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2015/08/13

Post #1591

全ての日付には、何らかの意味がある。

先日の原爆忌が、日本人いや、むしろ人類が共有すべき意味を持つ日付だというのは間違いないが、局地戦ともいうべき卑小な人生を生きる、個々のニンゲンにも、それぞれに忘れられない日付と、それにまつわる記憶がある。
そして、それこそが個々の人間にとっては、何よりも重大な意味を持つものだと俺は思う。
ニンゲンは、自分自身の歩んできた道程から、自由になることはできないのだから。
むしろ、その歩みを自分そのものの一部として受け入れることでしか、次の一歩は踏み出せないのではないかしら?

世界的な写真家、荒木経惟にとって、人生最愛の妻陽子の命日である1月27日こそ、忘れえぬ日なのだという写真集だ。陽子こそ、電通のお抱えカメラマン荒木経惟を、天才アラーキーになるように支えた女性だ。アラーキーの生みの親といっても過言ではないだろう。
実際に、荒木経惟は陽子との新婚旅行を撮った私家版の写真集『センチメンタルな旅』で、真に写真家としての一歩を踏み出し、電通を辞めてフリーランスになったころは、陽子の貯金で食いつないだという。
これについては、当ブログのPhotographica #Aを参照されたい。くどいくらいに書いてあるさ。


今俺が悪戦苦闘している現場は、銀座の老舗書店の、築80年オーバーのビルにあるため、少し時間があると、その書店に作業服のままもぐりこんで、何冊かの本を買ってしまうのだ。
そこで、見つけたのがこの写真集だ。ワイズ出版から今年の5月25日に出版されている。ご覧になっておいでの方もいるだろう。

荒木経惟、陽子ノ命日


『陽子ノ命日』
思わせぶりなタイトルだ。
しかし、その中をめくれば、そこには単に荒木自身が、最愛の妻の命日にあたる一日を、コンパクトカメラで淡々と切り取って行っただけの映像的断片が収められているだけだ。

劇的なコトは、何もおこらない。

こんな写真を俺や君が、FBにUPしたとしても、だれもイイねなんてしてくれるとは思えない。
そんな写真が、ひたすら、時間の流れのままに並んでいるだけの素敵な写真集なんだ。
空、陽子の遺影、玄関の扉、家の前の道、タクシーの窓から撮ったと思しきスナップ、卓上コンロと皿に盛られた牛肉。すき焼。トイレ。などなど・・・。

拍子抜けするほど、単調な写真が延々と続く。
すき焼にしたのは、陽子の命日だからだろうか?
NHKのニュースキャスター、後藤健二さんとイスラム国、そして、交渉に応じるべきではないと語るアメリカのサキ報道官の写真なども続くが、それとて、単に陽子の命日にTVに写っていたものをとっただけとしか思えない。

唯一、その単調で平面的な写真をして、荒木経惟自身にとって、意味のある写真としているのは、写真の隅に印字された、’15 1 27という日付だけだ。

この素人じみた単調な写真は、この日付が入っていることで、深い意味を帯びてくるのだ。

もちろん、それは写真家以外にとっては、何の意味もない日付かもしれない。
しかし、俺たちは、その日が彼にとっての最愛の伴侶の死んだ特別な日だということを知っている。
そして、その一日に、稀有な力量を持った写真家が、目に付いた映像的断片を拾い集めるようにフィルムに収め、日付を印字したままプリントし、一冊の写真集にまとめ上げる事で、それらのある意味退屈な写真が、かけがえのないアウラを帯びることを目にするんだ。

荒木本人があとがきに書いていることを引用してみよう。

『だいたい人はさ、1日を繰り返しているわけだよ。
「繰り返している」って意味では、退屈なんだね。
そりゃ忙しかったり、事件がある日もあるけれど、
かならず退屈という隙間もあるのさ。
アタシのいまの写真の境地は、
その「退屈」なんだよ。
いままでだったら没写真のようなのがいいね
この写真集は、
陽子の命日だけを写したんだけど、
特別にじゃなく、
朝起きてタクシーに乗って出かけて、
夜帰ってくるっていうのを、
いつもと同じように、
同じようなトコを淡々と撮った。
1日だけを撮っても、コトは写るからね。
どんどんありのまま、そのままになっていく。
写真にあまりにも近づきすぎちゃっている。
もっと退屈でもよいくらいだよ。
『陽子ノ命日』は、
陽子の遺影にローソク1本、あげたようなもんだね。
幽かな写真の光が灯っている。』
(荒木経惟 写狂老人日記 陽子ノ命日 より)

凡庸な写真家が、退屈がイイといってある一日を写真集にまとめようとしたところで、それで写真集が成立できるとは思えない。
ましてや、写真にあまりにも近づきすぎちゃっているなんて、絶対に言えないだろう。

それが成立してしまっているのは、ひとえに荒木経惟が、この写真に日付を入れている事で、それが(私たちにとっては意味のない一日の、意味のないシーケンスでありながらも)、写真家本人にとっては、言葉では語ることのできないような、深い意味をもった一日に、彼自身が心に去来するものの反射として、写し撮ったものだという想像力が、私たち自身のなかにはたらくからだ。
それが、写真には写ってはいないが、(実際には日付として写り込んでいるのだが)すべての写真を貫くスピリットとして作用し、これらの写真を一冊の写真集として成立させているのだといえよう。

また、見る者の網膜を刺激するような写真、見るものをして驚愕驚嘆させるようなあざといイメージ(あえて写真といわず、イメージといわせていただく)が、世界中に溢れかえっている現在に、『どんどんありのまま、そのままになっていく・・・もっと退屈でもよいくらいだよ』と言ってのけることなど、荒木経惟以外の誰に言える言葉だろう?強いて言えば、中平卓馬か?

俺はこの言葉に触れたとき、かつて思想家の吉本隆明が、知の究極の目標は、知の頂点を極めたのちに、非知へとゆるやかに着地することだといった言葉を想起する。

長年にわたって培った技術もセンスもはからいも、すべて捨て去って、ただ目の前に生起する現象を、淡々とフィルムに収める。
あえて意味を問うことなく、目の前の現実を全て等しく見做して、たださらさらとシャッターを切っていく。
おあつらえ向きの構図だの効果だのと言うような、皆は重要だと思っているものを一切排除してシャッターを切っていく。

これは、できそうでできないことだ。

写真に真剣に取り組んだことのある人なら、それがどんなに驚くべきことなのか、わかってもらえると思う。

そのあたりまえながらも、誰にもできないことを、さも気の無いような様子で、サラリと言ってのける荒木経惟の驚異的な力量よ!

読者諸君、失礼する。喪失した日付は、忘れることができないものだ。それこそが、ニンゲンであるし、その喪失の意味を背負っても、なお生きてゆかねばならないものも、私たちニンゲンだ。

2013/11/18

Post #984

Praha,Czech
俺はご存じのとおり、昼夜逆転の生活を送っている。不健康極まりない。
くだらない仕事をして、朝一番の電車で家に帰り、飯を食って眠る。
昼過ぎに目を覚ますと、雑事を片付けてるうちに、出撃の時間がやってくる。
くだらない人生だ。しかし、大方の人間はくだらない人生を送っている。俺はこれでも好き放題やってるところもあるので、まだましな方さ。君はどうだい?君の人生は充実してるかい?

そんなわけで、少し中身のある文章を書こうと思うと、なかなかまとまった時間がないとできないんだ。わかるだろう?
それで、ここんとこ、ブログの更新が滞っているわけさ。
まぁ、イイだろう。どこからも苦情も来てないし、続きを待ちわびる声もない。期待されてないのはさみしいことだが、気楽な事でもあるってことさ。
Praha,Czech
どこまで話したっけ。そう、プラハ王宮でヤロスラフ・クセラのポスターを見かけたところだ。
俺は探し回って王宮内のギャラリーを見つけたんだ。
俺は、イジー大聖堂が見られなくても問題ないけれど、これが見られなかったら一生の不覚だと思って、カミさんとチケットを買って、ギャラリーに飛び込むように入っていった。
そのエキシビションのタイトルは“Jak jsem potkal lidi”、英語にすれば“How I met People”だ。
どうやって僕は人々と出会ったか?なかなかいいぞ。2013年の4月26日から8月18日まで開催しているようだ。俺は運がいい。写真の神様に愛されているのさ。

そこはかつて、王宮の建物と建物をつなぐ回廊だった場所をギャラリーに改装したような、ずいぶんと細長いギャラリーだった。その細長い空間の両サイドに、ヤロスラフ・クセラのモノクロ写真が、時代とテーマごとに分けられて、ずらりと並べられている。
どれもモノクロだ。俺好みだ。写真はやっぱりモノクロがいい。

1946年生まれのヤロスラフ・クセラはプラハ技術大学を卒業し、キャパやブレッソンあるいはウィリアム・クラインやアントニオーニの映画“欲望”なんかの影響を受けていたようだ。
いいねぇ。やはり俺好みか。

写真は1970年代のものから始まる。プラハの春の直後からだ。
共産主義体制の中で生きる人々の生活、その多くは街角でのスナップショットだ。どこか荒み、重苦しい雰囲気をたたえている写真が多い。まぁ、それは多分に俺の偏見かもしれないが、実際に女性たちはつかれた顔をしているし、男たちは倦み疲れたような表情で、ジョッキになみなみ注がれたビールを飲んでいる。
ジムの更衣室や女子寮なんかで撮られたとおぼしきヌード写真は、生々しい人間の存在感を感じさせてくれる。
共産主義をたたえるパレードの写真はどこか嘘くさい雰囲気をしっかりととらえている。誰も共産主義に満足していないのに、参加して、愉しそうにしていないといけないのだという雰囲気が、写真の中からにおってくる。
そして、そのにおいは89年の革命の写真に繋がっていく。
人々は熱狂し、街に繰り出す。ろうそくを灯す人々。チェコの国旗を振りかざすひげ面の老人。かつて、プラハの春の時には、ソビエトの戦車隊によって蹂躙されたヴァーツラフ広場に、再び集まる何万人もの人々。国旗を掲げる少女は、新しい時代の到来を告げる女神のようにも見える。
しかし、社会の価値観が根底から覆されたそのあとに待っていたのは、混乱と退廃だった。
街中で胸や尻をあらわにして客を求める売春婦。
一日中酒を飲み煙草を吹かしている年若いホームレス。
乞食へと落ちぶれてしまった人々。パブでは、トップレスの、あるいは裸の女性が現実に打ちのめされた男たちに、様々な性的なサービスを提供している。そこには愉楽の姿が見て取れるが、底なしの虚無と退廃が口をあけているようにも見える。
俺は、坂口安吾の堕落論の一節を思い出す。
しかし、写真家はそんな現実を前にして、たじろいだりしてはいけないのだ。
目の前の出来事に、レンズを向け、シャッターを切る。
何を思うかは見る人次第だ。

俺は、クセラの写真を見て、自分の中で何かが震えるような感覚を覚える。
カメラ一つを武器にして、世界そのものとわたりあうこと。
写真を撮るということの困難さと、それを不断に積み重ねてきた者の不撓不屈さを。
君にもぜひ、ヤロスラフ・クセラの写真を見てほしい。いや、見るべきだ。

http://www.jaroslavkucera.com

このサイトはチェコ語だけれど、そこで見ることのできる写真は、君にも何かを伝えてくれるだろう。
伝わってこないような奴は、どうでもイイ。面白い顔の猫の写真でも見てるがいいさ。

俺は、とても重たいクセラの写真集を買ってホテルに戻った。重たくてホテルに戻るまで、何度もうんざりしたくらいだ。しかし、一人の写真家の長年にわたる軌跡を収めた写真集だ。重くて当然さ。その前にも、ヴィクトル・コラーのこれまた重たい写真集を買っていたので、飛行機の重量制限に引っかかるんじゃないかって不安だったけれど、何とかどちらも持って帰ってくることができた。


その表紙は、70年ごろのある夜、彼が自分のカメラに残っていたフィルムの、最後の一コマで撮ったという、売春婦とホテルに向かう男の写真だ。背徳の香りが漂っている。とりわけ女性のお尻のあたりに。
そんなものを撮ったからって、世界がどうこうなるわけじゃない。
もちろんそうだ。
けれど、自分の目の前に展開している世界を切り取ること、それしか写真家にはできはしないし、それ以上に写真家にとって素晴らしいこともないようにも思える。
写真と撮る者の一人として、俺でも撮っちゃうだろうなって思うよ。
読者諸君、失礼する。やっと、クセラについて書くことができた。
どうしてこんな素敵な写真家のことを、日本では誰も知らないのか、俺には全く腑に落ちないぜ。ぬるい写真が大流行りだからか?クソ喰らえってんだ。

2013/10/28

Post #981

Praha,Czech
プラハのユダヤ人街のはずれに位置するホテル・マクシミリアンにチェックインした俺たちは、部屋でコーヒーを飲んで一息つくと、すぐに写真を撮りに出撃した。
ホレショヴィツェ駅で見かけた、あの超かっこイイ写真が気になっていた俺は、うちのカミさんがフロントでチェックインしている間に、ロビーにおいてあるさまざまなフライヤーに目を通した。
もちろんチェコ語ばかりだからよくわからないんだけど、写真くらいはわかりそうなもんでしょう?
しかし、そこでは何の手がかりも得られなかった。仕方ない、犬も歩けば棒に当たるの精神で行くか。
俺たちはまず、プラハの旧市街の中心、旧市街広場に行ってみることにした。
この広場には、ど真ん中にカトリックに反旗を翻したチェコの宗教家ヤン・フスの巨大な像がある。このジオラマ仕立ての像を取り囲むようにして、カフェが並んでいたり芸人が楽器を演奏していたりもする。また、この広場には有名なからくり時計のある時計塔があり、とんでもない数の観光客が、時を告げるからくりを見に押し寄せる。
プラハは、ボヘミア王国、神聖ローマ帝国の首都という輝かしい歴史のある重厚な街並みがあり、世界中から人々が集まる観光都市でもある。また、どこか共産主義体制による抑圧と、その後の急速な資本主義の発展に伴う、社会の矛盾が、風景の中にわだかまっているようにも感じる。
だから、写真を撮っていて飽きない。
そこの路地を曲がって一枚、その店の前で一枚、てな具合でぐんぐん写真を撮り進んでいく。パリで写真を撮っているのと近いフィーリングだ。
確かに、ここは写真大国だろうなと思う。見ようによっては360度、どこを切り取っても写真になってしまうからだ。
Praha,Czech
旧市街広場にやってきた俺は、ふとある建物の前に掲げられたこれまた素敵な写真に目が釘付になっていた。
巨大な二枚の写真が掲げられている。


右手には、いかにも共産主義時代に建てられていった風情のうらぶれた労働者向け団地をバックに、5メートルほどの盛り土の上にブリーフ一枚でたたずむ一人の幼児の写真。
日差しは強くない。季節は秋なのか。どことなく寒々しさと、切なさが伝わってくる。しかし、それでいて何かを雄弁に語りかけてくるような、物語性を孕んだ奥行きのある写真だ。

左手には木の電柱が並ぶグルーミーな風景の中、一台の車が屋根の上に巨大な鹿のような動物を括り付けるようにして乗せて、おそらくは走っている情景を後ろから捉えたものだ。鹿はハンターによって狩られたのだろうか。その四肢には力なく、頭部は助手席の外側にダラリと垂れ下がっている。霧にかすんだ向うに大きなビルが見える。文明と野生、死と生が交錯する。

これまたカッコいい写真だ!いったいこの国はどうなってるんだ?

俺はその写真の上に記された名前を読んでみた。

VIKTOR KOLÁŘ

ヴィクター・コラーか、それともヴィクトル・コラーか・・・。
いずれにしても、俺の知らない写真家だ。
俺は写真をまじまじと見ながら立ちすくむ。
一人の男が寄ってくる。俺に音楽は好きかと聞いてくる。どうやらここで今夜室内管弦楽のコンサートがあるので、チケットを買わないかということらしい。俺が適当にいなしていると、あんたは学生か?と聞いてくる。よしてくれよ。俺はもう44歳なんだぜ。どうやら東洋人は彼らの目には若く見えるようだった。
正直言って、この男が入り口付近にうろうろしているので、この建物に入ってゆくのが億劫だったが、写真の魅力には勝てない。俺はイイ女にも弱いが、カッコいい写真には、もっと弱いのだ。
そこはプラハ市民ギャラリーだった。14世紀だかに建てられた由緒ある建物で、かつては教会として使われていたとか、王族が一時期住んでいたとかいう話だった。1988年から修復され、市民ギャラリーとして使われているということだ。
しかし、そんなことはどうでもイイ。問題はヴィクター・コラーだ。

コラーは、1941年にポーランドとスロバキアとの国境にほど近いチェコの東の炭鉱都市オストラバに生まれた。13歳の頃、アマチュア写真家だった父親から写真の手ほどきを受けたようだ。彼は、1964年に60枚の写真からなる個展を開き、写真家としてのキャリアをスタートさせた。そして自らの故郷である炭鉱町オストラバで小学校教師や図書館の司書、兵役などを経た後、写真を生涯の仕事にすることに決めた。
1968年のことだった。
そして、プラハの春がおこり、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が、プラハめがけて進軍していった。当然、国境地帯の産業都市オストラバも、その進路上にあり、ワルシャワ条約機構軍によって蹂躙された。
コラーはカナダに亡命した。
彼ははじめ、マニトヴァ州で鉱山や冶金や写真ラボの労働者として暮らしつつ、写真を撮ったようだ。のちに助成金を受けてモントリオールに移り、作品を発表した。先にあげた車の上に鹿の死体を載せた写真はこのころのものだ。これもカッコいい!
彼には、同じように国外亡命したクーデルカのように、亡命者として西側世界で活躍し続ける道もあっただろう。しかし、彼は5年のカナダ亡命ののち、チェコに、オストラバに戻ったのだった。
彼は、オストラバが、オストラバの人々が忘れられなかったのだ。
そう、彼は写真を通じて世界と格闘するための舞台を、自らの生まれ故郷である炭鉱都市オストラバと定めたのだ。
彼は、共産政府からマークされ、1984年まで写真の仕事を続けることは禁じられた。製鉄所の労働者として、劇場の裏方として働きながらも、彼はオストラバの人々を、石炭産出量の減少に歩調を合わせるようにさびれていく故郷を撮り続けた。
そうして、1984年からフリーランスの写真家として活躍し続けている。
彼のHPを見てみてほしい。いくつかの写真を見ることができるだろう。
http://www.viktorkolar.com/kolar.htm

写真展は、まだ始まったばかりということもあってか、落ち着いた雰囲気で見ることができた。
ぐいぐいと引き込まれる。グレートだ、グレートな写真だ。骨太な写真だ。
過酷な労働に従事する炭鉱府は、真っ黒に汚れた顔のまま、鋭い眼光をこちらに投げかけている。
大型犬を連れて散歩する男の向こう側には、真昼間から男が一人道端に倒れ伏すように眠っている。
製鉄所だろうか、鉄骨の隙間から差し込む光に向かって、二人の男がうつむき加減で歩いてゆく。
絶望したように頭を抱えうつむく女の、タンクトップから除く背骨は、深い陰影を描く。
コンクリートの塊の上に投げ出されたアオサギの死体は、衰退してゆくコミュニティーを暗示しているかのようだ。
TESCOというイギリス系のショッピングセンターの看板の前で綱渡りをする男は、社会の変化に翻弄されながらも、写真に憑りつかれ、写真を通して世界を、そして故郷の人々の人生を掴み取ろうとしてきた写真家本人のイメージに重なってゆく。

共産主義時代から現代にいたるまで、オストラバに暮らす人々の生活が、そこに刻まれたリアルな生活感が、写真を通じて伝わってくる。

見る者に、何かを訴えかけてくる素晴らしい写真が続いていた。
当然ながら写真は目に見える物しか映らない。そうじゃなかったら、それは心霊写真だ。
しかし、見る者自身に写真に写っている人々に対する想像力のかけらがあるならば、写真は目に映らないものまで語りかけてくる。
行間を読むというやつだ。
わからない奴にはわからない。
わかる奴だけわかっていればいい。
けれど、それがわからないような奴と友達になりたいとは俺は思わない。
案内係のおばあちゃんたちに、思わず 『グレート!』と語りかけてしまうほど素晴らしい。
おばちゃんたちは、俺の味わってる感動を知ってか知らずか、ニコニコと笑っている。それでいいのだ。
俺は売店で早速写真集を買い求めた。
その写真集の最後に収められていたのは、綱渡りの男の写真だった。

君にもぜひ、コラーの写真を見てほしい。次回は遂にあのヤロスラフ・クセラだ。
読者諸君、失礼する。今回を入れて最終回まで20回、できる限り全力で行かせてもらうぜ。

2013/10/23

Post #976

Marrakech,Morocco
さらりと流してみては気が付かないだろうが、これはマラケシュのフナ広場の青空市で売っていた、訳の判らん生き物の剥製だ。
亀の甲羅から突き出している頭と手足は、どう見ても哺乳類だ。
尻は甲羅からはみ出している。そして、食い散らかしたトウモロコシの芯のような尻尾がまっすぐ突き出している。
子供のころに見世物で見た、河童のミイラのような胡散臭さが漂っている。
ここには、あらゆるガラクタが売っている。へジャブで顔を覆ったおばちゃんが、自分で編んだんじゃないかっていうようなニット帽なんかはまともな部類で、誰がつかっていたかもわからないような入れ歯まで売っている。

最高だ。
楽天にもアマゾンにも、そんな訳のわからんものは売っていない。
甲羅を背負った怪しい獣が跋扈できるほどに、世界は豊穣だ。
このくそったれな世界はまだまだ捨てたもんじゃないと思えてくる。
若者諸君、世界中どこでもトヨタの車が走り、人々はユニクロの服を着て、ビッグマックを食っていると思ってたら大間違いだ。
とはいえ、そうなるのは時間の問題だろうけどね。
そんなつまらない時代がくるまえにこの世からトンズラしたいぜ!

先日、性懲りもなく森山大道の写真集『Marrakech』を買った。7560円也。
森山大道 『Marrakech』 SUPER LABO刊
これは、1989年(俺はすでにこの時20歳になっていた。時代は昭和から平成に変わっていた。)に、パリに拠点を持って活動しようとしていた(結果的にはその試みは挫折した)森山大道が、クライアントからの依頼でマラケシュに赴き、一週間の滞在中に撮影してきた写真が収められている。
このモロッコ旅行の写真は、あまり今まで見る機会がなかったのだ。
猛烈に見たい。
最近の森山大道の記録シリーズは、デジタルに移行してきたために、あまり食指が伸びなかったのだが、この時期の森山大道はどうにも捨て置けないのだ。
黒くて、ざらついた、荒々しいカバー写真を見ただけで、そこが懐かしいマラケシュのフナ広場だということわかる。この一枚を見ただけで、森山大道の写真の持つ抗いがたい魅力に引き込まれる。
即決で購入決定だ。
それにしても、変わった判型だ。
細長い本を開くと、見開きの右手に、ちょうど文庫本サイズのページが上下二段、独立して組まれている。写真を見てもらうと、民族衣装の二人の女性の肩甲骨あたりのラインに、一本線が入っているのがわかるだろう。このラインで、上段と下段に分かれている。
収録されている写真はさほど多くないのだが、ぱらぱらとめくってゆくと、任意の写真が組み合わされ、それぞれの写真の持つイメージが響きあう。写真を見る者の中に、マラケシュというエキゾチックな街に対する立体的で奥行きのあるイメージが生まれる。
こんな写真集の作り方があったとは。
ページをめくると、フナ広場が、路上に生きる人々の姿が、路地に展開される市場スークが、革なめしの工場が、クトゥービアモスクの尖塔が、広大な廃墟ともいうべきエル・バディ宮殿がむせ返るような黒の粒子でとらえられている。
そして、それらは皆、俺がマラケシュに赴いた時よりも、もっと素朴で荒々しかった。
舗装されない埃っぽい道。観光客向けに整備されておらず、朽ち果てるままの風情を漂わせる巨大な宮殿外壁。此処にはマックもユニクロも決して存在していないと確信できる。
道行く人々の姿は、今以上にエスニックで、貧しさが漂う。
要は、グローバリゼーションにさらされていない、生な世界がそこには記録されていたのだ。

俺は、森山大道の写真のもたらす強烈な印象に羨望と嫉妬を覚える。
どうして、同じ場所に行きながら、写真という外界をそのまま複写する装置を用いながら、これほどの違いが生じるのか。
それは写真の、そしてプリントの技術の問題と、写真を撮るものの持つ視点の問題なのだろう。

何を見つめ、何を撮るのか。

写真には、絶対的にそれが欠かせない。カメラがどれほど簡単に操作できるようになっても、その性能が向上しても、そこは絶対に変わらない。目の前の現実にどうアプローチするのか。
写真は世界との静かな格闘だと、俺は思っている。
そう思っていればこそ、森山大道の写真を羨望するとともに、悔しさも感じるのだ。

読者諸君、失礼する。
もう25年もすれば、マラケシュといえど、観光用の張りぼてのような抜け殻になってしまうのではないかと想像し、どこか寂しさを感じる。その時には、甲羅をしょった怪しい獣が市場に並ぶような余地は、きっとどこにも残されていないことだろう。

2013/04/02

Post #771 Tokyo Lucky Hole Again!!

ARAKI TOKYO LUCKY HOLE,Published by TASCHEN

世界を股にぶっ掛けて、ついに俺の手元に本が届いた。
ニッポンが世界に誇る偉大な写真家、荒木経惟の『TOKYO LUCKY HOLE』だ。
この本の日本版に関しては既にご紹介している(http://fragment-sparks.blogspot.jp/2013/02/post-719-tokyo-lucky-hole.html)ので、熱心な読者の方は、またおんなじ本を買ったんか君は、アホじゃないの?そういうのを金をドブに捨てるというんだぜと、お嘆きのことだろう。
放っておいて欲しいぜ、俺の金だ、どう使おうと俺のカミさん以外に迷惑をかけるこたぁ、無いはずだ。だってほしかったんだもん、しょうがないじゃん。
CDだって、リマスタリングされて、音質は向上、なおかつ未発表のボーナストラックがついてたら、欲しくなるのが人情でしょう?こういうのは、まぁそうしたもんですよ。
それ以上に、700ページという、ちょっとした辞書くらいのヴォリュームになっているんで、迷わずクリックして買ってしまったのだ。
大いにマン足だ。
まず、日本版は判型も一回り小さく、いわゆるペーパーバックのようなざらっとした紙に印刷されていたんだが、このドイツ版はちゃんと上質紙だ。こうしてみると、上質紙ってのはツルツルしていて、俺の愛用しているRCペーパー(印画紙だよ)を思わせて、ヌメッとした写真的な質感があってよろしい。やはり、写真とお肌にはうるおいが必要だ。
それに何と言っても、日本版は20年くらい前に出版された初版だったから、紙の焼けが結構ありましたんでね。
Kabukicho,Tokyo
さて、このドイツ版は単に日本版をドイツで出版したという訳ではなく、まったく新たに編集しなおしているので、ちょっと芸術的にまとまっているような印象も受ける。というのは、日本版のほうは、伝説の写真雑誌『写真時代』の連載を、順番に並べていったような形式になっているのに対して、ドイツ版は一冊の写真集という、全体として構成された形に編集されているからだ。
具体的には、同時期に撮影されたと思しき、毎度おなじみのラブホヌード撮影が巻頭におかれて、読者をアラーキーによって開かれるおマタならぬエロチックな世界に誘う。そうしてどこをめくっても良識ある方々なら、目を背けたくなるような酒池肉林、阿鼻叫喚、狂喜乱舞のどんちゃん騒ぎの合間合間に、東京の風景写真が箸休めのように配置されており、一時の性の快楽にふける人々を、客観視するかのような、クールな視点を与えている。
まぁ、言うならばヨーロッパ人的なセンスでリミックスされているってことだろう。なにしろ、俺達日本人にとっては、その時代は、すでに過去のこととはいえ、自分自身の経験した出来事であるのに対して、ヨーロッパの皆さんからすれば、はるか極東の異民族の狂乱の一時代に過ぎないのだから、客観的な視点が設けられていても、驚くには値しない。
だからと言って、そのヴォルテージが減衰しているわけではなく、当然ドイツ編集なので、日本版のように、にっこりほほ笑む聖子ちゃんカット(若い読者には分からないだろうから言っておくと、当時絶大な人気を誇っていた松田聖子によって流行した髪型だ。俺の高校生の頃は、女の子はみんなそんな髪型であった。あぁ、既に30光年ほど離れている世界の話しだ。)の風俗嬢の股間は、ばっちりノーカットで、丸見えだ。丸見え過ぎて、当分焼肉は食いたくないってカンジだ。
で、そういう乱痴気騒ぎ(その中には、当然アラーキー自身も黒メガネでニタニタゲラゲラ笑ったり、すましたような顔をして写り込んでいる。)の合間合間に挟み込まれた、アラーキー独特の何とも言えない、少し侘しいような風景写真によって、性=生の儚さと、儚いがゆえの迸るような激しさが強調されているようにも思える。
その風景の中には、荒木の生家にほど近い浄閑寺の無縁墓地も含まれている。しかも2カットも。
この場所がどんなものか知らなければ、何故こんな墓の写真が置かれているのか、唐突な印象を持つことだろう。この墓地は、江戸時代、身寄りのない遊女=風俗嬢の死骸を葬った場所だ。アラーキーの本には、時折登場する。これが、新宿や渋谷の風景写真とともにおさめられているのは、意味深長だ。エロスの奥の細道が、タナトスにつながっているように感じられるぜ。しかし、それってヨーロッパ人にはまったく分かんないと思うんだけどな。何のキャプションもついてないし・・・。
とはいえ、こうした編集意図によって、より一冊の写真集としてまとまったものになってるように思う。ゲージュツっぽい雰囲気すら漂ってくるぜ。
また、日本版では割愛されていたようなカットも、ふんだんに取り込まれている。これはウレシイ。
100キロは超えていそうな肥満体の3人の女王様のカットなんか、てんこ盛りに増えている。別にデブ専ではないが、こういうリミックスは、かなり嬉しい。この3人のデブ女王様(もちろんSMの女王様だ)は、アラーキーの傑作選には、必ず出てくるわけだが、そのものすごいインパクトが質量ともにUPという感じだ。
さらには、英語、ドイツ語、フランス語の三か国語で、当時アラーキーとコンビを組んで写真時代を担っていた名編集者、末井昭氏による解説が記されている。日本版からの忠実な翻訳だ。これで、3か国語のお勉強にも役立つというおまけつきだ。
しかし、いくつか残念なこともある。
日本版で、末井昭氏によって付されていたと思しきユーモラスなキャプションは、一切割愛されている。あれはあれでけっこうクスリと笑わせてくれたのに。
また、日本版のラストを飾っていた印象深い包茎手術のシリーズは、そっくりカットされている。残念だ。残念きわまる。
しかし、まぁ随分と(オーダーしてから3週間)マタされた貝じゃない、甲斐があった写真集だってのは、間違いない。お値段およそ、15ドル。送料10ドル。
タッシェンホンコンと書いていながら、何故かオフィスはシンガポールであった。運送会社はスウェーデンポスト。不思議な組み合わせだったが、何とか手元に届いた。こいつがいったい世界のどこを経巡ってきたのか、とても気になるもんだ。
それはそうと、アベノミクスとやらのおかげで、マカを呑むようになったおじさんみたいに、日本の景気が良くなって、うっかり万一バブルがきちゃったりしても、すっかり去勢されたような草食系の若者と、過重労働でフラフラになったおじさんばかりのこの日本には、こんな毎日がどんちゃん騒ぎみたいな時代は、二度とは来ないだろうな。
なんてったって、すぐにセクハラだとかパワハラだとかって大騒ぎだからな。風俗だって、ひっそりとしたデリヘルばかりが大流行だ。まったく日本人も繊細になったものさ。その意味でも、この写真集は貴重な記録だと思うよ。

読者諸君、失礼する。そろそろ眠らせてもらうとするぜ。 

2013/02/07

Post #720 AMERICAN PHOTGRAPHS

Tokyo
俺が最近買った写真集はアラーキーだけではないんだぜ。
俺にはストレスが溜まると、そのストレスを小出しにして発散するかのように、写真集を買う習性がある。
以前はCDだった。おかげでCDは800枚くらいはあるんじゃないだろうか?中古カメラやレンズがその役割を担っていたときもある。あるいはまた、パイソンの靴とかね。
この不経済な習性のおかげさんで、俺の小さな家はガラクタで溢れかえっているんだ。壁にはアラーキーや森山大道、東松照明や安井仲治の写真のポスターがあちこちに貼られている。まるでいつまでたってもマニアックな大学生の部屋のようだとよく言われるぜ。
そんな環境はかなり落ち着くが、俺が死んだ後、ゴミになってしまうのは、いささか寂しいもんだ。だから、最近は自分が死んだとき、葬儀の参加賞として参列者の皆様に配ろうかとも考えている。
俺の遺体を焼き場で焼いてる間に、ビンゴでもしてもらって、このガラクタどもを生きてる連中に押し付けよう。
何といっても、皆に盛り上がってもらいたいってもんだ。俺は湿っぽいのはどうにも隙になれない性質なんでね。
閑話休題だ。
俺はいつも脱線する。線路の無いところを走ってる電車みたいな男なんだ、勘弁してくれ。

俺は先日、ウォーカー・エヴァンズの写真史に残る古典的名作『アメリカン・フォトグラフス』を買ったんだ。まだばあさんが死んでしまう前、静岡に出張していたときに、ふと欲しくなってね、日曜日に静岡の主だった本屋を回って探してみたんだが、見つからないんでアマゾンにオーダーし、ホテルのそばのコンビニで受け取ったんだ。仕方ないだろう、欲しくてたまらなかったんだ。
1938年、まだ発足して間もないMOMA、つまりニューヨーク近代美術館から発刊された写真集の復刻版だ。
エヴァンズは若い頃、パリに渡り、ソルボンヌ大学で学んだ。作家になるつもりでアメリカに戻ってきたが、彼は写真家になった。写真に呼ばれてしまった人なんだろう。
Walker Evans American Photgraphs
  エヴァンズの写真を決定付けたのは、間違いなく1930年代に参加したFSAプロジェクトだ。
当時、アメリカは世界大恐慌の影響で、深刻な危機に陥っていた。この頃、ルーズベルト大統領が、ダムを造ったりだのなんだかんだ財政出動を行い景気回復を目指したニューディール政策ってのは、有名だ。80年ほどたった今でも、ニッポンの政治家や官僚の皆さんは、その方法が大好きだ。今回も国土強靭化の美名の元に、福祉を削って公共事業にぶっ混むわけだ!人からコンクリートだぜ!貧乏人は死んじまえって言わんばかりだな。
しかし、当時のアメリカ人はしっかりしていた。
FSAつまりアメリカ農業安定局という役所の担当者ロイ・ストライカーは、大恐慌の影響で深刻な打撃を受けた南部農村地帯の惨状を記録するために、(そしてそれは、未だかつて行われたことのない政策の効果を検証する側面もあったことだろうよ)何人もの写真家を雇い、南部の農村地帯に派遣した。
セオドア・ヤング、ドロシア・ラング、ベン・シャーンなど、多くの優れた写真家が国家的プロジェクトに駆り出された。彼らは、お互いに影響を与えあいながら、優れたドキュメンタリー写真を、演出を排したストレートフォトグラフィーの傑作を生み出した。
ウォーカー・エヴァンズは、このFSAプロジェクトの写真家のなかでも、とりわけ名高い存在だ。
そのプロジェクトに参画するなかで撮られた写真を中心に、この傑作写真集『アメリカン・フォトグラフス』は編まれている。
そして、ここには素晴らしいスナップ写真が多くおさめられている。
 
毛皮の襟巻きを身に付けたニューヨーク6番街42丁目の黒人女性。
ニューヨーク、フルトン街の女性は厳しい表情で何かを見つめている。
仕事もなくそこいらに座り込み途方にくれる男たち。
どこかの店先で、着の身着のままで眠る労働者。
破られたポスター。
白いスーツに身を包んだクールな黒人男性(これは『ハバナの下町の市民』として、知られている)。
そして何よりも、エヴァンズの代表作、まだ20代なのに乾ききったかのように疲れはてた表情を浮かべる南部の小作人の妻アニー・メイ・グシャーのポートレイト。
未曽有の不況の中、エヴァンズによって記録された写真は、ある意味で、不景気のどん底にあえぐ21世紀の俺達にも、訴えかけるものがあると、俺は思ってる。トンデモなく雄弁だ。だからいてもたってもいられなくて、出張で手に入れたのさ。確かにこの写真集は発刊以来75年を経た古典中の古典だけれど、文学でも音楽でも、そして写真でも、古典をないがしろにしてはいけない。個展を踏まえないと、前には進めないんだ。まさに、過去から未来がやってくるのだ。
読者諸君、失礼する。今日はサラリーマンのメッカ、新橋まで出張した。そこは不景気のどん底を這いずりまわるサラリーマンのおっさんであふれかえっていた。右翼のおじさんは、今日が北方領土の日だってんで、淡々と語り続けていた。サラリーマンのおっさんたちは、それには目もくれず、喫煙所にひしめき合うように、身を寄せ合うようにして、タバコを吸っていた。
俺はフィルムで靴磨きの老婆や、浮浪者みたいなおっさんを撮り続けていた。
この不景気のどん底で、写真を撮っておくことは、意義深いことだと俺には思えたんでね。

まぁ、今日はそんなところさ。御機嫌よう。 

2013/02/06

Post #719 TOKYO LUCKY HOLE!

Tokyo
天才アラーキーこと荒木経惟も、わいせつ容疑で書類送検だかされたことがあったように思う。
致し方ない。天才なんだから。
アラーキーはかつて、芸術とは何かと尋ねられて、『女の子に、股をもうちょっと広げさせるときに、ゲージュツだから、もっと開いて見せて!』というのに使えるいい言葉だとかなんとか、すっとぼけたことを言っていたように俺は覚えている。
ゲージュツだから、チンが写っていてもわいせつではないと言い張るのとはえらい違いだ。
ヘアヌードが今のように容認されておらず、陰毛が写っているだけで警察に摘発されていた時代、アラーキーは、毛を剃ってしまえば捕まることはないと、剃毛ヌードを発明した。そして、そんなわいせつに対するお上の教条主義をあざ笑うように、女の子のそり上げた恥丘に、筆でわざわざ陰毛を書いて写真を撮っていた。
権力に真正面から勝負を挑んでも、勝つことはできっこない。ゲージュツだなんだっていったって、御上がやると決めたなら、やられるのだ。だったら、位相をずらして、斜めから攻めてみようという発想、ソンケーに値するぜ。忌野清志郎のタイマーズなんかにも通じる世界だ。大麻を持っているとしか聞こえないのに、タイマーを持っているとか歌って、ケーサツを小馬鹿にしていたようなのと似た臭いを感じる。
それに比べたら、ギャラリーのオヤジの口車に乗って、芸術を気取って、こっそりモロちんを販売していたなんてのは、ナイーブに過ぎる。笑止だ。
それで『信じられない、この日本も信じられない』とか絶句しているようなモデルも、ナイーブ極まりないように思う。そんなんだから、二股かけられたりするのだ。
バカバカしい。
芸術なんて気取らずに、バカバカしいことを真剣に追及してみる方向で、勝負する道もあったろうに。諧謔の精神を養わないといけないってもんだ。
今日は実は、うちのカミさんの誕生日だった。しかし、それとは全く関係なく、アマゾンで買うてしもうた写真集を、俺は喜んで見ている。
それは、天才アラーキーの大傑作『東京ラッキーホール』だ!
平成2年10月1日第一刷だ!もちろん中古品だ。
天才アラーキー『東京ラッキーホール』、太田出版刊
一昔前の場末のキャバレーのようなピンクの表紙に、何やらいかがわしいイメージの写真だ。これだけ見ても、中身はわいせつだってわかるだろう?
これは、1983年から、新風営法施行の85年をはさんで87年まで、伝説の写真エロ雑誌『写真時代』(これについては、以前にも触れたけど、面白ければ何でもイイってノリの、まさにアラーキーの為の、アラーキーによる写真のオンパレード雑誌だった。強烈だ。はっきり言って、写真のエルドラド、つまり黄金郷だ)を舞台に、シルクのスーツに怪しい黒メガネ、そしてステッキとカメラを手にして天才アラーキーが、バブル前夜から絶頂期に、狂乱の歌舞伎町を、体当たりで、しかも大いに楽しみながら駆け抜けた記録だ。
タイトルの東京ラッキーホールとは、このカバーに写っている、行きつくところまで行きついたいわゆる風俗営業の一業態だ。
アイドルの顔写真が貼られたべニア板には、ちょうど男性のちんのあたりにぽっかりと穴が開いている。その穴が股間に来るようにして、アイドルの顔写真には、稚拙な便所の落書きのような女体が描いてある。で、男性はそのべニアの前に立ち、アイドルの顔を見ながら、チンをそのラッキーホールに差し込むと、そのべニアの向こうで、おばちゃんが気持ちよくしてくれるという、人間の快楽とはいったいぜんたい何のさ?と哲学的な疑問を抱かざるを得ないような奇妙な性風俗のことだ。
一時期はやったアイコラ、つまりどこぞの女性のヌードに、アイドルの顔を合成して貼り付ける写真が登場するよりも早く、人間はこんなしょうもなく、かつ面白く、やがて哀しきシステムを生み出していたのだよ。
そこからわかるとおり、この中には、ピンサロ、ホテトル、ノーパン喫茶、覗き、SM、ヘルス、当時はトルコと呼ばれていたソープランド、ニューハーフコールガール、性感マッサージなどなど、ありとあらゆる性風俗に、天才荒木経惟が、面白半分、いや真面目に不真面目快傑ゾロリに、まさに体当たりで、ぐちょぐちょになりながら写真を撮りまくったという、強烈な写真集だ。
芸術の香りなんか、まったくしない。ねっちょりとした匂いが漂ってきそうだ。サイコーだ。草食系の若者に、ゼヒ読んでもらいたいぜ!ギャッハッハ!
しかし、もしこの時天才荒木経惟が、こんな酔狂な写真を撮らなかったとしたら、この時代に繰り広げられていた乱痴気騒ぎを、21世紀の今、顧みることができるだろーか?
この写真集で、あっけらかんと股間を広げている19歳の女性(もちろん、その股間には旅館の朝食に出てくるような味付け海苔みたいなベタ塗が、黒々と施されている)は、今では50前後の立派なおばはんだろう。
こんなことをして、荒稼ぎしていたことなんか、おくびにも出さずに生きているのかもしれない。いや、ひょっとしたら、未だにそんな世界の第一線で生きている人もいるのかもしれない。それどころか、この世にいない女も、きっといるだろう。
嗚呼、性(=生)の饗宴、一大スペクタクルに潜む、何という儚さよ!

しかしそのおかげさんで、素っ裸でにっこり微笑む聖子ちゃんカットの笑顔は、この21世紀にも生き続けているんだよ、おい!
まさにアラーキーは、歌舞伎町のウジェーヌ・アッジェだ。
アッジェはかつて失われゆく古き良きパリを、芸術家の為の資料として、淡々と写真におさめた。花の都パリに世界中から集まってきていた十把一絡げ、玉石混交の画家達に写真を売り、生活の糧を得るため。
つまりその写真は純粋な意味での芸術ではなかったわけだ。
けれど、それによって俺達は、19世紀末から20世紀初頭のパリの息遣いをうかがうことができる。そして何より、今、アッジェの写真に芸術性を見い出さない者は少ないだろう。
そして今また俺達は、ひとりの黒メガネのゲージュツ家の偉業によって、バブル絶頂期の歌舞伎町の狂乱のオルギーを、覗き見るようにしてうかがうことができるのだ。
まさに、絶頂期のアラーキーの、どこかアンダーグラウンドな胡散臭い写真家から、一挙に時代の大舞台に踏み出し始めた荒木経惟の、ナハハハハっていう高らかな哄笑が聞こえてきそうだ。

それこそがまさに写真の写真たるところであり、ゲージュツなんて女の子にお股を開かせる殺し文句と言いながら、360度まわって、もう一段上のレイヤーに上昇した形で、見事に芸術となっている。少なくとも、ココには生きた人間の姿が、人間の欲望の逆噴射が、克明に記されている。薄っぺらなものなど、どこにもない。ズシリと重たい写真なのだ。
写真は記録だ。
だとしたら、これこそまさに写真のあるべきひとつの姿ではないかね?
この写真集のラストは、包茎手術の場面で終わっている。
さすが、永井荷風の断腸亭日乗を拝借して、自らの写真日記を包茎亭日乗と称したアラーキーらしい諧謔だ。そこにはもちろん、チンが写っている。黒く塗りつぶされた亀頭のすぐ後ろを、手術で縫われたばかりのちんが。
もう一度言わせていただこう。誰が何と言っても、荒木経惟は世界的な写真家だ。
読者諸君、失礼する。明日は東京まで打ち合わせに行かなけりゃならないんでね。 

2012/12/10

Post #664 Photographica #12

性懲りもなく、また写真集を買ってしまった。
若き日の北島敬三の伝説の写真集『北島敬三 1979 写真特急便 東京』、全12冊+別冊1だ。
これはもちろん再版ものだ。こんなもの、当時のものがあったら、いったいいくらになるかわからないよ。
北島敬三 『1979 写真特急便 東京』
こんなもの再版してくれるような写真の分かっている出版社は、残念ながらいない。毎度おなじみ、ドイツのSTEIDLだ。かつて、森山大道の『写真よさようなら』、中平卓馬の『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』、そして伝説の写真同人誌『プロヴォーク』を箱詰めにして、『Japanese Box』として出版したこともあるSTEIDLだ。
STEIDLのセレクトにはいつも脱帽する。今の日本の写真の流れとは完全に路線は違っているが、世界的に見て、かなり特異で、独自に花開いていた写真の潮流を、未だになお重要なものとして評価して、出版していることが読み取れる気がする。
まるで、明治時代に陶磁器の包み紙として海外に流出した浮世絵によって、衝撃を受け、影響を受けたヨーロッパ人によって、芸術としての浮世絵が見出されたことを思わせる。
まぁ、日本でいまこの手の写真を評価している人がどれだけいるかは知らないけれど、この手の写真を撮っている人ってのは、少ないですよね。どこかほら、キース・ムーンのドラムが凄くても、そのスタイルを継承しているのはリンゴ・スターの倅のザック・スターキーくらいのモノだってのと似てる気もする。(キース・ムーンの全編フィルインと言えるような、空間を絶え間ないドラムで埋め尽くすようなおかずの多い激しいリードドラムは、けいおん!のドラムのりっちゃんも大好きだということだが、そのドラムスタイルに、キースの影響は微塵も感じられなかった。)

手元にある資料を基に、北島敬三のことを手短に述べてみよう。1954年、長野県に生まれた北島敬三は、高校時代から写真部に在籍し、先にあげた森山、荒木、中平、そして東松照明などの写真家に憧れていたという。後に成蹊大学法学部に進学するも、夢中になれるものを見い出せず、中退。ほどなく開校したばかりのワークショップ写真学校の森山大道教室に入った。
1975年のことであったという。
1976年、ワークショップ写真学校は閉校し、森山大道と北島敬三をはじめとする森山教室の有志6名は、自主運営ギャラリー『イメージショップCAMP』を設立した。
この『1979 写真特急便 東京』は、このCAMPにおいて、1979年の1月から、毎月10日間、12回にわたり開催された展覧会で発行・販売されていた小冊子だ。
北島敬三 『1979 写真特急便東京』
森山大道に人物を撮るように勧められた北島は、おそらくは新宿の酒場で繰り広げられる狂態にカメラを向け、また通りすがりのスナップによって、その作品を形作っていった。
その写真は、師匠筋にあたる森山大道を思わせるような極端なまでのハイコントラスト、アレ、ブレを特徴としているが、森山大道の写真以上に、どこか暴力的でドライブ感のある写真に仕上がっている。
俺は、30数年の歳月をへだててその写真を見る。そしてため息をつく。カッコいいなぁ~。
写真に理屈はいらないのだ。ただ、見てカッコよければ、全てOKだといってもイイ。
視覚的にくらまされているだけだとしても、写真なんて、所詮は言葉でどうのこうのいって理解するような態のモノではなく、言語を排して、直截的、感覚的に、体験するものだと俺は考えているから、カッコいいなぁ~、ってため息をつくだけで充分なのだ。
こんな真っ黒で、どこか暴力的なエッセンスを、そして人間の放つエロスを感じさせるような写真が撮れたらなぁ、写真やめてもイイかなぁ・・・、いや、もっと撮りたくなるだけだろう。
この写真集、俺は名古屋のジュンク堂で買った。島田洋書扱いで、税抜7600円。当時1冊200円だった小冊子が、13冊入って7600円だ。お買い得だ。アマゾンとかで探せば、もう少し安く手に入るかもしれない。興味のある読者諸君は、一度手に入れてみてみるとイイ。今の写真とはある意味、対極にある生々しさだ。モノクロ写真の威力に、めまいがしてくるぜ。
しかし、このころの日本人の、体臭がにおってきそうなほどの生々しさは、本当にフォトジェニックだよね。

読者諸君、失礼する。外は雪だ。明日は家に閉じこもり、請求書を作り、プリントをしよう。いい加減そろそろ手を付けないとな、人生が終わっちまうぜ。 

2012/09/30

Post #637 本当の俺が分かるかい?

From The Who "Quadrophenia” Booklet, Phot by Eathan A Russel
1972年に発表されたThe Whoのアルバム、Quadropheniaは、ひとりのティーンエイジャーの青春と挫折を描いた、2枚組の大作だった。俺が初めて聞いたのは、まだ18くらいの頃だ。
ちなみにQuadropheniaとは、日本語に訳すと四重人格だ。メンバー四人それぞれに、テーマとなる曲が割り当てられ、それがお互いに絡み合い、全体としてトータルなアルバムとして(そう、まるでオペラかミュージカルのような音楽劇のように)作られている。
主人公として描かれるジミー少年は、60年代中ごろにイギリスを席巻していたモッズの一人で、細身のスーツを着て、ハデハデにデコったスクーターを乗り回し、夜通しクラブで踊りまくる労働者階級の少年だ。
彼は夜通し踊るために、アンフェタミンなどのドラッグを常用しており、週に一回、精神科にカウンセリングに行く。そして、精神科医に訊ねる。本当の僕が見えるかい?
そして、母親に俺は狂っているんだと言えば、その気持ちはよく分かるわ、何故ってそれはうちの家系だからって言われる。本当の僕が分かるかい、母さん?
そんな歌詞の爆裂ロックナンバー“The Real Me”からアルバムは始まる。そして、全編を通じて、一人ぼっちの自分、つまりI’m A Oneから、確固とした自己、つまりI’m The Oneへの成長が描かれる。
AとTheの違いは微々たるもののようだが、その違いはとても大きなものだ。まぁ、それも行き過ぎると、周囲から理解されない奇人変人になってしまう恐れもなくはないんだけれどね。
こいつは俺にとって、とても重要なアルバムで、LPも持っているし、CDはリマスタリングされたときに新たに買いなおしたくらいだ。最近、デモとかも含めた豪華なBOXセットが発売されたんで、買おうかどうか、ずっと迷っている。金の捨て所は他にもたくさんあるからな。けど、そのうちきっと買っちまうんだろうな。
しかしまぁ、音楽の好みは人それぞれだから、聞き流してくれて構わない。しかし、このアルバムで看過できないことは、同梱されているブックレットだ。
このアルバムの見開きのジャケット裏には、ギターのピート・タウンゼント自身によって、随分と長いジミーの物語が記されている。
このストーリーを辿るように楽曲は展開していくのだが、さらには写真家イーサン・A・ラッセルによるストーリーに沿った写真集が、単体のブックレットとして添えられている。ラッセルはビートルズのLet It Beのジャケットなんかも手がけている。ロックの周辺で活躍する写真家だ。CD版ではそれはちいさなものでしかないが、古いLP盤を手に入れると、その大きな写真から放たれる迫力には目を瞠るものがある。
全編、ざらりとした粒子のハイコントラストな写真が並んでいる。今にして思えば、少しエルスケンを思い出すようなタッチだ。
上にあげたのはそのうちの最初のほうのカットだ。労働者階級のジミーの(なんだか不味そうな)朝食と、ターゲットTシャツを着てひとり地下道を歩くジミー。日常の退屈さと、ジミーの抱える鬱屈が表現されているように感じる。俺は、このアルバムが好きなのと同じくらい、このイーサン・A・ラッセルの手による写真集“
俺は、写真を始めるずっと前から、ロックにまつわる写真を眺めて暮らしてきた。
それが、自分の写真に影響を与えているのは言うまでもない。
これはもちろん俺の写真、Amsterdamにて
俺は時折、自分の写真を見ては、そんなルーツを感じる。それが本当の僕の姿だと思い起こすように。
読者諸君、失礼する。明日も朝早いんだ。もういい加減働くのに飽きてきた。風邪で一晩寝こんだと思ったら、次の日にはもう35時間働きづめだった。そう、朝の7時から次の日の夕方6時まで働いていた。冗談じゃない。俺の人生は萎れているぜ。そろそろいい加減、俺自身のために俺自身の人生を生きていきたいと思ってるんだがな。しかし、生きていくためには、そうも言っちゃいられない。金だって必要なんだ。人生は夢と現実のはざまでいつだって揺れている。しかし、それもまた人生だ、ロックンロールだ。また会おう。

2012/05/03

Post #522 ダメ押しのようにつまらない写真をお送りしよう

うぅ、疲れた。世間様は休日を愉しんでいるというのに、俺は男の仕事が山場だった。立ち続けて、足が重い。勢い眠りたくもなってくるというもんだ。読者諸君、分かってくれるかな?
にもかかわらず、つまらない写真を今日もお送りしよう。
HomeTown/Nagoya
仕事に倦み疲れた俺の手元に、アマゾンから一冊の写真集が届いた。
中平卓馬『Circuration Date,Place,Events』(OSIRIS刊)だ。
これは凄い。まさに写真の極北だ。
この写真集の概要は、既にこの写真集のカバーに日本語と英語で以下のように併記されている。
『1971年、パリ。世界各国から若い芸術家たちが参加したビエンナーレを舞台に、中平卓馬は『表現とは何か」を問う実験的なプロジェクトを敢行する。「日付」と「場所」に限定された現実を無差別に記録し、ただちに再び現実へと「循環」させるその試みは、自身の写真の方法論を初めて具現化するものだった。』(Circuration カバーより)
若き日の中平は、日本代表の一人として参加したこのビエンナーレの期間中、毎日パリの町中を歩き回り、無差別にシャッターをきり、毎日200枚もの写真を現像プリントし、展示し続けた。そして、その写真を見ている人々もまた、写真におさめられ、新たな展示物として、一連の写真の中に循環されていったのだ。そして、最終的には1500枚に及んだ写真は、さまざまな事情により、中平自身の手によって、会期の終了を待たずにすべて剥ぎ取られたという。その行為自体がいかなるいきさつによるものであれ、それは写真が双方向的なメディアであり、なおかつコンセプチュアルアートにすらなりうるものだと示しているように俺には思える。

写真とは、なにか。表現とは、何か。
その根源を突き詰めていくような写真の集積。

ここには無論のこと、キレイな女の裸も、可愛らしい猫も、絵葉書のように気の利いた風景も、決定的な瞬間も、何も写されてはいない。そんなもんが何も写っていない、ただ日常目にする風景のシーケンスの集積といっても過言ではない。世間一般の写真好きの中でも、この写真集に対する評価は、ある種の踏み絵のように別れることだろう。仕方ない、可愛らしい動物の写真集やアイドルの写真集ばかりが売れる日本だ。

疲れた体を引きずるようにして帰ってきた俺は、何をさておき、この写真集をまじまじしみじみと眺め、味わった。詳しいことは近いうちにまた話そう。いや、話さないかもしれないけれど、これは凄い写真集だ。君が写真に興味があるんなら、ぜひ一度見て見て欲しい。つまらない写真がたくさん並んでいる。写真に意味などないことを、そして、何かに意味があるのなら、あらゆるものに意味があるという逆説的な何かを訴えかけてくる。語れば語るほどに、迷宮に迷い込んでいくような感覚に陥る。確かに写真の極北だ。
まぁ、ムツカシーことを抜きにして、俺はここにある意味でパンクな写真の在り方を見てしまうんだけどね。そんなの俺だけだろうけども。
さぁ、俺は風呂にゆっくりつかって疲れた体を癒やすんだ。そして、深夜もう一度、この写真集を開いてみるんだ。写真の極北は遠い。しかし、それは確かに存在する。
読者諸君、失礼するぜ。しかし、一晩に200枚もの写真を現像・プリントするなんて驚異の体力だなぁ。疲れたなんて言ってられないぜ、きっと。

2012/01/15

Post #429 Photographica #11

モロッコのラバトには、一泊しただけだったんだが、その宿のラウンジにスティーブ・マッカリーの『South Southeast』(2000年 Phaidon 刊)が何気なく置いてあった。この写真集は、以前からなかなかに気になってはいたんだ。スティーブ・マッカリーのベスト盤みたいな位置づけだ。
やはり、イイ。素晴らしい。俺は帰国して早々に、アマゾンにオーダーして購入してしまった。金もないのに、ご苦労さんなこった。
Steve McCurry "South Southeast" Rabat,Morocco
この写真集には、数十年もの間、何十回とインドに赴き、写真を撮り続けてきたマッカリーのキャリアの中から90年台を中心に選りすぐった60枚余りの写真が、大判の判型でおさめられている。
インド、アフガニスタン、ビルマ、チベット、カンボジア、パキスタン、スリランカ、タイ等で撮影された写真には、誰もが目にしたことのあるものも多い。
緑色の壁を背にして、赤褐色のスカーフを身につけて、青い瞳でレンズを見据えるパキスタンの少女。
インド洋の荒波の中、海面に立てた竿の上に絶妙のバランス感覚で座り、釣りをするスリランカの男たち。
ボンベイの少年は、顔も服も何かの祭儀の為だろう、真っ赤に染まったままで強い視線をレンズに向けている。
どれも力強く、何かを訴えかけてくるような写真だ。写真そのものに、視る者を惹きつける強度が溢れている。
それだけではない。駱駝の前で、少年に何かを教え諭しているようなターバンの老人。
瓦礫の中で、薄汚れた布で鼻と口、そして頭を覆った少年は、ゴーグルを額にあげ、どこか憎しみをたぎらせたような眼差しでレンズを見つめる。
若いころの高橋幸弘を思い起こさせるパキスタンの青年は、ターバンを巻いた顔をまっすぐこちらに目を向ける。それはどこか威厳を感じさせるほどの視線の強さだ。
薄暗い寺院で礼拝する人々には、窓から光が差し込み、あたかも敬虔な者たちに対する神の恩寵のようにも見える。
カンボジアの母と子は、ハンモックの上で安らかにまどろんでいる。そしてその下には、3メートルほどはありそうな蛇がいるのが見えるだろう。
全編、美しい色彩に幻惑される。
空はどこまでも青く、女たちが身に纏う民族衣装は鮮やかな赤や黄色。子供たちが売る花々は、暗い画面の中に、自ら光を放っているように鮮やかに輝く。
そして、やらせじゃないかと思いたくなるほどの、完璧な構図。
表紙にもなっている、インドも街角で撮られたと思しき一枚が、この写真集のエッセンスといってもいいだろう。
雨の中、赤いチャドルをまとった少女が、幼い兄弟を抱いて、車の窓にすがりついている。
おそらくは物乞いだろう。途上国に行くと、こういった場面にはしばしば遭遇し、同情とも、憐憫とも言えないような、どこかやましさを感じもする。つまり、どきりとするのだ。
暗い車の中、後部座席から写真家はシャッターをきる。幼い子供の視線が、レンズを通して、私たちに何かを語りかける。それが何かは、この写真を見るひとりひとりの中に内在するものだろう。
日本に、そして多くの先進諸国に暮らす我々からすると圧倒的に貧しい人々だが、その人生は決して貧しくみじめなだけのものではなく、我々と何ら変わらず、喜びと悲しみによって鮮やかに彩られていることを、そして、彼らの多くがレンズを通して私たちを見据える眼差しには、精一杯生きているニンゲンの持つ威厳を、この写真集から読み取ることは、深読みのし過ぎではないと思うが、如何なものだろう。

もちろん、写真は貧しさに苦しむ人々を、決して救済したりはしない。
神様が貧しさに苦しみ人々を決して救ってはくれないように。
ただ、かつて、その人はそこにいたということしか、写真は語ってはくれないのだ。
そう、写真集は道徳の教科書ではないのだから。
光と影、生きることの厳しさと、それが故の安らぎと喜び。
それら全てが描き出す、美しくエキゾチックなイメージ。
コンクリートとアスファルトとガラスに覆われた世界以外にも、ツンと鼻を刺す香辛料や羊の肉の焼けるような香り、むせ返るような花の香り、土のにおい、頬をなでる砂交じりの風、そんなリアルな感覚を伴った世界があることを、思い知ればいいのだ。そして、俺は、自分の暮らす世界と、どこかでつながっていながらも隔絶したこの世界が、この同じ地球の上にあることを知り、どちらが現実的なのか、ふと、考え込んでしまう。
そう、私たちは、この写真集を眺めて、自分の知らない世界に思いを馳せるだけでイイのだ。
そう、世界は美しいと。

2011/10/10

Post #331 Happy BirthDay Mr.Moriyama

今日、10月10日は写真家・森山大道の誕生日だ。
森山さん(あえてこう呼ばせて頂きたい)は1938年生まれなので、今日で73歳だ。俺とはおよそ、30歳違う。俺にとっては当然前人未到の領域だ。正直、そんな年齢になった自分の姿は想像がつかんね。1938年生まれということは、俺の中学高校時代の師匠、A先生と同じ年か。そういうと、実感が湧くな。最近の70代はなかなかに皆さんお元気だ。喜ばしいことだ。おそらく森山さんも、毎日のようにカメラを持って、狩人のようにまだ見ぬイメージを求めて歩き回っているからこそ、お元気なんだろう。歩くことは健康の基本だというのがよくわかる。
還暦あたり、つまり20世紀末あたりから、森山さん再評価の波は高まり、次々と、まさに怒涛の勢いで写真集が発表されてきた。写真のお好きな読者諸君なら、よく知るところだろう。おかげさまで、俺の小遣いはいつも逼迫していると言っても過言ではない。そんななかでも、俺が、このブログを覗いてくれている君たちに、ベストとして挙げるのは『新宿』(2002年月曜社刊 600ページ 524カット収録 全B/W)だ。
森山大道 『新宿』 2002年月曜社刊 重版未定
モノクロの写真、それも一目で夜、ノーファインダーで撮ったと思しき輪郭の定かならぬ写真の表紙に、ショッキングピンクのタイトルが踊っている。
その光と影のコントラスト。
思わず手が伸びる。そして、手に取った時に感じるその重み。
600ページ、524カットは伊達ではない。ズシリと来るのは、単に物理的な重みだけじゃないだろう。
毎日のように新宿を歩き回り、何千本、何万カットもの写真を撮り、そのうえで選び出された写真たち。その行為の重みを感じることができる。
モノクロ写真ばかりで、一切の文章も説明もない。しかし、確かにそこには、大いなる混沌、欲望の坩堝たる世紀末都市新宿の姿がくっきりと写し取られている。
しばしばノーファインダーで水平線は傾いている。
時に被写体はぼやけ、影の塊のようにもなっている。
ぞして何より、モノクロならではの黒の締り。それは時に大胆に画面を焼きつぶすが、エロスすら感じさせる。ぞぞっとくるわ。

ひょんなことから写真をはじめ、ストリートスナップという自分のスタイルが出来てきた頃、この写真集に出会った。その頃の俺は、リバーサルで無謀にも夜景を撮り、ノーファインダーで道行く人々を撮りまくり、ひたすら路地から路地を歩き回っていた。
誰に教わった訳でもなく、自分の撮りたいものを突き詰めて行ったら、そんなスタイルが確立しつつあった。今見ると、凶暴なまでに写真を撮っている。残酷な現実にカメラを向けたものもある。ここで見せると、問題になりそうな写真も多々ある。見たいかい?そのうちね。その頃俺が撮っていたのは、こんな写真だ。もちろん、ショックの少ないモノだけど、どう?
この頃、俺はこんな写真を撮っていた。イケイケだった。
もちろん、森山大道なんて、全く知りもしなかった。ただ、自分の欲望と衝動の赴くままに、リバーサルフィルムをガンガン消費していた。今日、久しぶりに見てみると、あまりにイケイケで我ながら少しビビった。怖いもんなしで写真を撮りまくっていた。もし、撮っているのを見つかったなら、ただじゃすまないような類の写真も多々あった。馴染のラボの店員さんも他の人の写真ならこれはお断りしますけど、Sparksさんの写真だから、まぁ仕方ないってカンジで諦めていたほどだ。そうだよね、井上君、三村君。
この本を手にしたのは、ちょうどこの頃だ。
俺はショックだった。
こんな写真が撮れるなんて。現実をそして、写真はこんなもの(といっては失礼だけれど)でもゼンゼンOKだ。俺の方向は間違っていなかったと確信した。この写真集は、俺の仲間内でも評判で、俺にモノクロへの転向を勧める仲間もいたっけ。
けれど、この写真集を手にしたことで、かえってモノクロに行くことが躊躇われた。どんな写真を撮っても、森山大道の劣化コピーだと言われてしまうんじゃないかって心配していたんだ。読者諸君の中には、そんな風に感じている人もいるんじゃないだろうか。しかしまぁ、俺にとって、森山大道はビートルズのようなもんで、イギリス人がどんなロックをやったところで、何かしらビートルズの影響を感じないわけにはいかない。そして、それを恐れていたら、自分たちのロックなど出来やしない。だから、開き直ってやる。この開き直りの精神が、熟するのに、いささか時間ときっかけが必要だったんだ。
しばらくして、母方の祖父の3回忌に、親戚のおじさんから古いFUJIの引伸機をもらった時、腹をくくった。もう、行くしかないって開き直った。モノクロ写真をやれと、モノクロ写真をやるのが必然だと、背中を押された気がしたのだ。
今なら解る。たとえ同じ場所で、同じアングルで撮ったとしても、写真とは、その場限りの一回性のものなんだから、全く別の写真にしかならないってことが。同じ光は、二度とない。

はじめて、森山さんの写真集を、この『新宿』を手にしたときの胸の高鳴りを忘れられない。
それは高校生の時に、The Whoの1stアルバム“My Generation”を聴いた時以来の衝撃だった。いまでも、自分の写真の方向性に悩んだときには、夜、独りでこの『新宿』を開いてみる。そして、自分が間違ってないんだと確信する。自分が写真のバックボーンに連なっていると確信する。
森山さん、ありがとうございます。
森山さん、誕生日、おめでとうございます。
この声が届くかどうかわかりませんが、いつまでも、路地から路地を彷徨うようにして、スゲー写真を撮ってください。及ばずながら、俺も頑張ります。

2011/08/29

Post #289 Photographica #10

本日8月29日は仕事がWヘッダーだ。たまらん。毎度まいどこんなことをしてちゃ、早死にしてしまいそうな勢いだ。おそらく時間の問題だろう、諸君、まだ生きてるけど、香典はいつでも受け付けてるぜ。俺が死んだと思って、諸君の温かなお志を包んで送ってくれるのは、一向に苦にならないぜ。ダッハッハ!
さて、昨日は名古屋市美術館にレンブラントを見に行き、夕方からはボリショイサーカスなんか行って、熊の曲芸なんか見て、それがし、大いに感銘を深めていたんだが、そのついでに駅前のT島屋百貨店に入っている投球HANDSを覗いてきたんだ。そこの『男の書斎』コーナーは、男の物欲を刺激する素敵な商品が(もちろん女性の立場から見てらガラクタという訳ではない。)てんこ盛りで、俺はそこでしばしば買い物をするんだ。昨日の場合は金は無いけどね、市場調査ですよ。
そこで、中古カメラが売っていた。俺の目に留まったのはコンタックスⅠ型と、FujiのTX-1かな。TX-1は持ってるんですけどね。目には留まりますよね。グリップがオプション品がついてましたんで、余計にね。
まぁ、今更クラッシックなカメラを新規導入するのも物入りなんで、心の物欲に火がつかないように、ネコが物陰に隠れるようにすぅーと歩み去って行こうとしたら、名古屋の老舗カメラ店、今池の松屋の社長さんに呼び止められてしまった。長身、総白髪の上品な紳士なんだな、松屋の社長さんは。男の書斎にぴったりだ。お金もありそうだし。そういえば、ここに並んでいるカメラは松屋さんの出品だった。俺もかつては松屋さんで、コンタックスⅢaやスーパーイコンタなんかを買ったりしたもんだ。もっとも、最近はとんとご無沙汰だけどね。
この社長、単にカメラを売るだけじゃなくて、海外旅行もお好きで、ご自分で写真を撮るのもプロ裸足というすんばらしいカメラ屋さんなんだ。実際、そこにかけてあった写真は、ノルマンディーとかヴェニスとかで社長が自ら撮影したモノクロ写真だった。羨ましい限りだ。
で、海外の撮影旅行についてちょこちょことお話しさせて頂いているうちに、お店に俺の写真を8枚ピックアップして展示しようという話になった。今はコスプレ写真が展示されていて、その次は風景写真の人が決まっているそうなんで、その次ということだ。
面白い。受けて立つぜ。一挙に地元名古屋でファン拡大を狙おうか?ドラゴンズかスパークスってのも夢じゃないぜ。いや、そりゃいくらなんでも調子のり過ぎだな。
しかし、8枚か。セレクトが難しいな。読者諸君が気に入っている写真があったら、コメントしてくれ。参考にさせて頂きたいぜ。

閑話休題。
そして、昨日はボリショイサーカスに行く前に、これまた行きつけのNADIFF愛知で、天才アラーキーの写真集『楽園』(2011年Rat Hole Gallery刊)を購入したぜ。限定500部、定価1260円税込だ。財布にもお優しい金額だ。ココは限定ものとかが必ず入荷してるんで、要チェックなお店だ。
荒木経惟 『楽園』 Rat Hole Gallery刊
アラーキーこと荒木経惟は、森山大道と並んで好きな写真家だ。緊縛とかヌードとか猥雑な写真も好きだが、俺が一番好きなのは、大昔の写真集『東京は秋』だ。電通を辞めた荒木氏が、東京アッジェを気取って毎日4×5のカメラを担いで東京を撮影し、その写真を今は亡き荒木氏の愛妻・陽子さんとともに、ああでもないこうでもないと一枚づづ語っていくという、素敵な写真集だ。『センチメンタルな旅・冬の旅』がその次だな。
それはさておき、この写真集。表紙、裏表紙含めてたったの21枚のカラー写真からなっている、多作饒舌なアラーキーにしては寡黙な印象を与える写真集だ。
そのほとんどすべてが、荒木氏の自宅の屋上、氏の写真にたびたび登場するあの屋上か、もしくはスタジオで撮影されている。楽園に見立てられた屋上に、あたかも生き物のように配されたゴジラや恐竜のフィギア。色鮮やかな花に這い回る、ビニールの恐竜。少女の人形の頭にかじりつくトカゲのような人形。
生々しくも静謐な写真が並んでいる。
俺は、最晩年のメープルソープを思い出した。メープルソープも、AIDSに冒された最晩年、花やギリシャローマの彫刻のレプリカを撮影していた。スタジオから動くことが出来なくなったからだ。そんな不吉なことを想ったのにも訳がある。アラーキーは近年、前立腺癌を患っている。東京ゼンリツセンガン、東京ホーシャセンなど、そんな自分を戯作する様なタイトルの写真集が発刊されたのも記憶に新しい。
愛妻陽子さんの死後18年の長きにわたってアラーキーの内面を支えてきた愛猫チロも死んだ。
そして、去年NHKの番組で見たアラーキーは、今まで見たことのないくらい気弱になっているように見えた。
もちろん、そんなことにお構いなく、相も変わらず多作な荒木氏ではあるが、どうも自分のキャリアで埋もれていたものを、近年発掘するような写真集も見受けられるしなぁ。
そして、この写真集だ。
写真集としては、小さいながらも、とても美しく、素晴らしい出来だ。しかし、どこか死後の世界すら連想させる『楽園』というタイトル。そして、写真の中に漲る不吉な予感。
荒木経惟ほどのエネルギーと世界に通用する作風、そして何より清濁併せ飲む強烈な個性を持った写真家は、残念ながら今の日本には彼をおいて他にいない。アラーキーは俺のオヤジと同じ年だが、俺のオヤジは近年新しい彼女を作って頑張っているんだ。アラーキーにも、まだまだしばらく眼べってもらいたいと、心から祈ってる俺だ。
荒木さん、しっかり病気治して、エロスとタナトスが写真から放射するあなたの写真集を、これからも末永く量産し続けてください。
読者諸君、失礼させて頂くぜ。俺はアラーキーが大好きなのさ。君はどうだい?

2011/06/28

Post #227 Photographica #9

今日から俺は出張なんだ。高速に乗って東へ向かうんだ。放射能が心配だが、構っちゃいられないさ。涼しい山の中で、毎日夜間作業だ。イタチなんかに出くわしちまうかもしれないな。楽しみなこった。
そんなわけで、今日は朝も早くから更新しておこう。ずいぶん前に買ったと言っていた、中平卓馬の写真集『Documentary』(Akio Nagasawa Publishing刊)だ。

中平卓馬『Documentary』Akio Nagasawa Publishing刊

写真を撮る人間にとって、いや、他人の考えはよくわからないから、ココは謙虚に、俺にとって中平卓馬は、写真の極北であり、2001年宇宙の旅で、絶滅の危機に瀕した類人猿の前に顕れて、その進化を促したモノリスのように、謎めいた、そして無視することのできない写真家だ。

この写真集をめくってみよう。カモ、ヤギ、コイ、カメ、芍薬やツツジ、ハイビスカスなどの花々、樹木、看板(それは文字が書いてはあるが、そこから中平のメッセージを読み取ることは難しい)、そして何より数ページおきに登場する、眠る男たち。
それらすべてのモチーフが明るい日差しのもと、一点の曇りもなく、映し出されている。
一点の曇りもなく、Canon F-1に105㎜のレンズで、しっかりと写し取られている。
一点の曇りもなく、写し取られているがゆえに、一つの問いが浮かんでは消えない。
一体これは、何なのだ?
何故、彼はこれを写真に撮り、私たちの前に提示しているのか?
この写真には、どんな意味があるというのか?

中平卓馬が日々の生活の中で、写真を撮影しているドキュメンタリーを見たことがある。NHKで放送されていたものなので、読者諸君の中には、御覧になったことのある方も多い事だろう。
中平は、ほぼ毎日、雨が降っていない限りは、朝食を食べ上げると、帽子をかぶり、愛用のCanon F-1(これは彼の扱いが雑なので、しばしば壊れて、新しい中古品?と入れ替わるそうだ)をぶら下げて、撮影に出ていく。彼は家の近所を自転車でめぐり、河原でカメやヘビを撮り、公園で眠っている浮浪者を撮る。その時、彼は用心深くカメラを構え、左手でレンズのピントを合わせながら、音もなく被写体に近寄り、シャッターをきった途端に、カメラを小脇に引き寄せて、隠すようにして身をひるがえす。まるで、何かを盗み取った者のように。そして、その顔には、満面の笑みがあふれている。
中平卓馬は、毎日決まって同じ場所で撮影していても、ふと『ここは初めての場所だねぇ』とか言ったりする不思議な人だそうだ。マンネリでも、飽きなきゃいいとはこの事だ。自分で忘れている?んだから最強だ。

中平が使用するのはリバーサルフィルムで、彼の部屋には、無数のリバーサルマウントが散らばっている。彼は撮影から戻ると、その無数のリバーサルマウントの中から、任意の2枚を選び出し、ライトボックスの上で、組み合わせを考えている。見開きに一枚づつ、どのように配置するのかを注意深く検討しているようだ。

俺はそんな中平卓馬の姿を見ていると、世界の秘密を掠め取り、それを再構成しようとしているように感じる。中平の写真が他と隔絶しているのは、その写真の一枚一枚が、私たち自身が写真、さらに言うなればイメージ(今日では画像はイメージと称されることが多いね)に対して抱いているコードを完全に無視しているという点だろう。
つまり、写真には、意味がある、というコードだ。さらに言えば、私たちが目にする写真は、何らかの主観によって選び出され、それを視る者に対して何らかのメッセージを含んでいる。あるいは、視る者の中にあるイメージを喚起する触媒のような力を持っている。詩的に言うならば、一枚の写真の中には、何らかの『喩』が潜んでいると言っても過言ではないだろう。
この『喩』によって、喚起されうるものが多ければ多いほど、それは視る者に何かを与える写真として成立しうるだろう。女性が写った写真が、男性にとって、性的な行為の喩を孕んでいるようにだ。

しかし、中平はかつて『世界、事物の擬人化、世界への人間の投影を徹底して排除』するト語っていた写真家だ。その言葉から今日の彼の立ち位置まで、昏倒と記憶喪失、そしてそれに伴う一時的な全言語喪失というイベントが横たわってはいるのだが、かつて悩める写真家中平卓馬が目指した境地に、彼は今、立っているのだろう。

あらゆる『喩』から、解き放たれた、見たままの世界。それはもう一歩で、名前という最後の喩(或いは事物にかけられた呪)からも被写体を解き放ちそうなほどだ。
明るく、何も含むところがない、世界の断片そのもの。
そこには、かつてそれがカメラの前にあったということしか、意味しない。(いや中平卓馬自身としてはあるのかもしれないけど…。なんてったって、森山神社って看板を撮って、これが森山大道、東照院とかいうお寺の表札を撮って、これが東松照明とかいうくらいの人だからねぇ。けど、そんなのダジャレみたいなの、分かんないでしょう?突っ込み不能だもん)
決定的瞬間や、風呂屋のタイル絵のような類型的な美しさは、どこにもない。
あらゆるイメージを排して、格物致知、つまりモノに即して知るに至るという経験を、視る者に迫る。

そういう意味で、凄い写真家だし、素晴らしい写真集だ。まさに、中平卓馬が触れた世界の『ドキュメント』そのものに他ならない。

かつて、俺は一度だけ中平卓馬に会ったことがある。
この時彼はすこぶる上機嫌で、横浜の駅前でペルー人のバンドが『コンドルが飛んでいく』を演奏していた時、東京外国語大学スペイン語学科卒の自分が、その歌詞を日本語に訳してあげたら、道行く人々は深く感動して、バンドに対してたくさんのお金を投げてよこしたと、現実とも虚構ともつかない話を繰り返ししていた。(中平自身は一度ウケると何度でもその話をするらしい)
中平卓馬その人こそ、写真という空をはるかかなたに飛んでいく、コンドルのような男なのかもしれない。少なくとも、俺は嬉しそうにその話をし続ける中平卓馬の顔を思い出しては、そう思わずにはいられない。いられないんだ。

読者諸君、また会おう。今日は忙しいんだ。出張に行く前に、銀行に行って税金を払ったり、請求書を送ったりしなけりゃならないんだ。こう見えて俺も小忙しい男なのさ。失礼するぜ。

2011/05/28

Post #197 Photographica #8

読者諸君、おはよう。
俺は昨日は、山のなかのホテルで行われた仕事関係の親睦会で、ゆったりさせて貰ったぜ。なんてったって、展望大浴場独りぼっちで一時間半だ。
風呂の好きな俺にはたまらないぜ。ただし、展望のほうは真夜中の山に川だから、まるっきり見えなかったけどね。
こんな忙しい毎日だが、この親睦会に出掛ける前に、別のお客さんの事務所に顔を出したついでに、ちょいと本屋に行って写真集を買ってきてしまったぜ。
しかも2冊。
ヤバい、また本が増えてしまった。最近は本が増えすぎて、けっこうな収納力を持つ本棚が3本、ぎっしりみっしりと本でいっぱいだ。本を新たに購入するたびに、つれあいからは、これじゃいつか床が抜けるとか、そんな金があるんなら、貸してある金を返せとか、嫌みを言われたり、叱られたりするのだ。道楽者も楽じゃないぜ。
Amsterdam
さて、閑話休題。
今回お買い上げは、藤原新也『アメリカンルーレット』とピーター・リンドバークの『ON STREET』の2冊だ。
藤原新也のほうに関しては、1990年初版なんで、まぁ買ったというご報告だけで済ましておこうかな。とはいえ、俺はこの写真集、ずっと欲しかったんだよ。というのは、新潮社文庫から出ているチャールズ・ブコウスキーの短編集『町でいちばんの美女』と『ありきたりな狂気の物語』の装丁に、藤原新也のアメリカンルーレットの写真が使われているんだ。
酒と女出身を持ち崩したろくでなしばかりが出てくる無頼反骨の呑んだくれ作家ブコウスキーの小説も好きなんだが、そもそも藤原新也の写真が使われていなかったら、ブコウスキーを手に取って見ることもなかっただろう。
とまぁ、そんな思い入れもあって今回お買い上げに至った訳だ。
さほどイイ紙質ではないが、そこにアメリカ大陸を横断して撮影したさまざまなイメージが、モノクロで、カラーで展開している。荒野、夜の都市、フロリダ、ディズニーランド、旅のまにまにすれ違う人々。これはイイんだ。

昨日購入の二冊。
藤原新也『アメリカンルーレット』1990 情報センター出版局刊
Peter Lindbergh 『ON STREET』2010 SChirmer Mosel Verlag Gmbh刊
もう一冊のPeter Lindburghの『ON STREET』は、C/O BERLINというベルリンにある写真の美術館で行われた彼のエキシビションをもとに構成された写真集のようだ。ようだというのは、これはもちろん洋書で、ドイツ語、英語、フランス語のトリリンガルで解説されているんですが、ドイツ語は当然わかんねーし、フランス語は、トイレどこ?くらいしかイケないし、英語だったらまぁそこそこわかるんですが、何分ほら、昨日は懇親会でしこたまコンパニオンのおねーさんにビール飲まされて、酔い覚ましに長風呂、しかも酔っ払ったおっさんたちが戦死したように転がってる大部屋での宿泊だったんで、ゆっくり見てみようと思って持っていったんだけれど、そこまで突っ込んでないんだよね。
しかし、写真そのものは、文章と違って即時了解可能なメディアなんで、心配ない。いい写真は、一目見ればいいものだとわかる。
パリを拠点に活動しているドイツ人写真家、ピーター・リンドバーグは、ファッションモデルをあえてモノクロ写真で捉え続けている写真家なんだが、正直言ってファッション写真は俺の守備範囲じゃないから、普段あまり積極的に購入するようなものではないんだよね。ヘルムート・ニュートンとかも素敵だとは思っているんですが、どちらかといえばやはりスナップシューティングのほうに、触手は伸びてしまうわけです。
しかし、この『ON STREET』は、いいぜ。俺好みだ。というか、こういう写真を撮ってみたいなと願っていたようなのを、まざまざと見せつけられたようで、矢も盾もたまらず、お買い上げだ。くそ!
その中身は、LOOKING AT、ON STREET、BERLIN、A SELECTIONに章立てされている。BERLIN(これも俺、スゴク行ってみたい街の一つ。)はベルリンでの様々なシーケンスのスナップやモデル撮影。A SELECTIONはKlaus Honnefによる傑作選ってところか。
俺が注目、瞠目、括目したのは、LOOKING ATとON STREETの2つのセクションだ。
LOOKING ATは1999年に、ON STREETは1996年にいずれもニューヨークで撮影されたもののようなんですが、モデル女性が、ファッションショーのようにエレガントな服を着て、ポーズを決めたりしながら信号待ちをしてたり、雑踏の中をケータイで電話しながら歩いていたり、長いコートの裾を翻して歩み去って行ったりするんだ。
まるで、たまたまスナップをしていたら、GAPなんかを着た野暮ったいヤンキー(これはもちろんアメリカ人の事。コンビニの前や田舎の駅前でたむろしているあれではない)やよれたスーツ姿のビジネスマンの間に、抜群のプロポーションの極上の女性が、しかも素敵に洗練された服装で佇んでいたり、歩いていたりするのを見つけて、気付かれないようにそーっとシャッターをきったかのようなライブ感がある。カッコいい~!
そのモノクロの写真の中には、周囲の生活感むんむんの環境の中に、モデルの女性たちが強烈なしかし静謐なオーラを放っている様が写し取られている。
それは時に、モデルそのものは、後姿だったり、画面の中心を外れたところに配置されていたり、全身が写っていなかったりするんだが、それがかえって写真のリアリティーを増長させている。
くぅ~、やられた。
俺は、いつもこんなネーチャン・フォトを撮りたいと思っているんだ。
もし、素敵な女性が俺に写真を撮らせてくれるのなら、こんなカンジにとりたいといつも考えていたんだ。羨ましさと悔しさが入り混じるぜ。思わずため息が漏れてくる。

読者諸君。これは素敵な写真集だ。アマゾンで買うのが安価でいいだろう。俺はもうしばらくしたら、また今日の仕事に出撃しなくちゃならないんだ。まだ見ぬ俺の写真を遠く思いながら、そしてそれを目にした時の君たちの驚嘆の声を幻聴のように耳の奥に想いながら、車を転がしていくのさ。
各位、よい週末を過ごしてくれ。こんな事をやってるうちに、毎日は光の速さで過ぎ去ってしまうんだ。時間を無駄にしている場合じゃないぜ。台風が上陸する前に、本屋に行って気に入った写真集でも買ってきて、ゆったりと写真でも見て暮らすのも、ありだろう。
失礼するぜ!

2011/05/15

Post #184 Photographica #7

暇だ暇だとぼやいているうちに、やばいことになってきたぜ。そう、仕事だ。仕事の波がやってきちまった。明日からは怒涛の勢いだ。関西方面死のロードだ。毎日車を転がして、見知らぬ街から街へ走り回るのさ。
ごまかした仕事しかできない奴の尻拭きをしに、俺は出かけるのさ。体調もいまいちだと言うのに、ご苦労なこった。しかも、今夜は友人の結婚式の二次会に出なきゃならないようなんだが、これがルーズな奴らの集まりで、未だに場所もはっきり分からねぇと来た。ルーズにもほどがあるってもんだ。お、電話がかかってきたぜ。なにぃ、昨日の場所が違っていた?OK、分かったぜ。19:30だな。急いでブログを作って、明日の仕事の段取りをしないとな…。

さてと、閑話休題だ。

Kabukicho,Tokyo
俺が自分で、写真の個展を開くなら、参考にしたいスタイルがあるんだ。一つは中平卓真が1971年10月10日から16日まで、パリ国際ビエンナーレで行った『サーキュレーション』。中平は連日パリの街で撮影を行い、即現像したプリントを次々と展示していった。今でいう、インスタレーションに近いものだと言えるだろう。

もう一つは、1974年に、東京のシミズで画廊で行われた渡辺克巳写真展『初覗夜大伏魔殿』だ。
この写真展を企画したのは当時カメラ毎日編集部員だった、故・西井一夫だった。西井さんの遺著『20世紀写真論・終章』(青弓社刊)にそのあたりの事を記した件がある。引用してみよう。

『…前略…ナベちゃんの写真をベニヤ板に張り、そのベニヤ板を画廊の床に敷き詰め、壁にも一面写真をくまなく張り巡らし、ついでに、夜の新宿で拾ってきた映画の看板とか、キャバレーのホステスの衣装とかポスターとかも貼り付けて部屋中写真と新宿のごみ箱のようなギトギトにしちゃおうと企画した。ナベちゃんが新宿でしているのと同じ体験を見に来た人にもしてもらおうと、会場では来た人のポートレイト写真を撮り、翌日には会場に展示する、という試みもやり、後日来て自分の写真が気に入った人には代金引き換えに写真を売る、という商売にもした。』
その西井一夫も、渡辺克巳も、とっくにこの世にはいない。


渡辺克巳は、新宿で流しの街頭写真師として活動を始めた写真家だった。流しの写真師とは、今のように誰もがカメラを持っていなかった頃、お客の写真を撮ってプリントし、翌日手札版3枚200円でお客さんに売るという商売だ。渡辺克巳の仕事場は新宿。そのお客は、ヤクザ、トルコ嬢(今でいうソープ嬢だ)、ヌードスタジオのモデル、オカマ、ホステス、芸者、暴走族、パンク、ロッカーそして浮浪者、さらに時代が下るとホスト、コギャルなど新宿の夜に蠢く人々で占められていた。
渡辺克巳は、正直に言って著名な写真家ではないかもしれない。しかし、その写真からは、世間から追われ、新宿という『アジール』に流れ着いた人々を、温かく見つめる視線がある。肩で風を切るチンピラや全身に彫られた刺青を誇示するヤクザモノに対しても、その視線は揺るがない。渡辺自身は、50を超えてから授かった息子さんに『悪い奴はいねぇ、哀しい奴はいる』と語っていたそうだ。
そんな街頭写真師でいつまでも生計が成り立つわけでもなく、写真館経営、焼き芋屋、週刊誌のカメラマンなどさまざまな仕事をしながら、ライフワークとして夜の新宿に集う人々を撮り続けた。

手元に、渡辺克巳の三冊の写真集がある。
渡辺克巳の写真集三冊「Hot dog」、「新宿、インド、新宿」、
「Gangs of Kabukicho」(L→R)
一冊はワイズ出版から2001年に出版された『Hot Dog 新宿1999-2000』
浮浪者、コギャル、飲み屋のママ、ホステス、夜の歌舞伎町に集う人々のスナップとポートレイトで構成されている。もちろんモノクロ。
次いで、New YorkのPPP Editionsから発行された『Gangs Of Kabukicho/歌舞伎町』
先にもあげたようなアウトローたちの肖像で全ページぎっしりみっしりだ。これもモノクロ。
どちらも見ごたえがある。強力な写真集だ。ずらりと居並ぶ半裸のヤクザ者、その肩や胸や背中には極彩色の刺青がビッシリだ。そんな男たちを前にしても、渡辺克巳の写真は揺るがない。オカマ、ホステス、風俗嬢、浮浪者。
これらの写真を見ると、日本がアジアだったことがよくわかるぜ。

そして、もう一冊がポット出版より、2011年4月7日発行の『新宿、インド、新宿』だ。くどいようだが、モノクロだ。ついこの間、インドにいきてぇと騒いでいた頃に買ってきたって言ってたでしょう、アレですよ。アレ。
この写真集には、1960年代から80年ごろにかけての新宿に集う人々、82年のインド撮影旅行の写真、そして84年から2003年にかけての新宿の写真で構成されている。

新宿の写真にも引けを取らないのが、インドを撮った一連の写真だ。インドは圧倒的に貧しいカンジだ。モノクロで、スラムのような風景が展開している。人力車のまわりに集いニタニタ笑っている若者、農婦、侏儒、市場の片隅で眠る赤ん坊。正直言って、日本の感覚からすると悲惨なカンジが漂うが、渡辺は『日本でなくようなことがあってもインドを見てしまえば、なんだなくことはないじゃないかという気がするわけですよ。』とぶっちぎっている。そりゃそうだろうな。

素敵な写真集です。本書の帯に寄せた森山大道の言葉が、渡辺克巳を活写している。
『新宿の夜、いつも渡辺克巳がいた。欲望のスタジアム、大いなる荒野『新宿』のアクチュアリティを写し切った写真家は、ただひとり、渡辺克巳である。』
渡辺克巳と同様に、新宿を写し続けた森山大道にこういわれちゃ、渡辺克巳もあの世でいかつい感じの顔を笑顔で崩しながら、照れていることだろう。
多くの読者諸君が、渡辺克巳を知らないかもしれない。ひょっとしたら、みんなよく知ってるかもしれないけれどな。けど、もし君がどこか社会から自分が浮いているアウトローだと感じているんなら、そう、本屋に向かって犬のように走っていき、渡辺克巳の写真集をゲットするのは間違いじゃないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は結婚式の2次会とやらにお出掛けしなくちゃならないんだ。めんどくさいが、仕方がない。しかし、そうはいっても、大騒ぎしてくるだろう。なんてったって、例のホモM社さんも一緒だからね。ふふふ…、困ったもんだぜ。

2011/05/04

Post #173 Photographica #6

俺の乏しい経験では、トルコを含めてヨーロッパでは、何処に行ってもジプシーの姿を見かける。本場は中東欧のようだ。最近ではジプシーは、その呼称自体が差別的だってんで、ロマって呼ばれることの方が多い。インドを源にして、ヨーロッパにやってきた非定住民だ。1000年ほど前に、初めてヨーロッパに現れたころ、彼らがエジプトからやってきた巡礼者を称していたことから、ジプシーと呼ばれていたんだが、そのライフスタイルにより、ながらく差別されてきた。独特のファッションなのですぐにそれとわかる。最近では、フランスのサルコジがロマを国外に追放したりしている。
Izmir,Turk
俺は、ずいぶんと長い事フランスのジタンってタバコを吸っていたんだが、このジタン(正式にはジターヌ)ってのが、フランス語でジプシーの事を意味している。パッケージには、踊るジプシー女性の姿が描かれている。独特の香りで、周囲には評判が悪かったが、そりゃ旨いタバコだ。
然し、ひと箱460円ともなるとね…。

1960年代のチェコスロバキアに、ジプシーのドキュメント写真を撮る若い写真家がいた。彼はもともと技師の仕事の傍ら、演劇関係の写真を撮影していたんだが、ジプシーと知り合って、徐々にその魅力にひかれ、自らの被写体に選んで行ったようだ。
その写真家の名はジョセフ・クーデルカ。
彼は知り合いの写真評論家がベルリンに行くので、そのついでに自分が使っていた東ドイツ製の一眼レフカメラ、エキザクタ用に35㎜の広角レンズ、Carl Zeiss Jenaのフレクトゴンを買ってきてくれるように頼んだ。フレクトゴン、その名前からしてミラーがボディーの中で動く一眼レフカメラで使用可能な広角レンズだとわかる。西側のZeissではディスタゴンに相当するだろう。
生憎、その知人はベルリンでフレクトゴン35㎜は在庫切れで手に入れることが出来ず、代わりに同じフレクトゴンの25㎜F4を買ってきた。
これが、クーデルカの写真を決定づけることになる。想像してほしい。慢性的な物資不足の1960年代の社会主義国で、手に入れることのできるレンズは、実に少ない選択肢しかなかっただろうってことを。決してレンズなんて、その辺りにより取り見取りでごろごろ売っていたわけではないだろう。それに、レンズも今の感覚よりもはるかに高価なものだっただろう。クーデルカにとって、25㎜を使うことは、予期しない選択だったんだろうが、これが結果的にいい結果をもたらしたんだ。

写真を撮っている人ならば、35㎜と25㎜では描写がゼンゼン違うことがすぐにわかるだろう。俺は専ら35㎜専門だけれど。ホントにまったく違う。同じものを撮っても、まるで違う写真になってしまうだろう。
これを田中長徳氏は、その著書の中で「彼の写真集を見る限りでは、そのドラマチックな人物像と、まるで宗教画のように背後に広々と広がっているチェコの光景というのは、これは35ミリのドメスティックな視覚では、到底表現することができなくて、25ミリレンズのその遠近感を強調したややエキセントリックな視覚の中に、クーデルカが表現しようとした写真の真実が込められている…(以下略)」と評している。
クーデルカはこのレンズを使い、名作『ジプシー』をモノにするわけだ。

67年にプロの写真家として独立したクーデルカは、ルーマニアにジプシーを追っていた。この取材を終えてチェコの首都、プラハに帰った翌日の1968年8月21日、事件は起こった。
ソヴィエト軍を中心としたワルシャワ条約機構軍が、チェコで進行していた『人間の顔をした社会主義』を標榜した解放政策『プラハの春』、つまり今でいう自由化政策を、その圧倒的な武力を以て威嚇・圧殺するために、予告なしで大規模に侵攻したのだ。

この一部始終を、当時30歳のクーデルカが、ひとりのプラハ市民の目線で記録した写真集、それが先日買ってきた『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』(平凡社刊)だ。
『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』平凡社刊
クーデルカは、世界でも最も美しい街の一つとされるプラハの大通りを埋め尽くすように、隊列を組んで走る戦車を撮影している。そして、戦車に投石したりして抵抗する市民の姿を、余すところなく捉えている。戦車に乗る軍人に対して、抗議する群衆。自らの行いに道義性がないことを知っているがゆえにさえない表情のソ連兵たち。そして市民の圧倒的な言葉による抵抗は、圧倒的な武力すら無力化してしまう。犠牲になった者の葬列、抗議のデモ、街頭を埋め尽くすように書かれた風刺のきいた落書き、ソ連兵士の方向感覚を狂わせるために町中で消された標識。

それらは、交戦するどちらかの陣営とともに動き、ともすればイデオロギーの代弁者になってしまう戦場写真とは、一線を画しているように感じられる。俺がそう感じる理由は、他でもない、クーデルカ自身が一人のプラハ市民、つまり当事者そのものであり、なおかつ軍事的な何ものにもサポートされていない、一人の写真家として、目の前に起こる出来事に対峙しているという点だ。強いて言えば、彼はプラハ市民に、そして歴史そのものに、その証人となることを強いられた存在なのだ。決して、プロパガンダではないし、単なる野次馬根性でもないぜ。しっかりと地に足がついているカンジだ。25㎜で、このように撮影するには、どれほど被写体に肉薄していたことだろう。白い望遠レンズで安全なところから取っているわけではないのだ。
クーデルカは決して政治的な写真家ではなかったそうだが、この時、プラハでは誰もが政治的でいられずにはいられなかったと、後年語っていたそうだ。
この写真は、ひそかに国外に持ち出され、マグナムによって1年後世界中に配信された。しかし、その危険性から撮影者は匿名とされた。そして匿名のままで、この写真はロバート・キャパ賞を受賞した。クーデルカ自身も1970年に亡命し、マグナムに加入する事となる。クーデルカ自身が、この写真の撮影者であると明かしたのは、祖国で暮らす父親が死んだ後1984年であり、彼が祖国の土を踏んだのは、実に冷戦終結後の1990年だったそうだ。

この写真集には、およそ250枚の写真がおさめられている。そのほとんどが、未発表のプリントだ。見ごたえがある写真集だ。全編に写真への覚悟が漲っているぜ。そして、圧倒的な暴力に対して、どう戦えばよいのかということについても、大いに示唆を与えてくれると思うぜ。

読者諸君、これはいい写真集なんだ。4000円を握りしめて、近所の本屋に向かってくれ。連休はまだしばらく続く。家でまったりしながら見てみるとイイだろう。そして、平和ボケしていられる幸せを噛みしめるのさ。
OK、今日はこのくらいで。そろそろ仕事に行かなけりゃならないんだ。仕方ないな、まったく。

2011/03/15

Post #121 Photographica #5

実は昨日は、プリントをしていたんだ。去年出張で2週間ほど滞在していた大阪の写真だ。うんざりするほどある中から、フィルム1本、20枚プリントしたんだ。
プリントしていると、お客から電話があった。今日予定されていた打ち合わせが、東京の元請からの書類が届かないために16日に延期してほしいという内容だった。
うむ、こんなところまで影響は及んでいる。呑気な話に聞こえるが、某配送会社の集荷のおじさんに訊いてみたところ、東京までは荷物は多少の遅れで届くが、千葉も含めて東京以東は受け取りを断っているそうだ。物流が完全に止まっている。
そこで、今日は印画紙を買いに出かけたんだ。
大学生たちが、街角で声を張り上げて募金を募っていた。しかし、そのすぐ脇で昼キャバのおねーさんとも呼べないような小娘が、割引券を配っていた。普段でも、昼間っから酒飲んで女の子と戯れるほど人間として堕落しちゃいないぜと思っているが、さすがにこの時期にこれはないんじゃないか?いや、そんな風に感じてしまうのは、大政翼賛会というか社会の同調圧力に屈してしまっている証左なのではないか?悩ましいところだ。やけになって、昼間っから酒でも飲まなけりゃやってられねぇって人もいるだろう。
俺は、いつものジュンク堂に行き、つい写真集を買ってしまった。廃墟写真をおおく手掛ける中筋純の『廃墟 チェルノブイリ』だ。
TVでは、原子力の専門家が入れ替わり立ち代わり登場し、今回の原発事故はチェルノブイリのようにはならないと繰り返し言っている。また、各地で検出された放射線量が胸部レントゲン一回分にも及ばないと解説されている。あくまで今のところはね。
で、3年ほど前に刊行された『廃墟 チェルノブイリ』を開いてみよう。
中筋純『廃墟 チェルノブイリ』 二見書房刊
そこには、昨日も紹介した『石棺』が不気味にそびえている。
整然と並んだアパートは、廃墟と化している。その部屋の中には非難した子供がおいて行ったのだろう、人形が落ちているが、その人形は高濃度の放射能を含んでいるため、手に取ることすらできない。剪定されることのないポプラの木は、5階建てのアパートを越えるほどの高さに育ちまくっている。
実りの季節を迎えた林檎の木には、たわわに黄金色のリンゴが実っているが、それは放射能という猛毒を蓄積した毒リンゴだ。
建設されたまま一度も稼働することなく打ち捨てられた観覧車は、錆に覆われている。
レーニンの肖像は未だに共産主義の未来を謳歌している。
そして、人間が消えた土地には、さまざまな野生動物が戻ってきている。
これが明日の関東平野の姿じゃないとは言い切れないぜ。

あ~、高校生の頃は、ウクライナやベラルーシ(当時はもちろんUSSRソビエト連邦だ)は遠いところだった。だから呑気に、剥げてる先生の事を『おいチェル!』なんて馬鹿にして笑っていたのに。まさかこんな日が来るなんて、悲しくなってくるぜ。

けれど、今日俺が、まんざら捨てたもんじゃないな日本もって思ったのは、昼キャバで働いていたっておかしくないようなお嬢たちが、同じくらいの年ごろの大学生の募金に迷わず募金していた姿を見たことだ。なんか心が温かくなったぜ。日頃、人間見かけで判断しちゃダメだなと思っていたのに、知らず知らずに判断していた自分を恥ずかしく思ったもんさ。まだまだ、日本は捨てたもんじゃないぜ。中には天罰とか言っている馬鹿な老人もいるけれどね。そんな奴は放っておこうぜ。

そうこう言ってる間にも地震だ。震度3か。まいったなぁ〜。今日はこれくらいで。
君たちも自分の身を守ってくれ、サバイバルしてくれ。
生きてるウチが花だぜ。

2011/03/08

Post #114 Photographica #4

先週、俺は名古屋の老舗ホテルの宴会場の改装工事の監督をやっていたんだ。ちょうどその時期、うちの連れ合いが上海に出張していたので、俺は古い友人に連絡を取った。
一緒に飯でもどうだいってね。電話をかけた時、某上場企業の剛腕営業マンの彼は東京の飲み屋でお客と飲んでいたようだ。さすが、上場企業ともなると、交際費に余裕があっていいもんだ。
俺は、彼と3月3日の夜に会う約束をしたんだ。彼は陽気に『ひな祭り、ひな祭りの夜ね』と言っていたぜ。
約束のその日、彼、(いちいち彼彼いうのも鬱陶しいんで、『Y野君』としておこう)から電話がかかってきて、今金沢にいるから、夜8時30分ごろに名古屋駅の近辺でどうよ?って連絡があった。いいだろう。望むところだ。俺の仕事はもう終盤に入っていたので、サクサク片付けて、名古屋駅に向かった。このあたりのパーキングメーターは夜7時を回ると、作動しなくなるので、夜は路上に止め放題だ。とはいえ、昨年堤防道路での反対車線走行と、国道での24キロオーバーで切符を切られて、2点しか残っていない俺は、内心はヒヤヒヤもんなんだが、背に腹は代えられないのさ。

まだ、約束の時間までは間がある。俺は近くのジュンク堂書店に行ったんだ。そうして、性懲りもなく、またまた森山大道の『NORTHERN 3 光と影のハイマート』(図書新聞刊)を買ってしまった。帯には、“1970年代の北海道を撮った『NORTHERN』『NORTHERN 2 北方写真師たちへの追想』に続き、光と風土に包まれた北海道の現在(2009年‐2010年)を撮る”とある。
まぁ、いずれは買うかと思っていたんだが、話のネタに買ってみようと思ったわけだ。なにせY野君は、俺が写真なんかにこれっぽっちも興味がなかった高校時代に、熱心な写真部員だったからな。写真集を肴に酒を飲むのも悪くはない。もちろん俺は車だから飲まないけどね。とはいえ、そんなの単なる口実だろうって声が世界中から湧き上がってくるのが、遠い海鳴りのように俺の耳には聞こえるぜ。そうさ、どうせ口実さ。
中学高校と同級生だった彼は、当時も今も俺の数少ない友人の一人なんだが、大学は仙台に行き、就職してからは横浜あたりに住んだのちに、転勤で北海道に赴き、そのままそこにマンションを買って、奥さんと二人の子供と暮らしている男なのさ。そんな男が、なんで名古屋にいるかっていうと、その剛腕振りを買われて、名古屋の支社に営業課長として単身赴任してきたからだ。OK!旧交を温めるにはもってこいだ。

俺は、Y野君と落ち合うと、車を止めた真ん前の沖縄料理屋に入った。沖縄料理屋なのに店の女の子は中国人ばかりだ。ふむ、これも国際化という奴か。

Y野君と会うのは、去年の12月以来だ。俺たちはちらちらと写真集を見たりしながら、チャンプルーを食らい、泡盛やルートビアを飲んだ。お互いにおっさんになったが、話し出すと何も変わらない。人間なんて年を食ったからって、そうそう変わるもんじゃないんだ。俺は偉そうにしている奴を見ると、そいつの少年時代の顔を想像してみることにしているんだ。いつもね。そうすると、ふんぞり返った野郎が、単なる小生意気なガキに見えてきて、ちょろいもんだぜって感じるのさ。

俺たちは何時間もの間、はたから見るとしょうもない話で盛り上がった。酒のみなんてそんなもんだろ?廻りから見るとオヤジ談義のように聞こえるだろうが、高校時代の俺たちも、よくこうして何時間も話し合ったりしたもんだ。そんなことをいうこと自体がおっさん臭いかもしれないが、俺も42だ、立派なおっさんだ。悪いかい?しかもイカレタおっさんだ。並大抵の努力じゃ、イカレタおっさんにはなれないぜ。こう見えていろいろと犠牲を払って、イカレタおっさんになったんだ。もちろん昔もイカレタ餓鬼だったぜ。その頃の写真があったんで、のっけておくぜ。
皆の衆、せいぜい大笑いしてくれよ。撮影はたぶんY野君だ。
SPARKS In Mid80’s
Y野君の写真部時代は、写真部の部室が女子のテニスコートのすぐ裏だったんで、それを盗撮したいやつとか、先輩から回ってきた裏本(平成生まれの若者にはわからないだろうが、非合法に出版されたノーカットの、つまり性器のばっちり印刷されたエロ本だ)の複写をやらされたりと大変だったことと思う。その中で彼は、当時世間一般では変なエロ本としか思われていなかった『写真時代』を愛読し、天才アラーキーの凄さにしびれまくっていたのだ。
残念だ。そのまま痺れまくっていてくれたら、Y野君も今頃、立派な写真家になってくれていたかもしれない。このころの写真時代には、アラーキーこと荒木経惟を筆頭に、森山大道、倉田精二、北島敬三などのそうそうたる写真家が連載を持ち、あるいは赤瀬川源平や南伸坊なども面白い連載を展開していた。超芸術トマソンや路上観察学会なんかが生まれたのも確か写真時代だったはずだ。
思えば、豊かでなんでもありの時代だった・・・。今よりもおおらかで、露骨で、下品な時代だった。カウンターカルチャーの時代だったのだ。俺はその頃は専ら『宝島』を愛読していたけれどね。そう、ロックとサブカルチャーしか記事に載っていなかった頃の宝島だ。
あぁ、もう一度、帰りたいぜ、あの狂乱の時代に。
もっとも、女の子は今のほうが可愛いけどな。その頃はみんなスカートもスケバンデカみたいに長くて、足はといえばやたらと太かった。おまけに、髪型はどいつもこいつも聖子ちゃんカットだった。同調圧力が強いのは昔も今も変わりないのさ。

まぁ、この後、俺はなんだか急にアレルギーが出て、体調を崩したんだが‥‥。それはそれで、楽しい夜だった。こんな友達がいることに、俺は感謝してるぜ。
森山大道 『NORTHERN 3 光と影のハイマート』図書新聞刊
左は札幌宮の森美術館での『ブエノスアイレス/サンパウロ』展のフライヤー
そんなこんなで、森山大道の『NORTHERN 3』だ。『NORTHERN』『NORTHERN 2』に関しては、以前にもこのブログで紹介しているが、それに続く北海道シリーズ完結編だそうだ。
この刊行に合わせて北海道は札幌の札幌芸術の森美術館で『森山大道写真展「北海道〈最終章〉」』が開催されている。5月8日日曜日までだ。どちらかというと、この写真展に合わせて、この写真集が編集されたとみる方がよいだろう。しかも、札幌宮の森美術館では5月15日日曜日まで、『森山大道写真展 ブエノスアイレス/サンパウロ』が開催中だとさ。Y野君は札幌に帰ったら見に行くって言っていたぜ、くそッ、羨ましいぜ。
表紙は、先日紹介した『津軽』と同様になぜかタイヤだ。
森山大道の写真には力強いイメージのタイヤ、それもトラックとかの大型タイヤがしばしばみられる。古くは70年代初期のカメラ毎日誌上で連載された『暁の国道一号線』にも四日市で撮影されたトラックのタイヤがあったように記憶している。しかし、前回の『津軽』といい、今回の『NORTHERN 3』といい、その草に埋もれたようなタイヤが与える印象は、どこか荒涼としたものだ。北の大地の荒々しさに抗う人の営みのようなものか?
一年間にわたって、旭川、東川、小樽、札幌、留萌といった北海道各地で撮影された写真は、おなじみの森山節で、路地やショーウィンドウ、女性の後ろ姿などの見慣れたシーケンスが展開される。かつて、マンネリも飽きなきゃイイと言ってのけたのは天才アラーキーだが、もう森山さん、ここまで来ると確信犯的な確信を感じる。確かに、この30年で北海道の風景は大きく変わり、写真に写った町並はこざっぱりしている。Y野君は『札幌は日本で一番きれいな街だ』と言っていた。しかし、かつての写真にあったような板張りの貧しい家並みに、防寒着を着込んだオッサンとかの姿はなく、以前の写真よりも、かえっていっそう荒涼とした感を憶えずにはいられないぜ。

この辺のところを、本書の前書きで森山大道自身もこう語っている。
『大小を問わず北海道の町々は、三十有余年という時をへだて、例外はあるにせよ、すっかり新しく明るい街並みに変わっていた。それは、以前にも増してカラフルで、どこか北ヨーロッパの風景を見る思いだった。そしてまた、驚くほど町々から人影が失せていた。かつては、どんなに小さな町にしても、夜間はべつとして、もっと路上に人の生活が見えたという記憶がある。つまり、街路で人々を写せたのだ。たしかに北海道は広大な地場で、もともと人間が密集する場所や状態は限られていたとは思うが、それにしても、札幌市街を除けば、本当に路上から人の姿がうすれている。しかしこれは、ことに北海道に限った現象ではなく、日本全国のローカル全体についても言えることで、要するに、時代の推移につれて日本人の生活の様式が大きく変わってしまったのだろう。決して人間がいなくなってしまったのではなく、人々の日常の内訳と形態が変化してしまったのだ。いってもせんないことではあるが、長年路上カメラマンとして過ごしてきたぼくとしては、それなりに淋しい思いである。』
森山さん、同感です。
最後に、この写真集で最も驚いたことは、この写真集に収められた写真が、全てデジカメで撮影されていたということだ。森山大道といえば、GR1にTRY-Xで、暗室の魔術師だったはずなのに…。これも時代の流れか?本人は、かつてどこかで『フィルムが無くなったら、デジカメで撮るだけのこと』と言っていたが。当初カラーで編集していたそうだが、やはり途中からモノクロにしてみたくなって、全ての画像をモノクロ変換したそうだ。そして、それが今までのアナログ銀塩写真とまったくシームレスにつながっている。この粒子感を出すために、多大な苦労があったことが偲ばれるぜ。
けど、正直に言えば、森山さんにはフィルムで頑張ってほしいな、俺は・・・。 

では、失礼する。また明日か明後日、ごく近いうちにまた会おう。

2011/02/12

Post #88 Photographica #3

世間は3連休だ。俺もはたから見ればまるっきり休みに見えるだろうが、暫くしたら夜の仕事に出撃だ。初見の方は水商売の関係者だとか勘違いしてもらっては困る。男の仕事さ。
毎日の忙しい中を縫って、またもや写真集を買いに行ってしまった。愛知県美術館の地下にある、NADIFF愛知で買ったのさ。ここは、お店のおねーさんが、みんななんだか芸大とか通ってたような雰囲気を、つまり美術芸術に理解が深そうな雰囲気を漂わせていて、お気に入りなんだ。機会があったら、お茶でも飲みながら、いろいろと語り合ってみたいもんだぜ。さらに言うと、ここは自費出版物とか限定ものとか、他の美術館で行われた展覧会の図録なんかが、コンスタントに入荷する素敵なお店だ。これは、スパークスさんにとってありますとか言われると、うむ、つい買ってしまうな。今回も危うくもう一冊買いそうになってしまった。
俺は、酒にも弱いが、愛想のいい女性には弱いんだ。それでいつも失敗するのさ。
ちなみにPhotographicaてのは『写真愛好者の蒐集物』という意味で使っているんで、雑誌のPHOTOGRAPHICAとは、何のかかわりもないんだぜ。俺はもう何年も写真雑誌は買わないしな。だから、誤解しないでほしーし、それでとやかく細かい事言わないでほし―ぜ。頼む、面倒は私生活や仕事だけで沢山なんだ!

あぁ、そう何を買ったのかって、うん、また森山大道なんだけど、今度は『津軽』(2010年11月27日タカイシイギャラリー刊 限定1000部)さ。俺はさしずめ、森山大道の大旦那さんってとこだぜ。
この津軽は、1976年に森山大道が青森県五所川原市周辺で撮影した写真から構成されている。
いつもながらのざらついた荒れた粒子。重く曇った空は、一様に鉛色の粒子となって人々や建物を覆っている。それがまた俺には生理的にグッとくる。カッコEぜ。
ほぼ同時期に撮影されていた『北海道』でもそうだけれど、すでに21世紀の今日から見ると、あまりにもエキゾチックだ。この写真が撮られた頃に、小学生を職業にしていた俺が見ても、十二分にエキゾチックなんだから、今これらの写真を平成生まれの若い人たちが見たなら、一体ぜんたい、どう感じるんだろうか?興味があるところだぜ。読者さんに若い人がいたら、頼む、教えてくれー!
森山大道 『津軽』2010タカイシイギャラリー刊行
ショーウィンドーの中から見つめる古ぼけたマネキン、エロ映画のポスター、寂れた町を行く老婆、荒野のような風景、その中を駆け抜ける子供…。イカにもたこにも森山大道の写真に、今までも繰り返し取り上げられてきたモチーフが、シーケンスのように、ローキーのモノクロで繰り返される。
それは、近年撮影されているサンパウロやブエノスアイレスなどにも通底するものがある。悪く言えばマンネリなんだが、マンネリのどこが悪いんだ?
無論、俺にマンネリだって糾弾するような資格は全くないし、そんな意図もない。ファンだからな。仕方ないぜ。
スゲー奴には2種類あって、ピカソみたいに次々と自分のスタイルを否定して前進していくタイプと、自分のスタイルが定まったら、そのスタイルに固執し続けるタイプだ。
森山大道や荒木経惟は、俺が思うに後者だ。特に好きだっていう人以外には、一冊一冊の差異は明らかではないだろう。俺もいつもの森山節、毎度おなじみ荒木節と感じる。
しかし、カッコEンだから仕方ない。ロックの世界でも、凄い奴は、何年何十年たってもブレテない。根本的に変わらない。個々の作家のもっている資質やスタイルと、その時々の流行=ファッションとは、必然的に相反するときもあるのだ。ファッションのように移り変わるのを優れていると感じるよりも、頑固に自らのスタイルを貫いていくタイプのほうが、好きだな~、俺は。もちろん人それぞれだし、ファッショナブル=流行に敏感なほうが、商業的には成功するんだろうけどもね。

森山大道は70年代中ごろから、メディアに飽きられ始めていたのは事実だと思う。森山大道自身も、映画『≒森山大道』の中でも語っていたけれど、1972年の写真集『写真よさようなら』で、写真を脱構築、解体しつくしてしまったために、自分の写真に対して徐々に手応えを感じられなくなっていった時期にあたる。その中で、遠野、北海道、津軽と、写真の手ごたえを再びつかむために旅を繰り返したのだろう。70年代末には、睡眠薬に逃避し、体重も40キロ台に落ちてしまったというのはよく知られた話だ。
それは、81年、荒木経惟が活躍していた伝説の写真雑誌『写真時代(懐かし~)』で『光と影』を連載を開始するまで続いた事だろう。このころのことを森山大道自身が書いている一節が、俺の印象に強く残っている。OK、引用しよう。

『時代を明確に想定しえない精神は、ひたすら壊死に向かいはじめていた。相変わらず出口が見つからないのではなく入口が見つからなかった。そうしてある日気づいたら、身のまわりには、たたずんでいる僕と、ほこりをかぶった一台のカメラと、そして太陽だけが残っていた。ある晴れた日、ふとそれだけを認識したとき、僕のなかにひとつの臨界点が生まれた。そして、僕はもうためらわずにカメラを持ち光の中に立った。僕の前には僕の影が在った。それだけで充分だった。僕はその地点からふたたび歩きはじめ、そして一冊の写真集「光と影」を作った。そして僕は、もう二度と立ちどまるつもりのない時間に向かって出発した。』(森山大道 犬の記憶 そして光と影より)

『北海道』『津軽』そして80年代の『THE TROPICS』など、この出口の見えない時期に、足掻くようにして繰り返された旅行で撮影された、ほぼ未発表の写真が見られることが、俺にはうれしい。そして、そこにはやはりぶれていない森山大道の姿を見いだすことができる。
そう、今になって思えば、ぶれていたのは時代のほうで、森山大道は一本芯が強固に通っていたんだなと、しみじみ思う冬の一日だったのさ。
俺の好きなポール・ウェラーも言っていたっけ。『僕は間違っていない。間違っているのは社会の方だ』って。こんな確信をもって生きていきたいもんだぜ、まったく。一歩間違うと独善だけど、自分の人生なんだ。開き直ってガンガン行きたいもんだぜ。つまんないことに悩んでいる暇はないのさ。

では諸君、失礼する。また会おう。男の仕事が俺を呼んでいるのさ。