2015/10/28

Post #1666

Hamburg,Germany
久々に雨が降っている。
前にも書いたことがあるけれど、俺は傘がさすのが好きじゃない。手に何かを持つのが好きじゃないからってだけではないんだ。
人からなぜいつも傘を差さないのかって訊かれると、『ほら、ヨーロッパ人ってあんまりか差さないじゃない?肌が潤っていいんだよ』ってはぐらかしている。
けど、どうもそれだけじゃないんだ。カバンの中に折り畳み傘が入っていても、よほどの雨じゃないと傘は差さない俺なのさ。

自分でも何故だろうって考えて、思い至ったのはシーナ&ロケッツの歌だ。
作詞は今は亡き日本歌謡界の巨匠、阿久 悠。作曲はもちろん鮎川 誠だ。
それはこんな歌だった。


RAIN<突然雨が降ると>


突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

恋人だって 先ず走り出し
それから慌てて手を差しのべて
急げという

濡れるから 濡れるから 
僕と同じスピードで走れという
ご親切に ご親切に 
あんたは心優しい人なのね

でもわたし あの一瞬 
あんたが一人で逃げ出したことを 
忘れやしない

雨だもの 濡れてあたりまえ
びっしょり濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

しあわせだって転がり始め
話のつづきが見つからなくて 
またねという

傘がない 傘がない
なぜに傘がないか ぼやいて言う

運がない 運がない
あんたはいつもそういう人なのね

でもわたし 雨のまえ
あんたが言おうと思ってたこと
知りたくない

雨だもの 濡れて当たりまえ
一緒に濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

はじめてこの曲を聴いたとき、ちょっとした衝撃だったのを覚えている。
このおれが、にわか雨で自分の恋人を置き去りにして、一目散に駆けだすような屁たれであっていいわけがない。そんなんじゃ、素敵な恋人に愛想を尽かされちまうだろう。冗談じゃない。たかがにわか雨くらいで、そんな目にあってたまるか!

そこで、俺は考えた。考えて考え抜いて、普段から傘をさす習慣をなくせば、そんな無様なことにはならないという結論に達したわけだ。
そう、雨だもの、濡れて当たり前。一緒に濡れてしまおうと言える男でありたいのさ。

もちろん、それは雨だけの話じゃない。避けられない人生のあれやこれやの話でもあるのは当然だ。そう思わないかい?

ロックンロールは時に、大切なことを教えてくれる。クレバーじゃなくても、人間味のある男でいるにはどうしたらいいかってことも。

読者諸君、失礼する。おかげでしばしば風邪をひく俺さ。

2015/10/27

Post #1665

真っ暗な夜道を歩くのに、灯りが必要だ。いくら闇の視力があってもね。暗室だって赤い暗室電灯がないと仕事にならないしな。
俺の真っ暗な人生で、ロックンロールは灯りがだった。そして、ずっと心のなかから消え去ることのなかった女の子達。彼女たちに恥ずかしくない男になり、一本筋の通った男ででいつづけること、それが俺を今日まで引っ張ってきた。
いつか、再会したときに『一人前の男になったね』って言われたいだろう?
そんな野望があるから、こんな肝試しみたいな危うい人生を歩んでこれたんだ。ロックのビートに踊るようにしてね。

さて、次のミッションはいよいよ墓場だ。若い頃、女の子と眺めた夜景のすぐしたに、黒々と広がっていた墓場だ。
さすがにここは、ヤバいかもしんないな。なにしろ昔の記憶が鮮明なんで、あんまり真面目に下見してなかったからな。
俺は、子供たちにそのまま待ってるように言うと、独りで墓場のなかに歩いていった。灯りは付けないでね。
みんな墓場を怖がるけど、あれはなんだろーな。
死んでたって、生きてたって、俺たちおんなじ魂だろう?
俺なんか生きてるやつらのほうが何をしでかすか分からねぇぶん、おっかないくらいだってのに。
縄文時代の人たちは、集落の真ん中にお墓を作っていたそうだ。節目節目に墓場を囲むようにして踊り、あの世から甦った死者たちと踊ったもんだぜ。こいつが盆踊りのルーツだ。
とはいえ、それはこの世とあの世が近かった大昔の話。今では死者は人々の目に触れないように巧妙に隠されている。病人も老人も障害者もだ。おかしな世の中だ。俺は、こんな世界はいつも不自然だと思ってるのさ。

ずっと奥まで歩いて行くと、開けた場所に小さな水子地蔵がたくさん並んでいる。
うん、ここだな。
俺は振り返ると、現場で鍛え上げた大音声で、懐中電灯をともして、一人づつこちらに来るように声をかけた。待ちきれず焦れたように子供たちがおっかなびっくりかけてくる。そして、たどり着いた子供たちは眼下に拡がる夜景を見て、歓声をあげている。
それでイイのさ。
全員揃ったところで、俺は子供たちを一人づつ墓石の間に立たせて、写真を撮ってやったのさ。夜景をバックにね。子供たちは、お互いに墓から手が出てくるんだぞとか言い合ってはしゃいでいる。
子供は何をしても愉しいもんだな。

俺は子供たちに尋ねた。
『君たちはこのお地蔵さんがなんだか知っているかい?』子供たちは誰も知らない。
『こいつは水子地蔵って奴でさ、お母さんのお腹のなかにいるうちに死んでしまったり、いろんな事情で中絶されたりして、この世に生まれて来ることが出来なかった子供たちを慰めて供養するためのものなんだ。』
俺には妊娠6ヶ月の息子がいるからな。切なさが身に染みる。俺は賽の河原で父母恋しいと石を積み、鬼に苛まれ泣き叫ぶ子供を助けてくれる地蔵菩薩の話なんかしてみた。
その上で『君たちは幸いなことに、こうして生まれて来ることができた。けど、それはスゴく幸せなことだし、君たちの命はたいへんな思いの結果ここにこうしてあるんだぜ。どこかで歯車が違っていたら、君たちがここで供養されてたかもしれない。だから、君たちの命はかけがえがないんだ…。だから、自分も周りの人たちも大切にして欲しい』
柄にもないけど、たまにはイイこと言ったってイイだろう?
子供たちは神妙に聞いている。真ん中の大きな地蔵の足元には、おもちゃやぬいぐるみが置いてある。それを見て、子供たちはなにかを感じている。
そう、それでイイのさ。

俺たちは、墓場のなかの石段をあがり、カップルの車がたくさん止まっている駐車場のはしに鎮座してる大仏の台座にのぼって夜景を眺めた。
大昔、女の子と眺めた夜景だ。この灯りの一つ一つに、喜怒哀楽をもったニンゲンが生きているのが、今の俺には解る。この子達はそれを分かってくれるだろうか?
いやいや、みんな大仏の下に止まってる車を、手にした懐中電灯で照らしている。やめろって!
俺がポツリと『昔彼女と初詣なんかにきて、この夜景を眺めたもんさ』というと、子供たちは『それは隊長の今の奥さんですか?』なんて聞きやがる。
『う~ん、前の前の前のそのまた前の前くらい?の彼女かなぁ?いちいち数えてらんないよ』
俺がそう答えると、子供たちはびっくりしてやがる。『ニンゲン46年もやってると、そんなもんだよ』困ったように俺が言うと、『うちのお父さんと同じくらいだ!』と驚きの声があがる。そーだろうよ。
『君のお父さんとはだいぶ違うだろ?』俺が訊くと『ゼンゼン違う』と言ってみんな笑うのさ。そりゃそうだ。俺はアハハハ!と高らかに夜景にこだまするような高笑い。
子供たちには、この高笑いが強烈なインパクトだったようで、参道の石段を下りながら、みんなアハハハと俺の真似をして笑ってやがる!
さぞかし、ロマンチックな気分で夜景を楽しんでたカップルの皆さんに顰蹙を買ったこったろう。なぁにかまうもんか。

幽霊だのふらついていたって、こんな高笑いでを聞かされちゃ、近寄っても来ないものさ。俺の魂は、死んでる奴らみたいな弱々しいもんじゃないんだ。
怖いものなんて、かみさん以外にありゃしないのさ。

読者諸君、失礼する。俺は最後に子供たちに、家から持ってきた伯方の塩をドバドバ振りかけてやったぜ!みんな頭や肩に塩を乗っけて喜んでいたのさ。またやろうぜ!

2015/10/26

Post #1664

この年までどうにかこうにか生きてきて、なんとなく思うのは、人生ってのは、少なくとも俺にとっては一種の肝試しみたいなもんだってことだ。
なにしろ、いつだって、先なんか見えているわけじゃなかった。何の見通しもない真っ暗な道を、明かりもなしに手探りで歩くようなもんだ。
平穏無事に暮らしているように見えるかもしれないけれど、毎日リアルに肝が試されているのさ。

そんなことを子供たちに伝えてやりたいもんだが、そういった抽象的な思考能力は、思春期前の学童期の子供たちには、まだ備わっていない。そういうのは、人生を俯瞰できるようになって初めてわかることなんだ。

だからこそ、きょうの経験を忘れないっでいてほしいもんだ。

俺たちは、わいわい言いながら裏山に通じる車道の急峻な斜面を登って行った。
どいつもこいつも、買ったばかりの懐中電灯を振り回している。
そんなんじゃちっとも怖くないぞ、消すんだ。
俺がそういうと、子供たちは何も見えないと抜かしやがる、馬鹿いえ、こんな月の明るい夜なんだ、懐中電灯なんかなくったって、十分見えるって、闇になれることが大切だ。
子供たちは、俺にどうやってみるんだよ、隊長?って聞いてくるけれど、そんなの教えられないぜ。

『心の目で見ろ!』

俺はそういうと、もう一度皆に懐中電灯を消すように促した。そういうもんはココ一番の時にとっておいたほうがいい。途上国を旅していると、真っ暗な道で獣のように目を光らせている男が、夜道を歩いているのに出くわすことがある。見えなくても、目を凝らすことで、見えてくるものさ。
闇になれなくちゃな。
なにしろ、俺たちは真っ暗闇の中から生まれてきて、真っ暗闇の中に死んでいくんだぜ・・・。

俺たちは、第一のチェックポイント毘沙門堂の参道前にやってきた。
立木に覆われた暗い道が、山の斜面に伸びている。
『お前ら、この道の奥のお堂に、独りで行ってこいよ。』
俺はこの道の奥のお堂に、独りでいって、ちゃんとそこまで行った証拠に、俺がお堂の前に置いておいた俺の名刺を持ってくるというミッションを与えた。
『まじでっ?ムリ!』
ガキども、早くいきたいと威勢は良かったが、実際にミッションを与えられると腰が砕けてやがる。人生はいつだって、独りっきりで戦っていかにゃならんもんなんだが・・・。
『馬鹿野郎、きんたまついてんのかよ?あ、すまん女の子もいたわ!仕方ない、二人一組で行ってこい!ツーマンセルだ。二人小隊だ。足元が悪いから懐中電灯をつけることを許可する。前を照らすんじゃなくて、足元を照らすんだ!それがポイントだ!』
人生だってそうだ。先ばかり見ていても、足元がおろそかになっていると、思わぬトラブルにケ躓く羽目になるのさ。

二人のガキどもが、ひーひー言いながら暗い道を登っていく。
待ってる子供たちには、懐中電灯を消すようにいうと、子供たちは暗いのは怖いというんだ。
『どうして暗いのが怖いんだい?眠るときは暗くないと眠れないだろう?闇は敵なんかじゃない。友達なんだぜ』
『そりゃそうだけど…』

二人組が興奮して帰ってきた。俺の名刺をもってきた。次の二人が入れ替わりで駆けだす。帰ってきた奴らは、怖かっただの、怖くなかっただの言って大騒ぎしている。どっちなんだよ。そして、後続の連中が遅い、あいつらはビビってるぜとかいってるんだけど、最終組の女の子に、あんたたちもおんなじくらいだったよって言われて笑っている。
俺は子供たちに『ここは毘沙門天ってインドの神様をお祀りしてるお堂だから、怖い事なんか何もないぜ。インドの名前はヴァイシャラヴァナ。それが日本に来ると毘沙門天って名前に変わるんだ。インドの北のほう、ヒマラヤあたりに住んでるとされた神様で、上杉謙信も信仰していたんだぜ』
知らないよりも、知っているほうがビビらなくてすむものだ。俺は子供たちに、上杉謙信は自分が毘沙門天の化身だと信じていたから、自分は決して負けないと信じていた話や、謙信が敵の鉄砲や弓矢が飛んでくる真ん中で、酒を飲んで相手を挑発した話なんかをしてやった。
そうこうしているうちに、最後の組が帰ってきた。
子供たちは、さっきまで怖がっていたくせに、ちゃんとお堂にいってお参りしたいと殊勝なことを言い出した。
細い車道で、上りと下りの車が、道幅が狭いがために行違うことが出来なくて、危なっかしくて仕方ない。暗い夜道より自動車のほうがおっかないのが現実だ。お参りにいくと称して、こっちの暗い道を登って行ったほうが、断然安全だ。
OK、イイだろう。みんなで行こう。
『野郎ども、ついてこい!』
俺はそう声をかけると、みんなの先頭に立って、お堂まで登って行ったのさ。

しばらく行くと、大きな六地蔵が並んでいたんで、子供たちをその間に立たせて写真を撮ってみたんだ。『おい、一人増えてないか?』なんて言いながらな。

読者諸君、失礼する。この話はもう一日くらい続けてみようかな。