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2026/02/04

POST#1450 なんだかんだ言って、この世は金さ

沖縄、竹富島
そんなこんなで親父の退院は2月18日、五万なにがし医療費を払い、そのままサービス付き高齢者住宅に送り込んだ。
そりゃ、お喜びだよ。好き放題やってきて、その果てにこんな三食昼寝と大理石貼りの浴場付きなんだ。文句言ったらぶっ飛ばすぜ。
問題はここからだ。
その日の午後には弟と二人で親父を連れて、損害保険屋の弟と付き合いのある弁護士のところに相談に行った。
残念ながら50からみの弁護士は物腰は丁寧だが、こちらに寄り添うという気配が感じられなかった。
とはいえ、仕方ないさ。なにせどれだけ負債があるのかわからない。
借入証書もなければ、返済計画書も融資の契約書もない。
断片的な振込明細
5000万円とか記された手形帳
あちこちの銀行の通帳
鋏の入れられた古い手形
債権回収会社からの残高明細
つい最近の日付の約束手形
そして、泣きたくなることに帳簿類は一切なし

俺たち兄弟の考えでは、弁護士費用をかけても自己破産させて、きれいさっぱりしたいと思っていたんだが、どこに何があるのかわからないようじゃ話にならないとのっけから突き放された。
挙句の果てには、もう30年くらい前、社会人になったばかりの弟を保証人にして3000万円だか借りた話を弟が持ち出すと、親父はぼんやりした顔で、あれはすぐ次の週には返したという。
それを聞いて弟は、知り合いの弁護士の前でも構わず激高し、「俺の青春時代は、あんたのその借金に怯えて円形脱毛症にまでなったんだ!今の今までそれが完済されてるなんて知らなかったんだぞ!どういうつもりだ」と席を立って隣の親父を殴りつけそうな勢いだった。
弁護士の先生はあきれて、そんなことは帰ってからやってくださいよとうんざりしている。
まぁ、そりゃそうだよね。
結局、自己破産するにも、どこにどれだけ負債があるかすべて洗い出さないことにはなんともならないことが分かった。つまり、こちらとそちらとあちらに、それぞれいくらの借金があり、これらを返すことができないので自己破産すると裁判所に申し立てて認めてもらっても、それ以外のどちらからかの借金が出てきたら、まぁた一からやり直しということだ。君も自己破産を考えてるんなら、その辺をしっかり押さえておくといいよ(笑)
やれやれ。帳簿も証文もないんだ。まったく雲をつかむような話だぜ。
俺はその頃京都で働いていたんだが、週末家に帰るたびに月曜の朝、親父をあちこちの銀行に連れてゆき、残高証明をとり、借金がないことを確認し、口座を抹消した。どこの口座も大した金額は入っていなかった。年金が振り込まれる口座だけ残し、あとはすべて口座を閉じたんだ。
弟は、最近の日付の約束手形の信用金庫に行ってくれたんだが、ビンゴ!そこではざっくり160万円ほどの借金が残っていたんだ。
つまりこういうスキームだ。
借金のうちの一部を返済する。その時点での残高分の約束手形を切ってもらう。
手形の期限が来たら、また焼け石に水程度の金を渡して、新たな約束手形を切る。
やれやれ、そんなことやってても、85のじいさんが死ぬまでに返し終わるとは思えんぜよ。
弟は信用金庫の担当者と支店長に、状況を確認しに行っただけなのに、ぼろくそいわれて返済を迫られたようだ。まぁ、当然だわな。
そうこうしてるうちに、うちの叔母のあさチャンのところに、この信用金庫から手紙が届いた。あさチャンは手紙を俺に転送し、おろおろして心臓が止まりそうな声で電話してきた。手紙を見てみるとこんな内容だ。

『令和7年4月2日

●●信用金庫/△△支店

担当:■田

服屋のおやっさん氏の近況及び返済状況の確認について

平素は格別のご高配を回り、厚く御礼申し上げます。
突然ではありますが、貴殿が連帯保証をしている服部のおやっさん氏の近況と現在の返済状況を報否させていただきます。
服部のおやっさん氏は令和7年1月に自宅で倒れて入院しておりましたが、合和7年2月に退院された以降は老人設の方で療養しております。現在は4人のご子息(その筆頭が俺だよ)が中心となり、面倒を見ている状況であります。

借入の返済状況と致しましては、当初(平成15年7月14日)に借入した3,500,000円は令和7年4月2日時点で残高1,642,000円となっております。手形貸付という融資内容となっており、貸出期日が令和7年1月20日となっていますが、介護施設へ入所した以降は手形の更新手続きができていない状況となっています。(更新手続きをご放頼していますが、 ご子息の了解がないと更新できないとの理由により更新できず)

このままの状況では当行としても本人もしくはご子息からの返済対応が無いため、連帯保証入であるあさチャン様へ通知する方法しかなく、ご連絡した次第であります。大変お忙しいと思いますが、1度ご連絡を頂ける様に宜しくお願い致します。

【該当價權】

借入種類:手形貸付

借入残高:1,642,000円

借入期日:令和7年1月20日』

あさチャンは、自分は連帯保証人になった覚えはないというし、俺もどうしたらいいのかわからねぇ。そもそも平成15年なんて、あさチャンもう親父の下で経理やったいないからな。
なにより弁護士に相談して、自己破産の準備をしているから、迂闊に手形を切りなおして借金を返していきますとも言えない。弁護士の先生から止められてるんだ。
もっとも金を払えばいいだけの話なんだが、しがない商売の俺にはそんな金はポンと出せない。
弟たちもかつて親父が滞納しまくった百万単位の家賃をみんなで分担して払った経緯があり、お前ら頼むともいえんしなぁ…。とはいえ、俺もこの一連の親父の問題でずいぶん散財した。鼻血も出ねえてのが正直なところだ。まいったなぁ(笑)

そんなこんなで、世の中金の悩みは尽きないぜ。
菌血症は直すことができる。しかし、金欠症を完治させることはなかなか困難だ。

2026/02/03

POST#1749 年をとって住むところがないのは深刻な話だ

 

奈良、十津川村にて 俺の人生いつだってこんな感じさ
すっかり忘れていたが、親父の話だ。

親父のことは思い出したくもないが、これでも俺は町一番の孝行息子といわれている。四月からは町内会の班長だし子供会の副会長だ。一応、父親のことは気にかけておいてやらないといけないんだ。たとえ俺が鬼子だとしてもね。

ちょうど一年ほど前の1月30日に、親父は菌血症の治療のために転院になった。
市民病院の支払いは、市役所に行ってあらかじめ高額医療費請求の手続きをしていたから10万ちょっとで済んだが、貧しい労働者階級の俺にはこれまた痛い出費だ。
俺の親父には、そんな金はない。
金欠症の治療で俺が入院したいぜ。
さて、その転院先の病院は、俺もその前の年に腎臓結石と菌血症で入院していたことがあるんだ。ほかにも交通事故で大腿骨をへし折ったときとか、働きすぎで帯状疱疹になり、医者から強制的に入院させられたときとか。いつもお世話になってる。
死んだ祖母のノブちゃんも、救急搬送されたときには、旦那の庄六さんが死んだ市民病院を、死人病院だけはやめてくれと言っていたな。我が家の皆さんには鬼門だ。
担当医師は俺のちんこの先から膀胱までカテーテルを挿入する手術を執刀してくれた美熟女の女医さんだった。
あれは、思い返しても恥ずかしいな。お粗末なものしか持ち合わせていないんでね
で、2月の頭だ。俺は近く(といっても車で10分くらいか)に住んでるすぐ下の弟と一緒に、何件かサービス付き高齢者住宅を見に回った。親父に借金の保証人されて苦しんだ奴だ。俺たちは最初、レオパレスでも借りて放り込んでやろうかと考えていたんだが、どうせまた好き放題食い散らかし、金もないのに余計なものを買い込んで碌なことにならないと断念したんだ。

素敵なことに、入院していた市民病院の担当医は、俺の父は要支援も要介護も必要ない!と太鼓判を押してくれたんだ。うれしくてハラワタがちぎれそうだぜ。
だから、自然と補助がないので月々の支払いも多くなる。あと、あまり俺の家から遠いと何かと不便だし、そうなると条件は限られる。
いっそ橋の下にでも住んでくれるくらい根性座ってるんだったら話は早いが、終戦直後じゃないんだから、そういうわけにもいかない。(とはいえ、俺は近所の川にナマズを釣りに行ったとき、橋の下に誰かが住んでる痕跡を見つけ驚いたことがある)
一件目は、俺の家から歩いて行っても5分10分ほどのところで、町の中心部にも近く日当たりもよかったが、あいにく空きがなかった。
親父にそのことを告げると、「あそこは昔、繊維の商売をやっていた知り合いの系列だから惨めな思いをしたくないので嫌だから、空きがなくてよかった」だとさ。
この野郎!もうとっくに惨めなんだよ!

二件目はカミさんと二人で、車で15分ほどのところを見に行った。
そこは高い。まるでセキュリティ付きのマンションだ。敷地内には小ぶりな平屋の戸建てもある。老夫婦で住むってことだろう。
そりゃ結構なところだ。できたばかりだし、内装のセンスも素敵だ。ってことは金がかかってる。ってことは、投資を回収するためには、勢い月々の支払いも高くなるってことだ。案の定、月々に20万以上が必要だ。
空いているのでいつでもどうぞといわれたが、その金額じゃ空いててもおかしくないぜ。俺はしがない労働者階級なんだ。勘弁してくれよ。この借金だるまのくそじじいに、そんな月々金は払えないぜ。
俺たちはにこにこして話を聞き、パンフレットだけもらってかえったんだ。

そして、三件目。あまり期待していなかったけれど、もう少し手ごろな値段で入れそうなところを見に行った。少し街はずれだけれど、幹線道路を通れば俺の家から5分ほど。市内を走る私鉄電車の小さな駅にも近く、目の前にはコミュニティーバスのバス停もある。悪くない立地だ。
俺たちを迎えてくれたのは、とんでもなく腹の出た中年のにこやかな男で、仮に山ちゃんと呼んでおく。山ちゃんは、太りすぎて移動するのがしんどいのか、老人がリハビリに使う歩行器のようなものに両肘を預けて、よちよちと動き回ってる。彼の両肘は、その体重が預けられているせいで、タコになっている。そして、関西訛りの大きな声でしゃべり、よく笑う。
面白いな。キャラが立っている。ここにするか。
一階は食堂とラウンジ、二階がそれぞれの個室でトイレと洗面所、電磁調理器が付いている。風呂は一階に温泉みたいな素敵な浴場が付いている。あのくそじじいにはもったいなくらいだ。しかも、今部屋の空きがあるという。かつては満室だったが、コロナ禍の時に男性の入居者のうちの何人かが、感染対策などの煩わしさを嫌ったのだろう、出て行ってから満室になることがない状態なんだそうな。

北側の部屋は目の前に川が流れていて遠くに美濃の山々が見える。しかし、北側は埋まっているんだと山ちゃんは残念そうに言った。とはいえ、冬の北向きの部屋は陽が当たらなくて冷えるしな。南でも西でも何でもいいさ。
西側の部屋は夏、西日が入って暑いのと、見える景色が電車の高架と隣の家の壁。それを山ちゃんは残念そうに言うんだけれど、何の問題もない。
十分だ。何の問題もない。俺たちは即決した。

さて、気になるお値段は・・・月々15万くらいだ。これなら年金と俺たちが出し合った金で何とかなる。兄弟が四人いるとこういう時に助かるぜ。即決だ即断だ。
親父が退院してくるのがおそらく2月の半ば。山ちゃんは部屋の清掃や準備があるから再そっくで2月18日の契約になるって言うから、俺たちは2月の18日から入居ということで契約した。
先払いの家賃と敷金、食費、共益費等こみこみでおおよそ21万円。
俺たち兄弟は金を出し合い、親父用の口座で管理することにして、その金を払ったんだ。
新しいオヤジの部屋
机やいすや布団はすぐ下の弟が、奥さんの実家からもう使わないものを持ってきた。
衣装ケースや三段ケース、小さな冷蔵庫、タオルやトイレットペーパーなど生活に必要なものは俺が買いそろえた。ここでも出費がかさむぜ。
電子レンジは、俺が現場で弁当を温めるために倉庫に保管していたものを持ち込んだ。テレビとミニコンポは、親父が使っていたものだ。取っておいてよかったぜ。
やれやれ、これで住むところの問題は解決だ。
後は退院してきた親父をここに放り込んだら、衣食住は一丁あがりだ。さすが、町一番の孝行息子と言われるだけあるな。
しかし、気の重い問題がまだ残っている。借金がどれだけあるのかを調査して、弁護士に頼んで自己破産させるという重大な問題だ。

2026/01/30

POST#1745 首切り池の怪

かつて 名古屋市の街角で こういう雰囲気のある女性を見なくなって久しい
うちのカミさんは、子供のころ桶狭間の古戦場のそばに住んでいた。

桶狭間の古戦場は東海道国道一号線の近くだ。名古屋の南西に当たる。上洛を目指した駿河・遠江を領する大大名の今川義元率いる大軍を、桶狭間という谷間を進む街道で圧倒的に少数劣勢な若き織田信長が情報戦を制し電光石火の奇襲で打ち破ったという戦国史に残る戦闘だ。

カミさんが住んでいたのは、かつて首切り池といわれていた沼を埋めたという土地だと聞いた。桶狭間の合戦で打ち取られた今川方の兵の首が、その池のほとりで切り落とされたとか、首を落とした血塗られた刀を洗ったとかそんな言い伝えのある池だったそうだ。

それを埋めた立てた罰当たり者がどこのどいつか知らない。ひょっとしたら、山師的な商才で得体のしれない儲け話をいくつも手繰り寄せ、一代で財を成して、すってんてんになって死んだカミさんの父親かもしれない。まぁ、結構な豪邸だったそうだ。結構なことだ。

ひょっとしたら、そんな話ははなっからでっち上げで、その豪邸をやっかんだ人たちが流した作り話かもしれない。それが真実かどうかとはかかわりなく、人々がその話をなんとなくちゅうことがあったげなと認識しているということが大事なんだ。

カミさんには20歳ほど年の離れた兄がいた。俺も何度かあったことがあるが、今はどうしているだろうか。そこからわかるように、うちのカミさんの母親は年の離れた後妻さんだった。羽振りがいいとそういうことも起こる。俺のように羽振りが良くないと、品行方正でいられる。たまには羽目を外そうと思っても、先立つものがないと品行方正でいられるんだ。

で、うちのカミさんといっても、まだその頃は小学生だ。カミさんが首切り池の跡地の豪邸、面倒なので以下、首切り御殿でいく。首切り御殿で一人でふろに入っていたある日、ふろ場の壁から首のない落ち武者のようないでたちの死霊が、ぬっと飛び出してきたそうだ。

湯船に入っていたカミさんは、あまりのことに窒息しかけたんじゃないかな。

首切り御殿に現れたその落ち武者は、首のない頭を左右に振っては何かを物色するような素振りを見せると、一瞬のうちに反対側の壁に吸い込まれるように消えていったのだという。大方、切り落とされた自分の首を探し回っていたんだろう。400年以上も!

まぁ、郷土の英雄・織田信長がらみの話ではあるが、首切り池の怪とか大上段に振りかぶった割には、まぁそれだけのことだ。

彼女もまた、そんなのが見えちゃう厄介な体質のかただったようだが、俺と暮らすようになってから、そういったものを見ることはなくなったという。

とはいえ、昔はなんか聞きなれない物音がするとラップ現象じゃないかって怖がっていたんだが、俺がいるときにそんなの聞いたことがないんだよな。要は基本的に臆病なんだ。先日の公園の池の水で遊んだ息子が、人食いバクテリアに感染したら大変だと大騒ぎしてたからな。まぁいいや、そんなわけでここでも俺は、そういう方々と波長が合わないんだろうなって話だ。

今夜も仕事なんで、あっさり流してしまうぜ。

2026/01/24

POST#1739 孤独な年寄りが猫を飼うのは考え物だ

孤独な老人の生活の痕跡はクロスのシミくらいだ。

俺は一番下の弟と一緒に閉店間際のホームセンターで猫用のケージを買ってから、親父のアパートに乗り込みんだ。そうして、案の定ビビりまくって押し入れの中に隠れている猫を、ひょいと手を伸ばして捕まえ、すぐにケージの中に突っ込んだ。

猫は、ちゃんとケージに入れておかないとパニックになってどこかに逃げてしまう。基本的に警戒心が強く、臆病な奴らだ。人に懐かずに家に懐くといわれるくらいだ。

もう25年くらい前、うちのカミさんの父親が亡くなる直前に、やはり一人暮らしの父親のアパートから大きなトラ猫を引き取ってきたのだけれど、慣れない環境に置かれたとたん、すきをついて逃げ出してしまって、もう二度と捕まえることができなかった苦い経験があったからな。同じ過ちは二度は繰り返しちゃいけない。まぁ、命取りになるような失敗は一度やったらおしまいだけれど。

往々にして孤独な年寄りは、動物を飼って孤独な心を満たそうとする。けれど、自分が面倒を見れなくなったとき、その動物がどんな運命をたどることになるのか、よく考えてほしいもんだ。

しかし本当に助かった。俺だって、猫を縊り殺して、大家の家の軒先にぶら下げたりしたくはない。弟はそのまま一泊して日曜の朝、猫を連れて埼玉に帰っていった。

さて、そこからが体力勝負だ。肉体労働だ。頼りになるのは自分の手足だけだ。

俺は、一人で親父のアパートに乗り込んで、必要なものは段ボール箱に突っ込み、不要なものは可燃ごみや不燃ごみの袋にガンガン放り込んでいった。

父の近所に住む年老いた友人たちも、様子を見に来てくれる。すぐ下の弟も、時折様子を見に来てくれた。翌日の打ち合わせもあったしな。あらかたのものがゴミ袋に収まるころには、外は真っ暗だ。

そんな合間を縫って、俺は次から次に袋に詰めたごみをゴミ捨て場に運んだ。なんせ月曜の朝は可燃ごみ収集の日なんだ。日曜の晩から出すのはちとフライングだが、仕方ない。あっという間にゴミ置き場には黄色いごみ袋の山が出来上がった。必要そうなものを詰め込んだ段ボールは、俺が仕事のために借りている倉庫に何度もピストンして運び込む。こんな時、仕事に使ってる愛車のプロボックスは最高に頼りになる。

親父が金もないのに買い集めていた九谷焼の茶碗や、はるか昔まだ俺の生家があったころ床の間にかけられていた掛け軸だの、ブラスバンド部に在籍していた弟が使っていたトランペットだの、すこしでも換金できそうなものは、ひとまとめにしておいた。少しでも換金して足しにしないと。そんな中に父の友人が、これは欲しいというものがあれば、快く差し上げた。もう半分死んだようなもんだから、形見分けだ。大忙しだ。

すべて終わった時には、もう日付も変わるころだった。煙草をやめてなかったら、一服つけてしみじみと自分を労わってやりたかったぜ。

そして月曜の朝、すぐ下の弟が手配してくれた便利屋さんがやってきて、手際よくトラックに食器棚やら仏壇やら、もう使うこともない布団やらを積み込んでくれた。ガタガタな洗濯機、俺が運転免許を返納させたときに買ってやった自転車、油まみれのガスコンロや電子レンジ、この際どいつもこいつもゴミ野郎だ。処分費〆て金壱拾萬円也。俺は準備していた金を即金でお支払いさせていただいた。あぁ、俺が稼いだ金が、こうして消えていく。いや、社会に循環してゆく。もう少し、俺のところにとどまってくれればよいのに。

九谷焼の茶碗だの掛け軸だの北海道土産のクマの彫り物なんかは、〆て一万五千円くらいにしかならなかった。大枚はたいて買い集めただろうに、そんなもんだ。

そしてあっという間に、部屋は空っぽになった。

俺は例の資産家の大家に、すべての家財を処分し、鍵を返しに行った。

親父のアパートから歩いてすぐの田舎の豪邸だ。静まり返っている。呼び鈴を押しても応答もない。大音声でごめんください!と声を張り上げても、寂として声無しだ。誰もいない。

仕方ない。俺はなぜか知っていた大家のLINEに、お宅の郵便受けに部屋の鍵を入れておくと写真付きで送ってみた。すると、水道代がまだ払われていないとかいう返事が返ってきた。面倒だ。俺はさっきの九谷焼とかを換金した金から一万円抜き取り、鍵と一緒にビニール袋に入れてポストに放り込んだ。もう、金輪際かかわることはないさ。あばよ

万物は流転し、九谷焼は水道代に代わる。釣りはいらねえよ!


2026/01/23

POST#1738 ノブちゃんの13回忌

世界の街角から 今日はヴェトナム、ホイアンの街角から
さて、話の続きだ。
回復著しいからとっとと退院してほしいという病院側を、包括ケアという名目で、住処を見つけるまで何とかもう少し置いてほしいという、両者のつばぜり合いをしていたら、ありがたいことに親父が菌血症になってくれたおかげで、住処を探す時間ができた。二月の半ばごろまで入院することになるということだ。
あの病気は面倒なんだ。症状が治まったと思って退院しても、横着するとすぐ発熱する。つまり、血液の中で菌が増殖してぶり返してしまうのさ。
この時点で去年2025年の1月20日。
俺としては、猫を保健所送りにするか、誰かに押し付けるかして、今の資産家の未亡人の部屋をとっとと引き払いたいんだ。一月中に。
これが他人事だとみんな思っているだろう。
だけど、人間は誰だって老い、衰えて、死ぬ。
そうすると膨大な量のガラクタが生じる。生きてる頃は生活必需品だったり、衣服だったりしたものがガラクタになるんだ。俺たちの人生は、直言すれば苦労して働いて、ガラクタをため込んでるようなもんだ。
こいつを片付けるってのは、残されたものの務めになってしまう。
他人事ではないんだ。
美しい人も、勇ましい人も、抜け目ない人も、いつかは老いくたばる。世の中死と税金からは逃れられんのよ。
俺は自分の会社の名義でレオパレスでも近所に借りてそこに放り込むことも考えた。しかし、それは単なる問題の先送りに他ならない。
弟は、損害保険の仕事のつてで、家財などの処理業者に渡りをつけてくれた。月予備の朝、来てくれることになった。よし、絶対に一月中、いやこの週末にけりをつけてやる。
あとは猫だ。
その問題が解決しないまま、1月25日の土曜日にノブちゃんの13回忌があったんだ。

信行寺という馬次郎さんのころからのお寺で法事は行われた。なんせ、仏壇はゴミ屋敷のなかだ。しかも、創価学会の仏壇があり、俺は母親の淑子さんが死ぬ前に創価学会にすがっていたので、創価学会が嫌いだった。当時は折伏とか言って彼らは熱心に布教していたし、母親を亡くしたばかりの中学生の俺に、母親の遺志を継いで学会員になるように家に押しかけえ来たりもされた。

俺は親父の家から救い出しておいた繰出し位牌と写真を持っていくことにした。あと、京都で買った牛骨を髑髏に彫って連ねた数珠とね。こいつは傾いてる。イカすぜ。

今回は俺を長男とした4人の兄弟のうち、3人がそろう。この三人が中心になって今回の一連の父の問題に取り組んできた。
俺の親父は法事が大好きだった。法事を行うといえば、親族が集まる。その中心で気分よく振舞うことができる。で、そのたびに料理屋で一席設け、皆にふるまう。ご機嫌だ。孤独な老人の楽しみだ。
俺は、そんな大盤振る舞いする余裕なんかないことを知っていたから、もう死んで何十年もたつような人の法要を行うのはやめようと父に言い続けてきた。
で、十年ほど前に一度、これからは法事はお前に任せるといって、俺が取り仕切ったことがあったのだが、この時には裏があった。
お寺から檀家に、本堂修復のために一口10万円也の寄付を求められていたのだ。たしかノブちゃんの三回忌だったんじゃないかな。
仕方ない。俺は金を工面して金封に包み、おっさま(俺の住んでいるあたりじゃ、浄土真宗のお坊様をおっさまと呼ぶんだ)に渡した。
そして父には、以後、法事はすべてお前に取り仕切ってもらうということを約束したんだ。
そう、何十年もたった人の法事はしない。法事の後に会食はしない。そもそも今時、車で来る人ばかりだから酒も飲めないし、親戚同士とはいっても、いろいろな確執もあって、責を共にしたくない人もいる。質素倹約、死者を想い出して悼む心をもちよれば十分だ。
しかし、そののち親父は、俺に黙って俺の母の淑子さんの三十三回忌をやりやがった。
すぐ下の弟にだけ告げて、お寺で俺の母親の法要をやりやがったんだ。
以来、親父とは断絶していたんだが・・・。
しかし今回は、親父は入院中でいない。あらためておっさまにあいさつし、今後とも良しなにおつきあいくださるようにお願いしてきたわけだ。

さて、自分が自分がという親父がいないと、あっさり終わる。
あっさり会食もする気もなかったので、遠方の叔父さんには、自分がしっかり務めるからお任せくださいと言って、来なくても大丈夫なように計らっておいた。年金暮らしなのに、新幹線に乗ってきて、わざわざ寒い思いをしてお経を聴き、お布施も出しておきながら、会食も無しなんて申し訳なさすぎる。
叔母たちの中には、物足りなさそうにしている者もいたけれど、久々に盛り上がりたい人たちはめいめいでやってくれたらいいんだ。
こっちは、親父の病院代がいくらかかるかわからないし(高額医療費請求があるからそこまでひどくはならないだろうけどね)、どこか住むところも探さないといけない。家財道具を処分するのもそこそこ金がかかる。どんどんノブちゃんに似てくる叔母たちに大盤振る舞いすることはできないんだ。
終わった後は、埼玉の奥地からやってきた弟もつれて、兄弟で親父のアパートに行った。
この時だ、弟が猫を埼玉の自分の家に引き取ってもいいと言ってくれたんだ。
素晴らしい!君こそMVPだ。
それともノブちゃんの13回忌をやったことで、あの世からノブちゃんが計らってくれたのか?
俺はさっそく、弟と近所のホームセンターに向かい、肩から下げられる移動用のケージをカードで買い、二人で猫を捕まえに行ったんだ。

2026/01/21

POST#1736 不死身の男

世界の街角から 今日はカトマンズ

 HCUに入っていて、半死半生の親父にできることは何もないので、俺は仕事に戻ることにした。去年は今年と違って大忙しだった。本当なら今年も今頃大忙しの予定だったが、人生はどこで何が起こるかわからない。

で、週末ごとに病院に行ってみると、いつのまにかHCUから出て、一般病棟に移っているじゃないか。インフルエンザは緩解したようなので、一般病棟で点滴点滴、通路をゆっくり歩くリハビリだと。

豊子さん、豊明さんなら、もうそっちに連れて行ってくれてもいいんだぜ!
ノブちゃんもうすぐ13回忌の法要だってのに、親父のことを守りすぎじゃないのか?

いかにも冗談の通じなさそうな無表情な主治医からは、このまま何もなければおよそ二週間で退院だと告げられた。
冗談じゃない。俺は一月中に親父のアパートを引き払い、どこか住むところを見つけてやらなきゃなと思っていたのに。目算が狂っちまうよ。資産家の未亡人の大家には、ぐだぐだ文句ばっかりこきやがるから、一月分の家賃で5万円現金で押し付けてきて黙らせてきたというのに。ここであのアパートに戻ったら、元の木阿弥だ。また何年も年取った猫と一日中テレビを見て、あれこれ好き放題食いまくる生活に逆戻りだ。
親父に面会すると着替えを用意してほしいという。一般病棟に移ったので、寝間着とか下着とかが必要なんだと。

まったく、俺の親父は不死身なんじゃないか。
いや、もう死んでるけどゾンビなんじゃないか。

俺は病院のケースワーカーさんとの面会を取り付けて、なるべく俺の家から近くて手ごろな金額で入所できる高齢者サービス住宅をいくつか紹介してもらった。
俺は近くに住んでいる弟と連れ立って、高齢者サービス住宅の見学に行ったりした。忙しいったらない。
市役所に行き、老人福祉課で要支援・要介護認定の依頼もお願いした。これがあるのとないのとじゃ、入れる施設も金額も何もかも変わってくる。
それに何より親父の財務状況、それも借金のことをはっきりさせておかなけりゃならない。
俺は、そそくさと親父の埃っぽいアパートに向かった。
倒れた直後に、食料品や生ものなどは処分しておいた。例によって土足で立ち入り、積み重なった書類や書類ケースの中に無造作に突っ込まれた小切手帳、壁に張られた督促状、銀行の通帳、ATMの振込明細、実印、もう使われていない社印と社判、そんなものを山ほど回収した。
年取った猫は、相変わらず押し入れの中に隠れて様子をうかがっている。
銀行の通帳はいくつも出てきた。一体いくつの銀行に口座を持ってやがるんだ。マネーロンダリングでもしてるんじゃないのかってくらいだ。
昔一緒に住んでいた女性の銀行口座に振り込んだ明細も出てきた。くさい。
鋏の入れられた小切手帳、5000万円とかぞっとするような金額が記されているものもある。
これが焦げ付いているんじゃないだろうか?
債権回収会社からの葉書。どうも昔、カードで買い物した金を踏み倒し、それが今や年利14%で雪だるま式に膨れ上がっているようだ。
銀行からの借金は、少しづつ返済し、都度手形を切って返済期限を更新してゆくという、聞いたこともないようなトリッキーなことをやっている。

社会人になったばかりのころ、数千万円の借金の保証人にされて精神的に追い詰められていた経験を持つ弟は、この伏魔殿にはあまり近寄ってこなかった。

ついでに親父の着替えを探してみたが、下着もよれよれ、服も襟や袖がほころんでいる。みすぼらしいったらないぜ。
俺はそれらをすべて市の可燃物のごみ袋に突っ込んで、近所のGUでしこたま下着やラウンジウェアを買い込んだ。GUでこんなに買い物したのは初めてだったぜ。

そうこうしているうちに、親父が尿路感染で菌血症になってしまったという連絡が入った。
その前の年に俺が腎臓結石になったときに発症した奴だ。血液の中に菌が入りこみ繁殖してしまう。悪くすると死ぬ。しかし、病院からは死ぬことはないので安心してください、ただ、退院が伸びますとの説明だった。ベッドの空きがないので、1月末ごろに転院していただきますというありがたいお話だった。
ついでに言うと、市民病院の主治医は親父には要支援も要介護も必要ないという判断を下したんだとさ。俺は肌の白い無表情な若い医師の顔を思い浮かべた。
くそじじいめ、リハビリ頑張りすぎだろう。その生に対する執着はいったいどこから湧いてくるんだ?

俺も頭の上に人魂が飛んで、頓死してしまいたいと思ったぜ。
やれやれ、この憂鬱な話はまだまだ続く。

2026/01/19

POST#1734 まるで水木しげるの漫画のような世界がかつてはあったのだ

世界の街角から うーん、どこだっけスウェーデンのヘルシンボリだったかな

 毎日暇そうだなって思われているだろうな。

暇だよ。いろいろあって仕事の契約を切られてしまったからな。それは仕方ない。身から出た錆だ。誰を責めるわけにもいかない。潮時だったんだ。で、方々に声をかけて仕事くださいって言ったところで、早々急に仕事が降ってくるもんじゃない。やることなんて掃除洗濯料理、そして読書くらいしかないんだ。無芸大食だ。まるで老後の暮らしだ。こんなのが死ぬまで続くのかと思うとぞっとする。仕方ないからひまつぶしに毎日書いているってわけだ。

さて、昨日の続きだ。

祖父の庄六は、そのうちに徐々に持ち直し、ノブちゃんの弟のたちと商売をするようになったようだ。町で雑貨店を営んでいたと聞いたことがある。ノブちゃんの行商が発展したものだ。その頃には俺の親父の豊明も小学生になっていたことだろう。

のんびりした時代で、掛け売りした商品の集金に自転車で回ることも度々だったという。しかし、庄六さんは根っからの善人で商売に向いていなかった。エリート商社マンだったはずなんだが、もしかしたら戦争で根本的に価値観が変わってしまったのかもしれない。

集金に行き、貧しい相手に今日食べるものを買うお金もないと泣きつかれると、仕方なく集金を次回に繰り延ばし、それどころかよそで集金してきた金も与えてしまうような人だったという。

その点、当時まだ小学生だった俺の父・豊明のほうが、情け容赦なく売掛金を回収してきては商売人らしさを発揮していた。

そんな寛大な庄六さんは周囲の人々からは好かれていたが、家族の生活は苦しかっただろう。にもかかわらず夫婦仲はよく、先妻の豊子さんの子である俺の父の豊明、ノブちゃんの子のあさチャンの後に娘が三人、男子が一人と次々生まれた。そりゃ、ノブちゃんも行商どころの騒ぎではない。貧乏の子だくさんだ。

このお人よしな性格のせいで、後に入来町の店も人手に渡り、ノブちゃんの弟たちも含めた一家は新天地を求め、岐阜へと移住することとなる。それはまたのちの話。

そんな庄六さんが集金に行った帰り、峠道を自転車で走っていたときのことだ。

庄六さんはその時、相手先で一盃ごちそうになり、上機嫌で暗い峠道を走っていた。すると急に強い風が木々を揺らし、ゴーっ!と列車が通るような音が上から聞こえてきたかと思うと、峠道の上を大きな火の玉が飛んで行ったという。

普通、火の玉が頭上を飛んでいくと自分の魂も持っていかれて、頓死してしまうと信じられていたようだが、幸い庄六さんは酔っぱらって上機嫌、心ここにあらずという有様だったので、腰を抜かしてひっくり返っただけで済んだのだという。(とはいえ、のちに火のついた練炭を取り落とし、入院していた病院で死ぬという運命が待ち受けていたわけなんだが。)

まるで水木しげるの世界だ。眼鏡をかけて出っ歯の主人公が、ハフッ!とか言って目を回して卒倒する一コマが目に浮かんでくる。

祖母からは、峠道などで急に体がだるくなり動けなることがある。そんな時は、昔そのあたりで行倒れて死んだ者の魂が憑りつき、その死者の味わった餓えや疲労が自分の身に生じるのだと聞かされた。そんな時は手に米という字を指でなぞり、その手のひらを舐めるとよいとも聞いた。

この話から察するに、その人魂はその峠道で力尽き、命を落とした人のものかもしれない。

読者諸君、今日はこれで失礼する。暇なのは暇だけど、本屋に注文したトマ・ピケティの新刊を受け取りに行ってこようと思ってるんだ。

2026/01/18

POST#1733 まるで遠野物語のような…


世界の車窓から 今日はスウェーデン南部からお送りしましょう
見える人といえば、うちの死んだお祖母さん、ノブちゃんもこれまた霊感のある人だった。
俺が子供のころ、お風呂の中で祖母が人生で体験した様々な奇妙な話を聞かされた。
それは、確実に自分の芯に植え付けられている。
俺が死んだら、それは消えてしまうのは惜しいので、いくつか書き残しておこうと思う。

昔、大正11年1922年に生まれた祖母が、まだ6歳くらいのころだ。
鹿児島の入来(現在の鹿児島県川内市)というところに住んでいた。
ノブちゃんの家の隣には、年老いた老婆が住んでいたそうだ。老婆はノブちゃんを常日頃かわいがっていた。
老婆は一人で暮らしており、日々弱っていったそうだ。ノブちゃんはしばしば様子を見に行き、水を飲ませたりしていたそうだ。現代とはずいぶん違うな。
ある日、まだ陽も明けきらない頃、ノブちゃんはふと気配を感じ、目を開けるとそこに隣家の老婆が立っていて、ノブちゃんにいつもありがとうと何度も礼を述べたという。
そして、ちょうどその刻限に、その老婆は息を引き取ったということであった。

まるで、遠野物語に出てくるような話だ。
吉本隆明の共同幻想論からすると、日々老婆の衰弱していく様を見ていたノブちゃんが、そろそろ老婆の生命が終わるであろうことを無意識に感じ取り、そのような幻覚をみて、実際の出来事と関連付けたということもできよう。

こんな話も聞いた。

おそらく、昭和21年戦争で負けた祖父の庄六さんとノブちゃんは、俺の父の豊明、そして戦争が終わってすぐ後に生まれた叔母のあさチャン(のちに父の会社で経理を担当することになる)を連れて、生まれ故郷の鹿児島県入来町(現在の鹿児島県川内市)に帰ってきた。
祖父の庄六は、伊賀の服部郷から尾張の木曽川の湊町・起(現在の愛知県一宮市起町)に、木曽の良木を求めて移住してきた欄間師だった。欄間とは床の間の障子の上にある彫り物だ。みたことあるでしょう?
しかし、庄六さんが生まれたのが遅かったため、久保田信蔵・うの夫妻の三男庄吉を養子に迎えており、庄吉が家督を継ぐこととなっていた。長子相続制だ。そのあとに生まれた祖父の庄六は実の長男ながら傍流とされ、戦災を免れた自分の生家に帰ることはなかった。

戦前から大阪の商社に勤め、俺の父を産んだ妻の豊子さんが早くなくなったため、戦争中は父の豊明を連れて大陸に行き、日本軍の軍馬の飼料を扱う商いで成功したそうだ。かなり豪勢な暮らしぶりだったという。
ノブちゃんの話では、広大な屋敷の四方にめぐらされた塀を兼ねた使用人の部屋には、2000人もの人々が住んでいたという。しかし、いくらなんでも2000人は盛りすぎだろう。

ノブちゃんは子供のころから心臓が弱く、二十歳まで生きることはないだろうといわれていたそうだ。そこで、短い人生好きにやりたいと当時日本の同盟国であったドイツの租借地青島(チンタオ)に渡ったんだそうだ。そこで、当時の日本より医学の進んでいたドイツの薬品(バイエル社だと言っていたな)を使った治療を受け、健康になったんだそうだ。

そして、二十歳を超えて生き永らえたノブちゃんは、(おそらく庄六さんに子供の世話を頼まれたのだろう)まだ四歳ほどの俺の父に懐かれ、これを見捨てることもできなかったのか、それとも情が移ったのか、庄六さんと結婚することになった。

まぁ、ある意味自分の人生は終わったようなもんだ。しかし、それが人生だ。

戦争が終わり、現地の人々から慕われていた庄六さんは、周囲の中国人の友人から日本に帰らず中国に残ってはどうかと勧められたが、昭和21年になってから(昭和20年の12月に叔母が生まれているので、身重のノブちゃんを連れて帰還船に乗ることは考えにくい)ノブちゃんの故郷である鹿児島県入来(現代の鹿児島県川内市)に引き上げてきたのだった。

庄六さんは、燃え尽き症候群だった。
有能な商社マンから、軍相手の商売で財を成したが、敗戦ですべてを失ったことで、どう生きるべきかわからなくなっていたんだろう。子供だけが残ったと涙を流して引き揚げ船で海を眺めてつぶやいていたとも聞いた。

しかし、生きていくのはどんな時代でも銭はかかるし、待ったなしだ。
ノブちゃんは乳飲み子を抱えて行商などで働いた。
あまりに忙しかったので、ある日、近所を流れる川(川の名前まで聞いてはいないが、入来町を流れる桶脇川かその支流の後川内川か)の岩の上に叔母のあさチャンのおむつを広げ、岩の上で洗ったそうだ。
その夜から、あさチャンはどこか痛がるような素振りで夜通し泣き続けるようになった。
今のようにCTだのMRIだのない時代だ。集落の祈祷師に原因を探ってもらうこととなった。
まるで水木しげるの漫画のようだ。しかし、こうしてみると拝み屋、祈祷師などは昔はそこそこ集落にいたのかもしれない。混沌とした時代だ。
祈祷師の見立てによれば、ノブちゃんが赤ん坊のおむつを洗った岩の上では、目には見えなくとも河童が集まり集会をしていたのだそうだ。
そして、車座になった河童のみなさんのど真ん中で、糞便に汚れたおむつを洗ったのだそうだ。
河童は怒った。そして夜な夜な乳飲み子のあさチャンの柔肌を針で刺すようにして、苦しめていたのだという。
ノブちゃんは、その祈祷師に進められ、その岩の上に簡素な祭壇を設け、瓜やキュウリなど河童の好む供物を供え、非礼をわびたという。
その夜から、あさチャンの夜泣きはぴたりと止まったという。

検索してみると『鹿児島県入来(いりき)地方(現在の薩摩川内市の一部)には、河童(地元では「ガラッパ」とも呼ばれる)に関する伝説が伝わっており、特に高城(たき)地区では、高城川で河童に稚児が引き込まれたという伝承があり、馬に乗った稚児の木像がご神体とされています。また、夏に川に降りてきて冬は山へ戻るという「ガラッパ」の声が聞こえるという話や、風呂の残り火に現れる「ガラッパ」の話など、河童(ガラッパ)信仰や伝承が根付いている地域です。 
入来(高城)の河童伝説のポイント
ガラッパ:南九州の方言で河童のこと。鹿児島県本土でも「ガラッパ」と呼ばれています。
高城川の稚児伝説:高城家の領主の稚児が河童に引き込まれたという伝説。
ご神体:馬に乗った稚児の木像が祀られている。
声の伝承:お彼岸の頃に「ピーヒョロー」という河童の声が聞こえるという伝承。
習性:夏に川に降りて、冬は山へ帰るという。 
これらの伝承は、地域の文化や歴史に深く根付いており、現在も語り継がれています。 』
とある。夏に川に降りて、冬は山に帰るというのは、日本の蛇体の穀物神が夏は田に降り、冬は山に帰るといいうのに似ている。もともと日本人は、山は他界だと考えていたのだ。

これまた、遠野物語か水木しげるの妖怪大百科に出てきそうな話だ。
俺は、物心つく前からそんな話を聞かされて育ち、世界てのは、河童の集会のように目に見えないレイヤーが存在すると信じるようになった。

今日はこんなところだ。明日に続く。憂鬱な月曜日を楽しんでくれ給え。

2026/01/16

POST#1731 悪党的思考

三重県尾鷲

 承前

親父は病院のHCUで半死半生、棺桶に足を突っ込んでる。

病状を説明してくれた医師によれば、筋肉や脳の組織からアミノ酸が分解されて流れ出し、通常190くらいのクレアチンの値が20000超えているんだとさ。人工透析必須で、この溶け出した筋肉とかの成分が赤黒い肉汁のような尿の正体だ。

今回は死ぬかもな、助かってもどのみち今のアパートに独りで住み続けることはできないだろう。病院のケースワーカーさんに相談しなくちゃな。市役所の老人福祉課にもいかなきゃいけないだろう。いや、もしかしたら月末に予定しているおばあさんの13回忌と親父の葬式が一緒にできるかもしれないな。こいつは手間が省けていいこった。

それよりも猫だ。猫は生き物なので、餌をやらないと死んじまう。まぁ、死んでくれたほうが親父もあっさり転居できるってもんだ。この年取った猫の存在が、親父の転居のハードルを上げていたんだ。ちなみに俺は猫上皮、ダニのアレルギーがあるので、親父の家に入るだけで目がかゆくなる。しかし、どうにかしないといけないな。

俺は親父のアパートに向かった。

カギは空いていた。俺はあまりの散らかりようにうんざりし、土足のまま上がり込んだ。

埃と油、猫の毛なんかが複合した汚れが、あらゆるものにこびりついていた。

臆病で人になれない猫は、押し入れの中に逃げ込み、気配を断っている。猫のトイレの便臭が鼻を衝く。

台所のシンクには、洗っていない食器が山のように積まれ、何もかものが油っぽくべたべたしている。男所帯に蛆がわくというのは本当なんだなとおもったよ。

猫の餌と水を新しいものに取り換え、様々ながらくたでいっぱいで歩く場所もないようなリビングを見渡しため息をつく。

母が死んだときに何百万もかけて買い替えた浄土真宗特有の金箔ギラギラの仏壇の扉は閉ざされたままだ。親父は一人暮らしの寂しさに耐えかね、いつのまにか創価学会に入信していたから、仏壇は締め切られたままなんだ。死んだ祖母や母の遺影は、顔向けできないのか仏壇の横の狭い隙間に押し込められている。

みすぼらしく擦り切れた下着。

長年着古してよれよれになった時代遅れの服。

かかとがすり減りつま先の皮がはげちょろになった革靴。

熟女ヌードのカレンダー。

壁のあちこちに張られた新聞の切り抜きやメモ、名刺、写真。

今年届いた年賀状は机の上にトランプのカードのように散らかっている。

食べきれないほどの食料品や甘いお菓子。

そして、このとっ散らかった部屋の中に、いったいいくらあるのかわからない借金の手がかりや、一体いくらもらえてるのかわからない年金の振り込まれている通帳があるはずだ。

とりあえず俺は、心配して様子を見に来た近所のかたに猫の餌を定期的にあげてもらえるようにお願いし、仏壇の横に突っ込まれた母や祖母の写真(あぁ、この人たちについても語るべきことはたくさんある。しかし、俺はもう母のことはほとんど覚えていない。というか、詳しく知らなかったんだ。ひでぇもんだ)と仏壇のなかの繰出位牌、阿弥陀様のご本尊と親鸞聖人、蓮如上人の掛け軸を家に持ち帰ることにした。

そこに、例の大家のおばはんが現れたんだ。

彼女は、父の容態を一応心配するようなことを言いつつも、こうなった以上は早く出て行ってほしいという雰囲気を全身から放射しまくっていた。

「服部さん、昨年中に出て行行くって約束だったので、もう私は三か月もお家賃いただいてませんの」

「知りませんよ、僕は別人格なんだから」

「今日も息子さんとアパートの契約に行くって言ってましたけど、どうなったのかご存じ」

「そんな話、今初めて聞きましたよ」

大家は思った通りという表情をして、「私もビジネスとしてこのアパートを持っているんですから、私がまだ元気なうちにこの部屋をリフォームして資産価値を維持したいと考えておりますの」

そりゃそうだろう。脱衣所の引き戸の扉枠は腐ってるし、洗濯機の前の床は根太が腐っているのかトランポリンみたいだ。親父に大家として金をとって貸しているってんなら、大家としてすぐに直すべきだと俺は思うぜ。ダンスは二人じゃないと踊れないように、ビジネスも相手がいないと成立しないんだからな。自分の都合だけで物を言ってもらっても困るぜ。

「まぁ、おっしゃることもごもっともの状況ですが、なにぶん急にこんなことになってしまったので、一月末までご容赦いただきたい。」

「…わかりました。」

「つきましては、お宅様から頂いた猫ですがお引き取り願えませんか」俺はダメもとで聞いてみた。

そうすると途端に上品ぶった慇懃無礼な態度が豹変した。

実はその猫は彼女の大きな田舎の資産家風な家の納屋で野良猫が産み落としたものだったんだが、彼女はそんなことは棚に上げて、その猫は決してじぶんが親父に押し付けたわけではなく、親父が寂しさを紛らわすために自発的にもらっていったものだとか、自分の家にも90歳の母親が一緒に住むことになって、そのわがままな婆さんの世話も大変なので、とてもじゃないが無理だとまくし立てた。

いるんだよ、人に無理難題を押し付けて身動きできないようにしてタコ殴りにして愉しむような人間性の歪んだ奴が。ビンゴ!ここにもいたぜ。

その話を聞きながら俺は、はるかむかし御幼少のみぎりに、ネズミ捕りにかかったネズミがキーキー鳴くのもお構いなしに、家の前の側溝の淀んだ水の中に、籠ごとネズミを沈めて殺していた、まだ若かった母の無表情で端正な顔を思い出していた。そうだよね、母さん。

「じゃぁ仕方ない。保健所で殺処分ですな。何なら僕がこの手で殺してもいい。猫の一匹くらい、ひねり殺してあなたの家に放り込んでおくくらい、僕には造作もないことですから」

大家は呆気に取られ多様な顔をして、早々に帰っていった。

俺は時折、狂ったようなことを言う。マッドマンセオリーなのか、本当に狂っているのか。それとも単に性根が悪党なのか。この年で誰かに好かれたいわけじゃない。悪党で十分さ。

2026/01/14

POST #1730 我が心の善くて悪を犯さぬにはあらぬなり

ずっと昔の名古屋駅西 あかひげ薬局 こんなセンスは今やアウトだな…嫌いじゃないぜ

承前

知らせを受けておっとり刀で向かった病院では、親父はHCUに入っていた。
一人しか立ち入ることが許されていなかったので、かみさんと子供は家で待っていたんじゃないかな。
で、そこで見た親父は、ひどいもんだった。
おそらく顔面から倒れこみ、そのままの姿勢で何時間も倒れていたので、顔面が鬱血して紫色にはれ上がっていた。
口元の固まった血が、もうすでに死んでいるかのような雰囲気を漂わせている。
1940年生まれの元気なだけが取り柄のこの老人には、死が近づているとしか思えなかった。
年貢の納め時ってやつか。
病院に付き添ってきてくれた近所の方は、今朝もラジオ体操を元気にやっていたという。ろうそくは消える前が一番明るくなるっていうアレだな。
挿管された管につながったパックの中には、横紋筋組織が溶けてしまったことで煮汁のような赤黒く濁った小便がたまっている。筋肉の赤みが溶けだしているんだからそんな色にもなるだろう。


これはもう、死ぬな。俺は思った。


万一助かっても、一人では生活できないだろうし、寝たきりになる可能性だってあるな。俺は思ったのさ。
やれやれ、いつかこんな時が来るって思っていたけれど、それが今日だったとはな。
前の日まで、家族旅行で世間様並みの楽しみを味わっていたというのに、人生は残酷だ。
今の状態で、ここにいてもできることはない。とっととと引き上げよう。
俺は家に帰ると、すぐに弟たちに連絡を取った。とはいえ、連絡されたほうもできることは何もない。俺たちは医者じゃないんだし、人が老いて死ぬのは自然の摂理だからだ。
問題は、親父の今までの生活にかかわることだ。

その前の年から、住んでるアパートを早く立ち退けと大家から言われていた。
俺は長年、親父とは距離をとって暮らしてきた。いちいちむかつくからだ。
しかし、2024年の春に叔母の一人に二十万円もの金を無心したと聞いて、これは不味いな、俺がコミットしないと、とんでもないことになるぜと確信したんだ。


俺の心が善良だから、俺が悪事をしないわけじゃない。
けど、今回は俺がやらなきゃならないだろうな。残念ながら。


俺の悪い予想は、いつだって当たる。いい予想は当たらない。今回も大当たりだった。
その連絡を受けて、俺はすぐ市役所に行き、高齢福祉課で様々な手続きをした。
民生委員さんにも巡回してもらえるように手配した。市営住宅や県営住宅にも応募した。
そして、何件かアパートを借りたいというので、何度か同行したりしたけれど、その都度収入証明がない、保証人がいない(そもそも俺は最初からアパートなんてはなっから反対だった)とかいうくだらない理由で、毎回話は流れていた。
そりゃそうだろう。俺が大家だったら、80超えたじいさんに家なんか貸さないよ。
大家は俺にも電話をかけてきて、くどくど文句を垂れ流した。

もともと親父は、若くして独立して、べらぼうに羽振りのいい時期もあったんだ。
商売っ気のない祖父を反面教師に、中卒で働いて高度経済成長の波に乗り、二十歳で土地を買い、程なく家を建て、弟や妹を学校に通わせた。
仕事の合間に見初めた女性が自分になびかないので、躍起になってアタックし、とうとう間に人を立ててねじ伏せるようにして結婚した。
それが俺の早逝した母だった。
けど、程なく釣った魚に餌はやらないというひどい男だということが明らかになった。
おしゃれな服を着て、化粧も整えた母が、玄関でブーツを履いたまま腰掛け、約束した時間に帰ってこない父を待ち続ける姿を覚えている。
洗面所で泣いていた母を覚えている。子どもだった俺は、母になぜ泣いてるの?と尋ね、母が歯が痛いからだと言ったか答えに納得していた。
子どもには言えない辛い思いをしたのだろう。
金遣いは荒く、使ってもまた稼げばいいという楽天的というかどんぶり勘定の男だった。女出入りも激しかったようだ。
しかし、どんな羽振りのいい奴でも、時代の流れには勝てない。
もう40年も前から、父の凋落は始まっていた。


まず、母が死んだ。
一時的に父の商売が傾いたために家計のためにとはじめた縫製の内職をしつつ、母は胃がんを患っていた。単なる腹痛だと思い、医者にもいかず薬売りのおじさんが売りに来る常備薬のなんだか胡散臭い緑色をした胃薬を飲んで、痛みを紛らわしていたんだ。
癌だと分かった時には、もう手術をしても当時の医学では完治は望めず、どこかに転移したらおしまいだった。案の定胃を全摘したあげく、全身に癌が転移して痩せおとえて死んだ。
母は病床に父が見舞いにくると、他の女の香りがすると嫌がり、早く部屋から出てほしいと言ったものだった。
俺は部活の帰り道、家から自転車で走ってきた弟から、母が死んだことを告げられた。

母の葬儀はお寺を借り切り行われたんだが、そりゃ盛大なものだった。家族葬なんでもんじゃない。
弔問1千人余りだった。
ずいぶん多くの人が弔問に来たものだが、白い和服を来て喪主として相対した自分には、誰も悲しんでこの場に来ているわけではないとわかっていた。

しばらくすると、派手な化粧の女が家に出入りするようになり、そのうちに消えていき、また違う女が現れるようになった。いろんな女がいた。バーのマダムみたいなのもいたし、ゴルフのキャディーをやっている女もいた。ゴルフ場で知り合ったんだろうよ。
大枚はたいて手に入れたゴルフの会員権は、いつの間にか価値が減り、二束三文になってしまった。
目先の利く同業者は、事業を整理し、負債を清算し、つましく暮らしてゆくことのできる道を選んだり、他のビジネスを始めたりした。
しかし、父は借金も財産のうちと方々から金を借り、生活を維持し、子供を学校にやり、自転車操業のように斜陽産業と化した自分の仕事にしがみついていたんだ。


いつの間にか、俺が暮らした家は借金のかたに取られ、今ではその敷地に二軒の家が建っている。
父は足の不自由な祖母(つまり、自分の継母)を連れて、自分の会社の二階に住み始めた。
長年父と二人三脚で父の会社の金庫番を務めていた叔母が病気になり、資金繰りは一挙に悪化した。
いつの間にか、父はどこで知り合ったのか、俺とさして年齢の違わない女性と、足の不自由な高齢の祖母と三人で、古い事務所の二階で暮らし始めた。
それが父が60くらいのころだろうか?お盛んなことだ。
きっと精力剤とか飲みまくていたに違いない。
祖母はその女性と気が合ったようで、しばしば一緒に酒を飲んで楽しんで暮らしていた。
しかし、その暮らしは長く続かなかった。
祖母は施設で暮らすようになり、父は他の資産家の女に心変わりした。
それが今、父の住んでるアパートの持ち主、大家さんというわけだ。
いつしか、固定資産税の滞納と借金の清算のために、家代わりに住んでいた会社社屋も人手に渡った。宿なしになった父は、橋の下に暮らしたわけでもなく、その資産家の未亡人の持つアパート一室に住み着いた。

やれやれ、こうやって思い返すだけでも気が滅入ってくるぜ。
失敗した人生という言葉が時折頭をよぎる。俺の親父の人生はまさしくそれだった。そしてそれはこの時点では、もういつ終わってもおかしくない、グランドフィナーレ間近という雲行きだったんだ。
次回に続く。悪夢のような人生ってのは、そう簡単に終わらないのさ。

2026/01/12

Post#1729 去年は正月早々ついてなかったんだ

2024年1月 飛騨古川から飛騨高山へ至る高山線の車窓から

今朝、起きたら雪が積もっていた。

雪を見るといろんなことを思い出す。生まれた日に静かに降っていた雪や、雪という名のあの忘れられない女性・・・(あー、宇宙戦艦ヤマトの森雪だと勝手に思っていてください。いろいろ詮索すると厄介なのでね。)

そして、一年前の正月に一人、雪に白く染まった飛騨古川の町を、寒さに凍えながら歩いたあの日を思い出す。

去年の一月、正月休みに飛騨高山まで家族で一泊旅行した時だ。

飛騨高山、風情のある小さな町だ。電車好きな息子がJR東海のハイブリッド特急HC85に乗りたいってんで、高山に行ったんだ。

高山は小さな町だ。子供と一緒に街をぶらついても知れている。それに思ったほど雪も積もっていなかったしな。で、バスに乗って隣町の飛騨古川まで行ったんだ。

女房子供は少し人気のない街を歩いただけで、寒さに音を上げて帰ってしまった。

仕方ない。俺は一人で白い息を吐きながら雪を踏みしめながら、写真を撮って歩き続けた。

デジタルだ。ボタン一つでせっかく撮った写真が消えてしまうデジタルは使わないと豪語していたセバスチャン・サルガドだって、晩年の大作Amazoniaはちゃっかりデジタルだった。

下々の俺がSONYのコンデジで写真を撮ってても、おかしくないだろう。フィルムが高くて子供の教育費やらローンやらで汲々としている俺には、フィルムはCoCo壱番屋なんだ。

飛騨古川 2025 01 
そんな俺の横を、女房子供の乗ったバスは通り過ぎて行った。OK、君たちは快適なホテルの部屋の中でまったりリラックスしてくれ。俺はいつだって向かい風の中吹きっさらしなのさ。
で、一通り町をうろつき回り、電車に乗って高山に戻っても、一人凍てつく寒さの中、写真を撮って歩いた。
飛騨高山

あまりの寒さに、観光客の一人も歩いていない。日が暮れると古風な街並みの商家はすぐにしまってしまうからな。どんとこいだ。何時間もそうして歩き続け、腹も減ったので俺はホテルに戻り、女房子供と合流したんだ。
そして次の日には宮川沿いの朝市に行ったり、息子と一緒にスタンプラリーをして歩き回ったりして、夕方にはなんとかその景品の湯の花なんかもらって帰途についたのさ。
飛騨高山 宮川
こうしてささやかな家族旅行を楽しんだ小市民のもとに、一夜明けた1月5日、一人で暮らしている父親が救急搬送され入院したという知らせがもたらされたんだ。
インフルエンザのくせに、朝、ラジオ体操にいき、そのあと筋肉の成分が血液中に溶け出す横紋筋融解症という症状を起こし、廊下で何時間もぶっ倒れていたのが見つかり、救急搬送されたのだという。そう、庄六じいさんが死に、俺が生まれた市民病院へ。

それが、2025年のけちのつけはじめだった。
やれやれ、人間そこそこの年になると、こんな目に合うものさ。君たちもまだなら楽しみにしておくんだな。楽しいときは続かないが、憂鬱な話は続くったら続く。