この三年ほどの間に、コロナに罹り、その後遺症か鬱病となった。
発達障害の息子を連れて行った精神科の清算窓口で、希死念慮がありますと告げて通院することになった。もしそうしていなかったら、きっと家族を殺して自殺していたか、高速道路で闇に吸い込まれるように側壁に車を衝突させて死んでいただろう。どうだっていい、馬鹿が一匹減るだけさ。同じような事件が、すぐ近くの町で起こった。男は妻と子供二人を殺し、自分は死にきれなかった。自分に重なった。俺はギリギリ助かった。
おかげさまで、高速道路を狂ったように疾走することも見事になくなった。
突然感情崩壊して、とめどなく涙が流れることもなくたった。
肚の奥底からこみあげるような破壊衝動にも似た狂気もなくなった。
去勢されたみたいだ。
レクサプロに感謝だ。
高校時代のかけがえのない友人、仕事で目標にしていた先達、高校時代に付き合っていた女性、多くの親類、何十年にもわたって自分を導いてくれた師匠。
自分にとって、かけがえのない人たちが、次々と死んでいった。
もう40年も前に母が死んだときから、人が死んでも泣くことはない。
自分の中に澱のようによどんでいくだけだ。けれど、受け入れているわけでも、平気なわけでもない。都度、自分の心の一部が、無理矢理に剥ぎ取られるように感じた。
とりわけ、友人の死は辛かった。
そしてそれをありふれたことのように他人に軽くあしらわれるのも、心を踏みにじられるような悲しさだった。
いま住んでいる街には、辻々に地蔵菩薩が祀られている。いつも足を止め、真摯に手を合わせては、その人々の救済を祈る。
レクサプロに感謝だ。
自分の弱さから、絶縁した人もいる。
自分の振る舞いをパワハラだと訴えた人もいる。
実の兄弟の中には、自分のことを憎んで嫌っている者もいる。
すべて、自業自得だ。
それでも、自分自身の存在が足元から揺らぐような、癒えない悲しみがある。
考えれば考えるほど、吐きそうになる。
レクサプロに感謝だ。
腎臓結石から菌血症になり、三度も入院することとなった。体と財布はボロボロになった。
何も食べられないのに吐き戻し、高熱の中下痢を垂れ流した。無様というかなかなかやばかった。医師の友人には、それで死んでもおかしくなかったといわれた。
オーグメンチンに感謝だ。
じっと、鏡を見る。
いつの間にか55歳、いや年が明けると56歳だ。自分の祖父はそれくらいでぽっくり死んだ。
練炭火鉢の火のついた練炭を取り落とし、驚いて心臓が止まったんだ。
いつ自分の番が来てもおかしくはない。
自分の人生は、もう終わりが見えた。
もうこの先ロマンスも冒険も何もない。
ただ生きて年老い、死ぬるだけさ。
神から与えられた時を、無駄にしてしまった悔恨がこみあげてくる。
レクサプロに感謝だ。
悩みの種も家族だが、自分を支えてくれるのも家族、特に息子の麒麟児だった。
その息子の元を離れ、ひとり華やかな歴史と陰惨な差別が同居する街で暮らし、夜な夜な仕事を続けている。道を歩いているのは、インバウンドの外国人ばかりだ。知人の一人もいない街で、仕事以外で言葉を交わすこともなく、ねぐらと仕事場の往復だ。
それも今年は、今日で終わる。そのうち、自分の退屈な人生も終わるさ。
メリークリスマス。
冬の荒野のような心象風景が胸の奥にどこまでもどこまでも広がっている。
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