2012/12/28

Post #680 Woman On The Corner,Singapore

Singapore
今日は気が付いたら、とんでもない山道に迷い込んでいた。道路看板に従って走っていたら、峠道に迷い込んでしまったのだ。
人生というのも、こんなようなもので、気が付くと細くくねった峠道を走っているような状況はよくある。そんなの俺だけだろうか?しかし、それでこそ面白くなってくるというものだと思うのだが、どうだろうねぇ。
さて、今年がそんな道だったのか?それとも、来年が山道になってるのか?それは分からないってもんだな。なかなか楽しみだ。
読者諸君、失礼する。明日こそはプリントしたいなぁ・・・。

2012/12/27

Post #679 Kite On The Wall,Bali

Ubud,Bali
俺が訪れたのは、バリの中でも伝統芸能の町として知られるウブドという町だった。昔の日本のようだった。おっさんたちは、口々にライステラスを見たか?と訊いてきた。見ていないというと、この道を行けばライステラスがある。とてもキレーだぞ、と指を差してくれた。
で、行ってみるとそれは棚田だった。稲作民族日本人の端くれたる俺には、どこかで見たことのあるような風景だった。もっとも、ここバリでは、三毛作がフツーだそうだ。だから、植えたての苗の田もあれば、青々と稲穂が風にそよいでいる田もあった。そして、稲刈り真っ最中という田もあった。つまりはのどかなところなのさ。そんなところでしばらく暮らすことが出来たら、俺はもっと善良な人間になっちまうことだろう。
ウブドでは、しばしば凧揚げを目にした。高い建物などないんだから、ふと目を空に向けると、あちこちに大小さまざまな、蝶や鳥を象った凧が舞っているのが見える。子供だけではなく、大人も楽しんでいる。いや、むしろイイおっさんたちは、かなり真剣に取り組んでいるようだ。
夢のような、不思議な風景だった。忘れられないのさ。
写真を撮ってみたが、まるで豆のようになってしまう。かといって望遠で撮っても、この広々とした空間の中に、多くの凧が競い合うように、戯れるように飛び交っている不思議な、夢のような風景を鷲掴みすることもできない。写真には自ずから限界がある。人間の脳は、うまいこと広角と望遠のデータを組み合わせているのだ。
目に、焼きつけておくしかないのだ。
俺に出来るのは、壁に止められている凧を、その思い出のよすがとして、写真におさめるだけのことさ。
それはそうと、なかなかプリントする時間が持てないもんだな。いつまでもジジイの小便みたいに、仕事が続いてるぜ。俺の予定では、12月は暇を持て余して、家に引きこもって毎日のようにプリントしてる予定だったのに・・・。おかしい。こんな調子じゃ、あっという間にジジイになって、プリントは老後の楽しみにってことになっちまうぞ。ここは一丁、何か仕事を巧く断る方法を編み出さねばならんな。
読者諸君、失礼する。今日は仕事の打合せやら、年賀状やら請求書やらで、少し目が疲れちまったのさ。俺はもうおっさんだから、目を大切にしないといけないのさ。いい女が歩いてきても、分かんないのは困るだろう?

2012/12/26

Post #678 Jalan Legan,Kuta,Bali

Jalan Legan,Kuta,Bali
寒い日が続いている。冬だから当然だ。赤道に近い島々が懐かしく思い出されるぜ。
今日、車が帰ってきた。今月の9日に出先で追突事故を起こしてしもうて、ディーラーの工場に入院していたのだ。久々の愛車は、やはりしっくりくる。
何日も前から、ココにちょっと、俺の大好きな金子光晴の詩を書いてみたいなぁと思っていたんだよ。なに、写真の雰囲気に響きあっている気がしたからね。

牛乳入珈琲に献ぐ  ―牛乳入珈琲は黒人と白人の混血児

 ヒンズーの店先には
痩せた、願人坊主のやうな、
黒焼の雀の頭のやうな、
マハトマ・ガンジーが祭つてある。
中華民國人のひえびえとした土間には
紅蝋燭をあげた中山先生の寫眞額
蔣主席や忠勇馬占山までが
それに陪席する。
いぎりす人は、神の従僕キングのため、
和蘭人は、銀貨の横顔の女皇のため、
朝夕、神に平安を祈り
日本人は白木の神棚に
先祖の神の木札を齋く。
・・・・だが、混血児よ。おまへにだけは
かざるものがない。
まつる神がゐない。
そこで、映畫俳優のブロマイドを
下宿屋の小卓のうへに 立てた。
      金子光晴 『女たちへのエレジー』(講談社文芸文庫)より
今日、自民党政権が発足しやがった。人びとは景気回復に期待を寄せている。結構なことだ。上手くいくといいがな。
俺は、先日も奈良の古い神社に参拝し、先祖の神の木札をもらってくるような日本人だけれど、ナショナリストではない。日本があまりおかしな方向に行ってくれないことを願うだけさ。あんまり変な雲行きになっちまったら、なにかと暮らしにくくって仕方ないだろう。
とはいえ、中華人民共和国日本省も、アメリカ合衆国日本州もゴメンだけどね。
だからと言って、軍事国家になってアジアの片隅でブイブイ言わせてる日本にも、もう戻って欲しくないってのが本音だよ。国防軍とか、本気でいってんの?ってカンジさ。冗談じゃないぜ。
先日、日本国憲法をネットで改めて読んでみた。短いものだ。君も年末年始のヒマに任せて少し見てみるとイイだろう。
この憲法に関しては、最近は悪口しか聴かない。
理想主義的すぎるとか、既に時代遅れであるとか、イロイロと言われている。醜悪な憲法だなどと抜けしゃあしゃあと言い放つ政治家もいる有様だ。
どうやらこの憲法を変えて、独自の軍隊を持って戦争したりできるような国にしたいらしい。近隣諸国に舐められていると感じているんだろう。
また、第二次大戦後の占領期に、他国から押し付けられた屈辱的な憲法だと思ってもいるようだ。
それどころか、皆さんの大好きな自民党の中には、国民としての義務を果たさない者には、基本的な人権を無条件に認めるわけにはいかないとか、主権在民を否定するなどという、トンデモ意見もあるようだ。国民をなんだと思ってるんだ?権力者の家畜じゃないぜ?
このような人たちは、憲法とは国家から国民に対して守るべき基本法として示されたものだと、大きく勘違いしているようだが、それは違う。
憲法は国家の暴走を防ぎ、国家権力を規制し、国家の基本的な構造を決定するために、国の主権者たる国民から国家へ与えられたものだ。自民党のセンセー方はそんな法治国家の初歩の初歩も知らないのかと思い、俺は呆れかえるのさ。まぁ、その呆れた連中を国会議員のセンセーにしているのは、他でもない俺達国民なんだけれどね。
確かに、日本国憲法の理念はとても崇高だ。しかし、実際のところ、時代遅れでも何でもないと俺は思う。しばしばやり玉にあがる憲法9条は、未だに世界の先進国と呼ばれる国々でもはるかに到達できない未来性を持っているとおもう。
俺達は、もう一度基本から立ち返って、学ばなければならない時期に来ているんだ。俺達はみんな忘れっぽい。目の前のことでいつだって一喜一憂だ。そして、何が間違っていたのか、何が正しいのか、どうするべきなのかを考える前に、その場の雰囲気に流されて、いつも間違った人を選ぶ。そして、すぐに失望する。
牛乳入珈琲のような根の無い軽やかさに憧れるけれど、そういうわけにもいかないさ。
読者諸君、失礼する。俺は寒いから風呂に入って温まるのさ。