2011/04/02

Post #139 Magnolia

俺の町には、木蓮の街路樹が植えられている。この時期、白い大振りな花を咲かせるのさ。木蓮は俺の好きな花なんだ。白い木蓮のあのベルベットのような花弁の質感も、艶やかな紫木蓮の色合いも、とても好きなんだ。君のまわりでも咲いているだろうか?
木蓮てのは、しっとりしてて、年頃の、しかも品のいいお嬢さんみたいで、見ていると、こわばった心がほぐれてくるような気がするんだ。

Magnolia
気がつけば桜もチラホラ咲き始めたようだ。
毎日、慌ただしく忙しく生きているうちに、季節は巡ってしまうんだ。俺もずいぶんと年をとった。オイボレ一歩手前だ。だからあと人生で何度、こんな季節を楽しめるのか判らないけど、せめて今この春を、しみじみ味わっていたいのさ。そう、今日という日は二度とないんだからね。
そんな感じて連れ合いと歩いていたら、以前働いていた会社の後輩にたまたま行き逢った。今年も花見をやるから、来ませんかって誘われたけれど、丁重にお断りさせて頂いたぜ。俺はあのどんちゃん騒ぎが好きじゃないんだ。どいつもこいつも、酒呑んで浮かれて、花なんか見てもいない。焼肉のケムリで、花の薫りもあったもんじゃない。子供がいたら最悪だ。俺は子供が川に落ちたりしないように、酔っぱらった保護者に代わって、面倒をみる破目になるんだ、100%ね!それに子供は何だかんだ言って、おかしな大人が大好きだ。こんなマンガから出てきたようなファンキーな俺を、ガキ共が放っておくはずがないだろう。
止めてくれ、俺は静かに花を楽しみたいのさ。
そう俺は、花見と称した無礼講なんかじゃなく、暖かい日差しの中を、ゆったりゆっくり歩いて、花の薫りをかぎ、春の風に髪を靡かせて、散りゆく花の美しさを、しみじみ心に焼き付けたいのさ。
心のなかに、プリントするようにね。
その点、木蓮は素晴らしいぜ。木蓮で花見をするようなスカした奴はなかなかいないからな。
諸君、また会おう。
今年くらいは静かにしみじみと花を愛でてみるのも悪くはないとおもうぜ。

2011/04/01

Post #138 春眠不覚暁

忙しいいそがしーなどとほざいている間に、気が付けば4月になってしまった。早いもんだ。光の速さで時間が動いているようにも感じる。
今日は目が覚めたらもう昼前だ。俺の一日が半日になってしまったが、たまにはこんな日があっても悪くなかろう。うむ、弓だって、ギターの弦だって、あんまりにもテンションが高いとプツリといっちまうからな。
俺の知り合いでも、昼夜なくバリバリ働き続けた挙げ句、現場で脳卒中で倒れ、半身不随になってしまった人もいた。風俗街のど真ん中の病院にお見舞いに行ったら、涙ながらに、病院の隣のソープに連れていってくれと廻らぬ舌で哀願され、丁重にお断りしたもんだ。作ってる訳じゃないさ、ホントの話だ。
だから、だらだら出来る時は極力抜かないとな。なぁに、こちとらサラリーマンじゃないんだ。好きにやらせてもらうぜ。とは言うものの、ゆっくり出来るのは、実に3週間ぶりだ。走り続けて来たのさ。
そこで、今日は現場を見に行くついでに、トライXを30本買って来たぜ。俺の弾丸だ。
帰り道、桜の並ぶ堤防道路をゆったりと車で流して帰ってきた。夕日もいつのまにか春の色合いだ。こんな時でも、春はやってくるもんだ。

ふふふ…、たまには、こんなのもいいだろ?一般的でしかも和むぜ。

諸君、また会おう。今日は一日ボンヤリしてるのさ。特に言うべき事もないってカンジだ。すまないな。

2011/03/31

Post #137 ちいさな悲しみ、ささやかな歓び

HongKong
日本中が今回の震災、津波、原発でうちひしがれている。俺の住んでる通称ミッドランドは被害に遭わなかったんで、街は普段通りに動いている 。しかし、道行く人々の心のなかはどんなもんだろうか。
こんな時でも、呑む打つ買うの三拍子って奴もトーゼンいるだろう。しかし、大方の人々の心は、自分自身が無事だった事への、後ろめたさと安堵が入り交じっている事だろう。もちろん、俺自身もそうだ。
この大災害の前では、財産も地位も才能はもちろん、容姿学歴年令年収などに至るまで、俺達が日常的な生活を送る上で指標にしてる判断の基準の全てが、砂上の楼閣のよーに脆いものだったと思い知る。いや、思い出したと言ったほーがいいかもしれない。
この世の中でたったひとつ確かな事は、俺も君も、彼も彼女も、一人の例外なく、いつか死んでいくという事だけだ。それ以外はなにもかも相対的なものにすぎないんだぜ。
あらゆる価値の指標が失われ、世間は沈んでいる。世間の皆さまは、自粛ムードに覆われ、また自らも、身近な人や見知らぬ人の不幸に直面して、物憂い表情だ。
まるで、日本中が同じひとつの悲しみに包まれてしまったよーだ。俺が小僧の頃にもそんな事があったな。昭和天皇が亡くなられた時の事だ。
しかし、俺達の暮らしは、世間全体を覆い尽くす大きな悲しみだけで成り立っている訳じゃない。
俺の言うことの真意を誤解してほしくない。理解してほしー。
そんな巨大な悲しみ以外にも、俺も君も、道行く全ての人々も、ちいさなとるに足らないような、ごく個人的な哀しみを抱いているだろう。また、些末などうでも良いような事に歓びを見いだしてもいるだろう。
たとえば、女の子にフラれたとか、仕事が上手くいったとかね。そんなことで、いちいち落ち込んだり、舞い上がったりするんじゃねぇよ、この非常時に、震災で苦しんでいる人々の身になってみろよ!って言われそうだ。
だからと言って、それを、些細な事だと切り捨てたり、自分で圧し殺してしまってはいけないんだ。俺はそう思う。
何故なら、それはそれ、これはこれだからな。冷たい事を言っている訳じゃないんだ。人間という存在は自分自身の中に様々なレイアーを持っていて、あるレイアーでは世間を憂い、災害を悲しみ、見も知らぬ人々の安寧を祈りながらも、また別のレイアーでは、新しい彼女が出来れば嬉しくなったり、身近な人に不幸があれば、その悲しみに心とらわれたりするものなんだ。
どうだい?そんなもんじゃないかい?
だから、今回の大災害で苦しむ人々の事を思うのも大切だけれど、自分自身の身の回りの出来事によって生まれてくる気持ちも、ちいさな悲しみも、ささやかな歓びも、同じように大切にしたいんだ。
俺たちは、つい70年くらいまえの戦争中にも、そんな風に自分自身の心を圧し殺して、お国のために、殺したり、殺されたりしていたんだ。俺たちは、70年なんて大昔だと思ってるが、大地の上では、そんなのほんの一瞬だ。俺たちはその頃と比べて沢山のおもちゃを手にしたけれど、人間の中身なんてそんなにスグには変わりゃしないさ。見ていろよ、日本復興の旗印のもとで、体制翼賛会みたいな事を言い出す勘違い野郎が、じきに出てくるんだろうさ。俺たちの中身は未だにどうしようもなく土人なのさ。
だから、世間を覆うムードに流されて、なんだこの非常時に!なんて相手を一喝するような事にはなりたくないもんだ。
俺は、未曾有の災害の犠牲者を悼み、苦しむ人々を案ずるとともに、自分のなかにわだかまるちいさな個人的な悲しみや、ささやかなとるに足らないような歓びを大切にしたいぜ。あたかも、嵐の中で、ロウソクの炎を消さないようにしながらね。そうじゃなきゃ、自分自身の人生だって言えないだろう。
所詮、俺は俺の、君は君の人生を生きるしかないんだから。
それじゃ皆の衆、また会おうぜ。