2012/12/23

Post #675 Little India,Singapore

little India,Singapore
今日は天皇誕生日だ。このところ、右傾化が世界中から危惧されている日本の一大衆として、非国民扱いされる前に言っておこう。
『陛下、お誕生日おめでとうございます。』
無頼派作家・太宰治の小説に、現在の天皇陛下がお生まれになった日のことを記した身辺雑記とも一種の自伝小説とも取れる短編があったように記憶している。俺が読んだのはもう25年以上前のことだから、詳しいことは覚えちゃいない。タイトルすら思い出せない。でも、だからどうだってんだ?そんな細かいこと、構わないだろう?
女と心中未遂したり、大学を放校処分になったりなんかしてゴタゴタダラダラくすぶっていた太宰のもとに、年の離れた兄が上京してくるわけだ。
この兄は父の後をついで、津軽の大地主で『殿様』とまで称された津島家、つまり太宰の実家で、貴族院議員の父の後をついで家長となった人物だ。当然、人望も厚ければ優秀で誰からも尊敬されるような人物だ。末っ子で幼少のころから余計者意識を持って育った太宰(=つまり津島修治)が頭の上がるような相手ではない。今日のような家庭崩壊しているのがフツーな時代じゃない。家父長制全盛の時代だ。
で、下宿の部屋から兄によって外に連れ出された太宰は、いろいろと厳しい事を言われて、居心地が悪く、また申し訳ない思いで気が滅入ってしまう。
おりしも季節は冬。ただでさえ気分が沈みがちな季節に、年の離れた畏敬している兄から説教を喰らうのは、なかなか堪えるもんだろう。
で、重苦しい雰囲気にいたたまれなくなった時、街に皇太子(つまり今日の天皇陛下その人だ)の誕生が伝えられる。人びとは提灯に灯をともし、喜色満面といった表情で皇太子の誕生を喜んでいる。そして、太宰の兄その人も、今の今まで太宰に対して小言を言ったり詰問したりしたのにもかかわらず、大喜びで太宰を抱きしめて『これで日本も大丈夫だ』なんてはしゃぎだし、太宰は針のむしろ状態から救われ、兄とともに皇太子の誕生を祝うという話だった、と思う。
その短編のタイトルも忘れてしまったし、本棚を漁って新潮文庫でコンプリートした太宰治の作品をあたって確認する気もない。ただ、そんな話があったってのを思い出しただけだ。だからどうしたってことさ。
日本の文化の根底には、天皇制がしっかりと根を張っている。それは、俺たち日本人の無意識の領域に、抜きがたくわだかまっている。
一言で言ってしまえば、天皇制の本質はダライラマなんかと同じよう生神様信仰だ。これは世界中に存在する。しかし、近代国家と生神様信仰が結合しているのは、この日本くらいしか思い浮かばない。その意味でも、日本はどこか一風変わった国だと言えるだろう。昭和天皇が亡くなった時のことを今でも俺は覚えている。俺も、天皇制が文化として骨身に染み込んでいる日本人の一人だと、そんなことを想いながら痛感するわけだ。
さて、俺は、日本の右傾化を一番憂慮しているのは、陛下ご自身なのではと、勝手に推測している。その一方で、天皇陛下に対する畏敬の念を伴わない国家主義的言動は、単なる排外主義にしか見えなくて、見苦しいと俺は感じている。

読者諸君、失礼する。で、明日はクリスマスイブか。この時期はやっぱり忙しいもんだな。

2012/12/22

Post #674 マヤの予言で世界が終わるって誰が言ったんだ

Ubud,Bali
人間ちゅうのは、つくづく世界にうんざりしてるんだろうか。
いつまでたっても、何かの折に世界の終りがやってくると大騒ぎだ。
末法思想、ハルマゲドン、ノストラダムスの大予言、数え上げたらきりがない。そして今度はマヤカレンダーの世界が終わる日だ。
一部の人々は昨日だか今日だかで、世界が終わると言って騒いでいた。古代マヤ文明のカレンダーが、たまたま昨日だか今日だかで終わっているからだということだ。中国でも、そんな話をネットで垂れ流している奴が、社会を不安に陥れる恐れがあるとして、ずいぶんと警察に摘発され、ブタ箱にぶち込まれたって話だ。さすがは共産主義国家だ。やることが徹底してやがる。
阿呆らしい。大昔の、文字も文化もほんの少ししか解明されていない文明のカレンダーが終わるからって、どうしてこの世界が終わらなけりゃならないんだ?
世紀末、ノストラダムスの時もそうだった。かく言う俺も、多感な幼少年期、あのでっち上げな予言の数々に怯えていた。人生を誤ったと言っても過言じゃないくらいだ。
だから俺は、性懲りもなくそんな無責任な流言飛語を垂れ流すバカヤローを、縛り首にしてやりたいぜ。
思えば、20世紀の俺はそれで道を誤った。
自分だけはそんな話に震え上がるような頓馬じゃないなんて言えない。
それは俺が反省する数少ないことだ。後悔ならたくさんしているがね。
だからこそ俺は、21世紀はそんな根拠もない無知蒙昧な流言飛語に踊らされず、自分の足で世界を踏みしめ、自分の手で世界をグリップし、自分自身の脳みそで考えて、生きていくことにしたんだ。どうだい、意外とまっとうだろう。

たとえ世界が終わっても、今ここに俺が生きてる限り、俺の世界は盤石で微動だにしない。
それが世界の常識だ。
そして、たとえ世界が未来永劫続こうが、俺が死ぬとき、俺の世界は終わる。コンセントの抜けたTVみたいに、突然に終わるんだ。
後には、できることなら俺の見た世界を化石のように閉じ込めた写真が少々残っててくれたなら、有難いけども・・・、まぁ無理だろうな。
跡形も残さず、初めからいなかったように消え去ってしまうのさ。
けど、安心だ。それは何も俺だけじゃない。君もあいつも、どいつもこいつも、いずれこの世界から消えてなくなる。小さな世界は日々終末を迎え、その一方で新たな世界が今も生まれている。
大きな世界が終わることに怯えるよりも、自分の世界の意味を見つけられず、俺たち一人一人が持つちいさな世界の終わりを迎える日がやってくることを畏れよう。
OK、たとえ明日世界が終わるとしても、こいつは俺の人生だ。俺の好きなようにその日まで生きてゆくさ。そしてその日が来たとき、あっさりと世界にサヨナラを告げるのさ。
それにしても、いったいどこのどいつなんだろうな。世界が終わるだのなんだの、根拠の乏しい与太話を吹かしている奴は。何を言うのも自由な世の中かもしれないが、自分の言葉には責任を負わなけりゃならないんだ。
読者諸君、失礼する。これからもそんなくだらない予言は、いくらでも現れては消えていくだろう。けれど、そんなものに関わって、右往左往するような真似だけは、ゴメンだ。
諸君もゆめゆめ、そんなネガティブな大風呂敷に包み込まれたりしないようにしておくれ。お願いだ。
世界の終わることよりも、自分の中に広がる世界を放っておいたまま、魚の群れの一匹のように生きるのは、生きてるうちに入らないんだぜ。自分自身の考えを持たず、誰かがイイというからイイんだ、なんて姿勢を持っている限り、世界は終わっているも同様なんだ。 

2012/12/21

Post #673 Jalan Legan,Kuta,Bali

Jalan Legan,Kuta,Bali
まいったなぁ、また痛風だよ。
今月の頭にやった健康診断で、尿酸値が10越えてたんだよね。俺としては前人未踏のデッドゾーンだ。これはヤバいなぁとは思っていたんだけど・・・、ついに来たかってカンジだ。
明日は大宮まで出かけて、All Night Longで仕事だというのに、まいったなぁ。
出張したり、旅に出かけたりするとき、いつも俺は、心のどこかで痛風の発作に怯えているんだ。人生は最悪のタイミングで最悪のことが起こるようにできている。俺の人生はまるで黒ひげ危機一発だ。
だから俺はいつも痛み止めの薬は多めに処方してもらって、ストックしておくようにしてるんだ。で、痛くなってきたなと思った時にはさっさと薬を飲んで抑え込むようにしているんだ。痛風発作だって、財政赤字と一緒で、早めに手を打つのが一番だってことさ。今回もそうして、何とかこの痛みが激痛になる前に抑え込むことには成功したんだが・・。
出先で突然足が痛くなったら、たまらないだろう?
こんな痛風でも、俺の仕事は休めない時もある。痛くても、足を引きづって仕事をしなけりゃならないのさ。無頼の渡世は厳しいんだ。誰かに代わってもらうこともできやしないぜ。
だから杖だってほしいし。おかげで、カッコいい杖を見かけると、つい買ってしまうんだ。
実はこんなこともあろうかと、先日も2万円も出して、イギリスのFOX社製の杖を買ってしまった。こいつはイイ。まるでイギリス紳士だぜ。ジョンブルって奴だ。思わずシルクハットも欲しくなるくらいだ。ヘッドの部分に精巧に作られたキツネの顔がついているんだ。とっても軽くてクールなんだが、握りにくいといったら無いぜ。
しかし、病に苦しんでいる時でも、無様なのはゴメンだ。そんじょそこらの奴とは一味違うところを演出したいってもんさ。OK、今じゃ杖が似合うことと言ったら、内田裕也か俺かってくらいさ。カミさんにはイイ顔されないけれどね。

しかしまぁ、人間なんにせよ、健康が一番ってことですわ。
読者諸君、失礼する。