2018/09/21

Post #1709

Tokyo 2015
生産性をめぐって、様々な言説が飛び交っている。
そういった内容に関する僕の個人的な意見を、ここに表明するつもりは、さらさらない。
そういう争いからは、一線を引いて距離を置きたいからだ。
しかし、その代わりに僕の好きな小説の一説を引用しておこう。
初めてこの言葉を知ったのがいつか、もう覚えてないけれど、読み古されてよれよれになった文庫本の奥書には、1996年5月31日 13刷とある。すでに20年以上大昔だ。

『いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食料やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失う時がやってくる。だからーーもしわれわれが、人間を人間だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです』
(キルゴア・トラウト談  カート・ヴォネガット・ジュニア/朝倉久志訳「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」ハヤカワ文庫288ページより引用)

僕らは、1960年代に記されたこの言葉が、現実味を増してきた時代を生きている。能無しとして、あるいはまた自分は有能だと思い込んでいる能無しとして。

2018/04/23

Post #1708

高畑監督が亡くなって、火垂るの墓が再放送された際に、ネット上では、主人公が孤立して、窮乏してゆき、結果的に悲惨な結末に至ることを、自己責任だと批判する意見がみられたという。
この国の人々は、自己責任が好きだ。

生活保護受給者は、自己責任を問われ、奨学金の返済に苦しむ若者は、自己責任を問われる。
イスラム国に捕まって殺されてしまった人にも、自己責任。

苦境に陥っている人々に、それはお前の自業自得と突き放すのが、我が国の国民性だ。

しかし、権力や地位に恵まれた人々には、彼らがもし、なにかとんでもないことをやらかしても、責任を取れという大合唱はおこらない。


おかしなものだ。


長いものには巻かれろなのか、苦境に陥った市井の名もなきひとは、糾弾しても安全だと思っているのか。

僕らは誰しも等しく苦境に陥る可能性を持っている。そして、この世界で生きるということは、自分の意思だけでは、いかんともしがたいものがあることを忘れてはいけない。

その一方で、世の中には、責任を取らない責任者、必死に責任から逃げ回っている責任者が、たくさんいる。

2018/04/06

Post #1707

斎場御嶽にて
かつて、ポール・ウェラーは少年の頃、初めてThe Whoのデビューアルバムを聞いた時に、過去から未来がやってくる!と思ったと語っていた。
『過去から未来がやってくる』とは、なんて素敵な話だ!
二度と戻っては来ないご幼少のみぎり、考古学者に憧れていた僕には、その言葉はグッとくる。
問題は、その過去がどれくらい昔かってことだ。
吉本隆明は、過去を知れば知るほど、未来が分かるようになるというようなことを言っていた。

学生の頃、同級生に明子というのがいた。
明治百年に因んで、明子としたらしい。治子でも良さそうなもんだが、まぁ、それは良しとしよう。名前なんざ、所詮は記号だ。

そして、今年は明治維新百五十年だそうな。やれやれ、俺も歳を食うわけだ!

右派的な主張の方々や、自民党およびその支持者の皆さんは、折に触れて、日本の伝統ということを口にするが、僕にはそれは、明治以来、たかだか150年の伝統に過ぎないように見受けられる。

だいたい、伝統伝統とか言う御仁で、ちょんまげ結って紋付き着てたり、みずらを結って、勾玉ぶら下げてたりする人を、僕は見たことがない。
ついでに言うと、伝統伝統といいながら、対米追従の輩ばかりで、尊皇攘夷とか言う人もいない。
僕が見たことないだけで、世の中にはけっこういるのかも知れないが。

昨今では、教育勅語が大好きで、子供達にこれを暗唱させて、感涙するという高尚な趣味の方もおいでになるようだが、僕にはあの教育勅語って代物は、そういった洗練された趣味の皆様が毛嫌いする中国から伝えられた孝悌忠信礼儀廉恥の儒教道徳と家父長制的な国家主義がブレンドされた代物に見える。
まぁ、他人の趣味をくさすのは、あまり良い趣味とは言い難いので、これ以上とやかく言うつもりもないが、それを我が国固有の文化だの伝統だの言うのは、いささか近視眼的であるなとは思っていた。

我がクニには、縄文草創期以来、15,000年の文化がある。
本当に、我がクニの伝統ということを考えて見るならば、そこまでの射程を持つべきだと、僕は考える。

そこまでの射程を持った時、初めてこのユーラシア大陸の端に太平洋に面して浮かぶこの列島の文化が、環太平洋に展開するさまざまな民族や文化と通じあっていることが解るはずだ。
そして、パスポート(それこそまさに近代的な国家の誕生によって生み出されたシステムだ!)などもたず、海流に乗ってこの列島にやって来た、さまざまなルーツを持った人々を受け入れてゆくことで、このクニの文化や伝統というものが、織り上げられている。

明治150年など、15,000年の歴史からすれば、ほんの一過性のブームでしかないのではなかろうか?

まぁ、そんな事とやかく言う俺も、ええ加減野暮ってもんだわさ。