![]() |
| 春、近所の廃屋に朝日を浴びながら藤が咲き誇っていた |
フィルム2本、37カット。
プリントの量を重ねていけばいくほどに、自分の目指しているものと、撮影も含めて、自分の技量の拙さに気づき、愕然とし、懊悩煩悶することしきりだ。
たかが道楽なんだけど、道楽が故に譲れぬものが、俺の中には、確かにある。
ほどほどの出来で、君たちも含めた他人から、褒めてもらえば確かにウレシーが、それで満足してるわけでもない。問題なのは、自分の思い描いた写真に、どれだけ近づけるか、どれだけ満足できるかなんだから。
楽がしたいだけなら、こんなこと止めて、デジカメで愉しく撮ればいいのさ。世間のみんなは、楽しそうにやってるじゃないか?
そんな金も手間もかかること、どうしていつまでもやり続けるのか?そういう問いすら、時折自分自身の中から湧き上がってくる。
けれど、俺が求めてる描写は、とっくに時代遅れな手法でしか、俺にはつかむことができないし、その悪戦苦闘の営みが、実は愉しかったりもする。
しかしやはり、その過程がいくら愉しくても、出来上がりがイマイチだとしか思えないと、一体ぜんたい、俺は何をやってるんだと、悲しいような、情けないような気分になってしまう。
こんな時は、プリントをしていても、ちっとも愉しくはない。
むしろ、焦燥感と無力感に打ちのめされて、とっとと止めて昼寝でもした方がイイとさえ思える。
けれど、そんなネガティブな想いを吹っ切るには、自分で手ごたえを掴むまで、やってやって、やりまくるしかないんだと自分に言い聞かせて、また引伸機に向かうのだ。
君たちには、そんなことはないだろうか?
俺にとっては、写真は自分を取り巻く世界との格闘でもあるし、自分自身との格闘でもあると思える。その果てに何があるのか、俺は知らない。
読者諸君、失礼する。明日ももう一度チャレンジだ。
+(511x640).jpg)
0 件のコメント:
コメントを投稿