2014/12/31

Post #1365

Patan,Nepal
気が付けば今年も終わりだ。
終わってみれば、どうってことない。なんだってそうだ。きっとこの人生だって。
このブログも、かつて1000回を目処に止めちまおう、阿呆らしいと思っていたが、何やかんやと思い返して、既にこれ、1365回だ。まぁ、よせばいいのに、ほぼ毎日一回更新だから、ざっくりで一年ってわけだ。まったくお疲れさんだ。

今年も一年、お付き合いいただき、ありがとう。よくも毎日書き散らしたもんだ。自分でも阿呆じゃないかって思うよ。
来年も俺は相変わらずだ。懲りない奴なのさ。
ここで君を待っているのさ。君が声をかけてくれることを。

皆の衆、良い年を迎えてくれ。

読者諸君、失礼する。

2014/12/30

Post #1364

Budapest,Hungary
年賀状も作ったし、今年最後の入金も確認した。なんとか年も越せそうだ。帳簿や青色申告の書類、来年の現場の図面のチェックなんかは年を越してからでも、なぁにかまやしねぇさ。
しかし、まだ明日の夜に今年最後の仕事が控えている。きっと、現場で愉快な仲間たちと新しい年を迎えてしまうのだろう。
それも、面白いぜ。年越しライブみたいなものさ。観客はいないがね。

独りで家にいると、どうしようもない寂しさのようなものを感じてしまう。
胸の奥から、ありったけの力を振り絞って、すげーシャウトを絞り出したいのだ。胸の奥、肺のあたりに赤黒い溶岩の塊のようなものが、煮えたぎりながら回転し、その表面から時折鋭い刃が瞬間飛び出して、自分自身を責め苛むような、極上の気分だ。
こんな機会に誰か久しくあっていない人と語り合ったりしたいものだが、人と話しても、何かが伝わりきらないもどかしさが残る。きっと俺には何か精神的な問題があるんだろう。そもそも、そんな塊を他人に押し付けるわけにもいかないし、その塊を言語化する術すらない。
それはひょっとしたら、昨日俺が言っていた、昏い情念のようなものかもしれない。
おかしいなぁ、俺にはそんなもの、無いはずなのに・・・。

俺はただ、太い火柱が空に向かって立ち昇るようにして、自分の生命を燃やし尽くしたいだけなのに。
その願いを『狂気』というのなら、俺は『狂気』にとらわれているんだろう。

どうやって、その『狂気』を宥めるのか。
俺には分かってるんだ。とても億劫だけれど。
今から薬品を調合して、暗室に籠ってプリントするしかないんだ。

俺の居場所は、そもそも路上か、暗室の中にしかないんだ。
くそっ、素敵なお姉さんの胸の奥とかにも、ささやかな居場所が欲しかったぜ。
しかし、素敵なお姉さんなんて、今はどうだってイイ。
早くしないと、唐突に絶叫して、精神病院に放り込まれるようなことになっちまうぜ。

こうしちゃいられない。

今年最後のプリント祭りだ。
暗室の外で、何が起こったって知ったことか。死後の世界のような、白と黒のイメージと、生まれる前の胎内のような赤い光が、俺の魂の居所だ。とても安らぐんだ。

読者諸君、失礼する。来年も俺は路上の狩人、暗室の哲学者でいたい。ついてこれない奴なんて、かまいやしないぜ。走り続けていないと、俺は自分の中の狂気に焼き尽くされちまうんだ。

2014/12/29

Post #1363

Budapest,Hungary
俺は、いつもヒトが抱えている過剰や欠落に目が行ってしまう。そして、出来る事なら写真に収めたいと思っているんだ。しかし、その行いには、往々にして反社会的なにおいが纏わりついてしまう。正直に言って、犯罪とすれすれだ。いや、人間の(臭いものには蓋というか、問題から目を背けたいという心性に由来する)倫理観からすれば、明確に犯罪かもしれない。

それは、別に手足や目鼻が欠損していたり、多指症の人の手だとかというわけではないんだ。

人間が、内に秘めた昏い情熱の塊のようなものが、マグマが地殻を突き破って出てくるように、その人間の行動や考え方や姿かたちに、現れる。その過剰は俺の考えでは、何らかの欠落、そう心のなかにぽっかり空いた空隙を埋めるために生み出され、しかし、その空隙を埋めることはできないままに、表面に噴出しているのではないかと思う。

そうだとすれば、何か抜け殻になってしまったような人も、周囲に異様な存在感を放射している人も、根本的には同じカテゴリーの存在なんじゃないかと思っている。

例えば、ほら過剰なピアっシングをしていたり、リストカットを繰り返していたり、あるいは飽くことなく性交を求め続けるセックス依存症の人とか、服装やしぐさに過剰な自己表出が現れている人とか。

人間の表面に現れる兆しは、その内面に渦巻く昏いパトスの噴出だと考えているんだ。
満たされて幸せそうな人々には、その暗い影は差していない。
そんな欠落や過剰を抱えている人のまなざしは、どこか光が違うのだ。

そんな人間を、写真に収めてゆきたいと、いつも思う。
出来る事なら、その心のなかに空いているだろう暗く湿った穴を、それを埋めようと渦巻く情念の塊を、この手に取って見てみたいのさ。
しかし、そもそもそれは写真に写るものなのだろうか?手に取ることが出来るものなのだろうか?
まぁ、なかなかそんな人間らしい人間は、俺の前には現れてくれないけれどね。


読者諸君、失礼する。俺ですか?俺にはそんな昏い情念なんて、これっぽっちもありゃしないよ。俺はこう見えて、到って退屈な平々凡々たる男でござんす。