2015/08/15

Post #1593

Tokyo

本日、8月15日は終戦記念日だ。

毎年、この終戦記念日という言葉に、引っかかる僕なのさ。
まるで、ごみ処理場をクリーン・センターって言い換えるようなもんだろう?クリーンセンターなんて言うだけで、僕達自身が出したくせえゴミの臭いがぷんぷんしてんのに、さも小綺麗な場所のように感じるだろ?そんな胡散臭さを感じるのさ。

今から70年前の今日、かつてアジアに存在した覇権国家、大日本帝国って国はアメリカやイギリスを中心とした連合国に敗北したんだ。
ちなみに、この連合国を英語で表すとThe United Nation、つまり皆さんお馴染みの国連そのものだ。
戦後レジームから脱却するというのは、世界の常識からすれば、国連から脱退し、いわゆるならず者国家になることを意味するのさ。そう、戦前の大日本帝国が、当時の国際連盟から脱退したようにね。
完膚なきまでに叩きのめされたあとで、皆様の安部ソーリがつまびらかに読んでいないといっていた『ポツダム宣言』を受諾し、ありていにいえば降参したんだ。
それまで、この大日本帝国という国は、西洋文明へのカウンターたらんとして、アジアの植民地解放を謳い、イギリスやオランダの植民地をぶん取り、中国大陸から欧米人を叩きだした。
そして、やったことと言えば、そこを大日本帝国の植民地とし、或いは傀儡政権をつくり、自分たちに協力しない現地の人々を、派手に弾圧した。
町の気のいい男たちは、赤紙一枚で戦場に送り込まれ、ヒロポンを打たれ、良心理性は摘み取られ、軍隊という組織に追い詰められた挙げ句に、方々でろくでもない残虐行為を行った。そして、その悔恨を胸の奥にしまいこんだまま、多くの人がこの世を去っていったに違いない。

証拠がない、資料がない、だからやってないなんてことは、日本のなかでしか通用しない話しだろう?中国や韓国、フィリピンやインドネシア、シンガポールやマレーシアに行って、そう主張してみればわかるだろう。
実際に中国では、日本軍は『東洋鬼=トンヤンクィ』と呼ばれて人々の憎悪の的になった。僕はそれを死んだお婆さんから、直に聞かされて育った。
彼女は戦時中大陸に暮らしていたのだ。実際に見てきた人間のいうことは信用に値するぜ。
この無謀な戦争に勝利するために、国民のあらゆる力は総動員された。しかし、豊富な物量と合理的で容赦のないアメリカの圧倒的な戦力の前に、大日本帝国は消耗し尽くしたあげく、無惨に敗北したんだ。
そして、大日本帝国という国はなくなり、アメリカを中心とした国連によって統治されたのちに、日本国という別の国家が生まれた。そう、ある意味で別の国なんだ。なぜって、国家と言うのは、国民の契約によって成立するものだから。憲法ってのは、その契約書みたいなもんだ。

かろうじて天皇制は残された。
陛下はおなくなりになるまで、戦争の犠牲者を弔い続けられた。それは大日本帝国で軍の総帥であった昭和大帝が自らに課した戦争責任の取り方であったと思う。その御心は今上の陛下にも明らかに継承されている。

憲法は変わった。戦争にうんざりしていた国民はもちろん、政治家もみな、今日の日本国憲法を歓迎した。だって、もうこの憲法があるかぎり、くだらない戦争で何百万にもの人々が、焼肉や挽き肉みたいな無惨で惨めな死を、押し付けられることがなくなったんだから。

戦争を知る人々が、世を去るにつれ、あの戦争には大義があったとかいう言説が飛び交い、再び日本が戦争の出来る国にしようという政治の動きに歯止めがかからない。

僕は、70年前に終わった戦争で亡くなった全ての人に申し訳ない。そんな思いで胸いっぱいだ。

僕には来年、子供が出来るだろう。
戦争中のプロパガンダに『名誉の戦死と喜ぶ老母』というものがあった。冗談じゃない。

僕は、自分の子供が戦争で死んでしまっても、喜んでいるように振る舞わなければならないような、嘘で塗り固めた嫌な社会は、僕は真っ平だ。

自分の良心が、到底受け入れられないことに異を唱えると、隣近所から非国民と謗られ、場合によっては投獄され処刑されるような暗い社会なんて、僕は真っ平だ。

国民同士が、互いの言葉に聞き耳をたてて、密告することが奨励されるような社会なんて、僕は真っ平だ。

ネットの社会では、すでに似たようなことがおこりつつあるように感じるけどね。みんなが、匿名の裁判官のように振る舞っている。ボブ・マーリーは、『誰かを指さして非難するのなら、自分の指が汚れていないか、まず確かめろ!』と言っていたけど、どんなもんかな。

若者たちが、日本とはまったく縁もゆかりもない国で、自分たちに関わりのない戦争の片棒を担がされた挙句、弾に当たって殺されてしまい、英霊としてどこやらの神社に祀られるような社会も、気に入らない。


僕は、生まれてくる子供に、そんな不幸な世の中で苦しんで欲しくはない。

だからせめて今日は、戦争によって絶ち切られた何百万人もの人々を悼もう。

戦争によって、人生を狂わされ、大切なものを奪われて、なおも生き続けなければならなかった人々の苦しみを偲ぼう。

そしてそれは日本人に限ったことではなく、全てのあの戦争で、命を落とし、また苦しんだ人達全てのために。

この日が、奇しくも死者があの世から帰ってくるというお盆の時期に当たることに、僕はいつも不思議な符号の様なものを感じるんだ。

読者諸君、失礼する。これについてとやかく言い合うつもりはない。僕は、黙って悼みたいんだ。

2015/08/14

Post #1592

Helsinki
このブログが更新される頃、俺は夜通し続くクレーン工事の真っ最中だ。

よって、今夜は真剣にやらないと危険なんでね、写真だけで失礼するぜ。

読者諸君、失礼する。お盆休みとやらを満喫してくれたまえ。もちろん俺には縁のないものさ。

2015/08/13

Post #1591

全ての日付には、何らかの意味がある。

先日の原爆忌が、日本人いや、むしろ人類が共有すべき意味を持つ日付だというのは間違いないが、局地戦ともいうべき卑小な人生を生きる、個々のニンゲンにも、それぞれに忘れられない日付と、それにまつわる記憶がある。
そして、それこそが個々の人間にとっては、何よりも重大な意味を持つものだと俺は思う。
ニンゲンは、自分自身の歩んできた道程から、自由になることはできないのだから。
むしろ、その歩みを自分そのものの一部として受け入れることでしか、次の一歩は踏み出せないのではないかしら?

世界的な写真家、荒木経惟にとって、人生最愛の妻陽子の命日である1月27日こそ、忘れえぬ日なのだという写真集だ。陽子こそ、電通のお抱えカメラマン荒木経惟を、天才アラーキーになるように支えた女性だ。アラーキーの生みの親といっても過言ではないだろう。
実際に、荒木経惟は陽子との新婚旅行を撮った私家版の写真集『センチメンタルな旅』で、真に写真家としての一歩を踏み出し、電通を辞めてフリーランスになったころは、陽子の貯金で食いつないだという。
これについては、当ブログのPhotographica #Aを参照されたい。くどいくらいに書いてあるさ。


今俺が悪戦苦闘している現場は、銀座の老舗書店の、築80年オーバーのビルにあるため、少し時間があると、その書店に作業服のままもぐりこんで、何冊かの本を買ってしまうのだ。
そこで、見つけたのがこの写真集だ。ワイズ出版から今年の5月25日に出版されている。ご覧になっておいでの方もいるだろう。

荒木経惟、陽子ノ命日


『陽子ノ命日』
思わせぶりなタイトルだ。
しかし、その中をめくれば、そこには単に荒木自身が、最愛の妻の命日にあたる一日を、コンパクトカメラで淡々と切り取って行っただけの映像的断片が収められているだけだ。

劇的なコトは、何もおこらない。

こんな写真を俺や君が、FBにUPしたとしても、だれもイイねなんてしてくれるとは思えない。
そんな写真が、ひたすら、時間の流れのままに並んでいるだけの素敵な写真集なんだ。
空、陽子の遺影、玄関の扉、家の前の道、タクシーの窓から撮ったと思しきスナップ、卓上コンロと皿に盛られた牛肉。すき焼。トイレ。などなど・・・。

拍子抜けするほど、単調な写真が延々と続く。
すき焼にしたのは、陽子の命日だからだろうか?
NHKのニュースキャスター、後藤健二さんとイスラム国、そして、交渉に応じるべきではないと語るアメリカのサキ報道官の写真なども続くが、それとて、単に陽子の命日にTVに写っていたものをとっただけとしか思えない。

唯一、その単調で平面的な写真をして、荒木経惟自身にとって、意味のある写真としているのは、写真の隅に印字された、’15 1 27という日付だけだ。

この素人じみた単調な写真は、この日付が入っていることで、深い意味を帯びてくるのだ。

もちろん、それは写真家以外にとっては、何の意味もない日付かもしれない。
しかし、俺たちは、その日が彼にとっての最愛の伴侶の死んだ特別な日だということを知っている。
そして、その一日に、稀有な力量を持った写真家が、目に付いた映像的断片を拾い集めるようにフィルムに収め、日付を印字したままプリントし、一冊の写真集にまとめ上げる事で、それらのある意味退屈な写真が、かけがえのないアウラを帯びることを目にするんだ。

荒木本人があとがきに書いていることを引用してみよう。

『だいたい人はさ、1日を繰り返しているわけだよ。
「繰り返している」って意味では、退屈なんだね。
そりゃ忙しかったり、事件がある日もあるけれど、
かならず退屈という隙間もあるのさ。
アタシのいまの写真の境地は、
その「退屈」なんだよ。
いままでだったら没写真のようなのがいいね
この写真集は、
陽子の命日だけを写したんだけど、
特別にじゃなく、
朝起きてタクシーに乗って出かけて、
夜帰ってくるっていうのを、
いつもと同じように、
同じようなトコを淡々と撮った。
1日だけを撮っても、コトは写るからね。
どんどんありのまま、そのままになっていく。
写真にあまりにも近づきすぎちゃっている。
もっと退屈でもよいくらいだよ。
『陽子ノ命日』は、
陽子の遺影にローソク1本、あげたようなもんだね。
幽かな写真の光が灯っている。』
(荒木経惟 写狂老人日記 陽子ノ命日 より)

凡庸な写真家が、退屈がイイといってある一日を写真集にまとめようとしたところで、それで写真集が成立できるとは思えない。
ましてや、写真にあまりにも近づきすぎちゃっているなんて、絶対に言えないだろう。

それが成立してしまっているのは、ひとえに荒木経惟が、この写真に日付を入れている事で、それが(私たちにとっては意味のない一日の、意味のないシーケンスでありながらも)、写真家本人にとっては、言葉では語ることのできないような、深い意味をもった一日に、彼自身が心に去来するものの反射として、写し撮ったものだという想像力が、私たち自身のなかにはたらくからだ。
それが、写真には写ってはいないが、(実際には日付として写り込んでいるのだが)すべての写真を貫くスピリットとして作用し、これらの写真を一冊の写真集として成立させているのだといえよう。

また、見る者の網膜を刺激するような写真、見るものをして驚愕驚嘆させるようなあざといイメージ(あえて写真といわず、イメージといわせていただく)が、世界中に溢れかえっている現在に、『どんどんありのまま、そのままになっていく・・・もっと退屈でもよいくらいだよ』と言ってのけることなど、荒木経惟以外の誰に言える言葉だろう?強いて言えば、中平卓馬か?

俺はこの言葉に触れたとき、かつて思想家の吉本隆明が、知の究極の目標は、知の頂点を極めたのちに、非知へとゆるやかに着地することだといった言葉を想起する。

長年にわたって培った技術もセンスもはからいも、すべて捨て去って、ただ目の前に生起する現象を、淡々とフィルムに収める。
あえて意味を問うことなく、目の前の現実を全て等しく見做して、たださらさらとシャッターを切っていく。
おあつらえ向きの構図だの効果だのと言うような、皆は重要だと思っているものを一切排除してシャッターを切っていく。

これは、できそうでできないことだ。

写真に真剣に取り組んだことのある人なら、それがどんなに驚くべきことなのか、わかってもらえると思う。

そのあたりまえながらも、誰にもできないことを、さも気の無いような様子で、サラリと言ってのける荒木経惟の驚異的な力量よ!

読者諸君、失礼する。喪失した日付は、忘れることができないものだ。それこそが、ニンゲンであるし、その喪失の意味を背負っても、なお生きてゆかねばならないものも、私たちニンゲンだ。