2013/01/31

Post #713 世の中が悪くなっている!

Tokyo
最近、メディアでは歴史認識(なんかこれ自体が胡散臭い言葉な気もするが)などに関して、いわゆる愛国的な日本人の皆さんの意向に沿わない発言をする人を名指しして、国賊だとか売国奴なんて非難する言説を目にする機会が増えたような気がする。
週刊誌やネットニュースは、特定の個人をそのように非難し、それによって読者の溜飲を下げているのだと言わんばかりだが、どうにもそんな風潮が俺には鼻につく。世の中が悪くなっていると、つくづく実感するぜ。
この手の言説は、どうにも俺には昭和初期から戦中にかけての言論弾圧を思い起こさせて、生理的に嫌悪感を感じるのだ。

国賊?

売国奴?

一体ぜんたい何時代の話しだよ?
今にきっと非国民だとかいいだすに違いないぜ!
冗談じゃない、笑いが止まらないぜ。大政翼賛会にでも入ってるのかい?
いいぞ、進め一億火の玉だ!
欲しがりません勝つまではだ!

俺は思わず吹き出しそうになる。そんな時代がかった言葉を持ち出してきて、どういうつもりなんだろう?俺達は21世紀に生きているんだぜ。国賊とか売国奴とか、とっくにカビの生えたような不愉快な言葉を軽々しく使うなんて、ジャーナリストとしての資質を疑ってしまうぜ。
まったく、マスコミ自体が2chみたいになっているんじゃないのかい?
戦争というものは、いつの時代でも、他国の住民を大量に虐殺したり、女性を強姦したり、性的に搾取したり、住民を強制労働させたりするという側面を伴っている。それはどんな大義名分があろうとも、必ずや大なり小なりありうることだ。もっと言うなら、戦争とは自分の国の国民を他国の軍隊を使って殺戮することだ。
だからこそ、俺は日本国憲法第九条こそ、易々と変えるべきではないと思っているんだ。何故って、紛争解決の手段として、戦争を行う権利を国に与えていない以上、俺たち日本人が、二度とよその国の住民を虐殺したり、強姦したり、奴隷にしたりしなくて済むんだ。人間のなかにはそういう禍々しい本性が潜んでいる。それを戦争という手段を禁じることで、封じ込めているんだからな。俺は、人のイイ親父さんが、戦争に行った途端に、目を三角にして、他国の人間をぶっ殺したり、他国の女性を強姦同然にやりまくったりする姿など、決して見たくない。
俺は死んだおばあさんから、大陸でおこった目を覆いたくなるような話を、たくさん聞いて育った。
だからこそ、戦争なんて御免だ。
しかし、いまどき、そんな事を言うと、国賊とか売国奴と言われるんだだろうか?
メディアが権力のウォッチドッグを自認していたのは、もう遠い昔の話しなのかい?
奴らは戦争中、自分たちの先人たちが、大本営発表を鵜呑みにして、嘘っぱちの報道をして戦争の片棒をかついできたことの反省なんて、すっかり忘れているに違いないぜ。
だからって、戦前に先祖返りしたみたいな昨今の言説は、目に余るってもんだ。いや、まるで右翼の街宣車の演説みたいだ。民度が低いぜ。
自民党政権や石原慎太郎なんかの言うことに異を唱えると、反日的日本人だの、国賊だの、売国奴だの言われちゃ、たまらないってもんだろう。そういう事を言わないのは、反日的新聞として悪名高い朝日新聞だけかい?ふふふ、俺はこれからも朝日を購読し続けるぜ。
この手の言説を弄するバカヤローは、自分を完全に正しいと信じているんだろう。一体ぜんたい、この人たちは何の権利があって、自分と意見の異なる人物を国賊や売国奴、はたは戦犯呼ばわりしているのだろーか?
この手の連中に限って、自分たちの言説が非難されると『言論の自由』を護れとかいうに違いないぜ。目に浮かぶさ。安全地帯から、他人を狙い撃ちし、貶める、それは俺には卑劣な行いに感じられるぜ。ただ単に時代の雰囲気に迎合した事を書いてるだけで、正義漢ぶるのは止めにしてほし―ぜ。2chよりも、右翼の街宣車よりもたちが悪いぜ。

自分と意見が違う人間を、排除するのは簡単だ。
しかし、それでは私たちはどんな未来にも辿り着くことはできない。
客観的で科学的な事実を拾い集め、正々堂々と意見を戦わせ、真実に迫ってゆくべきだ。それを軽々しく、国賊だの売国奴って、言論人としてレベルが低すぎるぜ。噴飯ものさ。
民主主義の基盤には、『君の意見には反対だが、君が意見を述べる権利を、私は必ずや擁護する』という精神がある。
素晴らしいぜ。俺は民主主義者でいたいからな。国家主義者や大政翼賛会みたいな連中から褒められるよりも、国賊とか非国民とか言われた方が、民主主義者の勲章のような気すらしてくるってもんだぜ。
読者諸君、失礼する。日本はいつから軍国主義国家になっちまったんだ?

2013/01/30

Post #712 仕事のオファーは次々来るが・・・

Paris
今日は朝から歯医者に行き、虫歯をガリガリと削りまくり、勢い余って美容院に行って髪も切ってきた。過重な労働で毛先が傷みまくって、髪が絡まってしょうがなかったんだ。よく人からはメドゥーサみたいな頭になってますよと言われるぜ。仕方ないだろう、オフクロゆずりのくせ毛なんだから。
で、そのあと金策に走り回って金を工面してきた。葬式代の負担分も払わなけりゃいけないし、仕事の資金繰りだって必要だ。
なんせ忙しいくせに赤字なんだからな!おかしなもんだぜ。
そんな火の車で高速道路を突っ走ってるような暮らしぶりのくせに、次から次に仕事を頼みたいって電話が入ってくる。OK、二つ返事でやって差し上げたいんだが、如何せん、俺の身体は一つしかない。ここ一週間で、ざっくり5、6件の仕事をお断りしてるんだ。痛恨だ!
いくら俺が、伊賀忍者の末裔(これは、マジ!俺の先祖は伊賀出身の服部氏で、俺の推理ではバリバリの忍者だ。その証拠に、俺は天井裏に潜んで仕事をするのが得意なんだ。水の上を歩くのは、ちょっと無理だけどね。)だからといっても、影分身とかで同時にふたつの現場をこなすことはできない。そんなことしたら、チャクラを使い果たして、マジで死んじまうってばよ!まったく、ナルトじゃないんだぜ、俺は。
俺の仕事は、言うなれば先着順なんだ。このために割のいい仕事を逃してしまうこともある。残念だ。残念きわまる。そんな訳で、儲けは薄い。そこいらのオヤジの禿げ頭ほどにも薄い。シャビシャビだ。俺の稼ぎは水で薄められていくのさ。税務署に書類を持って行っても、こっぱずかしいったらないぜ。
俺の働くクレージーな業界では、仕事の繁忙期はいつも重なる。一挙に波が来て、一挙に波が引く。冗談じゃないぜ。年間を通して仕事が平均的にあって欲しいもんだが、俺の都合では物事は動かない。悲しいことだ。

閑話休題

昨日税務署に行って、税務署の担当者と話をしていたら、税務署のおっさん、『自民党に代わったから、これから景気よくなるんじゃないですか』とほざきよった。
ナイーブだ。この東海神州日本国ではナイーブは繊細なとか意味でつかわれることが多いが、本来はむしろ世間知らずの間抜けみたいなニュアンスだ。もちろん、俺が使うナイーブは、本来の意味だ。
一度下がった単価は、もう上がらない。いくら景気が良くなってもね。そして、アベノミクスとやらで円が安くなり、いくら企業が儲かっても、労働者に分配しないことには、景気は絶対に上向かない。企業栄えて、国民飢えるだ。そして、仮に給料が増えたところで、年金や医療、それから育児などの公共福祉を充実させて、国民の心に巣食う漠然とした将来の不安を取り除いていかなければ、不安で不安で、おちおち金なんか使えっこないってことだ。
ガソリンも上がる、海外からの輸入食料品の価格も上がる。そして消費税も上がるし、今月からは、震災復興税ってことで、所得税額が微妙に上がっている。労働者諸君、給与明細を見直してみ給え。源泉所得税額が、微妙に変わっていることに気が付いているだろうか?その一方で、弱い立場の人々への福祉は切りつめられる。その理由は、非正規労働の蔓延で、所得水準が下がってしまったために、生活保護のほうが割が良くなってしまったからだという。どうにもおかしな世の中だ。
これで、所得が上がらなかったら、直ぐにこの経済政策は行き詰るはずだ。そうなったら、またぼくちゃん総理は、体調不良で降板か?俺の業界では、倒れるまで仕事しろ、倒れたら這ってでも仕事しろと言われるんだがな。
円安だ、日経平均1万円突破だとか言って、浮かれていられるのは今のうちだけだぜ。俺は実際に金をこの手に握ってからじゃないと、信用しないぜ、いつだって。
公共事業って、相も変わらずゼネコンにばかり金を落としてどうするつもりだろう?確かに、末端の労働者の中には、特に建築関係、仕事が終わるとすぐにパチンコ屋に行ったり、キャバクラ、オッパブ、風俗に繰り出す連中も多い。現に、俺がついこの間まで出張していた静岡のキャバクラは、連日名古屋から仕事に来た職人で大盛況だったと聞いているんだ。何といっても、自分が一日に稼ぐカネよりもたくさん使ってくれるような連中が現場にはゴロゴロいやがるからなぁ。他人事ながら心配になってくるぜ。しかし、それが景気刺激なのか?
土建屋建築屋だけが商売じゃない。ギャンブルと水商売だけが商売じゃない。もっと幅広い層に恩恵がいきわたるような政策を、誰か考えてくれんもんかね。いつまでも20世紀前半に発明されたケインズ流の景気刺激策では、すっかり産業構造の変わってしまったこの21世紀、上手くはいかないんじゃないのかい?いったいぜんたい、エコノミストやらおえらい経済学者さんたちは、この未曽有の危機的な状況に、何をしてるんだ?毒にも薬にもならん事をTVで垂れ流して、小遣い稼ぎしてるようにしか見えないぜ。
結局、自分自身しか頼りに出来ないってことだな。頑張って働くしかなさそうだのう、頑張りたくないけど。
読者諸君、失礼する。俺は自分のことも心配だけど、母子家庭の人々や、仕事にありつけない若者たち、身寄りもなく年老い働くこともできない人たちの事が、とても心配だ。植木等みたいに言ってみたいぜ。金の無い奴ぁ、俺んとこ来い。俺もないけど何とかなるさってね。 

2013/01/29

Post #711 What's Strength For Us?

HomeTown
強さとは何か?
税務署に申告書類を出し終わって、多少肩の荷が下りたところで、ふと考える。
空手バカ一代や全盛期のアントニオ猪木を見て育った子供の頃の俺にとっては、それは腕っぷしの強さだった。北斗の拳を見てみるがいい。強さは正義だった。しかし、どれほど強くなろうが、人間は一発の銃弾で絶命してしまうか弱い生き物だ。そうじゃないかい?
そこで、人間は武器を取るわけだ。
俺も昔、カミさんと喧嘩して、包丁持って追いかけてくるカミさんから、全力で走って逃げたことがある。まぁ、体格差を顧慮すれば、まずまずのアドバンテージだが、さすがに命に関る。近所のばあさんに、夫婦げんかで警察呼ばれたのはあんたたちじゃろうって、からかわれたっけな。もう15年くらい前の話しだよ。
包丁よりも、拳銃のほうが威力もあるし、スマートだ。
当然のことながら、拳銃よりもマシンガンのほうが、マシンガンよりも、戦車のほうが、戦車よりも戦闘機、以下ミサイル、核兵器と、まったくきりがないぜ。下らない。しかし、それが強さだと信じている連中は世界中にゴロゴロしている。朝鮮半島辺りにもそんな3代目が、出来そこないの核兵器をひけらかして、強がっている。客観的に考えれば、阿呆だと思える。鉄パイプを持って歩いているヤンキーとさして変わらない。待てよ、そういやそんなの最近見ないな。日本の若者も賢くなったってことか。

もう少し、現実的な強さを考えてみる。
格差社会の昨今では、それはやはり資本力だろうか?金庫のなかでブンブンとうなるほど金があれば、それは結構なこったろう。憧れるぜ。金を持っていれば、我慢しなくてもいいだろうし、口うるさい連中も、揉み手で愛想笑いを浮かべてくれるだろう。金があれば、権力だって手に入りそうだ。
それで行けば、俺は激弱だ。どっかのバカが、俺のことを『自分一人食ってくだけで精いっぱいのクソ野郎』と評してくれたが、まったくその通りだ。本当過ぎて落ち込んでしまうわ。こんな失礼な、心のこもった言葉をかけてくれた奴のことを、俺は一生許さないがね。
しかし、それが本当の強さなのだろうか?
俺は正直に言って、腕っぷしの強さや使い道に困るほどの金に憧れないことはないけれど、そういった力を振りかざし、力の無い者を見下したり、力づくで従わせたりするのは、どうにも性に合わない。いけ好かないというか、そういう力に対して、反骨精神を発揮してしまいたくなる。俺にも意地があるのだ。正面から当たって行ったら、暴力や資本力、あるいは権力によってゴキブリのように叩き潰されてしまうだろうから、斜めからおちょくってみたり、悪態をついてみたりするのがイイだろう。
もし力があるのなら、自分よりも力の無い人のために、少しは使ってみるのがいいんじゃないのか?そうじゃなかったら、北斗の拳に出てくるラオウの手下どもと何ら変わらんじゃないか?
そういや、フィリップ・マーロー(元祖ハードボイルド探偵小説の主人公だよ。作者はレイモンド・チャンド―だよ)のセリフでもあったっけな。
『強くなければ生きてゆけない。優しくなければ、生きていく資格がない』
かっちょイイ~!

強さの概念は、きっと人の数だけあることだろう。そうだろう、なんせこれは抽象的な概念なんだからな。
俺ならば、困難な状況に置かれたとき、奥歯を噛んで耐え忍び、這いずりまわってでも活路を見い出して、自分の力で一歩一歩すすんでいける、そんな強さが欲しいと思うんだ。なんてったって、人間が生きることが困難を伴わなかった時代なんて、今まであった例はないからな。

読者諸君、失礼する。俺達は自分のポジションから逃げることはできない。立ち向かうしかないんだ。