| 美斯楽、泰国 |
家族旅行だ。来月4歳になる息子を連れて、タイに行ってきたんだ。
タイの北部、チェンマイとチェンラーイ、そしてバンコク。
自分として最も印象に残ったのは、チェンラーイから車をチャーターして赴いた、メーサロンだった。
チャンラーイのホテルで、息子とプールで遊んだ後、かみさんに明日はどこに行きたいかと訊かれ、是非ここにとリクエストしたメーサロン。ガイドブックには、お茶の産地で、山の斜面に広がる茶畑が見事と記されただけの小さな町。
ここが今回、一番印象に残ったところだった。
ここが今回、一番印象に残ったところだった。
ここは、ビルマとの国境がすぐそこの山岳地帯。山々の尾根にそって人々が暮らす町。
漢字で美斯楽、と書いてメーサロンと読む。
インド文化の影響を感じさせるタイの文字ではなく、そこでは漢字ばかりを目にする。
もちろん、タイには何百年にもわたる中国の諸王朝の圧力によって、中国から押し出されてきた中華系の人々も(様々な文化の人々と血統的にも文化的にもまじりあいながら)たくさん暮らしている。しかし、そういった人々は現代ではいわゆるタイ人としてのアイデンティティを持っているんではないかと思う。
どこを見ても、漢字の看板だ。飯を食いに入った飯屋には、写真のように『春和景麗』とかっちりとした楷書体で墨書きされた紅い札が貼られている。山の奥の中華街といった風情だ。僕はここで雲南風焼きそばなるものをおいしくいただいた。
息子は、ちょっと高級な中華料理店でお目にかかるような蒸しパンのようなのを食べていた。ほのかな甘みのある、肉まんの皮みたいなやつね。これがとてもうまかった。本場の味だ。
| 雲南風だそうだ。 |
息子は、ちょっと高級な中華料理店でお目にかかるような蒸しパンのようなのを食べていた。ほのかな甘みのある、肉まんの皮みたいなやつね。これがとてもうまかった。本場の味だ。
| 壁には、千人が一度に来ることよりも、一人が千回来てほしいと記されている。しかし、客はまばらだ。 |
さて山の奥とかるく言ってのけたが、僕らがやってきた曲がりくねった舗装路が作られるまで、ここは外部の人々をほとんど寄せ付けないような幾重にも重なった東南アジア山塊の襞の奥の、容易には行き着けない場所だったに違いない。
まさに辺境だ。
いままでいろんなところに行ったが、ここはその中でも、もっとも辺境だ。秘境駅の宝庫・飯田線を擁する三遠南信、つまり三河、遠州、南信州一帯の山の中なんか、ハイキングコースくらいのちょろこいものに思えてくる。
町の規模と雰囲気は、そうだな、しいて言えばネパールのナガルコットを思い出させる。どちらもぶっちぎりの辺境だが、道路ができるまで、人々を寄せ付けなかったであろうという雰囲気はメーサロンに軍配が上がろう。なにしろ、ナガルコットはネパールとチベットの、古くからの交易路上にある村だ。しかし、ここ美斯楽、つまりメーサロンは違う。
| かつて国家の収奪から逃れて山の民となった人々の末裔らしきおばちゃんが、キャッサバとかを売っている。 |
この小さな町というか村に暮らす中国語を話す人々は、どこから来たのか。
それには、現代史を紐解いてみる必要がある。
それには、現代史を紐解いてみる必要がある。
もともと彼らは、今日の中華人民共和国、つまり中国共産党によって作られた国から逃れてきた、蒋介石率いる国民党軍の残党だったそうだ。
1949年に共産中国が成立したとき、蒋介石は国民党軍の将兵とその家族を引き連れて、台湾に逃れた。そして、今日まで中華人民共和国と台湾つまり中華民国の対立の歴史は続いているのだが、蒋介石はすべての国民党軍の将兵を連れていけたわけではない。
1949年に共産中国が成立したとき、蒋介石は国民党軍の将兵とその家族を引き連れて、台湾に逃れた。そして、今日まで中華人民共和国と台湾つまり中華民国の対立の歴史は続いているのだが、蒋介石はすべての国民党軍の将兵を連れていけたわけではない。
四川省などで戦っていた部隊は、かつて清や明などの中華帝国に追われた少数民族のように、国境を越え、東南アジア山塊の奥へと分け入り、毛沢東の追撃をかわした。
彼らははじめ、ビルマの少数民族地域を拠点としていたが、ビルマからも追われ、ビルマの国境からほど近い、タイの奥地に身を潜めた。
そして、その地にもともと暮らす少数民族と混血したりしながらも、蒋介石の支援を受けながら町を発展させてきた。それがこのメーサロンという町だ。
ここはほんの25年ほど前まで、どこの国家にも属さず武装し、アヘンなどの製造販売を資金源にしていたそうだ。なにしろ、ここはかつての黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の一角だからね。阿片の原料になるケシは標高900m以上でないと育たないんだ。だから、稲作のできない高地では、大昔からつい最近まで、栽培されてきたんだそうだ。貴重な換金作物ってわけだ。
もっとも、そんなことまでは、ガイドブックには触れられていない。この町の人々が、かつての国民党部隊の末裔だってことだけが記されている。
| 左側の看板がなかったら、中華文化圏にしか見えない。 |
25年ほど前に、(日本じゃ阪神大震災やらオウム事件があった頃だ)この国民党部隊の末裔たちは、武装解除に応じ、タイ国籍を与えられた。
麓からメーサロンへと続く舗装路が作られ、人々は阿片ではなく、お茶を作って暮らしている。
そんなところまで行って、何をしてきたのかって?
山の稜線に沿って敷かれたアップダウンのきつい坂道を、子供を肩車しながら歩いてきただけだ。
そして、この町で作られたお茶を買ったくらいのことさ。
| 辺境というか、場末というか、とにかくこの雰囲気がたまらない。 |
| 国民党部隊の勇姿が、パネルになって掲げられている。 |
所詮、一介の旅行者、それも子供連れにできることなんざ、それくらいのものさ。
そして、子供を肩車しながら、国家とは、民族とはなんじゃろなぁと考える。そして、そんなものは、単なる幻想でしかなくて、人々のアイデンティティは、現実に合わせて如何様にでも変容するものなのではなかろうかと。
自分の足で、その土地を踏みしめ、自分自身の目で、耳で、肌で感じたことから、その意味を考える。そして、そこで感じ考えたことを、自分自身のなかに繰り込み、自分自身の内なる地平を広げる。
どこに行っても、非力で無力な僕らに出来るのは、そんなことしかない。
自分の足で、その土地を踏みしめ、自分自身の目で、耳で、肌で感じたことから、その意味を考える。そして、そこで感じ考えたことを、自分自身のなかに繰り込み、自分自身の内なる地平を広げる。
どこに行っても、非力で無力な僕らに出来るのは、そんなことしかない。
それはさておき、僕が一番驚いたのは、こんな辺境にも、セブンイレブンがあったってことだ!
| セブンイレブンの前で。原付はもちろんホンダ |
| メーサロンのセブンイレブンの店頭。キティちゃんのお弁当箱が当たるのかな |
| トラックの荷台に少数民族のおばちゃんが乗っている。 |
おそるべし、資本主義!(笑)
それでは諸君、また会おう。
