2013/01/24

Post #707 今日は通夜だったのに

Tokyo
必死に仕事の段取りをして、通夜に間に合うように帰ってきた。
いくら葬式だからって、仕事を放り出してしまうわけにはいかない。俺の代わりは俺しかいないのだ。最小限、いや、出来る限りの手を打っておかねばならないだろう?
そうこうしている中、登録していない番号から、俺に電話がかかってきた。
電話に出るとそれは、親父が昔付き合っていた女性からだった。俺にはすぐに分かった。彼女は俺と年もさして違わない。気さくな性格の庶民的な女性だったんだ。で、親父と一緒に暮らしていた頃には、今回亡くなった祖母と一緒にビールを飲んだり、実の家族のようにストレートに付き合ってくれていたんだが、親父が新しい女を作ったんで、追い出された様な格好になっていたわけだ。面倒なので、仮にSさんとしておく。
Sさんは、『おばあさん、亡くなったんだねぇ』と切り出した。
『どうして知ってるの』と俺。
『近所の斎場の前を車で通りがかったら、おばあさんの名前が大きく出ていたんで、あぁ、亡くなったんだってわかったんだわ』とSさん。
『そうか、いろいろお世話になったよね。今夜通夜で、明日葬儀だから、もしよかったらぜひともお別れに来てやってよ』
『いや、私は行くわけにはいかないけど、心のなかで祈ってるわ』
『そうか・・・、生前は本当にありがとう。また、落ち着いたら連絡するよ』俺は電話を切った。
Sさん、ありがとう。
で、肝心の通夜なんだが、夜食の弁当を買いに行って、そこでオヤジと大喧嘩になってしまった。
父親相手に、『表出ろ!この野郎!』と激高し、表に連れ出した。俺はかなり頭に来ていて、思わず蹴りをお見舞いしそうな衝動を抑えるのに必死だったんだ。俺の蹴りは実はなかなか強力だ。すんでのところで、もう一軒葬式が出るところだったってことさ。うちのカミさんは、二人ともどっちもどっちだわ、いい加減にしてよ!と、二人の間に入って大変な思いをして暴力沙汰になるのを防いでくれた。
なんだよ、クソ親父め、下らない見栄ばかり張りやがって。それは昨日今日始まったことじゃない。
30年前に、オフクロが死んだ時にも、見栄を張り過ぎて、オフクロに一度もあったこともないような仕事の関係の雁首野郎が、神妙そうな顔をしてずらりと並び、本当に家族で送ってやることが出来なかった。
思えば、それがきっかけで、随分と親族の中が悪くなってしまったんだ。
俺のオヤジは学習しない男だ。人の気持ちがわからないムカつく奴なんだ。若い頃に時代の波に乗って成功したおかげで、人間性がおかしくなっちまってるんだ。金回りの悪いニンゲンを見下すような発言ばかりする。今回も弁当屋で10人前頼んだおかげで、俺たちの次に頼んだお客の弁当のほうが先に出たのが気に入らなかったようで、早く作れみたいなことを抜かしやがった。
偉そうに。
弁当屋のパートの主婦の方々も、安い賃金で、一生懸命に働いているというのに、なんだよこの偉そうな物言いは。俺は瞬間的にカチンと来て、黙ってろ!と吐き捨てるように言っちまった。
俺の声はデカい。俺は頭に血がのぼると、遠慮しない。思い上がった奴が大嫌いなんだ。そういう奴は、自分より羽振りのイイ奴に対して、異様にニコニコとへりくだるんだ。俺はそんな奴の子供であることが嫌で仕方ない。
挙句の果てには、葬儀の金の話しでぐずぐず文句を垂れ流しやがった。
自分が見栄張って、必要以上にデカい斎場を借りるもんだから、金が懸って仕方ねぇんだろう。俺は金もないのに見栄を張るってのが、大嫌いだ。金が無いないで、開き直って笑っていたいってのに。
そもそも葬儀は、まずは心の問題だろう。そうじゃないかい?
祀るには、いますが如く、つまり死者がそこに現にいるように、誠心誠意努めるべきだ。見栄を張る場合じゃないってことだ。まったく、こんなことをしてたら、うちのばあさん、棺桶の中でも落ち着いて眠ってられなくって、ゾンビみたいに起き上がってきちまうに違いないぜ。冗談じゃねえってんだ。
読者諸君、失礼する。ぷんすか

2013/01/23

Post 706 Mement Mori

Tokyo
案の定、祖母が死んだ。お客さんと一杯やっている時に知らせが入った。
どんな人間も、いつ死ぬかはわからない。もちろん俺も。
だからそこ、毎日触れ合っている人に対して、真剣に向き合う必要を痛感する。
俺達は、自分も誰も彼もが、いずれは死ぬ存在だということを、往々に忘れている。
読者諸君、失礼する。南無阿弥陀仏。

2013/01/22

Post #705 実は今、ちょいと困ってるんだよ

Osaka
私事で恐縮だが、と書いて、毎回必ず私事しか書いていないことに気づき、ちょいちょいっと面白くなる。
私事で恐縮だが、俺の93歳になる祖母が、危篤だ。
しかし、俺は出張で静岡だ。男一匹の渡世、まだ息があるうちに、ケツをまくるなんて無責任なこともできん、というのが実情だ。この商売に携わっている連中は、離婚や親の死に目に会えないといった事では、芸能人並だ。狂った業界なのさ。
とはいえ、仕事は一時のことに過ぎないが、人の生き死には必ずいつでも一回こっきりだ。離婚に関しては何回もできるけれどね。何度も死ぬなんて、ジャンプのマンガか、007くらいのものさ。その重要性は本来比べることもできない。
だからこそ、困っているんだ。
今まさに仕事は山場だ。ここで放り出すわけにはいかない。俺の仕事は信用信頼が第一だ。俺はなんの組織の後ろ盾もないんだ。自分のキャラクターだけが売り物なんだ。
一度放り出せば、理由の如何を問わず、この狭い業界では、今後商売ができなくなる。そうなれば、今度は俺が危篤だ。練炭を買う金も残っちゃいないってことになっちまうだろう。
この件については、もうしばらく悩んでいることにする。いよいよとなったら、決断する必要があるだろうけどな。

思えば、俺が戦争反対論者になったのも、リベラルな思想の持ち主になったのも、もとをただせば、この祖母の影響だ。
俺は子供の頃から、戦争中は軍人が威張って、嫌な世の中だったといった話をこの祖母から何度も聞かされて育った。言いたいことも言えない嫌な時代だったって、この祖母が本当に忌々しそうに語るのを、子供の頃から見て育った。
大陸で軍関係の商売でべらぼうに羽振りが良かった祖父と、小さな子供たちを連れて、命からがら日本に引き上げてきた話は、何度も聞かされた。祖父は、その時子供たちこそが自分の宝だといって、涙を流していたと、祖母から何度も聞かされた。その子供が長じて、嫁を迎え、ガキを孕ませて生まれてきたのがこの俺だから、この時大陸から上手いこと引き上げてこられなかったら、俺はきっとこの地上にいないわけだ。感謝。
戦後、祖母は祖父と子供たちを連れて、鹿児島の実家の弟のもとに頼って行ったそうだ。
素寒貧の引き揚げ者の祖父と、薩摩隼人の弟は、一緒に竹林に竹を伐りに行き、竹製定規の材料として売りさばいたという話を聞いたことがある。ずいぶんと時代を感じる話だ。竹の定規なんて、小学校の時以来、使ったこともないぜ。もちろん、そんなので家族が養えるわけもない。その生活を支えていたのは、祖母の行商だったそうだ。
この弟が共産党員だった。そして祖母は、自分は共産党員ちゅうわけではなかったが、政官業の利権構造に胡坐をかいた自民党が大嫌いだった。選挙はいつも共産党に入れていた。
俺の基礎は、思うにこの祖母によって方向付けされている。

だから、本当は帰りたい。しかし、帰ったからといって、何ができるだろう。俺はイエス様じゃないんだぜ・・・。写真を撮るくらいしか出来ないだろう?まぁ、それで充分と言えば充分なんだけどね。俺が写真を撮った人間は、実は皆、極楽往生間違いなしだと思ってるんだ。

電話越しに、祖母に声を掛けた。祖母の呼吸は、俺の声にこたえるように荒くなったという。意識もないのにだ。しかし、死の瞬間も、視力は無くなってしまっていても、聴力によって、人間はかなり細かく状況を把握しているという研究を読んだこともある。臨死体験なんかを事細かに見ていくと、そういうことらしい。ほら、あれだよ、自分を見下ろすような視点で、自分のまわりに取りすがる親族を見ているとかいうヴィジョンは、聴覚が脳内で視覚に返還されているってことらしい。するってぇと、やはり祖母は俺の声が聞こえて、応えようとしていたのだろう。
うむ、なんとか俺が仕事をやっつけて、帰ることができる日まで、もってほしいものだ。
だいたい93年も生きたんだから、あと1週間やそこら、待ってくれてもいいだろう?
頼む!
読者諸君、失礼する。