2011/05/06

Post #175 Fragment Of Amsterdam #4

今日は俺、夜勤から帰ってきたらプリントしようと思っていたんだけどね…。どうにも体調が悪い。睡眠不足と身体的な疲労困憊かとも思ったけれど、鼻水は止まらないし、なんだか熱っぽい。体温を計ってみると、平熱より1℃以上高いじゃないか。ちなみに俺は平熱が35℃台。心は熱いが、身体はクールな奴なんだ。36.5℃を超えると、もう体調がおかしくなるんだ。厄介な身体なんだ。
かかりつけの医者に行って、診察してもらってきたぜ。俺はこの病院の受付のおばちゃんたちに大人気なんだ。まぁ、若い女の子に人気のあった例は、記憶の及ぶ限り滅多にないがね。悲しいぜ…。
そんなわけで、本日もプリントも出来ず、ブログもあっさりだ。毎度まいど、言い訳じみててもーし訳無いが、体調不良だけはねぇ、俺もその、なんだ、身体が資本なんで、無理はしたくないんだよ。明日の夜も仕事が待っているしね。
Amsterdam
OK、そうはいっても、一枚だけじゃ物足りないぜ、もう一発行くぜ!
Amsterdam
しかし、ただ怠いとか言って眠っていたばかりじゃないんだぜ。聴いてくれ、俺は病院に行く前に、ちゃっかりと、今は亡き渡辺克巳の写真集『新宿 インド 新宿』を買ってきて、病院の待合室で見ていたのさ。昨日のインドの熱が冷めないうちに見ておきたかったのさ。渡辺克巳は好きな写真家の一人なんで、写真集があるのを見つけると、つい買ってしますぜ。俺の街の本屋に3冊おいてあったのを先日見つけたんだ。一週間ほどたった今日、俺が買った時にもまだ3冊あったぜ。ということは俺の街でこの写真集を買ったのは、今のところ、俺だけってことか?なに?渡辺克巳をご存じない?じぁ、今からネットで調べてごらん。夜の新宿に集まる老若男女を、若者を、オカマを、ヤクザを、浮浪者を、そして何より人間を撮り続けた素敵な写真家だ。
俺は、気の合う仲間と同じ写真を見て、いろいろ語り合ってみたいといつも思っているんだがね。残念なことに、この街でこの写真集を買って持っているのは俺一人なのさ。もし、君たちが俺の紹介した本や写真集を見てくれたり、持っていたりしたなら、コメントを入れてくれないか?写真の楽しみは、写真を見ながら、あーでもあろうか、こーでもなかろーかと盛り上がることにもあるんだぜ。彼の天才アラーキー事、荒木経惟も『東京は秋』という名作写真集のあとがきで、そんなことを書いていたように記憶してるぜ。

そんな俺の家には、写真集がてんこ盛りだ。最近は新しい写真集を買うと、連れ合いから『そのうち床が抜けるわ!』って遠まわしに嫌味を言われるような有様なんだ。まいったなぁ…。これについては明日か明後日、ごく近いうちに紹介させてもらうぜ。楽しみに待っててくれ、頼むぜ!
しまった、結局またダラダラと書き綴ってしまった。もう駄目だ、限界だ。臨界点を突破してしまう。俺の脳がメルトダウンする前に、今夜はとっとと休ませてもらうぜ。そう、今の俺には休息が必要なんだ。何といっても昼間眠っていると、仕事の電話でたたき起こされるしな。こう見えて俺は、意外と暇人じゃないんだ。フリーランスみたいな生き方をしているからこそ、身体には人一倍気を使ってるのさ。
それでは読者諸君、また会おう。くれぐれも連休の疲れで、体調を崩したりしないようにしてくれ。俺は、自分の事ももちろん大切だけど、君たちの事も同じように大切なんだ。ふふふ…、ちょっと偽善者っぽかったかな。まぁ、イイさ。俺からのせめてものサービスだ。では、よい週末を過ごしておくれ。

2011/05/05

Post #174 インドにいきてぇ

グデグデだ。すっかりこの連休でまったりし過ぎちまったらしい。昨日の夜の、というか今朝までみっちりやってたんだが、仕事で俺の細くしなやかな肉体は、悲鳴をあげてるぜ。大腿四頭筋、上腕二頭筋、広背筋、僧帽筋、どいつもこいつも軟弱な奴らだ。しっかりと眠ることが必要だ。しかし、今夜もオファーが入ってしまった。せっかく今日はまったりとプリントしようと、昨日のうちに薬品も調合しておいたというのに…、まぁ、仕方ない。これも人生だ、ロックンロールだ。

俺の連れ合いは外資系で働いているんで、日本の祝日はあまりカンケーない。だから、俺が帰ってきたときには、家はもぬけの殻だったんだが、今のテーブルの上には、最新号のTRANSITが置いてあった。インド特集だ。
俺は、シャワーを浴びてひと眠りすると、このTRANSITを見てたんだが、うぅ、インド行きてぇ~!そんな思いが、心の中にむくむくと湧き上がってきた。そもそも、うちの連れ合いが、次の旅行はモロッコに行きたいって言ってたんだ。おう、モロッコ…、カサブランカがフェズが、マラケシュが、タンジールが俺を呼んでいるぜ‥って思ってたんだが、つい最近のテロで、なんだかきな臭ぇなぁ、モロッコはもう少し状況が落ち着いてからにしようぜって話になっていたんだ。俺の体内磁石の針は、こうしてアジアに振れることになったんだが、この連休中、心の片隅で上海、台湾、ベトナム、タイなど色々と行きたいところを考えていたのさ。
そしたら、インドでしょう!一発で心の羅針盤が定まってしまったぜ。インドは是非ともカラーでも攻めてみたいぜ。くぅ~っ!
まだ、先日の旅行から帰ってきて3週間しか経っていないというのに、何てゼータクな奴なんだ、俺は。ニッポンには、苦しんでいる人たちが大勢いるんだぜ、そんな銭があったら、義捐金にしろよって、至極まっとうなお叱りの声が、湧き起ってきそうだ。申し訳ございませんっ!

仕方ない、行きたいんだもん。子供の頃からずっと行きたいんだもん。
HongKong この西にはインド!
はっきり言って、銭は無い。旅行の度に連れ合いに借りては、しこしこ働いて返すって自転車操業だ。なぁに、かまうもんか!人生は2度とない、どんと行けだ!足腰立たないジーさんになってから、そんな苛酷灼熱激辛の大地に降り立つことは出来んぜ!

死体が河原で焼かれるインド、原色のインド、街の目抜き通りを野良牛!がぶらついているインド、4000年くらい前からライフスタイルの変わらないフルチンの行者がその辺でダラダラしてるインド、サイババがつい最近まで生きていたインド、無限に広がる迷路のようなスラムが高層ビルのすぐ下に広がっているインド、360度どこをみても、こりゃニッポンじゃありえねぇって風景のインド、レインボーマン(若者は知らないだろうが、今は亡き川内康範センセーが、月光仮面に続く正義のヒーロー第二弾としてお作りになったヒーローじゃ)が山奥で修業したインド、お釈迦様が仏教を開き、竜樹大師が『空』の思想を練り上げ、三蔵法師が高岳親王(渋沢龍彦の高岳親王航海記はサイコーの幻想小説ですよ!)が目指したインド、スティーブ・マッカリーが、藤原新也が写真を撮りまくったインド、シヴァが、ビシュヌが、ブラフマンが、インドラが、カーリーが、未だに人々の世界にしっかりと根を張っているインド!
そして、何より俺が12歳の時から30年にわたってお世話になっている恩師・数学者浅井脩センセーから、『お前はインドにだけは絶対に行ってはならん!何故なら間違いなくかえって来なくなるからだ!』ときつく言い渡されていたのだが、恩師の命はこれ、絶対的なモノである反面、禁止されるとやりたくなるこのひねくれ根性、ど根性、泣いて笑って喧嘩して、それでも行きたいというこの熱い想いを封印すること25年、みっちり夜勤でヘロヘロになった頭脳に、インド特集は錐揉み状態で突き刺さり、俺の心のストッパーを外しにかかってきている。

ヤバい。

インドに行ってしまって、帰ってこないってことは、きっとフツーに馴染んで、エセ行者なんかにおさまってしまうのだろうか?『帰らないことが 最善だよ  それが放浪の哲学』と金子光晴もその詩で詠っていたしな。それも悪くないか…。
ダメダメダメダメ!
Istanbul,Turk この東にインド!
そんなことしたら、写真なんか撮ってられないぜ、まさしく捨身だよ。その辺で死んで、野犬に死体を喰われるんだぜ。それもある意味悪くはないが‥‥。まぁ、イイ出たとこ勝負だ。人生なるようになるさ。それがロックンロールな生き方だ。

読者諸君、俺の夢のようなたわけた放言はこのくらいにしておこう。寝言は寝て言えとはこの事だ。今夜も仕事なんだからな。そろそろ、夕飯の買い物でも行って、出撃態勢に入らないとね。今夜はボンゴレ・ビアンコでもこしらえるとするかな。俺はこう見えて、料理もできる多才な男なのさ。

2011/05/04

Post #173 Photographica #6

俺の乏しい経験では、トルコを含めてヨーロッパでは、何処に行ってもジプシーの姿を見かける。本場は中東欧のようだ。最近ではジプシーは、その呼称自体が差別的だってんで、ロマって呼ばれることの方が多い。インドを源にして、ヨーロッパにやってきた非定住民だ。1000年ほど前に、初めてヨーロッパに現れたころ、彼らがエジプトからやってきた巡礼者を称していたことから、ジプシーと呼ばれていたんだが、そのライフスタイルにより、ながらく差別されてきた。独特のファッションなのですぐにそれとわかる。最近では、フランスのサルコジがロマを国外に追放したりしている。
Izmir,Turk
俺は、ずいぶんと長い事フランスのジタンってタバコを吸っていたんだが、このジタン(正式にはジターヌ)ってのが、フランス語でジプシーの事を意味している。パッケージには、踊るジプシー女性の姿が描かれている。独特の香りで、周囲には評判が悪かったが、そりゃ旨いタバコだ。
然し、ひと箱460円ともなるとね…。

1960年代のチェコスロバキアに、ジプシーのドキュメント写真を撮る若い写真家がいた。彼はもともと技師の仕事の傍ら、演劇関係の写真を撮影していたんだが、ジプシーと知り合って、徐々にその魅力にひかれ、自らの被写体に選んで行ったようだ。
その写真家の名はジョセフ・クーデルカ。
彼は知り合いの写真評論家がベルリンに行くので、そのついでに自分が使っていた東ドイツ製の一眼レフカメラ、エキザクタ用に35㎜の広角レンズ、Carl Zeiss Jenaのフレクトゴンを買ってきてくれるように頼んだ。フレクトゴン、その名前からしてミラーがボディーの中で動く一眼レフカメラで使用可能な広角レンズだとわかる。西側のZeissではディスタゴンに相当するだろう。
生憎、その知人はベルリンでフレクトゴン35㎜は在庫切れで手に入れることが出来ず、代わりに同じフレクトゴンの25㎜F4を買ってきた。
これが、クーデルカの写真を決定づけることになる。想像してほしい。慢性的な物資不足の1960年代の社会主義国で、手に入れることのできるレンズは、実に少ない選択肢しかなかっただろうってことを。決してレンズなんて、その辺りにより取り見取りでごろごろ売っていたわけではないだろう。それに、レンズも今の感覚よりもはるかに高価なものだっただろう。クーデルカにとって、25㎜を使うことは、予期しない選択だったんだろうが、これが結果的にいい結果をもたらしたんだ。

写真を撮っている人ならば、35㎜と25㎜では描写がゼンゼン違うことがすぐにわかるだろう。俺は専ら35㎜専門だけれど。ホントにまったく違う。同じものを撮っても、まるで違う写真になってしまうだろう。
これを田中長徳氏は、その著書の中で「彼の写真集を見る限りでは、そのドラマチックな人物像と、まるで宗教画のように背後に広々と広がっているチェコの光景というのは、これは35ミリのドメスティックな視覚では、到底表現することができなくて、25ミリレンズのその遠近感を強調したややエキセントリックな視覚の中に、クーデルカが表現しようとした写真の真実が込められている…(以下略)」と評している。
クーデルカはこのレンズを使い、名作『ジプシー』をモノにするわけだ。

67年にプロの写真家として独立したクーデルカは、ルーマニアにジプシーを追っていた。この取材を終えてチェコの首都、プラハに帰った翌日の1968年8月21日、事件は起こった。
ソヴィエト軍を中心としたワルシャワ条約機構軍が、チェコで進行していた『人間の顔をした社会主義』を標榜した解放政策『プラハの春』、つまり今でいう自由化政策を、その圧倒的な武力を以て威嚇・圧殺するために、予告なしで大規模に侵攻したのだ。

この一部始終を、当時30歳のクーデルカが、ひとりのプラハ市民の目線で記録した写真集、それが先日買ってきた『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』(平凡社刊)だ。
『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』平凡社刊
クーデルカは、世界でも最も美しい街の一つとされるプラハの大通りを埋め尽くすように、隊列を組んで走る戦車を撮影している。そして、戦車に投石したりして抵抗する市民の姿を、余すところなく捉えている。戦車に乗る軍人に対して、抗議する群衆。自らの行いに道義性がないことを知っているがゆえにさえない表情のソ連兵たち。そして市民の圧倒的な言葉による抵抗は、圧倒的な武力すら無力化してしまう。犠牲になった者の葬列、抗議のデモ、街頭を埋め尽くすように書かれた風刺のきいた落書き、ソ連兵士の方向感覚を狂わせるために町中で消された標識。

それらは、交戦するどちらかの陣営とともに動き、ともすればイデオロギーの代弁者になってしまう戦場写真とは、一線を画しているように感じられる。俺がそう感じる理由は、他でもない、クーデルカ自身が一人のプラハ市民、つまり当事者そのものであり、なおかつ軍事的な何ものにもサポートされていない、一人の写真家として、目の前に起こる出来事に対峙しているという点だ。強いて言えば、彼はプラハ市民に、そして歴史そのものに、その証人となることを強いられた存在なのだ。決して、プロパガンダではないし、単なる野次馬根性でもないぜ。しっかりと地に足がついているカンジだ。25㎜で、このように撮影するには、どれほど被写体に肉薄していたことだろう。白い望遠レンズで安全なところから取っているわけではないのだ。
クーデルカは決して政治的な写真家ではなかったそうだが、この時、プラハでは誰もが政治的でいられずにはいられなかったと、後年語っていたそうだ。
この写真は、ひそかに国外に持ち出され、マグナムによって1年後世界中に配信された。しかし、その危険性から撮影者は匿名とされた。そして匿名のままで、この写真はロバート・キャパ賞を受賞した。クーデルカ自身も1970年に亡命し、マグナムに加入する事となる。クーデルカ自身が、この写真の撮影者であると明かしたのは、祖国で暮らす父親が死んだ後1984年であり、彼が祖国の土を踏んだのは、実に冷戦終結後の1990年だったそうだ。

この写真集には、およそ250枚の写真がおさめられている。そのほとんどが、未発表のプリントだ。見ごたえがある写真集だ。全編に写真への覚悟が漲っているぜ。そして、圧倒的な暴力に対して、どう戦えばよいのかということについても、大いに示唆を与えてくれると思うぜ。

読者諸君、これはいい写真集なんだ。4000円を握りしめて、近所の本屋に向かってくれ。連休はまだしばらく続く。家でまったりしながら見てみるとイイだろう。そして、平和ボケしていられる幸せを噛みしめるのさ。
OK、今日はこのくらいで。そろそろ仕事に行かなけりゃならないんだ。仕方ないな、まったく。