2011/05/18

Post #186 On The Road #2

今日も車を飛ばして走り回った。西へ西へと。
このまま走り続けていけば、リスボンまで行きそうな勢いだ。
しかし、当然ながらどこまで走っても、ココからはリスボンになんて辿り着きゃしない。そう、この国は島国なんだ。どこまで行っても、結局は海にぶつかってしまう。袋小路のブラ小路だ。
さすがの自民党の面々も、その長期政権の期間中、一度たりとも海を越えて大陸につながる巨大な橋を建設しようとは思わなかっただろう。奴らにできたことといえば、自分の選挙区に海峡をまたぐ巨大な橋を架け、だれも乗らない空港を築き、人外境の深い山々にトンネルを穿ち、高速道路をひっぱて来ることぐらいだ。あと、原発ね。どれも、それでホントーに俺たちの幸せ繋がったのかは定かではない。その評価は、これからの歴史がケリをつけてくれることだろう。楽しみなこった。
そう、そんなわけで、この国からは逃げ場所なんかない。この国に絶望しても、放射能にやられた国土からモーゼに率いられた流浪の民のようにザイオンを目指すこともできない。あぁ、モーゼなら玄界灘を断ち割って、俺たちを朝鮮半島くらいには連れて行けたかもしれないな。
ふふふ…、しかし、この国に生まれた人々の多くは、ココが世界で最も幸せな国であると信じているんだ。だから、ザイオンを目指して流浪することはない。しかし、この狭い国土に、原子力発電所が犇めき、現に放射能をガンガンまき散らしている。本当はどうなっているのか、どこが危険でどこが安全なのか、誰にも分からない。いやぁ~、まいったなぁ。苦笑いして頭を掻くくらいしか出来ないぜ。どうしてこんなになっちゃったのかねぇ?
Amsterdam
俺のマシーンはなれない道を一本たがえ、夜の歓楽街に突っ込んでしまった。なんてメーワクな車だ。ネオンの下に群がる酔っ払った男たちと、その懐を狙う女たち。俺は奴らをまとめて轢き殺しそうだ。ボーリングじゃないんだぜ、頼むぜ。どいてくれないか?
車の窓から見るそれは、どうにも滑稽で、どこか物悲しい。
その男たちも女たちも、誰一人として、自分の思い描いていた人生を生きていないように感じてしまうのさ、なぜだかね。どうしてかな?強いて理由をつけてみれば、そこは本音や本気のないお遊戯の世界だからかな。酔っ払って、わけのわからないことをしでかしたり、喋り続ける男たち、適当に聞き流し、愛想笑いを浮かべ、男たちにさらに金を使わせようとする女たち。

キヨシローの歌にもあった。

♪心も体もお金で売ってる 誰もが
 大人になってみれば 実はみんながそんなことしてる
 だってそれが この世界の仕組みだから
 そうしていつか 疲れ果てて 死んでいくのさ

 でもイイじゃない 人類って それしかできないんだもん
 しょうがないじゃない 人類って すごく弱い動物だもん

 愛が欲しいなんて ただの口癖
( Ruffy Tuffy 口癖)

あぁ、そうなんだよな。まさにそんな感じの光景なんだと気付くんだ。それはそれで、イイんだぜ、全然。俺もついふらふらと一杯行ってしまいそうになる。だけど、それがなんになるのさ?って車の窓から見れば、冷めた目で見えてくる。やはり、一日中走り回ったマシーンの煮えたぎったエンジンのように、本気で、迸るように生きていたいのさ。そこには、生ぬるい空気が流れてる。蕩児になろうとしても、内に秘めた倫理のおかげで蕩児になりきれない自分に、偽善臭さと狭量さを感じて、少しうんざりもするんだがね。

こんな事を書き散らすなんて、きっと俺は疲れているんだ。グデグデだ。もうギリギリだ。なのに仕事のオファーは次から次に入ってくる。もう6月も休みが取れないくらいに仕事が詰まってしまった。俺の本当の人生は、いったいぜんたい何処にあるんだ?これがそうなのか?きっとそうだろう、受け入れようぜ。そうして、フルスロットルで毎日を踏ん張るんだ。
俺は、心も体もお金でやり取りされない、本気の世界を探してる。今はまだその途上だ。少年の日、オフクロが死んだ日から、ずっと探してる。けどまだ見つからない。きっとそこでは、生ぬるいアイドルの歌なんて流れちゃいないだろう、ギリギリと心を締め付けるようなビートが流れ、吹き上げるようなシャウトが響いているだろう。
だが、そんなイノセントワールドは、この地球上にはどこにもないのかもしれない。
かつては、神秘に満ちていた道の大陸には貧乏な人々が淋しい目をして腹を空かせて、いさかっている。精霊の住む森は、すっかり切り払われ、トイレットペーパーにされちまった。そして母なる海は、放射能まみれだ。
天国のお母さん、こんな世界で走り回り、グデグデのクタクタになっている俺は、あなたからはいったいどう見えているのですか?もうあなたの顔も思い出せない俺に、教えてほしいものです。
俺は時折、食料も空気も何もかも必要としない体を手に入れ、孤独に宇宙を彷徨う、いや、虚空に浮かぶ自分の姿を思い浮かべるんだ。そう、鉱物のように、堅固に半永久的に存在するのさ。それはきっと、孤独を感じてる場合じゃない。峻烈なほどに孤独に存在しているんだ。そして、その孤独の境地から、読者の皆様に、ブログを日々書き送ろう。そんなシャブ喰ったようなヴィジョンを、月に一度は思い浮かべるんだ。そうさ、俺の頭の上に、宇宙服を着こんだ俺が浮かんでいるんだ。こんなんじゃ、ホリエモンや内田裕也みたいに豚箱行きになる前に、精神病院に入れられちまうだろうよ!それもまた一興ではあるがね。

Amsterdam きっとこいつは人類よりタフだ。この足を見てみろ
しかし、そんな世界じゃ写真なんか撮れないな。仕方ない、天体写真でも撮るとするか。きっと素晴らしい馬の首星雲だか馬の骨星雲だかが撮れることだろう。ふふふ…、みんな楽しみにしていてくれよ。

結局、お金で買えるものはたかが知れている。しかし、ソウルパワーは、決して金では買えないんだ。俺はそう信じてる。ロックンロールを信じているように信じているんだ。日本人が、結局は天皇を信じているくらい信じている。ほとんど信仰といっていい。そういえばかつて、俺が不良少年だったころ、ブルーハーツのヒロトは『戦闘機が、買えるくらいのはした金などいらない』と歌っていたっけ。

読者の諸君、失礼する。明日は南へ戦線拡大なんだ。今日の仕事をまとめておかなけりゃならないし、何より俺には睡眠が必要なのさ。また、会おう。失礼するぜ。

2011/05/16

Post #185 On The Road #1

俺は高速をブッ飛ばして、男の仕事のフィールドを渡り歩いた。
今日は仕込みだ、偵察だ。尻拭き仕事とはいえ、あまりにずさんな有様に、俺は愕然としたぜ。こんな手抜きの仕事で金をもらっていやがったのか、奴ら。これじゃ詐欺だ、泥棒だ。お客の事を第一に考えないような奴らは、早晩市場から退場を余儀なくされるだろう。
おかげで、俺にしわ寄せが来ちまった。もう五月は一日だって休んでいられないぜ。
糞っ!俺にはプリントしなけりゃならないネガが山盛りだってのに!このままじゃ、ダイヤモンドの原石が、ついに磨かれることなく、石炭のように黒ずんで、やがては干からびてしまうだろう。そう、俺にとってはネガはダイヤモンドの原石で、それを磨き上げるのがプリントなんだ。こんな他人の仕事の尻拭きをしてるような暇は、どう考えてもないだろう?
Amsterdam ママとお買いものかい?
世の中には、仕事よりも大切な事があるのは、厳然とした事実だ。
俺にとっては、それはズバリ道楽だ。

人生という長い道のりを楽しむためには、道楽は手放せないぜ。俺はジジイになっても、ロックンロールを口ずさみながら、写真を好きにとっていくんだ。その毎日こそが俺のOn The Roadなんだぜ。
どうだい、内田裕也みたいな感じでイカすだろう。いつか、女がらみで事件をおこしそうなノリだな。しかし、幸い俺は若い女の子にはさっぱり人気がない。昨日も、結婚式の2次会に行ったら、まるで、マンガに出てくるヒットマンみたいで、野郎どもには大うけ、御嬢さんたちにはさっぱりすっかり敬遠されていたぜ。
みんなマジで、目もあわさない。
おっぱいパブやキャバクラの客引きのアンちゃんたちですら、俺の方は見ないくらいだ。
寂しすぎる。
仕方ない、いつものモジャモジャ頭に、グレンチェックのタイトなスーツ、シャツはピタピタの紫。靴はパイソン柄のピンクで尖ったデザインで、悠然と肩で風をきって夜の街をのし歩くんだからな。そりゃ、堅気の衆には見えないよね。しかし、俺は君たちだけは、本当の俺を知っているとわかっているから、世間にどう見られようと、その辺の小娘にドン引きされようと、気にしないぜ、屁でもないさ。
Amsterdam 木蓮の下で、いい女がタバコを吹かしてるぜ
しかし、ごまかした仕事しかできないような輩には、仕事以上に大切なものなど、手掛けることは許されないだろうし、そもそも、そんなものが自分の人生にあるんだという可能性すら、思い至ることはないだろう。ただ、本能の要求に従って、地を這う虫のように生きるのが関の山だ。水が低いと心に流れていくように、ダラダラと楽な方へ楽な方へと自分を追いやってしまうのだ。

まったくなんてこった!そいつらは、自分自身の中に、とてつもない可能性が、未だ発見されていないウランやダイヤモンドの鉱脈のように眠っていることを、ついに知ることなくその儚い人生を無駄遣いしてしまうのだろうか。
ふふふ…、おもえばそれは哀れなことだ。今、目の前のことに真剣に取り組まないような奴は、自分の人生をどぶに捨てているような奴だぜ。俺の読者には、そんなくだらない奴は一人だっていないことだろう。何といっても、俺のブログを読んでくれているんだからな。俺は君たちとの間に、そう、魂のつながりを感じるぜ。

あぁ、高速の周囲の山々には、野生の藤が鮮やかにして可憐な花を咲かせているぜ。俺は、心地よい春風に吹かれ、野山にひっそりと咲き誇る藤でも見ていたいのに…。なんだか悲しい旅なのさ。

読者諸君、今日は俺の愚痴に突き合わせてスマン!
しかし、男一匹生きていると、たまには愚痴の一つもこぼしたくなる夜があるんだぜ。いつも辛抱強く聞いてくれている連れ合いは、今はいない、俺は旅の空なんだ。しかも、晩飯はコンビニ弁当っていうくらいの侘しさだ。この狭い部屋には、青じそドレッシングの、つんと鼻をつくにおいが充満しているのさ。
それでは諸君、失礼する。明日も飛ばして行くぜ!人生はのんびりしている暇もないってカンジだ。これでドバドバ儲かりゃ文句ないんだけどな…。

2011/05/15

Post #184 Photographica #7

暇だ暇だとぼやいているうちに、やばいことになってきたぜ。そう、仕事だ。仕事の波がやってきちまった。明日からは怒涛の勢いだ。関西方面死のロードだ。毎日車を転がして、見知らぬ街から街へ走り回るのさ。
ごまかした仕事しかできない奴の尻拭きをしに、俺は出かけるのさ。体調もいまいちだと言うのに、ご苦労なこった。しかも、今夜は友人の結婚式の二次会に出なきゃならないようなんだが、これがルーズな奴らの集まりで、未だに場所もはっきり分からねぇと来た。ルーズにもほどがあるってもんだ。お、電話がかかってきたぜ。なにぃ、昨日の場所が違っていた?OK、分かったぜ。19:30だな。急いでブログを作って、明日の仕事の段取りをしないとな…。

さてと、閑話休題だ。

Kabukicho,Tokyo
俺が自分で、写真の個展を開くなら、参考にしたいスタイルがあるんだ。一つは中平卓真が1971年10月10日から16日まで、パリ国際ビエンナーレで行った『サーキュレーション』。中平は連日パリの街で撮影を行い、即現像したプリントを次々と展示していった。今でいう、インスタレーションに近いものだと言えるだろう。

もう一つは、1974年に、東京のシミズで画廊で行われた渡辺克巳写真展『初覗夜大伏魔殿』だ。
この写真展を企画したのは当時カメラ毎日編集部員だった、故・西井一夫だった。西井さんの遺著『20世紀写真論・終章』(青弓社刊)にそのあたりの事を記した件がある。引用してみよう。

『…前略…ナベちゃんの写真をベニヤ板に張り、そのベニヤ板を画廊の床に敷き詰め、壁にも一面写真をくまなく張り巡らし、ついでに、夜の新宿で拾ってきた映画の看板とか、キャバレーのホステスの衣装とかポスターとかも貼り付けて部屋中写真と新宿のごみ箱のようなギトギトにしちゃおうと企画した。ナベちゃんが新宿でしているのと同じ体験を見に来た人にもしてもらおうと、会場では来た人のポートレイト写真を撮り、翌日には会場に展示する、という試みもやり、後日来て自分の写真が気に入った人には代金引き換えに写真を売る、という商売にもした。』
その西井一夫も、渡辺克巳も、とっくにこの世にはいない。


渡辺克巳は、新宿で流しの街頭写真師として活動を始めた写真家だった。流しの写真師とは、今のように誰もがカメラを持っていなかった頃、お客の写真を撮ってプリントし、翌日手札版3枚200円でお客さんに売るという商売だ。渡辺克巳の仕事場は新宿。そのお客は、ヤクザ、トルコ嬢(今でいうソープ嬢だ)、ヌードスタジオのモデル、オカマ、ホステス、芸者、暴走族、パンク、ロッカーそして浮浪者、さらに時代が下るとホスト、コギャルなど新宿の夜に蠢く人々で占められていた。
渡辺克巳は、正直に言って著名な写真家ではないかもしれない。しかし、その写真からは、世間から追われ、新宿という『アジール』に流れ着いた人々を、温かく見つめる視線がある。肩で風を切るチンピラや全身に彫られた刺青を誇示するヤクザモノに対しても、その視線は揺るがない。渡辺自身は、50を超えてから授かった息子さんに『悪い奴はいねぇ、哀しい奴はいる』と語っていたそうだ。
そんな街頭写真師でいつまでも生計が成り立つわけでもなく、写真館経営、焼き芋屋、週刊誌のカメラマンなどさまざまな仕事をしながら、ライフワークとして夜の新宿に集う人々を撮り続けた。

手元に、渡辺克巳の三冊の写真集がある。
渡辺克巳の写真集三冊「Hot dog」、「新宿、インド、新宿」、
「Gangs of Kabukicho」(L→R)
一冊はワイズ出版から2001年に出版された『Hot Dog 新宿1999-2000』
浮浪者、コギャル、飲み屋のママ、ホステス、夜の歌舞伎町に集う人々のスナップとポートレイトで構成されている。もちろんモノクロ。
次いで、New YorkのPPP Editionsから発行された『Gangs Of Kabukicho/歌舞伎町』
先にもあげたようなアウトローたちの肖像で全ページぎっしりみっしりだ。これもモノクロ。
どちらも見ごたえがある。強力な写真集だ。ずらりと居並ぶ半裸のヤクザ者、その肩や胸や背中には極彩色の刺青がビッシリだ。そんな男たちを前にしても、渡辺克巳の写真は揺るがない。オカマ、ホステス、風俗嬢、浮浪者。
これらの写真を見ると、日本がアジアだったことがよくわかるぜ。

そして、もう一冊がポット出版より、2011年4月7日発行の『新宿、インド、新宿』だ。くどいようだが、モノクロだ。ついこの間、インドにいきてぇと騒いでいた頃に買ってきたって言ってたでしょう、アレですよ。アレ。
この写真集には、1960年代から80年ごろにかけての新宿に集う人々、82年のインド撮影旅行の写真、そして84年から2003年にかけての新宿の写真で構成されている。

新宿の写真にも引けを取らないのが、インドを撮った一連の写真だ。インドは圧倒的に貧しいカンジだ。モノクロで、スラムのような風景が展開している。人力車のまわりに集いニタニタ笑っている若者、農婦、侏儒、市場の片隅で眠る赤ん坊。正直言って、日本の感覚からすると悲惨なカンジが漂うが、渡辺は『日本でなくようなことがあってもインドを見てしまえば、なんだなくことはないじゃないかという気がするわけですよ。』とぶっちぎっている。そりゃそうだろうな。

素敵な写真集です。本書の帯に寄せた森山大道の言葉が、渡辺克巳を活写している。
『新宿の夜、いつも渡辺克巳がいた。欲望のスタジアム、大いなる荒野『新宿』のアクチュアリティを写し切った写真家は、ただひとり、渡辺克巳である。』
渡辺克巳と同様に、新宿を写し続けた森山大道にこういわれちゃ、渡辺克巳もあの世でいかつい感じの顔を笑顔で崩しながら、照れていることだろう。
多くの読者諸君が、渡辺克巳を知らないかもしれない。ひょっとしたら、みんなよく知ってるかもしれないけれどな。けど、もし君がどこか社会から自分が浮いているアウトローだと感じているんなら、そう、本屋に向かって犬のように走っていき、渡辺克巳の写真集をゲットするのは間違いじゃないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は結婚式の2次会とやらにお出掛けしなくちゃならないんだ。めんどくさいが、仕方がない。しかし、そうはいっても、大騒ぎしてくるだろう。なんてったって、例のホモM社さんも一緒だからね。ふふふ…、困ったもんだぜ。