2013/05/23

Post #823

Jogjakarta,Indonesia
昨日は、朝イチから新幹線に乗り込んで新宿に向かい、仕事関係者に落ち合った。
ブログばかり書いてるせいか、2時間近く寝坊してしまったのだが、何とか30分のロスで済んだのは幸いだったといえるだろう。
で、そこからすぐに特急かいじに乗って、甲府まで仕事の下見に行き、今度はそのまま中央線をスーパーあずさで松本まで、そして松本から名古屋まで特急しなのでといった具合で、とんぼ返りで戻ってきた。いったいぜんたいどれだけ動けば気が済むんだよってくらいだったんだ。仕事1時間、移動は計10時間ほどにもなっただろうか?何をしたって訳でもないが、なんだか疲れたよ。
窓の外では、ヤンキーがブイブイ走り回っている。愚かな奴らだぜ。自己表現の方法を、他に思いつかないんだろう。思えば哀れなことよのう。

読者諸君、失礼する。

2013/05/22

Post #822 つまりはそういうことさ

Little India,Singapore
古い洋楽をかけながら、窓を開け放して車を走らせていた。
いい気分だ。マーサ・アンド・ヴァンデラス、マービン・ゲイ、ザ・バンド、ジョン・リー・フッカー、ハウリング・ウルフ、エタ・ジェイムス・・・・。どれもシンプルで厚みのある音だ。それぞれのグルーヴの中に、ブルースが流れている。うむ、しっかりと地に足がついてる感じがするぜ。
しかし、今時こんなの聴く奴なんて、どこにいるっていうんだ?
こんなに素敵な音楽を知らないなんて、残念な話なんだが・・・。
どいつもこいつも、AKBを聴いてるのか?それともきゃりーぱみゅぱみゅかよ?俺の仕事の関係の職人さんには、仕事中ずっとKARAを聴きながら仕事をしてる奴もいる。あれは正直言って、俺にはかなりこたえる。

しかし、仕方ない、時代にあっていないのだ。俺も、俺の好きな音楽も。はっきり言えば、時代遅れなのさ。
どんなに素晴らしいモノでも、新しいモノを売るためには、それより前のものは、古臭くて陳腐だってことにしていかなけりゃ話にならないのさ。たとえそれが、どんなにタイムレスで素晴らしいモノであってもね。なにしろ人びとは飽きっぽいんだ。よっぽど好きじゃないと、次から次に消費していくだけだ。
そして、以前の流行を人々の頭から追い出すために、次から次に、より刺激の強いモノが送り込まれてくる。早いリズム、強烈なビート、やたらと転調が多いひねくりまわしたようなメロディー、挙句の果てには何を言ってるのか、何を伝えたいのか、さっぱりわからない予定調和の歌詞。
俺にはついて行けないぜ。ついて行く気もないけどね。

まぁ、俺の写真も、そうなんだろうな。
俺の写真が素晴らしいかどうかは別にして、流行じゃないんだ、フィルムでモノクロで自家現像なんて。時流に取り残されてるんだ。それがいくら、写真の根本であり究極であると言ってもね。
画像処理しまくったような鮮やかな写真が皆さんのお気に入りなら、俺の写真はお呼びでない、こりゃまた失礼、てぇカンジだ。

俺からすれば、その手の写真と俺の写真は、野球とベースボールくらい違う。いや、野球とクリケットか?どっちでもイイさ。つまりはそういうことさ。

かつて、写真てのは、かなり特殊な趣味だった。
だいたいカメラ自体がとんでもなく高かった。家や車並みに高かった時代もあった。しかも知識と経験に裏打ちされた技術が無ければ、マトモな写真はとれなかった。
しかし、今では誰でも携帯電話でキレーな写真が撮れるんだ、けっこうな時代になったもんだよ。
だが、本当の問題は、技術や経験、機材の問題ではなかったんじゃないかと思う。
それだけの時間とカネとジョーネツをつぎ込んでまで、何故写真を撮るのかという、動機の部分だったようにも思える。
もちろん、ケータイでキレーな写真が撮れ、それが瞬間的に世界中に共有することができるこの21世紀には、写真に動機はいらない。何故と問いを発する前に、もうケータイで撮ってるんだからな。
誰もがイメージ通りの風景を撮り、キレーだと盛り上がり、目の前の猫を撮り、可愛いと盛り上がり、食い物の写真を撮っては、おいしそうと盛り上がる。

世界中に、安い共感が広がっていく。広がっては行くが、深まってはいかないんじゃないのかい。地に足がついていないように思えるのは俺だけかい?

そんなこと言ってると、世間からジジイ扱いされちまうぜ。いや、今時はGさんたちだって、フォトショップを使いこなして、せっせと電線を消したりしてることだろう。驚くぜ。
自分のイメージ通りの世界を、写真に撮りたいってのは分からなくはないけれど、世界に対して、素直に向き合い、その光を受け止めるってのが、写真だと思ってるんだがな。
新たな現実に直面するときにこそ、その出会いによって自らの自意識が解体され、瞬間的に再構築されるというのに・・・。
まぁ、誰もそんなこと考えて写真なんか撮らんか?

まぁイイさ。俺は商売でやってるわけでもないんだから、流行じゃないからって、止めるつもりもないし、時流におもねるつもりもないのさ。
だって、俺自身が好きでやってるんだからな。
まぁ、所詮は人生の暇潰しさ。

読者諸君、失礼する。俺はいつも自問自答するんだ。何故、写真を撮るのかって。好きだからじゃ、答えにはならないんぜ。そこが難しいとこさ。 

2013/05/21

Post #821 Shrimp And Noodle

Singapore
ついさっき、仕事を終えて帰ってきた。
飯を喰らい、食器を片づけることもなく、ゴロリと床に横たわる。このまま、眠ってしまいたいが、そうもいかない。書類を作ったり、メールを送ったりしなけりゃならないんだ。
いや、少しくらい眠ってもイイんじゃないかなぁ・・・。
まぁ、どっちだっていいや。どっちにしろ、命まで取られるわけでもないしな。

可愛くもなく、キレイでもない、特別なことが写っているわけでもない。
ただ、自分の眼前にあるものを、フィルムにおさめ、暫くの間、撮ったことすら忘れるほどに放置して、自分のうちに沈潜させ、時を置いてモノクロプリントする。
俺はニンゲンに興味津々で、自分のまわりの世界の断片を拾い集める、映像的なクズ拾いなんだ。
白と黒からなるモノクロ写真にしてしまうことで、俺の私的な経験は、経験の持つ生々しさが脱色され、どこか抽象性を帯びるようにも思える。
抽象性を帯びることで、それはある種の最小公倍数的な普遍性を持つにいたりはしないかなと、夢想したりもする。
それを自分の写真の流儀とすることで、世の中のいわゆる写真の大潮流に、独り逆らってみたく思うのさ。

可愛いだけの猫の写真は、見飽きた。
あり得ないような彩度の、目にも鮮やかな風景写真は、見飽きた。
風呂屋の書き割りのような予定調和のとれた写真は、見飽きた。
誰かの食った昼飯の写真も、見飽きた。
自意識過剰な自分撮り写真も、見飽きた。

そして、読者諸君はどうだろう?
毎度まいど、意味の分からないようなモノクロ写真は見飽きただろうか?
OK、そういう人もいるだろう。
けどこう見えて、俺は自分じゃけっこう面白がってるんだぜ。どうせ人生にも写真にも、たいそうな意味なんてありゃしないんだよ。

読者諸君、失礼する。