2013/03/22

Post #760 CatFish

Paris
今日は、午前中に一件打ち合わせを終わらせてから、家に帰ってプリントするつもりだったのに、午後から打ち合わせに来てほしいと電話で言われ、俺は憮然とした。
仕事と写真とどちらが大切かと問われたら、すかさず写真と答えよう。
女の子二人から、わたしと彼女、どちらが大切なのよ!と訊かれたら、結構悩むかもしれないが、それは同じステージにあるモノの中から一つを選べと言われていることなので、悩ましい。
けれど、仕事と道楽というのは、仕事はあくまで、道楽を可能にするための手段であるという位置づけなので、この質問に関しては、いささかも躊躇することなく答えることができる。
俺のやってる仕事は、まぁ、他のニンゲンでも大過なくこなすであろうが、俺の写真は俺にしか扱えないのだ。他人様の手を煩わせると、それはすでに俺の写真では、ない。たとえ、俺が撮影した写真であろうとも、だ。
写真を撮り、プリントして、初めて自分の写真になるのだ。
もちろん、世の中には自分は撮る専門で、プリントは他人任せっていう人もいる。アンリ・カルティエ・ブレッソンもその口で、彼にはピエール・ガスマンという優秀なプリンターがついていた。分業制という奴だ。
一方で、森山大道のように、暗室で写真を造り上げるというタイプも確かに存在している。俺はこの家内制手工業というか、職人じみた流儀が好きだ。
パチリと気楽にシャッターを押すだけでは、それは完全に俺の写真にはなりきっていないんだよ。
解るかなぁ。解る奴にだけ解ればいい。そういうもんだ。
魚を釣ってきたからって、自分でさばいて料理しなけりゃ、俺の料理とは言えないだろう?
もっとも、俺がする魚釣りと言えば、近所のドブ川でもそこそこ釣れるナマズ釣りだけ。古タイヤが沈んでいるような、パチンコ屋の裏を流れるドブ川のナマズなんて食いたくもないぜ。
これがナマズだよ、ナマズ。
夜行性のナマズを釣るのは夜しか出来ない。夜勤の帰りに、ちょいと近所のドブ川によって、ルアーを放っちゃ引きしていると、闇の水面から、ゴボッ!バシャ!という音がする。ナマズが針にかかった音さ。掛かっちまったら、あとはゆっくりとナマズの動きに合わせて、糸を巻き上げ、網でそっとキャッチするわけだ。奴らは網のなかで身をくねらせて、大騒ぎだ。
寒い時期には、ナマズはどうしてるのかよく解んないが、釣ることはできない。きっと泥のなかで冬眠しているんだろう。ムーミンもびっくりだぜ。まぁ、いずれにせよ、これからがシーズンだ。

思うに、暗室のなかでのプリントも、闇の中から写真がガバリと浮かび上がってくる所は、ナマズ釣りとどこか通じるものがあるかもしれんな。やっぱり素敵なもんはみんな、闇の中から現れるのさ。
俺の写真もナマズも、どっちもモノクロだし、ぬらぬらしてるし。
てことは、俺の写真てのは、まぁ、魚拓みたいなもんか?
どうでもいいけど、マン拓ってのも、むかしちょっと流行ったな。それがなんだかわかんないなら、分からないままでいいさ。しょうもないことだからな。

ナマズはラジオペンチで針を針を抜いて、夜の川に帰す。
けれど、写真は、こうして君たちに見てもらうことになるのさ。
そんなナマズ釣りも、去年は忙しくって一度も行っていない。
今年は少しは行きたいものだ・・・。それに何より、今年はプリントをもっとしたいもんだ。

昼間は暗室にこもってプリントし、晩飯を食ってから、釣竿と網を担いで釣りに行く。
小学生から学校を取り去ったような、すばらしい暮らしだ。たまには泥臭いナマズの蒲焼なんか、食ってみるのも悪くはないかもしれないな。話しのネタにはなるだろう。いがいといけるかもしれないしな。もしそうだったら、そりゃ儲けもんだ。君も一緒にどうだい。
まったく、そんな暮らし、夢みたいだねぇ…。

読者諸君、失礼する。夢は眠ってみるもんか・・・。 

2013/03/21

Post #759 ばれない嘘をついておくれよ

Osaka
女の人の嘘には、時折驚かされます。

けれども、出来ることなら、女の人の嘘には寛大でありたいと思っています。
男の嘘には、同じ男として、許し難い憤りが迸ります。
一度裏切った奴を、二度と信用する気はありません。
おかげで、めっきり友達が少なくなって、寂しい中年になってしまいました。

それに比べて、女の人の嘘によって、世の中の『もののあはれ』が紡がれていくような気がします。
まぁ、それを言葉通りに信じてしまう男に非があるのかもしれません。

けれど、出来ることなら、死ぬまでばれないような嘘をついて欲しいと思います。

すぐに、馬脚を現すような嘘は、どうにもやりきれなくっていけません。
騙されたふりをするのも、おっくうなものです。
そして、どうしてそんな嘘をつかねばならなかったのだろうと、その人の境遇や生き様や、人間性について、どこか悲しい答えの出ない疑問を、随分と長い間持ち続けることになります。
ばれないウソは、そんなゴルディアンノットのような解けそうで解けない疑問を生じさせることもなく、お幸せな夢を見せてくれるでしょう。

なに、完全無欠でなくったってイイんです。
僕がこの世からいなくなるまでの、ほんの短い間、ばれないでいてくれたらいいんです。
どうせ人生は、不確かな未来と、あやふやになってゆく過去のはざま、捕まえようとするとするりと過去に過ぎ去ってしまう現在の連続体。どこか幻めいたものなんですから。

もちろん、写真の女性と、今日の文章の内容は、まったく関係ありません。
私の周りには、私に嘘をついてまで、私から何かを搾り取ろうとする女の人はいないからです。
何故って、私はすこぶる稼ぎが悪いからね。

それはそうと、今日David Bowieの10年ぶりのアルバム、The Next Dayを買ってしまいました。
10年ぶりのアルバムで、もう引退したと諦めていた人々は、奇跡を目にしたかのように喜ぶ一方、10年も沈黙していながら、変わり映えしないじゃないかという批判的な意見もあるようです。
そのどちらにもくみせず、純粋にCD屋で試聴してみて、気になって買った私ですが、これはこれでなかなかに素敵なアルバムだと思うけどね。
まぁ、David Bowie以外の何ものでもないってカンジだし。
だいたい、スゲー奴はいつだってマンネリなもんだと思うよ。

読者諸君、失礼する。