2011/06/01

Post #201 早いもんだ、もう6月たぜ!

読者諸君、機嫌はどうだい?俺は久々に家でゆったりさせてもたっらぜ。ご機嫌だ。人生はこうでなくっちゃならない。まっとうな食事をとり、寛いで本を読んだり、音楽をきいたりするんだ。今朝の5時まで働いて、車を飛ばして帰ってきた。とはいえ、毎年恒例の集中工事とやらのせいで、高速道路はさほど高速でもない。弛緩した運転は程よい眠気を喚起するんだ。俺は命の危険を感じて、サービスエリアで死んだように眠ってから、解き放たれた野生の馬のように、高速道路をすっ飛ばして帰ってきたのさ。
家に帰ってまずしたことは、風呂にゆっくり入ること。そして、行きつけの美容院に行ってこのモジャモジャ頭を整えることだ。そう、忙しくって何か月も髪なんか切りに行けなかったからな。この頭は俺のトレードマークなんだ。手は抜けないぜ。このままじゃ、鳥の巣の頭が蜂の巣の頭になっちまいそうだ。
Amsterdam
美容院では人気者なんだ。俺は飲み屋や美容院みたいに若い女の子がいっぱいいるところでは、ついサービスしちまうんだ。そう、考えることもないくらいに面白おかしい話が、口から飛び出してくるんだ。あぁ、ちょうどこのブログそのままだ。だから俺はちょっとした町の人気者なのさ。
まぁ、とはいえどこでも面白い人で終わりだけどね。つまらないぜ。禁じられたロマンスとか、おきる余地もないんだ。残念だ。残念きわまる。
まぁ、俺は野生の馬、つまりマスタングだ、みたいにエネルギッシュで並みの女じゃ乗りこなせっこないし、そこいらのおねーさんじゃ俺もなんだか物足りないんだ。
隣のお客は、かかりつけの町医者の受付のおばさんだ。白髪を染めている。狭い街なんだ。こちらとも長い付き合いだ。15年くらいはお世話になってるだろう。いつも言うように、俺はおばさん連中にはとりわけ大人気なのさ。なにしろ彼女は、俺の連れ合いや出来の悪いオヤジの事もよくご存じでいらっしゃる。調子に乗って迂闊なことをしゃべると大変だ。すぐに関係者に話が回っちまうんだ。狭い街なんだ。しかも、俺は街で一番目立つ男だからな、気を付けておかないといけないぜ。

なかなかいい具合に仕上がった。満足だ。カラスの巣がツバメの巣くらいにはなっただろうか。

俺の絶好調をよそに、世間では内閣不信任案提出だとか言って大騒ぎしている。
くだらないぜ。菅総理じゃ震災復興は無理だとか言って、今まで原発をガンガン作ってきて。未だにその非を認めるどころか、これからも原発で日本経済を盛り上げていこうっていう自民党の皆さんが、創価学会政治部の公明党と、民主党でのけ者にされた小沢軍団と結託している言うことだ。馬鹿らしい。彼らの目はどこに向いていやがるんだ?人間の目は、未来を見据え、困難を直視するために前に向いてついているのに、奴らの目はケツの穴の両サイドについているんじゃないかって思えるぜ。被災者のため、復興のためなんてキレーごとを抜かしているが、政治の混乱や、法案可決に要る解散総選挙などの事態による政治空白は、復興を遅らせこそすれ、早めるようなものじゃないのは、美容院で白髪を染めてるおばちゃんにだってわかるぜ。所詮は権力闘争だろう。くだらなすぎて、腹が立ってくるってもんだ。それとも電力業界からお願いでもされたのかい?この大変な時期にそんな事をしでかす頭の中身は、脳みそじゃなくてカニみそでも詰まってるんじゃないのか、放射線を使ったCTスキャンとかで調べてやりたいもんだぜ、まったく。
OK、イイだろう。自民党の皆さんよ、今度あんたらが、いろいろ難癖をつけて、政権をぶんどったら、永田町のどまんなかに、あんたらの大好きな世界一安全な原発とやらを作るがいいさ。首都圏の電力不足も解消だし、万一事故があっても、放射能漏れでくだらない権力の亡者どもが一掃されて清々するさ。

くだらない。余りのくだらなさに泣けてくるぜ。
Amsterdam
アメリカの無頼作家チャールズ・ブコウスキーは、その短編『Politics is like Trying to Screw a Cat in the Ass』、つまり政治なんてケツの穴に猫をねじ込むようなもんだってタイトルだ、の中でこういっている。曰く『いい政府と悪い政府があるというのか?ちがう、いい政府などというものはない。あるのは悪い政府と、もっと悪い政府だけだ。』
その通りだ。菅ではダメなんだろう?けど、それが谷垣だろうが小沢だろうが、五十歩百歩さ。なんせ未曽有の大災害だからな。やれもしない奴が必死にやってる奴を批判するのは、俺の好むところじゃないんだ。くだらないぜ。
もう一度、ブコウスキーの同じ短編からの引用を許してもらおう。こんな文章でその短編は締めくくられる。

『さて、読者諸君、許してもらえるならば私は、これからも娼婦や競走馬や酒とともに時を過ごしたい。そうやって迎える死は、自由だ、民主主義だ、人道主義だ、といった言葉で飾られたどんな死よりも、自分の死に責任を持てるという点で私にはずっと誠実なのである。
最初の郵便配達、12時30分。いま最初の一杯。娼婦たちは、いつもそこいらにいる。クララ、ペニー、アリスにジョウ・・・・。』


(チャールズ・ ブコウスキー 青野 聰訳『町でいちばんの美女』 新潮社版より)

賛成だ、ブコウスキー。俺もくだらない政治になんか間違っても関わらずに、自分で責任を全うできる範囲で、誠実に生きていきたいもんだぜ。なんてったって俺は自称、町でいちばんの人気者だからな。人生は短い、くだらないことに付き合ってる暇はないんだ。
読者諸君、失礼するぜ。風呂に入ってとっとと寝ろって、連れ合いに小言を言われるのさ。まぁ、それが家にいるってことだ。いつものことだ、気にはしないぜ。女の言うことはいつも大抵正しいんだ。戦争したりするのはたいてい男だしな。また明日会おう。

2011/05/31

Post #200 Get Back

読者諸君、おはよう。今日で5月も終わりだ。
それとは何の関係もないんだけれど、 今日のこの投稿をもって、なーんて書くと、もう止めるとかいいそうだが、そうではない。何事も最後まで聞くべきだ。そう、今日のこの投稿をもってFragment は200投稿達成だ。
200回。なかなかに険しい道のりだった。毎日よくも厭きもせず、書き散らしたものだ。我ながらご苦労なこった。
思い起こせば第1回『世界のフラグメントを集めて…』から第10回『Going Home』まで、全てが去年の大坂への出張中に、今どきネット接続もできないウィークリーマンションで、エクスぺリアのアプリでシコシコと作られたものだ。
以来約半年、早いもんだ。そして、よくもまぁ書くことがあったもんだ。我ながら呆れるぜ。
あの頃の俺の状況は酷いもんだった。八方塞がりだった、まさに厄年真最中だった。しかし、何とかこうしてここまで乗り切ってこれたのは、ロックンロールと写真と、何より他でもない読者の皆さんのおかげさまだ。
そう、俺のこの糞下らないブログを、毎日根気よく見続けてくれる、あるいはたまたま目にとめて覗いてくれたりしてる読者諸君の、そう他でもない、今まさにこのブログを読んでいてくれるあなた!のおかげさまだぜ!どうもありがとー!
で、だからと言って記念するほどでもないこの200回に、俺が昔、まだモノクロをはじめる前の写真を引っ張り出してきては原点回帰、つまりはGet Back と洒落こんでみようかな。
いや、そんなことしたって、誰も喜びゃしないのは承知のうえなんですがね・・・。
まぁ、言うなれば、俺の勝手だろう?
HomeTown
ふふふ…、ずっと前から、こんな写真を撮って来た。多分、こんなのしか撮れないんだろう俺には。
HomeTown
 さぁ、飯食って寝よう。例によって夜通し働いて来たのさ。その前に、もう一丁行くかい?
HomeTown

親愛なる読者諸君、俺は行けるところまで行くつもりさ、気合を入れたり手を抜いたりしながらね。
これからもよろしく頼むぜ。お迎えが来るその日まで、俺はいつだってこんな調子さ。

2011/05/30

Post #199 太陽の塔

ここ何年か仕事で使っていたデジカメがとうとうお釈迦になっちまった。仕方ない。何度も脚立から落としたりして、トップカバーは外れそうだった。奴の最後の仕事は例の小学校の遊具の点検写真だったって訳だ。長いこと御苦労さん。いろいろこいつとはいろいろと苦楽を共にした。パリやバルセロナ、イスタンブールやアムステルダムにも連れて行った。地味にイイ仕事をして俺を公私ともに支えてくれた。
ありがとう、RICOH R10。
しかし、デジカメ無しでは俺の仕事は成り立たないんだ。商売あがったりだ。俺は昨日、出張出撃前に、行きつけのカメラ屋で目をつけておいたRICOHの中古のデジカメをゲットしたんだ。OK、これでイイ。外観が多少よれていたって、型落ちだって構うもんか。どーせ仕事カメラだ。お買い得だぜ!
で、俺はフロントグラスに叩きつけるような激しい雨の中、単騎俺の戦場に向けて一路西へと向かったんだ。
雨の高速でのカーチェイスさながらの運転は神経を磨り減らす。仕事にかかる前からクタクタだ。そんな苛酷な約二時間のバトルの末、俺は目的地にたどり着いた。そこで、俺を迎えてくれたのは、太陽の塔だ。 岡本太郎の最大にして最高の傑作、あの太陽の塔だ。
世界の車窓から、今日は大阪府吹田市からお送りします
太陽の塔は、高度経済成長に沸き立っていた40年前のこの日本の国で、人類の進歩と調和という極めて楽天的な未来志向のスローガンを掲げた大坂万博が開かれたとき、その会場のド真ん中に、現れたゴジラのようなモニュメントだった。強烈なインパクトだ。それはまさに、岡本太郎という稀有の素質を持ったシャーマンを媒介にして、顕現した原始混沌の太陽神像だ。
明るい未来に酔いしれる日本人の前に、有史以前のどろどろとした混沌を根にして、ちんけな現在を嘲笑うかのように突き抜けて、遥かな未来へと聳え立つ異様なシンボルとして、太陽の塔は降臨したと俺は思っているんだ。まさに、万博という祭の庭に、超太古の神々を呼び、その荒々しい息吹を閉塞した現代社会に吹き込むためのヒモロギだ。
過去を知ることができれば、未来が見えてくる。
安っぽいペラベラしたパビリオンが全て消え去ってもなお、天に向けて聳える太陽の塔。かっこいいったらないぜ。
俺はハンドルを握ったまま、時速100キロでまだ見ぬ未来に向けて走り抜ける車の窓から、太陽の塔を撮ってみたんだ。買ったばかりのデジカメでね。
こうして見るとマメみたいに小さいがね。 
言わずと知れた太陽の塔
読者諸君、こんな芸当は危険だから、くれぐれも真似しないように頼むぜ。失礼する。今夜の仕事までの一時、写真でも撮ってぶらつくんだ。