2015/05/10

Post #1495

HongKong
どうしようもないくらい暇だ。
閑古鳥が鳴き喚いてる。いったいどうしたというんだ?思わず憂鬱になってくる。
仕方ない、人生はロックンロールだ。ロックンロールには泥水を飲まねばならない時だってある。今がその時だってことだ。
しかし、ここ何年かこんなに暇だったことはない。今なら、猫のしりふき時給1500円、三食昼寝付なんてバイトでも喜んでやらせてもらうぜ。飼い主が素敵な女性だったらなおヨシだ!
だはっはっは!
うなるほど金があれば、こんなの屁でもないが、口座にはすかしっ屁くらいしか金はないんだぜ。まるで黒ひげ危機一髪だ。まぁいい、ここはどっしり構えよう。人生には仕事以外にもやるべきことはあるはずだ。今がそのときってことだ。金にはならないがね。人はパンのみにて生きるにあらずと親愛なるイエス様も言っておいでだ。最悪、秘蔵のカメラでも売りさばいてこようじゃないか。

そんなことはただの前振りだ。金がないのはいつものことだ。金儲けのためにこの世に生まれたわけじゃない。人生を愉しむために、俺はこの糞溜めみたいな惑星にやってきたんだ。
で、いま俺の人生はちょっと面白いことになってるのさ。

先日、俺は自分の親父に海外旅行の土産を私に行ったんだ。親父は75歳、やもめの独居老人だからな。それぐらいのことはしてやらないと、寂しさのあまり、また新しい彼女とか作りかねないんだ。世話が焼けるぜ。

俺はブレーメンで買った世界遺産ローランドの像の、フィギュアというかミニチュアを土産にしたんだ。かみさんは、そんなもの喜ぶわけないじゃないって言ってたが、おっさんというのはそういうわけのわからんものが大好きだ。。とりわけ、男というのはフィギュアとかミニチュアとかいった類のものが大好きだ。北海道名産、鮭を咥えた熊の彫りもんとかな。
なぁに、俺も親父も男同士だ。気が合わなくったて、その辺の感覚はツーと言えばカーだぜ。
案の定、親父は大喜びだったぜ。せいぜい長生きしてくれよ、俺よりもな。俺はヨイヨイの爺さんになる前にとっととこの世からトンずらするつもりだからな。

すると、いきなり親父(くどいようだが75歳の独居老人だ)が予想もしないことを言い出した。
『忌野清志郎ってのは、スゲーな。』

はぁ、今なんつった?清志郎って言わなんだか?
すごくて当然だ。あれはロックの神の使徒だ。俺的には、忌野清志郎こそ俺の人生の師だ。
俺が会社を辞めて独立したのも、彼の『ロックで独立する方法』という本を読んで決意したくらいだ。
彼がいなければ、今日の俺はないと言えるほどだ。
まったく清志郎こそ、日本が生んだロックの聖人だ。誰が何と言おうと、俺は断言するよ。

『この間、NHKで忌野清志郎の番組見てな、感心したんだ』
そ、それは結構だな。30年遅いがな。
『30年前は、俺はそんなもん、糞みたいなもんだと思っとった。けど、聴いてみると実に素晴らしいなぁ』このじじい、感性だけは衰えていないな。嬉しそうに得意になって話してやがるぜ。

俺は心底驚いたよ。

『で、近所のブックオフに行って、中古のCDを探してみたんだが、なかなかなくて、一枚だけあったがずいぶん高いんだ。』
当然だ。B’zだのAKBだのとちがって、清志郎のソロのCDなんて、そもそもプレス枚数が少ないんだ。しかも、好きな奴しか買わないから、よほどのことがないと手放さないんだ。俺も絶対手放さないぜ。つまり、ロックな心を持った、選ばれた民のための真のブルースであり、ロックンロールなんだ。品薄でも当然だろう。

『世の中が悪くなっていくとか、ニワトリがどこうこうしたとか歌が入っとる奴だわ』
うむ、俺にはそれがどのアルバムかすぐに分かった。何しろ俺は清志郎のアルバムはほぼコンプリート、そしてほとんどすべての曲を歌えるからな。しかも、極上に上手い。君にもサイコ―のラブソングを歌ってやりたいよ。
どうやら親父は、そのCDを買って、毎日のように車の中で聞いているらしい。

はっはっは!ファンキーな糞じじいだ。
それでこそ俺の親父として合格だ!
まったく、人生ってのは予想がつかないもんだな。おもしれーぜ!ゴキゲンだぜィ!

父よ、俺が高校生の時にそう言ってくれていれば、俺とあんたの確執はもっと小さなものになっていただろうよ。
俺は次の日、忌野清志郎の珠玉のオールタイムベストを親父に貸してやった。
親父はいたくご満悦だったぜ。
何しろ、俺が地球にやってきて46年と4か月にして、初めて共通の話題ができたんだからな。

これは楽しみだ。これで俺に子供が出来たら、親子三代でロックンロールだ。頑張って夜ごと種付けしてる間に、親父にももっとロックンロールを仕込んでやるぜ。
なんだかワクワクしてくるぜ。くそじじい、頑張ってガキを作ってやるから、それまで精々長生きしやがれ!そうしたら3人でロックするんだ。ロックンロールが心のなかに鳴ってる限り、俺たちは負けることはないのさ。

Oh Yeah!読者諸君、愛し合ってるかい?俺は君のことを、ずっと愛してるのさ。おっと、俺はホモじゃないから誤解はするな。失礼する、またあおう。

2015/05/09

Post #1494

HongKong 路傍のおばあさん
唐突だけど、俺は実はニーチェにかなり影響を受けているんだ。
ニーチェって誰だよ?って思う人もいるだろう。
昔のドイツの哲学者だよ。『神は死んだ』って、その作品の中で高らかに宣言した哲学者だよ。
とはいえ、その著作は『ツァラツストラはかく語りき』くらいしか読んじゃいないんだけどね。
けどまぁ、俺にはこれ一冊で十分と言えば十分だ。学者になりたいわけじゃないんだ。よりよく人生を生き抜きたいだけなんだ。

もちろん、俺は哲学者じゃない市井の一無頼漢だから、自分の胸に響くことだけを刻んでいるだけだよ。それを自分の生き方やモノの見方に応用してるだけなんだ。
それを、かっこよく言うと生きる糧にするというのだぜ。
そういうことがわからない人には、本を読んだりするのは時間の無駄だろう。
若いころ、土方をやってた時期があったんだが、そんな時でも休憩時間には本を読んでいた。
2tトラックに4tくらい砕石を積んで走っているときも、傍らに本を置き、信号待ちのたびに読んでいた。これは今でもよくやるな。
その時、土方の掘方のおっさんに、『おめぇ、本なんか読んだって、腹もふくれねぇし、金がもうかるわけでもないだろう、無駄だ、無駄!』と言われたことがあった。
そんなものの見方をするニンゲンがいることが、俺には大きな驚きだった。
世の中ってのは、自分で体験してみないとわからないものだ。
もちろん、本を読んだって空腹が満たされるわけでも、金儲けが上手くなるわけでもない。けれど、本を読むことは、自分の世界を広げることだ。経験の意味や世界そのものを理解する基準を、自分のなかに作ることだ。
俺は、そう思っている。だから、くだらない本は読みたくない。それこそ、時間と金の無駄だ。

そんなおっさんたちに、長い間しごかれてきたので、若い衆の辛さはよくわかる。現場仕事の世界には、未だに見て覚えろ、仕事は盗むものという風潮が残っている。しかし、意味の分からないことをやらされるのは、若者でなくても辛いと思う。
俺は、自分がされて嫌だったことは、人にはしたくない。
これも論語の中にある一節から学んだことでもある。『汝の欲せざるところ、人に施すなかれ』というやつだ。単なる知識を、自分の体験に即して、自分の胸に刻み込み、自分の倫理を作っていくんだ。
だから俺は、若い衆に何かを教えるとき、なぜこれをやらねばならないのか、これをやればどうなるのか、そしてなおかつ、具体的な方法をやって見せ、やらせて見せるようにしている。
もちろん、先輩だからって横柄な態度はとりたくない。
ただ、同じ人間としてフラットに接するようにしているんだ。おかげさんで、若い衆にはなつかれる。うれしいことだよ。若い女になつかれるのは厄介だけどな。

仕事に慣れていない若い衆から、他の先輩の態度が我慢できないという話も時折耳にする。若者たちは、例の見て覚えろ的な偏固な職人さんからの扱いにウンザリしてるのさ。
よくわかる。俺もそうだった。

そこで、ニーチェの出番だ。
ニーチェは、人生をラクダの時代と獅子の時代、そして嬰児の時代の三つに分けた。

俺は若い衆に穏やかに語り掛ける。

『いいか、君たちはまだラクダの時代なんだ。君たちにとってこの社会って奴は砂漠も同然なんだ。そこで、重い荷物を背負わされ、飢えと渇きに苦しんで進むしか道はないのさ。そうして今は、社会や仕事について必要なスキルを身に着けるべき時期なんだ。不満があるのはよくわかるけど、そいつはある意味当然さ。俺だって、そんな時代があったんだ。スコップで殴られたことすらあったな。けど、それはいつまでも続くわけじゃない。』

若い衆はじっと聞いている。

『君が30くらいまで我慢して、自信と技術を身に着けたなら、新しい時代が始まるのさ。それは獅子の時代だ。獅子は草原で獲物を狩るように、既成の価値観や体制に、旧世代の人間に戦いを挑むんだ。もちろん、いつも勝てるわけじゃない。
けれど、戦いを通じて、自分を確立していくべき時期なのさ。
俺だって、必死に戦ったよ。社長となぐり合ったり、先輩と競い合ったり、組合や上司や役員全部を敵に回して、たった一人で会社の中で戦った時代もあったさ。
もちろん、負け戦だってあったが、無駄な戦いじゃなかった。
その闘いの日々を通じて、自分ってものがしっかりと築きあげられたのさ。
その日のために、今を耐え忍ぶことが必要だ。未来は君たちのものさ。』

若い衆は目を輝かせて聞き入る。その復讐と勝利の日々を夢見ているに違いない。俺は続ける。

『けれど、戦いの時代はいつまでも続かない。戦いは不毛なんだ。
どこまで倒しても終わりなんかないんだ。
じゃぁ、どうする。そう、戦いの時代は30代でやめておこうよ。
そこから先は、戦う必要なんてない。20代の修行と30代の闘争で、自分のなかに培ったものを糧にして、自由に創造する時代がやってくるんだ。
もちろん仕事だけじゃない。それは人生そのものに関しても言えることだ。
自分の中から、価値あるものを、世界の何もかもが新鮮な赤ん坊のように、思うがままに生み出していけばいいのさ。自分ってものを打ち立てたら、戦いなんて、不毛なんだ。
俺はだから、もう下らない戦いはしないよ。人生を愉しむのさ。』

若い衆には、まだその地平は見えてないけれど、そんな世界があることだけは示せたかな。

そんな話を、現場の休憩時間にしたりする。
なんて楽しいんだ。
いつも俺は思うよ。自分が得たものを、まるでコップからコップに水を移し替えるように、この目の前の若者に伝えることができたならって。そうしたら、この若者は、俺よりも早く、今俺がいるところまでたどり着くことができるだろう。
そうすれば、俺よりももっと高いところまで、はるかに遠いところまで到達することができるだろうって思うのさ。出来ることなら、俺よりも大きな人間に育ってほしいと、若い衆に希望を託さずにはいられない。もちろん、これもニーチェの思想の影響だな。

読者諸君、失礼する。今日はなんだかまじめな話になったな。けど、これはフィクションではないんだぜ。俺はそういう男なのさ。俺についてこい!って感じだぜ。

2015/05/08

Post #1493

Kathmandu,Nepal
ヒマだ暇だ、肥満児だとぼやいてばかりいたら、ポツポツと仕事がネギ背負ってやって来た。今ごろ、俺はせっせと急な仕事をやっつけている頃だ。世の中、こうでなくちゃな。
写真を撮ることは、俺自身にとって、正直楽しいといったものでは、ない。
君にとっては意外かもしれないけれど。
むしろ、神経をすり減らし、毎日ふくらはぎが痛くなるまで歩き続けるようなこの営みは、どこか後ろめたく、すっぱり止めてしまえるものなら、やめてしまいたい。これで生計を立てているわけでもないんだから。
今回の旅行でも、フィルムで40本ほど撮影してきた。
けれど、カミさんとのこともあるし、寒いし、物価が高くておいそれとカフェでお茶でもって気分になれないしで、何度も止めたくなった。それでも、やめなかったのは、俺の貧乏性、つまりここにはこの先、二度とやってくることはないかもしれない、その路地を曲がれば、何かがあるかもしれないという、しみったれた根性のなせる業だ。

けれど、報道で今回のネパールの地震による被害を目にするごとに、こういった何気ない日常的な風景の断片を、無造作に切り取って残しておくことは、実は深い意味があるのではなかろうかと、俺は自分自身に語り掛けるように言い聞かせ、この苦行のような営みから、逃げ出したくなる心をねじ伏せるんだ。

何気ない風景や生活の大切さは、失われて初めて身に染みるものだ。
それは人間関係や愛情でも同じかもしれないな。

今回のネパールの地震で、ひょっとしたら崩れた建物の下敷きになっていたのは、俺だったかもしれない。たまたま、俺があそこに行った時期が半年ほど早かっただけで、この宇宙の時間の流れから見れば、間一髪だ。
それは偶然なんだけど、おかげで君たちに、その時の写真を届けることができる。ありがたいことだ。
だから俺は、この偶然の中に、揺るぎのない必然を読み取るのさ。

人と人との出会いも、これまた偶然のようでいて、そこには必然がある。
それが縁ってもんだろうよ。

読者諸君、失礼する。