高畑監督が亡くなって、火垂るの墓が再放送された際に、ネット上では、主人公が孤立して、窮乏してゆき、結果的に悲惨な結末に至ることを、自己責任だと批判する意見がみられたという。
この国の人々は、自己責任が好きだ。
生活保護受給者は、自己責任を問われ、奨学金の返済に苦しむ若者は、自己責任を問われる。
イスラム国に捕まって殺されてしまった人にも、自己責任。
苦境に陥っている人々に、それはお前の自業自得と突き放すのが、我が国の国民性だ。
しかし、権力や地位に恵まれた人々には、彼らがもし、なにかとんでもないことをやらかしても、責任を取れという大合唱はおこらない。
おかしなものだ。
長いものには巻かれろなのか、苦境に陥った市井の名もなきひとは、糾弾しても安全だと思っているのか。
僕らは誰しも等しく苦境に陥る可能性を持っている。そして、この世界で生きるということは、自分の意思だけでは、いかんともしがたいものがあることを忘れてはいけない。
その一方で、世の中には、責任を取らない責任者、必死に責任から逃げ回っている責任者が、たくさんいる。
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