2011/04/18

Post #157 Interlude

今日は急遽、仕事に出撃しなければならなくなったので、ごくあっさりと。

今回の旅行で触れ合った、世界の人々からは、口々に今回の災害について訊ねられた。あなた方は、こんなところに旅行に来ているけれど、大丈夫だったのか?とね。日本を応援しようというポスターや募金箱も限りなく目にした。俺達は世界とつながっている。そして、今回の災害が、単に日本の東北地方だけの問題ではなく、世界中の、人類全体の問題だということがわかる。もちろん、未だ誰もその回答を持っているわけではないがね。
Osaka
多くの知人と話していて、よく耳にするのは、『これからの日本は、いったいどうなってしまうんだろうか』という言葉だ。その言葉には、不安の色が濃い。確かに俺たちは未曽有の災害に直面し、それでなくても社会は少子高齢化によって、活力が失われている。
俺の連れ合いなどは、『日本から逃げ出して、地震のない国に移住したい』とまで言っている始末だ。
それもいいかもしれないが、俺は今回の災害で、日本は大きく変わっていかざるを得ないと思う。政治も、社会も、文化も、人々の考え方も、何もかもが。

こういっちゃ何だけれど、俺にはすごく楽しみだ。

もちろん、ある朝目が覚めたらなんてカンジで、一挙には変わらないだろう。何年も、何十年もかかるかもしれない。しかし、必ず変わるだろう。どう変わってゆくかはまだはっきり見えてはこないけれど、俺自身は、日本がこれからどう変わっていくのか、自分のこの目で確かめたい。肌で感じていたい。出来ることなら、俺の生きているうちに、変わった日本を見てみたいし、世界の人々にもそれは大きな指針になってゆくと思うぜ。
諦めない限り、希望はあるだろう。

Ok、そろそろ出発の時間だ。男の仕事が俺を呼んでいるのさ。
読者諸君、また会おう。俺は夜通し働いているはずだ。

Post #156 Provoke #3

ふふふ、読者諸君。俺は昨日の夜から今日の夕方まで、みっちりと働いてしまった。連れ合いには、あんたってガメツイ男ねとうんざりされてしまったぜ。ついでに、仕事仲間のゲイが、やたらと朝からハイテンションで、今朝、一緒に現場へと向かう車の中、一睡もさせてくれなかったために、つまらぬ諍いになってしまったくらいだ。
実につまらぬ諍いだ。
久々に俺に会ったゲイの彼は、なんだかテンションが上がっている。ほとんどシャブ食ったような状態だ。現場に向かう車の中では、ずっとはしゃぎっぱなしで高速道路をすっ飛ばし、俺は眠るどころの騒ぎじゃなかった。ほとんど、脳内麻薬でまくりの彼の運転で、高速道路で帰らぬ人となる運命だと思ったほどだ。予想では、帰りの車の中でも、きっとハイテンションでくっちゃべって、俺を寝かせてくれないだろうな。しかしだ、今日の夕方まで仕事をした時点で、すでに俺自身はとっくに体力の限界を迎えていたんだ。少しでも眠りたいという生理的な要求に突き動かされた俺が、『あんたには悪いけれど、俺は眠りたいから電車で帰るぜ』と言うと、相手は、なんて失礼なと怒る。双方、くだらない応酬をひとしきりした挙句、俺は『あんたの運転する車でぐっすり眠ったとして、目が覚めたら、ラブホテルの一室に連れ込まれて、オカマ掘られてたなんてのは御免だぜ!』と啖呵を切っていたんだ。
かなり険悪になって、お互いにもう二度と一緒に仕事しないとまで言うほど緊迫した事態になっちまったんだが、今考えると、ヒジョーにおかしー。幸い、和解が成立して俺は無事に帰ってきたんだが、なんで諍いになったのかも、正直よくわからないくらいだ。
まぁ、人間、眠っていないと、イライラとしてよくないもんだ。

さて、そんなことで、今日の更新は日付変更線を越えてしまうことになる。カンケーねぇか、そんなこと。地球がくるりと回っただけの話だ。気にするほどじゃないか。

よし、今日は例の消耗品軍団へ第3弾をお見舞いするぜ。覚悟も本気も無しにテキトーなこと言いやがったら、俺は容赦しないんだ。ここまで来たら論破なんかじゃない、殲滅だ。
もう一度、彼のコメントをここに引用しておこう。
『福島原発行って、モグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしいな
五感に訴える何かがたんねーな
あと写真に色つけもほしいな~ 全部同じものに見えちまうよ
魂の乗ったエクスペンダブル・フォトグラファーになれるよう努力が必用(原文ママ)
一般的な人間には写真も文章も??ですよ』

以上の異様に人を舐めきった文章のうち、“福島原発行って云々”の件は、昨日のPROVOKE #2にて、対応させてもらったぜ。正直言って、五感にクソが詰まったような手合いには、どんな写真も訴えかけてはこないだろう。もっとも、写真は視覚にしかかかわらないが。写真を見て、音が聞こえたり、においや味を感じたりしたら、比喩としてはおもしれーが、本気で言ってたら、シャブ中か共感覚者のどちらかだろう。
また、“魂の乗ったエクスペンダブル・フォトグラファー云々”の件に関しては、先日のUnexpendable photographにて言及したとおりだ。消耗してんのは、彼の魂だか精神のほうじゃないのかね?
“一般的な人間には写真も文章も??ですよ”に関しても、PROVOKE #1にて、俺の姿勢は表明しておいた。一般的なモノがいいんなら、正直言って、俺のところなんかに来ることないんじゃないですか?といいたいが、自分自身は、ストリート・フォトグラファーちゅうのは、リアルな世界そのものと対峙するスゲーカッコいい存在だと思っているので、俺からするとこれこそ写真の王道で背骨で、アルファにしてオメガだと考えているんだ。まぁ、百万言費やしても、分からん奴には、きっと死ぬまでわからんもんさ。かまやしねぇが、ちょっかいかけるのは目障りだ。

今日は、モノクロ写真に関して論じてみよう。
これはもちろん、消耗品軍団のコメントの中の、“あと写真に色つけもほしいな~ 全部同じものに見えちまうよ”に焦点を当てたものだ。もちろん、これは俺とモノクロ写真という極めて限定された話しだ。Are You Ready?

まずたとえ話をしよう。君はなじみのうどん屋でうどんをつるつる食っていたとする。そこに、ふいと一見さんが入ってきて、うどん屋のオヤジに、ラーメンを注文するんだ。オヤジは、うちはうどん屋なんで、ラーメンはおいてないっていうんだが、このお客、ぱらぱらとメニューを見ては、『全くシケタ店だなぁ。トンコツや激辛台湾ラーメンだのはないのかよ、背油たっぷりと浮いたような奴はないのかよ?タヌキだ、キツネだ、月見だって?どれも同じ味だろう』と、無体なことを抜かしやがる。
オヤジは、うちはうどん屋だからあるわけないって言っても、このお客、うだうだとこんな味のしないようなうどん喰いもんじゃねぇって態度だ。酷いな。食文化の違いを考慮していないのかよ、この馬鹿野郎は。君は傍で見ていて、イライラしたりするのさ。

Fukuoka
ラーメンが喰いたいやつは、うどん屋に行く必要はない。素直にラーメン屋に行けばよいのだ。
俺は、モノクロうどんのオヤジで、たまに定食で色のついたもんも出してみるが、あくまでそこはモノクロうどん、お品書きの主力はうどんかそばだ。まぁ、蛇足ながら名古屋人の俺にはきしめんも味噌煮込みうどんも捨てがたいが。まぁ、この辺は中判とかの味わいか。
うちの3軒隣には、銀塩ラーメンもある。あそこのオヤジは、昔馴染みで気心知れてら。合成調味料ですっかり麻痺しきったあんたの舌に合わないようなら、そこの角には、今風のスープのデジタルラーメンがある。うちのうどんに不服なら、そっちに行っておくんなさいってなもんだ。

30を過ぎたころ写真をはじめた。世紀末は目前だった。俺のすんでいる小さな郊外の街でも、昭和の香りが漂うような路地や横丁、古い家並みなんかがいつの間にか壊されてゆき、ふと気が付くとコンビニや駐車場になっていった。俺は、積極的にではないが、そんな景色を見かけると、惜しむように写真に撮っていった。
写真をはじめて何年かした頃に、森山大道を知り、意外なほどに自分の写真が、森山大道の写真の系統につながっていることを知って驚いた。また、彼の『犬の記憶』を読み、写真に関して同じような考えを俺も持っているなと気が付いた。もう10年近く前のことだ。何処がどうってのは、この際バッサリ割愛する。

当時俺は、リバーサル・フィルムそれもKODAKのE100VSという彩度の高い、異様にケバイ仕上がりのフィルムを常用していたんだ。夕焼けの空は燃えるように赤々と写り、木々は目にも鮮やかな緑色だった。ISO100の感度しかないにもかかわらず、積極果敢に夜の街を撮影すると、光は流れ、人物は歪んだ。写真によって、俺が見ている世界はこんなにも変容するのかと、驚いた。
HomeTownずいぶん昔さ
当時の客先のおじさんが、たまたま俺の写真を目にして、『お前さんは自分でプリントとかしないのか?』と聞いてきたりした。当時はまだ、自家プリントなんて、想定外だった。していないと答えると、おじさんは『それじゃ、写真の楽しみは半減だぞ…』といって残念がっていたっけ。今ならそれはよくわかる。半減どころか、撮影とプリントは、写真術(あくまで昔ながらの写真の技術だ。昭和の香りだ)という車の両輪なのだ。しかし、当時はわかりっこない。なんでも自分でやってみるまではわからないものだ。それに引伸機だって、かなり高価で且つまた場所ふさぎなもんだからな。当時の俺には考えもつかなかったぜ。
森山大道を知ったのは、そんな頃だ。しばらくの間は、モノクロで写真をとれば、森山大道の真似っぽくなってしまうと思い、あくまでもカラーにこだわっていた。実際には、真似ったって、そんなに簡単なもんじゃないんだけどね。
しかしある年の春、愛用していたCONTAX T3が故障したんだ。こいつは70周年記念モデルのブラックボディというマニア受けしそうなやつなんだが、長年の使用で焼き付け塗装には手ずれ、角は色落ち、70周年の記念ロゴの入った正面のパネルは、なんかでぶつけて、えくぼができている。この愛機を修理に出すのはイイ。しかし、その間カメラがないと困るんだよな。
そこで、修理に出す間のサブ機として、ほとんど未使用のT3をもう一台購入した。今度はDate付だ。もちろんブラックだ。
ほぼ同時期に、俺は母方のおじいさんの3回忌の席で、親戚のおじさんから古い引伸機を譲り受けたんだ。俺は薬品を買い揃え、印画紙を買い込んで、プリントという無限地獄に踏み込んでいったんだ。
こうして、T3が修理から上がってきた時から、俺は常に2台のT3をベルトにぶら下げて出撃するようになった。一台はモノクロ、一台はカラーリバーサルで。
友人からモノクロプリントの手ほどきを受けると、プリントの面白さにはまっていった。

何が面白いんだって?
Paris
やってみればわかるよ。
あの現像液の中に印画紙を入れて、画像がジワリと浮かんでくる瞬間のドキドキ。モノクロ印画紙ならではの粒子感。そして、デジタルと違って、わずかな温度や露光時間の違いによって、決して全く同じものが出来ないという不便な面白さ。
真っ暗にした部屋で、赤いライトを点けて、プリントしている時の奇妙な安心感というか充足感。あれはどこか性的なイメージが喚起されるとともに、母胎の中にいるような気分になる。
俺は写真を撮るときに、対峙する世界を自分の足と目とカメラを使って、自分の中に繰り込んでゆき、プリントすることで、自分の中にしっかりと定着させる。

そして、カラーの世界をモノクロで捉えることで、あくまで個別の現実が、一旦色情報を剥ぎ取り、抽象化することで、何かしら普遍性を持ったものに転化するような感覚がある。

読者諸君、悪いけれどこんなわけで俺はモノクロにこだわっている。全部同じに見えるような手合いは、どうぞ余所に行ってくれて構わないぜ。
いや、その前に眼科医に診てもらう方がいいだろう。なんなら、俺の高校の同級生の眼科医、野村君を紹介してやろうか?なかなか面倒見のいいお医者さんだぜ。
俺は俺の道を行くぜ、外野が何を言ったって、構うもんか。そろそろ今夜はおねむになってきたから、この辺で切り上げさせてもらうぜ。
読者諸君、また会おう。夜明けは近い。

2011/04/16

Post #155 Provoke #2

パリのポンピドゥー・センターは、石造りの街並みの中に突如として出現する、巨大な化学プラントのような外観の巨大な現代美術の殿堂だ。剥き出しの配管とガラスで構成されたファサードは、計画段階から賛否両論で、パリの景観にはそぐわないと批判され1977年に完成したのちも、人々からは「この建物はいつ完成するのか?」と尋ねられることもしばしばだったらしい。日本で言ったら、京都駅みたいなカンジだろう。
Paris
しかし、近年では、『リサとガスパール』のリサがその外部に張り巡らされた配管の中に住んでいるという設定になっているし、何時いってもポンピドゥー・センターの前に広がる緩やかに傾斜した石畳の広場はパリ市民のみならず、世界中から集まった人々の憩いの場になっている。大道芸人がいたり、エレキギターを小さなVOXアンプに繋いで、路上セッションしている若者もいる。そのすぐ横で、子供がサッカーしていたりする。カップルがのんびり座ったりしている。賑やかなんだ。祝祭的な空間なんだよ。いいもんだぜ。
だから、俺はパリに行くと、必ず一度は足を運んでみる事にしている。

大抵いつも、バスティーユのあたりから、西へ向かい、路地を覗きながらたどり着く。今回、行ってみると、正面ファサードには、巨大なジョルジュ・ポンピドゥーのタペストリーがかかっていた。そこには彼の言葉として、次のように記されていた。


『芸術は議論されなくてはならない。
 挑戦しなければならない。
 抗議しなければならない。』

さすがは、フランス人だ。大統領にして、この発言だ。俺は芸術ちゅうもんの苛烈さを想い、本当に泣けてくる。

俺がこのポンピドゥー・センターに行くのは、ここにはとても充実したアート専門の書店が併設されているからだ。もちろん、日本で買えるものも多い。それどころか、近年ではアマゾンを使えば、大抵の洋書は手に入る。しかし、それだけじゃつまらないだろう。
残念ながら、今回はここでそんな凄い買い物をしたわけじゃない。しかし、俺の大好きなウィリアム・クラインのちいさな写真集を2冊買ったんだ。
そう、ウィリアム・クラインだ。
戦後の写真は、ロバート・フランクとウィリアム・クラインによって新たな時代を迎えたといっても過言ではないと思う。特に、俺にとっては、ウィリアム・クラインだ。彼が28歳の1956年に発表した『New York』は、それまで写真の常識の全てを覆した。
全編モノクロのその写真集は、1950年代のニューヨークの生々しさを今に伝える、素晴らしい写真集だ。現在では絶版で手に入りにくく、俺が持っているのは、その縮刷版的なerrata editions刊『Life is Good & Good for You in New York』だ。これは写真集自体をスキャンして作ったもので、見にくいとか、プリントの美しさとかを損なっているとか、批判も多い。しかし、構うもんか。手に入らないんだからな、これでも充分さ。グッとくる。
荒れた粒子、ハイコントラストの荒々しいプリント、 ピンボケした人物、暗がりの中でブレて流れる人影、ネオン輝く夜景、ノーファインダー、逆光の光の中で、光と影に熔解してゆく街路。
そして何よりも、そこに写されているのは、特別な人々ではなく、市井の人々のまったく任意な瞬間であり、これといって特別でも、決定的でもない、何らのニュース性もない、日常的なシーケンスというところが、最高だ。野球観戦に講じる人々、道行く老婦人、遊びまわる子供、地下鉄の車内、つるされたツナギの下着、ショーウィンドウ、壁の落書きetc...。
サイコーだ。自分が、あくまで私淑の域を出ないが、ウィリアム・クラインの系譜につながる者の一人だと確信する。
Centre Pompidu,Paris

俺は、カメラを手にして、気の向くままに写真を撮っていく中で、はじめは中判写真で、ジッツォの三脚を立てて、人がいなくなるまで待っていたんだ。自分のイメージに忠実に、その瞬間が来るまで、辛抱強くレリーズを握って、タイミングを待っていた。二度とは訪れることのないかもしれない風景の中に、その辺のおばはんとかが写り込んでいたら、嫌だったんだ。
しかし、だんだんと、それでは飽き足らなくなっていった。写真が嘘っぽいのだ。ライブ感がないのだ。ロックンロールなカンジがしないのだ。俺は三脚を使うのを止めた。中判から一眼へ、一眼からレンジファインダーへ、レンジファインダーから、コンパクトカメラへ。カメラはどんどん小さくなっていった。出来ることなら、肉眼レフがいいくらいだ。この目の中にカメラが入っていたなら。瞬くごとに写真が撮れていくのなら。そして、自分が生きて、歩き、目にする、どうでもいいようなシーケンスを、次々と写真に収めることができたなら…。俺はそんな写真を夢想する。俺の生の総体が、俺の見た経験した生々しい世界そのものが、記録されるような写真を夢想する。

世間の皆様の写真に対する考え方はどんなものか、実は俺にはよくわからない。
戦場や悲惨な災害の現場に果敢に乗り込み、報道したり、あるいは世の人々に悲惨な現実を告発したり、警鐘を鳴らしたりするものもある。それを決して否定しない。しかし、俺の道は違う。確かに、ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』や『ノルマンディー上陸作戦』の写真は、身震いするほどの迫力をもつ写真だ。
或いは、美しいモデルに、優秀なスタイリスト、計算されたライティング、多大な経費を投じて用意されたセットで、撮影された美しい写真もある。
しかし、篠山紀信もかつて、アメリカの死の谷で衝撃的なヌードを撮った後、このままではいつかは月面に行ってヌードを撮る羽目になると思い、方向性を転換したの有名な話だ。人間の欲望にはきりがないからだ。より、多くの刺激を求める。戦場写真においても、報道写真においてもそれは同じことだろう。よりショッキングな写真を、より強烈な印象の写真を。

昨日も取り上げた消耗品軍団なる人物から寄せられたコメントに『福島原発に行ってモグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしーな』という一節があった。この時期に不謹慎だというのは一旦脇に置くとしても、この発言は、この辺のことに関わることと思う。
俺にはそんな必要はない。それは、サッカー選手に野球をしろというようなもんだ。それは、報道写真のかたにお任せしよう。どうしても、そんな絵が欲しければ、TVをつければいいのさ。TVに写った映像を、自分のフィルムに収めてしまえばいい。そんなことは大昔に、森山大道がすでにやっている。それもまた写真だ。それに、そんなものにしか、気迫を感じることができないのは、その消耗品軍団なる人物の感性は、過剰な情報にされられ、マヒしてしまっており、より刺激的なものにしか反応しなくなっているのではないのかね?おもえば、かわいそーなことだ。舌の荒れた人には、料理の微妙な味わいはわからない。セックス中毒の人間が、より過激で過剰なプレイへと突き進み、はたから見るとおぞましい変態行為にしか快楽を見いだせないのと同じようなものだ。
Centre Pompidu,Paris
写真の味わい方は人それぞれだと思うけれど、写真を消耗品のように味わっていては、写真のしみじみとしたよさなんてわからないと思うぜ。
しっかりと眺め、目に焼き付け、そして、目を閉じる。そして、あたかも、自分がその写真を撮った人物の位置に立っていることを想像する。写真なんて、所詮は、レンズの前に広がっている空間を円錐形に切り取り、さらにそれを四角くトリミングしただけのものにすぎないんだから。それを味わうのは、見る人間のイマジネーションが必要なんだ。そう、想像してみよう。君の前にある写真の中の、光を、風を、人間のぬくもりを、一枚の写真が、どれほど豊かな世界を秘めているのか、写真の中にダイブするようにして感じてみよう。
なんで無い風景が、リアリティーを持って、自分の内側に繰り込まれてくるだろう。

自分の身の回りにあるモノを、出来事を、接する人々を、その手触りを確かめるように写真に撮る。それによって、俺の中には、この世界が繰り込まれてくる。自分な中の世界が広がる。そして、その世界を、他人にも味わってほしいものだと、いつも思う。それは決して美しいばかりではないだろう。みだらなものもある、醜いものもある。面白いものもある、つまらないものもある。そして、美しいものもある。暴力的でノイジーであると同時に、美しく繊細な、まるで壮大なロックンロールのようなこの世界。

今日の締めの言葉として、戦前の日本で活躍した道楽写真家安井仲治の言葉を引用しておこう。

『(前略)卓上一個の果物を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も「道」において変わりはないのであります。従って本当の「道」といものについて実践しようとすれば、果物を写すのも、戦場に出て写すのも同じ覚悟でなければならぬ。そういう写真家が天下に何名かは出なければならぬのであります。』
(一部、旧字体を改めた)

読者諸君、ここ何日か理屈っぽくなってスマン。もう少し付き合ってくれないか?これは大事なことなんだ。