2011/08/18

Post #278 天気予報は能天気予報

天気予報で今日あたりから暑さが和らぐと言っていたのを当てにして、今日は久々にプリントしてみたんだが、死ぬかと思った。
俺が暗室につかっている洗面所には、もちろんクーラーなんて気の利いたものはない。だから、閉め切った暗室は、さながらサウナ風呂のようだ。目の前では、150Wの電球を使用した引伸機が、熱を発している。汗がとめどなく噴き出してくる。覆い焼きしていると、汗がしたたり落ちてくる。
Paris
一体何枚タオルを使ったことだろう。何枚かプリントすると、失われた水分を補給するために暗室を出て水を飲む。頭に巻いているタオルは、すでに汗でべとべとだ。暗室=洗面所の洗濯機に放り込む。新しいタオルに替えて、また2、3枚プリントする。
ちっとも進まないぜ。露出の読みを外して、紙を何枚も無駄にしている。もったいなくてうんざりするぜ。
Paris
いつもながら、この時期のプリント作業は苛酷だ。俺は遠い目をして伝説の常春の国、マリネラ王国を想う。何といっても夏もきついが、冬もしんどいからね。
とまぁ、こんな有様でプリント17枚。あと16枚焼けば、パリに続いてアムステルダムは終わり。次はブリュッセルだ。
明日も仕事は休みだ、残念ながら。仕事が休みだからといって喜んでいては、オマンマの食い上げだ。いくらリキを入れてみても、写真じゃ小遣い銭すら稼げない。しかし、そんな時こそ、気を持ち直してプリントだ。TVの天気予報は、明日からは暑さも和らぐと言っている。毎日そんなことを言っていやがる。今日も涼しい予定だったはずなのに・・・。まるで馬の前にニンジンをぶら下げて走らせているようなものだ。
という訳で読者諸君、失礼するぜ。汗と薬品のにおいの染みついた身体を、風呂に入ってすっきりさせたいのさ。また会おう。しかし、正直言って、ヨーロッパの写真、早く終わらせて、他の写真をプリントしたくなってきたぜ。そう、平たい顔に短い手足の民族の皆さんが、なんとなく懐かしく思えてきたんだ。

2011/08/17

Post #277 明日こそは…

お盆休みを利用した仕事が終わった。日曜日に始まる新しい仕事まで、しばらく息抜きだ。結構なことだぜ。この暑い時期、あまり一生懸命に働き過ぎるのは考えもんだぜ。
Paris
幸い、暑さも和らいできた。ほんの少しだがね。OK、チャンス到来だ。久々に、プリントでもするとしよう。
昨日は午後から仕事が空いたので、プリントしようかとも思ったんだが、久々に、高校時代の先生の家に行ってきたんだ。
大好きな先生だ。若いころは登山に熱中し、写真もやっていた。夏休みに登山が出来るからって理由で教師になったんだそうだ。ここ3年ほどは、18世紀フランスの天才数学者、ガロワについて研究しているんだそうだ。ここ最近は、遊びに行くたびにガロワの話しを聴かされる。五次方程式とか冪数とか群とかについてなんだが、もちろん俺にはとんとわからないぜ。けれど、俺は先生が夢中になって話しているのを聴くのが好きだ。
俺がこの先生にはじめて会ったのは、もう30年も前。蕩児中学一年生だった俺は(俺の学校は中高一貫校だった。)、あの頃の先生とちょうど同じ年齢になっている。
人生に与えられた時間は、そうは多くない。少年老い易く、学成り難しとはこのことだ。ましてや、70を超えた先生に残された時間は、俺以上に少ないだろう。俺にはプリントも大切だけれど、大切な人とお喋りしたりする時間も、これまた大切だ。
人生は、他人とお喋りしたりして、自分以外の誰かを理解するためにあるんだと思うぜ。
Paris
そう、明日はプリントするのさ。いろいろと仕事の雑務もあるにはあるけど、明日はプリントすると決めたんだ。何れ諸君にもお見せしよう。楽しみにしていてくれ。

2011/08/16

Post #276 俺の声は小さいけれど

昨日の新聞を読んでいたら、戦争中に女学生だったおばあさんが、自分の孫娘に戦争体験を伝えるという話が載っていた。孫は訊いていた。『どうしてみんな戦争なんていやだって声をあげられなかったの』と。『そんなことをいえるような時代じゃなかったの』というようなことを、大昔の女学生のおばあさんは答えていた。

好戦的な勇ましい発言は、格好いいものだぜ、確かに。勇ましい掛け声は、世間に対して通りがイイ。不景気風にあおられている庶民の耳にも心地よく響くってもんだ。しかし、そんな発言を繰り返す保守的な人々に、果たして自分自身が最前線にたって、殺したり殺されたりする覚悟は、あるもんだろうかと、俺はいつも思う。自分も相手も、同じ赤い血の流れているニンゲンだというのに。
Paris
その代表的なモノに、中国人や韓国人への差別的な言説があるんじゃないかい?
中国人や韓国人に対する感情的な批判は、世間に満ちている。フジテレビに対する一連の騒動には、どっちの言い分もなんだかねぇというカンジで組する気にもなれない俺さ。
しかし、まぁ落ち着け。日本人が中国でどれほどやらかしたが知らないが、かなりの数の中国人をぶっ殺していたのは、間違いないだろう。シャブ喰った日本兵が、どれだけ日本刀で中国人を斬り殺せるか競争していたんだぜ。日本人が韓国を併合して、日本国内と平等に扱うという美名のもとに、韓国語を禁止し、文化を抑圧していたのも間違いないんだ。まぁ、この辺のことは歴史の授業でも一番最後のほうで出てくるので、受験だ卒業だのを控えて、もう消化試合状態だから、まともに学校で教わらなくても仕方ない。仕方ないッたら仕方ない。しかしもし、俺たちが逆の立場だったらって想像してみようじゃないか。
近所の床屋のおっさんとかが、中国人に青竜刀でジャンジャン首を斬りおとされていたら、韓国人によってハングルの使用を何十年も強要されていたとしたら、どうだろう?想像力を働かせてみようぜ。経済的に不可分な関係になった今日になっても、中国人や韓国人に対するわだかまりは、しこりになって心の中に残っているだろう。良い戦争も、良い帝国主義も無い。それだけだ。
にもかかわらず、日本社会にわだかまってる中国人や韓国人に対する、差別的な扱いや言説はどうしたもんだろう。俺には日本人そのものの自信の無さの表れとしか思えないぜ。
その一方で、俺達日本人は、中国をネタに金儲けすることに忙しい。どれだけ中国人をネット上で罵倒している人々も、今や中国製の製品を買わずに生活することは、なかなかに難しいだろう。大企業は言うに及ばず、中小企業も生き残るために、中国に進出している。俺は産業の流出だと思っているがね。そしてその分、日本の若者たちは、ましな仕事にありつくことが出来なくなる。悪いのは中国人じゃないだろう。日本を見限って行った企業の皆さん、つまり俺達日本人自身の問題だ。いずれ、企業栄えて国滅ぶってことになるだろう。
日本のTV には、韓流スターやK-POPがあふれている。韓国料理の店もずいぶん増えた。にもかかわらず、韓国人(そしてもちろん朝鮮人)に対する拒否反応を持つ人々も、相変わらず多い。
足を踏んだのはこっちの方で、踏まれて痛かったのは、あちらの方であると思うんですが、如何なもんでしょうね。
日本人の、とりわけ若者のやり場のない生活の不如意と将来に対する不安が、人々をファシストやレイシストのような発言や振る舞いに走らせる。
うんざりだ。
俺が以前に働いていた会社にも、自衛隊あがりで中国人や韓国人を忌み嫌っている奴がいた。そいつの携帯の着信音は軍歌で、電話がかかってくるたびに、俺は気分が悪くなったもんだ。
ある日、現場からの帰り道、そいつが助手席で酒を飲みながら、よどんだ目をして中国人や韓国人を罵倒し始めた時には、不愉快になって『黙れ!このアル中のレイシスト!ここから降りて歩いて帰るか!』って怒鳴って黙らせたこともあった。何しろそこは高速道路の上だったからね。
そいつは昼間から酒飲んで、会社の前を通りかかった自転車の通行人を、中国人と決めつけて怒鳴りつけたこともあった。ありえないぜ。
いろんな人間がいるのは確かだが、少なくとも、俺が接する中華料理屋のコックさんや研修生名目で来ている中国人の娘さんは、日本人よりも安い金でも、一生懸命働いていると思うぜ。香港の両替屋のおやっさんは、人懐っこくていい人だった。俺としちゃ、アル中の日本人よりもずっと好感が持てるんだがな。もちろん、蛇頭同士の勢力争いで、日本の繁華街の真ん中で青竜刀で殺しあってる奴もいるのも知っている。俺の友人の中にはそんな修羅場を見た奴が何人かいる。しかし、どんな社会にも悪い奴はいるぜ。だからといって、それですべてがそんな奴だと思っちゃいけないだろう。
在日の人にも、華僑の人にも、この人生で触れ合ってきて、そこそこに面白かったし、世話にもなった。俺のオヤジの前の彼女も在日で、気性のさっぱりした、情に厚い人だった。ずいぶんお世話にもなった。偏見を持つなんてとんでもないぜ。ましてやノルウェーのアンネシュ君みたいにマシンガンや爆弾でブッ飛ばすなんてありえないぜ。
だいたい、ユーラシア大陸の反対側から見たら日本人も中国人も、韓国人も見分けがつかないって!そう、みんなまとめてイエローモンキーだ!うちの連れ合いは海外に行くと大抵中国人や韓国人、下手をするとベトナム人と間違えられる。まぁ、俺はどこに行っても、何故か日本人と思われてるようだがね。然し、日本の中じゃいつだってはみ出し者扱いなんだが・・・、困ったもんだ。
Paris
俺は、レイシストになるのはゴメンだ。冗談じゃない。それはまったくろくでもなけりゃ、ちっともロックでもない。
他者を排除するような勇ましい声は、世間によく響く。大合唱だ。よく響いているうちに、いつの間にかそれがジョーシキになってしまう。彼らが自分の意見を述べるのは自由だ。それが民主主義だ。しかし、それがいつしかジョーシキの様に認知されたとしたら、きっとそのジョーシキに異を唱えるのは、はばかられるようになってしまうだろう。世間のジョーシキと違うことを述べる自由もあるはずなんだがね。
それは杞憂だろうか?
いや、俺たちはつい66年前のあの日まで、世間のジョーシキに異を唱える者を非国民と呼んでいたんだぜ。ケッ!ファシスト万歳だ。自民民主の大連立で大政翼賛会発足だ。今に俺も何も言えなくなる日が来ないとも限らないぜ。しかし、自分の良心に従って、言いたいことを、いうべきことを、自分んが正しいと思うことを、堂々と言うべきだと確信している。それが民主主義だ。
俺の話しはこうして、冒頭のおばあさんと孫娘の話しに帰納するわけだ。
俺の声は小さい。声をあげたところで、何のメリットもない。けれど、自分が言いたいことを、自分が愚直に信じていることを、誠実に言い続けていくんだ。それはそれは蚊の鳴くような小さな声ではあるけれど、世間に漲る空気を無視して、言い続けるってのは、あんがい大事なことだと思うんだが、どうだろうか諸君。けど、正直に言って、狭い地球の上でけなしあっても仕方ないしくだらないだろう?

あ~あ、また今日も肩っ苦しい話で、スマン。本当はもっと楽しい話がしてみたいんだけどな・・・、まぁ、時期が時期だけに勘弁してくれよ。俺はガキの頃から戦争の悲惨な話を、おばあさんからたっぷりと訊かされて育ったんだ。そんな息苦しい社会は、二度とごめんだ。君はどうだい?