2014/12/27

Post #1361

Kathmandu,Nepal
昨日は取引先の忘年会に出向いて、久々に鯨飲。
芋だか麦だかわからんが、焼酎をロックでガンガン飲んで、パイプを吹かして皆の衆を文字通り煙に巻き、誰よりもでかい声で、何を話したか細部が全く思い出せない漢気炸裂トークをかまし、下ネタ全開で笑い転げて、実に有意義な時間を過ごしてきたよ。
まわりはいつも仕事でおなじみの悪軍団だから、お互い何の遠慮もありゃしねぇ。ルール無用の無礼講だ。
解体屋、軽量鉄骨屋、大工、内装屋、監督などなど、現場仕事をしている男たちの集まりは、これだからたまらないぜ。
漢同志の絆は、やはりバカ騒ぎして飲み交わさないと深まらんもんだ。女との絆はやっぱアレだけどな。
挙句の果てには、お迎えに来てくれたカミサンを、仕事仲間を一人一人呼びつけて紹介し、車の中を酒の臭いで充満させながら家までなんとか帰ってきた。カミサンはやったらめったらぷりぷりしてたぜ。
で、二日酔いもなく今日は俊才・酒見賢一版三国志『泣き虫弱虫 諸葛孔明』第四巻を読みふけって、ちょいと一戦するたびに、底抜け大宴会の劉備軍団の馬鹿騒ぎっぷりに、漢はかくあるべきだなと確信を深めていたりしたわけだ。

俺は日頃、仕事が夜討ち朝駆けなんで、酒飲んだりする機会はほとんどないんだが、こんなんだったら毎週でも構わないぜ。いつでも呼んでくれよ。まぁ、仕事が空いてたらの話だけどな。
しかしなんだなぁ、俺、年年歳歳、年を重ねるごとに、放蕩無慚のろくでなしになっていくなぁ・・・。
しかしまぁ、これも人生だ。ロックンロールだ。子供でもできたら、少しは改めるんだがな・・・。

読者諸君、失礼する。明日こそ年賀状つくらねぇとな。うかうかダラダラしてると、年が明けちまうぜ。

2014/12/26

Post #1360

Kathmandu,Nepal
写真をやってますというと、たいていの人は、ほうといって俺に見せるように言ってくれる。
俺は、自ら焼いた六つ切りの印画紙をスキャンし、携帯にバックアップしておいた画像をみせると、たいていの人は、これは上手いですねぇと褒めてくれる。

  それを真に受けたらかん。
  本当に上手かったら、俺はとっくにそっちの世界で飯食っとるはずだがね。

たいていの場合、これだけの(質だか量だかわからんけども)ものを発表したりしないのですか?と聞いてくれる。
俺は、こんなブログをやってます。やってるだけで、誰も見てはくれませんと言う。
で、携帯で見せてみると、たいていの人が、今度見てみますという。

  それを真に受けたらいかんって。
  世の中には社交辞令というのがあるんだで。

社交辞令という奴は、人間と人間の関係をスムーズに進めていくためには、欠かせないものだ。
俺が受け取っているのはまさにそれなんだけど、その時はやはり少し嬉しく、素直に感謝してしまう。相手が女性だったりすると、嬉しさ当社比1・5倍増量中って感じでなおウレシイ。

しかし、実際に見てみたよって話は、きかないなぁ・・・。

年賀状を受け取ると、例年、ブログいつも見てますとか書いてあったりするけれど、そんなこと書くくらいなら、コメントでも入れてくれたらいいのに思う。
コメントも毎度おなじみの仲間しかくれない。ありがとう。素直に感謝してるよ。こうして続けてこれたのも、君たちの支えがあってからこそだよ。

俺はすばりいって、褒められると実力以上のパワーを発揮するタイプなんだ。
当社比1.2倍は行けるだろう。
しかも、女性に褒められるとその数値は、さらに2倍くらいには跳ね上がるんじゃないか?おっぱいの大きさに比例してたりすると、人間的にこれまた面白いのだが、調子に乗ってその手のことを書くと、ほうぼうからお叱りを頂いてしまう。
ゲンキンなものだ。単純な男なのさ。
常々仕事の現場にも、応援専門の可愛い娘ちゃんを配備して、職人さんを応援していてもらえば、仕事の質,、量ともにかなりUPするんじゃないのって考えてる俺だからな。
まぁ、戯れ言はおいといても、手応えがないとつまらないのだ。 仕事でも、待遇金額に不満がなくても、必要とされてるいるという実感がないと、阿呆らしくなって契約解消してしまうような俺なのだ。
人が自分を、認めてくれないと嘆くより、自分の実力のなさを憂うべきちゅうのはよくわかるんだけど、外人さんのゆるゆるのあそこに突っ込んで、必死に腰振っているような手応えの無さは、もう滑稽ですらあるわいな。


一般的に言って、俺の写真はつまらない、のだろう。


俺自身は、面白がっているのだが、客観的にみれば、まぁ、それが現実だってことだろう。

坂口安吾の夜長姫と耳男ではないけれど、俺の写真には、おばあさんの頭痛を和らげる力もないんだろう。もっとも、そんな力があったら、頭痛に悩むばあさんが殺到してしまう。とげぬき地蔵とかじゃないんだから、御免蒙るぜ。


どうして、相手が俺の写真に興味があるなどと考えたりしてしまうだろう。
そもそも期待しなければ、落胆もしないのだよ。
白と黒だけの退屈な画面だ。エキセントリックなものが写っている訳でもないしな。

世の中には、もっと刺激のある映像が溢れてる。きわどいセクシーショットとか、悶絶可愛い猫の写真とかね。それに何より、もっとうまい写真なんていくらでも見ることが出来る。

書いてることも、しょせんはその辺で一山いくらで売られているジャンクカメラのような、至極つまらぬ中年男の心中雑感だ。世の中には、もっと有益なサイトが山ほどある。そっちを見たほうがよほどイイ。例えばそうだなぁ・・・、2ちゃんねるとか風俗情報とかね。そっちの方が、君の心と体にとっては有益だ。

思えば、俺がコメントを互いにやり取りしていた人々のなかには、衝動的にボタン一つで、自分のブログをすべて削除してしまった人もいる。また、自分しか見ることが出来ないように設定を変えてしまった人もいる。
それぞれに個性的な作品を手掛けていた人たちだったのに、なんの手がかりもなくなってしまった。さみしい話だ。
この人たちも、写真を撮っては、UPし、何の手応えもないという焦燥感に苛まれていたんだろうか。
まぁ、俺の場合は心の声が垂れ流されてる感が強いから、一概に同じとも言えないけどな。

俺の写真の良さを分かってるのは、もう何年も俺とごく少数のお仲間だけだ。
さみしい年の瀬だ。
来年は違う方向に戦法を切り替えてゆくべきか。
それとも真逆に、人には黙って、自分の写真を死ぬまで隠し通すか。
いずれにせよ、もうオナニーみたいな生活には厭き厭きだぜ。


読者諸君、失礼する。年末年始は酷税局の青色申告の書類でも作るとするかな。

2014/12/25

Post #1359

Praha,Czech
日本ではあまりポピュラーではないけれど、有名なクリスマス・キャロルの一つに、“Good king Wenceslas”というのがある。日本では、『ウェンセスラスは良い王様』と呼ばれているそうだ。

このクリスマス・キャロルは、厳冬の12月26日、聖ステパノスの日に、城の物見台から王が雪の中薪を集める貧しい小作農を見つけることから始まる。
王は小姓を呼びつけると、『汝はあの者がどこに住む何者か知っておるか?』と尋ねた。
小姓は『あれは聖アグネスの泉のほとりに住む小作農であります』と答える。
すると王様『小姓よ、肉を持て、葡萄酒を持て、末の薪を持て、それらを背負いて我ら彼の貧しき者のもとに施しをもたらそうではないか』
というわけで、王様と小姓は冬の厳しい寒さの中、雪をかき分けて小作農のもとを目指すのだが、陽は暮れ、吹雪に道は閉ざされる。
小姓はたまらず『王様、日も暮れ風も厳しく、私の心は折れてしまい、もはやなす術とてありません』と泣き言を言い出す始末なんだが、そこは王様、『よし、小姓よ。我が先に道をゆき、雪を踏み固めてゆけば、いささか寒さもしのげよう。雄々しき心を奮い立たせて我についてこい!』と先を歩み始める。
すると、王様が踏むところ、雪はとけ、青々とした芝土が姿を現したという話だ。

つまり、富者は貧者に施しを与えることは、神の御心に沿う行いだと讃える歌詞で、締めくくられる。

このウェンセスラスには、モデルがいる。
ボヘミヤ公、ヴァーツラフⅠ世だ。
ボヘミヤとは、ほぼ現在のチェコのこと。そして、907年に生まれ、18歳で即位したヴァーツラフⅠ世は未だ伝統宗教が大勢を占めていたボヘミヤに、キリスト教を本格的に導入した若き王だった。
しかし、神聖ローマ帝国に臣従してすすめられたキリスト教化政策は、伝統宗教を信じる貴族たちの反発を買い、935年に暗殺されてしまう。

残念!

ヴァーツラフⅠ世は、こうして殉教した故に聖人とされ、次第にボヘミヤの人々に、ボヘミヤの守護聖人として信仰されるようになっていった。さらに人々は、彼を真のキリスト者にして、国と民族を護った理想の騎士だと考えるようになった。ボヘミヤの危機の時には、彼は甦り、国を救うとまで信じられていたほどだ。

写真は、彼の名を関したチェコの首都、プラハのヴァーツラフ広場に聳え立つヴァーツラフⅠ世の像だ。この広場は1968年のプラハの春の際には、ソ連軍の戦車に蹂躙され、1989年のビロード革命の際には、自由を求めるチェコ市民で埋め尽くされた。この時にも、人々はヴァーツラフⅠ世の名を脳裏に思い浮かべていたことだろう。


ビルゲイツなど、欧米の資産家には、しばしば慈善団体に巨額の寄付をしたり、非営利の慈善事業を起こす人も多いのだが、これはキリスト教文化に根差した伝統だ。マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(岩波から出てますよ)を一読されたい。お勉強になるぜ。もっとも、そういったいわゆる慈善活動に、やっかみ交じりの批判も多いのは承知の上だが。
翻って日本の金持は、ただため込むだけ。
これでは、銀行に積み上がった金が泣いているぜ。
政府も、低所得者に対するアベノミクスの恩恵は、トリクルダウン、つまり富裕層から滴り落ちるおこぼれでいきわたるはずだと無責任に嘯きつつ、税金を上げ、福祉をカットしている。
まぁ、そんな政府を選んだのは、他ならぬワシら日本人の皆の衆なので、文句も言えまい。

しかし、ここで衝撃のお知らせ。
OECD(経済開発協力機構)は、先ごろ、このトリクルダウンってのは、実は歴史上一度たりとも実際に起こったことがないと発表した。

衝撃だなぁ、笑うしかない。この道しかないとか言っていたが、ますます怪しくなってきたぜ。

なんだか今日は、とりとめのない内容になってしまったなぁ。しかし、本当に活きたお金ってのは、誰かの幸せのために使わないといけないんだぜ。それが本当のプレゼントさ。

読者諸君、失礼する。メリー・クリスマス。この瞬間にも、世界には苦しんでる人がたくさんいるのさ。クリスマスで浮かれてるのはいいけれど、それを覚えていてほしい。