2015/02/28

Post #1424

Kathmandu,Nepal
毎度毎度のことながら、自民党の閣僚の金にまつわる不祥事が続いている。
むしろ、法の目をかいくぐって金を集めたりしていないようでは、自民党の政治家にはなれないんじゃなかろうかと思えるぜ。
政治には金がかかるということは、分からなくもないのだが、何のために国民から集めた税金のなかから、政党助成金なるものが、受け取りを固辞している共産党以外の各政党に与えられているというのか?

だいたい、この国の人々は政治家に甘すぎる。人のうわさも75日という国民性のなせる業かどうか知らないが、結局のところ言論人たちの追及が中途半端なんだろう。いつだって白黒つけるところまで行きつかない。いつだってグレーだ。

政治資金に関する報告書だって、領収書はおろか、適当な記帳記載でも許されてしまうんだ。
いうならば、白色申告だ。領収書も帳簿もいらない自己申告だ。

俺のような零細企業の経営者が、税務署に書類を出す際には、当然青色申告だ。
一円単位まで帳簿をしっかり作り、貸借対照表、損益計算書をつくって帳尻を合わせ、それに基づいて納税書類を作成しなきゃならないんだ。

どうして、政治家のセンセーがたには、そういう面倒な作業がないのか?
何故って、奴らはしょせんルールを作る側だからな。

この国では、政治家というのは世襲の貴族階級のことを指している。
世襲の貴族の子弟は、一万円の純利益を稼ぐ苦労を知らないだろう。
世襲の貴族の子弟は、自分たちは特別だと信じていることだろう。
世襲の貴族の子弟だからといって、国民の模範になる振る舞いを求められるわけではない。
世襲の貴族の子弟だからという理由だけで、選挙にでて、当選し、特権を享受することが出来るのさ。

今日の日本には、ノブレス・オブリュージュ、すなわち『高貴な者は義務を負う』という見識は存在しないんだ、残念ながら・・・。

毎度毎度、阿呆らしくていちいち突っ込む気にもならないが、これもうがった見方をすれば、いつもやっていれば、国民はだれも気にしなくなるので、ばれなきゃいくらやっても構わないし、よしんばばれたとしても、議員辞職に追い込まれて、おまんまの食い上げになるというものでもないので、どうってことない、という状況に持っていこうとしているのでは、なかろうか?

いや、待てよ・・・。それはもうその通りの状況になっているじゃないか?

小渕優子なんか、あれだけ世間に叩かれたのに、昨年末の選挙で堂々とトップ当選だ。HDにドリルで穴まであけて証拠隠滅を図っていたという悪質さだったが、国民は真相を究明することよりも、彼女を赦すことを選んだ。

阿呆じゃないか?

その後、真相は究明されたのかい?
寡聞にして俺は知らないんだがね。
金の不祥事がばれても、大臣を辞めれば、何の問題もないというのかい?
普通の会社員なら、懲戒解雇だろう?
普通そうなったら、何年間かはなかなかに苦労することになるんじゃないのか?

ニンゲン、缶コーヒー一本おごられたって、相手に対して感謝の念なり負い目なりを感じてしまうというのに、何百万ももらっておいて、何の負い目も感じないって本当かい?
それが本当なら、よほど相手のために骨を折ってやったってことじゃないのか?
それとも、よほど面の皮が分厚いのか?

いい加減、俺たちはもっと真っ当な感覚で政治家を選ぶようにしないといけないんじゃないか?
いまのままじゃ、江戸時代の農民以下だぜ。
なにしろ、奴らはいざとなれば一揆を起こして、命がけで異議申し立てをしていたんだからな。

このままじゃ、憲法だって大きな議論がなされることもなく、なんとなく変えられて、政治家の都合のいいようなものにされちまうぜ。

言っておくけれど憲法ってのは、他の法律とは全く性格が違う特殊な法なんだぜ。
国家の主権者たる国民の名のもとに、立法、行政、司法はどうあるべきかを定めたものだろう。
もっとひらたく言うならば、政府が暴走して、国民を不幸にしないようにするための安全装置なんだ。
それを、政治家の発案で変えることを目指しているというのは、俺に言わせればそれこそ横暴で僭越だ。

この国の主は、天皇陛下ではない。それは昭和20年8月15日までの話だ。
現在、この国の主権者は、われわれ国民一人一人のはずだ。
自民党の皆さんは、天皇陛下を我が国の象徴から、再び国家元首に祭り上げようとしているのだ。皇族方が折に触れて、現在の憲法を尊重すべきであると、おっしゃっておいでなのにもかかわらずな。

読者諸君、失礼する。書いているうちに、実は今の状況は、非常にマズイんじゃないかって、再認識してきたよ。目を覚ませ!

2015/02/27

Post #1423

Helsinki,Finland
俺はカミサン(いつも出てくるが、籍は入れずにもう20年も一緒に暮らしている。忍耐強い女性だと思う)に、毎日のように働き過ぎだと叱られている。
現に、毎日夜勤で働いてるので、生活はすれ違いだ。カミサンの顔を見るのは朝の5分、10分というありさまだ。
だからこそ、長いこと続いてるのかもしれないな。たいていの奴は、俺と三日も一緒にいれば疲れ切るかうんざりするだろうというんだ。俺のテンションが高すぎるんだとさ。

冗談じゃないぜ。疲れ切ってうんざりしきってるのは俺の方だってのに。
坂道を上るのにアクセルを踏むように、テンションを上げていかなけりゃ、人生の坂道は登っていけないだろう。力を抜いたら、まっさかさまに没落するのが自分でよくわかってるんだ。何しろ俺はダメ人間だからな。意志の力で乗り切っていかねばならぬのさ。

しかし、寄る年波だ。悲しいが肉体にはどんよりした疲労が残ってるぜ。整体に行くと、単なる筋肉痛だって言われるがな。
俺がそんな思いをして稼いだ金は、いったいどこに蒸発しちまってるんだ?
不思議ったらないぜ。

で、かみさんが言うには今度の4月、ヨーロッパに海外出張に行くんで、その行程に合わせて合わせて俺もヨーロッパを旅行するとイイっていうんだ。

働き過ぎだから、仕事から離れてゆっくりした方がイイっていうんだ。

そいつは結構だ。人生が仕事だけで終っちまったら、虚しすぎる。大賛成だ。今すぐにでもとんずらしたい。しかし、仕事を放り出していくわけにはいかないだろう。
その頃には、円安が落ち着いてるとありがたいけれどな。

スペイン、スウェーデン、デンマーク・・・。そのあたりを仕事で回るらしい。
日程的にスペインは難しいかもしれないけど、スウェーデンやデンマークなら何とかなるかもしれないな。
あそこらあたりは世界でもっとも福祉が行き届いており、高い幸福度を達成しているとされる地域だ。
しかし、それはそれでいろんな問題があるだろう。
当たり前だ。人間の生きるところ、問題はいつだって山積みなんだからな。
とりわけいまヨーロッパで問題になってるのは、やはり移民として取り込んだイスラム教徒を、どうやって社会に取り込んでいくかってことだろう。
不穏な事件も続いていることだしな。
で、カミサンが向うでじゃんじゃんバリバリバリ仕事してるあいだ、カメラを持って街をうろついて、その空気だけでも感じ取ってきたいものだ。

感じることが、世界を理解するためには必要なんだぜ。
そう考えれば、今回の話はいいタイミングだと俺には思える。

単なる思い込みだって?なぁにかまうもんか。

そう、いつだって意味を見出すのは、自分自身なのさ。
偶然を必然として受け取るのも、自分自身なのさ。
そうして、人生は転がり出すんだ。


読者諸君、失礼する。
春のヨーロッパか・・・。そいつぁいいな。マロニエは咲いているだろか?

2015/02/26

Post #1422

Boudhanath,Nepal
ここんところ、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』ちゅう本が巷で大人気だ。
俺の予想では、今はメディアの連中も大騒ぎしているが、熱しやすく冷めやすい、そしてなおかつ忘れっぽい我が国の国民性を考えると、一過的なブームで終ることは間違いないように思える。
俺も近々、ブームに便乗してみすず書房から出ている翻訳書を買って読んでみようと思ってるんだれど、いかんせん完膚なきまでに金がないので、もう少し先延ばしというわけだ。読んでもいないのに俎上にのせるとは、俺もなかなか肝が据わっているってもんだ。ダッハッハ!

ピケティ氏の言っていることは、方々で紹介されているし、高額でページ数の多い翻訳書だけでなく、柳の下の泥鰌的な多くの解説書が出ているので、いちいちここで俺が説明するような事ではないだろう?
けれど、報道等で目にするところから大まかに言ってみれば次のようになるようだ。

①資本は富裕層に集中してゆく。

②これによって、社会の格差は拡大していく傾向にある。

③社会の格差が拡大してゆけばしてゆくほど、経済的な成長は鈍化する。

④それを防ぐには、逆累進性が強い消費税を見直し、累進性の強い所得税に力点を置き、富裕層の富を、再分配する必要がある。

陋巷暮らしの貧民にして、一を聞いて十を知る(が、2から8が抜けている)と言われている俺からすれば、全て自明の理なんだけれど、アカデミズムの世界ってのは仮説を立て、データに基づいて検証し、その上で初めて世に出され、評価されるというものだから面倒極まりないものだ。
余談ながら、俺が世間一般でイマイチ評価されないのは、その地道な努力が欠けているからだって思えるよ。
とはいえ、マルクスの『資本論』(俺は挫折したけどね)は、膨大な例証を積み重ね、その事実の重みによって論を展開していたし、いかなる学問というものは、思い込みを排して、謙虚にデータに向かい合うことが必要なんだってのは、よく理解してるつもりだ。

だからこそ、トミー(トマってのはトーマス=トミーのフランス語読みだからね)の労作を、近々手に入れて読んでみたいと思ってるのさ。
たまには、地道な努力をしてみるつもりさ。

今日まで歴史も経済も、歴史の舞台上でスポットライトを浴びる人間や、巨大な資本を操り世界経済の潮流を左右してゆくようなパワーを持った者たちをテーマにおいて語られることがほとんどだった。
しかし、世界を本当に構成しているのは、一見、自分のことしか考えないような、フツーの人々が大半なんだ。そして、フツーの人々なんてのは、世界でブイブイ言わせている富裕層の方々からご覧いただくと、アリンコみたいなとるに足らないものに見えるのかもしれない。
その証拠に、発展途上国の経済や政治は、先進国の経済や政治に常に翻弄されてきたし、庶民の感覚が、政治に反映されることはほとんどない。この日本では、政治家なんてうなるほど資産を持っている富裕層にしか勤まらないものだからだ。

そして、俺たちの社会は行き詰っている。水面下で秘かに、新たな階級社会へと近づいている。
いやぁ、参ったなぁ…。
希望は戦争しかないとか、イスラム国に憧れるだとかってのも、そんな社会の閉塞した退行的な動きへのリアクションだと思えるぜ。

そろそろ俺たちは、大多数の貧乏人を基準にして、社会を考えていかなければ、どうにもならない時期に差し掛かってるってことさ。

読者諸君、失礼する。忘れたころに、この本について触れることだろうさ。どんな学問だって、人間の幸福に役立たないようなものは、世界をよりマシにしないようなものは、何の意味もないのさ。