そう、今日はまさに『さらば愛しきカメラよ』なのだ。
そのカメラとは、これだ。
カメラに興味のない人は、すまん。勘弁してくれ。
しかし、カメラを手放すことは、俺にとっては身を切るように辛いことなのだ。
わかっておくれよ。
| Fuji TX-1 with TX-30f5.6 |
先日、任意保険の更新があって、2年前の事故のおかげで、保険料が上がったと家人に小言を言われたばかりだったので、ますます落ち込んだ。
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| Nagoya Station |
そこで、痛恨ながらカメラを一台売却してきた。
それがこのカメラだ。
フジフィルムが、天下のハッセルブラッドと共同開発したカメラ、FUJI TX-1だ。もちろん、35ミリのフィルムカメラだ。当時は、35ミリフィルムで中判並みの画質が得られるということで、驚異のカメラだった。まったく、今となっては前世紀の遺物だ。
泣けてくる。
これは俺が発売と同時に、珍しく新品で買った思い出深いカメラだ。20世紀の終わりごろだったろうか?その割には出番が少なかったがな。
このカメラは、そりゃ凄いカメラだった。
ライカなんかと同じレンジファインダー・カメラだ。つまり、ファインダーの中に映っている二重像を、レンズのピントを調整することで一つに合致させてピントを合わせるというカメラだ。
三角測量の原理の応用だ。
この手のカメラは、基線長が長いほど、ピント精度が高いとされている。と言っても、デジカメ全盛の昨今、そんなこと言ってもよくわからないだろう。つまりファインダーともう一つの対物窓の距離が長いほど、ピントの精度が高まるということなのだ。
しかし、それにしてもこのカメラは横に長い。
この横に長い独特のフォルムがこのカメラの特殊性を物語っている。
工業デザインの世界では、形態は機能が決定するという鉄則がある。
人間にやさしいデザインなんて糞くらえだ!使いにくいものをうまく使いこなしてなんぼじゃろう!
このカメラは、35ミリフィルムの二コマ分を使って24ミリ×65ミリという大画面のパノラマを撮影することができ、しかも通常の24ミリ×36ミリの画面の撮影も、ボタン一つで切り替え可能なカメラで会ったのだ。
当時は、35ミリフィルムの上下をカットし、格好だけパノラマに見せかけるカメラが大流行していたのだが、このカメラは通常の35ミリの画質で、良好なパノラマ画像を撮影することができ、なおかつ、フィルムの途中で自在に通常サイズと切り替えることが可能であったのだ。
なぜそんな荒業が可能なのかと言えば、フィルムゲートの両脇に、切り替えスイッチに連動する羽が左右についており、これが開いたり閉じたりしてフィルムのサイズを切り替えるわけだ。
そこで、普通に考えるとフィルムの途中で切り替えると、フィルムのコマとコマの間が空いてしまったり、重複して二重露光になってしまうのではという疑問が出てくる。
少しフィルムカメラをいじったことがある人ならすぐに思い浮かぶだろう。
そこは世界レベルのカメラメーカーであるフジフィルムだ。
このカメラは、まず最初にフィルムを装填すると、フィルムの長さを計測しがてら、フィルムをすべて巻き上げ、これを巻き戻してゆくシステムになっているのだが、これによって、フィルムの残りのコマ数を計算しながら、画面が切り替えられるたびにフィルムのコマ間が適正になるように、少しづつ巻き上げたり、巻き戻したりするという、非常にお利口さんなカメラなのだ。こんなイカれたカメラは、このカメラとこの後継機種TX-2しかない。俺は、ニンゲンでも道具でも、常識外れにイカれた破格な奴が大好きなのさ。そして、このTX-2すら、出荷は2006年に終了している。それも時代の流れだ。
ううっ、こんなカメラを手放してしまうとは、俺、不甲斐ないッたらないぜ。
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| Nagoya Station |
上に挙げた写真は、TX-30を使って撮ったっものだが、このようにパノラマモードにすると焦点距離は16度ほどに相当し、およそ角度にして94.1度の画角を得ることができる。
これは、人間の視角視野におおよそ匹敵するもので、非球面レンズの採用により、非常にひずみの少ないシャープな画像を得ることができるのだ。
もちろん、45ミリや90ミリも素晴らしいレンズだった。
| まさに珠玉のレンズたち。たまらん。L=TX-45、C=TX-30,R=TX-90 |
古くからお馴染みのカメラ商さんは、精一杯の金額を出してくれた。しかも即金で。ありがとう、熊沢さん。
いくらで買って、いくらで売ったってのは、詮索しないで頂戴ね。そういうことは言挙げしちゃいけないのが、この世界の不文律だから。
俺の秘蔵のカメラは、自分の会社を立ち上げるときにも何台か売られていった。そしてまた一台、箪笥の肥やしになっていた名機が、俺の手元から去っていったのだ。
自分の不甲斐なさに、泣けてくるというものだ。
せめて、誰かもっと使ってくれる人の手に渡ることを祈るばかりだ。
俺の尊敬する世界企業IKEAの創業者、イングヴァル・カンプラード氏は世界的にもまれな成功をおさめた企業家であるけれど、常々その子供たちにこう言い聞かせていたという。
『本当におまえが欲しいのはこれなのか。本当に欲しいのか、買う価値があるものなのか、しっかり考えたのか。それを買ったら、手元にお金は残らないぞ。』(ノルディック社刊 バッティル・トーレクル著、楠野透子訳『イケアの挑戦 創業者は語る」313ページより)
この言葉をもっと若いうちに知っておけば、現在、こんな不甲斐ないことにはならなかっただろう。
少なくとも、このイカれたカメラを、なけなしの高い金を出して買うこともなかったはずだ。
その代り、今の道楽者の俺はいなかっただろうし、今現在の写真の戦闘的で前のめりな撮影スタイルを見出し、確立することもできなかっただろう。
そして何より、写真を通じて世界をとらえ、その意味を探り、自分自身の考えを深めていくという生き方にも、達することはできなかっただろう。
何事も、授業料ってのは高くつくってもんだ。
読者諸君、失礼する。俺と一緒に、売られていったカメラのために、ドナドナでも歌ってやってくれ。頼むぜ。
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