2026/01/20

POST#1735 大切なことは祖母から教わった

 

長野県 南信州 平岡 パチンコ屋すら潰れてしまう山奥の町
いつか機会があったなら、自分の聞いている家族のナラティブを書き記しておきたかった。

俺ももう決して若くない。人生なんて一寸先は闇だ。この瞬間だって闇鍋みたいなものだ。今暇なら、今やってしまおう。自分の短慮と愚かさから、多くの心残りを作り出してきた。

失ったものはもう戻らない。けれども、人生は続いていくんだ。できることなら、一つでも心残りをなくしてから前に一歩づつ匍匐前進していくしかないんだ。

ノブちゃんの話だ。ノブちゃんは旧姓阿久根というのだが、先祖は鹿児島県の阿久根市の出なのだろう。地名が姓になっているということは、さかのぼれば在地の豪族か地頭職か何かだったのかもしれない。

ノブちゃんが話してくれたことの中に、ノブちゃんの祖父だか曽祖父だかは、明治時代に村長だったそうなのだが、助役が山林業者と結託して村有林の木を伐り、その利益を着服したという事件に直面したという。そしてその責任を取って、自宅で切腹して死んだという。いかにも薩摩隼人というエピソードだが、今となってはそれが本当か否か、確かめる術はない。が、何度も聞いたこの話で、男の(今時男のとか女のとかいうと差別になるんだよな)いやさ漢の責任の取り方は、突き詰めたら切腹しかないんだと刷り込まれた。実際に会社員のころ、お前どうやって責任取るんだ!と言われ、そんなもん切腹する覚悟だと答え、空気を凍り付かせ、押し切ってしまったこともある。まぁ、切腹せずに済んだから今があるんだけれど。

また、戦争中は軍人が威張っていて、息苦しい嫌な時代だったと何度も聞かされた。戦争に負けてよかったとすら言っていた。

ノブちゃんの弟のうち一人は熱心な創価学会の信者になり、一番下の弟は共産党員だか、共産党シンパだったと聞いている。彼女は選挙では共産党にしか投票しなかった。公明党ではなかったようだ。

これも自分の価値観の形成に大きくかかわっている。

さて、そんな薩摩隼人の血を引くノブちゃんが、先妻の豊子さんの子の豊明(つまり俺の父)を庭先で遊ばせていると、生け垣の向こうからしげしげと豊明の様子を眺める旅の僧侶がいた。僧侶はノブちゃんに

「相すまん、つかぬ事を伺うがそこで遊んでいる子供の母親はどちらかな」と声をかけた。

「私がそうです」とノブちゃんが答えると「それは面妖な」と首をひねる。

いぶかしく思ったノブちゃんが仔細を訊ねると「なに、その子供のそばには大柄な女人の霊がぴたりと寄り添って居る。大方その女人がその子の母親であろうと見ておったのじゃ」

するとノブちゃん、自分はこの子にとっては継母であることを僧侶に告げた。僧侶は「やはりそうであろう。この女人の霊は、この子供のことをたいそう案じており、近いうちに連れて行ってしまおうとしておる。ねんごろに供養しなされ。悪いことは言わぬ。一刻も早くだ」などということを告げたそうだ。

ノブちゃんは驚き、檀家の寺に子供を連れてゆき、お坊様に旅の僧侶のいったことを伝えて先妻の豊子さんの霊を供養したのだという。その時にノブちゃんは、「この子のことは私が生涯かけて守ります。ですから連れて行かないでください」と何度も何度も心の中で誓ったそうだ。

結果、ノブちゃんは俺の父豊明だけでなく、やはり母親を早くなくした孫たち、つまり俺を筆頭にした不出来な息子四人も育て上げた。自分が誓ったように、俺の父を一生を費やして導き守ったのだ。

20歳まで生きないといわれていたノブちゃんが91歳で亡くなってから、この23日で13年が経つ。早いものだ。本当にありがとう。

1922年3月15日~2013年1月23日

2026/01/19

POST#1734 まるで水木しげるの漫画のような世界がかつてはあったのだ

世界の街角から うーん、どこだっけスウェーデンのヘルシンボリだったかな

 毎日暇そうだなって思われているだろうな。

暇だよ。いろいろあって仕事の契約を切られてしまったからな。それは仕方ない。身から出た錆だ。誰を責めるわけにもいかない。潮時だったんだ。で、方々に声をかけて仕事くださいって言ったところで、早々急に仕事が降ってくるもんじゃない。やることなんて掃除洗濯料理、そして読書くらいしかないんだ。無芸大食だ。まるで老後の暮らしだ。こんなのが死ぬまで続くのかと思うとぞっとする。仕方ないからひまつぶしに毎日書いているってわけだ。

さて、昨日の続きだ。

祖父の庄六は、そのうちに徐々に持ち直し、ノブちゃんの弟のたちと商売をするようになったようだ。町で雑貨店を営んでいたと聞いたことがある。ノブちゃんの行商が発展したものだ。その頃には俺の親父の豊明も小学生になっていたことだろう。

のんびりした時代で、掛け売りした商品の集金に自転車で回ることも度々だったという。しかし、庄六さんは根っからの善人で商売に向いていなかった。エリート商社マンだったはずなんだが、もしかしたら戦争で根本的に価値観が変わってしまったのかもしれない。

集金に行き、貧しい相手に今日食べるものを買うお金もないと泣きつかれると、仕方なく集金を次回に繰り延ばし、それどころかよそで集金してきた金も与えてしまうような人だったという。

その点、当時まだ小学生だった俺の父・豊明のほうが、情け容赦なく売掛金を回収してきては商売人らしさを発揮していた。

そんな寛大な庄六さんは周囲の人々からは好かれていたが、家族の生活は苦しかっただろう。にもかかわらず夫婦仲はよく、先妻の豊子さんの子である俺の父の豊明、ノブちゃんの子のあさチャンの後に娘が三人、男子が一人と次々生まれた。そりゃ、ノブちゃんも行商どころの騒ぎではない。貧乏の子だくさんだ。

このお人よしな性格のせいで、後に入来町の店も人手に渡り、ノブちゃんの弟たちも含めた一家は新天地を求め、岐阜へと移住することとなる。それはまたのちの話。

そんな庄六さんが集金に行った帰り、峠道を自転車で走っていたときのことだ。

庄六さんはその時、相手先で一盃ごちそうになり、上機嫌で暗い峠道を走っていた。すると急に強い風が木々を揺らし、ゴーっ!と列車が通るような音が上から聞こえてきたかと思うと、峠道の上を大きな火の玉が飛んで行ったという。

普通、火の玉が頭上を飛んでいくと自分の魂も持っていかれて、頓死してしまうと信じられていたようだが、幸い庄六さんは酔っぱらって上機嫌、心ここにあらずという有様だったので、腰を抜かしてひっくり返っただけで済んだのだという。(とはいえ、のちに火のついた練炭を取り落とし、入院していた病院で死ぬという運命が待ち受けていたわけなんだが。)

まるで水木しげるの世界だ。眼鏡をかけて出っ歯の主人公が、ハフッ!とか言って目を回して卒倒する一コマが目に浮かんでくる。

祖母からは、峠道などで急に体がだるくなり動けなることがある。そんな時は、昔そのあたりで行倒れて死んだ者の魂が憑りつき、その死者の味わった餓えや疲労が自分の身に生じるのだと聞かされた。そんな時は手に米という字を指でなぞり、その手のひらを舐めるとよいとも聞いた。

この話から察するに、その人魂はその峠道で力尽き、命を落とした人のものかもしれない。

読者諸君、今日はこれで失礼する。暇なのは暇だけど、本屋に注文したトマ・ピケティの新刊を受け取りに行ってこようと思ってるんだ。

2026/01/18

POST#1733 まるで遠野物語のような…


世界の車窓から 今日はスウェーデン南部からお送りしましょう
見える人といえば、うちの死んだお祖母さん、ノブちゃんもこれまた霊感のある人だった。
俺が子供のころ、お風呂の中で祖母が人生で体験した様々な奇妙な話を聞かされた。
それは、確実に自分の芯に植え付けられている。
俺が死んだら、それは消えてしまうのは惜しいので、いくつか書き残しておこうと思う。

昔、大正11年1922年に生まれた祖母が、まだ6歳くらいのころだ。
鹿児島の入来(現在の鹿児島県川内市)というところに住んでいた。
ノブちゃんの家の隣には、年老いた老婆が住んでいたそうだ。老婆はノブちゃんを常日頃かわいがっていた。
老婆は一人で暮らしており、日々弱っていったそうだ。ノブちゃんはしばしば様子を見に行き、水を飲ませたりしていたそうだ。現代とはずいぶん違うな。
ある日、まだ陽も明けきらない頃、ノブちゃんはふと気配を感じ、目を開けるとそこに隣家の老婆が立っていて、ノブちゃんにいつもありがとうと何度も礼を述べたという。
そして、ちょうどその刻限に、その老婆は息を引き取ったということであった。

まるで、遠野物語に出てくるような話だ。
吉本隆明の共同幻想論からすると、日々老婆の衰弱していく様を見ていたノブちゃんが、そろそろ老婆の生命が終わるであろうことを無意識に感じ取り、そのような幻覚をみて、実際の出来事と関連付けたということもできよう。

こんな話も聞いた。

おそらく、昭和21年戦争で負けた祖父の庄六さんとノブちゃんは、俺の父の豊明、そして戦争が終わってすぐ後に生まれた叔母のあさチャン(のちに父の会社で経理を担当することになる)を連れて、生まれ故郷の鹿児島県入来町(現在の鹿児島県川内市)に帰ってきた。
祖父の庄六は、伊賀の服部郷から尾張の木曽川の湊町・起(現在の愛知県一宮市起町)に、木曽の良木を求めて移住してきた欄間師だった。欄間とは床の間の障子の上にある彫り物だ。みたことあるでしょう?
しかし、庄六さんが生まれたのが遅かったため、久保田信蔵・うの夫妻の三男庄吉を養子に迎えており、庄吉が家督を継ぐこととなっていた。長子相続制だ。そのあとに生まれた祖父の庄六は実の長男ながら傍流とされ、戦災を免れた自分の生家に帰ることはなかった。

戦前から大阪の商社に勤め、俺の父を産んだ妻の豊子さんが早くなくなったため、戦争中は父の豊明を連れて大陸に行き、日本軍の軍馬の飼料を扱う商いで成功したそうだ。かなり豪勢な暮らしぶりだったという。
ノブちゃんの話では、広大な屋敷の四方にめぐらされた塀を兼ねた使用人の部屋には、2000人もの人々が住んでいたという。しかし、いくらなんでも2000人は盛りすぎだろう。

ノブちゃんは子供のころから心臓が弱く、二十歳まで生きることはないだろうといわれていたそうだ。そこで、短い人生好きにやりたいと当時日本の同盟国であったドイツの租借地青島(チンタオ)に渡ったんだそうだ。そこで、当時の日本より医学の進んでいたドイツの薬品(バイエル社だと言っていたな)を使った治療を受け、健康になったんだそうだ。

そして、二十歳を超えて生き永らえたノブちゃんは、(おそらく庄六さんに子供の世話を頼まれたのだろう)まだ四歳ほどの俺の父に懐かれ、これを見捨てることもできなかったのか、それとも情が移ったのか、庄六さんと結婚することになった。

まぁ、ある意味自分の人生は終わったようなもんだ。しかし、それが人生だ。

戦争が終わり、現地の人々から慕われていた庄六さんは、周囲の中国人の友人から日本に帰らず中国に残ってはどうかと勧められたが、昭和21年になってから(昭和20年の12月に叔母が生まれているので、身重のノブちゃんを連れて帰還船に乗ることは考えにくい)ノブちゃんの故郷である鹿児島県入来(現代の鹿児島県川内市)に引き上げてきたのだった。

庄六さんは、燃え尽き症候群だった。
有能な商社マンから、軍相手の商売で財を成したが、敗戦ですべてを失ったことで、どう生きるべきかわからなくなっていたんだろう。子供だけが残ったと涙を流して引き揚げ船で海を眺めてつぶやいていたとも聞いた。

しかし、生きていくのはどんな時代でも銭はかかるし、待ったなしだ。
ノブちゃんは乳飲み子を抱えて行商などで働いた。
あまりに忙しかったので、ある日、近所を流れる川(川の名前まで聞いてはいないが、入来町を流れる桶脇川かその支流の後川内川か)の岩の上に叔母のあさチャンのおむつを広げ、岩の上で洗ったそうだ。
その夜から、あさチャンはどこか痛がるような素振りで夜通し泣き続けるようになった。
今のようにCTだのMRIだのない時代だ。集落の祈祷師に原因を探ってもらうこととなった。
まるで水木しげるの漫画のようだ。しかし、こうしてみると拝み屋、祈祷師などは昔はそこそこ集落にいたのかもしれない。混沌とした時代だ。
祈祷師の見立てによれば、ノブちゃんが赤ん坊のおむつを洗った岩の上では、目には見えなくとも河童が集まり集会をしていたのだそうだ。
そして、車座になった河童のみなさんのど真ん中で、糞便に汚れたおむつを洗ったのだそうだ。
河童は怒った。そして夜な夜な乳飲み子のあさチャンの柔肌を針で刺すようにして、苦しめていたのだという。
ノブちゃんは、その祈祷師に進められ、その岩の上に簡素な祭壇を設け、瓜やキュウリなど河童の好む供物を供え、非礼をわびたという。
その夜から、あさチャンの夜泣きはぴたりと止まったという。

検索してみると『鹿児島県入来(いりき)地方(現在の薩摩川内市の一部)には、河童(地元では「ガラッパ」とも呼ばれる)に関する伝説が伝わっており、特に高城(たき)地区では、高城川で河童に稚児が引き込まれたという伝承があり、馬に乗った稚児の木像がご神体とされています。また、夏に川に降りてきて冬は山へ戻るという「ガラッパ」の声が聞こえるという話や、風呂の残り火に現れる「ガラッパ」の話など、河童(ガラッパ)信仰や伝承が根付いている地域です。 
入来(高城)の河童伝説のポイント
ガラッパ:南九州の方言で河童のこと。鹿児島県本土でも「ガラッパ」と呼ばれています。
高城川の稚児伝説:高城家の領主の稚児が河童に引き込まれたという伝説。
ご神体:馬に乗った稚児の木像が祀られている。
声の伝承:お彼岸の頃に「ピーヒョロー」という河童の声が聞こえるという伝承。
習性:夏に川に降りて、冬は山へ帰るという。 
これらの伝承は、地域の文化や歴史に深く根付いており、現在も語り継がれています。 』
とある。夏に川に降りて、冬は山に帰るというのは、日本の蛇体の穀物神が夏は田に降り、冬は山に帰るといいうのに似ている。もともと日本人は、山は他界だと考えていたのだ。

これまた、遠野物語か水木しげるの妖怪大百科に出てきそうな話だ。
俺は、物心つく前からそんな話を聞かされて育ち、世界てのは、河童の集会のように目に見えないレイヤーが存在すると信じるようになった。

今日はこんなところだ。明日に続く。憂鬱な月曜日を楽しんでくれ給え。