2010/12/08

Post #20 Naked Eye #1


HomeTown
It all looks fine to the naked eye
But it don't really happen that way at all
Na na no, don't happen that way at all

  The Who     "Naked Eye"
 
(裸の目には、何もかも美しく見える。
   けれど、現実はそんなふうには起こらない)

Hong Kong

2010/12/07

Post #19 Power To The People

HomeTown
明日、12月8日はジョン・レノンが射殺されてから、30年だ。
その頃、俺は11歳の小学生だったので、その頃のことは正直言ってあまり覚えていない。それ以後も、ビートルズは極力聴かないように心掛けてきた。何故って、ピストルズの初代ベーシスト、グレン・マトロックはついうっかり「おれ、結構ビートルズすきかも」なんて言ったからピストルズを追放されたらしいからな。その後釜が有名なシド・ヴィシャスだ。
もっとも、まだガキの頃、家に同居していたオバさんが(といっても、その頃はまだハイティーンか20そこそこだったろう)聴いていたのはビートルズの赤盤と井上陽水の氷の世界だった。氷の世界には、若き日の清志郎が曲を提供していたのは、今思うとなんだか不思議な気がする。
世間の皆がいいというものには、どうにも胡散臭いものを感じてしまう性分の俺が聴いていたビートルズは、リヴォルバーとラバーソウルだ。しかも、ラバーソウルはいつの間にか、俺のコレクションから消えてしまった。まぁ、それもロックンロールだ。
しか~し、今なぜか俺の中ではジョン・レノン・ブームが到来している。大きな波が来ている。まるで、東芝EMIの商売に乗せられてしまったようで嫌なのであるが、ジョン・レノンの歌が、俺の中で大きくなっている。
最近、リマスタリングされたCDを立て続けに買ってしまったじゃないか。写真集だって、印画紙だって買ってしまったのに、物入りなことだぜ、まったく。
ジョン・レノンは、篠山紀信がジャケット写真を撮った『Milk & Honny』を高校生の頃、同級生の今村君から借りて聴いていた。もちろん、LPだ。ヴィニール盤だ。若者にはなんだかイメージできないだろう。それをカセットに録音して聴いていたんだ。今持っていないところを見ると、借りパクせずに、きちんと返したんだと思う。
今村君は気さくな笑顔のナイスガイだった。小児まひで片手が不自由だったが、そんなことは微塵も感じさせない、イイ奴だったぜ。みんなから『今やん』って呼ばれて、好かれていた。けれど、芯に堅く一本筋が通ったところがあった。それが時折、炸裂していたように思う。
しかも、彼の素晴らしいところはホントにロックが好きだったってところだ。ヘビメタ全盛期の俺の高校時代にあって、なかなか渋い洋楽の好みを持っていて、俺にいろいろとLPを貸してくれたもんだ。レッド・ツェッペリンやヤードバーズなんかも借りた覚えがある。ヤードバーズはクラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジが在籍していたバンドだ。ジョン・レノンの『Milk & Hunny』はその中の一枚だった。死の直前までレコーディングが続けられ、自分の狂信的なファンによって射殺されるというジョンの不慮の死によって、中断されたことで、彼の死から約3年後にリリースされたアルバムだ。
あぁ、あの今やんは今どうしているだろうか?彼もまた心の中にロックが鳴ってる大人になっているだろうか?もし会えるのなら、酒でも飲みたいもんだぜ。それも、喧しい居酒屋や頭の空っぽな女が愛想笑いを浮かべてるようなキャバクラなんかじゃなく、渋い酒場でカウンター席で並んで飲みたいもんだぜ。しかし、今は遠い。俺にとって今やんは、20光年以上彼方の人だ。俺は大学を中退して家を飛び出してから、それまでの友人知人とはほとんど縁が切れてしまったからな。

まぁ、それはいい。問題はジョン・レノンだ。ジョン・レノンのカッコ良さがわかってきたのは、恥ずかしながら最近だ。しかも、俺が言っているのは、ビートルズ時代のジョン・レノンじゃないぜ、ソロになってからのジョン・レノンだ。
自分の弱さやトラウマや生い立ちを、真正面から曝け出して歌うジョン・レノン。はっきり言ってすごいぜ。なんせ、30過ぎたいい大人が、おかーちゃん、俺を捨てないでくれ、おとーちゃん、帰ってきてくれぇってうたうんだぜ。君を泣かしてすまない、俺は嫉妬深い男なんだと切々と歌う“Jealous Guy”も心に沁みるぜ。大人なら蓋をして隠して、知らん顔をしたいようなことを赤裸々に歌えるジョン・レノンのストレートさは、さすがにそこまできないってカンジだ。並のアーティストじゃないんだ。そんなジョンを世間は幼児性の抜けない未熟な人間と評したりもするけれど、自分の弱点を晒せるってのは、とても強い人だと思うぜ。月並みなこと言うようでなんだけど。

HomeTown
そして、それよりなにより強烈なのは、ビートルズ解散直後から次々と生み出された、プロテストソングの数々だろう。
労働者が団結して立ち上がり、社会を変えることを謳った“Power To The People”。
宗教とTvとSex漬けにされて、なおかつ誰かに支配されていることも気付かず、自分たちは自由だと勘違いしていると歌う“The Working Class Hero”。
兵士になんかなりたくないと歌う“I Don't Wanna Be A Solger Mama”。
女性が男性の奴隷のように扱われていると告発する“Woman Is The Nigger Of The World”。
そして何より、国境も宗教もない世界を謳った“Imagine”。
どれをとっても、カッコーだけで反体制を気取って、実際には何も言っていないに等しいそのへんのいわゆる“ロック”が束になっても届かない、本物の凄味があるんだ。音としては、そんなに過激なものじゃないさ。けれど、そこに謳われていることは、単にCMのBGMとして聞き流したりはできないものばかりなんだ。君にも一度、じっくり聞いてみてほしーぜ。
そして、考えてみてほしい、その頃はアメリカはベトナムでガンガン戦争をやっていた。そんなときに、デモの先頭に立ち、そんな過激で、しかし人間としてあまりにまっとうな歌を歌ったら、どうなると思う?世界同時多発テロの後、イマジンが全米で放送自粛になったってことからも、きっと想像がつくだろう。どれほどこの社会を仕切っている奴らにとって、ジョン・レノンが危険な思想を持った奴だったか、そして世界で最も成功したロックバンドのスターが、声高に権力に対する人民の蜂起を歌い、反戦的な歌を歌うことが、人々に対してどれほど大きな影響力を持っていたか?それって、スゲーロックンロールじゃないか?FBIが盗聴していたのもよくわかるぜ。アメリカはジョンを追い出したかったんだろう。何しろ、厄介だからな。
けど、社会を仕切ってるつもりのお偉い奴らが、顔をしかめないようなロックなんて、屁みたいなもんだぜ。ロックンロールが心に鳴っているのなら、君も君の周りの不条理と、可能な限り戦ったらどうだい?
おかげで俺は会社を辞めて、自分一人で商売する羽目になったけれどな。
しかも、赤字決算だったぜ、ダッハッハッハ!
そう、かつてロックンロールは、社会の不条理と戦うツールだったんだぜ!
ただの商品じゃなかったんだぜ!
何百万枚売れたとかそんなことばかりがニュースになるようだけれど、何を歌ったのかがニュースになる時代が確かにあったのさ。
今日のニュースはウィキリークスの代表者であるジュリアン・アサンジが逮捕されたことを報じていた。プーチンとメドベージェフがバットマンとロビンだとか、ベルルスコーニが軽薄で指導者に値しないとか、サルコジが他人の意見を認めず独裁的なんてことは、ウィキリークスが極秘文書を公開するまでもなく、誰しもが感じていることなのに・・・・。
彼は『自分たちの活動は権力の力を削ぎ、人々に力を与えるものだ』と語っていた。もし、それが本当ならば、それも一つのパワー・トゥ・ザ・ピープルだろう。俺は彼らの活動を温かく見守ってやりたいと思っているけれどね。

そう、ジョン・レノンが、暴力によってこの地球を去ってから30年。
俺たちは、ジョンが歌った社会の不条理を乗り越えたり和らげたりすることができただろうか?
俺たちはイマジンに謳われているように、国家も国境もない、宗教で殺しあうこともない世界に少しでも近づいただろうか?
俺には、もっとひどい世界になってるように思えるんだがな。

Hey! Big Boys and All You Evil!
もう一度、この機にみんな、ジョン・レノンの遺してくれた歌に、心から耳を傾けてみるべきじゃないのか?
もっと俺たちの、その俺や君の心の中にロックンロールを鳴らせてみるべきだぜ。じゃないと心も体もちじこまって、冷え症になったり鬱病になったり、挙句の果てには自殺したりすることになるぜ。
自殺するよりも、言いたいことをストレートに言って、煙たがられて殺されるほうがまだましだぜ。
ジョン・レノンやイエス・キリストみたいにな。

今日は写真の話は無し。それもまた人生だ、ロックンロールだ。

2010/12/06

Post #18 Standing On The Shoulder Of Giants

君たちはよい週末を送ることができただろうか。俺はそこそこ充実していたぜ。家の掃除もしっかりしたしね。写真にはホコリは大敵なのさ。何故ってプリントする際に、画面にホコリが写り込んでしまうだろう。目に見えるか見えないかの小さなホコリでも、プリントするとスクラッチのように見えたりスネゲがついてんじゃないの?みたいなカンジになってしまうんだ。どんなにいい写真でも最悪だ。だから、掃除は欠かせないのさ。こう見えて、結構繊細なんだぜ、俺は。

しかも、先日出張中に、新品のフィルムを使おうと箱から出したら、パトローネ(フィルム自体が入っている円筒形の筒のこと)が凹んでいて、使えない奴があったんだ。これを販売店に持って行ったところ、新品に交換してくれたんだ。しかも、不良は1本だけだったというのに、3本パックのものと交換してくれたんだ。迷惑料代わりだって。有難いことだ。銀塩写真にとってフィルムは酸素みたいに欠かせないものだからね。これがなかったら、カラのカメラで一眼ならぬ肉眼レフと洒落込まねばならないぜ。洒落ているだけならいいが、それでは君たちに写真をお届けすることができない。だからフィルムは有難いのさ。俺の愛用してるKodak TX-400は最近では売っているところも減ってきたしな。ついてるぜ。今日の占いでラッキーアイテムはロングブーツってあったんで、Dr. Martensの14ホールを履いていったのが良かったんだな、きっと。

俺は今日は目的があって出かけたんだ。
細江英公“鎌鼬”、森山大道“THE TROPICS”
そしてOASIS“Standing On The Shoulder Of Giants”
写真集を買いに行ったんだ。森山大道“THE TROPICS"。今年の夏に出た写真集なんだが、いろいろと物入りで予算がつけられなかったんだ。まぁ、出張して酒飲んでたり、パイソンの靴を買ったり、コートを買ったりとかどうでもいいような、しかしロックンロールライフには欠かせないことばかりだ。
人はよく、俺の写真を見ると、『こういう写真は自分には撮れない』とか『これは君にしか撮れない類の写真だ』とか言ってくれるんだが、俺は自分の写真は最も簡単な写真だと思っているんだ。謙遜とか皮肉とか逆説とかじゃなくて、ホントーにそう思っているんだ。
簡単だ。コードを3つ知っているだけで、ロックができるみたいに簡単だ。セックス・ピストルズのようにね。
君がもし僕の言うことを半分でも信じてくれるのなら、カメラを持って、外に出てみようぜ。
そして目に留まったものを、構図とかなんかは深く考えず、オートフォーカス、プログラムAEで撮ってみればいいんだ。ただ、それだけだ。
お、かわいらしいネコがこっちを見ている。そっとカメラを向けて、静かにシャッターを押してごらんよ。
向こうからいい女が歩いてくる、町一番の美女だ。今、シャッターをきるんだ。Ok?とれたかい?
次は?お、あんなところに面白いフォルムの看板がある、あれ行っておこう・・・。
こんな調子さ。誰にでもとれる。あとは人の密度、場所の選定。常に周囲に目配りして、自分が興味を持ったり欲望を感じたりするものにカメラを向け、そっと、できれば気付かれないようにシャッターをきればいい。デジカメはダメだろう。音が出る。昔流行った高級コンパクトがいい。なんなら貸してあげるよ。
たったこれだけだ。とりあえず、写真を撮って、あとは暗室で構図を整えるんだ。
OK?どうやら出来そうだろう。世間の皆さんがとっている、花だの山だの祭りだののほうが、よほど難しいんだ。

しかし、それでも俺の写真が君たちが撮る写真と違うとすれば、それは俺が巨人の肩の上に乗っているからだろう。これはアイザック・ニュートンが1676年に友人のロバート・フックに書き送った『もし私が他の人よりも遠くを見ていたとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ』という言葉がオリジナルだ。イギリスでは2ポンド硬貨に刻まれている。オアシスは自分たちの音楽が、過去にイギリスで生み出されたロックを否定するのではなく、ロックの巨人たちの功績の上に成り立つものだという意味を込めて、そんな“Standing On The Shoulder Of Giants"ってアルバムを作ったっけ。
Viet Nam
俺の写真が、同じ場所で、同じものを見て撮った人の写真と違うとすれば、過去の巨人たちの写真を見てるか、見ていないかじゃないかな。森山大道、中平卓馬、荒木経惟、東松照明、深瀬昌久、北島敬三、渡辺克巳、中藤毅彦、ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、エド・ヴァンデル・エルスケン、そしてロバート・キャパ。俺は、少ない稼ぎの中から、そんな巨人たちの写真集を買い集めたぜ。今じゃそこいらの本屋なんかよりもよっぽど充実しているぜ、俺の本棚は。君が興味があるんなら、連絡してくれ。見せてあげるよ。俺はその間、別の部屋でプリントしているから好きに見ていてくれて構わないぜ。コーヒーくらいは出してあげるよ。
つまり、俺が言いたいのは、我流でも独学でもいい。古いものをしっかりとリスペクトしていかなきゃならないんじゃないか。それを踏まえたうえで自分のスタイルを構築していかなけりゃならないんだって、ことなんだ。ほら、いい言葉があるじゃないか『古きを温ずねて、新しきを知る』ってやつだよ。
音楽でも写真でも、大抵のことはもう誰かがやっているのさ。何も知らずに思いつきでやってもだめなんだ。底の浅いものになっちまうだろう。
俺は、自分の写真にガッカリしたくない。それに何より、うまい写真を、カッコE写真を見ると、楽しくなるんだ。ワクワクするんだ。
だから、写真集を買いに出かけるのさ。俺がよく行く美術館に併設されたアートショップのおねーさんは、頼んでもないのに、俺の好きそうな写真集をキープしてくれる。しゃーないわな。買わないかんわ。
THE TROPICSは森山大道が80年代に、タイやラオス、ベトナムに通って撮りためたまま、今日まで発表されていなかった写真をまとめた写真集だ。俺は、何年か前に行ったベトナムの日差しを思い出した。汗ばむようなねっとりとした大気を思い出した。夜更けまで行先もなく走り回るバイクの大群の騒音を思い出した。君がこの写真集を見れば、もし行ったことがなくても、それら全てを幾分かは感じることができるだろう。いい写真集だ。7500円+TAXだが、その印刷の美しさを見れば、その値段が充分にお釣りの来るものだってのがわかるだろう。
そして何より、俺自身が気がつく前から、そう森山大道の写真を知る前からずっと、俺が森山大道の肩の上に乗っていたことが君にもわかるだろう。真似してるわけじゃないぜ。リスペクトって言ってほしいぜ、せめて。モノクロで、街で、気になるものを撮影していれば、自ずとそういうものになってしまうものなんだ。
勢い余って、森山大道の師匠筋にあたる細江英公の“鎌鼬”の復刻版も買ってしまった。これも凄い。日本の写真史上に残る写真集だ。細江のイメージに応えて、舞踏家土方巽が奇怪な鳥のように跳び、走り、舞う。動画のように見えるほどの疾走感。画面から立ち昇るこの禍々しさ。そして、彫刻のように刻み込まれた孤独感。
ずっと欲しかったんだ、この写真集。ついに買ったぜ。君にも見せてあげたいぜ。きっともっと写真を好きになってくれるだろう。
また会おう。もう眠るぜ。明日の男の仕事に差し支えるのさ。
そうだ、たまには君もコメントを入れてくれないか。
俺は君の言葉を聴きたいんだ。