2012/12/10

Post #664 Photographica #12

性懲りもなく、また写真集を買ってしまった。
若き日の北島敬三の伝説の写真集『北島敬三 1979 写真特急便 東京』、全12冊+別冊1だ。
これはもちろん再版ものだ。こんなもの、当時のものがあったら、いったいいくらになるかわからないよ。
北島敬三 『1979 写真特急便 東京』
こんなもの再版してくれるような写真の分かっている出版社は、残念ながらいない。毎度おなじみ、ドイツのSTEIDLだ。かつて、森山大道の『写真よさようなら』、中平卓馬の『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』、そして伝説の写真同人誌『プロヴォーク』を箱詰めにして、『Japanese Box』として出版したこともあるSTEIDLだ。
STEIDLのセレクトにはいつも脱帽する。今の日本の写真の流れとは完全に路線は違っているが、世界的に見て、かなり特異で、独自に花開いていた写真の潮流を、未だになお重要なものとして評価して、出版していることが読み取れる気がする。
まるで、明治時代に陶磁器の包み紙として海外に流出した浮世絵によって、衝撃を受け、影響を受けたヨーロッパ人によって、芸術としての浮世絵が見出されたことを思わせる。
まぁ、日本でいまこの手の写真を評価している人がどれだけいるかは知らないけれど、この手の写真を撮っている人ってのは、少ないですよね。どこかほら、キース・ムーンのドラムが凄くても、そのスタイルを継承しているのはリンゴ・スターの倅のザック・スターキーくらいのモノだってのと似てる気もする。(キース・ムーンの全編フィルインと言えるような、空間を絶え間ないドラムで埋め尽くすようなおかずの多い激しいリードドラムは、けいおん!のドラムのりっちゃんも大好きだということだが、そのドラムスタイルに、キースの影響は微塵も感じられなかった。)

手元にある資料を基に、北島敬三のことを手短に述べてみよう。1954年、長野県に生まれた北島敬三は、高校時代から写真部に在籍し、先にあげた森山、荒木、中平、そして東松照明などの写真家に憧れていたという。後に成蹊大学法学部に進学するも、夢中になれるものを見い出せず、中退。ほどなく開校したばかりのワークショップ写真学校の森山大道教室に入った。
1975年のことであったという。
1976年、ワークショップ写真学校は閉校し、森山大道と北島敬三をはじめとする森山教室の有志6名は、自主運営ギャラリー『イメージショップCAMP』を設立した。
この『1979 写真特急便 東京』は、このCAMPにおいて、1979年の1月から、毎月10日間、12回にわたり開催された展覧会で発行・販売されていた小冊子だ。
北島敬三 『1979 写真特急便東京』
森山大道に人物を撮るように勧められた北島は、おそらくは新宿の酒場で繰り広げられる狂態にカメラを向け、また通りすがりのスナップによって、その作品を形作っていった。
その写真は、師匠筋にあたる森山大道を思わせるような極端なまでのハイコントラスト、アレ、ブレを特徴としているが、森山大道の写真以上に、どこか暴力的でドライブ感のある写真に仕上がっている。
俺は、30数年の歳月をへだててその写真を見る。そしてため息をつく。カッコいいなぁ~。
写真に理屈はいらないのだ。ただ、見てカッコよければ、全てOKだといってもイイ。
視覚的にくらまされているだけだとしても、写真なんて、所詮は言葉でどうのこうのいって理解するような態のモノではなく、言語を排して、直截的、感覚的に、体験するものだと俺は考えているから、カッコいいなぁ~、ってため息をつくだけで充分なのだ。
こんな真っ黒で、どこか暴力的なエッセンスを、そして人間の放つエロスを感じさせるような写真が撮れたらなぁ、写真やめてもイイかなぁ・・・、いや、もっと撮りたくなるだけだろう。
この写真集、俺は名古屋のジュンク堂で買った。島田洋書扱いで、税抜7600円。当時1冊200円だった小冊子が、13冊入って7600円だ。お買い得だ。アマゾンとかで探せば、もう少し安く手に入るかもしれない。興味のある読者諸君は、一度手に入れてみてみるとイイ。今の写真とはある意味、対極にある生々しさだ。モノクロ写真の威力に、めまいがしてくるぜ。
しかし、このころの日本人の、体臭がにおってきそうなほどの生々しさは、本当にフォトジェニックだよね。

読者諸君、失礼する。外は雪だ。明日は家に閉じこもり、請求書を作り、プリントをしよう。いい加減そろそろ手を付けないとな、人生が終わっちまうぜ。 

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