昨日からまったく好き放題に暮らしている。とはいえ今夜も仕事が待っているからな。限られた時間に好きにやっても文句はどこからも来ないだろう。俺を構ってくれる連れ合いは仕事で上海に出張中なんだ。好きな時に飯を食い、好きなだけ風呂に入って疲れをとり、好きなだけ眠っていた。目が覚めると、読みかけの本を読み倒した。2冊も読んでしまった。『ムーミンパパ海に行く』と『ムーミン谷の十一月』の二冊だ。面白いぜ。俺もスナフキンのように生きていきたいもんだぜ。俺のコーヒーカップは、春に旅行した時にトランジットで立ち寄ったヘルシンキ・バンター空港で買ったアラビアのスナフキンのカップなんだ。パイプを吹かしながら釣りをするスナフキンと、目を閉じて風の中で横笛を吹いているスナフキンの姿が描かれている。そして今俺は開け放った窓から吹き込む台風の風を心地よく感じながら、パイプを吹かしながらブログってる。請求書や帳簿とかやるべきことはあるにはあるが、今日はやる気がしない。やる気がしない時は、やらずにおくことさ。そう、俺は完全に自分を自分自身でコントロールし、プロデュースしている。俺を雇って働かせるのは、他でもないこの俺自身なんだからな。これでいいのさ。
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| Paris |
朝、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、もう15年間もの間、就職しようと面接し続け、一度も就職できなかった可哀そうな男の話しが載っていた。ひどい社会だ。働き盛りの男が、15年もの間、虚しく日々を送っている。日本の行く末が危ぶまれるぜ。どうやって暮らしを成り立たせているのか、不思議だ。親御さんのお世話になっているのか?それとも生活保護でも受けているんだろうか?バイトとかして食いつないでいるんだろうか?
俺にも何度も失業の経験がある。そのたびに職安に通って、うんざりとしたり、近所の川に行って、気持ちよさそうに泳ぐカモを眺めていたっけ。けど、人生は自分自身で、意志を持って一歩づつ歩んでいかなけりゃならない。永井豪のバイオレンス・ジャックていう大長編マンガの中に、主人公のバイオレンス・ジャックが目を潰され、鎖につながれて奴隷とされる場面があった。ジャックを気遣う少女に対して、ジャックは『意志さえあれば、目などまた見えるようになる』といってのける。そう、意志さえあれば、人生は動いていくんだ。願っていたものとはたとえ違っても、なるように、なるべき様になるのさ。諦めない限りね。We shall Over Come!だ。俺は、身を以て知っている。
俺自身の話しをしよう。
25歳の頃、俺は属していた秘密組織を抜けた。夜逃げだった。見つかったら、簀巻きにされて海に放り込まれていただろう。
実家には帰ることは出来ない。組織の追手が来ることが分かっていたから。しばらくの間、親父のつぶれかけの会社に間借りしていた。オヤジは仕事を手伝うように言ったが、手伝っても金は一円もくれなかった。飯が食えて、屋根のあるところに住めるだけでもありがたいと思えってんだ。なんてこった!ジャンプしたって、ポケット中からちゃらちゃら小銭の音すらしなかった。冗談じゃないぜ。この資本主義の世の中、譬え少しでも金がなきゃ生きてはいけないのさ。
俺は、夜は洋食屋の厨房で皿洗いをし、昼間は交通整理のガードマンや土方をして金を稼いだ。朝7時から夜の11時まで、毎日マシンのように働いた。このころのことを思い出せば、少々の苦労なんて屁でもないぜ。稼いだ金の大半は、CDや本に変わっちまったけどな。
俺のまわりの土方連中は、酷い奴らだった。昼休みに本を読んでいる俺に、本なんか読んだって、何もいいことなんてないって馬鹿にしていた。
夜中に呼びつけられて、ぶん殴られたり、財布がなくなったのを俺の所為にされたりした。雨で現場が無くなると、事務所で麻雀大会が始まり、麻雀を知らない俺はなけなしの金を奴らに巻き上げられた。まったくもってさんざんだった。俺はいつも一人でロックを聴いて、このひどい有様に耐えた。
いい加減うんざりして、測量屋の小僧に転身した。オヤジと番頭、そしてバイトの俺だけの小さな測量屋だ。土地の境界標識を固定するセメントを、バケツにしこたま詰め込んでは田んぼのあぜ道を歩き回った。セメントをこねるのが下手だと文句を言う社長に、俺は『あんたは何十年もセメントをこねてんだろうが、俺は今日初めてなんだ。それがあんなたが納得するようにできたら、あんたの立場がないだろう!』って言い返した。オヤジはカンカンになってなって怒り狂い、俺に『もう帰れ!』て言ったんだが、俺も負けちゃいない。『帰るから車の鍵をよこしな!あんたたちは会社まで何十キロも歩いて帰ってくればいいのさ!』俺が吠えると、社長は押し黙った。いつだってそんな調子だった。けれど、社長はそんな俺を、なかなか骨があるって気に入ってくれたっけ。感謝してるぜ。
バイクの事故で、そこも辞めて、退院したら工場で働きだした。工場の製品を箱に詰める工程だ。行かず後家や出戻りみたいなパートおばさんたちがうようよしていた。彼女たちときたら、トラブルがあると責任追及ばかりで、何故そんなトラブルが起こり、今、そのトラブルをどうやって切り抜け、今後そんなトラブルが起こらないようにするには、どうしたらいいか、そんなことは全く考えていない連中だった。
些細なことで他人を見下し、こき下ろし、それで自分がさも偉くなったかのように思い込んでいたいんだろう。こんなところは、俺にふさわしくない。馬鹿らしくなってさっさと辞めた。
で、住宅関係の工場で、電気の配線をする仕事を見つけてきたんだ。すると、いつの間にか、俺は山師のような木工部長に見初められ、2×4工法のアパートを作るセクションに配属された。男の仕事だ。27歳ごろだ。ココで、俺は今の仕事の基礎になることを学んだ。一生懸命に仕事に取り組んだ。同僚は気持ちいい若者たちで、山師のようなオヤジは、はみ出し者の俺とは気が合った。
けれど、ココも長続きしなかった。親会社の監督が、嫌がらせのような無理なことを抜かすので、俺は『今更そんなこと言うんなら、てめぇが自分でやりやがれ!』と啖呵を切って、その日のうちに仕事を辞めた。
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| HomeTown/俺の憧れ、インドの破壊神シヴァ |
そうして、家のすぐ近所の通信工事屋にもぐりこんだ。家から歩いて1分だった。俺は通信工事のことなんか、これっぽっちも知らなかったが、必死に仕事に取り組んだ。何故なら、女好きで自分はさぼってばかりいる要領のイイ詐欺師のような野郎が、上司としてふんぞり返っていたからだ。そいつに追いつき、追い越すために、まじめに働くやつが正当に評価される会社にするために、仕事に真剣に取り組んだ。一番つらい持ち場を積極的に受持ち、自分より先に入っていたぼんくら共を、力でねじ伏せ、まとめあげ、仕事を成し遂げていった。発言力と信用は増していった。社長の気まぐれや理不尽に、愚痴を言うのではなく、正面から異議を唱え、立ち向かった。しかし、そこも5年ほどでやめざるを得なくなった。力による支配は、より力のある奴が現れると、崩壊するもんだ。俺は身に染みたぜ。
次にもぐりこんだのは、工場や下水処理場の配管設備を工事する会社だ。この会社でもブイブイ言わしまくった。試用期間月給総額15万で、朝早くから夜遅くまで働いた。社長は本当にケチな野郎だった。あまりにケチなので、一度仕事を受けた下請けは、二度と仕事を受けてくれなかったほどだ。自分の会社も赤字だと嘘をついて、法外に安い金しか払えないと下請けにいうように強要されて、俺の良心は痛んだ。冗談じゃない。あるとき、金のトラブルがもとで、下請けが現場を放り出して帰ってしまった。俺は手持ちの乏しい工具と、見様見真似で何とか現場を収めてきたが、総支給額15万円では限界だった。俺はまたまた、会社を辞めた。会社は給料を払わないと言った。俺は労働基準局に訴えて、初めて自分の金を手にすることができたんだ。気が付けば、俺は30代の半ばになっていた。
こんな年齢じゃ、どこの会社も雇ってはくれない。俺は無駄を承知で面接を受けていた。俺は嘘をつくのが嫌いなので、面接で猫を被ったりせず、いつだってありのままで臨んでいた。どうせ会社にもぐりこめば、すぐにメッキははげちまうのさ。そんな堅苦しいことはゴメンだった。自分を偽るのもゴメンだった。
おかげで、どこの会社にももぐりこむことはできなかった。日本は堅苦しいもんだと痛感したぜ。
そんなわけで、仕方なしに俺は派遣会社に登録したんだ。悪名高いグッドウィルだ。そこの建築関係の派遣に登録し、奴隷のようにこき使われた。どいつもこいつも、文句を言うばかりで、真剣に仕事に取り組まない奴らばかりだった。俺はそれでもいつだって全力で仕事に取り組み、いつしか現場関係を任される社員になっていた。
ご存じのように、いつの間にかグッドウィルはつぶれ、会社は他所に買われていった。会社は赤字続きだった。スタッフという名の奴隷連中の給料はどんどん削られていき、社員の給料も削られ、支店は次々閉鎖されていった。会社は沈みゆく泥船だった。社員に不利な内容を、社員たちに何の相談もせずに会社と取り結ぶ糞ったれな組合、自分の保身だけを考えて、実際に金を生み出す連中の取り分を削り、自分たちはバーバリーのシャツにリモワのスーツケースで、グリーン車に乗り生産性ゼロの出張を繰り返してはいい気になってる世間知らずの重役たち。出世するごとに、現場の苦労を忘れ、上司の言いなりになっていく支店長。そして、自分はベストを尽くしていないくせに、自分の取り分をもっとよこせと文句を言ういい年をしたアルバイトスタッフ。
俺はその全てに筋が通っていないと戦いを仕掛け、多方面に作戦を展開した挙句、事理ビンになって行ったナチスドイツ軍や旧日本軍のように孤立無援になって行った。
俺は、これまた会社を辞めた。いや、発想を転換してみよう。むしろ会社そのものを俺からリストラしたんだ。取引先の担当者たちはたいそう残念がり、俺に会社を作って仕事をしていくように勧めてくれた。
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| Amsterdam |
こうして、今の俺がある。もちろん、いつだって俺のつれあいは、俺を支えてくれた。今の俺があるのは彼女と、他でもないロックンロールのおかげだ。感謝してるぜ。
そして、俺は思う。俺の人生、くだらないバカバカしいことの連続だったけれど、そんな状況でも、自分のできるベストで取り組んでいけば、そしてその結果がベストではなく、ベターなものでしかなかったとしても、道は必ず開けると。
俺の人生の経験に、無駄だったことなんか一つもないんだって、胸を張って言える。金は無いけれど自信満々だ。ご存じのとおり、自信や信用は金では買えない。こうして歩んできた人生が、多少風変りで厳しい坂道曲り道だったように見えても、それはそれで後悔することなんかこれっぽっちもなかったってことだ。
何だか自慢話みたいで恐縮だけど、不遇な若い奴らに、こんな風に生きてきた馬鹿野郎だっているんだ、くよくよするなよ、しょんぼりすんなよって言いたいのさ。歯を食いしばって、こぶしを握れ、どこでもイイ、今自分のいる場所で、自分のできる最大限の努力をして、まわりの奴らをあっと言わせてやれってね。そうすれば、人生きっとなるようになるのさ。努力努力ってお題目みたいに唱え続ける精神主義者も嫌だけれど、大口を叩いて、自分の言葉を本当にするために、自分を嘘つきにしないように、戦うだけさ。
そうすればいつかきっと、そう、さなぎが蝶になるように、自信が持てるようになるさ。自分の人生を受け止めて肯定することで、自分のことが大好きになれるのさ。そのためには、後ろめたいことをしたり、汚い真似をせずに、いつだって正々堂々と振る舞うことだ。太陽はいつだって俺達を照らしているんだ。太陽の下で胸を張って歩けないような真似はするもんじゃないぜ。それが例え苦しい道でも、それが本当に自分を大事にするってことだ。滑稽に見えたって、俺はそう信じてる。それが俺のMy Wayだ。フランクシナトラのじゃなくて、シドヴィシャスの歌うようなMy Wayだ。
それじゃ、読者諸君、また会おう。俺はいつだって『自分の言葉は曲げねぇ、それが俺の忍道だ!』ってナルトみたいにやってきたのさ。そうしたら、いつの間にかすっかり説教くさいおっさんになっちまってたって訳だ。冗談じゃないぜ。今になってみりゃどれもこれもとんだ笑い話さ。