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2026/06/29

POST#1892 中央アジアを席巻したスキタイの共同体家族構造

 

Hungary
そう、これこそがエマニュエル・トッド🔗が『世界の多様性🔗』や『我々はどこから来て、今どこにいるのか?🔗』で描いた最も進んだ家族システム・共同体家族そのものだ。

こいつをインストールしたことで秦は中国を統一し、今日に続く中国の全体主義、専制主義の糸口をつかんだということなんだ。カール・ポパー🔗が聞いたら頭を抱えるさ。

エマニュエル・トッドの『世界の多様性』における核心的理論、すなわち「共同体家族(共同居住、兄弟一律平等の遺産相続、強い親権、内婚傾向)」というシステムが持つ「高い権威主義(全体主義)と平等の両立」のパワーを、秦の穆公🔗西戎🔗スキタイ🔗のルートから中華世界へと持ち込んだ――。この視点によって、中国史が持つ「なぜあれほど苛烈な全体主義国家(秦)が生まれ、それが今日の中国(共産党体制・専制主義)にまで2000年以上脈々と受け継がれているのか」という最大の謎の底流が一気に繋がるんだ。まさに一気通貫だ。

トッドの家族構造論を基盤に、この極めて本質的な結論をさらに立体的に補強・整理するかな。

1. 「共同体家族」というシステムが持つ恐るべき国家統治力

トッドの理論において、ロシア人や中国人=漢民族のベースにある「共同体家族」は、近代において「共産主義(全体主義・強権的な国家管理)」を非常に受け入れやすい土壌として定義されているんだ。なぜかって?

中原(夏殷周)の「直系家族」と西方の「共同体家族(遊牧民的システム)」

長子が家督を継ぎ、本家と分家の不平等な階層(宗法・身分制)を固定化する『直系家族システム』。このシステムでは、個々の「家」の独立性が高く、国家が一元管理しようとしても、強固な親族ネットワーク(つまり氏族・貴族)が抵抗勢力となるわけだ。もっと言うと国家に対するバッファーになるんだよ。

一方で共同体家族はどうなのか。このシステムでは親の権威は絶対(強権)なんだけど、兄弟間は「一律平等」なんだ。だから社会のシステムとしても、貴族の血統のような「縦の特権階級」を認めず、全員をフラットな兵卒・臣民として扱う方に流れていくんだ。

ざっくり言えば、将棋の駒の直系家族と、どれも同じ扱いの碁石の違いみたいなもんだ。

秦は、穆公が西戎からこのエッセンス、つまり共同体家族的なマインドセットを注入したことで、中原の国々のような「貴族の既得権益」に縛られない、「絶対的なトップ(君主)と、その下で一律平等に管理される兵民(国家=疑似的な巨大共同体家族)」というシステムへ移行する基礎を得たという構図が描けるわけだ。

2. 商鞅🔗の改革とは「国家による共同体家族のシステム化」だった

穆公から約250年後、秦で商鞅🔗が無理くり断行した「商鞅の改革」は、まさにこのトッドの言う共同体家族の価値観を、国家法(OS)として全土に強制インストールする作業だったという算段だ。もちろん、この極端な政策を人々が受け入れたのは、穆公によって秦に移入された西戎経由のスキタイ的な社会構造があってのことなのはいうまでもないよ。

大家族(直系的な親族)の解体と平民化(分異の法)

商鞅は、1つの家に複数の大人の男子が同居して自立しない場合、税金を2倍するという無茶苦茶な政策を国民に押し付けたんだ。これにより、中原的な「一族の固まり(直系家族の巣窟)」を徹底的に破壊し、すべての人間を国家の前に「一律平等な核家族=個人」にバラしてしまったんだ。つまり父親の果たしていた役割を国家に肩代わりさせるようなもんだね。

軍功授爵制(平等の徹底)

どれほど名門の生まれの直系家族の長男であっても、戦争で敵の首を取らなければ奴隷に落とされ、逆にどれほど身分が低くても、成果を上げれば爵位がもらえるという、極端な能力主義社会を商鞅は設計したんだ。このシステムの持つ「トップの絶対的な権威(法・君主)」の下で、「すべての臣民はスタートラインにおいて平等である」という強烈な平等のダイナミズムこそ、秦の共同体家族システムの持つ最大の爆発力なんだよね。

中原の諸侯が「直系家族」のイデオロギー、つまり儒教🔗の祖先崇拝、身分の秩序、礼法で国をコーティングしていたのに対し、秦は「共同体家族・遊牧民」のリアリズム(法家、軍功、一律管理)で国をサイボーグ化したわけだ。

だからこそ、秦は他の6カ国を物量と組織力で圧倒し、始皇帝🔗の元で天下を統一できたわけだ。

3. 今日まで続く「中国の専制主義」の直系ルート

そして、この時に秦が完成させ、漢以降の王朝が(表面上は儒教で飾り立てながらも)裏の統治システムとして採用し続けた「外儒内法(表面は儒教、中身は法家)」の構造こそが、現代の中国の全体主義へと直結しているんだ。

歴史ってのは、侮れないもんなんだぜ。

トッドが現代の中国(共産主義・専制主義)の権威主義構造のルーツを漢民族の共同体家族の基盤に求めたように、その「家族システムの政治的・国家的一元化」を歴史上初めて成し遂げたのが秦だったという事さ。そして、その最初の遺伝子を西戎から持ってきたのが穆公だった、という筋道は自信をもって読者諸兄諸姉にお送りするよ。

堯🔗舜🔗時代の「フラットでアノミーな(王の支配が緩い)双系社会🔗」から、夏🔗殷🔗周🔗の「硬直した身分制の直系社会」へ。

そして、その閉塞感を打ち破るためにスキタイ起源の西方の風(共同体家族の原形)を取り込んで「始皇帝の専制国家」を誕生させ、それが今日の中国にまで至る――

この歴史のグランドデザイン(大局観)は、東洋史の点と点がトッドの人間社会学という補助線によって一本の巨大な線に繋がる、知的な興奮に満ちた、なかなか面白い仮設だと思うよ。覚えておいて損はないぜ。


さて、問題はこのスキタイ人だ。

スキタイ人は、紀元前8世紀〜紀元前3世紀頃に黒海北岸の南ロシア草原で活動した、世界最古の遊牧騎馬民族だ。 イラン系民族🔗に属し、高度な騎馬技術と優れた金属器文化 を持ってユーラシア大陸の広範な歴史に決定的な影響を与えたとされている。

その概要と、後世や周辺文明に与えた文化的影響について整理してしてみよう。

1. スキタイ人の主な特徴

遊牧騎馬国家の先駆者で独自の戦闘風習を持つシルクロードの仲介者

もともと黒海🔗付近に住んでいたと考えられてるスキタイ人は、西アジアのヒッタイト🔗から鉄器の製造技術を学び、優れた馬具や武器を開発した。けれど彼らは遊牧民だったので、神殿などの永続的な建物は建てず、移動しながら暮らしていたわけだ。

彼らの精強さと独自の戦闘風習は、ギリシャの歴史家ヘロドトス🔗の著書『歴史🔗』に詳しく記録されている。まぁ、この人は話を盛る傾向にあるから、眉唾物も山ほどあるんだけどね。スキタイ人は戦闘で倒した敵の血を飲む、頭皮や人皮を剥ぎ取って馬具や矢筒の装飾にするといった苛烈な戦士文化を持っていたという。まるで敵を家畜か獲物かなんかのように思っていたんだろうな。

スキタイ人は定住生活はしなかったものの、その移動範囲は広く、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国を結ぶ広大な貿易網の仲介人として働き、東西の文化交流を促進したとされているんだ。


2. 周辺と後世への文化的影響

スキタイ美術(動物意匠)の拡散

スキタイ文化の最も顕著な遺産は、金や青銅で作られた金属工芸品に見られる「動物文様(動物意匠)」だ。

馬、鹿、猛禽類、ライオン、豹などの動物が、武器や馬具、鏡などの限られたスペースにデフォルメされて躍動的に描かれていた。この辺のモチーフは、今も中央アジアの人々の好むところだ。

この美術様式は東方にも伝わり、西戎や北狄、そして漢代にモンゴル高原で台頭する匈奴(きょうど)などの遊牧民族に受け継がれることになり、彼らを介してさらには戦国時代〜漢代の古代中国美術にも影響を与えた。

彼らスキタイ人のの残した膨大な金製品は、ロシアのエルミタージュ美術館などに多数収蔵されているんだそうだ。何しろ中央アジアは近代以降ロシア=ソビエト連邦の草刈り場だったからな。

ユーラシア全体の「騎馬文化」の基盤

スキタイが確立した「轡(くつわ)」や「鐙(あぶみ)」の原型となる馬具、軽快な複合弓、乗馬に適したズボン(衣服)は、それまでの定住農耕社会の戦術や文化を劇的に変えたんだ。趙の武霊王🔗の話は昨日もしただろう。まさにあれだ。胡服騎乗というスタイルだ。

西アジアやヨーロッパ、東アジアの諸民族がスキタイの騎馬戦術を取り入れたことで、世界史に「遊牧民 vs 農耕民」という構図が生まれ、ユーラシア規模でのダイナミックな民族移動や国家の興亡が促されていくことになったわけだ。

ギリシャ文明との融合(グレコ・スキタイ様式)

さらに面白いのは、黒海沿岸に進出し植民地を築いていた古代ギリシャ人との交易を通じて、双方の文化が融合するという局面が生まれたんだ。

ギリシャの優れた職人がスキタイの王侯貴族のために、スキタイ人の日常生活や衣服のディテールを刻んだ見事な金細工を制作したりしてたんだ。これにより、文字を持たなかったスキタイ人のリアルな姿が現代に伝わることになったというわけさ。また、さっきも挙げたヘロドトスのような歴史家や博物学者は、彼らに関する伝聞を聞きつけると、ギリシャ語文献にせっせと記録したんだ。

スキタイ人そのものは紀元後に東ゴート人🔗などによって滅ぼされてしまうんだが、彼らが切り開いた「遊牧国家」というスタイルと「東西を繋ぐネットワーク」は、その後のモンゴル帝国🔗などに至る遊牧民の歴史の華々しい成功を伴うプロトタイプになったのは言うまでもないな。

スキタイの巨大な墓「クルガン🔗

スキタイの王や貴族は、「クルガン」と呼ばれる巨大な盛り土(土を高く積み上げたお墓)に葬られた。どこまでも続く草原の中にぽつんと現れる巨大な丘のような墳墓で、日本の円墳と外見が非常によく似ているという。

そして、しばしばそのクルガンの頂上や周囲に埴輪の代わりに置かれたものは「石人(せきじん)」と呼ばれる、武器を持った戦士の姿を粗削りに彫った不気味な石像が立てられていた。

スキタイのクルガンからは、王の権力を示す黄金の冠や、馬具、武器、職人が作った工芸品が大量に出土する。遥か後世の日本の古墳(特に5世紀以降の古墳時代中期・後期)からも、乗馬文化の伝来とともに、スキタイのものと酷似したデザインの「馬具」「鉄製の武器」が大量に見つかっているのも興味深いところだ。

またスキタイの墓には、生前の王が愛した「本物の馬」が何頭も生贄(いけにえ)として一緒に埋められていたんだ。馬の殉葬だ。日本でも古墳の周囲に「馬の形をした埴輪(馬形埴輪)」をたくさん並べてあったようなんだが、その影響を感じるぜ。

本物の馬を埋めるか、身代わりの焼き物(埴輪)を並べるかの違いはありますが、根底にある「馬を重視する文化」は共通していたとみていいだろう。つまりスキタイが発展させた騎馬文化や動物のデザインは、何百年もかけてアジア大陸を東へ伝わっていき、それが朝鮮半島を経由して日本に伝わったてことだ。ご苦労様だな。そしてそれが日本の古墳文化(特に甲冑や馬具のデザイン)に大きな影響を与えたと考えられているんだそうだ。

さらにスキタイの王が亡くなった際に行われた殉死🔗(じゅんし・殉葬)」の儀式は、世界史の中でも特に大規模で凄惨なものとして知られている。これが凄まじいの一言に尽きるんだ。

ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録や、実際の考古学的な発掘調査から明らかになっている、スキタイの衝撃的な殉死の全貌を読み解いてみると、こんな途轍もない事実が浮かび上がってくる。

1. 王の死の直後に行われる「第1段階」の殉死

王が亡くなると、遺体は防腐処理(内臓を取り出して香料を詰め、ワックスで固める)を施され、領内を40日間巡回したあとに巨大な墓(クルガン)へ運ばれたそうだ。そこでまず、以下の人や動物が一緒に埋められたんだ。

王の身の回りを世話した人々

王のお気に入りの側室(妃)、酌人(お酒を注ぐ係)、料理人、馬夫、侍従、伝令使などが、王が死後の世界でも困らないようにと絞殺されて一緒に埋葬されたそうだ。凄まじいな。

それに加えて王が愛用した黄金の器や武器はもちろん、選りすぐりの名馬たちが何頭も殺され、王の遺体のそばに並べられたそうだ。

やれやれ、あの世には何も持っていけやしないというのに。とんでもないな。けど、それで終わりじゃないんだ。

2. 1年後に行われる「第2段階」の恐ろしい儀式

スキタイの殉死が特に異様なのは、葬儀から1年後」に再び大規模な儀式が行われる点だ。何事もセンセーショナルに盛る傾向のあるヘロドトスは次のように書き残しているぜ。

王に仕えていた自由民の若者50人と、最高級の馬50頭が選ばれ、すべて絞殺さた。

そして殺した馬の腹を裂いて内臓を抜き、藁(わら)を詰めて棒で支え、地面に立たせたんだ。趣味がいいにもほどがあるぜ。さらに、殺した50人の若者の遺体にも背骨に沿って木の棒を突き刺し、その馬の背に乗せたんだとさ!まさに「動く死体の騎兵隊」の設置だ。ゾンビ・トルーパーズってところだな!

この「死んだ馬にまたがる死んだ若者」の死体というか呪物というかを50体、巨大な墓(クルガン)の周囲を取り囲むようにぐるりと配置したという。

要は死後の世界でも王の墓を永遠に守る「幽霊の騎兵隊」を作ったってことだ。冗談じゃないぜ。さすがに話を持ってるだろうヘロドトス!

3. 実際の考古学的な証拠

長年、ヘロドトスのこの記述は「ヘロドトスの十八番、大げさな作り話だろう」と思われていたんだ。それが普通だよな。なんせインド人の精液は黒いとかありえないような話で読者を掴む天才ヘロドトスだ。誰もがまた担がれてると思ってたのさ。

しかし、19世紀以降に南ロシアやシベリアのクルガン(パジリク古墳群など)が発掘されると、記述を裏付ける証拠が次々と見つかっちまったからさぁ大変!

中には永久凍土のおかげで、当時の馬の遺体が皮膚や毛並みを残したまま、何十頭も生々しい姿で発見されたものすらあった。

その馬の頭骨には、儀式で一撃で仕留められたことを示す斧の打撃痕がくっきりと残っていたそうだ。

そして王の衣服や黄金の宝飾品とともに、多数の男女の遺体が同時に埋められている様子も確認されているんだ。ヘロドトス、疑ってすまん!

何でこんな酷いことをする必要があったのか?

それは文字を持たない遊牧民だったからこそ、王の権力の絶対的な強さを「命を捧げさせること」で周囲の部族に見せつける必要があったというように推測されているわけだ。

2015/03/17

Post #1441

Budapest,Hungary
ロシアからのスパム・アタックが止まらない。
おかげさんで、PVはうなぎのぼりだ。ちっとも嬉しくはないがね。

夜勤明けの帰り道、鶯の鳴く声を聴き、とうとう春が来たかと実感するわけだが、家に帰って新聞を見ると、どんよりとした気分にさせられた。

一年前のロシアによるクリミア併合の際、ロシアの大統領プーチンは、最悪の場合核兵器の使用も準備していたと、TVのインタヴューでぬけぬけと答えやがった。

俺はプーチンは阿呆だと確信したよ。

おっと、またこんなことを書くとロシアからのスパムが激増してしまうことだろう。最悪の場合、俺もプーチンの刺客にぶっ殺されちまうかもしれん。なに、そうなったからといって、たいした問題じゃない。痴漢が一人、地球から減るだけだ。どうということもないさ。
それよりも、自分が思ったことを、堂々と言えない、或いは言わないことの方が、俺には重大な問題だ。

俺が少年の頃、世界は米ソ二大国による冷戦の真っただ中だった。
いつ阿呆な大統領なり狂った書記長なりが、とち狂って核ミサイルのボタンを押すのか、俺たちは黒ひげ危機一髪のような気分で、戦々恐々として暮らしていたのさ。
俺はガキの頃、俺が30歳になるまでに、世界は核戦争で滅びちまうもんだと信じていた。
今思えば、そんなこと考えずに、もっと将来のことを考えてお勉強しておけば、もっと割のイイ、窮屈な仕事に就くことが出来ただろう。もっとも、俺の性格じゃ、長続きしたとも思えないけれどね。
ペレストロイカに、ベルリンの壁崩壊、そしてそれに続くソビエト連邦の崩壊によって、世界は全面核戦争の危機から救われたかと思ったものさ。

それが、今朝のニュースで見たプーチンの発言で、世界はまた狂ったような我慢比べに突入したように感じたよ。

だいたい、クリミアでNATOや米軍相手に核兵器なんか使ったとしたら、クリミアに人間なんか住めなくなるんだぜ。ちょっと考えればどれほどリスクが高いかわかるだろう?
そんなことも分からず、核兵器の使用を選択肢に入れるなんて、正気の沙汰とは思えないね。

まったく、この世は悪無限だぜ。
はっきり言っておくけど、俺はどんな戦争にも反対だ。
戦争というのは、他国の軍隊を使って、自国の国民を殺させる行為なんだ。
いったいぜんたい、戦争が俺たちに少しでも良いものをもたらすっていうのかい?
答は、ノーだ。ナッシングだ。

やくざ者がトカレフや日本刀をひけらかして、粋がるような真似はやめてほしいぜ。
そして、ロシアとの間に領土問題を抱えているからと、弱腰で非難声明の一つも出せないわが国の政府の腰抜けぶりにも、うんざりだ。
何が積極的平和主義だ。笑わせるぜ。
この地球上で唯一核攻撃を受けた事のあるニッポンが、声を大にして非難しないでどうするのさ?
目先の利益ばっかりで、理念も理想もありゃしない、毎度おなじみ事なかれ主義国家日本の事なかれ主義外交だ!
ここぞという時に、言うべきことを毅然として言わないから、世界中から舐められてしまうのさ。

恥ずかしいぜ。

恥ずかしいついでにもう一つ。
何がどうまかり間違って自民党の国会議員なんかになっちまった三原じゅん子が、太平洋戦争中のスローガンとして使われていた『八紘一宇』なんて言葉を、国会で持ち出しやがった。
今朝の新聞から引用しよう。
三原氏は衆院予算委員会の質問で『ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります』と述べたという。
この八紘一宇なんて言葉、いまどきの人は誰も知るまいて。
手元の新明解国語辞典を引いてみよう。それにはこうある。
『全世界は本来一つであるということ。』それは結構だ。現実には程遠いがな。そして以下こう続く。
『第二次世界大戦中の侵略を合理化するためのスローガンとして用いられた。』もちろん、八紘一宇の中心には、天皇陛下ということになっておったわけだ。いまどきこんな言葉を引っ張り出されて、陛下もさぞや御心を痛めておいでだと、俺はおいたわしく思うのであるよ。

まったくもって、戦後70年を迎えて、なにかと近隣諸国とギスギスしている折に、あえて持ち出すような言葉じゃないよな・・・。三原じゅん子、こいつも阿呆だ。しかも、その後こう続けたという。

『八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う。』と語ったそうな。

これは、何やら結構なことを言っているように見受けられるが、よく考えてみると、何も言っていないに等しい。世界が愛し合えないのは、人類の歩んできた長い道のりのしがらみがこんがらがっているからだし、助け合えるような経済や税の仕組みなんてのが、ほいほいと提案できるようなら、誰も苦労しないし、ダボス会議もOECDも必要ないってこった。
正直言って、小学生の作文レベルの発言内容だ。
で、何か言っているようで何も言っていない部分をバッサリと切り捨てると、単に先の戦争中のスローガン、苔の生えたような『八紘一宇』の言葉と、安倍総理礼賛だけが残るって寸法だ。

三原じゅん子、政治家の素質なし!

俺は、破壊本能と闘争本能の塊みたいな男どもじゃなくて、女に任せておけば、世の中もっとましになるかと思っていたんだが、三原じゅん子や櫻井よしこ、それにアパルトヘイト推進論者の曾野綾子なんかを見ていると、女にも任せておけない気がするよ。

読者諸君、失礼する。まったく、時代錯誤も甚だしいぜ。ふざけんな!

2015/02/17

Post #1413

Budapest,Hungary
自分の軽率な振る舞いで、相手からやんわり慇懃に、しかし厳しく拒絶されてしまって、強烈に自己嫌悪に陥る。自己嫌悪のあまり食欲すらない俺さ。
俺はすぐに調子にのっちまうからな・・・。自分でもすぐに舞い上がっちまうってのはよくわかってるんだ。わかっているけど、気が付いた時はいつも遅い。相手をうんざりさせてしまうんだ。
いつだって、悪気があるわけじゃないんだけど、悪気がないからこそ、拒絶されると心底こたえるよ。気に入らない奴に拒絶されるのは、屁でもないんだけどねぇ・・・。

読者諸君、失礼する。イイ年して情けねぇったらないよ・・・。

2015/02/13

Post #1409

Budapest,Hungary
夜勤明け、いつも駅で赤旗新聞日曜版を配っている市会議員のOさんと立ち話をする。
Oさんは、70代後半とお見受けするが、共産党の市会議員として、長年地道に活動してきた人だ。
彼は、昨日行われた安倍首相の所信表明演説の内容に憤っていた。

俺は、家に帰って新聞を広げ、つらつらと目で追ってみる。
個々の内容については、君たちも自分で吟味してくれ。
俺は共産党にいつも投票してるけど、共産党員じゃないからな。
何が正しいのかは、君たち自身で判断するんだ。
別に、俺は国賊とか非国民呼ばわりされるのにビビってるわけじゃないぜ。
自分たち自身で、それぞれが静かに吟味することが必要だって思ってるのさ。

確かに、いいことばかり言ってるようで、肝心なことには触れていない。
経済だの成長だのということばかりで、肝心要な、自民党の目指す憲法改正だの集団的自衛権の解釈変更だの、物議をかもしそうなことには、突っ込んだ発言はなかった。最終コーナーは岡倉天心だの吉田茂の言葉を引用して、ムードで引っ張っていたようにも思う。いかがなものだろうか?


同じ新聞に、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカーの死を悼み、ドイツで国葬が営まれた記事を読んだ。

俺は思う。

どうして戦後70年、この国はひとりのヴァイツゼッカーも生み出しえなかったのかということを。

それが悲しい。

折しも、安倍首相は大戦中の侵略行為を反省した村山談話を継承しない方向で、戦後70年の談話を出すと言われている昨今、彼我の政治家の見識、力量、思考の射程距離の違いに愕然唖然呆然とするのだ。

政治は、利益を並べ立て、大衆を利で釣るものではないはずだ。
政治は本来、言論の力で、人々の心を揺さぶり、社会の進むべき道を示すという、優れて芸術的で創造的な営みであったはずだ。そこで真に問われるべきは、利益ではなく理念であり、経済の成長ではなく、私たちは自らの手で、どのような社会を作るべきなのかという哲学であったはずだ。

ヴァイツゼッカー氏の、有名な演説『荒野の40年』を以下に引用したい。
1985年5月8日、ナチスドイツが連合軍に敗れ、戦争が終結した記念日にヴァイツゼッカーが行ったものだ。彼は、この敗戦をナチスドイツからのドイツ国民の解放だと定義していた。
長い文章だが、ご容赦願いたい。長いけれど、君に、あなたに、ぜひ読んでほしい。面倒だってんなら、最後の方だけでもイイだろう。とにかく読んでほしい。
そして考えてほしい。

『5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。


 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。


 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。



 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。

 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

 物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

 かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか――このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)――われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

 ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

 ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

 しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

 しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

 故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

 この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

 何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

 五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること――これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

 これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

 1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった――こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

 ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

 いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      

 戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

 ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

 戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

 傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

 ――第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

 ――人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

 ――独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

 ――中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

 ――東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

 ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

 東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

 人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。

 当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

 道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。


 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
 これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。


 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。


 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。



 今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。』


未来は過去からやってくる。そして、寛容な精神を持つものが、未来を切り開くことが出来る。

読者諸君、失礼する。俺たちは、どれだけ自分たちの過去について、知ろうとしているだろう?どれだけ自分と異なる価値観の人々に、寛容になれるだろう。よく考えてみてほしい。

2015/01/06

Post #1371

Budapest,Hungary
先日言ってた『梁塵秘抄』で、もう一つ好きな今様をあげてみようかな。

『われを頼めて来ぬ男 
 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ
 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ
 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け』

俺は手足が異様に冷たい。寒い時期に歩いていると、足の指先の感覚がなくなってくるほどだ。
そっからすると、冬の凍えるような水田に佇む鳥の足の冷たさを、毎日のように味わっているわけだ。
また、この年になるまで、しっくりする仕事に恵まれず、浮草のように漂ってきた。
これもその心細さは実感できるな。

けれど、残念ながら没頭の『われを頼めて来ぬ男』つまり、女性をして、わたしを頼みに思わせておきながら、訪ねても来ない男ってのだけは、ついぞ女性にそんなふうに思われたことがないので、そんな自分が少し侘しいもんだ。
女の人にそんなふうに思われなくても、はなっから『人に疎まれ』てるんじゃないかって思えるぜ。

男として、ロマンに欠けるなぁ・・。

仕方ないわな。こう長いこと社会の底辺を転げまわってるようじゃね。

読者諸君、失礼する。さてと、県税事務所でも行ってきますかねぇ・・・。

2014/12/30

Post #1364

Budapest,Hungary
年賀状も作ったし、今年最後の入金も確認した。なんとか年も越せそうだ。帳簿や青色申告の書類、来年の現場の図面のチェックなんかは年を越してからでも、なぁにかまやしねぇさ。
しかし、まだ明日の夜に今年最後の仕事が控えている。きっと、現場で愉快な仲間たちと新しい年を迎えてしまうのだろう。
それも、面白いぜ。年越しライブみたいなものさ。観客はいないがね。

独りで家にいると、どうしようもない寂しさのようなものを感じてしまう。
胸の奥から、ありったけの力を振り絞って、すげーシャウトを絞り出したいのだ。胸の奥、肺のあたりに赤黒い溶岩の塊のようなものが、煮えたぎりながら回転し、その表面から時折鋭い刃が瞬間飛び出して、自分自身を責め苛むような、極上の気分だ。
こんな機会に誰か久しくあっていない人と語り合ったりしたいものだが、人と話しても、何かが伝わりきらないもどかしさが残る。きっと俺には何か精神的な問題があるんだろう。そもそも、そんな塊を他人に押し付けるわけにもいかないし、その塊を言語化する術すらない。
それはひょっとしたら、昨日俺が言っていた、昏い情念のようなものかもしれない。
おかしいなぁ、俺にはそんなもの、無いはずなのに・・・。

俺はただ、太い火柱が空に向かって立ち昇るようにして、自分の生命を燃やし尽くしたいだけなのに。
その願いを『狂気』というのなら、俺は『狂気』にとらわれているんだろう。

どうやって、その『狂気』を宥めるのか。
俺には分かってるんだ。とても億劫だけれど。
今から薬品を調合して、暗室に籠ってプリントするしかないんだ。

俺の居場所は、そもそも路上か、暗室の中にしかないんだ。
くそっ、素敵なお姉さんの胸の奥とかにも、ささやかな居場所が欲しかったぜ。
しかし、素敵なお姉さんなんて、今はどうだってイイ。
早くしないと、唐突に絶叫して、精神病院に放り込まれるようなことになっちまうぜ。

こうしちゃいられない。

今年最後のプリント祭りだ。
暗室の外で、何が起こったって知ったことか。死後の世界のような、白と黒のイメージと、生まれる前の胎内のような赤い光が、俺の魂の居所だ。とても安らぐんだ。

読者諸君、失礼する。来年も俺は路上の狩人、暗室の哲学者でいたい。ついてこれない奴なんて、かまいやしないぜ。走り続けていないと、俺は自分の中の狂気に焼き尽くされちまうんだ。

2014/12/29

Post #1363

Budapest,Hungary
俺は、いつもヒトが抱えている過剰や欠落に目が行ってしまう。そして、出来る事なら写真に収めたいと思っているんだ。しかし、その行いには、往々にして反社会的なにおいが纏わりついてしまう。正直に言って、犯罪とすれすれだ。いや、人間の(臭いものには蓋というか、問題から目を背けたいという心性に由来する)倫理観からすれば、明確に犯罪かもしれない。

それは、別に手足や目鼻が欠損していたり、多指症の人の手だとかというわけではないんだ。

人間が、内に秘めた昏い情熱の塊のようなものが、マグマが地殻を突き破って出てくるように、その人間の行動や考え方や姿かたちに、現れる。その過剰は俺の考えでは、何らかの欠落、そう心のなかにぽっかり空いた空隙を埋めるために生み出され、しかし、その空隙を埋めることはできないままに、表面に噴出しているのではないかと思う。

そうだとすれば、何か抜け殻になってしまったような人も、周囲に異様な存在感を放射している人も、根本的には同じカテゴリーの存在なんじゃないかと思っている。

例えば、ほら過剰なピアっシングをしていたり、リストカットを繰り返していたり、あるいは飽くことなく性交を求め続けるセックス依存症の人とか、服装やしぐさに過剰な自己表出が現れている人とか。

人間の表面に現れる兆しは、その内面に渦巻く昏いパトスの噴出だと考えているんだ。
満たされて幸せそうな人々には、その暗い影は差していない。
そんな欠落や過剰を抱えている人のまなざしは、どこか光が違うのだ。

そんな人間を、写真に収めてゆきたいと、いつも思う。
出来る事なら、その心のなかに空いているだろう暗く湿った穴を、それを埋めようと渦巻く情念の塊を、この手に取って見てみたいのさ。
しかし、そもそもそれは写真に写るものなのだろうか?手に取ることが出来るものなのだろうか?
まぁ、なかなかそんな人間らしい人間は、俺の前には現れてくれないけれどね。


読者諸君、失礼する。俺ですか?俺にはそんな昏い情念なんて、これっぽっちもありゃしないよ。俺はこう見えて、到って退屈な平々凡々たる男でござんす。

2014/08/03

Post #1215

Budapest,Hungary
今日も昨日に引き続き、ブダペストのバブルマン。
このいかにも酒呑みといった風情のオジサンが、どういう経緯で街頭でシャボン玉鉄砲を売ることになったのか?
その生活に、果たして彼は満足しているのか、それとも誰にも言えない鬱屈があるのか、考えるとなかなかに楽しいものさ。どんな人にも、それ相応の人生のドラマがあるものさ。
しかも、おばさんが買い物に使うようなキャリーカートに商品をいれているんだろうが、それでこの、オジサンの生活を維持し、更には俺の想像によれば、オジサンの酒代まで稼ぎ出すことが可能なんだろうか?
大人になると、いろいろと下世話なことを想像出来るようになって、写真一つ見ても楽しいのさ。いわゆる行間を読むという奴だ。目に見えるものだけでしか、物事を味わえないようでは、人生の楽しみ半減というものだ。
とはいえ、そんなことを考えることのない子供さんからすれば、このバブルマンは、ほとんど魔法使いみたいなワンダーなオジサンだろうね。
読者諸君、失礼するズラ。出来ることなら、子供のような感じ方をいつまでも忘れたくはないもんさ。

2014/08/02

Post #1214

Budapest,Hungary
ブダペストのバブルマン。


旅先で、いつもこういう人に、熱い視線を送られる。
しかし、わざわざそんなところで、子供向けのおもちゃとか、買わないよね・・。
けれど、路上に生きる場所を見出している人たちのその姿勢には、いつも敬服しています。

読者諸君、失礼する。今日は少し涼しくていいね。

2014/07/06

Post #1187

Budapest,Hungary
穏やかな一日。
何も言うこと無し。
読者諸君、失礼する。

2014/06/30

Post #1181

Budapest,Hungary
『ウォールデン 森の生活』で有名なアメリカの作家ヘンリー・デヴィッド・ソローは、当時アメリカが参戦していたメキシコ戦争や、奴隷制度に反対する姿勢を表すために、人頭税の支払いを拒否し、投獄された。彼が当時住んでいたマサチューセッツ州は、奴隷制を採用してはいなかったが、奴隷制のしかれている南部からの逃亡奴隷を、南部に送り返していた。また、アメリカは領土拡張のために、メキシコと戦争していた。この戦争によって、アメリカはメキシコから、カルフォルニア、ネバタ、ユタの全域とその周辺の4州の一部を得ることになった。

当時、奴隷制も侵略戦争も法律では禁止されてはいなかったが、ソローは法律とは関係なく、どちらもそれは罪であり、人間にはそれを理解できる能力があると信じた。そして、その州政府に税金を払えば、その罪の共犯者になると考え、払わないことにしたという。

当然、その行為は法律違反だったので、彼は犯罪者とされた。
まぁ当然と言えば、当然だろう。
しかしながら、ソローは逃げも隠れもせず、逮捕にも抵抗しなかった。
彼は自分の利益の為に税金を払わなかったのではなく、政府に対する抗議活動としてやったのだ。堂々と逮捕され、収監された。

彼はこの行動を『市民的不服従』と名付けた。なかなかロックンロールだ。

まぁ、当然この振る舞いは、州政府には何ら痛痒を感じさせなかったわけなんだが、後のマハトマ・ガンディーや、キング牧師に大きな影響を与えたことは忘れてはなるまい。
(以上、C・ダグラス・ラミス『憲法は、政府に対する命令である。』平凡社ライブラリー刊を参照した)

さて、今日で6月も終わりなので、俺自身の会社で預かっている俺の所得税を払いに行くべぇかと考えているんだが、内心は払いたくなくて仕方がない。

金が惜しいのではない。いや、ほんとはちょっぴり金が惜しい。けど、問題はそこじゃない。

集団的自衛権に関するでたらめな議論とも言えないような与太話を積み重ね、白いものを黒とごまかしている政府に対して、共犯者になりたくないので支払いたくないということだ。

昨日は新宿で、集団的自衛権行使容認に反対して、焼身自殺を試みる人まで現れた。
俺は抗議の自殺なんてしたくないからな。だから、市民的不服従というのをここに提示しておく。

どんなに憲法を捻じ曲げようとも、どんなに矛盾した法律をでっち上げようとも、それに誰も従わなければ、それはただのむなしい言葉に過ぎない。一人や二人が従わなければ、豚箱に放り込まれて終わりだけれど、日本中すべての、いや少なくとも反対する人々が、従わなければ、それは大きな力になるはずだ。

何しろ俺たちは、タックスペイヤーなんだから。会社で言ったら株主だ。

税金の支払いを個人から会社が肩代わりする日本の制度は、日本人のなかで多くの割合を占めるを占めるサラリーマンというサイレントマジョリティーから、タックスペイヤーの自覚を奪う。
もし君が、サラリーマンだとして、自分自身で税金を支払ってみれば、つまり納税の手続きをしてみれば、どれだけ政府が黙って俺たちから金をもぎ取っているかわかるだろう。そうして、それは不要不急の公共事業にぶち込まれ、国の借金は膨らみ、国民の未来はますます暗くなっていく。
やらずぶったくりだ。そうして、今や国民一人当たり800万円にも及ぶ借金がつみあがってる。

とりあえず、今日は半年分の所得税を、いやいや払いには行ってこよう。俺がどんなにいきんでも、しょせんは嵐の中の屁の一発だ。けれど、本当に自衛隊が、イラクあたりに派遣されたとき、税金の支払を拒否するってのは、アリかもしれないな。


しかし、国の税金はあらゆるところにかけられている。消費税、ガソリン税、固定資産税、数えだしたらきりがない。温泉に入っても、入湯税が取られてる。

そうやって、国民生活のあらゆるところに課税して、俺たちのケツの毛までむしりとり、偉そうなことを言っていやがる。泥棒よりもたちが悪いぜ。そんな政府に対して、不服従で何が悪い?

もっとも簡単な不服従の方法は、国民の多くが、政権への異議申し立てとして、半年なり一年なり可能な限り消費を抑え、政府の歳入を細らせることだ。俺は貧しいから、もう長い事そんなことをやってることになるな。市民ではなく、消費者として表現されるわれわれ国民が、消費を一斉に控えたら、きっとそりゃもう、えらいことになるぜ。楽しみだな。

しかし、まぁしょせん夢物語さ。俺たちだって霞を食って生きているわけじゃないからな。
みんなしてそんなことしたら、たちまち未曾有の不景気だ。アルゼンチンのデフォルトなんて目じゃないぜ。
どうやら日本人は、景気さえ良くなれば、あとはなんだってイイって考えてるみたいだしな。理念と哲学がないのさ、おおかたの日本人の皆さんには。

読者諸君、失礼する。俺は自民党が政権に返り咲いてから、この国家に、とことんうんざりしてるんだ。

2014/06/27

Post #1178

Budapest,Hungary
公明党さんには、がっかりだ。
外務省にも、心底うんざりだ。

読者諸君、失礼する。

2014/06/17

Post #1169

Budapest,Hungary
市県民税を支払ったら、すっかり金がなくなってしまった。
困ったなぁ。
どうにもこうにも、生きてゆくには金がかかるようになっているもんだ。
如何に、金をかけずに暮らしtげゆくか。
どれだけ、欲望をコントロールできるか。
最近は、そんなことばかりよく考えております、ハイ。

読者諸君、失礼する。フィルムや印画紙に使う金は、ある意味での必要経費だ。ケチるなんてとんでもないぜ。

2014/05/14

Post #1135

Hungary
小手先口先の憲法解釈で国の在り方が問われている我が日本はさておき、今日も世界の車窓からお送りしよう。
列車はハンガリーの国境に向けて走り続けてる。
のどかな田園風景が広がっている。
まさにTrain kept rolling だ。
読者諸君、失礼する。俺たちには、立憲主義をきちんと理解した、まともな政治家が必要だ。経済も安全保障も、まずはそれからの問題だ。冗談じゃないよ。

2014/05/13

Post #1134

Keleti pu,Budapest,Hongary
今夜も昨日に引き続いて、世界の車窓からだ。
列車はブダペスト東駅を発車すらしていないのだが。
この列車に乗って、プラハに向かう。およそ6時間。おつなもんさ。

読者諸君、失礼する。

2014/05/12

Post #1133

Budapest,Hungary
世界の車窓から。
今日は早朝のブダペスト東駅(Keleti pu)から国際列車に乗って、プラハに向かいます。
ヨーロッパ特有の、かまぼこ型の駅舎のなかにモダンなデザインの電車が出発を待っています。
これに乗るのかと思ったんですがね・・・。

読者諸君、失礼する。しばらく、このシリーズでダラダラ行くことにするよ。

2014/05/11

Post #1132

Budapest,Hungary
忙しさにかまけて、プリントできていなかったネガが、なんとたくさんあることだろう。

最近、一念発起し、そんなネガの発掘をはじめた。このブログを始めるころまでは、自分の写真の整理をしっかりしていなかったのだ。焼いた奴から箱に放り込んで、いい気になっていた。
だから、手に取った一枚の写真が、どのネガの何枚目のカットかなんて、まず分からないのだ。焼き増しだってままならない。ずっと気になっていたんだが、ついにその気になったのさ。
その気になるのも能力のうちだ。
40越えて、ようやくそれが実感できてきた。

そうすると、出るわ出るわ、これが石油や徳川埋蔵金なら、一生遊んで暮らせそうだ。
いや、この調子なら一生とは言わなくても、数年は没頭することができるんじゃないかと思えるくらいだ。
なにしろ、およそ10年ほど前、モノクロ写真をはじめたころから見返しているんだ。
旅行で撮りため、それを消化し切るまえに、次の旅行に突入してしまい、有耶無耶になっていたものもある。
イマイチその気になれなくて、さっさとネガアルバムに放り込んでしまい、すっかり忘れていた奴もある。
それに加えて、すでにプリントしたはずのネガでも、その当時には、ぜんぜん引っかかってこなかったのに、今見れば、なぜこのカットを焼いていないのか?なぜこのトリミングでこの構図なんだと頭をひねることだらけだ。

しかし、それがこれからの楽しみだ。サルのせんずりのように、いつまでも楽しめるぜ。

時間と印画紙、それから薬品が欲しくて仕方ないんだ。
血反吐を吐くほど、プリントがしたいのさ。
デジカメには、その手間がないから、俺には物足りないんだぜ。

読者諸君、失礼する。まぁ、10年経ってもしょせんは我流だから、向上するのもたかが知れてるけどね。

2014/05/09

Post #1130

Budapest,Hungary
憲法裁判所とやらで、首相が罷免される国と、首相の信念によって、憲法の解釈が変えられてしまう国。どちらがマトモな民主国家なのか?
考えさせられる事態が、日々起こってはいるが、しょせんは俺は庶民、何ができる訳でもないさ。
とはいえ、きちんと見届けさせてはもらうがね。

閑話休題

昨日、とはいえまだ俺の感覚では今日のことだが、日付はとうに変わっているので昨日は昨日さ、性懲りもなくプリント三昧。
フィルム2本分、39カット。クロアチアの首都ザグレブと、チェコの首都プラハで各一本だ。
身体から現像液の臭いがしてくるぜ。とはいえ、もう風呂に入ったから問題ないさ。にんにく臭いのも加齢臭も御免蒙るが、現像液臭いのもかなり厳しいと思うが、君はどう思う?少なくとも、デートの前にはプリントはしない方がいいぜ。

読者諸君、失礼する。明日の夜、いやいや今日の夜から性懲りもなく仕事三昧だ。やってられないぜ。

2014/05/08

Post #1129

Budapest,Hungary
結局、昨日はあの後フィルム2本、23カットくらいプリントしたんだ。
ブダペストのフィルムだけは、これでどうにか片づける事が出来た。
今日はどこを片付けるか?
ザグレブか、ドブロブニクか。ザグレブはあと2本やっつければ完了だ。
それともプラハか、ヘルシンキか。プラハの道のりは遠いな。
意外なところでモロッコのフェスか。まだあるのかってカンジだな。
それとも台湾か。
どこだっていいや。
かんがえようによっちゃ、こいつは贅沢な悩みだな。
読者諸君、失礼する。こんな下らない道楽に足を踏み入れなけりゃ、もっと豊かに暮らせたはずなのにな。

2014/05/07

Post #1128

Budapest,Hungary
仕事が休みなのをいいことに、本日プリント中。
今までに、フィルム2本25カットくらいプリントし、ただ今水洗中だ。
もう少し、やり続けたいもんだ。
やらないと、何時まで経っても終わらないんだから。
あとどれほど、プリントしたらいいのか考えると、ぞっとする。人生がそれだけで終わってしまいそうだ。
読者諸君、失礼する。どうせ、くだらない写真ばかりだ。心配するほどのことはないさ。たまに、カッコいいのがあるから、困るんだよね。