2026/01/22

POST#1737 読みかけの本を閉じるように

紀州熊野

俺の親父の生への執着には、恐れ入る。
俺は、別にいつ死んでも構わない。
この先なにかやるべきたいそうなことや、やり残したようなこともない。
幼い息子は息子で、自分の人生を歩むだろう。
たんと苦労するがいい。
彼はうまくいけば22世紀までたどり着けるだろう。

読みかけの漫画を、ふと嫌になって読むのをやめるように、その時が来たらあっさりと死んでいくつもりだ。死んでからのことを心配しても仕方ない。
できることなら、中世イランの科学者で詩人であったオマル・ハイヤームのように死んで行きたい。
手元にある平凡社ライブラリー『ルバイヤート』はオマル・ハイヤームの詩集であるが、訳者の岡田恵美子先生によって記されたあとがき(177ページ)によれば、伝えられている彼の死の様子は以下のようだ。

「彼はつねづね金の爪楊枝を用いていた。ペルシアの哲学者アヴィセンナの『治癒の書』を読んでいたが、「一と多」の章まできたところでその爪楊枝を頁の間において本を閉じると、遺言のための公正な証人を呼ぶように命じた。それから遺言を済ませ席を立って祈り、その後すべての飲食を断った。その日の夜、最後の祈禱を済ますと彼は跪拝したまま「おお神よ、私が力の限りあなたを識ろうと務めてきたことを、あなたはご存じです。私の罪をお赦しください。あなたを識ることは、あなたに近づく私の手段だったのです」―そういって、彼は息絶えた」

われらが消えても、永遠に世はつづき、
われらの生の痕跡も、名ものこりはしまい。
わららが生まれるまえ、この世に欠けたものはなにもなく、
われらの死後、何の変化もあるまい。

       オマル・ハイヤーム (平凡社ライブラリー版ルバイヤート78頁より)


蛇足

先日、友人とはなしをしていてふと思いついたんだが、リストカットとかしてしまう人がいる。しかし、かみそりで切った痕は手首に残っていても、思い切って電動丸鋸とかで手首を切り落とす人はいない。みんな、あれは本気ではないんだなって。
本人たちは切実でも、本当は生きて誰かに存在を無条件に受け入れてもらいたいんだな。

そういうことか。

2026/01/21

POST#1736 不死身の男

世界の街角から 今日はカトマンズ

 HCUに入っていて、半死半生の親父にできることは何もないので、俺は仕事に戻ることにした。去年は今年と違って大忙しだった。本当なら今年も今頃大忙しの予定だったが、人生はどこで何が起こるかわからない。

で、週末ごとに病院に行ってみると、いつのまにかHCUから出て、一般病棟に移っているじゃないか。インフルエンザは緩解したようなので、一般病棟で点滴点滴、通路をゆっくり歩くリハビリだと。

豊子さん、豊明さんなら、もうそっちに連れて行ってくれてもいいんだぜ!
ノブちゃんもうすぐ13回忌の法要だってのに、親父のことを守りすぎじゃないのか?

いかにも冗談の通じなさそうな無表情な主治医からは、このまま何もなければおよそ二週間で退院だと告げられた。
冗談じゃない。俺は一月中に親父のアパートを引き払い、どこか住むところを見つけてやらなきゃなと思っていたのに。目算が狂っちまうよ。資産家の未亡人の大家には、ぐだぐだ文句ばっかりこきやがるから、一月分の家賃で5万円現金で押し付けてきて黙らせてきたというのに。ここであのアパートに戻ったら、元の木阿弥だ。また何年も年取った猫と一日中テレビを見て、あれこれ好き放題食いまくる生活に逆戻りだ。
親父に面会すると着替えを用意してほしいという。一般病棟に移ったので、寝間着とか下着とかが必要なんだと。

まったく、俺の親父は不死身なんじゃないか。
いや、もう死んでるけどゾンビなんじゃないか。

俺は病院のケースワーカーさんとの面会を取り付けて、なるべく俺の家から近くて手ごろな金額で入所できる高齢者サービス住宅をいくつか紹介してもらった。
俺は近くに住んでいる弟と連れ立って、高齢者サービス住宅の見学に行ったりした。忙しいったらない。
市役所に行き、老人福祉課で要支援・要介護認定の依頼もお願いした。これがあるのとないのとじゃ、入れる施設も金額も何もかも変わってくる。
それに何より親父の財務状況、それも借金のことをはっきりさせておかなけりゃならない。
俺は、そそくさと親父の埃っぽいアパートに向かった。
倒れた直後に、食料品や生ものなどは処分しておいた。例によって土足で立ち入り、積み重なった書類や書類ケースの中に無造作に突っ込まれた小切手帳、壁に張られた督促状、銀行の通帳、ATMの振込明細、実印、もう使われていない社印と社判、そんなものを山ほど回収した。
年取った猫は、相変わらず押し入れの中に隠れて様子をうかがっている。
銀行の通帳はいくつも出てきた。一体いくつの銀行に口座を持ってやがるんだ。マネーロンダリングでもしてるんじゃないのかってくらいだ。
昔一緒に住んでいた女性の銀行口座に振り込んだ明細も出てきた。くさい。
鋏の入れられた小切手帳、5000万円とかぞっとするような金額が記されているものもある。
これが焦げ付いているんじゃないだろうか?
債権回収会社からの葉書。どうも昔、カードで買い物した金を踏み倒し、それが今や年利14%で雪だるま式に膨れ上がっているようだ。
銀行からの借金は、少しづつ返済し、都度手形を切って返済期限を更新してゆくという、聞いたこともないようなトリッキーなことをやっている。

社会人になったばかりのころ、数千万円の借金の保証人にされて精神的に追い詰められていた経験を持つ弟は、この伏魔殿にはあまり近寄ってこなかった。

ついでに親父の着替えを探してみたが、下着もよれよれ、服も襟や袖がほころんでいる。みすぼらしいったらないぜ。
俺はそれらをすべて市の可燃物のごみ袋に突っ込んで、近所のGUでしこたま下着やラウンジウェアを買い込んだ。GUでこんなに買い物したのは初めてだったぜ。

そうこうしているうちに、親父が尿路感染で菌血症になってしまったという連絡が入った。
その前の年に俺が腎臓結石になったときに発症した奴だ。血液の中に菌が入りこみ繁殖してしまう。悪くすると死ぬ。しかし、病院からは死ぬことはないので安心してください、ただ、退院が伸びますとの説明だった。ベッドの空きがないので、1月末ごろに転院していただきますというありがたいお話だった。
ついでに言うと、市民病院の主治医は親父には要支援も要介護も必要ないという判断を下したんだとさ。俺は肌の白い無表情な若い医師の顔を思い浮かべた。
くそじじいめ、リハビリ頑張りすぎだろう。その生に対する執着はいったいどこから湧いてくるんだ?

俺も頭の上に人魂が飛んで、頓死してしまいたいと思ったぜ。
やれやれ、この憂鬱な話はまだまだ続く。

2026/01/20

POST#1735 大切なことは祖母から教わった

 

長野県 南信州 平岡 パチンコ屋すら潰れてしまう山奥の町
いつか機会があったなら、自分の聞いている家族のナラティブを書き記しておきたかった。

俺ももう決して若くない。人生なんて一寸先は闇だ。この瞬間だって闇鍋みたいなものだ。今暇なら、今やってしまおう。自分の短慮と愚かさから、多くの心残りを作り出してきた。

失ったものはもう戻らない。けれども、人生は続いていくんだ。できることなら、一つでも心残りをなくしてから前に一歩づつ匍匐前進していくしかないんだ。

ノブちゃんの話だ。ノブちゃんは旧姓阿久根というのだが、先祖は鹿児島県の阿久根市の出なのだろう。地名が姓になっているということは、さかのぼれば在地の豪族か地頭職か何かだったのかもしれない。

ノブちゃんが話してくれたことの中に、ノブちゃんの祖父だか曽祖父だかは、明治時代に村長だったそうなのだが、助役が山林業者と結託して村有林の木を伐り、その利益を着服したという事件に直面したという。そしてその責任を取って、自宅で切腹して死んだという。いかにも薩摩隼人というエピソードだが、今となってはそれが本当か否か、確かめる術はない。が、何度も聞いたこの話で、男の(今時男のとか女のとかいうと差別になるんだよな)いやさ漢の責任の取り方は、突き詰めたら切腹しかないんだと刷り込まれた。実際に会社員のころ、お前どうやって責任取るんだ!と言われ、そんなもん切腹する覚悟だと答え、空気を凍り付かせ、押し切ってしまったこともある。まぁ、切腹せずに済んだから今があるんだけれど。

また、戦争中は軍人が威張っていて、息苦しい嫌な時代だったと何度も聞かされた。戦争に負けてよかったとすら言っていた。

ノブちゃんの弟のうち一人は熱心な創価学会の信者になり、一番下の弟は共産党員だか、共産党シンパだったと聞いている。彼女は選挙では共産党にしか投票しなかった。公明党ではなかったようだ。

これも自分の価値観の形成に大きくかかわっている。

さて、そんな薩摩隼人の血を引くノブちゃんが、先妻の豊子さんの子の豊明(つまり俺の父)を庭先で遊ばせていると、生け垣の向こうからしげしげと豊明の様子を眺める旅の僧侶がいた。僧侶はノブちゃんに

「相すまん、つかぬ事を伺うがそこで遊んでいる子供の母親はどちらかな」と声をかけた。

「私がそうです」とノブちゃんが答えると「それは面妖な」と首をひねる。

いぶかしく思ったノブちゃんが仔細を訊ねると「なに、その子供のそばには大柄な女人の霊がぴたりと寄り添って居る。大方その女人がその子の母親であろうと見ておったのじゃ」

するとノブちゃん、自分はこの子にとっては継母であることを僧侶に告げた。僧侶は「やはりそうであろう。この女人の霊は、この子供のことをたいそう案じており、近いうちに連れて行ってしまおうとしておる。ねんごろに供養しなされ。悪いことは言わぬ。一刻も早くだ」などということを告げたそうだ。

ノブちゃんは驚き、檀家の寺に子供を連れてゆき、お坊様に旅の僧侶のいったことを伝えて先妻の豊子さんの霊を供養したのだという。その時にノブちゃんは、「この子のことは私が生涯かけて守ります。ですから連れて行かないでください」と何度も何度も心の中で誓ったそうだ。

結果、ノブちゃんは俺の父豊明だけでなく、やはり母親を早くなくした孫たち、つまり俺を筆頭にした不出来な息子四人も育て上げた。自分が誓ったように、俺の父を一生を費やして導き守ったのだ。

20歳まで生きないといわれていたノブちゃんが91歳で亡くなってから、この23日で13年が経つ。早いものだ。本当にありがとう。

1922年3月15日~2013年1月23日