2014/04/12

Post #1103

士林夜市、台北
写真について。

『その写真を好きか嫌いかはぜんぜん別として、とにかくその写真を見たときに何かを感じさせる、見た人に。それがいい写真なんだ。』

ジョン・シャーカフスキー(元ニューヨーク近代美術館写真部長)

読者諸君、失礼する。君たちが俺の写真から、何かを感じ取ってもらえならば、俺は嬉しい。

2014/04/11

Post #1102

Goa Gajah,Bali,
バリ島のボブ・マーリィの連れの女性。
カメラを向けると、ボブに促されるようにして、にっこりとほほ笑んでくれた。
少し照れたようにはにかみながら香炉を捧げて。

神の棲む森での、幸せな遭遇。

このあと、彼らはさらに奥の祠に向けて歩み去って行った。
俺はふと、俺の前にシヴァとその神妃・パールヴァーティーが俺の前に人の姿を借りて現れたようにも感じたんだ。

目に見える世界は、象徴に満ちている。目に見えるものから、目に見えない意味を読み取ること。それによって、このどうしようもない世界は、重層的な意味を持つ。

現代人が、目に見えるモノしか理解できなくなったのは、残念なことだ。
はるか昔、神の名を呼べば、天から光の柱が降りてくるのを、地を割って光の柱が立ち上るさまを、ありありと幻視することができた俺は、いつもそう思う。
残念なことに、それは写真には写らない。

読者諸君、失礼する。ゴアガジャの旅は、これで終わろう。次はどこに君を連れて行こうかな。

2014/04/10

Post #1101

Goa Gajah,Bali,Indonesia
森の中の小道を下ってゆくと、小川が流れ、石造りの小さな橋が架かっている。
庭園の様に整えられているが、熱帯独特の深い森の気配に満ちている。
そんな道を上ったり下りたりしていると、山の斜面にはいくつも小さな祠がある。

名も知れぬ神々を祀っているのか。

俺の前に、髭と長髪をたくわえた男が現れる。
ふと、俺はボブ・マーリィを思い浮かべた。ドレッドではないけれど、ジャー(ヤハウェ)を信仰しているわけではないけれど、その物腰に敬虔さが、その表情に分け隔てのない寛容な心が見て取れる。

お互いに、『さらまっ・ぱぎー』、つまりおはようと声を掛け合い、あとは何を語り合うわけでもない。
けれど、十分だ。
森に満ちる神を仲立ちに、俺たちはつながっていると感じる。

見るがいい。彼らが祈りを捧げる小さな祠を。
それは俺が日本で見る祠と、ほとんど変わらない。
ここは熊野の森や、奈良の三輪山とも地続きなのだ。
俺にはこの時、このゴアガジャのボブ・マーリィが、同じ神の懐に抱かれている兄弟のようなものだったように思える。バリに生まれていた自分の姿のようにも思える。

彼もまた、俺と通じ合うものがあると思ったのか、にやりと笑って親指を立てた。

読者諸君、失礼する。