+(513x640).jpg) |
| HongKong |
NIMBYという言葉をご存じだろうか。
『Not In My Back Yard』の略だ。
ゴミ処理場は必要だ。下水処理場だって必要だ。けど、おれっちの裏庭にはゴメンだ、臭いからな。
産廃処分場だってなけりゃならないのは分かるよ、原子力発電所だって必要だ、なんてったって、日本は資源に乏しいからね。けれど、俺の裏庭にはゴメンだぜ、ってことだ。
俺たちの国は、国を挙げてのNIMBYだ。ずっと前から俺は原子力発電所が本当に安全ならば、東京や大阪のどまんなかに作ればいいのにと思っていた。もちろん皮肉を込めての見解だが。けれど、実際にそれは危なっかしいシロモノだったってのは周知の事実で、口では安全で結構なものだといいながら、実際には福島だの福井だのと、大都市からずっと離れたところに追いやってきた。
おれっちの裏庭にはゴメンだっていう、典型だ。
俺の裏庭にはゴメンだっていう本音と建前のはっきりした人々。
俺の人生経験に照らし合わせてみても、日本人には、こんな手合いがたくさんいる。石を投げるまでもなく、石にあたってるくらいたくさんいる。近年とみに増加傾向だ。何でもかんでも、パソコンの画面のうえで、出来てしまっているように錯覚して、生活からアクチュアリティが減少してしまったからなのだろうか。きつくてシンドい仕事は、派遣労働者やアルバイトスタッフという名の日雇い労働者、あるいは研修生という名目で近隣諸国から駆り集めてきた、ほとんど奴隷のような人々に押し付け、自分たちは快適な暮らしを求め続ける。
見てみろよ、深夜のコンビニの従業員は、どこでも中国人だ。深夜のコンビニは便利で結構だが、それを仕事にしたい日本人はもういないんだろう。なんてったって、夜は本能的に眠いからな。
で、こんどは震災のがれきの処理は必要だと、皆が思いながらも、皆おれっちの裏にはにはゴメンだと言っている。
俺は、ため息をつきながら、遠い旅の空を想う。マングローブの森を、見渡す限りの砂漠を、果てしないツンドラを、俺は心に思い描く。
このおれの内心の跳躍は、説明するとめんどくさいので割愛する。眠いからね。そして、自分の裏庭など持たない漂泊の生活に、心底憧れる。帰ってこないことが最善だよ、それが放浪の哲学って金子光晴も詠っていたっけな。
少なくとも、NIMBYな奴らがいっぱいの、自己本位な本音と薄っぺらな建前の間で、すっかり息苦しくなっているような国から、(何処とは言わないけどね)トンズラさせて頂きたくなるぜ。
こんなこと言うと、また現実逃避だとかなんとか言われるんだろうが、まぁ、俺の内心のことに関して、一切の批判は受け付ける気もない。俺の勝手だろう。それとも、そんな内心の自由も持てないような国なのかい?それじゃまるで、戦争中の日本やドイツか、今の北朝鮮みたいなもんだな。それがまた嫌だってんだよ。
失礼する。こんなこと言ってる暇があったら、とっとと眠りたいのさ。明日も、いやすでに今日か、今日も朝早いんだ。さらば。