胸が締め付けられるように悲しい。
放っておいても、人はいつか死ぬ。憎い奴も、愛しい人も。
ならば、出来るだけ愛し合っていた方が、この星で楽しく過ごせるんではないかい?
それを声を大にするのでもなく、しかし、力強く言いたい。
愛し合ってるかい?
2016/01/14
2016/01/11
Post #1688 47歳になっても自由な風に吹かれていたい
| 蝶は誰か死者の魂が、私の前に現れたもののように感じる |
誰が読むのかわからない文章を書き綴る事にも厭き厭きした。
直接誰かの心に届く言葉を、確かな手応えがかえってくる言葉を紡ぎたいとねがった。
だから、日銭稼ぎの仕事に専念し、こいつは放り出しておいたのさ。
先日、ふと今は亡き東松照明の傑作写真集『太陽の鉛筆』が復刊されていることを知り、無性にほしくなって、その日のうちに手入れた。
斜めに走る水平線の上に、青い空、そしてその空と海のはざまに浮かぶ白い雲。
あまりにも有名なこの一枚の写真で、この写真集は広く知られていた。
僕の部屋にも、その写真のポスターが貼られている。
本土復帰前後の沖縄の、そしてその辺境たる宮古島の、およそ40年前の人々の姿が、そこにはあった。
東松照明の視線は、島から島を伝うように、最南端の波照間島を経由して、台湾、フィリピン、マレーシア、シンガポール、バリ島へと伸びていく。民族が海流に乗って拡散していった道をたどるようにして。
その写真集をしげしげとながめ、目には見ることのできない国境や、自ら選ぶことのできない民族的な出自など、意に介することもなく軽々と越境し、自由に吹き渡る風が自分の心に吹き付けてくることを感じていた。
誰しもが情報を発信しうる現代、誰もが自らの主張の正しさを掲げ、異なる意見の者を認めようとはしない。誰しもが、自分こそ絶対だと信じているかのように見える。
しかし、それは所詮、相対的な世界の出来事でしかないように思える。
民族、国家、文化、言語、宗教、習俗、思想、貧富・・・・。
それがどうした?
正直、どれもこれもどうでもいい。しょせんはみんな相対的なものだ。
自分自身が、今ここで、現実の世界に直接対峙したときに感じる何かとは、まったく関わりのないものだと思える。
相対的なものを、相反するものを、等しく受け入れ、包摂するようなおおらかな思考の営みを持つことはできないだろうか?
気が付くと、47歳になってしまっていた。
1969年1月11日、午前2時36分、出生。以来47年。
ふと、金子光晴の詩が頭をよぎる。
こんな詩だ
南方詩集
本の名など忘れてしまひたいな。
女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。
軍艦鳥が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。
珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。
人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。
かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。
| Ubud,Bali |
2015/08/12
Post #1590
![]() |
| Ubud,Bali,Indonesia |
最近、よく思い出す言葉がある。たぶん高校生くらいの頃に読んだんだと思うんだけど、定かじゃないな。レゲーの神様ボブ・マーリーの言葉だ。何かのインタヴューで、ボブがそう答えたっていう断片的な記憶なんだけど。
インタヴュアー 『あなたはBMWを持っていますか?』
BMWはもちろん、ドイツの高級車だ。
ボブ・マーリー 『いや、持ってないよ。けど俺は別のBMWを持ってるんだ。ボブ・マーリー&ウェラーズだ。俺はBMWを欲しいなんて思わないけど、このBMWが俺にはふさわしいよ』
なんてカッコいいんだ、ボブ。さすがだ。
今思い出しても、かっこよさにしびれる。
虚飾でもはったりでもない、図太い自信を感じるよ。
ニンゲンは、資産や持ち物や姿かたちで評価されるべきではなく、その行いで評価すべきものだと言われているように感じるぜ。
読者諸君、失礼する。俺はボブ以外のレゲーはあまり好きじゃない。ボブの魂のこもった歌の前では、形式を踏襲しただけの安っぽいものにしか聞こえないんだ。残念なことさ。
2015/08/04
2015/07/31
Post #1578
![]() |
| Bali, Indonesia |
Eddie Cochran/The Who
Well, I'm a gonna raise a fuss,
I'm a gonna raise a holler
I've been working all summer
just to try and earn a dollar
Well, I went to the boss,
said I got a date
The boss said "No Dice, son,
you gotta work late"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues
Well, my mom and poppa told me,
"Son you gotta earn some money
If you want to use the car
to go out next Sunday"
Well, I didn't go to work,
I told the boss I was sick
He said "You can't use the car
'cause you didn't work a lick"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues
Gonna take two weeks,
gonna have a fine vacation
Gonna take my problems
to the United Nations
Well, I went to my congressman, he said, quote
"I'd like to help you son but you're too young to vote"
Sometimes I wonder,
what am I gonna do
There ain't no cure for the summertime blues
21歳の若さで夭折したエディ・コクランの名曲、サマータイムブルース。
勤労少年が親方にこき使われて、デートにもいけないってことで、『夏の憂鬱』に治療薬なんかないのさと歌う。
まさに、今の俺だな。俺はとっくに若年労働者じゃないけれど、俺の業界は労働安全衛生法の遵守は求められても、労働基準法なんて洒落たもんは、守られることはない、真っ黒な業界だからな。
俺がこの曲を初めて知ったのは、エディ・コクランだったか、それともThe WHOの名盤”Live at Leeds”だったかな。おおらかなロックンロールナンバーのエディ・コクランの原曲も好きだけど、俺が好きなのはThe WHOの爆音ライブヴァージョンだ。少年の親方の声を、ベースのジョンがガラガラ声で歌うのが好きだな。
このロックンロールの名曲に、皮肉の利いた歌詞をつけたのが、RCサクセションの忌野清志郎だった。今から30年ほどまえ、物議を醸し、東芝EMIから発売を拒否されたいわくつきの曲だ。
その諧謔の利いた歌詞は、30年たっても未だに現代的な問題を突き付けてくる。
暑い夏がそこまで来てる
みんなが海に繰り出してゆく
ひとけのない所で泳いだら
原子力発電所が建っている
さっぱりわかんねぇ なんのため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねぇ 誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている
『日本の原発は安全です』
さっぱりわかんねぇ 根拠がねぇ
これが最後のサマータイム・ブルース
あくせく稼いで税金とられ
たまのバカンス田舎に行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねぇうちに漏れていた
あきれたもんだな サマータイム・ブルース
電力は余ってる 要らねぇ
もう要らない
電力は余ってる 要らねぇ
欲しくない
原子力は要らない 危ねぇ
欲しくない
要らねぇ 要らねぇ
電力は余ってるってよ
要らねぇ 危ねぇ
当時は誰も本気に取らなかった。
今、改めてこの歌詞を読み、口ずさんでみると、震災を経験した俺たちには、この歌は異様なリアリティーがあるってことがわかるだろう。
そう感じないのは、電力会社のお偉いさんか、日本を守ると言いながら戦争したくて仕方ないといった風情の安倍ソーリ率いる、皆様お馴染みの自民党の阿呆どもだけに違いないぜ。
そんなに安全なら、東京湾や大阪港のど真ん中に作ってみたらどうなんだい?世界サイコーの安全水準なんだろう?名古屋港には御免だぜ。
なに、大丈夫さ。実際に地震や津波でえらいことになっても、誰も責任とりゃしないんだからな。
どうして皆様の安倍ソーリは、原発再稼働と安全保障法案、つまり戦争法案の成立を急ぐのか?
決まってるじゃん、日本のソーリ大臣なんて、みんなアメリカのポチだからさ。言ってることとやってることがちぐはぐなのさ。
バカバカしいぜ。俺は安倍ソーリの政策法案には、これっぽっちも共感できないぜ。
読者諸君、失礼する。夏の憂鬱につける薬はないのさ。7月もやっと終わりか。
2015/07/11
Post#1557
![]() |
| Ubud,Bali,Indnesia |
カミさん『体を思って、(仕事を切り上げて)帰ったら、JR事故で止まってる。会社にいればよかった。しょうがないのでご飯食べる。振替の名鉄も大変なことになってるらしく、乗るの無理』
俺 『それは災難だな。誰かがきっと線路に飛び込んだんだろうよ。』
カミさん『当たり』
俺 『生まれてくるのはこんなに大変なのに、命を粗末にするとは、馬鹿な奴じゃ。』
カミさん『本当だよ!今日仕事終わったの?』
俺 『今から夜の部』
カミさん『行ってらっしゃ~い。ご飯食べてる?』
俺 『そこそこ。ダルいわ』
カミさん『電車動き出した。90分遅れ』
俺 『バカのせいで、災難じゃ。絶望するより、逃げればいいのに。』
カミさん『その通り』
俺 『バリ島とかええぞ』
俺は懐かしいバリ島を思い出す。
おおらかで細やかで、優しく信心深い人々が住むあの懐かしいバリを。
鳥の声で目を覚まし、眠るときには天井にヤモリが這っているあの島を。
カミさん『自分の回りが世界の全てじゃないって誰か伝えてあげないかん』
俺 『・・・たわけばっかりだて・・・』
さすがは俺のカミさん。さらりと意味深長なことを言ってのける。こんなことをさらりと言ってのける女は、そこいらにはいないだろうな。
俺はできることなら、君たちに自分の回りだけが世界の全てじゃないって、大きな声で伝えたい。
自分たちが常識だと思っていることなんて、全然普遍的なものじゃないって、大きな声で伝えたい。
俺たちは、もっと自由に、もっと愉しく生きることができるはずだって、大きな声で伝えたい。
そして、俺たち一人一人が、かけがえのない存在だって、君に思い込んでもらいたい。
俺が君たちにとって、そんなまだ見ぬ世界からの使徒としての役目を果たせたなら、どんなにいいだろう。
俺は自ら命を絶った見知らぬ人の人生を思い、やり切れない想いで、名古屋弁でつぶやく。
『たわけばっかりだて…』
読者諸君、失礼する。昨日、かみさんのお腹のなかで、心音が確認された。けれど、まだうまく育ってくれるか、ぜんぜんわからない。不安きわまるぜ。命を授かるのは、本当に大変なんだ。君にはそれを粗末にしてほしくないんだ。勇気を持てば、新しい人生が開けるはずだ。
また会おう。
2014/10/23
2014/09/18
2014/09/07
Post #1250
![]() |
| Denpasar,Bali,Indonesia |
来週から新しい現場が始まってしまうというのに。
痛恨だ。
雑事とは、父親に関する様々な問題だ。
実は昨日の朝も、当の親父と話し合っていたのだ。
俺の親父は、どうしようもないダニのような男で、そのくせ安物のメッキのようなプライドだけが高く、周囲の人間を拝み倒しては金を借り、まったく返す気もないという困った男だ。
そのくせ、自分が他人に何か貸しを作ると、自分の借りは棚に上げて、いつまでもあの時こうしてやっただろうと、恩着せがましく言い続ける。
血のつながりがなければ、とっくに殴り飛ばしていることだろう。
とにかく俺とは全く気性が違うのだ。
俺はさしずめ、トンビが鷹を生んだ類の男だろう。
俺は何度か煮え湯を飲まされたので、ここ20年ほどほとんど関わることなくやり過ごしてきた。
そして、そのツケが回ってきたのだ。
俺は今日一日、債権者の方と話し合っていたのだ。
俺も債権者の方も、俺の親父については、可能な限り資産を整理して、自己破産するしかないという共通認識を持っているのだが、いかんせん、当の本人が世の中を舐めているので、どうなることやらだ。
俺は、今日一日を、空費してしまったという悔恨の思いで、自らの写真を見つめる。
あぁ、バリ島の照りつける太陽が懐かしい。
むんと鼻にくる蒸せるようなにおいが懐かしい。
暗室の暗がりをほのかに照らす赤いライトが懐かしい。
つんと鼻にくる酢酸の臭いが懐かしい。
読者諸君、失礼する。俺は、俺の大切な時間を奪う奴が、大嫌いだ。
2014/08/30
Post #1242
2014/08/27
Post #1239
![]() |
| Ubud,Bali,Indonesiaしゃ |
2014/07/25
Post #1206
![]() |
| Denpasar,Bali,Indonesia |
どうにも昨日あたりから、右の足首に疼痛があるんだ。痛風だろうか?いつも出るのは左足なんだけどな。
あの痛みは耐え難いぜ。象だかトラックだかに、足を潰されているような痛みを感じるんだ。
冗談じゃないぜ。大の男が、想像しただけで涙ぐみそうだ。
さて、今日は給料を自分に振込に行かねばならないんだ。
こうしちゃいられない。痛む足をオイディプス王のように引きずりながら、銀行によって男の仕事に行くとするか。
気が進まないな。
それはそうと、なんだか、バリ島最大都市の裏通りってのは、どこか懐かしい風情があるねぇ。大昔に東松照明が撮った瀬戸の写真を思い出したよ。
読者諸君、失礼する。
2014/07/21
Post #1202
![]() |
| Bali,Indonesia |
三毛作の稲田にアイガモが群れているただなかに、
この像は立っていた。
独立の英雄を讃えて建てられたものなのだろうか?
『時間』の持つ、情け容赦のない浸食を蒙り、頭はいつしか失せ、
右足はモルタルが剥落し、鉄骨のみで宙に浮いている。
かつては躍動する若い国家の希望を顕わして、
農民たちを睥睨していたであろうその像は、
今ではせまりくる夕闇の気配の中、
無惨な姿をさらして、風に吹かれている。
ここでは、英雄は忘れられても、
人々の暮らしは、延々と続いていく。
バリ島の田舎道。
三毛作の稲田にアイガモが群れているただなかに、
この像は今日も立っている。
読者諸君、失礼する。今日は爆睡しちまったよ。
2014/07/18
Post #1199
![]() |
| Ubud,Bali,Indnesia |
バリの田舎町、クボ・エダンという寺院に行ったとき、地元のおっちゃんが祭りで使うガムランの鉄琴を奏でてくれた時のあの音だ。バリのヒンドゥー教の寺院は、日本の神社に驚くほどに通っている。
日本の神社なら、みこしを収めた細長い蔵があったり、東屋で舞踏の練習をしているのを目にする事が出来たり、お囃子の練習をしている音色が漏れ聞こえてくるのを聞くことがあるように、バリの寺院には、ガムランオーケストラの楽器一式が収められた倉庫があり、地元の男衆は、そこで暇に任せて練習しているのだという。
実際に、やってみろと手渡されて、水牛の角でできたハンマーで叩いてみる。しかし、叩いただけの音だ。ガムランでは、一枚の鍵盤を叩いて音を出すと、すぐにその板を左手でつまみ反響を抑える。そして、左手がつまんでいるときには、右手は既に次の鍵盤を叩いている。その繰り返しで、非常に忙しいことになる。
ガキの頃から仕込まないとだめだろう。ガキの頃、リコーダーが上手く使えなくて楽器に苦手意識を持っている俺としては、なおさらだ。
やはり、ガムランもロックもブルースも、俺は聴いているのが性に合っている。そして、そのエッセンスを自分のなかに繰り込んでいけばいいだけの話だ。
読者諸君、失礼する。バリ島にでとんずらしたくなる暑さだよ。





.jpg)


+(512x640).jpg)
+(512x640).jpg)
+(512x640).jpg)
+(512x640).jpg)
+(511x640).jpg)



