2015/04/15

Post #1470

Kathmandu,Nepal
俺の写真ってのは、要は盗み撮りみたいなもので、いろいろと皆の衆の権利意識が盛んになってきた現代では、非常に大きな問題をはらんでいるのは、自分でも承知しているんだ。
実際に、かつては写真の中でも一つの大きなジャンルを形成していたストリート・スナップってのは、最近ではめっきり低調だそうだ。
そりゃそうだろう、俺だって写真を撮ってて、職質されたり、警察に突き出されたり、黒人に絡まれたりしたことがたくさんある。いや、撮ってる枚数からしたら少ないくらいだろうが、実際に多々ある。
それどころか、大好きな人からすっかり嫌われて、拒絶されてしまったこともある。
写真の道は、険しいのさ。

もう10日もすれば、俺はバルセロナで、街をぶらぶら歩き回りながら、道行く人々を風のように素早くフィルムに収めていることだろう。
ごく普通の人々の、ごく普通の暮らしを、営みを、姿を、モノクロフィルムに定着させるんだ。
それは、君たちが本屋で手に入れることができるガイドブックには、決して載っていない類のものなんだ。
観光名所なんかは、もっと他の写真の上手な人に任せよう。
俺は、俺にしかできないことをやるんだ。

俺のこの営みは、今どきの常識からしたら、どうにも後ろめたいことなのかもしれないし、それを暗室で焼き付け、スキャンして、こうしてブログにUPしているってのは、決してほめられたことじゃないのかもしれない。
むしろ、犯罪者のような卑しい所業だと、君には感じられるかもしれない。
そもそも写真には、とても暴力的なところがある。暴力的でなければ、世界の本当の姿を切り取ることなんかできないのかもしれない。いやぁ、もっと考えるとすべての芸術ってのは、暴力的な要素をふうんでいるんだと思う。究極は、見る人間の意識に、暴行を加えるように揺さぶるものだから。
そもそも、カメラと銃器はとてもよく似ている。兄弟のようだ。
その証拠に写真を撮ることも、銃で撃つことも、英語では同じシュートだ。

残念ながら、さすがの俺も、この日本国内では、不審な犯罪者だと思われるのが嫌で、あまり写真を撮っていないくらいだ。もっとも、店舗工事の現場監督という男の仕事が忙しいので、のんびり写真を撮ってる余裕なんてないってのもある。
また、どうにもこうにも、日本の風景や人物が、日本全国どこに行っても驚くほどに均質化しているので、写真を撮っても、最早さほど面白くも感じられないってこともある。
これはある意味で俺の感性が鈍っているということでもあるな。

しかし、社会の変遷の激しい今の時代、実はこのストリート・スナップというのは、とても重要なことなんじゃないかと思ってるんだ。

かつて、このブログに頻繁にコメントを書き込んでくれていた若者から、あなたの写真は、きっと将来、貴重なものになるはずだっておだてられたことがあったけれど、俺もひそかにそうあってほしいと思っているんだ。

命が必ず失われるように、俺の目の前に現れた全てのものが、街並みも、かぐわしい花々も、そして何より、精一杯生きている名もない人々も、時間の流れという巨大な虚無に、いずれ飲み込まれていって、跡形も残さず消え去ってしまうんだ。もちろん、道行く美しい女性も含めてね。アンチエイジングにいくら金を使っても、すべて消え去ってしまうんだ。なんて悲しいんだ。

それを思うと、ある種の悲しみを感じないではいられない。

だから、俺は、それを惜しむのだ。
この世にある何もかもが、いとおしいのさ。

いちど失われたものは、二度とこの世に顕現することはない。
お前に、それをどうこうする責務もなければ、権限もないはずだと言われたら、もちろんそれまでなんだけど、けど、俺は自分が世界と切り結び、確かにこの人々の生きていることを見届けたという思いで、必死の思いで写真を撮っているんだ。そこには、その日そこに吹いていた風も、においも、音も、そして何より光も、ぐっと凝縮されてこめられているはずだ。

俺は決して、単なる楽しみに淫しているだけではないんだぜ。
至って真剣なんだ。ある意味、身勝手ながら、ミッション=使命とすら思っているのさ。

このためだけに、働いているといっても過言ではないし、そのためにこの自分に向いていない世の中で、恥を忍んで生きていると言ってもいいくらいだ。
できることなら、俺の目玉そのものがカメラになって、目に映った人の全てを、8インチ×10インチの印画紙に焼き付けたいくらいだ。半永久的な命を、印画紙の中に吹き込むのさ。

それよりなにより、俺は人間の顔を細部まで思い出せないという、悲しい欠陥がある。
前にも話したことがあると思うけど、どんなに大切な人も、どんなに親しい友人も、どれだけ愛している相手でも、はっきり顔が思い出せないんだ。
もちろん、その顔を見れば、瞬時に名前もどこで会ったかも思い出せるんだけど、普段はまるっきりダメなんだ。印象に残ったパーツしか思い出せないんだ。目とか、口元とか、ほくろとか、そんなものばかりさ。
だから、俺の記憶の中に出てくる人々の顔は、モザイクがかかってるみたいにはっきりしない。顔出し禁止なんだ。

それが俺には、とても悲しく、辛い。
思い出したいのに思い出せないのは、大切なものが指の隙間から流れ去ってしまったように、切ないことなんだ。わかってくれるかい?

けれど、自分がプリントした写真に写っている顔は、いつでもくっきり思い出せるんだ。
不思議なものだ。
印画紙と一緒に、自分の脳の中のある領域に、しっかりと焼き付けることが出来るみたいなんだ。
都合のいいことを言うなって思うかもしれないけど、本当さ。きっと、人間の顔を記憶する領域と、自分の写真を記憶する領域は、まったく別のものなんだろう。
できることなら、今すぐにでも君の写真を撮って、この手でプリントしたいくらいだ。

俺にとって、写真ってのは、一種の愛情表現だと思えるぜ。

だから、俺をあまり責めないでほしい。俺の一見身勝手な営みを、受け入れてほしい。できたら、君の写真を撮らせてほしい。それはきっと俺の人生の宝物になるだろう。そして、もしもいつか君が年老い、この世界からおさらばするときが来ても、それは君がこの世に確かに存在した、確固たる証となるだろう。俺は、そう信じている。そして、信じているがゆえに、反社会的だとか、非常識だとか思われても、悩みつつも写真に取り組み続けていくに違いない。この命のある限りね。

読者諸君、失礼する。俺は、自分の写真に写っているすべての人が、この世に確かに存在したという証を残したいんだ。そして、俺自身もね。

2015/04/14

Post #1469

Helsinki
意を決して、かかりつけ病院に行ってきた。
もちろん、ケツから血がブリブリ出てる件だよ!
大腸癌だか直腸癌だったらたまらないからな!
そんなフツーなくたばり方は、御免こうむるぜ。
ダイナマイトで自爆とかさ、もうちょっと世間にご迷惑というか、あっと言わせるような死に方がしたいんだよ!
もちろん、男の仕事が俺を待っていたんだが、ケツから血が出てるのに、気になって仕事なんて手につかないだろう。
俺は、仕事仲間に電話をして、ケツから血が出るんで、病院に行ってから現場に向かうと伝えたんだ。

まだ診察の始まっていない時間に受付を済ませると、先生の奥さんが出てきて、また風邪でも引いたのか?と聞いてきた。
俺はケツから赤い血が出るんだと伝えた。
すると、先生が受付の窓から顔をだし、肛門科の病院に行けっていうんだ。
もっともだ。しかし、俺はこう見えて人見知りだ。会ったこともないような医者に、花も恥じらうような俺のケツの穴を見せて診察されるなんて、考えただけでもぞっとするぜ。

で、俺は毎度おなじみのかかりつけの先生に診てもらうことにしたのさ。

いろいろと受付で質問されたおかげさんで、診察室に呼ばれたとたんに、俺はケツを出して診察台に横になるように言われたよ。
先生は、ゴムの手袋をはめている。
おいおい、何するつもりだよ。
触診だ。俺のケツの穴に指を突っ込んで触って調べるのさ。
かんべんしてくれよ、俺は女の子のおしりに突っ込むのは嫌いじゃないけど、自分が突っ込まれるのは好きじゃないんだ。俺は先生や顔なじみの看護婦さんたちに、実際にそういって与太を飛ばしてやったぜ。

ホモのF社さんよ、よく覚えておけ!俺はケツに突っ込まれるのは、御免なんだ!

俺はカーテンの中で先生と二人っきりだ。
ズボンを脱いでケツの穴を先生に向けながら、なおも往生際悪く言ってやってよ。

癖になったら困るなぁ・・・ってな!

無情にも、先生の指がケツの穴にずぶずぶぶっこまれる。おいおい、ローションとかつけてくれないのかよ?せめて、潤滑剤のついたコンドームとかにしてくれよ!
摩擦係数の高いゴムの手袋が、俺の健康な括約筋を、無理やり押し広げるようにして、奥へ奥へと突っ込まれ、なおかつ何かを探るようにもぞもぞしてるんだ。

いやぁ、もう無理にこんなことしようとはしませんから、神様、俺をこの屈辱的な状況から解放してくれよ!

すると、何かしこりのようなものがケツに突っ込まれた指に当たったような感覚があった。
先生が、「お、あったぞ」とか言っている。やはり直腸癌か?

『痔だな、内痔核。座薬出しとくから、一日2回使うように。とりあえず、それで様子見て、それで改善しなかったら肛門科に行くように』

えっ!?痔?
何それ、俺まだ死なないのけ?
俺、せっかく腹くくったってのに‼

最悪の展開だ。大山鳴動ネズミ一匹だ。
とはいえ、ケツからは血が出ているのに変わりはないんだが。

そういえば、ここ一年くらい、時折ケツの奥のほうで、疼くような圧迫感というか痛みが走ることがあったな。あれは痔だったってこと?
そういえば、ここ最近、残便感を感じることがよくあったな。あれは糞じゃなくて、痔だったってことかよ!
けっ、俺はちっとも嬉しくないぜ!
正直に言って、痔って格好悪いぜ。若ハゲや水虫並に格好悪いぜ。

俺は、座薬を処方されて仕事に向かったんだ。看護婦さんが、その場で座薬入れようかって訊いてきたけど、さすがに丁重にお断りしたよ。そんなプレーはお断りだからな。
現場につくと、俺がケツから血が出ている話を、全員が知っていやがった。
俺が連絡した仲間が、朝礼で俺の勝から血が出てるんで、病院によってからくると、ご丁寧に発表してくれていたんだ。お気遣いありがとう、心配かけてすまなかったな!畜生!
みんなにゲラゲラ大笑いされちまったよ!

カミさんは、俺がほんとにヤバい病気になったもんだと思っていたんだが、俺が痔だと聞いて、大喜びしやがった。俺は大切にされているんだぜ、これでも。

しかし、痔だからって喜ばれるって、何なのさ?
昔々、大昔の中国じゃ、痔の人間は河の神の生贄にするために、生きながら黄河に放り込まれるという名誉?にあずかることができなかったそうだ。痔の人間は神様が喜ばないってこった。荘子にそう書いてある。生贄にされるくらいなら、痔になったほうがよっぽどイイって話だったな。

読者諸君、どうやら、俺はまだまだ死にそうにないようだ。心配かけてすまなかった。っけど、ケツから血の塊は出てるし、ケツを拭くとピンク色ってのは、結構焦るもんだぜ。君も痔になってみれば、きっとわかるさ。

読者諸君、失礼する。まったく、穴があったら入りたいぜ。きっとその穴の中には、痔があるんだろうけどな。生きるってのは、恥ずかしいもんだな。

2015/04/13

Post #1468

Zagreb,Croatia 鷹匠のおじさん
生きすぎたりや、46年。

赤裸々な官能的な写真の数々を世に送り出した不出世の写真家ロバート・メイプルソープは『自分の栄光を見届けるまでは死ねない』と言いながら、名声と孤独感のうちに、エイズでやせ衰えて死んだ。42歳だった。

戦争写真家として世界を股にかけ、報道写真家集団マグナムを創設したロバーート・キャパは、ベトナムでインドシナ戦争を取材中に、地雷を踏んで吹き飛ばされて死んだ。40歳だった。

俺は、自分が無駄に長生きしているように感じるよ。

偉大なソウルシンガー、オーティス・レディングは自家用飛行機で墜落し、キャリアの絶頂で死んだ。26歳だった。

天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは大量のワインを飲み、吐瀉物で窒息して死んだ。27歳だった。

偉大なるロック詩人ジム・モリソンはパリのアパートのバスタブの中で死んでいた。27歳だった。

魂の歌声を持っていたジャニス・ジョプリンは、高純度のヘロイン摂取で死んだ。27歳だった。

ローリング・ストーンズの創設者ブライアン・ジョーンズは、ストーンズを追われ、自宅のプールの底に沈んで死んでいた。27歳だった。

我が愛すべき天才ドラマー、キース・ムーンは致死量を超えるアルコール依存症の治療薬を飲み、死亡。32歳だった。

もう一人の天才ドラマー、ジョン・ボーナムは大量の酒を飲みすぎ、肺水腫をおこして死んだ。32歳だった。

パンクの精神を体現したシド・ヴィシャスは、母親にせがんで与えられたヘロインを大量摂取し、死亡した。21歳だった。

ジョーイ・ラモーン、リンパ腺癌で死亡。49歳だった。

ジョニー・ラモーン、前立腺癌により死亡。55歳。

ディー・ディー・ラモーン、ヘロインの過剰摂取により、49歳で死亡。

カート・コバーン。鬱病と薬物中毒の果てに、ショットガンで頭を打ち抜き死亡。27歳だった。

天才ベーシスト、ジョン・エントウィッスル。ハリウッドのホテルで、ライブの前夜、コカインをきめて売春婦にフェラチオされている最中に、心臓発作で死亡。57歳。サイコ―だ。

そしてジョン・レノン。ファンの手により射殺される。40歳。これも伝説的だ。

愛すべき忌野清志郎。咽頭癌のために死亡。58歳。これは悲しかった。

織田信長、49歳。人生50年だ。

小説家、中上健次、46歳で腎臓癌のため死亡。俺と同じ年だ。

俺は今、46歳。いつお迎えが来ても、おかしくはないだろう。正直言って、この不正義と無法が横行し、人々は互いに分かり合ったり、共感したりしようとしない世の中に、そんなに未練もない俺さ。

読者諸君、失礼する。いつ人間が死んじまうのか、そんなの誰にもわかりゃしないぜ。俺はいつだって、覚悟はしてるんだ。好き勝手やっていたからな。思い残すことなんて、そんなにないぜ。