2011/08/03

Post #263 So Sad

俺は、昨日の夜仕事をし、夜中の高速道路で、80キロで追越車線をノロクサ走るトラックをすり抜け帰ってきた。そして返す刀で今朝も7時から、朝飯抜きの昼飯前の仕事を片付けて帰ってきたのさ。
ガス欠寸前だ。家に帰って今夜の仕事に備えて眠る前に、ガソリンを入れておこう。人間は多少腹ペコでもなんとかなるが、クルマって奴はそうはいかないんだ。
俺は行きつけのセルフのスタンドに、ジェフベックの老いてなおエッジの立ちまくったギターをスピーカーからMAX響かせながら滑り込み、タンクにドバドバとガソリンをぶっこんでいたのさ。ハイオクタンフルだ。
どこかで、俺の名を呼ぶ声がする。眠ってないから幻聴かとも思ったが、いつまでも聞こえるので見回すと、何年か前まで、俺が働いていた会社の社長がガソリンを入れていた。
この社長とは、いつも諍いが絶えなかった。まぁ、俺も中小企業に対して、コンプライアンスを求めても仕方ないって気づいていればよかったんだが。辞めるときには、激昂した社長が『殴ったろうか?』なんて抜かしやがったから、俺も『どうぞ、ご自由に。けどその瞬間から、俺と社長の関係は、社長と社員から、一対一の男の戦いになるって覚悟してくださいよ。俺と社長と、どっちが強いか答えは分かってると思うぜ』とまで言ってのけた因縁がある。もっとも、既に7,8年を経過して、その辺りの遺恨は俺にはもうさらさらないのだけれど。
俺は、あ~お久しぶりですってな感じで挨拶した。社会人としては、まぁノーマルな対応だろう。しかし、その返答として帰ってきた言葉に、俺は思考停止状態に陥った。
『お前、E田さん死んだの知ってるか?』『えっ!?、E田さんが?死んだ?』
俺は言葉が頭の中で空回りし始めたのを感じた。
E田さんは、この社長と一緒に会社を立ち上げた専務だった。株の運用で売り上げ不足を補てんしていた社長と違い、客先を回り、現場を飛び回り、重なった用事があると言っては、俺を現場に置いてきぼりにしたりして鍛え上げてくれた。いつも笑顔で、ネジ一本回すのにも汗をたらたら流して、白髪でハゲの頭をてらてらさせていた。いい加減なところもあるが、面倒見の良い俺のオヤジのようなおじさんだった。すぐに頭に血がのぼる社長に対して、俺をいつもかばってくれたし、喧嘩っ早い俺をいつも抑えてなだめてくれた。仕事以外にも、いろいろな事を、にこにこ笑いながら黙って身を以て教えてくれた。大好きなおじさんだった。
俺がぽかんとしているので、ダメ押しするように社長は繰り返した。『E田さんが死んだのは知ってるか?』いや、聞こえてるっての!『知りませんよ、そんな・・・。』
春先に、俺の家のすぐ近所にあるその会社の前で、E田さんと顔を合わせ、今度一緒に飯でも食おうって話してたばかりなのに。一体どーして?
聞けば、もうすでに5月の連休の頃に死んでしまっていたらしい。腎臓癌だったそうだ。急に死んでしまったんだとさ。
Paris
くそ!俺はまたしくじった。またもや、もっと話しておけばよかった人と、話すことを後回しにした挙句、取り返しのつかないことになってしまった。俺は、本当に馬鹿だ。
忌わの際はともかく、通夜も、葬式も、初七日も、四十九日も、俺抜きで粛々と行われた。俺はあれほど世話になったE田さんに別れを告げることが出来なかった。感謝の言葉を伝えることもできなかった。こうして書いていても、E田さんの笑顔がまぶたに浮かんでくる。涙が出てくる。本当に大切なのは、その瞬間瞬間だって解っていたはずなのに・・・。
『お前の連絡先が分からなかったから、連絡できなかったんだ。名刺くれるか?』と社長はすっとぼけたことをいう。なんてったって、俺の家はこの社長の会社から、歩いて1分、たったの歩いて1分のところなんですがねぇ。歩いて一分のところに、縁ある人の死を伝えることは出来ないもんですかねぇ。そういえば、この社長は、かつて俺の同僚だったT 島さんが、喘息の発作で呼吸困難に陥り、脳死状態、危篤といった状況になった時も、その事実を社員全員に隠して、会社の飲み会を強行したっていう前科がある。俺は、あのときも社長の息子からこっそり耳打ちされ、嫌になって途中で帰ってきたんだ。仲間が死につつあるのに、酒飲んで騒いでるような人非人にはなりたくないぜ。たとえ、何もできなくても祈ることぐらいは出来るだろうに!ケッ!思い出しても吐き気がするぜ。
そして今回だ。この社長、俺がE田さんのことを慕ってたのも、E田さんに可愛がられていたことも知っていたはずなのに。目出度いことは欠礼してもご愛嬌だけど、人の死は一回こっきりだ。欠礼することは出来ないだろう!
胸の奥に怒りと悲しみが程よくブレンドされた感情が熟成されていくぜ。
俺は名刺を差し出しながらこういってやった。『まぁ、僕のケータイの番号は、むかし社長のところにいた時から変わりないんですけどね。』って。すると社長、ばつが悪そうに『そうか・・・、まぁまた連絡するわ』って、さっさと行っちまいやがった。くそ、あんたの死に際には声掛けるんじゃねぇぞ!
人の死ぬのは世の定めとはいえ、別れを告げることすらできぬとは・・・、余りにも哀しい。

しかも、癌だ。
もちろん、この年になると、多くの人死にを経験している。いろんな死の原因はある。しかし、いつも縁の深い人は癌で死んでいるんだ。
俺のオフクロは、俺が中学の時に、胃癌を全身に転移させ、俺を筆頭に4人のバカ息子を残して死んだ。俺は反抗期真っ盛りだった。もっと話しておけばよかった。今思えば、俺はオフクロがどんな気持ちで人生を歩んでいたのか、これっぽっちも知らない。
ちいさな喫茶店を営んでいた叔父は、いつもうまくいかずに落ち込んだ俺を、黙って受け止めてくれた。ストレートな物言いで、筋の通らぬことは大嫌いな頑固おやじだった。実のオヤジ以上に俺のオヤジだった。娘しかいなかったので、俺を自分のせがれの様に扱ってくれた。この人も、肺がんを患い、死んでいった。4年ほど前の事だ。いつも短気の短慮で仕事を転々としていた俺を案じてくれていた。この人にも、独立して歩み始めた俺を見て欲しかった。
まだほんの子供だった俺を、スポーツカーに乗せてくれた車屋を営む叔父も、やはり肺癌で死んでしまった。歴史や文学に関するいろんな本を読み、ロマンチストで、剽軽でいて内面は生真面目な人だった。少年の頃の俺に大きな影響を与えてくれた人だった。この人にも、もっといろんなアドバイスをしてもらいたかった。しかし、死んだのは俺がたった一人で会社をはじめた矢先の事だった。
そして、働くってなんなのかを、背中で教えてくれたE田さんまでも、癌で失った。ぐふっっ!断腸悶絶するほど無念だ。
HomeTown
だからどうしたって言われたら、俺はなんて答えたらいいんだろう。
ただ悲しいとしか言えない。
流れる涙が枯れるまで、そっとしておいてくれとしか言えない。
いい年こいて、人が死んだからって悲しんでどうすると言われようが、知ったことか。
人はいずれ死ぬ。それは当然のことだ。けど、だからこそ、一瞬一瞬、偽りなく相手に対峙し、心を開き、相手を理解するべきだ。言われなくても解かってるというかもしれない。けど、いつも後悔する。俺は、もっと話し合っておけばよかったって。
命以上に大切なモノなんか、ない。
そして、その命をどう燃やすのか、真剣に向き合わないと、命に、相手に、この世界に、そして何より自分自身に、失礼だ。
だからこそ、読者諸君、俺は君たちに、全てありのままを曝け出すと決めているんだ。後悔の残らないように。
そして、君たちの声をきかせて欲しいんだ。生きているうちしか、お互いがどんな宇宙を内側に秘めているのかなんて、伝えることはできないんだ。
人はいずれ死ぬ。俺も、君も、彼も彼女も、一人の例外なく。周囲の人に対して無関心でいることは、その存在に対する冒涜だ。

失礼する。俺は、無性に悲しいんだ。E田光正さんのご冥福をお祈りする。
E田さん、一緒に飯食う約束は、俺がそっちに行くまでおあずけだ。寂しいなぁ。

2011/08/02

Post #262 I Hate

最近よく、うちのつれあいが新聞に広告が載っているある本を指して、俺にゼヒ読むべきだっていうんだ。『激しい怒りが消える本』とかなんとかいう本だ。
自分でもわかる。俺のなかには、自分が人生で関わってきた具体的な人間に対するもの、あるいはまた、実在の人じゃないけれど、虫のように愚かな人々を、激しく憎む気持ちがある。
とりわけ、会社を辞めて独立し、一人で仕事をするようになってから、一人でいる時間が多いので、ふと気が付くと、自分がささくれた暗い目をして、何かに静かに怒りの炎を燃やして虚空をにらんでいることに気が付くことが増えた。
そう、俺は何かが間違った狂った世界に放り込まれたように感じて、いらだっている自分に気が付いている。もし、俺が一人で暮らしていたなら、きっとこの怒りを制御できず、とっくに自滅してしまったんじゃ無いかとも思う。ノルウェーで事件を起こしたあいつのように。つれあいに感謝だ。
HomeTown
 出来る限り正直に言ってしまえば、俺の心が良くて、そんな事を引き起こさないでいる訳じゃない、とも思う。何というか、たまたま、その縁がなかっただけで、未だに何とか危ういバランスをとって、市民社会で曲がりなりにもまっとうに生きているって訳だ。
この辺の事は、親鸞聖人も『歎異抄』のなかで語っている。いささか衝撃的だ。親鸞聖人、並みの坊主じゃないってことがわかる。さわりだけ行ってみようかな。
弟子の唯円に、自分のいうことを信じるかと念を押したうえで、極楽往生するためには人を千人殺さねばならんとしたら、どうする?って意地悪な質問をするんだ。唯円はびっくりしながら、自分の器量じゃ千人どころか人一人だって殺せそうにないって答えるんだ。まぁ、フツーそうだろう。
すると、親鸞は『俺の言うとおりにするって言っただろう‥。これで分かったろう、何事も心のままに出来るんだったら、千人殺せって言ったら殺すべきなんだ。しかし、人一人だって殺すような業縁(=つまり他者との関係性)がないから、一人だって殺せやしないもんだ。つまり、自分の心が善良だからって殺さないわけじゃないってことだ。また、殺そうなんて思っていなくっても、百人千人を殺してしまうことだってあるだろうさ。』ちゅうニュアンスのことをさらりと言ってのける。
そう、つまり決して俺の心が善良で、罪科を負わずに生きてきたわけではないんだろう。たまたま、偶然だ。それは、今この文章を、ふ~んなんて読んでいる君自身にも、もちろんそっくり当てはまることだ。ただ、俺は自分に極力正直に言ってみただけの事なんだぜ。いや、だからほら、俺だけが特別じゃないんじゃないのってこと。俺の事を狂気を秘めた凶暴な危険人物だとか思わないでほしいな。俺は正気だ。ただ、出来る限り正直に、誠実に自分の中を覗いてみているだけだ。
もちろん、この怒りを捨ててしまえば、楽に生きられるのは分かっているけれど、それを捨ててしまったら、自分が自分でなくなってしまうようで、不安だ。そもそも俺に出来ることなんて、気に入らない奴の写真の目に、画鋲を刺してみたりする程度さ。それでどうなるってもんでもないが、なんだか気晴らしにはなるんじゃないか?可愛いもんだろう?
Paris
 愛情の対義語は憎悪じゃない。愛情と憎悪は容易に入れ替わる。何故ってそれは同じエネルギーのベクトルが違うだけだろうから。カードの裏と表のように、不即不離だ。だからこそ、人は誰かを愛しいと思う反面、些細なきっかけで同じ相手を厭わしいと感じてしまう。節操がないが、それが人間だろう。
論語にもある。
『これを愛せばその生きんことを欲し、これを悪めばその死なんことを欲す。既にその生きんことを欲するに、又その死なんことを欲するならば、是れ惑いなり』
いつもこの言葉を思い出しては、人は、いや自分は、惑いながら生きていくしかないもんだとも痛感する。愛情の本当の対義語は、無関心だ。俺にはカンケーねぇって奴だ。俺の心のエンジンはデカい。愛憎の大きさも人一倍だ。

なんだか、精神がおかしい人間の妄言のようになってきちまったぞ。読者に大きく誤解されてしまいそうだ。おーい、俺は確かに心の中に愛憎の塊を抱えているけど、そんなに悪い奴じゃないんだぜ!スピード違反くらいしかしない善良な市民の端くれなんだ!
やばい、これから仕事に行かなけりゃならないってのに、ドツボにはまっているぞ。そろそろ切り上げようや。いまどき、ネットで迂闊なことを書くと、危険人物だってレッテルを張られて、犯罪者扱いされかねんからな。
今日はこれで最後だ。最後の最後に、俺の好きな言葉をあげておこう。坂口安吾の『夜長姫と耳男』の最後のセリフだ。いろいろあって、耳男は夜長姫をノミで刺し殺すんだ。そして、死にゆく姫の最後の言葉だ。気になる人は読んでみるとイイ。坂口安吾がとんでもない鬼才だってわかるだろう。講談社文芸文庫の『桜の森の満開の下』に収録されている。これが本当なら、惑いの中からしかゲージュツなんて生まれない。ゲージュツって、苛酷なもんだ。
『好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊るして、今わたしを殺したように立派な仕事をして・・・・・・』
だからこそ、心の天井に自ら殺した蛇の死骸を吊るようにして、形のない怒りや愛情に身もだえしながら、暗い目をして迷路のような街角で写真を撮り、狂ったような面持ちで光差さぬ暗室のなか写真を焼きたい。
読者諸君、失礼する。俺の中にはマグマのような感情の塊が、胃のあたりでとぐろを巻いている。けど、今日に始まったことじゃない。いつだってそうさ。

2011/08/01

Post #261 Responsibility

悪いけど、今日は何も話したいこともない。
HomeTown
別に、気分が落ち込んでいるとかって訳じゃないんだけどね。体調が悪いわけでもないしね。金を振り込み、客先周りをし、仕事の電話をほうぼうにかける。そんなどうってことのない一日が、ただ過ぎただけのことだ。俺にとっては平和な一日だ。
HomeTown
俺が平々凡々に暮らしている間にも、アメリカの議会で、民主党・政府と共和党の間で妥協が成立し、大方の予想通りデフォルトは回避されたそうだな。それはそれで一安心だ。万一の時は世界恐慌になるかと思っていたんだ。金でも買っておけばよかったって後悔してたくらいさ。とはいえ、そんな銭は昔も今も持っちゃいなんだがね。
しかし、デフォルトを回避するために、政府がもくろんでいた高額所得者に対する増税は見送られたようだ。アメリカ人は、貧乏人に優しくない連中だ。イマイチ好きになれないのはそのせいかもな。しかし、金持ちが税金を出し渋るのは、何処だって同じだ。手取りが860万もある奴でも、子供手当がもらえるってのも、似たような話だ。まったく、俺のよーな貧乏人は、否応なくケツの毛まで抜かれちまうってのにな。
さて、アメリカだが、どうしてこんなに借金が膨らんだのか?
それにはいろいろな理由があるだろうが、大きな要因は、共和党政権時代にアメリカがおっぱじめた戦争のコストが財政運営に重くのしかかってるのは、間違いないだろうな。
まったくもって、戦争ってのはコストがかかるったらないぜ。どこぞの国の原発と同じだ。動き出したら、なかなか引き返せないのさ。なんてったって、それはそれでうまい汁にありつく奴らが大勢いるからな。しかも、そいつらはいつだって自分は安全なところで、偉そうにしてるんだ。間違っても自分の手を汚したり、汗をかいたりはしないんだ。
そうはいっても、民主党政権も財政再建のために突っ張ってみせて、その挙句にデフォルトを引き起こすわけにはいかないってのが正直なところだろう。オバマだって世界に対する責任があるからな。苦渋の決断だったことだろう。
責任があるからこそ、妥協しなけりゃならないってものだ。
責任の無い奴は、何時だって調子のいいことを言うもんだ。
ふむ、日本でも同じような構図があるように感じるぜ。まぁ、俺のような庶民にゃカンケーないが、世の中、難しいもんだねぇ。間違っても偉くなんかなりたかないわな。まぁ、偉い奴になる気遣いなんか、正直サラサラないけどね。それはそれで、男として寂しい限りだが、ココはいっちょう、巻懐孤高を気取ってるってことにしておこうや。カッコいいもんだぜ。ちなみに巻懐ってのは、論語に出てくる言葉だ。世間に道義が行われていないのならば、懐に巻き取っておさめてしまうように、自分が社会の表舞台に立つことなく、ひっそりと隠れるように暮らすってことだ。諸君、ご存じだったかな。
とはいえ、中身のある奴が言えば、それなりに様になろうってもんだが、俺のような道楽者が言ったって、みんなに鼻で笑われちまうのが関の山さ。
さてと今夜はこんなところで、失礼させて頂くぜ。