2011/04/05

Post #142 Trans-Global Express #2

今頃俺は空の上さ
日本の諸君、ごきげんよう。俺は旅に出るのさ。所詮おいらは、旅また旅のマタタビ野郎さ。
けど、寂しがらないでくれないか。俺も後ろ髪をひかれてしまうぜ。君のことは忘れやしないさ。
なに、あんまり小遣いもないから、すぐに帰ってくるさ。
諸君、また会おう。

2011/04/04

Post #141 Trans-Global Express #1

読者の皆さんに、ちょいとご報告。
明日から、俺、ヨーロッパにいってくるぜ。こんな大変な時期に、旅行なんて、なんて神経だって思うかもしれないけれど、前々から計画していたんで勘弁してほしい。

俺は旅慣れてるから、旅の準備はあっという間だ。愛用のサムソナイトにイカした服とスカした靴を詰め込んで、カメラバックにフィルムをしこたま、そして何よりカメラを放り込めば、世界中どこにだって行けるぜ。あと、飛行機の中で読む本も忘れずに。
今回は、昨日の話があるから坂口安吾の『桜の森の満開の下』と吉本隆明『西行論』の2冊だ。軽く12時間くらいはかかるからな。
今回は、いつもの俺のメイン機材CONTAX T3を2台だけ、一台はモノクロ、もう一台はリバーサルってカンジでベルトに着けていこうかと思ったが、冷蔵庫の中に、120フィルムが何本か残っていたから、いい機会だ、FUJIの中判カメラ GA645Zi も持っていこう。久しぶりの中判だ。わくわくするなぁ。
ヨーロッパ北回り航路ロシア上空。こんな非情な大地を踏んでみたい
で、どこに行くかって?ふふふ…、知りたいかい?いいだろう、君たちだけにはそっと教えてあげよう。フィンエアーに乗って、ヘルシンキ経由でアムステルダム。そして、電車でベルギーのブリュッセル、さらに電車でパリに行くんだ。金はないけどね。悲しいくらい。

フィルムはしこたま買い込んだ。新しい旅に、新しい写真だ。これで新しい女なんて言ったらさすがにバチが当たるぜ。うちの連れ合いも旅慣れてるからな。並みの女じゃ、俺の相方は務まらないだろう。

見知らぬ国に行くと、日本の中のジョーシキというもんが、どうでもいいローカルルールに見えてくる。それは、この先行き不透明な時代を自分の力で生きていくうえで、大きな力になるんだ。こんな生き方でもゼンゼンOKだって思えてくるのさ。

OK、お土産の欲しい奴は、コメントしてくれよ。
けど、お金ないからな…。まぁ、俺の写真を楽しみにしていてくれよ。どうせモノクロばかりだし、どこに行ってもおんなじような写真しか撮らないけれどね。俺が君たちにお贈りできるモノといえば、所詮シケた写真くらいさ。でも、それがイイのさ、それがサイコーなのさ!

じゃぁ、日本の皆さん、さようなら。なに、すぐに帰ってくるさ。

2011/04/03

Post #140 Cherry Blossoms

今日は旧暦では3月1日、新月だ。
桜もちらほら咲き始めた。ふと、西行法師の
『願わくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ』
という歌を思い出したぜ。実際に西行は旧暦の2月16日に亡くなったと伝えられている。出来過ぎだ。しかし、この歌を思い出して、鎌倉時代には旧暦2月の満月の頃には、桜が咲いていたということに気が付いた。今とはおよそ2週間の違いがある。地球温暖化だったのか。実際、俺達の住むこの星は、絶えず揺れ動いている。寒くなったり熱くなったり、そんなのは人間の体温が微妙に変わるほどの事だろう。
桜が咲くといつも読みたくなる小説がある。坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。
ここは俺の故郷の川辺。しかしこの桜は今はない。俺の家が無いように。
坂口安吾を読み始めたのは、高校生の頃、俺の通っていた私立クロマティ高校の現代国語の鈴木先生が、君はこれを読みなさいと言って、坂口安吾の小説のコピーをくれたのがきっかけだ。
その小説は、『夜長姫と耳男』。
当時はもう絶版で手に入らかったのを、きっと先生が自らコピーしてホッチキスでとめてくれたのだろう。このほかにも、鈴木先生は俺に埴谷雄高の『死霊』を読むよう強く勧めてくれたりもした。俺は、モヒカン刈りの文学少年だったから、すっかり魅了されたぜ。
ありがとう、鈴木先生。おかげですっかり、まっとうなエスカレーター人生を踏み外したぜ。後に、鈴木先生に対して、『先生がそんな本を勧めるもんだから、俺はこんなおかしな大人になっちまったじゃないか』って抗議したら、先生破顔一笑、君は放っておいても、遅かれ早かれそこにたどり着く運命だったんだからいいじゃないかと言っていたぜ。よく御存じで。ふふふ‥・、これも人生だ、ロックンロールだ。

さて、坂口安吾の桜の森の満開の下だ。
これは日本文学史上に残る金字塔的な傑作なんだが、ご存じない方のためにざっくりと導入部だけ、話しておこう。

鈴鹿峠に一人の山賊が住み着いていた。峠を通る商人から金品を奪ったり、女をかどわかして、自分の妻にしたりしていたんだ。男は永年、峠道にある桜の森に、ただならぬものを感じていた。男は教養のない野人だから、それがどんな感覚なのか表現できない。そしてそれを確かめるために、桜の森の満開の下に行ってみるんだが、何故か毎年気が変になりそうで、桜の森から逃げかえってくる始末だった。
そんな山賊のもとに、ある商人の夫婦が通りかかった。山賊は女があまりに美しいので、商人を殺ろして女を奪い、自ら背負って、山奥の自分の家に連れ帰ったんだ。
山賊の家についた女は、山賊が今までに奪って、自分の妻にした、かつては美しかった、そして長年の山暮らしですっかりむさくるしくなった女たちを、山賊に皆殺しにするように命じるんだ。山賊は、躊躇しながらも、何かに憑かれたように、自分の妻たちを殺しまくる。一番醜いビッコの女だけを召使として残してね。そして、女は山暮らしにうんざりし、都に連れて行ってくれるように山賊にせがむんだ。
そっから先は、自分で読んでくれ。小説を読むのが苦手な方には、近藤ようこがマンガ化したものもある。このマンガは、その辺の小説の翻案と違って、とてもよく描けているからお勧めだ。

桜を見ると、いつもこの小説を思い出す。
美しくて、醜悪で、優しくて、残酷で、虚しくて、孤独で、儚い話なんだ。
桜の下には死体が埋まっている。墓場だもん当然さ。
決して長い作品ではないんだが、文学に求め得る要素のかなりの部分が凝縮しているといっても過言じゃない。
俺は、この小説の中で、山賊とビッコの女のこんなやり取りにぐっとくる。

「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」
「お前はお喋りが退屈でないのか」
「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」
「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」

くぅ~ッ!喋れば喋るほど、退屈するこの感覚。
毎日こんなにブログを書き散らかしていながら、時折、痛切に、こんな言葉が胸をよぎる。
ホントに伝えたい気持ちは、言葉でなんか伝わらないんでないかい?
俺は、このやり取りを思い出しては、時折立ちすくむ。言葉は舌の根元で、絡まって声にならない。
言葉を連ねて俺の気持ちは、君に伝わるのだろうか?
俺の言葉は空を切り、あの時、あの娘の胸には響かなかったんじゃないか?
仕方ない、カメラを構え、シャッターをきるか。

この小説と、夜長姫と耳男の二つだけでも安吾はスゲー作家だって文句なしに断言できる。

桜には、どこか人の心を騒がせるものがあるんだろうな。
心浮かれ、騒ぐのも悪くないかもしれない。
けれど、今年は年季の入った蕩児のように、過ぎ行く春を、帰らぬ日々を惜しむように、ゆっくり桜を眺めてみたいんだが…。なかなか忙しくて難しいだろうな。さびしーことだ。
諸君、また会おう。今夜も俺は男の仕事に出撃だ。