2011/12/31

Post #414 31/Dec/2011

まったく今年は、いろいろあった一年だった。
思わずぎゃふんとのけぞるようなことばかりだった。
地震も、津波も、洪水もあった。原発事故もだ。そして、それは年が変わっても、決して過去のことにはなっていない。現在まさに進行している事ばかりだ。えらいこった。目を閉じて、現実逃避したくなる。しかし、目を閉じても、現実はそこにありつづける。
その一方で、ビン・ラーディン、カダフィ、金正日、ムバラク、ベルルスコーニ・・・、世界を賑わせてきたあくの強い連中が、あの世に行ったり、表舞台から退場したりもした。
Bruxelles
人類史上、大半の人間にとって、生きるのが容易だった時代なんかない。
そして、俺や君や彼らの送っている一日一日の集積が、人類の歴史を形作っている。
生きている限り、自分たちを取り巻く困難な状況から、逃げ出すことはできっこない。
自分の置かれた状況の中で、自分の力を振り絞って立ち向かうしかない。
せめて、今日よりマシな明日が来ることを信じて。
それを信じることは、現実逃避とは言わないと思うが、どーだろう?
今年よりマシな来年が来ることを信じて、みなさん、よいお年をお迎えください。
読者諸君、今年も一年、辛抱強くお付き合いくださり、どうもありがとう。

2011/12/30

Post #413 30/Dec/2011

『旅立つことが重要である。生きることは重要でない』
アイザック・ディネーセン

かねてから言ってた通り、俺は今日旅に出る。
自分の仕事の決算に欠かせない損益計算書も貸借対照表も今日やっつけた。今年のやるべきことはすべてやり遂げた。心残りは、大掃除をしていないことだけだ。まぁ、イイか。どうせ俺の家だ。誰からも文句は出ないさ。
きっとまた、現実逃避とか言われちまうんだろうな。
けど、言いたいやつには言わせておけばいいのさ。
臨済宗の開祖、臨済の言葉に『随所に主となる』というのがある。
自分自身がしっかりとしていれば、どこに行っても本質を見失うことが無いちゅうくらいの意味だ。
OK、自分自身をしっかりグリップしていれば、どこに行ったって、現実がついて回ることに気が付くだろう。
旅に出て、言葉も満足に通じない見知らぬ土地に行ってみると解るさ。自分の判断だけが頼りなんだ。ルーティンで済むことなど何もないんだぜ。もちろん、俺の旅行にはガイドなんかいないのさ。自分の見たもの、聴いたもの、漂うにおい、方向感覚、記憶、直感、それらだけが頼りなんだ。
どこに行ってもそこには、まだ見ぬ現実が待っているのさ。
いろんな考え方やご意見があるのは承知の上で、きっぱりと言わせてもらえば、この世界に生まれてきて、自分のまわりの小さな世界に閉じこもって、何も知らないままに年老いて死んでいくのは、ゴメンだ。世界には、この堅苦しくて息苦しい日本以外にも、いろんな国がある。楽園なんてないのは分かっているけれど、俺はこの目で見たい。そして、見てきたものをフィルムにおさめて、君たちにも見てもらうだけさ。
Bruxelles
待ってろよ、読者諸君。帰ってきたら、おいおいお見せすることができるだろう。入館でフィルムを没収されなかったらの話しだけどね。
読者諸君、失礼する。俺は今日、飛行機に乗って旅に出るのさ。御機嫌よう。