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| 世界の車窓から 今日はスウェーデン南部からお送りしましょう |
俺が子供のころ、お風呂の中で祖母が人生で体験した様々な奇妙な話を聞かされた。
それは、確実に自分の芯に植え付けられている。
俺が死んだら、それは消えてしまうのは惜しいので、いくつか書き残しておこうと思う。
昔、大正11年1922年に生まれた祖母が、まだ6歳くらいのころだ。
鹿児島の入来(現在の鹿児島県川内市)というところに住んでいた。
ノブちゃんの家の隣には、年老いた老婆が住んでいたそうだ。老婆はノブちゃんを常日頃かわいがっていた。
老婆は一人で暮らしており、日々弱っていったそうだ。ノブちゃんはしばしば様子を見に行き、水を飲ませたりしていたそうだ。現代とはずいぶん違うな。
ある日、まだ陽も明けきらない頃、ノブちゃんはふと気配を感じ、目を開けるとそこに隣家の老婆が立っていて、ノブちゃんにいつもありがとうと何度も礼を述べたという。
そして、ちょうどその刻限に、その老婆は息を引き取ったということであった。
まるで、遠野物語に出てくるような話だ。
吉本隆明の共同幻想論からすると、日々老婆の衰弱していく様を見ていたノブちゃんが、そろそろ老婆の生命が終わるであろうことを無意識に感じ取り、そのような幻覚をみて、実際の出来事と関連付けたということもできよう。
こんな話も聞いた。
おそらく、昭和21年戦争で負けた祖父の庄六さんとノブちゃんは、俺の父の豊明、そして戦争が終わってすぐ後に生まれた叔母のあさチャン(のちに父の会社で経理を担当することになる)を連れて、生まれ故郷の鹿児島県入来町(現在の鹿児島県川内市)に帰ってきた。
祖父の庄六は、伊賀の服部郷から尾張の木曽川の湊町・起(現在の愛知県一宮市起町)に、木曽の良木を求めて移住してきた欄間師だった。欄間とは床の間の障子の上にある彫り物だ。みたことあるでしょう?
しかし、庄六さんが生まれたのが遅かったため、久保田信蔵・うの夫妻の三男庄吉を養子に迎えており、庄吉が家督を継ぐこととなっていた。長子相続制だ。そのあとに生まれた祖父の庄六は実の長男ながら傍流とされ、戦災を免れた自分の生家に帰ることはなかった。
戦前から大阪の商社に勤め、俺の父を産んだ妻の豊子さんが早くなくなったため、戦争中は父の豊明を連れて大陸に行き、日本軍の軍馬の飼料を扱う商いで成功したそうだ。かなり豪勢な暮らしぶりだったという。
ノブちゃんの話では、広大な屋敷の四方にめぐらされた塀を兼ねた使用人の部屋には、2000人もの人々が住んでいたという。しかし、いくらなんでも2000人は盛りすぎだろう。
ノブちゃんは子供のころから心臓が弱く、二十歳まで生きることはないだろうといわれていたそうだ。そこで、短い人生好きにやりたいと当時日本の同盟国であったドイツの租借地青島(チンタオ)に渡ったんだそうだ。そこで、当時の日本より医学の進んでいたドイツの薬品(バイエル社だと言っていたな)を使った治療を受け、健康になったんだそうだ。
そして、二十歳を超えて生き永らえたノブちゃんは、(おそらく庄六さんに子供の世話を頼まれたのだろう)まだ四歳ほどの俺の父に懐かれ、これを見捨てることもできなかったのか、それとも情が移ったのか、庄六さんと結婚することになった。
まぁ、ある意味自分の人生は終わったようなもんだ。しかし、それが人生だ。
戦争が終わり、現地の人々から慕われていた庄六さんは、周囲の中国人の友人から日本に帰らず中国に残ってはどうかと勧められたが、昭和21年になってから(昭和20年の12月に叔母が生まれているので、身重のノブちゃんを連れて帰還船に乗ることは考えにくい)ノブちゃんの故郷である鹿児島県入来(現代の鹿児島県川内市)に引き上げてきたのだった。
庄六さんは、燃え尽き症候群だった。
有能な商社マンから、軍相手の商売で財を成したが、敗戦ですべてを失ったことで、どう生きるべきかわからなくなっていたんだろう。子供だけが残ったと涙を流して引き揚げ船で海を眺めてつぶやいていたとも聞いた。
しかし、生きていくのはどんな時代でも銭はかかるし、待ったなしだ。
ノブちゃんは乳飲み子を抱えて行商などで働いた。
あまりに忙しかったので、ある日、近所を流れる川(川の名前まで聞いてはいないが、入来町を流れる桶脇川かその支流の後川内川か)の岩の上に叔母のあさチャンのおむつを広げ、岩の上で洗ったそうだ。
その夜から、あさチャンはどこか痛がるような素振りで夜通し泣き続けるようになった。
今のようにCTだのMRIだのない時代だ。集落の祈祷師に原因を探ってもらうこととなった。
まるで水木しげるの漫画のようだ。しかし、こうしてみると拝み屋、祈祷師などは昔はそこそこ集落にいたのかもしれない。混沌とした時代だ。
祈祷師の見立てによれば、ノブちゃんが赤ん坊のおむつを洗った岩の上では、目には見えなくとも河童が集まり集会をしていたのだそうだ。
そして、車座になった河童のみなさんのど真ん中で、糞便に汚れたおむつを洗ったのだそうだ。
河童は怒った。そして夜な夜な乳飲み子のあさチャンの柔肌を針で刺すようにして、苦しめていたのだという。
ノブちゃんは、その祈祷師に進められ、その岩の上に簡素な祭壇を設け、瓜やキュウリなど河童の好む供物を供え、非礼をわびたという。
その夜から、あさチャンの夜泣きはぴたりと止まったという。
検索してみると『鹿児島県入来(いりき)地方(現在の薩摩川内市の一部)には、河童(地元では「ガラッパ」とも呼ばれる)に関する伝説が伝わっており、特に高城(たき)地区では、高城川で河童に稚児が引き込まれたという伝承があり、馬に乗った稚児の木像がご神体とされています。また、夏に川に降りてきて冬は山へ戻るという「ガラッパ」の声が聞こえるという話や、風呂の残り火に現れる「ガラッパ」の話など、河童(ガラッパ)信仰や伝承が根付いている地域です。
入来(高城)の河童伝説のポイント
ガラッパ:南九州の方言で河童のこと。鹿児島県本土でも「ガラッパ」と呼ばれています。
高城川の稚児伝説:高城家の領主の稚児が河童に引き込まれたという伝説。
ご神体:馬に乗った稚児の木像が祀られている。
声の伝承:お彼岸の頃に「ピーヒョロー」という河童の声が聞こえるという伝承。
習性:夏に川に降りて、冬は山へ帰るという。
これらの伝承は、地域の文化や歴史に深く根付いており、現在も語り継がれています。 』
とある。夏に川に降りて、冬は山に帰るというのは、日本の蛇体の穀物神が夏は田に降り、冬は山に帰るといいうのに似ている。もともと日本人は、山は他界だと考えていたのだ。
これまた、遠野物語か水木しげるの妖怪大百科に出てきそうな話だ。
俺は、物心つく前からそんな話を聞かされて育ち、世界てのは、河童の集会のように目に見えないレイヤーが存在すると信じるようになった。
今日はこんなところだ。明日に続く。憂鬱な月曜日を楽しんでくれ給え。

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