2014/12/04

Post #1338

Kathmandu,Nepal
そろそろまじめに次の仕事のことを考えなくちゃな・・・。
出来る事なら、クソ下らねぇ仕事なんか放っておいて、旅をして、食ったことのないものを食い、言葉の通じぬ人たちと笑いあい、写真を撮って、プリントしていたい。
しかし、それには結構な経費がかかるんだよなぁ。
グッゲンハイム奨学金とかもらえるんならともかく、今の状況では、そんな暮らしは無理だ。
それがフツーさ。

それはそれとして、今日は昨日のプリントの中から一枚お送りしよう。
インド系の女性の黒い肌がスゲー質感だ。硬そうな髪も、子供の柔らかそうな腕も、快心の出来だ。セバスチャン・サルガド大先生かスティーヴ・マッカリー先生のような写真だが、俺が撮ったんだぜ。

このワクワクするような感じが、君にも伝わるだろうか?
伝わってほしいものだ。
そして、この女性がその境遇のなかで、子供を育ててゆく営みを想像してほしい。
この無垢な瞳の子供が、どのように世間の垢に染まって、無限の可能性を擦り減らしながら生きてゆくのかを想像してほしい。

目を閉じて、30秒間、考えてみてくれ。

OK、想像してくれたかい?

写真というのは、想像力を働かせないと、即物的すぎて、なんにも君の心には残らない。
フェイスブックでよく見かける、誰かのランチの写真みたいに心に何も残さない。

けれど、それは、もったいないぜ。

そんなの解かりっこないし、解かったところで何の得もないと思うのも勝手だろう。
けれど、解からないなりに想像する。
そういった営みが、俺たちが日常生活で他人と接するときに、大きな糧になるんだ。
俺はそう思う。

読者諸君、失礼する。あぁ、そんなこと言うと、俺、浅薄な善人みたいで嫌になるな。けど、思ってることって、言わなきゃ何も伝わらないだろう?だから、仕方ないのさ。

2014/12/03

Post #1337

Boudhanath,Nepal
まずは昨日のプリントから一枚。

世界最大級のストゥーパ、つまり仏舎利塔ボダナートのストゥーパだ。
お釈迦様の遺骨が納められているのだ。そこに行くと、すごい磁場のようなエネルギーを感じる。
高さ36メートル。そこはチベット仏教徒の聖地で、このストゥーパの周りには、おびただしいチベット系住民や少なからぬチベットからの亡命者が住んでいる。彼らは朝に夕べに、この巨大なストゥーパの周りを時計回りに108回巡り、仏に帰依を示す。こうして人々が巡ることで、コイルのように精神的な磁場が強化されているんじゃないかとも思える。

ストゥーパの四方には、世界の果てまで、因果を見通す仏の目が描かれている。
1ドル札の裏に描かれた『プロビデンスの目』にも似ていなく無いが、あちらは監視し、こちらは慈悲の目を注ぐ。一神教世界と多神教世界の相違が感じられる。

鳩は日差しを避けてそのドーム状の屋根に蝟集している。
人々は、仏に祈り、また、仏の膝元で憩う。


俺は、写真になんかにとんと興味のない絶対的多数の人々に対して、自分の行為がどういった意味を持ちうるのか、ふと考えてしまうんだ。ぐるぐるぐるぐる…、考えてしまうんだ。
しかし、考えても仕方ない。どうせ、何の意味もない。くだらないTVを見ていた方が、その人たちのためかもしれない。俺は、そんなのほんとはお構いなしで、自分の愉楽に耽っていればいいのかもしれない。

読者諸君、失礼する。今から腹ごしらえをして、プリントでもするさ。

2014/12/02

Post #1336

Zagreb,Croatia
急に寒くなってきた。懐はいつだって寒いが、12月に入った途端にこの寒さとは、ちとゲンキンというものではなかろうか。
伊吹おろしと呼ばれる寒風吹きすさぶ中、髪を切りに行ってきた。
例によって、ガンガン上の方まで刈り上げて、細いバリカンでラインまで入れてある。年甲斐もないとはこのことだ。じじむさくまとまりたい奴は、勝手に老け込んでいるがいい。俺にはカンケーないのさ。風が吹くと側頭部が寒くって仕方ないぜ。
カミサンにはなんだかキン肉マンに出てくるラーメンマンみたいになってるよなんて言われてしまった。闘将ラーメンマンか。悪くない。カンフーシューズとナマズ髭が必要だな。

その後、今日はプリントをした。23カット。本当はあと5カットほどやらねばならなかったんだが、いかんせん、気温が下がってしまっているので、印画紙を現像液に入れても、液温が低いので、なかなか白い印画紙から画像が浮かび上がってこないのだ。
時間がかかって仕方ない。
そうこうしているうちに、カミサンが仕事から帰ってきちまって、タイムアウトだ。
けれど、明日がある。明日、もう一度トライだ。

小さく暗い暗室に入っていると、外の世界がどうでもよくなる。
この狭くて暗い空間のなかに、俺の世界がすべて詰まっているように感じるんだ。
もちろん、その世界はネパールやバリやモロッコやパリと直接繋がっている。
広くて豊かな世界だ。
見も知らぬ行きずりの人々の姿を、印画紙に焼き付けながら、そこに写っている人々が、さまざまな煩悩に振り回されて生きている卑小な名もない人々が、愛おしく思えてきて仕方ない。神様だか仏様だか、何かしら超越的な存在に対して、その人たちの幸せを祈らずにはいられない。
おかしいかい?
けど、俺は暗室でプリントしているとき、本当に充実していて、これ以上はないってほどに幸せなんだ。なんていうか、世界そのものと自分が溶け合っていくような感じなんだ。
もしも一生これが続くなら、本当にどれほど幸せな事だろう。そして、その内側に漲る多幸感は、何時しか溢れ、被写体の皆さんに注がれるってわけだ。
出来る事なら、君にも分けてあげたいくらいだ。

これに匹敵するのは、頭が真っ白になるくらい激しいセックスくらいだろう。
その一方で、性的に満たされすぎると、写真がダメになりそうだとも思う。
セックスも写真も、同じ生命力の根幹から湧き上がってくる衝動によって成り立っているように、俺には思えるからだ。
けど、セックスはやっぱり相手がないとできないしな。
その点、プリントは時間さえ作ればいつだってできる。
やっぱり俺には写真だな。

読者諸君、失礼する。俺はきっと、どこかおかしな人間なんだ。けど、おかしな人間のほうが、面白おかしく生きることができるもんだぜ。人生は一度きりだからな。だから、明日もプリントさせてもらうぜ。