2012/04/07

Post #499 何十年もあっていない友人

昨日の夜中、徒然なるままにネットを徘徊している時、ふと思い出して古い友人の名前を検索してみた。すると、ジャンジャン出てくる出てくる。
信じ難いことかもしれないが、この中年のおっさんにも、ご幼少のみぎりがあったのだ。内気な幼少年時代を共に過ごした数少ない友人だった。よく一緒に近所の川に釣りに行ったり、マンガを読んだりして過ごしたもんだ。気の合う幼馴染だったってことだ。
同じ幼稚園、同じ小学校に通っていた俺達だったが、俺は私立の中学校に進学し、彼は地元の中学に進学した。もともと、勉強の嫌いな彼だった。小学校の授業中に、ぷいと出ていって、そのまま家に帰ってしまうことも度々だった。俺はそのまま私立の高校に進学したころ、彼は高校にはいかずに、土方かなんかのアルバイトをして、中学から初めていたサッカーを真剣にやってみたいと、ブラジルに渡るための渡航費をコツコツと溜めていた。そしてしばらくして、彼は海外に出て行った。
以来、高校を出たくらいの頃に1、2度会ったっきりだ。その時の話しでは、ニューヨークでサッカーのコーチングを始めたと言っていた。あちらで知り合った中国人の女性と結婚するとも聞いた覚えがある。
あれからすでに25年くらいがたっていた。普段の生活では、思い出すこともまれだ。ココに書いておかなければ、ひょっとしたら、もうこの先一生思い出す機会もないかもしれない。
俺がすっかりよれたおっさんになっている一方で、彼はさらりと見た限りでは、サッカー指導者として、ニューヨークで活躍しているようだった。結構なことだ。ネット上で見る43歳の彼の写真は、陽にさらされた肌の色のと、何やら導師めいた口髭のアジア系アメリカ人のそれだった。細められた目に、どことなく幼いころの面影が残っていた。
FaceBookとかやっているようなんで、連絡を取ることもできるだろう。俺も、FaceBookのアカウントを作ろうかなとも、思ってはみたんだが、しばらく考えてやめた。
今更、連絡をとって旧交を温めてみたところで、どうなるものでもないだろう。
どうせ話すことなんて、百年くらい前の懐かしい昔話ばかりで、建設的なことなんて、これっぽっちもありゃしないだろう。お互いの現状を話し合うには、俺達は遠くに隔たり過ぎているというもんだ。それに、俺はサッカーにそんなに詳しくないしな。そっと、遠くから時折気遣かって、眺めているくらいがちょうどイイのさ。それに、あいつ、日本語なんて忘れちまってるかもしれないしな。
これが、女の子とかだったら、ちょっと話が変わってくるんだけどな・・・。
Marrakech,Morocco
そう、相手が昔の女の子だったら、もうちょっと前向きに検討してみるんですがね。
この辺の感覚にしっくりくるのが、金子光晴の次の詩だ。

『凄まじいな、もう僕も五十一だ。

僕がこの世ののぞみといへば
あの女たちにもう一度あつてみたいことだ。

かたらふすべもなくて、僕がそばを
すりぬけていったあの女たち。

どんなにかはりはててゐたつて
いや、それはお互いさまぢゃないか。

どこまでも追ひかけていつて
僕がききたいとおもふ一言は
〝まぁ、あのときのあんただつたの?〟』

まぁ、それでもこんなところさ。
それよりも何よりも、今、俺のしょうもない文章を根気よく読み、へたっぴぃな写真を見てくれている君たち読者諸君と、もっといろいろと語り合ったりしてみたいと思っているのさ。
読者諸君、また会おう。次回で何と五百回だ。我ながらよくやるぜ、まったく。

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