2010/12/04

Post #17 Morning Glory


Toba Port
俺は夜明け前から車をすっ飛ばして、ウナギの養殖とウナギのパイで有名な街にやって来た。俺は仕事があれば何処にだって行くさ。もちろん、君が会いたいと言えば、車を飛ばして何処にだって行くさ。覚えておくと良い。俺は自分に都合の悪い事はすぐに忘れる。忘れないのは君の事だけだ。
仕事が始まるまで少し間があるから、本来なら少し眠っておくべきだろう。よく眠る者は、よく赦されているものだ。何をって?人が本来的に背負っている宿業をさ。しかし、俺はそうそう眠らないぜ。覚醒していたいのさ。誤解してはいけないよ。覚醒剤なんかやってないぜ。ビンボーだからな。脳内麻薬がドッパドッパ出ているのさ。
そう、俺は今朝,、光も見えない夜明け前に家を出た。暗夜行路だ、夜明け前だ。志賀直哉か。島崎藤村か。
俺は車を飛ばして、この街にやって来たんだが、俺は美しいものを見たのさ。
あぁ、光さ、光を見たのさ。I See The Light だ。映画のブルース・ブラザースに出てきたジェイムス・ブラウンの神父みたいだ。
太平洋に昇る朝日を俺は見たのさ。漆黒の空が、徐々に明るくなり、やさしい朱色に水平線が彩られていくのさ。
そして、そのうち鈍く耀く太平洋の波間から、ホウズキのようなオレンジ色の太陽が昇って来たのさ。ジョン・レノンならマーマレード色と言うだろう。
昇りたての太陽は溶鉱炉から迸った金属か、ガラス工房で融かされたガラスのようにも見える。そんな色合いなんだ。今にも溶けた雫が海に落ちそうだ。君は見たことがあるかい?
美しい。これには君の美しさも敵わないだろう。キャリアが違う。太陽はもう50億年は燃えているんだからな。
もちろん、太陽は毎日昇っている。そんなの当然だ。けれど、何だかこの太陽は特別な気がしたのさ。
風邪も治って来た。今日の太陽はまるで俺を、そしてもちろん君達を祝福しているようだ。
俺は君たちの、そしてあの娘の幸せを祈ったぜ。君にも見せてあげたかった。しかし、写真じゃあ無理だ。この美しさは捉えられない。第一、車をすっ飛ばしながら、写真は無理だ。危ないぜ。命に関る。まぁ、たまにはやるけれど・・・。
もし君が、こんな太陽が見たけりゃ、夜明け前に俺と出掛けよう! 今日が君たちによい一日である事を、祈ってるぜ。

2010/12/03

Post #16 たまには写真やカメラについて話そうかな#2

HomeTown
出張から帰ってきてからこっち、風邪に悩まされている。人生の向い風には、常に悩まされている。これで風力発電ができたなら、我が家は電気代がかからないだろう。今問題なのはその風じゃなく、この風邪だ。熱っぽく怠く、眠い。病気の犬の鼻のように、肌が乾燥してしまう。そんなこんなでさぼってると、ついに死んだんじゃないかって、各方面からの憶測が飛び交うことになってしまうことだろう。そうなったら、みなさん、真っ先に香典を届けてください!その香典で、俺は年が越せるぜ。Yahooooh!

えーと、どこまで話したんだっけ、プアマンズ・ハッセル、ブロニカS2をゲットしたところまでだ。もう、ずいぶん前のこと、まだ時代は20世紀末だった。だからあんまりはっきり覚えていないけれどね。
実はそもそも写真は俺の彼女の趣味だった。で、ある日彼女と一緒に近所のカメラのKムラに行ったわけだ。たぶん、フィルムを現像に出しに行ったんだろう。以前にも書いた通り、出張先で時折『写るんです』で写真を撮っていた俺なんだが、まだ当時はカメラに関してさほど興味があったわけでもなく、これと言って欲しいってものがあった訳じゃなかった。しかし、その日は俺の人生のターニングポイントになった。つまり、年貢の納め時だったんだな。
その頃、その店には立山さんというなかなか味のある店員がいて、俺はこの人にブロニカを勧められて買ったんだ。立山さんは自分でも写真を撮ったりしていた独身で長身、なかなかの好男子だったが、しばらくしてから転勤し、風の噂では、結婚して写真はすっかりヤメ、奥さんと犬のブリーディングをしているそうな。人間というものは、どこでどうなるかわからないものだ。
今考えると、俺の写真のスタイルからすると、その選択は回り道だった気もするが、値段が手ごろだったのと、フィルムがブローニーだったてのが決め手だった。みんなが使ってるものなんて、あんまりおもしろくないじゃないか。俺は天邪鬼なひねくれた男なのさ。だから長い間ビートルズは聞かないように心掛けてたんだぜ。この性分のおかげですっかり反主流派の反体制だ。
写真をやっている人には、なぜブロニカがプアマンつまり貧乏人のハッセルって呼ばれるかってことも、ブローニーフィルムってなにかも分かるだろうが、写真やカメラに興味のない向きもいるだろう?その辺のことは、今後もしばしば出てくるだろうから、ざっくりあっさりと説明しておこう。

①ブローニーフィルムとは?
ブローニーフィルムってのは、フィルムの幅が60㎜で。フィルムの裏に感光を防ぐための紙がついているフィルムを指す和製英語である。120と220という規格がある。220のほうは裏紙がフィルムの両端にしかついていなくて、そのぶんたくさんの枚数が撮影できるわけだ。最近はやりのトイカメラ、ホルガで使うフィルムと言えば、ははぁ~んってわかる人もいるだろう。
②中判カメラとは
このフィルムを使うカメラが中判カメラと言われる。カメラの設計に応じて、60㎜×45㎜、60㎜×60㎜、60㎜×70㎜、60㎜×90㎜などの様々なフォーマットが存在する。中には60㎜×120㎜なんて素敵なフォーマットのものもある。書いているだけで、自分の中の欲望がむずむずしてくる。通常のフィルムに比べて、画面が大きいので、粒子が細かくなる。つまり画素数が高くなるから、ファッション写真や集合写真なんかでよく使われるのさ。デジタルが主流になった昨今でも、プロやハイアマチュアには使い続けている人が多いらしい。俺はプロじゃないから知らないけどね。
③ハッセル
中でも、人気があるのは60㎜×60㎜の正方形のフォーマットだろう。スウェーデン製のハッセルことハッセルブラッド(スウェーデン語なんでハッセルブラードが正しいらしいぜ)はその代表選手。第二次大戦中に、墜落したドイツ軍の飛行機から回収したカメラを、スウェーデン空軍の将校がハッセルブラード氏に見せて、これと同じものを作れるかと聞いたところ、同じものは作れないが、もっと良いものなら作れるといって開発したのは有名なエピソード。
中判カメラでは、ハッセルのほかにも2眼レフ(ピントと構図合わせ用のレンズと撮影用の二つのレンズがついている)のローライなんかも人気が高い。こちらはドイツ製。これらの2大巨頭が採用しているレンズが世界最高と言われるカールツァイス。ソニーのデジカメなんかによく搭載されてるぜ。レンズの性能の良さも相まって、ハッセルもローライも人気も高いが値段も高い。
④ブロニカS2
そこで登場が貧乏人のハッセル、ブロニカS2だ。プアマンズとはいっても、それは現在の話で、1960年代中期にこのカメラが発売されたころには、庶民にはとても買えなかったカメラだと思われる。しかし、現在じゃかなり安く買える。ちょっと飲み屋で羽目を外したくらいの金で、一式揃えることができるぜ。
しかも、開発者の吉野善三郎氏が、ハッセルを超えることを目指して作ったカメラだから、100を超える特許技術が無骨なボディーの中に凝縮されている。レンズは日本光学つまり現在のニコンが供給しており、非常に優秀、ニコンらしいカッチリとした解像度の高い画像を撮影することができるのだ。何より俺が気に入っているのは、そのガチャーン!と豪快に響くシャッター音だ。その音のデカさは被写体はもちろん、周囲の人間も圧倒すること間違いなしな粋なカメラだ。ちなみに正式名称であるゼンザブロニカは開発者の善三郎+ブローニー+カメラという、オヤジのダジャレを思わせる。こんなセンスもズバリ和製カメラのカンジがするぜ。
BronicaS2
俺は、このブロニカを手に入れて、メカニカルな感覚が楽しくて、いじくり倒すような感じで写真を撮っていった。俺の家に遊びに来る友人は、たいていポートレイトを撮られていたぜ。今の俺の写真からすると、ブロニカは大きく重く機動性に欠けるため、使えないカメラだが、カメラの構造、つまり写真とはどのようにして撮影されるものかということを、身体に叩き込むにはもってこいだった。つまり、絞りを変えると、ピントの合う範囲が変わる。絞りを変えると、入ってくる光の量が変わるので、シャッタースピードを調整しなけりゃならない。どの絞りを選択し、どんなシャッタースピードで被写体を捉えるか、写真の基礎の基礎だ。本格的なカメラは写るんですやデジカメとは違って、シャッターを押すだけではないんだぜ、ってことさ。

俺の親父のような先生がいる。俺はもう30年もその先生にお世話になっている。俺は初めてその先生に会った時、先生は今の俺くらいの年齢だった。その先生は学生時代から登山が好きで、登山をするためにまとまった休みが欲しかったから教師になったていう、動機の不純な教師だった。俺が通っていた私立の中高一貫校の数学の教師だったんだが、およそ教師らしくない人で、教科書は頭を叩くためのものと言っては、教科書に沿って授業なんかしたことはなかった。そして、わかる人手をあげて、わからない人手をあげて。どちらにも手をあげなかった人は幽霊ですから、頭を叩かれても痛くないはずです、と言っては、教科書を丸めて頭を叩いて回っていた。勉強のできる奴らや他の先生方には不評だったが、俺みたいな勉強の嫌いな馬鹿学生は頭を叩かれちゃ、へらへら笑って喜んでいたっけ。喫茶店でタバコを吸ってたむろしていると、見ないふりをして、ほかの店に行ってくれたりもした。ワインやパイプを教えてくれたのもこの先生だった。
当時から長髪の白髪で、コンピューター(もちろんウィンドウズなんてない石器時代の話だ)のエキスパート。数学教師というよりも、数学者なんだ。実際に数学者の秋山仁とは仲が良いらしい。俺はよく先生の家に遊びに行っては、夜中まで手塚治虫漫画全集を読みふけっていたモノだ。あぁ、つまり清志郎が歌っていた『僕の好きな先生』だったわけだぜ。
この先生、若いころには写真もかなりやってて、山岳写真やヌード写真も撮っていたらしい。まったく、俺の先生だけあるぜ。
この先生に教わったことは山ほどあるんだが、その中の一つに『写真とは光の積分である』ということがある。つまり、フィルムを良好に感光させるためには、一定量の光が必要だ。これには、周囲の光、絞りの大きさ、シャッタースピード、フィルム感度といったさまざまな変数を組み合わせて一定の量の光を確保する必要があるということだ。
数学に関して、私立文系数学なしコースに進んだ俺は、決して先生のよき教え子ではなかったが、夜の繁華街で、ノーファインダーで写真を撮りまくる俺は、写真に関してもよき教え子ではなかったわけだ。
この先生の授業スタイルは、世の中がやかましくなってくると理解されなくなってしまい、若い教師から「うちのクラスの生徒を叩くとは何事か」なんて突き上げられることもしばしばだったそうだ。洒落の通じない奴らはこれだから困る。で、60歳の定年を機に、嘱託講師などせずにきっぱり学校を去ってしまわれたんだ。で、何十年の教師生活で先生と縁の深かった元生徒たちが集まって、小旅行したりしたんだが、このときもブロニカは出動した。俺の髪形は当時からこんなモジャモジャだったから、先輩方からはまるで篠山紀信みたいだと言われたぜ。まぁ、俺の頭はくせ毛だから、今も昔もこれなんだけどな。しかも、俺は紀信よりもアラーキーのほうがはるかに好きなんだがね。で、先生が若いころ使っていたカメラもブロニカS2だったので、先生もなんだか喜んで、俺に当時使っていたブロニカのレンズをくれたんだ。NIKKOR-H50㎜ F3.5広角レンズだ。
ちなみに望遠レンズも持っていたそうなんだが、それは日本アルプスの谷間に転がり落ちていったそうだ。惜しいことをしたぜ。

こうして、俺の写真生活は始まった訳なんだが、俺はだんだんとこのカメラは俺向きじゃないなって気が付き始めたのさ。つまり、俺がとりたいものは、人間が犇めく街中なんだってことに。ただし、ズバリの回答行き着くまでには、まだまだ回り道が必要だった。ということはつまり、自動車が、それもヴィッツやマーチじゃないぜ、もっと高い奴だ、買えるくらいの金を使わなきゃならなかったってことだ。おかげでブロニカはもう何年も控え選手だ。いやベンチ入りすらしていない。2軍だ、ファームだ。しかし、ジィッツォの三脚の上に鎮座して、何年も俺の部屋をレンズに映し続けてくれているぜ。
それでは、次回に続くぜ。俺の話はいつだって長いんで、評判が悪いのさ。早く寝ないと男の仕事に差し仕えるぜ。

2010/12/01

Post #15 女たちへのいたみうた

今夜は実は月末だから、俺は自分のささやかな商売の〆をしなくちゃならない。しかも、フリーランスになって一年だからな。一足早く決算だ。儲からないぜ、まったく♪
だから今日は、俺の敬愛する金子光晴の詩を、俺の写真に添えて、お送りしよう!写真やカメラの話は、また後日だ。大丈夫、忘れてなんかない。プアマンズ・ハッセル、ゼンザブロニカS2を買った話からだ。OK、それはまた次回に行こうじゃないか。
こんな意志薄弱な俺を、どうかみんな許してくれ。

Barcelona
『女たちへのいたみうた』

あゝ、けふもゆきずりの女たち、

みしらぬ女たち、ことばもかはさず

まためぐりあふ日もない女たち。

うき雲のやうに彩られて

こころに消えぬ女たち。


その誰と住んでも年月はとび去り

おなじやうに生はからっぽだらう。

放蕩よ。つかひへらした若さは

こぼれた酒とおなじで、ふたたび

このこころを沸かすすべもない。

HomeTown
おしろいにまみれた裸虫さん。

まだあったかい牛乳壜さん。

ねどこのうへにこはれたせとものさん。

二十年前の匂やかだった女たちのやうに。

二十年後は、若いあなたも老いてゐるか。


私は、かなしげに眼をつむる。蒼穹のふかみ

おびただしい石の円柱が倒れる。

退場するもののすさまじい鳴響。

さかさまにながれる『時』の血流のなかで、私は叫ぶ。

「一千万人の女たちよ。さやうなら。」

(金子光晴 『人間の悲劇』 講談社文芸文庫より)

HomeTown
以前、たまたま知り合った女の子に、この詩を読んであげたことがあった。酒を飲みながらね。彼女は、エキゾチックな顔立ちで、個性的なセンスを持った素敵な女性だった。この詩の中にあるように、人生の中で、美しさが匂やかに香るような年頃だった。そして、どこかその眼は、笑っていても寂しそうだったんだ。俺は、その寂しさがどこから来るのか知りたかった。
彼女は、俺がこの詩を詠みあげると、しばらく間をおいてから『・・・なんだかさみしいね・・・』と言ったんだ。一体この詩のどこに彼女がさみしさを感じたのかは、今となってはわからない。今や俺には知る術すらない。何故って、所詮はゆきずりの一期一会だったんだろうから。
そう、まさに彼女は、『まためぐりあふ日もない女たち。』の一人だったのさ。
けれど、それは同時に、いつまでも『うき雲のように彩られて、こころに消えぬ女たち。』でもあるんだぜ。
みんな、ここが大事なポイントだ。きっと試験に出ることだろう。
俺は、そんな時間をほんのつかの間でも持った女の子に、この先の俺の人生で、おそらく、もう二度と逢うことがないだろうってこと自体が、途轍もなく寂しいし、悲しいのさ。
俺は悲しげに目をつぶるのさ。
そして叫ぶだろう。『一千万人の女たちよ、さやうなら。』ってね。
まるで、大海原を行く船の上から、かけがえのないものを波間に落としてしまったような、取り返しのつかないようなさみしさなのさ。胸の中に、ぽっかりと虚無の穴が開いてしまったようだ。そう、ちょうど『ブリーチ』に出てくるホロウのようになってしまいそうだよ。そして、底知れないさみしさが、この胸の穴に満ちるのさ。
だからせめて、そんな二度と逢うことのない女の子たちの幸せを、星に祈ろう。昇る太陽に祈ろう。

だから、俺は今日も道ですれ違う、そしておそらく二度とは出会うことのない御嬢さんたちを、シュートするんだ。
いつか捕まるだろうって、みんなが言うぜ。
でも、人生で一番美しく、若さが匂い立つような女たちを、その若さや美しさが、はかないが故に、いずれ老いくすみ、生活苦の皺が刻まれるその前に、俺は世界のフラグメントとして、焼き付けたいのさ。

どうして、写真を撮るのかと言えば、よくわからないけど、強いて言えば、さみしーからさ。
純粋なものがいつまでも純粋でいられないことが、美しいものがいつまでも美しくいられないことが、
苦しんでいるものが誰にも知られないでいることが、愛するものといつまでも一緒にはいられないことが、そんなすべてが愛しくいと惜しく、同時に悲しくてさみしーからこそ、写真を撮るのさ。
ああ、今日はなんだかセンチメンタルだ。フランス語でいえばサンチマンだ。
Al Greenの“I'm Still In Love With You”とRoberta Flackの“First Take”なんか聴いてたからだろうよ。しかもLPでだ。20世紀の遺物だ。だが、どっちも名盤だ。素晴らしい。センチメンタルになって、悪いかよ?これを聴いてセンチメンタルにならない奴とは、ちょっと分かりあえないぜ。

そうさ、俺は世界のむなしさに、俺たちの生のはかなさに、そして何より二度と帰らぬ時間の無常さに、立ち向かうために写真を撮るのさ。
OK、結局写真から離れられないんだ。ロックンロールとカメラがあって、俺がいるのだ。
いつか、君の写真を撮らせてくれないか?