2012/12/04

Post #662 Snufkin In The 21st Century

夏の旅行から帰ってきてからこっち、死ぬ思いで働いていたら、何時の間にやら季節は冬になってしまっていた。俺の秋を返して欲しいものだ。
紅葉も、芸術も、食欲も、なんもかんもナシだぜ、生きているのに死んでるようなもんだ。おかげさんで体重はまた減った。ガツガツ食いまくっているというのに、ガンガン働いているおかげさんで、体重は減る一方だ。冗談じゃない。このペースで働いて行ったら、いずれ俺の身体は消えちまうんじゃないかってくらいだ。
時には、車を運転しながら、このまま事故って死んだ方が楽になるかもしれないなぁなんて、ぼんやり考えながら運転している自分に気が付き、恐ろしくなってしまった事もある。完全に欝病入ってるだろう?そんなになるまで働いても、たいして儲かりゃしないところが、これまた人生の味わい深さってものさ。そう、コツコツたまるのは疲労ばかりで、金は出ていく一方さ。俺は自分が底抜けの柄杓で水を汲み続ける船幽霊になってしまったようにすら感じるぜ。ハッハッハ!
毎日まいにち、コツコツと蓄積した疲労のおかげで、眠くて仕方がないんだ。昨日も歯医者で歯をジャンジャン削っているというのに、すやすやと眠ってしまったくらいだ。我ながら驚くぜ。
Osaka
唐突だけれど、実は俺は21世紀のスナフキンなのさ。驚いたかい?自由と孤独、そして音楽を愛する旅人なのさ。いつもパイプをくわえているしな。モノを所有するのを嫌う性格は、この資本主義の世の中の風潮に毒されて、すっかり変わってしまったがな。おかげで家の中はガラクタだらけさ。音楽だって、むかしは自分でハーモニカを吹いたりしてたのに、今じゃCDをしこたま持ってる。そして携帯の中に何千曲もぶち込んで、いつも聴いてるんだ。AKBとかじゃないぜ、昔ながらのロックやブラック・ミュージックだ。
この21世紀のスナフキンの身の上には、20世紀にダラダラと釣りをしたりハーモニカを吹いたりしてのんびり暮らしていたツケが、今巡ってきているのさ。なにせあんなふうに暮らしていた日には、浮浪者扱いされちまうぜ。表面的には真面目に働いて定住していないとな。行政サービスだって受けられやしないんだぜ。
21世紀になってもパイプを吹かすのは相変わらずだけど、釣りなんかもう何年も行ってないんだ。行ったとしても、仕事の合間に近所のドブ川で手軽にやれるナマズ釣りくらいのものさ。風情がないったらないぜ。いや、ミシシッピ川のあたりに住んでる黒人のおばちゃんが夕食のおかずにするためにナマズを釣ってるみたいでみたいで、それもまたいいものだろうか?ブルースが聞こえてきそうな気がするぜ。いや、むしろアル・グリーンやシル・ジョンソンみたいなHI RECORDSの泥臭いR&Bが心に響き渡るってもんだ。泥臭いナマズのフライでも作って、君に振る舞ってあげたいよ。
旅から旅の気儘な暮らしは、旅行の資金を稼ぐための日々の苛酷な労働に取って代わられた。いや、出張で結構あちこちに出歩いてはいるけれど、宿と現場の往復ばかりさ。たまに街をぶらついても、表面的な健康さと明るさの裏に、どうしようもないほどの倦怠と荒廃を感じ取ってしまうのさ。
まったく、21世紀は世知辛いことばかりだ。酷い時代なのさ。悪無限って奴だ。
しかし、俺達は誰も彼も、自分がいつどこに生まれてくるかを選ぶことはできないんだ。俺だって、楽しいムーミン谷とかに生まれた来たかってものさ、残念ながらね。まったく残念きわまる。
しかし、12月はやっと少し一息つけるようだ。束の間の休息だ。冬眠でもするか。まぁ、自転車操業の俺にとっては、うれしい反面、心が重い話だがな。
しかし、そんな間隙にこそ、人生を楽しもう。金がなくたって人生を楽しむことはできるはずだ。寒さに震えながら、プリントしよう。温かな南の島の思い出を形に残して、君たちにお届けするんだ。OK、やる気が出てきたぞ。やる気が出てきたところで眠るとするかな。

読者諸君、ずいぶん長いことほったらかしにして、心配をかけたことだろう。寂しい想いを抱いていた人すらいるかもしれない。なに、心配することはないさ、俺はいつでもここにいる。俺がここにいるうちは、この21世紀もまんざら捨てたもんじゃないってことさ。俺がこうして君たちと同じ時代を生きてる限り、君たちは全然大ジョーブだ。根拠は何もないけれど、そう思っておきなよ。その方がお互いのためさ。
またぼちぼちと更新していくことにするさ。楽しみにしていてくれ。失礼いたす。 

2012/11/19

Post #661 Israel Stop Strike Gaza!

HomeTown
俺が現場でヒーヒー言ってる隙を見計らって、イスラエルはガザ自治区に空爆を始めた。死者はすでに90人を越えているそうだ。このままいけば空爆や艦砲射撃に止まらず、地上戦にもなりうる恐れがあると報道されている。実際に地上戦に突入したらガザを支配しているハマスを支援しているイランとの戦争になるのではと危惧されている。そうなったら中東はひっちゃかめっちゃかだ。
俺が現場でのたうちまわっている間に、世界はこれだ。まいったなぁ。
ガザでは2002年にもイスラエルの攻撃によって1000人近い住民が亡くなっている。
2008年から2009年にかけての攻撃では、1300人に上る人びとが殺されている。犠牲者の大半は一般市民で、おまけに3分の1は未成年の子供たちだった。住民への無差別攻撃が行われたんだ。酷いもんだ。ちなみにこの時のイスラエル側の死者はたったの13人。どれだけ非対称な戦闘、つまり一方的な攻撃だったかがわかるというもんだ。今回もきっと、もっとひどいことになるに違いない。
俺はいつも不思議に思う。
どうして、ヒットラー率いる第三帝国ドイツ人によって、民族浄化、つまり民族を根こそぎ滅ぼしてしまいそうな弾圧・虐殺を受けたユダヤ人=イスラエル人が、他の民族、おもにパレスチナに住むアラブ人に対して、永年にわたって酷い仕打ちを続け、一般市民まで巻き込んで軍事行動を行い、自分たち以外の民族を苦しめ続けるのか?かつて自分が酷い目にあったからと言って、今、他者を傷つけることを正当化するのは、理解に苦しむというもんだ。
信じる神が違ったとしても、同じ人間であるには変わりはないはずだ。空爆した先にいるのは、自分たちと同じように、赤い血が流れ、家族をいとおしむ人々なんだぜ。たとえそれがハマスの構成員だったとしても。いや、そもそも家族を虫けらのように殺されれば、俺だって徹底的に抵抗するだろう。
平和ボケしていると言われても構わないが、よく言われることだけど、戦争や虐殺では物事は解決しない。それで解決するときは、自分以外の他者を完全に殺しつくした時だけで、そんな世界には何の未来もない。他者を攻撃するのはたやすい。しかし、辛抱強く話し合い、妥協点を見い出し、憎しみの連鎖を断ち切ることにこそ、本当に勇気と知恵が必要だ。
あえて、市井の無頼漢ながら言わせて頂く。
イスラエルは、直ぐにガザに対する攻撃をやめるべきだ。

それはそうと、世界の主要国の外相や国連事務総長などが、続々とイスラエルに押しかけ、地上侵攻を思いとどまるように説得していたり、説得してゆく予定だそうだ。ひるがえって、我が国のドメスティックきわまる政治家どもの振る舞いを見ていると、世界的な見識もなく、理念もなく、ただ権力の掌握と自らの保身だけしか頭にないとしか思えない。日本以外の国は、アメリカと中国と、韓国と北朝鮮しかないとでも思っているんだろうか。視野が狭すぎる。見識が無さすぎる。
旅に出れば、日本人が世界の人々から尊敬されているのがわかる。そして今日までの中東の歴史に、とりたてて深く関わっていない日本こそ、和平に関してもっと積極的に動くべきだと俺は思うぜ。まぁ、なんでも事なかれ主義の我が国の政治家・官僚の皆さんに、そんな決心が出来るとも思えないがね。俺はそんな日本人であることが、時々恥ずかしくなってくるのさ。
読者諸君、失礼する。自分がされて嫌なことは、他人にはしないことだ。それが個人レベルでも、国家レベル、民族レベルの話しでもね。

2012/11/18

Post #660 どっこい生きてる

Paris
余りに長いこと更新していなかったので、死んだんじゃないかと思われていたかもしれない。しかし、かろうじて生きている俺さ。どうも、ご無沙汰してます。疲労が募り抵抗力が低下し、性質の悪い風邪をひいてて、もうフラフラだ。声だって、かすれて出なくなったくらいだ。ヴォーカリストじゃなくってよかったぜ。しかし、そんな有様でも仕事は休めない。どうなってるんだ一体?これじゃ死んだって不思議じゃないぜ。
けど、実際に死んだのは桑名正博や森光子、ついでに政治評論家の三宅さんなどで、俺じゃない。あと、現場で落っことした俺のデジカメだ。そう、インドネシアで先代のデジカメを落っことして壊してしまったんで、8月に買い替えたばかりのデジカメを、落として壊してしまった。たまらないぜ。
今回の仕事は、心身ともにヘヴィーだった。過労死という言葉が何度も脳裏をかすめたほどだ。車の運転をしていて、ガードレールに突っ込みそうになったことなど日常茶飯事だった。冗談じゃない。この程度のことで死んでたまるかってんだ。
いつも思うのだけれど、本当に死んでしまったら、どうやって読者諸君にお別れしたものか、考え込んでしまう。家人に頼んでおくべきだろうか?悩ましい問題だ。しかし、人間いつ死ぬのかなんてまったく分からないものだ。一期一会、毎度まいどの更新を、人生最後のモノとしてもいいようにしておかねばならんな。
最後の言葉は決めてあるんだけどね。せっかくだ、一応ここに書いておくとするか。
『地球の皆さん、さようなら』だ。

武士道のバイブルみたいに扱われてる葉隠なんかには『武士道とは死ぬことと見つけたり』とある。昔の侍のなかには、朝起きた瞬間に、自分が死ぬことをシュミレーションして、毎朝ヴァーチャルに死んでから一日の活動を始めたような強者もいたそうだ。死人だから、腹を切れと命じられれば、直ぐに切腹できたし、真剣での命のやり取りに躊躇なく飛び込むことができたわけだ。
俺も現場で、仲のイイ職人さんが『監督、しんどくって、もう死にそうだよ』というたびに、『一度死ねばいいぜ!そうしたら二度とは死なん。いくらでもマシンのように働けるぞ!』と冗談とも本気ともつかないことを言ってやったものだ。これは葉隠精神に由来してるんだがな、その辺のブラックユーモアが君にもわかってほしいぜ。どちらかと言えば、ゾンビみたいな気もするがね。

読者諸君、今日はこんな程度で失礼する。まだ体調は本調子じゃない。しかも、今月一杯はまだまだクソ忙しい俺なのさ。まったく、暗室にこもって、現像液のムカつくにおいが体に染み込むほどにプリントしたいもんだよ。