2015/05/09

Post #1494

HongKong 路傍のおばあさん
唐突だけど、俺は実はニーチェにかなり影響を受けているんだ。
ニーチェって誰だよ?って思う人もいるだろう。
昔のドイツの哲学者だよ。『神は死んだ』って、その作品の中で高らかに宣言した哲学者だよ。
とはいえ、その著作は『ツァラツストラはかく語りき』くらいしか読んじゃいないんだけどね。
けどまぁ、俺にはこれ一冊で十分と言えば十分だ。学者になりたいわけじゃないんだ。よりよく人生を生き抜きたいだけなんだ。

もちろん、俺は哲学者じゃない市井の一無頼漢だから、自分の胸に響くことだけを刻んでいるだけだよ。それを自分の生き方やモノの見方に応用してるだけなんだ。
それを、かっこよく言うと生きる糧にするというのだぜ。
そういうことがわからない人には、本を読んだりするのは時間の無駄だろう。
若いころ、土方をやってた時期があったんだが、そんな時でも休憩時間には本を読んでいた。
2tトラックに4tくらい砕石を積んで走っているときも、傍らに本を置き、信号待ちのたびに読んでいた。これは今でもよくやるな。
その時、土方の掘方のおっさんに、『おめぇ、本なんか読んだって、腹もふくれねぇし、金がもうかるわけでもないだろう、無駄だ、無駄!』と言われたことがあった。
そんなものの見方をするニンゲンがいることが、俺には大きな驚きだった。
世の中ってのは、自分で体験してみないとわからないものだ。
もちろん、本を読んだって空腹が満たされるわけでも、金儲けが上手くなるわけでもない。けれど、本を読むことは、自分の世界を広げることだ。経験の意味や世界そのものを理解する基準を、自分のなかに作ることだ。
俺は、そう思っている。だから、くだらない本は読みたくない。それこそ、時間と金の無駄だ。

そんなおっさんたちに、長い間しごかれてきたので、若い衆の辛さはよくわかる。現場仕事の世界には、未だに見て覚えろ、仕事は盗むものという風潮が残っている。しかし、意味の分からないことをやらされるのは、若者でなくても辛いと思う。
俺は、自分がされて嫌だったことは、人にはしたくない。
これも論語の中にある一節から学んだことでもある。『汝の欲せざるところ、人に施すなかれ』というやつだ。単なる知識を、自分の体験に即して、自分の胸に刻み込み、自分の倫理を作っていくんだ。
だから俺は、若い衆に何かを教えるとき、なぜこれをやらねばならないのか、これをやればどうなるのか、そしてなおかつ、具体的な方法をやって見せ、やらせて見せるようにしている。
もちろん、先輩だからって横柄な態度はとりたくない。
ただ、同じ人間としてフラットに接するようにしているんだ。おかげさんで、若い衆にはなつかれる。うれしいことだよ。若い女になつかれるのは厄介だけどな。

仕事に慣れていない若い衆から、他の先輩の態度が我慢できないという話も時折耳にする。若者たちは、例の見て覚えろ的な偏固な職人さんからの扱いにウンザリしてるのさ。
よくわかる。俺もそうだった。

そこで、ニーチェの出番だ。
ニーチェは、人生をラクダの時代と獅子の時代、そして嬰児の時代の三つに分けた。

俺は若い衆に穏やかに語り掛ける。

『いいか、君たちはまだラクダの時代なんだ。君たちにとってこの社会って奴は砂漠も同然なんだ。そこで、重い荷物を背負わされ、飢えと渇きに苦しんで進むしか道はないのさ。そうして今は、社会や仕事について必要なスキルを身に着けるべき時期なんだ。不満があるのはよくわかるけど、そいつはある意味当然さ。俺だって、そんな時代があったんだ。スコップで殴られたことすらあったな。けど、それはいつまでも続くわけじゃない。』

若い衆はじっと聞いている。

『君が30くらいまで我慢して、自信と技術を身に着けたなら、新しい時代が始まるのさ。それは獅子の時代だ。獅子は草原で獲物を狩るように、既成の価値観や体制に、旧世代の人間に戦いを挑むんだ。もちろん、いつも勝てるわけじゃない。
けれど、戦いを通じて、自分を確立していくべき時期なのさ。
俺だって、必死に戦ったよ。社長となぐり合ったり、先輩と競い合ったり、組合や上司や役員全部を敵に回して、たった一人で会社の中で戦った時代もあったさ。
もちろん、負け戦だってあったが、無駄な戦いじゃなかった。
その闘いの日々を通じて、自分ってものがしっかりと築きあげられたのさ。
その日のために、今を耐え忍ぶことが必要だ。未来は君たちのものさ。』

若い衆は目を輝かせて聞き入る。その復讐と勝利の日々を夢見ているに違いない。俺は続ける。

『けれど、戦いの時代はいつまでも続かない。戦いは不毛なんだ。
どこまで倒しても終わりなんかないんだ。
じゃぁ、どうする。そう、戦いの時代は30代でやめておこうよ。
そこから先は、戦う必要なんてない。20代の修行と30代の闘争で、自分のなかに培ったものを糧にして、自由に創造する時代がやってくるんだ。
もちろん仕事だけじゃない。それは人生そのものに関しても言えることだ。
自分の中から、価値あるものを、世界の何もかもが新鮮な赤ん坊のように、思うがままに生み出していけばいいのさ。自分ってものを打ち立てたら、戦いなんて、不毛なんだ。
俺はだから、もう下らない戦いはしないよ。人生を愉しむのさ。』

若い衆には、まだその地平は見えてないけれど、そんな世界があることだけは示せたかな。

そんな話を、現場の休憩時間にしたりする。
なんて楽しいんだ。
いつも俺は思うよ。自分が得たものを、まるでコップからコップに水を移し替えるように、この目の前の若者に伝えることができたならって。そうしたら、この若者は、俺よりも早く、今俺がいるところまでたどり着くことができるだろう。
そうすれば、俺よりももっと高いところまで、はるかに遠いところまで到達することができるだろうって思うのさ。出来ることなら、俺よりも大きな人間に育ってほしいと、若い衆に希望を託さずにはいられない。もちろん、これもニーチェの思想の影響だな。

読者諸君、失礼する。今日はなんだかまじめな話になったな。けど、これはフィクションではないんだぜ。俺はそういう男なのさ。俺についてこい!って感じだぜ。

2015/05/08

Post #1493

Kathmandu,Nepal
ヒマだ暇だ、肥満児だとぼやいてばかりいたら、ポツポツと仕事がネギ背負ってやって来た。今ごろ、俺はせっせと急な仕事をやっつけている頃だ。世の中、こうでなくちゃな。
写真を撮ることは、俺自身にとって、正直楽しいといったものでは、ない。
君にとっては意外かもしれないけれど。
むしろ、神経をすり減らし、毎日ふくらはぎが痛くなるまで歩き続けるようなこの営みは、どこか後ろめたく、すっぱり止めてしまえるものなら、やめてしまいたい。これで生計を立てているわけでもないんだから。
今回の旅行でも、フィルムで40本ほど撮影してきた。
けれど、カミさんとのこともあるし、寒いし、物価が高くておいそれとカフェでお茶でもって気分になれないしで、何度も止めたくなった。それでも、やめなかったのは、俺の貧乏性、つまりここにはこの先、二度とやってくることはないかもしれない、その路地を曲がれば、何かがあるかもしれないという、しみったれた根性のなせる業だ。

けれど、報道で今回のネパールの地震による被害を目にするごとに、こういった何気ない日常的な風景の断片を、無造作に切り取って残しておくことは、実は深い意味があるのではなかろうかと、俺は自分自身に語り掛けるように言い聞かせ、この苦行のような営みから、逃げ出したくなる心をねじ伏せるんだ。

何気ない風景や生活の大切さは、失われて初めて身に染みるものだ。
それは人間関係や愛情でも同じかもしれないな。

今回のネパールの地震で、ひょっとしたら崩れた建物の下敷きになっていたのは、俺だったかもしれない。たまたま、俺があそこに行った時期が半年ほど早かっただけで、この宇宙の時間の流れから見れば、間一髪だ。
それは偶然なんだけど、おかげで君たちに、その時の写真を届けることができる。ありがたいことだ。
だから俺は、この偶然の中に、揺るぎのない必然を読み取るのさ。

人と人との出会いも、これまた偶然のようでいて、そこには必然がある。
それが縁ってもんだろうよ。

読者諸君、失礼する。

2015/05/07

Post #1492

Bhaktapur,Nepal
思いっきり、暇でござる。
日本に帰ってきてから、仕事の風がぴたりとやんだ。当てにしていた仕事も延期になった。こんな時は悪あがきせずに、内心の動揺不安を抑え込んで、どっしり構えていたほうがイイ。
慌てる乞食は貰いが少ないって奴だ。果報は寝て待てだ。
できればこんな時こそ、君がすぐそばにいてくれて、いろいろと話し合ったりできたらイイのにとは思うけれどね。


さて、承前。

どうにも最近、このブログが私小説的になっているように思うが、どんなもんだろう。
自分でも、こんなに赤裸々にいろいろ書いていいものかなとも思うが、まぁ、手を付けちゃったんだから進めるしかないだろう?君だって、気になるんじゃないのかい?

とはいえ、内容が内容だけに、書きにくいッたらないな。

カミさんは俺に涙ながらに訴えるんだ。
『子供を作れなければ、生きている意味なんてない。それに誰の子供でもいいって言ってるわけじゃないでしょ』
うむむ・・・。
『私は何年も前から子供が欲しいって言ってるのに、』
えっ、俺は何もきいてないぜ。そんなこと言ってたっけ?
『あんた、いつも夜勤や出張ばっかりだし・・・。だから、たまに家にいるときにそれとなく誘ってみても、あんたはもう寝なさい、明日も仕事なんだからとかいうばっかりだし・・・』
うむむ・・・。
『法事とかでもあんたは、おばさんたちにうちは子供は作らないことに決めてるんだとかぬけぬけと言ってたし…』
確かに言ったな・・・。
しかしですねぇ、俺の商売なんてまったく先の見えない博打みたいなもんだしなぁ・・・。
『わたし、子供の養育費くらいしっかり貯めてるし・・・経済的にも不安なんてないんだって・・・』
えっ、そうなの?いつの間に?
『会社だって、産休制度とか育児休暇とかしっかりとれるところで働いてるんだから、子供作っても、経済的に何の不安もないよぉ・・・市の保育制度だって、3か月から預かってくれるし・・・』
うむむ・・・。どれも返す言葉もない。

『それに、あんただって、子供がいたほうが絶対かっこいいって・・・そう思うもん・・・』

そういうもんかねぇ…。
ここまで自分の女に言われてぐずぐず言ってるのは、男としてそうとう格好悪いぜ。

俺は、天然パーマの子供を引き連れた自分の姿を想像してみた。

相変わらずのロック野郎な男伊達、もじゃもじゃした長髪を風になびかせながら夕日の街をそぞろ歩くと、これまたくりくりした髪の毛の子供がおぼつかない足取りで後をついてくるんだ。
時折抱き上げ、肩に乗せる。
急いでるときには、その小僧をわきに抱えて走るんだ。小僧は面白がって、ころころ笑うだろう。
子守唄はロックンロールだ、英才教育だ。
あえて危険なことを面白がってやらせてみたりするんだ。もちろん、ほんとに危ないときにはがっしりと鷲掴みして護ってやるのさ。それは俺の役目だ。
ユニクロの服を着たそこらのお父さんとは、一味もふた味も違うだろう。

俺以上にとんでもないニンゲンを作り出して、この退屈な世の中に解き放ってやるんだ。
さんざん苦労すればイイ。そのほうが味わい深い奴になる。
悪いけど、子供は男の子しか想像できないぜ。

悪くない。全然悪くない。いやむしろ超かっこE!

『分かった。よくわかった。わかったからもう泣くな。そして、パンツを脱げ!今から作るぞ。』

人生、先はどうなるか分かったもんじゃない。けれど、大事なのは今だってことだ。あたりまえのことだ。先々、自分がどうなっても、カミさんはきちんと育て上げてくれるだろうよ。それでこそ、俺のカミさんだ。俺以上に信用できる。俺はまったく信用ならないろくでなしだ。

ことが終わったとき、俺の頭に電光のようにひらめいた。
子供の名前がスパークしたんだ。

命名、麒麟児。これしかない。

どうだ、スゲーだろう。こいつはそこいらに溢れるキラキラネームとはわけが違うぜ。由緒正しく格調高いんだ。まるで大昔の相撲取りみたいだ。
新明解国語辞典によれば、麒麟児とは技芸才能がすぐれていて、将来が期待できる少年とあるんだぜ。昔神童、今不良と言われる俺の子供にもってこいだ。
一言言っておくと、麒麟ってのは、動物園にいるキリンじゃないぜ。
キリンビールのラベルに書かれている麒麟だ。
あれは古代中国で、聖人が生まれ、王道が行われているときに現れるとされていた霊獣だ。
つまり平和の象徴なんだ。けっしてアル中になってほしいわけじゃないんだぜ。
素っ頓狂な名前のようだが、カミさんもどうやら気に入ってくれたみたいだ。
もっとも、テストの時に名前を書くのが億劫ではあるよな。
織田信長の長男の信忠は、その幼名を奇妙丸と言った。生まれたばかりの顔が奇妙だったから信長が名づけたそうだが、それにも引けを取らないイカれたセンスだな。

以来、俺は気を取り直して頑張ってる。
ウサギが20匹、ベッドの上で跳ね回ってるみたいだ。
名前は決まった。俺は目には見えない命の海から、この麒麟児(仮)を召喚して、破天荒なとんでもない奴に育て上げるんだ。くそ、目にもの見せてやるぜ。

麒麟児、早く俺のところにやってこい!
どんな女よりも可愛がってやるぜ。

読者諸君、失礼する。この件に関して、あんまり口外しないでくれよ。カミさんにばれたら最後、ぶっ殺されちまうぜ。でも、女の子が生まれてきたら麒麟児はまずいな。そん時はまた考えるか?